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秋庭氏の備中旧跡

2022-07-31 19:08:58 | 歴史紀行
備中松山城を築いた秋庭氏は桓武平氏の三浦氏より分かれたといわれており、備中地域で最初に栄えた一族

秋庭重信が承久の乱の戦功の功行賞として備中有漢郷の地頭となり備中に来て、1221年有漢の台ヵ鼻に台ヵ鼻城を築き、以後、約18年間ここを居城とした。


そして、重信は1240年備中路の最大の軍事拠点となる臥牛山に備中松山城を築城。(前期 備中松山城主時代 1240年から1331年頃まで)

南北朝動乱期には松山城の城主は23年間高橋氏と7年間高氏の時期があったが、秋庭信盛が1362年に高氏を追放して秋庭氏が松山城を回復した。(後期 備中松山城主時代 1362年から1509(または1504)年頃まで)

秋庭氏は京都に住み将軍や細川氏に従って従軍などしていたが、1509年(1504年の説もある)秋庭元重は松山城を去って、有漢郷に帰って土着し、武将としては歴史から消えた。
秋庭氏は通算で約240年近く備中松山城主であった。