ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

全国の市町村の約4割が消滅するかもしれないという調査結果――将来あなたの住んでいる町が消える?

2024年05月22日 | 生命の美しさ・大切さ

発表されたのは、全国の市町村の約4割が消滅するかもしれないという調査結果です。年間1700万人の観光客が訪れる箱根町では衝撃が広がっています。

将来あなたの住んでいる町が消える?

例えば日光、函館、秩父、など有名な観光地、そして東京では奥多摩や檜原村も将来消えてしまう可能性があると言います。
「これは最終的には消滅する可能性が高いと、このような推測をしたものでございます。」

消滅可能性実態、あなたの町は大丈夫?

これは戦略会議が2050年の人口を推計したもので、子供を生む中心の世代20歳から39歳の女性が今の半数以下となる自治体は、人口の減少により消滅の可能性があると言います。消滅の可能性があるとされたのは全国1729のうち744の自治体です。

関東では316のうち91都市が消滅可能性自治体となっています。そのうちの1つ神奈川県箱根町
「庁舎内がざわついたというところです。」
雨の中、今日も多くの観光客が訪れている箱根町です。この町も将来消えてしまうかもしれません。
「あまそうかもしれないというのはねはいありますね、はい。」

年間1700万人の観光客が訪れる一方で人口の減少は深刻です。町の人口は1965年に2万人を超えていましたが去年はおよそ1万人まで減っています。

「コロナなんかでももう一斉に全部お仕事がなくなってしまったのでまちょっと若い子ちゃんも一時離れたりとか」

観光客をもてなす芸者、バブル期におよそ500人いた芸者は現在130人になっていると言います。
芸者が所属するオキヤの寿々本は
「踊り伝統芸能もそうですし、あの、やっぱり師匠始め、みんなやっぱり先輩方もから受け継いだものがありますので、私たちの代で絶やすわけにもいきませんのでね。やっぱり若い子にこうついてってもらいたいなと思っています。」

箱根町の幼稚園、広い園内に今日子供は6人です。
「年々、あの、子供は減っているところです。」
給食設備がなく園児は弁当持参。町は独自の取り組みとして、昼食費の補助を行っています。
「(箱根町の)名前が上がるたびに、何か町としてもね、何かあの色々な方策を考えて取り組んでいるところなので、その消滅っていうのが、(箱根町から)名前が消えるといいなっていう風には思っています。」

「観光施設などに就職のために移り住む若者というのは毎年一定数は必ず言います。ただ箱根町を働く場としてえ捉えてずっと積み続けるというような選択肢を十分持っていただけてないのかなという風なところは考えてますけども、ま、その辺が町としても課題なのかなという風には、日々考えてます。」

町によると旅館の住み込みが多く、横のつながりがないため結婚までたどり着けず、未婚率が高いと言います。また消滅可能性自治体とまではいかないまでも、東京も危機感が必要だと言います。

ブラックホール自治体、出生率が低く他の地域からの人口流入に依存している地域のことです。
東京では新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区など17の自治体に登ります。
そんな中、かつて消滅可能性都市になっていた東京23区の町は、
「大変大きなえ衝撃がございまして、区民の方も大変消滅とはどういうことなのか、っていう風な問い合わせがきた。」
この10年間で奇跡的な回復を遂げていました。

10年前、東京23区で唯一消滅可能都市となった町で話を聞いてみると、
「意外。栄えてるのに。」
「消滅しなさそうですね。こんだけ若い子が人が、そうですね、いれば。」
今では意外との声も続出するこの町は、繁華街池袋を要する豊島区です。
今回のレポートでは、除外されました。
「それでは期の皆様と取り組んだ成果がまこういった形になったということでですね。大変安心したところでございます。」

豊島区は2014年以降、100人女子会などを開催。女性の意見を施策に反映してきたそう。その1つが、
「欲しいなと思ったんけど、好きでよく来るんですけど、あのま、子供も利用しやすいですし、ちょっとだけあっちに遊び場が、遊び場がちょっとだけあるので、すごい利用しやすくて、よく私も好きでよく来る。実際に住んでみて、こういうなんか素敵なとろも増えたし、区民広場も、なんかにきれいになってきてるんで、すごいあの、子育てはしやすいなっていう風に思いました。」

おしゃれなカフェを併設した南池袋公園晴れた日は芝も人気の場所ですが、元々は殺風景な場所。壁にも落書きがされていました。

「汚いですとか、ちょっと怖いっていう風な、イメージがあるという風な声があって、楽しいと思えるような、公園になってほしいという風な話が出たものですから、解放感のある、家族でも友達でも芝でくつろげるような公園を目指したていうことがございます。」

