アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

935回 あちゃこの京都日誌  光格天皇研究 ①

2023-01-05 09:38:20 | 日記

「光格天皇とその時代」 論文掲載 令和2年2月8日

 

光格天皇 200年前、最後に生前退位した英主について - 闘犬乱舞 ...

序章

 令和の新しい時代が始まり4年が経つ、その間多くの研究者が「天皇」「皇室」についてコメントしている。中でも、光格天皇については、現皇室の直系の祖であるという事からしばしば話に出て来る。しかし、江戸時代の天皇については、始まりの後水尾天皇と、幕末の孝明天皇のお二人は印象深いが、途中はあまりイメージがわかない。そこで、この度、光格天皇を研究することで江戸時代における天皇・皇室について自分なりの理解を得たいと思った。

☆光格天皇登場

 本論に入る前に、光格天皇登場までの時代背景を簡単におさえる。後陽成天皇が子の後水尾天皇に譲位したのが、慶長16年(1611年)であり江戸時代の天皇の歴史はここから始まる。

「禁中並公家諸法度」の発布が、慶長20年(1615年)である。その後天皇は、4代に亘り後水尾天皇の皇子・皇女が継ぐ時代が続き、85歳まで長生きした後水尾上皇は霊元天皇の途中まで院政を敷き強い影響力を発揮する。その霊元天皇も79歳の長寿で、孫の桜町天皇の途中まで約45年間上皇(院政)として皇室を率いた。霊元天皇の皇子の東山天皇の即位が貞享4年(1687年)で、それ以降比較的早世の天皇が続き、上皇となられるのは、事実上、後桜町女帝までいない。かろうじて直系で天皇を繋いで、後桃園天皇崩御の安永8年(1779年)をもって皇統の危機をむかえる。以上は、(講演会「近世天皇の即位儀式と本学図書館の貴重書」若松正志氏 2019年11月12日)

 また、光格天皇登場の直前に、「宝暦事件」と「明和事件」という事件があった。いずれも竹内式部や山県大弐などの国学者が、朝廷の権威や地位の復権を目論んだ事件で、朝廷の権限の回復を目指そうとする若手公家衆が先導したものである。これは18世紀半ばにおいて、明確に幕府と朝廷の在り方について、ある種の変化が生じていて、天皇・朝廷に期待が高まっていたものである。以上は、『幕末の朝廷』(家近良樹 中公業書 2007年)を参考にした。

 さらに、家近氏は、飛鳥井雅道氏の研究を紹介し、節分などの御所内侍所での宮中行事に民衆が、禁裏に自由に出入りし賽銭を上げていたことをあげ、天皇への「庶民の民族的信仰」から、天皇が、政治的権威として上昇するに至るという見通しを述べた事を、「江戸中期において天皇・朝廷が将来の飛翔に向けて胎動し始めた。」と、考えた。

 そのような時代の中に、図らずも「不測の天運」に導かれ光格天皇が登場する。

第1章 ☆天明7年(1787年)の御所お千度参り

ぶらり京都-179 [京都仙洞御所] - 御所千度参り - : 感性の時代 ...

 光格天皇の時代を前期(即位から御所千度参り・寛政度御所再建・尊号一件まで)中期(本格的復古への取り組み)後期(譲位後の文化的功績と天皇号復活)とし、まずは、「御所千度参り」を詳しく調べる事で初期の光格天皇が君主思想(帝王学)をどのように学び実践したかを考察して見た。

 その結果、①「お千度参り」は、当時、普段からの御所と京都の民衆の関りからすると極自然なことであった。(つまり朝廷の存在が現在より圧倒的に身近なものであったこと)②光格天皇17歳のことであり、叔父の関白鷹司輔平が主体的に動いていたこと、また義理の大叔母である後桜町上皇の影響が伺え、光格天皇の実像には十分には迫れなかった。③一方、天皇を「生神視」する尊王思想の台頭傾向が見受けられた。以上3点が判明した。

 従って、その後の「寛政度御所再建」と「尊号一件」を詳しく研究することで、さらに「光格天皇とその時代」の実態を探る。

108代 後水尾天皇 ごみずのお 1611年 徳川秀忠の子である和子が入内した
109代 明正天皇 めいしょう 1629年 徳川秀忠の外孫
110代 後光明天皇 ごこうみょう 1643年  
111代 後西天皇 ごさい 1654年  
112代 霊元天皇 れいげん 1663年  
113代 東山天皇 ひがしやま 1687年  
114代 中御門天皇 なかみかど 1709年  
115代 桜町天皇 さくらまち 1735年  
116代 桃園天皇 ももぞの 1747年  
117代 後桜町天皇 ごさくらまち 1762年  
118代 後桃園天皇 ごももぞの 1770年  
119代 光格天皇 こうかく 1779年 生前退位をした(1817年5月7日)
120代 仁孝天皇 にんこう 1817年  
121代 孝明天皇 こうめい 1846年 天然痘が原因で35歳で逝去
他殺説もあり。

