「しかし、彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝までその一部を残しておいた。すると、それに虫がわき、臭くなった。モーセは彼らに向かって怒った。」(出エジプト記16:20新改訳)
エジプトから出たイスラエル人は、肉性がきよめられていないキリスト者の象徴でもある。彼らは、神がエジプトで現された奇蹟の数々を見ておどろき、神を信じた。クライマックスは紅海が二つに分かれ、そこを歩いて渡ったことだろう。ところが、荒野に入って水に渇くとたちまち、「エジプトにいたほうが良かった」と文句を言い、「ああ肉が食べたい」とつぶやく始末であった。そこで神がマナを毎朝降らせ、食べさせるとしまいには「来る日も来る日もマナばかりで嫌になる」と不平をならした。▼人間が生まれつき持っている罪深い性質は、どこまでいっても救いがたいものであることがわかる。彼らはモーセから「マナはその日のうちに食べよ、残してはいけない」と言われても、ある者は言うことを聞かず、残しておき、腐ってしまった。まさに人間の心は臭くなったマナとおなじだ 。だが、さいわいにもキリストは十字架上に詛われた存在となることにより、私たちの古き人(心の腐敗性)を殺し、「新しい人」を創造してくださったのだ。