子育てしやすい街づくりも目指し、保育園を誘致、最大で270人いた待機児童は、4年後0になったそうです。街づくりの一環で真っ赤なボディカラーが目を引く電気バスの池バスも導入しました。
こうした取り組みを経て若い女性は増加。2014年が4万5520人で、令和6年が4万8千人。

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北海道の自治体の65%以上に消滅の可能性が。

 「人口戦略会議」が人口減少について報告書を公表しました。
 意外な自治体の名前も上がっています。

 「少子化の基調は全く変わっていないし、楽観視できる状況ではない」(人口戦略会議 増田 寛也 副議長)

 人口減少問題への関心を高めるため、民間組織の「人口戦略会議」が消滅する可能性がある自治体を公表しました。

 定義は2050年までに子どもを産む中心の世代となる20歳から39歳の女性が半数以下となる自治体のことで、将来人口が減少し消滅する恐れがあるとされています。

 報告書では全国で40%を超える744の市町村が該当し、北海道では179市町村のうち65%を超える117市町村の名前が上がりました。

 その中には小樽市や函館市、釧路市なども含まれています。

 この状況に人口減少問題の専門家は。
 「そうなるでしょう。人口減少は止まらない」(日本医療大学 原 俊彦特任教授)

 出生率が低いため人口減少は全国で進んでいるとした上で、北海道特有の問題も指摘します。
 「集団就職で東京に行ったころから、北海道の人口は転出超過。仕事がない。主要産業が崩壊していったから、人口が流出していった」(日本医療大学 原 特任教授)

 止まらない人口減少に衝撃が走っています。

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天草市や水俣市など県内18の市町村が将来、消滅する可能性があると発表されました。これは民間の有識者らが24日明らかにしたもので子どもを産む中心世代の女性が2050年までに半数以下になると推測されています。

民間の有識者などで構成する『人口戦略会議』は、24日人口が減少し、将来的に消滅する可能性がある自治体を発表。

これは子どもを産む中心世代となる20代から30代の若年女性の人口が2020年からの30年間で半数以下となる自治体を予測したもので全国で、全体の4割にあたる744の自治体が該当。

県内では水俣市や天草市、上天草市など18市町村が含まれました。

【水俣市民】
(移住してくる人は?)
「あんまり聞かないですね」
【水俣市民】
「若い人は仕事がないから外に行く。子どもたちもいませんよね。子どもたちの姿も見ません」
【上天草市民】
「人口の減少に不安を感じています」
【上天草市民】
「育児・出産しやすい環境が必要だと思う」

こうした結果に自治体のトップは。

【上天草市 堀江隆臣市長】
「危機感は常に持っていたので結果は素直に受け止めたい」
「若年層の女性の定住についてテーマをもって取り組む必要がある」

【天草市 馬場昭二市長】
「特に女性が働ける場所をつくっていくためにIT企業などの誘致を積極的に進めている。若い人たちが天草で働ける、天草で子育てができる環境をつくりたい」

