後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔549〕後期ゴシック彫刻を歩く㉜ まだまだ歩き足らない私たちです。

2022年11月28日 | 美術鑑賞
 2022年秋、今までになく後期ゴシック彫刻を歩き回ったのは事実ですが、実はまだまだ歩き足らないのです。つまり、我々の後期ゴシック彫刻を歩く旅はこれからも続くということです。おそらく緑も同意してくれるでしょう。
  では、あと何処の何を見れば良いのでしょうか。
 旅を終えた今、忘れないうちにそのことを書き留めておきましょう。読者の皆様がそのことに興味を持ってくださることを願っています。
 *写真はいずれもウルム、ドナウ川近辺です。



■ドイツ
・ビンゲン(チュービンゲン近郊)*ビンゲン祭壇(ニクラウス・ヴェックマン)
・オットーボイレン *オットーボイレン博物館(オットーボイレンのマイスター)
・デュッセルドルフ *クリストフォロス(オットーボイレンのマイスター)
・アルトエッティング *(アルトエッティングのマイスター)
・リューベック  *聖アンネ博物館(ハンス・ブリュッゲマン)
・シュレスヴィッヒ *シュレスヴィッヒ州立博物館(ハンス・ブリュッゲマン)

■デンマーク
・コペンハーゲン *コペンハーゲン国立博物館 ゲオルク像(ハンス・ブリュッゲマン)

■イタリア
・シュテアツィング *聖母子像、ウルスラ像(ハンス・ムルチャー)
          *ハンス・ムルチャー博物館(ハンス・ムルチャー)
・フィレンツェ *ルーカス像(ファイト・シュトース)

■フランス
・パリ  *ルーブル美術館 マグダラナマリア(グレゴール・エーアハルト)

■イギリス
・ロンドン *ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館 
          聖母子像(ファイト・シュトース)
           胸像2体(グレゴール・エーアハルト)

■ポーランド
・クラクフ *カイザーミールの墓碑(ファイト・シュトース)
       *ドミニカン教会 浮き彫り(ファイト・シュトース)




〔548〕後期ゴシック彫刻を歩く㉛  偶然出合った彫刻が多かった ことに帰国してから気づき興奮しています。

2022年11月26日 | 美術鑑賞


 マイケル・バクサンドールはイギリスの美術史家です。ルネサンスなどのイタリア美術に詳しくいくつかの関連本を出版しています。そしてドイツの後期ゴシック彫刻について書いたのが『彫刻家の芸術』です。
 ちなみにバイエルン国立博物館のヴェニガー博士はこの本や福田緑の写真集に多くの価値を見いだし、ドイツ芸術史に新しい視点をもたらしていると証言しています。(写真集第Ⅳ巻前書き)褒めすぎという感じはしますが、嬉しいコメントではあります。

 バクサンドールのこの本が我々の後期ゴシック彫刻を歩くためのバイブルになりました。彫刻の素材などについて詳しく書かれていますが、我々が一番関心を持ったのは作家列伝とその作品カタログでした。
 今回の旅の訪問先を決定するためのドイツ語文献はあまたありますが、『彫刻家の芸術』もその大きな決め手になりました。以下の6つの像はどうしても見たかったものですが、拝観することができました。〔ブログ掲載済み〕

Ⅰ 聖母子像(ハンス・ラインベルガー)ポリング
Ⅱ 聖母子像(ハンス・ムルチャー)ランツベルク
Ⅲ ゲオルク像(ハンス・ラインベルガー)ミュンヘン
Ⅳ 庇護マントのマリア(グレゴール・エーアハルト)フラウエンシュタイン
Ⅴ マウア祭壇(作者不明)マウア
Ⅵ 聖家族を描写した翼付き祭壇(ダニエル・マウホ)ビーゼルバッハ

 帰国して、写してきたあまたの彫刻写真を見ながらブログを書いていると、予想もしなかった発見がありました。そのことに驚き、興奮しています。写した写真の中にバクサンドールの本に登場している彫刻が5体もあったのです。

