アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

番外 コロナ騒動 について  若者に自覚を!!

2020-03-26 10:10:58 | 日記

何かおかしくないか?コロナによる所得補償について、一律の経済的援助が検討されている。一定の所得水準と影響度を加味して支給されるという。

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若い時、資本主義経済とは変動経済なので、底辺の労働者階級には必然的に雇用に影響が出る。完全雇用は無い。と、学びました。一方共産主義なら計画経済なので常に完全雇用なのだと教わった。実際はどちらが正解かは説明の必要はない!従って、国民は努力して雇用の不安のないように、あるいはその時(危機)の為に蓄えた。
ところが今や、何事が起こっても直ぐに、保証だ補填だと大騒ぎだ。本当に税金を使うべきは何なのか?本当の弱者は誰なのか?冷静に考えないと平等の不平等になる。世の中には声をあげられない人たちもいるのだ。

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若者達に言いたいのは、このような時にでも自らの雇用に不安がないように、努力せよ。と言う事だ。このような時に、援助を受ける人よりも援助してあげれる人になって欲しい。国への要求は、全て国民の血税だということを忘れていませんか。
国民一人一人の自助努力と、真に救われるべき弱者を忘れてはならない!冷静に耐えて行こう。痛みは平等ではないのだ。

 


692 アチャコの京都日誌  武者と戦った天皇たち  後水尾天皇 ④ 春日局事件

2020-03-26 10:10:58 | 日記


④ 春日の局

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 従来からの通説では、差し迫った事情というのは、天皇の腫物による「鍼灸治療問題」だと言われている。腫物とは、腫瘍のことで民間では、「でんぼ・おでき」とも言う。現代なら外科手術で切除できるが、良性のものでも熱や痛みを伴ったりすると命の危険を伴い厄介なものだった。当時は、針灸がよく効くとされたが、玉体(天皇の体)には鍼灸はタブーとされた。従って、譲位して自由な身となって治療を受けたかったというのだ。後水尾天皇は、基本的にはとても健康だったのだが、腫物ができやすい体質だったらしく、よほど悩ましい状況だったのだろう。因みに前年、叔父の智仁親王が同じ病で死去している。

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 しかし、最近の研究ではそれは、譲位する「口実」であり、便宜的な理由でしかないという見方が有力だ。
やはり本当の理由は前項で述べた「紫衣事件」である。しかし加えて、さらに許しがたい事件が重なった。それが「春日の局」参内問題である。以下、緊迫感ある経緯を時系列で書くと。
寛永6年 8月    幕府、天皇へ譲位の延期を要請
 8月27日 和子女子出産(またしても徳川家血統の男子誕生の夢破れる)
     これを受けて、家光の乳母「お福」を使者にして天皇の実情を伺いに派遣決定
    10月10日 お福改め「春日の局」 天皇に拝謁し天盃を賜る
    10月15日 後水尾天皇から土御門泰重に密命降る
    10月24日 宮中で神楽 春日の局のみ見学(後水尾参加せず重大決心をする)
    10月27日 土御門泰重に女一宮を内親王に叙すことでの調査指示   
    10月29日 女一宮を内親王に叙す
    11月 2日 中院通村を大納言に昇任
    11月 8日 公家衆に伺候命令  その場で譲位伝える。
 以上の経緯を眺めると、そこまでの許しがたい状況に加えて、無位無官の武家の娘「お福」が幕府の使いとして参内することが、きっかけになって後水尾天皇がにわかに行動に移していることが分かる。因みに、お福とは、本能寺の変の明智光秀の第一の侍大将であった斉藤利光の子である。本来なら、「謀反人の子」なのだが、家光の乳母として大奥に揺るぎない地位を築いた女性である。簾内とは言え無位無官では天皇に拝謁できない為、急きょ「従三位春日の局 藤原福子」の称号を与えた。何故、これほど光秀ゆかりの人物を重用するのだろうか。「本能寺の変」を徳川家康の陰謀とする説は、このような事実から出て来る。話を戻す。従来なら、このような重大決定は幕府に許可を取るか、せめて事前に伝えなければならない。その様な手続きも飛ばしている。

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徳川家光


 遂に、幕府に宣戦布告したようなものだった。最後は、一人の公家とも相談せずおひとりで決断したようだ。しかし、もっと許せないことがあった。かも知れない。