明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

10/22 ディスカッション企画 2-1

2011年10月26日 18時44分48秒 | 子どもホスピス
論点2『余命を知り、死を意識しながら生きていくということ』
保田広輝

まず死を意識し、命の終わりを覚悟して受け入れると、いま自分が生きている世界が当たり前のものではなくなる。
普段から眺めている景色を常に新しいものを見るような目で眺めることができる!
だって、同じ景色を明日も見られるかどうかは誰にも分からないからね。


もし戦争から帰ってきたある人がいたと考えると、自宅で家族がご飯を食べている姿や寝ている姿を見るだけで、その人は涙ぐむのだと思う。。
何の変哲もない日常でさえも、二度と戻れない瞬間だよ!
美しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうんだよね。
でも、だからこそいつまでも残る思い出になるんだ。
ひとつひとつの光景を胸に刻んでいきたいな。

そして、吉田松陰の「留魂録」という本に、「十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳には、おのずから二十歳の四季が、三十歳には、おのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずからの四季がある。」

「私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げたものはないが、それでも自分が死ぬという今はやはり花咲き実りを迎えたときなのである。」
という言葉がある。

人生は寿命の長さではなく、人生をどう過ごしたかが大切だと思う。
もちろん未完了なものを抱えたまま人生が終わるかもしれない。
それでも、この言葉のように、死ぬときというのはその人にとっての花咲き実りを迎えたときなんだよね。

また、チャーリー・チャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇。」 という言葉がある。

確かに人間は、人生の中でなるべく避けたい予期しない出来事を経験したり、意に添わない生活を送ったり、せっかくの仕事が途中で挫折したり、突然の病気に見舞われたりすることもある。

でも、それらのことは人生の一部だよ!
人生をクローズアップで見れば苦しいことはたくさんある。。
でも、やがて今までの人生を見返してみたとき、まるでジグゾーパズルが完成したときのように、苦しいこともいまの自分をかたち作っていると思えるんだよね。
そのとき、苦しみは苦しみのままで終わることはなく、自分にとって豊かな実を結んでいることに気付くんだ!
だから、寿命の最後まで生きることが大事なのだと思う。


第2代国連事務総長 ダグ・ハマーショルドの「道しるべ」という本に、「われわれは、わが亡きあとにせめて端正さだけでも生き残ってくれるよう、端正さを保ちつつ死ぬべきであると、私は信じている」という言葉がある。

ここで言う端正さとは、その人が持っている生きる上で大切にしていることや守るべきもの、自分らしさの根幹にあるものだと思うんだ。

死を身近に感じていても、生きる上で大切にしていることや守るべきもの、自分らしさを保ち続けることができれば、心が死んだ状態で生きることはないし、寿命の最後まで生きていこうと思えるから、人間の尊厳を守ることになるよね。

【梶井基次郎】

「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」


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10/22 ディスカッション企画 1

2011年10月24日 18時29分18秒 | 子どもホスピス
♪BGM♪
supernova / BUMP OF CHICKEN

「誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる

君の存在だって 何度も確かめはするけど
本当の存在は 居なくなっても ここに居る

僕らの時計は 止まらないで 動くんだ」


今日から10/22に行った福岡子どもホスピスプロジェクトのディスカッション企画の感想を少しずつアップしていこう。

原稿を用意していたのだけど、自然体を出すために、使わないで本番にのぞんだから、まずはそれを載せていこう。

論点①『命とはなんだろう』

まず、命とは神様と両親から与えられたものだと思う。
自分ひとりで生み出されたものではないよ。

また、神様や自然や人から支えられているものだ。
もし自然のものが全て無くなり、仕事に携わる人がいなくなれば命をつなぐことはできないし、自分に関わってくれる人が一切いなくなれば生きていくことはできないよね。
僕は人も自然も神様が創造して下さったと信じているから、もし神様がいなければ何も生まれない。

そうなると、何かとの・誰かとの関係があるからこそ、命は存在しているのだと思う☆
人間はよく自分は孤独だと感じてしまうものだけど、生きている時点でひとりではないんだよね。


僕は難病を抱えているから、介護してくれたり、助けてくれる人がいなくなれば生きていけない。
でも、僕はただ人の助けを強く感じてながら生きているだけで、人の助けがなければ生きていけないのは病気じゃない人も同じだよ。

