「その主人は彼を神のもとに連れて行く。それから戸または門柱のところに連れて行き、きりで彼の耳を刺し通す。彼はいつまでも主人に仕えることができる。」(出エジプト記21:6新改訳)
奴隷が七年間の働きを終えて解放されるとき、「私はご主人様のもとにいつまでもいたい」と言えば、きりで耳を刺し通される必要があった。その後、彼はいつまでも主人に仕えることができたのである。▼昔の奴隷制度は一見むごい制度のように見えるが、根本には愛と信頼の関係があったことがわかる。思えば私たちキリスト者と救い主イエスの関係も、奴隷と主人の関係とはいえ、同時に真の愛が両者をつらぬいている。なぜなら主は十字架上で、罪の奴隷だった私たちのために死の苦しみをお受けになられた。しかもたんなる死ではなく、永遠の刑罰とのろいをすべて代わりに飲み干してくださったからである。▼その愛の深さを味わうほど、主から離れられなくなる。キリストは私たちのため両手と脇腹(わきばら)に刺し傷を受けられたが、私たちも心の耳を御霊のきりで刺し通され、愛の奴隷となった。