脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

やっぱり消費者金融へ

2015年09月22日 11時08分17秒 | わが半生
昭和58年3月私は業界第4位のレ◯クへ入社したのです。新店舗のため心斎橋支店にある延滞債権を回収することになったのですが内容を見て驚きました。なんと延滞日数300日以上の債権が100件以上あったのです。それも債務者本人が行方不明も多々あり回収が困難なものばかり。『◯◯君、ま、うちの支店もヒマやし、ゆっくり。やってくれたらええよ。あ、ほんでな、わからん事があったら聞いてや。見て、ビックリしたやろ?もう、今期に貸倒する対象債権やから取れなくても当たり前やし(・・;)』支店長は淡々と私に言いました。私は早速、台帳を、取り出し台帳ボックスの中へと整理したのです。中には、ややこしい方々の介入してるもの、債務者本人が反社会勢力の人と、まぁ、ホンマにバライティーに富んでました。そして、まず一件の債権に目をやり債務者との経過記録を読んでいると?その債務者は女性で夫と離婚。正社員で働いていた会社も当然、退職しておりました。住民票は離婚前のままでしたが当時は本籍地が記載されていたので本籍地住所を見ると奈良県になっていたのです。幸い地番表示の住所地で奈良支店へ電話し該当地番をコピーし玉造支店へ郵送をお願いしました。そこにはフルネームで氏名があり電話番号案内(104〕で調べたのです。当時は番号案内は無料のサービスで調査にはよく使いました(O_O)すると、その氏名で番号登録があり、かけてみたのですが昼間のためか誰も出なかったのです。ま、そんのもんやと、その債権は一旦、済ませながら次々と他の債権をみていきました。結果、数件ですが私なりに回収できそうな債権がありました。その数軒の中に1番最初に見た離婚した行方不明の女性顧客も、この時は、ただ何と無く回収できそう?としていたのです。この債権が私のレ◯ク入社直後の運命を変えた債権でもあったのでした。
コメント
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