明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

気持ち良かった。。

2011年09月06日 23時16分57秒 | 子どもホスピス

♪BGM♪
遠い日のNostalgia / ZARD

「ひっそりと 息を止めたアルバムには
途切れた幸福のhistory
二人とも明日の行方知らない笑顔
無邪気な昔 胸が痛い」


今日は「福岡子どもホスピスプロジェクト」に参加している大学院生の学生さんに、アロマで足浴と身体のトリートメントをしてもらいました。
アロマセラピーの資格を持っている方なので。

「福岡子どもホスピスプロジェクト」についてはこちら





こんな感じです。

すごく気持ち良かった。。

最近ずっと車椅子に乗っているときに足の痛みがあるし、いつも肩こりなどで身体が痛いから、身体中が癒されたよ。

アロマの香りで心も癒された。

身体と心はつながっているのだなぁと改めて感じたよ。

やっぱり純粋な自然のものは、人間を心身共に心地良くさせてくれるんだね。

感謝です。。。

そして、今日から秋らしい季節になって来たね!
風が涼しくて気持ち良い~♪

青空がすごく綺麗だったから、写真を撮影してみた。



一番好きな季節をいっぱい楽しむぞ☆

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「ひと×ひと展―知ってみた、やってみた!-」

2011年07月30日 22時40分58秒 | 子どもホスピス
♪BGM♪
掌 / Mr.Children

「君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に 僕ら
見失ってしまえるんだろう?

ALL FOR ONE FOR ALL
BUT I AM ONE
ALL FOR ONE FOR ALL
BUT YOU ARE ONE

ひとつにならなくていいよ
認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて
認め合うことができるから
ひとつにならなくていいよ
価値観も 理念も 宗教もさ
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができるから
それで素晴らしい」


今日は、九州大学 大学院 統合新領域学府 ユーザー感性学専攻 福岡子どもホスピスプロジェクトチーム主催の「ひと×ひと展―知ってみた、やってみた!-」に行って来た。

「福岡子どもホスピスプロジェクト」についてはこちら

前回のフォーラムは、「福岡子どもホスピスプロジェクト」はどのような名称・内容にしていくのかということを人前でトークしたけど、今回は僕を含めた難病の青年の日常生活、将来の目標や望み、学生ボランティアと難病の青年のお互いの印象、などを人前でトークした。

全体的な感想としては、健康な人も難病や障がいのある人も同じ人間なのだ、ということを改めて感じた。

以前「レディー・ガガと車椅子」という日記でも書いたことだけど、ただ足が不自由だから車椅子を使っている、ただ自力呼吸ができないから人工呼吸器を使っている、ただ自力で排痰ができないから吸引器を使っているだけなんだよね。目が悪い人や高齢者が眼鏡やコンタクトを使っているのと同じだよ。

それでもやっぱり健康な人と難病の人の生活の質は大きく違う。でも医療・福祉制度や医療機器を充実させて、この違いや差を少しでも縮めて、難病や障がいのある人のQOLを高めていくことが大事だと思う。


公共機関や建物や道路など街の中は、難病や障がいのある人にはまだまだ不便なところがたくさんある。だから難病や障がいのある人が街に出て行って要求していくこと、難病や障がいのある人が健康な人と人格的に交わっていくことで少しずつ改善されていくと思う。

難病や障がいのある人が生活しやすく受け入れられる社会は、全ての人が生活しやすくなる社会になるはずだよ。

逆に難病や障がいのある人が生活しにくく受け入れられない社会は、全ての人が生活しにくい社会になる。


あと難病や障がいがあると言っても、健康な人と同じように、それぞれ性格や雰囲気が違うんだよね。また健康な人と同じように、反抗期があったり、行動していたり、願望があったり、恋愛していたり、ポジティブになったり、ネガティブになったりする。

難病や障がいのある人が飲酒・喫煙をしたり、髪を染めたりすると、「え~!?」という声があるけど、僕はしたいのならすれば良いと思う。ちなみに僕はする気がないけど。

そして「難病や障がいのある人はこういう人間だと、マスコミや国家が勝手に決め付けている」とKさんがコメントしていたけど、まさにそうだなぁと感じた。

だから余計に難病や障がいのある人と健康な人との間に壁ができてしまうんだよね。だから先入観を植え付けられ、距離を置いてしまう人もいる。これは外国人問題や男女問題などにも共通することなんだけど。

大事なことは、10の中の1だけを見て、10は全て同じだ!と判断しないことだよ。


もちろん難病や障がいはひとつの個性であり賜物だから、難病や障がいがあるからこそ感じることもある。でも健康な人と同じことだよ。

人間は、顔かたち・身長・体重・趣味・得意なわざ・苦手なわざ・考えていること・感じていること・性格・宗教などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。難病や障がいもひとつの個性なのだから、難病や障がいのある人とない人が混じり合い、補い合うことで、お互いを豊かにしていくんだよ。