江戸時代の天皇一覧

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934回 あちゃこの京都日誌  俺にも言わせろシリーズ 若者・よそ者・変わり者

2023-01-05 09:14:48 | 日記

ある会社のある会議の風景

第2話 社長が突然言い出した。「会社を変えるのは『若者』『変わり者』『よそ者』だ。」今日の会議はそれぞれの議題の最初の意見は、これらの者に聞きたいと、言い出した。

男はつらいよ(寅さん) - ✨登場人物紹介✨ ㅤㅤㅤㅤㅤ 「男は ...明石常務魚政 社長の久留米魚市場仕入れ日記7 今日は関西方面に白子入り ...串本専務

早速、「さすが淡路社長、いいアイデアですね。私もそう思ってました。」と、串本専務。明石常務も鳴門取締役もみんな、社長の意見に感動する。中には泣いている幹部もいた。

今日の議題は、「社員の満足度アップ」についてだ。

左門豊作の画像左門君

社内で変わり者で通っている左門君が、指名された。今でも牛乳瓶の紙のふたを収集するという年季の入った変わり者である。「私は、社内にラグビー部をつくるのが良いと思います。」

一同「・・・・。」左門君「ラグビーは道徳心を重んじるわが社の社風にも合います。そして試合が終われば『ノーサイド』というのが良いですね。」淡路社長「ラグビーか。そりゃ良い。野球やサッカーと違って同じ努力でたくさん点数が取れる。」

串本専務「そうですね。社長は、目の付け所が違う。点数がたくさん取れるのは良いですね。」

姫路総務部長「それは意味違うと思いますけど、」議長の串本専務がみんなの意見をうながすが、しばらくの沈黙。その後、神戸営業部長が、「やはり怪我が心配です。接触スポーツは危ないです。大事な社員に怪我などさせられませんね。」垂水コンプラ部長も「女子は参加できないではないですか。ダイバシティーがうるさい時代、コンプラ上難しいね。」などと批判が出た。誰かが、「左門君は自分がやっていたスポーツだから勧めるけれど、知らない人間には理解できないよ。」と、声が上がった。

すかさず、左門君「私はラグビーなどやったことはありません。風貌から誤解されるのですが、格闘技も含めそのような荒っぽいスポーツはやったことが無いんです。」なら、なぜ?  彼が涙ながらに言うのには、驚くなかれ自分はフィギア―スケートの選手だったと言う。これほど理不尽なスポーツはないと言い出した。自分は羽生世代で技術的には羽生以上にジャンプも回転も出来たと言う。しかし、彼のように熊のような容貌だと芸術点が上がらないと言うのだ。この芸術点ほど不透明なものは無いらしい。高橋大介や羽生弦や今トップの宇野昌磨など皆美形の選手ばかり、女子選手は全員美人だ。もう説明不要だろう。伊藤みどりの時代までは、顔など関係なくまだスポーツだったが今は見栄えが重視されるショーなのだ。左門君は専門家からは技術の高さを評価されたのだが、スポンサーもつかずやはり優勝争いはテレビ局やスポンサーの大企業の意向が働くらしい。努力が正統に評価されない誠に理不尽なスポーツだと言う。その点、ラグビーは真に実力主義。顔や性格は関係ない。トップ選手に男前はほぼいない。昔の平尾が話題になったのは珍しく男前だったからだ。涙の訴えだったが、一同沈黙。ただただ、彼がフィギヤ―選手だったと言う事が衝撃であったからだ。

ザ・逸品堂】商品詳細ページ / 明治製菓「ジョー&飛雄馬」少年 ...左門は兄弟たちをフィギア―で養おうとした。(涙)

あとは、練習場が確保できないやら資金面でやりくりがつかぬとか言いたい放題となった。遂に社長が、「確かにラグビーは良いスポーツだよね。」すると専務、「そうですね。私もそう思います。やりましょう。」社長、「しかし怪我は心配だよな。」専務「そうです怪我は心配です。社員思いの社長らしい。やはりやめましょう。」社長「でも左門君の意見も分かる。」専務「分かります。分かります。その社長の物分かりの良さが好きです。やりましょう。」社長「女子はどうする?」専務「そうなんです、女子は参加出来ませんよね。社長の女子社員への思いは分かります。やめましょう。」社長「迷うよな。」専務「迷いますね。」

太鼓持ち – illust STAMPO (イラスト スタンポ)

末席の若手部長が、「専務には自分の考えはないのですか?」それを耳にした専務「誰だ!!!」

このシリーズここまで

まあまあと、明石常務がタコのように赤い顔をして引き取る。すでに2時間を超える議論は収集がつかず後日再考となった。こりゃあかん(泣)

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