Ⅶ マリア戴冠(ヴィジツ)フライブルク大聖堂
Ⅷ 庇護マントのマリア(Hans Sixt von Staufen)フライブルク大聖堂
Ⅸ 悲しみのマリア(作者不明)ゲルマン国立博物館
Ⅹ アンナゼリプドリット (アルテエッティンクのマイスター)リンツ城博物館
Ⅺ 聖母子祭壇(作者不明)シュトゥットガルト州立博物館

 ブログに縷々書き綴ってきましたが、これらの他にも多くの素晴らしい後期ゴシック彫刻に出合ってきました。何時の日か、どんな形でか、発表できると良いなと思っています。

〔547〕後期ゴシック彫刻を歩く㉚  美術史美術館はまさに中世彫刻の宝庫でした。

2022年11月26日 | 美術鑑賞
 10月9日(日)、ウィーン中央駅からSバーンで2つ目のウィーン・ミッテ駅で下車し、約1キロの道をシュテファン寺院まで歩きます。ここまでは通い慣れたる道です。少し左手にカーブすると王宮が見えてきます。その先が美術史美術館です。







 美術史美術館修復士のバルバラさんは残念ながら出張で再会なりませんでした。彼女については写真集第Ⅴ巻に紹介しています。

 今回、美術史美術館で見たかったのは、もちろん後期ゴシック彫刻です。リーメンシュナイダーやミヒェル・エーアハルトなどの著名な彫刻家だけでなく、マウホやヴェックマンなどの作品はありそうです。
 ありました、ありました。興味深い作品がてんこ盛りでした。人はほとんどいないので写真撮影にはもってこいのはずですが、ほぼすべてがガラスケース入りのため光が反射していてうまく写らないのです。それでも資料作りのため、粘り強く作品と表示を写しまくりました。

 絵画もたっぷり堪能しました。でもフェルメール「絵画芸術」がなぜか「不在」でした。前来たときは、まわりに人もいなくて、消失点まではっきりと確認できました。
 クリムトの壁画は階段正面を上がったところの上部にあります。反対側からこれを写すのはけっこう難しいですよ。






〔546〕後期ゴシック彫刻を歩く㉙ ベルヴェデーレ宮殿でついにパッハーの絵を見ました。

2022年11月26日 | 美術鑑賞


 10月5日(水)、アウクスブルクからウィーンに移動しました。ホテルは新しくできたウィーン中央駅のすぐ近くでした。ウィーン中央駅はあのベルリン駅をさらに大きく豪華にした感じで、ちょっとびっくりしました。
 ホテルにトランクを置いてベルヴェデーレ宮殿に向かいました。ウィーン中央駅からベルヴェデーレ宮殿まで1㎞ちょっとでしょうか。なんとか美術館には入館できそうです。



 ちなみにベルヴェデーレとは美しい眺めのことだそうです。
 チケット売り場で上宮と下宮の入場券を購入しようとしたら、今からでは両方は見学できないだろうと言われました。まだ閉館まで2時間ぐらいあったんですがね。上宮だけ入場することにしました。
 2階にクリムト、シーレ、ココシュカなどオーストリア絵画の粋が凝縮され、なんと言っても一番人気です。見学者で溢れかえっていました。韓国のツアーが2組ありました。
 人がまばらな1階から回りました。これが大正解。私たちが目差していたミヒャエル・パッハーの絵が数点並んでいました。パッハーはムルチャー、シュトースと並んで彫刻と絵画の二刀流です。じっくり舐めるように鑑賞し、写真に収めました。
 少し人が空き始めた頃2階へ。それでもクリムトの「接吻」の前は黒山の人だかりでした。