長くなったけど、言いたいことは、難病や障がいのある人もない人も同じ人間だということ。

もっと多くの人々が、全国各地にある「子どもホスピス」を作るプロジェクトのことを知って、関わっていき、難病や障がいのある人々と実際に交わってほしいなぁと思う☆

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大北斎展

2011年05月16日 18時40分18秒 | 子どもホスピス
♪BGM♪
Wake me up! / Mr.Children

「表彰台に登った記憶なんかない
それで何不自由なく暮らしてきた
ひょっとしたら「あきらめろ」って僕は
僕自身を説得してきたのかも

自分らしくある事 そこに甘えずに生きていたい
でもそのための一歩が踏み出せずにいるんだ」



5/14は大北斎展を見るために、福岡市博物館へ行って来ました。「福岡こどもホスピス」の方々と一緒に。ちなみに「福岡こどもホスピス」については、こちらをご覧下さい。

北斎展は予想以上によかったです!!展示数にも満足でした。

やっぱり「富嶽三十六景」以降の作品は特に見応えがありましたよ。若いときの作品もいいけど、どんどん色艶、ディテール、完成度が増していっているから、驚きました。衰えるどころか、成長が止まらないですね。

あとコメディチックな作品も面白かったです。なんだか昔の漫画みたいだったなぁ。版画も展示していたのでよかったですよ。

葛飾北斎は本当に絵が好きなんだなぁと改めて感じることができました。よくこれだけの作品を残したものですね。

でもどんな巨匠であっても、毎日コツコツ頑張る努力を積み重ねていかないと、素晴らしいものは作ることができないんだと思いました。北斎の初期の作品は上手いけど、絶世期と比べると見劣りしてしまいました。絶世期は凄いです!!

ちなみに最初の写真は、福岡市博物館のホールに吊るしてあった北斎の作品です。でかすぎる!!

やっぱり僕はディテールにこだわりがあって、コメディチックな作品も描く画家が特に好きなんだと改めて思いました。葛飾北斎、ブリューゲルなど。

でも博物館や美術館の展示物を見ると疲れてしまいますね。立つ人の高さに合わせて作品を展示してあるので、車椅子の僕は頭をいちいち上げないといけないので、首と肩がとても痛くなってしまいました。。。

【はじめの一歩】

「努力した者が全て報われるとは限らん」

「しかし!」

「成功した者は皆すべからく努力しておる!!」


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福岡こどもホスピスフォーラム

2011年03月14日 14時12分06秒 | 子どもホスピス
昨日は「福岡こどもホスピスフォーラム」に参加してきた。詳しくは2月18日の僕の日記をご覧ください。

今回参加して分かったこと。濱田教授がしている活動は既存のホスピスではなく、新しい形のホスピスを作ろうとしているんだね。

つまり病院でもなく、福祉施設でもなく、難病を抱えている子供の教育に必要なものが全てあり、ボランティアの人たちと交わることのできる、より良く生きる為の場所。学校に行くことができない難病の子供もいるので、自宅だけでは十分な教育や交わりができない。

ちなみにヨーロッパのこどもホスピスでは、独自の施設があり、シェフを呼んで料理を楽しんだり、芸術家を呼んで一緒に創作活動をしたり、ボランティアとおもちゃ・ゲーム・スポーツで遊んだり、学んだりする場所がある。年に20日ほど利用できるらしい。

また子供が亡くなったとき、遺体を綺麗に保てるように冷却のできる棺に入れて、10日間ぐらい子供の遺体と家族が過ごすことのできる、お別れの部屋という場所もある。

今回のフォーラムで、難病を持つ子供や家族の意見にこういったものがあった。

*様々な人の話が聞けたり、病気を越えて情報提供ができるサロンような場所があればいい。在宅療養していると、家族以外の人々と交友関係が広がらないため、たくさんの人々と交わることができない。

*兄弟姉妹へのサポートができない。難病の子供がいると、十分にかまってあげられない。たまには兄弟姉妹の行事に参加してあげたい。

*在宅介護は24時間だから、家族はわずかな睡眠時間しかないし、疲労は限界を越えている。だからレスパイトケアができる場所がほしい。子供を預けている間、家族はリフレッシュしたい。

介護している家族の疲労を緩和でき、難病の本人は家族以外の人々と人格的に交わることができる場所が必要なんだと思ったよ。

やっぱり病院や福祉施設では難病の本人と人格的に交わることは難しい。入所している人々の心理状況まで気遣っていたら、働いている職員は疲労困憊してしまうからね。ただでさえ職員は仕事に追われているから、入所者にストレスをぶつけてしまう時もあるみたいだし。。

ボランティアの人々が時間のあるとき、自分の得意な事や好きな事を生かして、難病の人々と交わることができれば、両者が幸せになれると思うんだよね。ボランティアは必要とされることで充実感を得られるし、難病の人は自分の世界を広げることができるから。

また学校の授業で、こどもホスピスに出向き、健常の子供と難病の子供が、小さい時から交わることができたらいいよね。難病の人と出会ったことがないから、差別が生まれるわけで、子供の時から人格的に交わることをしていれば、しっかりとした理解が生まれるのだと思う。理解があるからこそ、同じ目線に立つことができるんだよね。

