近頃の国会議員は、「嘘」という言葉の解釈を間違っているようだ。例 宿題をしなかった子供が、「宿題をしたのだが家に忘れた。」と言うのは、「嘘」だ。しかし、カバンに入れたつもりの宿題を何らかの理由で母親がカバンから出したことを知らず、「宿題はカバンに入っております。」と言うのは「嘘」ではない。
首相が5000円の会費でパーティーが成立していたと思っていて、政治資金規正法の違反はない。と、発言したが後ほど秘書の計らいで補填していたとしても、「嘘」ではない。勿論結果責任と同義的問題は残る。しかし「嘘」ではない。
このように、結果論的「嘘」を、虚偽答弁とするのは無理がある。配下の職員のすべての不正・脱法行為の責任を直接的に問われるのでは、会社の社長など務まらない。勿論、その不正行為が大規模継続的ならば使用者責任は重い。
そのような結果責任を「嘘」と言うのは、当該人物への印象操作の意図としか思えない。特に、野党の発想の貧弱さを思い知る。悲しいかな、情報はすべて週刊誌や新聞の記事である。野党議員の調査能力など発揮された試しがない。2大政党で対決する米国も難儀だが、弱小野党の無力ぶりも難儀だ。
次回は、眞子さま問題を再び書く。