 翌日、ゆったりと下宮を目差しました。かつてここでスラヴ叙事詩のミュシャ展を見たことがあります。その後何年かして東京でこのミュシャ展が開催され、ここにも足を運びました。
 入館料が高いのに不満を言いながら、外宮の別棟プルンクシュタールに向かいました。ここには中世美術のコレクションがありました。いくつかの部屋に所狭しと彫刻などが陳列されていました。撮影しようと近づくとブザーが頻繁に鳴りました。



 散策するにはお金がかかりません。
 確かに美しい眺めでした。

〔545〕後期ゴシック彫刻を歩く㉘ フライブルク大聖堂も見どころ満載、見落としていたものがたくさんありました。

2022年11月25日 | 美術鑑賞


  翌10月17日(月)、フライブルクからフランスとの国境近くの町、ブライザッハに「遠足」しました。ここの大聖堂にはショーン・ガウアーの唯一の壁画が残されています。以前訪問したときに、それを見て満足していたら、帰国してから、実はここの祭壇がマイスターHLのもので、祭壇史に残るものだということを知りました。(『北方ルネサンス』岡部由紀子論文)そして、マイスターHLとはハンス・ロイだとも言われているのです。
 そんなわけでせっかくフライブルクまで行ったらブライザッハには寄りたいね、ということだったのです。でもここは相変わらず撮影禁止だし、なぜかかつてのんびりした春先に訪れた感動はありませんでした。美味しいケバブ屋さんがあり、ワインで有名なところなんですがね。

 フライブルクに帰還して真っ先に向かったのはフライブルク大聖堂でした。塔にも一人上ったことがあり、もう見尽くした感のある大聖堂でしたが、どうしてどうして、新たな発見がてんこ盛りでした。



 内陣は有料ですが、ここに見るべき絵や彫刻があるのです。
 主祭壇の絵は大きなハンス・バルドゥンク・グリーンのマリアの戴冠の絵です。何度も写真で見てきたのですが、ここにあったのでした。



 そして、Hans Sixt von Staufen の祭壇、バクサンドールの本に登場していた作家です。鉄格子のあいだからなんとか撮影したのがこの写真です。



 ハンス・ヴィジツの作品も写っていました。こちらもバクサンドールの本に登場していました。


〔544〕後期ゴシック彫刻を歩く㉗ 作品はもとよりアウグスティーナー博物館(フライブルク)の図録に興奮しました。

2022年11月25日 | 自己紹介
 10月16日(日)、旅の最終盤に差し掛かってインスブルックからフライブルクまでやって来ました。
 前日はインスブルックからの「遠足」でイタリアのシュテアツィングに行って、ハンス・ムルチャーの聖母子像、祭壇などを見る予定でしたが、2人とも発熱があり、自重したのでした。まあ、イタリアと言ってもオーストリアをわずかに越境するぐらいだったのですが。今回の47日間の旅行の中で、唯一計画通り訪問できなかったのがシュテアツィングということになります。他日を期したいと思います。





 フライブルクに着いて直行したのがアウグスティーナー博物館でした。3回目になります。初回の目的はグリューネヴァルトの絵を見ることでした。2回目は後期ゴシック彫刻を見ることでした。ここにはリーメンシュナイダーやシュトースの有名な作品があるわけではありません。しかし、今回新たな発見があり、非常に興奮させられました。

 バクサンドールの本に登場するハンス・ヴィジツの作品が3点、マウホのレリーフが4点、ニクラウス・ハゲナウアー、マイスターHLなどもあるのです。さらに、絵画としてはハンス・バルドゥンク・グリーン(デューラーの一番弟子)が数点もありました。クラナハもあります。



 3階までの吹き抜けの展示場は独特のものがあります。新たに開館したフライジング博物館はこの博物館を参考にしたのでしょうか。

 閉館間際に書籍コーナーに立ち寄り、所蔵作品をドイツ語の文章と写真で丁寧に紹介した207頁の図録を購入しました。ホテルに戻ってからしばらくの間、この本とにらめっこをしていました。




