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政府も対応策検討=東大の秋入学移行論―古川経財相

2012-01-24 17:36:15 | Weblog
政府も対応策検討=東大の秋入学移行論―古川経財相(時事通信) - goo ニュース

古川元久経済財政担当相は24日の閣議後の記者会見で、東京大学が学部の秋入学移行を本格的に検討し始めたことについて、「秋入学で卒業する人の採用を政府全体でも考えていけばいい」と述べ、松元崇内閣府事務次官に対応策の検討を指示したことを明らかにした。

 古川経財相は「まず政府が門戸を開く姿を見せることで、民間も(秋入学者の)採用に向かう」と強調し、「産官学一体となってグローバル人材の養成に資する環境づくりをしたい」と述べた。政府の対応策では、国家公務員の入省・入庁時期として新たに9月を加える案などを例示した。 

大学の秋入学問題、先行きはどうなるのでしょうか。
入学まで半年空白期間があり、
卒業しても半年空白期間が出来るのが大勢を占めるようになるのでしょうか。
この議論、大学だけでなく、すべての学校を巻き込んだ議論に将来的にはなるのでしょうか。


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1 コメント

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no philosophy (noga)
2012-03-06 15:33:38

日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。

理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).

意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。

英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。

ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
未来時制の内容に確信は持てない。不安ばかりが募る。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。

以前マッカーサ元帥は、日本人を12歳と評したことがある。
日本人は彼の評に立腹こそすれ、その意味を深く掘り下げることはしてこなかった。
我々は、浅薄である。秋入学の動きは、浅はかである。だから、留学生は、我が国を避けて英米に行く。
知的な人になるためには、英米の高等教育が必要である。これは国際的な判断である。
英米の高等教育は、奥の深い大人になるための更なる英語の勉強である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/





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