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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

家電量販店は半年だけの勤続でした。

2015年09月14日 09時54分45秒 | わが半生
昭和57年9月M電化に入社しましたが給与や休日に不満もあって、わずか半年だけの勤続でした。でも、販売は一生懸命してたので3ヶ月を過ぎた頃、小物販売から白物家電いわゆる冷蔵庫や洗濯機を担当させてもらいましたね。M電化には店長に店長の補佐として係長が1名そして各階のフロアー長が責任者として配属。1店舗あたりの社員数は30名前後だったかな?毎朝開店前に朝礼があって売上金額の多い順番に並ぶのです。名札の下に売上金額と目標達成率を書いておくのですが小物販売は単価が低いので金額ベースだと下位となりますが私は達成率が高かったので下位列に居ても全く叱責はありませんでした。白物家電の担当になったら単価も高くなり金額も多く上位列へと移っていったのです。でも?給与は上がりませんし手当が増えるわけでもありません。ま、23歳で当時の給与が手取り15万は妥当だったかも知れませんが消費者金融時代の給与と、どうしても比較してしまい、不満ばかり。若かったんでしょうね。そんな、ある日、近鉄八尾駅で、◯◯ム時代、私が天満橋支店に配属されるまえオープン前とあって、ひとまず難波支店に在籍していた頃の先輩社員と会ったのです。(なんで、あの人が八尾駅に?)そう。八尾支店の店長になっていたのを後から知りました。それは、またまた偶然の再会からでした。
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