〔543〕後期ゴシック彫刻を歩く㉖ シュトゥットガルトの州立博物館で多くの彫刻に出合いました。

2022年11月25日 | 美術鑑賞
 話は前後しますが、9月6日(火)のことです。
 我々3人の日本人を歓待してくれた4人のドイツの友人が、シュトゥットガルトの旧市街の中心部を案内してくれました。
 一番のお目当ては、旧宮殿で現在は州立博物館(ヴュルッテンブルク郷土博物館)です。ここにはリーメンシュナイダーの秀作があり、マウホのレリーフも4点があるはずですが、残念ながらリーメンシュナイダーは貸し出されていたようです。なぜかマウホの作品も見つかりませんでした。でも、それほど有名ではないけど、多くの後期ゴシック彫刻を見ることができました。カメラに収めてこれはこれで満足でした。

 その後は、新宮殿を横目で見ながら宮殿広場をぬけ、芸術館方面にそぞろ歩きです。
 その道々で撮った写真をお届けしましょう。でも、最初はアンゲリカの食卓からスタートです。










〔542〕後期ゴシック彫刻を歩く㉕ ヨハニターキルヒェ(シュヴェービッシュ・ハル)には、リーメンシュナイダーだけでなくマウホ、ベックマンもありました。

2022年11月24日 | 美術鑑賞
  9月26日(月)、シュヴェービッシュ・ハルのマリアンヌ・ホールスト夫妻の家に宿泊させていただいたのは初めてでした。緑が半年ドイツ留学をしたときにお世話になった方たちでした。毎日の豪華な食事に舌鼓を打ちました。





 そして、いつものようにご挨拶代わりに聖ミヒャエル教会を訪れました。ハル・フランケン博物館ではハンス・ボイシャーなどの後期ゴシック彫刻などの他に、人形劇に登場する手作り人形の特別展示が興味深かったです。







 『地球の歩き方』には紹介されていないのですが、是非訪問して欲しい博物館があります。聖ミヒャエル教会からコッヒャー川を渡ってすぐのところにあるヨハニターキルヒェという美術館です。聖母子像などリーメンシュナイダーの3作品やホルバインの絵があるところで、作品は多くないのですが優品が揃っています。今まで見落としていた2階にも彫刻が目白押しでした。初めて見るマウホやベックマンの出現にびっくりさせらました。しかも無料でした。
 新たな発見には心が躍ります。

〔541〕後期ゴシック彫刻を歩く㉔ クレークリンゲンで地元新聞社にインタビューされました。

2022年11月23日 | 美術鑑賞
 9月25日(日)、私たちは、ローテンブルク近郊のクレークリンゲンのヘルゴット教会にいました。ここにはリーメンシュナイダーの最高傑作の1つのマリア祭壇があるところです。私たちはここを何回訪れたことでしょうか。受付近くに、緑の写真集をずらりと並べてくれています。
 この日は、この教会の責任者の方とお会いして、私たちの新著『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』と、まだ差し上げていなかった緑の『完・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』、そして教会への寄付金をお渡ししました。さらに、地元の新聞社からのインタビューを受けました。橋渡しをしてくれたのはクレークリンゲンに住むイングリット、ヴォルフガング夫妻です。ご自宅に初めて泊めていただきました。

 この時の顛末と、実際の新聞記事について、福田緑がブログに書いています。ドイツ語と日本語、どちらでも読むことができます。

https://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin/e/04fef2fcc6d7e9c2bba51636bfdbab0b






〔540〕後期ゴシック彫刻を歩く㉓ エルンスト・バルラハの彫刻を見にギュストローを再訪しました。

2022年11月23日 | 美術鑑賞
 エルンスト・バルラハ(1870~1938)はドイツ表現主義の彫刻家です。彫刻家としてケーテ・コルヴィッツの先輩で盟友にあたります。
 私がバルラハに興味を持ったのは、2006年、日本におけるドイツ年で東京藝術大学大学美術館での展覧会を見たときです。この展覧会は京都国立近代美術館、東京藝術大学大学美術館、山梨県立美術館と巡回しました。日本で初めてのバルラハ展でした。
*大きな図録のため右端が切れてしまいました。



