本日はバレンタインデー。
現役の管理職の時は、良い時代で机の上にチョコレートが山積みになったこともある。
「義理チョコ」などと言う差別用語もなかった時代だ。
筆者は、言葉が文化を誘因すると説いてきた。
コンプライアンスを、「法令遵守」と訳さずそのままコンプライアンスと使ったおかげで、
幅広く法律を厳守するに留まらずモラル構築にも貢献した。
しかし、ハラスメントなどのように幅広く適用する事で、少しばかりきつい指導まで「ハラスメント」と言えば、
犯罪扱いだ。セクシャルハラスメントも、恋の駆け引きを楽しんだ時代が懐かしい。
その気がなくとも若い女性への挨拶代わりに、肩を叩く、容姿をほめる、軽いノリで口説く。
などの人生のノリシロがこの世から絶滅した。
「忖度」これも本来何も負のイメージはない、官僚だけではない。部下が上司を忖度するのは当たり前の話だ。
忖度のない世の中などあり得ない。
そして、義理。「義理チョコ」・・・・・。なんと忌々しい言葉か。
普段職場を同じくする女子社員が、感謝の意を込めてチョコレートを贈る。
もらった方は、もしかしたら本気なのか?と勘違いしつつお返しを考える。
素晴らしいコミュニケーションではないか。
それを「義理」と定義した時点で身も蓋もなくなった。そして廃止・廃止の大合唱。
分った。それじゃやめてくれ、おやじたちは急に見栄を張って、
「わしは糖尿だから。」「酒の味が変わる。」「チョコなんて女子供の食べるものだ。」などと本音ではない事を言い出す。
筆者の今の会社は、バレンタイン禁止らしい。
そう言えば、本日自宅の朝、テーブルの上にはチョコレートの箱が・・・・・。
無言の配偶者が置いた。正真正銘の「義理チョコ」だ。一層寒さがこたえる。