そして、一人の命はその人に関わっている大勢の人に影響を与えている。
一人がいなくなれば、その人がいた世界はガラリと変わると思う。

ちなみに僕は難病になるくらいなら、生まれて来なければよかったと悲しみに暮れていた時期もあった。
でも今は違う。
だって、もし僕が生まれて来なければ、今まで僕に関わってくれた人々の人生や性格が変わってしまうからね。
また、神様はひとりひとりを用いてご自分のご計画を実行されるから、こんな僕でも生きている意味がある。
だから「あなたに出会えてよかった」と言われるような人間を目指していきたいな☆


最後に命は必ず終わりがあるものだ。
確かに死は恐いよ。
でも、僕はクリスチャンだから天国の存在を信じているし、神様のみ子のイエス様が死の中から復活したことは天国で新しい霊の身体に生まれ変わる確かな保証だし、たとえ僕が死んでも、僕の思いや志は生きている人々の心の中で生きていくと信じている☆

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」という聖書のみ言葉のように、残された人間が、その人の生と死を意味ぶかく受け止めて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が残された人間の中で生きていくのだと思う。
僕も人々の心に残るような人生を歩んでいきたいな☆

つづく…

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昨日の記事

2011年10月23日 23時25分20秒 | 子どもホスピス
昨日、九州大学で行ったディスカッション企画ですが、西日本新聞の今日の朝刊で記事になっていました。

ちなみに、西日本新聞のホームページでも同じ記事がご覧になれます。

こちら

「西日本新聞 保田広輝」と検索してくださったら、すぐ出てきますよ。

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ありのままの僕

2011年10月22日 21時07分02秒 | 子どもホスピス
テレビ局の取材と福岡子どもホスピスプロジェクトのディスカッション企画が終わった。

思っていた以上の人数が参加してくれて、僕の話を聞いてくれたり、対話ができて嬉しかったなぁ。

でも、まさか僕が途中で号泣してしまうなんて…予想外です。(笑)

人前で号泣したの久しぶりだ。

でも、号泣を含め、ありのままの僕を伝えることができたからよかったよ♪

人前で弱さを出すことも僕が大切にしていることだからね☆

うん、準備していた原稿を使わなくて正解だったな。

やっぱり自分の自然体な姿を見せることで、人は共感するのだと僕は思う。

今日、雨の中なのに、わざわざ来て下さったみなさん、本当にありがとうございました!

感謝の気持ちでいっぱいです。。。

また、後日、詳しい感想を書こうかな。

【コリントの信徒への手紙一 10章 13節】

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

【パッチ・アダムス】

「患者さんが「いつ死ぬの?」と聞いてきたら、ぼくなら「今じゃない」と答えるだろう。
一週間後には亡くなるかもしれないし、それは誰にもわからない。でも今は生きているんだから」

【星野富弘】

痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今
かなり 生きているぞ

【星野富弘】

わたしは傷を持っている
でも その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる


♪BGM♪
『to U / Bank Band』


「誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ」

「また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ」


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お知らせ

2011年10月14日 12時22分51秒 | 子どもホスピス


こんにちは。

お知らせがあります。

10/21~10/22に、僕がテレビ東京の取材を受けることになりました。

mixiにある「余命宣告」というコミュニティを特集する番組を来年の年始に放送するみたいです。

余命宣告を受けた人や難病の人の人生観や感じていることを伝える番組だそうです。

「余命宣告」コミュニティでの僕の書き込みや僕のmixiのプロフィールや日記をご覧になったテレビ東京の方がいて、僕を取材してみたいと思って下さったんだそうです。

取材は受けることになりましたが、数人がこの番組に出るみたいですし、まだ僕が出演するとは決まってないんですけどね。

そして、テレビ局の方から「保田さんが関わっている活動も取材させてください」と言われたので、『福岡子どもホスピスプロジェクト』でディスカッションを行うことになりました。

テーマは「余命を知って生きるということ」です。

日時は10/22の13時30分から15時まで、場所は九州大学の病院キャンパスの総合研究棟105号室です。

どなたでも参加できますが、事前申し込みが必要なので  fukuoka.kodomo.hospice@gmail.com  に参加申し込みメールを送ってください。

なお、当日はテレビ局の取材が入りますので、参加者の方も一部入り込む可能性があります。

関心のある方は来てくださると嬉しいです。

もう一つお知らせがあります。

10/30に、日本キリスト改革派の小倉教会で、10分ほど僕が証(キリスト教のメッセージ)をすることになりました。

そして、南アフリカ改革派教会のトニー・デベット宣教師の説教と東北被災地でのボランティア活動の報告もあります。

関心のある方は来てくださると嬉しいです。

教会の住所は  福岡県北九州市小倉南区田原新町1丁目15-26  です。

JR下曽根駅から徒歩8分の場所にあります。

周辺地図はこちら

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