 デテールを省略し、大胆にデフォルメした造形にまずは圧倒されました。バルラハの想いが何物も介在せずに、直接伝わってきました。いつかドイツに点在するバルラハ作品を見歩きたいと思うのでした。
 そこで、リーメンシュナイダーなどの後期ゴシック彫刻を訪ねる機会が多かったので、バルラハの彫刻も訪ねてみようと思いました。バルラハ作品の宝庫のギュストロー(エルンスト・バルラハ財団)、ハンブルク(エルンスト・バルラハ・ハウス)、リューベック(カタリーナ教会)に足を運んだのです。

 日本で出版されている、バルラハをタイトルに入れた本は数えるほどです。おそらく次の4冊でしょう。
・上野弘道『エルンスト・バルラッハ-忘れられた表現主義の彫刻家』あい書林、1989年
・宮下啓三『人間を彫る人生-エルンスト・バルラハの人と芸術』国際文化出版社、1992年
・上野弘道『木彫の詩人-エルンスト・バルラッハ』新日本出版社、1993年
・小塩節『バルラハ-神と人を求めた芸術家』日本キリスト教団出版局、2002年

 さて、今回はヘルビックの運転でロストックからヴァルネミュンデ、ギュストローに案内してくれました。博物館内部の作品は掲載できないので、風景を楽しんでください。
 *ある人に写真がとても綺麗ですね、と言われて嬉しくなりました。












〔539〕後期ゴシック彫刻を歩く㉒ 2022年現在、「イーストサイドギャラリー」はこんな感じでした。

2022年11月20日 | 美術鑑賞
  9月11日(日)、イーストサイドギャラリーを再訪しました。
 ここは約1.3キロメートルがオープンギャラリーになっていて、ドイツ内外の画家が描いたそうです。(『地球の歩き方』2021~22)

 コロナ禍ということもあってか、観光客は以前より少ない感じがしました。










〔538〕後期ゴシック彫刻を歩く㉑ 世界遺産、博物館島のボーデ博物館は新しい発見の連続でした。

2022年11月20日 | 美術鑑賞
 後期ゴシック彫刻のメッカと言えば、まずは世界遺産、博物館島のボーデ博物館をあげるしかないと思います。次に、ミュンヘンのバイエルン国立博物館、ニュルンベルクのゲルマン国立博物館ということになりそうです。他の博物館も含めて写真集第Ⅴ巻にまとめて紹介しています。
 ボーデ博物館には何回足を運んだことでしょう。館長のシャプュイさん(写真集第Ⅴ巻所収)と親しくさせていただいて、写真撮影の許可もいただいています。







 9月10日(土)、Sバーンの駅を降りて、川添に歩いて行くとボーデ博物館が木立の向こうに見えてきます。企画展の案内の大きな絵はリーメンシュナイダーのゲオルク像でした。
 お馴染みのリーメンシュナイダーやゲルハールト、ミヒェル・エーアハルトの作品との「再会」にはざまざまな新しい発見があります。それとともに、ラインベルガー、ペーター・デル、グラッサー、ハンス・ムルチャー、ハンス・トーマンなど、今まで見逃していた秀品を見つけ出し、心が躍りました。



 博物館の反対側の出口では古本や様々なものが売られていて賑わっていました。実はこの近くにメルケルさんが住んでいて、運が良ければ会うこともあるそうです。首相の邸宅があるということだったのでしょうか。前にMさんに教えてもらいました。

 ドイツ歴史博物館が残念ながら閉館中でした。
 この後、絵画館でハンス・ムルチャーの絵を見ることになります。

〔537〕後期ゴシック彫刻を歩く〔番外編〕⑳ ナチの戦争犯罪を後世に伝える試み「躓きの石」「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」…