健康な人と難病の人の生活の質は大きく違う。でも福祉制度や医療機器を充実させて、この違いを少しでも縮めていくことが大事。やっぱり人格的な交わりと社会参加がなければ、確かな生き甲斐と幸せは感じられない。たとえ学校や職場のような小さな社会でも、健康な人と難病の人が人格的に交わることは、互いの人生にとってすごく良いことだ。

ちなみに今は濱田教授の活動に参加している九大院生が、在宅療養している難病の子供や大人を訪問して、話したり遊んだりなどのボランティア活動をしているんですよね。僕も2ヶ月ごとに付き合ってもらっています。

だからすでに「福岡こどもホスピス」の活動は始まっているんですよね。これから独自の施設を作るのか、訪問という形を取るのか分からないけれど、僕も何らかのお手伝いをしていけたら良いなと思っています。

難病の人が幸せになる世界は、全ての人が幸せになる世界なのだと、最近強く実感するようになりましたね‼

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福岡こどもホスピスフォーラム

2011年02月18日 19時32分02秒 | 子どもホスピス
昨日は九州大学 大学院 統合新領域学府のゼミに参加しました。 

「難病の子どもの居場所を創造するアクションリサーチ-日本型子どもホスピスの探求-」について研究されている濱田裕子教授のゼミです。 

僕の主治医の紹介で、濱田教授と知り合い、つながりが生まれました。このゼミの学生が、在宅療養している難病のこどもを訪問して、話したり遊んだりなどのボランティア活動をしているんですよね。僕も2ヶ月ごとに付き合ってもらっています。 

詳しくは こちらをご覧下さい  の記事を見てください。 

今回参加した理由は、濱田教授のゼミが、3月13日に「福岡こどもホスピスフォーラム」という病気のこどものホスピスについて考えるフォーラムを開催するらしく、これを企画するにあたって、僕の意見も聞いてみたいということで、参加させてもらいました。 

そしてこのフォーラムで、患者や家族・医療者・教育者・学生などが、あるテーマについてぶっちゃけトークする時間があるのですが、その時僕もステージに上がって、患者の視点から意見を述べることになりました。 

これから申し込みが始まるので、関心のある方は参加しませんか? 

ちなみに開催時は3月13日の13時~17時で、場所は九州大学 病院キャンパス 九大百年講堂です。 

やっぱりホスピスはガン患者以外にも必要だと思う。幼くして亡くなる難病のこどもはいるから、できるだけ手厚いケアをしてくれるホスピスはいいよね。もちろん経済的な面は大きい問題だけど、在宅ホスピスでもいいわけだから。 

僕もできれば終末期はホスピスに入りたい。ただ医者の判断だけで延命治療する病院より、自分の意志を貫けやすいから。後は終末期になれば教会に通えなくなるから、欲を言えばキリスト教病院のホスピスがいいな。牧師はいるし、礼拝があるからね。 

ってわがままだな。
とりあえずその為に貯金はしていきたいと思う。 

たとえ僕は入れなくても、苦しんでいるこども達のためのホスピスを作る濱田教授たちの活動を、何らかの形で手伝っていきたいな。 

それにしても大学院のゼミって楽しいんだね。20代~50代まで様々な年代の人がいるし、時間をかけながら議論し合って意見を高めていくことがいいなぁと思った。 

個性豊かな人ばかりで、NPOなどの活動をしたり、海外留学の経験があったり、中には自分や家族が闘病経験のある人もいて、自分の世界観が変わった! 

やっぱり他人との対話がなければ、人は変わることができないんだろうね。 

できれば大学に通い続けたかったけど、病気が悪化したから仕方ない。2日に一度、5時間しか外出できなくなったから。 

今は独学で関心のある分野を学んでいくことに専念しよう。探せば本は大量にあるのだから。 

いずれ日本でも本格的なインターネット大学ができ、自宅にいながらSkypeなどを使って、ゼミに参加できるようになるかもしれないしね。 

♪今日のBGM♪ 

この曲は寒い冬の日に、木々生い茂る公園で、ひとり歩きながら聴きたい曲だね。

風/はしだのりひことシューベルツ 

作詞: 北山修 
作曲: 端田宣彦 

人は誰もただ一人 旅に出て 
人は誰もふるさとを 振りかえる 
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても 
そこにはただ風が 吹いているだけ 
人は誰も人生に つまづいて 
人は誰も夢破れ 振りかえる 

プラタナスの枯葉舞う 冬の道で 
プラタナスの散る音に 振りかえる 
帰っておいでよと 振りかえっても 
そこにはただ風が 吹いているだけ 
人は誰も恋をした 切なさに 
人は誰も耐えきれず 振りかえる 

何かをもとめて 振りかえっても 
そこにはただ風が 吹いているだけ 
振りかえらずただ一人 一歩ずつ 
振りかえらず 泣かないで歩くんだ 
何かをもとめて 振りかえっても 
そこにはただ風が 吹いているだけ 
吹いているだけ 吹いているだけ 
吹いているだけ・・・


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