毎週火曜日から木曜日まで丹波市に滞在しています。今週は木曜日が海南のクリニックに仕事なので水曜日の夜に帰ります。
毎週、行ったり来たりは少ししんどくなってきました。
しかし、母の介護と野菜を待っているママたちに大阪へ野菜を運びます。
毎週火曜日から木曜日まで丹波市に滞在しています。今週は木曜日が海南のクリニックに仕事なので水曜日の夜に帰ります。
毎週、行ったり来たりは少ししんどくなってきました。
しかし、母の介護と野菜を待っているママたちに大阪へ野菜を運びます。
パッチワークとの出会いは二年前北海道留萌市に子育て支援に伺ったときのことでした。
スタッフの方より妊婦さんに生まれるまでに「おくるみを作るパッチワーク」を支援として行なっていると聞き、とても感動しました。
そこで私も滞在中に作成してみることになり、またまた、「これはいいと是非、私も戻り実行できればいいなと思いました」
みなさん有り難うございました。
そして、丹波にて千代江ちゃんと巡り合い「パッチワーク」を教えてもうことになりました。
この家が田原悦子の名義に変わった。この家で私の行く道は変わった。この家を中心に向かう道を考えるようになった!!
考えの中心になる思いはこの人と共に在る。
今日は月一回の「オンライン 強化クラス」の日でした。
アーサナは力まず、気楽に気長に行なうのがコツですよね。アーサナだけがヨーガではないことも話しました。
お部屋を整え掃除をすることも、愚痴を言わず目の前にことに集中して丁寧に行なうこと。
一分間のハートへの瞑想も全てヨーガです。呼吸を調えることが全てを調えることです。
ハートの奥に在る「本当の私」 本当の私は歓ぶために在る。
そして、歓びを分かち合うために、それを味わいたいために、
それを感じて、知って、生きる、それが全て。智慧も愛もそのためにある。その歓びのために在る。
私たちはそれだけが在る。
【ジャコウジカの伝説】
遠い遠い昔、ある時、ジャコウジカは魅惑的な香気がただよっているのに気付きました。「どこからこの香はくるんだろう?・・・」と ジャコウシカはその香りの源を求めて、
数多くの山や谷を彷徨い探し回りました。
しかし幾日も、幾日もどんなに遠くまで探し歩いても その香りの源は見つかりませんでした。
ある時、ふと、体を休めた時、ついにその源を 探り当てたのです。
その香は・・・なんと自分の体から出ていたのでした。
そういったヨーガの教えを理解するのは容易なことではありません。
分かりやすくよくたとえ話としてあげられるものに、ムスクというお香の原料は、ジャコウジカ(麝香鹿)という鹿の持つ麝香腺から採取されます。成獣の雄は、雌を引き付けるためにこの麝香腺から麝香を分泌するのだそうです。ジャコウジカの雄は、どこからか漂うよい香りの源を求めて、森じゅうをさまよい続けると言います。その香りの源が自分だと、決して気づくことはないのです。
私たちはこのジャコウジカと同じです。自分の中に幸せや全てはある。そのことを知らない。
幸せや良いものというのは、自分の中から生み出されるものです。真実は自分の中に存在しています。
どこかに幸せはあるだろう、良いものもあるだろうと、目に映るものや聞こえるもの、感じるもの、そういった外の世界にあるものに私たちは答えを見出そうとします。
瞑想の時間、ただじっと座り静かに目を瞑るとき、そこにある内側の世界は、何を比べることもなく、自分という存在、そのひとつのものしかありません。その存在が不確かなものであると、目に映るもの、聞こえるもの、感じるもの、そういった感覚に左右され、自分の周りに起こる出来事によって、心は一喜一憂、いつも定まらずにいます。変化を続ける外界のものに幸せを見出すことで、その変化に心は休まることがありません。
瞑想は、そんな落ち着かない自分の内側の世界を強く確かなものにするために、見つめながら大切に育てていく手立てです。心を落ち着かせることは、たったの5秒ですら難しく、そしてただ座るということも、体は痛く退屈で仕方がないものなのかと、慣れないうちはじっとすることさえ苦痛に感じます。ただ、その心と体、そこに起こる感覚というものを少しずつ理解し、収められるようになってくると、それは自分にとって最も大切な友となります。
私たちがジャコウジカと違うのは、こうして自分の内側を見つめることができ、そしていつしか、幸せは自分の中から生み出されることに気づくことができるということです。私たちは、そんな偉大な力を持っているのです。
そして、瞑想に集中できるその時間と場所があること。ここで、そのことに感謝をしながら過ごすことだと思うのです。
人は自分にも嘘をつく、そして本当の心を気がつかず言葉や行為として表している。実は心の奥に本音がある。その本音を知ること、そして識別することが大事なのだと思う。
この門をくぐれば、心の奥が見えたらどんなに生きやすのだろう。素直に生きたい、暮らしたい、過ごしたい、本当のところ皆さん同じ思いのはず。
人とはその様な思いで日々を過ごしている。したいなりたいという思いがいろいろな苦しみを生み出し、その思いに惑わされているのです。しかし、その思いに気が付けない私がいます。その私に気がつくには「生きる目的」を本当によくよく考え、「私・私の物」という意識から離れたところで、何度も何度も考えていくのです。迷うでしょう。分からなくなるでしょう。でも、諦めないで、日々考え続けるのです。迷いそうになれば、今しなければいけないことに一生懸命になることです。分からなくなったり、どうしたらいいのか不安になれば、本当の目的につかめる様に祈るのです。その祈りから心を離さず、集中していくのです。神様は本当の目的・この世に生まれて来た意味・目的に気付かせてくれるでしょう。
ただ、淡々と黙々と今の義務を果たすことです。