2022年11月19日 | 美術鑑賞
 ドイツはナチの戦争犯罪を後世に伝える努力を惜しみません。
  道路の至る所に十センチ四方ぐらいの 真鍮が埋め込まれています。「躓きの石」と言われて、強制収容所に送られたユダヤ人の氏名と日時、収容所名などが刻まれています。3,4個かたまっていることもあれば、1つだけのこともあります。



 9月9日(金)、ベルリンのホテルから徒歩で初めて森鷗外記念館を訪ね、さらにブランデルブルク門近くの「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」を訪ねました。2回目でした。様々な高さの直方体のコンクリートでできた記念碑です。写真の左奥に入り口があります。地下が様々な展示室になっています。持ち物チェックを受けて入場します。見学者は無料です。入館者は展示に見入っていてここでは常に沈思沈黙の世界が支配しています。









  9月11日(日)、ベルリンの壁の記念碑「イーストサイドギャラリー」に立ち寄った後、地下鉄を乗り継いでバイエリッシャー・プラッツ(ユダヤ人の禁止パネルのある町)を再訪しました。この町には数十箇所のパネルが掲げられています。実際に発見できたのは二十箇所ぐらいでしょうか。雨が降ってきたので見学は途中で断念しました。






〔536〕後期ゴシック彫刻を歩く〔番外編〕⑲ ヴュルツブルクの駅前に反ナチスのモニュメントが設置されていました。

2022年11月18日 | 美術鑑賞
  9月21日(水)、ドイツの臍のアイゼナハからリーメンシュナイダーの聖地とも言えるヴュルツブルクまで2時間半かけて戻ってきました。ドイツの中でヴュルツブルクは私たちが最も訪れた町です。駅前のホテル・レギーナは定宿でしたが、久しぶりに宿泊しました。いつもは狭い部屋に辟易していたのですが、今回は最上階で眺めも良く広々としていて満足でした。

  駅を降りて、今までになかったモニュメントに出合いました。4枚のパネルにその由来が書かれているのですが、緑の解説によると、ナチスの犯罪を可視化したもののようです。
 ユダヤの民が持っていたであろう鞄やリュックなどの造形がコンクリートや石で設置されています。戦争犯罪を今も問い続けるドイツの姿勢に、我が国の戦争責任の認識の甘さを顧みざるを得ませんでした。










〔535〕西崎典子さんの熟読したい「憲法審査会ウオッチング」最新報告です。

2022年11月18日 | メール・便り・ミニコミ
西崎よりBCCでお送りします。

210臨時国会で初の参院審査会が11.9に開かれました。

■〔議題〕憲法に対する考え方についての意見交換として、各自が選んだテーマで意見を述べました。

衆院に比べると、テーマはばらけ、特定の憲法9条や緊急事態条項への集中はなし。

翌週の16日は審査会は開催されず、今の毎週開催をせかす衆院よりは落ち着いています。


■主な発言より

〇小西洋之 立憲 未定稿p.3上~下

「旧統一教会、国葬をめぐる問題は、法の支配、立憲主義の逸脱のあしき例であり、

我が会派として本審査会での徹底した調査審議を求める」。


「自民党の改憲案や改憲運動そのものが旧統一教会の影響を受けたものではないのか、

同性婚などのLGBTの権利擁護や、家族や教育政策の在り方がゆがめられていないのかなど、

極めて深刻かつ多岐にわたる旧統一教会をめぐる憲法問題を指摘します」


「衆院での国会議員の任期延長の改憲議論については、国会法及び公選法の改正によって、

改憲によらずに法律で解決できると考える」

「我が会派は、当然に国民投票法附則四条のCM、広告規制の法改正も求めます」

 

○福島みずほ 立憲・社民p.17下

「統一教会は様々なジェンダー平等政策が進むことを止めてきました」。


「山谷えり子議員にお聞きしたい。

 第二次男女共同参画基本計画においてジェンダーという言葉を使わせないように

チェックしたのか、どのように関与されたのか。推薦確認書を交わしたことがあるか。

性教育やジェンダー平等教育、選択的夫婦別姓、同性婚について、

統一教会構成団体と意見交換、講演、議論をされたことはあるのか」


(5分の持ち時間を超えての質問となる。会長の差配なし。回答はなし)。

■国葬、統一教会関連では、他に3議員が注文をつけ審議を求めた。

 

