彼が亡くなったことを朝早く聞く、
人生の半ばで障害者になり、酸素ボンベとともに生きていました、
昔、彼が小学生、私が中学生の時,汽車に乗り遊びに出掛け、
帰りの汽車賃まで使ってしまい、困りました、
乗車するとき訳を話して載せてもらい、
到着の時、叔母が払うことになっていたのに、、
着くと同時に、彼だけ、改札口をすり抜け通ってしまった、
(キセルというのかな?)、
”大事な一人息子をこんな思いをさせて、、”と親たちに随分怒られました、
天国にゆかないうちに決着をつけなくては、如何していうことを聞かなかったの!!
あの時、電車の中で,今思えばなんともないことなのに、
2人でハラハラしたよね、、、