昨日は「福岡こどもホスピスフォーラム」に参加してきた。詳しくは
2月18日の僕の日記をご覧ください。
今回参加して分かったこと。濱田教授がしている活動は既存のホスピスではなく、新しい形のホスピスを作ろうとしているんだね。
つまり病院でもなく、福祉施設でもなく、難病を抱えている子供の教育に必要なものが全てあり、ボランティアの人たちと交わることのできる、より良く生きる為の場所。学校に行くことができない難病の子供もいるので、自宅だけでは十分な教育や交わりができない。
ちなみにヨーロッパのこどもホスピスでは、独自の施設があり、シェフを呼んで料理を楽しんだり、芸術家を呼んで一緒に創作活動をしたり、ボランティアとおもちゃ・ゲーム・スポーツで遊んだり、学んだりする場所がある。年に20日ほど利用できるらしい。
また子供が亡くなったとき、遺体を綺麗に保てるように冷却のできる棺に入れて、10日間ぐらい子供の遺体と家族が過ごすことのできる、お別れの部屋という場所もある。
今回のフォーラムで、難病を持つ子供や家族の意見にこういったものがあった。
*様々な人の話が聞けたり、病気を越えて情報提供ができるサロンような場所があればいい。在宅療養していると、家族以外の人々と交友関係が広がらないため、たくさんの人々と交わることができない。
*兄弟姉妹へのサポートができない。難病の子供がいると、十分にかまってあげられない。たまには兄弟姉妹の行事に参加してあげたい。
*在宅介護は24時間だから、家族はわずかな睡眠時間しかないし、疲労は限界を越えている。だからレスパイトケアができる場所がほしい。子供を預けている間、家族はリフレッシュしたい。
介護している家族の疲労を緩和でき、難病の本人は家族以外の人々と人格的に交わることができる場所が必要なんだと思ったよ。
やっぱり病院や福祉施設では難病の本人と人格的に交わることは難しい。入所している人々の心理状況まで気遣っていたら、働いている職員は疲労困憊してしまうからね。ただでさえ職員は仕事に追われているから、入所者にストレスをぶつけてしまう時もあるみたいだし。。
ボランティアの人々が時間のあるとき、自分の得意な事や好きな事を生かして、難病の人々と交わることができれば、両者が幸せになれると思うんだよね。ボランティアは必要とされることで充実感を得られるし、難病の人は自分の世界を広げることができるから。
また学校の授業で、こどもホスピスに出向き、健常の子供と難病の子供が、小さい時から交わることができたらいいよね。難病の人と出会ったことがないから、差別が生まれるわけで、子供の時から人格的に交わることをしていれば、しっかりとした理解が生まれるのだと思う。理解があるからこそ、同じ目線に立つことができるんだよね。
健康な人と難病の人の生活の質は大きく違う。でも福祉制度や医療機器を充実させて、この違いを少しでも縮めていくことが大事。やっぱり人格的な交わりと社会参加がなければ、確かな生き甲斐と幸せは感じられない。たとえ学校や職場のような小さな社会でも、健康な人と難病の人が人格的に交わることは、互いの人生にとってすごく良いことだ。
ちなみに今は濱田教授の活動に参加している九大院生が、在宅療養している難病の子供や大人を訪問して、話したり遊んだりなどのボランティア活動をしているんですよね。僕も2ヶ月ごとに付き合ってもらっています。
だからすでに「福岡こどもホスピス」の活動は始まっているんですよね。これから独自の施設を作るのか、訪問という形を取るのか分からないけれど、僕も何らかのお手伝いをしていけたら良いなと思っています。
難病の人が幸せになる世界は、全ての人が幸せになる世界なのだと、最近強く実感するようになりましたね‼
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