○山本太郎 れいわ p.26中

「憲法改正は、立法府が取り組むべき優先順位としてかなり低いものである。

逆に、命や暮らしが脅かされる事態が存在し、

生存権や幸福追求権が脅かされ続けている」

(注、いつものように指標や統計の数字を駆使して説明しました)

 

■合区について3人が意見を述べた。

〇西田実仁 公明

 ○安江伸夫 公明

〇牧野たかお 自民


〇大塚耕平 国民民主 p.7中

「緊急事態に直面し、選挙ができない場合を想定し、議員任期の特例延長を認める

規定の創設について議論すべきと考える」

 (注、衆院と異なり、議員任期延長について述べたのはこの議員ひとり)。


■憲法前文についての2名の意見⇩

〇浅尾敬一郎 自民 p.25下

「【平和を愛する諸国民の公正と信義】の中に、ロシアや北朝鮮が含まれるのか

どうかと考えると、様々な議論をして正しい憲法に変えていくのが当然のことではないかと思います。

 

〇松川るい  自民p.22下

「自分の国は自分で守る、その観点からは、前文の【平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して、

我らの安全と生存を保持しようと決意した】。

これは、他者に自国の生存を依存するという主権国家として恥ずべき規定、記述であり、

削除、改定が何としても必要である」。

(注、元外務官僚の議員。経歴からは思いもよらない意見)。

 

■以下、前文についての松川るい議員の陳述を小西議員が痛烈に批判し、松川るい議員が釈明する。

○小西洋之 p.25下

 (注、堂々と論を張り、改憲側を牽制します。是非、文書と画面でご覧ください)

「(略)なので、9条に自衛隊を明記するとこの分離解釈は壊れるわけです」。

「にもかかわらず、自民党の皆さんは、いや、自衛隊明記改憲は、

従来の政府の九条解釈は変えませんって言っているんですが、はっきり言います、

うそを言っているわけでございます」と断じ、


「まともな憲法議論のためには、憲法のことを勉強してから

政府解釈、憲法審査会をお願いしたい」と述べ、


「先ほど松川先生がおっしゃった、【諸国民の、平和、公正と信義に信頼して】、

このことについては何回もこの場で議論しているが、諸国民であって、

北朝鮮やロシアという国家権力を信頼しろとは言っていない。

国民なんです。そして、この言葉の前には、【人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し…】。

この言葉の意味について、岸田総理はさきの通常国会において、

ロシアの侵略には全世界の国民が反対し、命の尊厳を思う声を上げている、

そのすべての行為が憲法前文に示されていると言っています」。


「皆さん、自民党総裁の、総理の憲法前文の解釈を否定するんでしょうか。

 ですので、松川さん、松川さんは今の御意見を平成28年、平成30年、二回にわたっています。

そして、平成30年には白眞勲先生、28年は私が今のことを説明しています。

憲法の議論を求めるなら、真剣に憲法に向き合って、申し訳ありません、

もう言わせてください、憲法をちゃんと勉強してから憲法審査会の開催を求めていただきたいと

野党筆頭幹事として申し上げなければいけません」

 

○松川るいp.27下

 「小西委員から私の発言についてかなり長い言及がございましたので、

私からも御説明を差し上げます。 二回も三回も同じ発言をしていると御指摘あったとおり、

同じ主張をしております。憲法前文は素直な理解が必要で、諸国じゃなくて諸国民だから

いいということではございません。北朝鮮に頼るのは駄目だが、

北朝鮮人だったらいいというのではない。自分の国は自分で守る、

自分の国の生存を保持する、そのことを他者に依存する、その態度が良くないということを

申し上げているわけです」。              以上