オリンピックの種目についての考察 ②
そもそも五輪とは、古代アテネでの戦士たちの戦闘能力を競ったのが原点だ。
肉体美を誇る戦士たちが、全裸で女性たちを入れず戦ったのである。
やり投げや砲丸投げが、必要不可欠な能力である事は論を待たない。
マラソンは、マラトンでの戦いの勝利をアテネに知らせる為、42.195キロを走りぬいた事に因む。
徒競走や高跳び幅跳びも、戦場では必須の能力である。戦場での戦いを彷彿とさせる美しい、納得のいく競技である。
冬季五輪でも、雪深い戦場や凍てつく氷の上で逸早く敵地に到達する能力を競う。
雪山深い高地を、高く遠くジャンプして突然敵の目前に現れる能力は、重用されて当然だ。
バイアスロンなどは、スキーを滑って息が上がった状態で、ピストルを撃つ。最もオリンピック精神に適している。
平和を願いつつ敵に勝つ戦闘能力を競う。素晴らしい競技会だ。
それに引き換え、スノボーのハーフパイプやくるくる回る点数競技のフィギア―スケートなどは、如何なる意味があるのか?
戦闘能力か?カーリングは何のためにやっているのか?
敵地に4回転しながら潜入する必要があるか?戦場にわざわざ土管の半分の堀を掘って意味があるのか?
競技者の皆様失礼いたしました。美人揃いのカーリング女子・可愛い沙羅ちゃん、ごめんなさい。
今から、テレビで羽生君を応援してきます。