若い女性の人口に着目した今回の調査結果、今後、人口減少を食い止めるためには
子育て支援策などに加え『女性の働く場の確保』も重要なカギになりそうです。


助産婦の手記 まとめ

2021年05月19日 | 生命の美しさ・大切さ
リスベート・ブリュゲル著 「助産婦の手記」をここからお読みできます

「助産婦の手記」結語 忠実な母たちに対する感謝の挨拶
「助産婦の手記」50章 我が国民の大きな待降節。アドベントリースと幼いキリスト様のための藁の茎
「助産婦の手記」49章 一滴の蜜をもってすれば、一樽の酢をもってするよりも
「助産婦の手記」48章 継母に関する意地悪い歌!
「助産婦の手記」47章  愛というものは、腸詰とは違うものです。
「助産婦の手記」46章 『結婚は、実に生命共同体ですよ……』
「助産婦の手記」45章 「でもそれは、神聖な自然法でありませんか?」
「助産婦の手記」44章 天主様と協力して、あらゆる木材を材料として、聖人でもルンペンでも彫刻することができるのです
「助産婦の手記」43章『私は、もう家へは帰らない、どんなことがあっても。』
「助産婦の手記」42章『一人から始めてそれを続けて行かねばなりません。』
「助産婦の手記」41章 自発的に取運ばれるものは良い結果になる
「助産婦の手記」40章  子供の誕生に先立つ処世法
「助産婦の手記」39章  新時代の一人の新市民を!
「助産婦の手記」38章  もし我々のすべてが、ただ活眼を持ち、そして何事かをすることを、そんなにおっくうがらなければ
「助産婦の手記」37章  再び物乞いの旅に
「助産婦の手記」36章  正真正銘の愛
「助産婦の手記」35章  『そうです、それは十三人です。』
「助産婦の手記」34章  しかも、二ポンドのバターのために!
「助産婦の手記」33章 「賜暇(かし)のお土産」
「助産婦の手記」32章 英雄の追憶を留めておく記念碑が英雄的な母親の名前を告げるために、永遠に書きしるされている
「助産婦の手記」31章  その家は、砂の上に建てられたのではなく、岩の礎の上に立っている。
「助産婦の手記」30章 今こそ自分で作ったスープを飲みほさねばならぬのだ!
「助産婦の手記」29章 『われ立てりと思う者は、倒れざるよう注意せよ』
「助産婦の手記」28章 人は独りでいることを、時期おくれにならないうちに学ばねばならない
「助産婦の手記」27章 『私は、それは大して重要なことではないと、ほんとに信じていました。』
「助産婦の手記」26章 禍(わざわい)なる遺産!
「助産婦の手記」25章 ああ天主よ、あなたの神聖な道徳律、あなたの掟の旧式な時代おくれの規定は、いかに善いものであることか!
「助産婦の手記」24章  かつて生命共同体であったところのものが、今や単に共同の給食場であり、寝る場所であるに過ぎなくなった
「助産婦の手記」23章 常に繰り返される一つの歌、悩みの歌
「助産婦の手記」22章 『今日では、結婚した人たちは――殊に上流社会では――別の課題を持っているのです。』
「助産婦の手記」21章『上から下へ、誤った精神が降りて来る…』
「助産婦の手記」20章 『母親は自分の心、自分の感情の一片をも一緒に、赤ちゃんの生命の中へ与えるのです。』
「助産婦の手記」19章『さあ、お前たち、一生涯中、このようなお母さんにふさわしいように、やって行っておくれ。』
「助産婦の手記」18章「赤ちゃんは、確かに守護の天使を持っています。」
「助産婦の手記」17章『わたしのただ一人の黄金の恋人……』
「助産婦の手記」16章 いつになったらは妻は、夫に対して指導者であり得るような結婚生活をさせ得るだろうか?
「助産婦の手記」15章 『あなたが、恥を知らないってことです! 』
「助産婦の手記」14章 「御婦人というものは、女王でなければなりません、王冠を戴いていなければならない。」
「助産婦の手記」13章 「この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。」
「助産婦の手記」12章 『もうまた』
「助産婦の手記」11章 赤ちゃんは、実に天主の使者である。それはおのおの天主から特別の使命を受けて、この世に生まれて来る。
「助産婦の手記」10章『さあ、あっちへ行って仕事をなさい! ここで見物している必要はないんです! お母さんも、あんた方のために一度はこんなことがあったんですよ。行きなさい―― みんなここから! 』
「助産婦の手記」9章 『お医者さんへ使いをやりましたか。奥さんは死にますよ!』
「助産婦の手記」8章「私は、最初の過ちに対し、二度目の過ちをつけ加えることはできません。」
「助産婦の手記」7章『この子が物心つきさえすれば、すぐ変わって来るでしよう、まだそんなに小さいんですもの…』
「助産婦の手記」6章 『するとあなたは、 多分、小っちゃいお子さんが、まだ長い間、母親のもとにいるのをお喜びになるでしょう。』
「助産婦の手記」5章『赤ちゃんをここに置いて、可愛がってやって下さい すると噂はじきに消えますよ。』
「助産婦の手記」4章『嫁入支度をせねばならぬような女の子は、まっぴらだ。そうだとも。』
「助産婦の手記」3章『リスベートさん、何とか子供の手当を! 私はまだ死んだ子供を生んだことはないんです…この十二人目も生きているに違いありません』
「助産婦の手記」 2章 『今度があなたの始めてのお仕事でしょう。どうしても男の子でなくちゃ!』『いいえ、女の子ですよ!』
「助産婦の手記」1章 神父様『リスベートさん、私はあなたと真面目な話を一寸したいのですが…』

リスベート女史が結婚しなかった理由

2021年01月05日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」25章 ああ天主よ、あなたの神聖な道徳律、あなたの掟の旧式な時代おくれの規定は、いかに善いものであることか!をご紹介します

この助産婦の手記の筆者であるリスベート・ブリュゲルがなぜ結婚しなかったか?のお話です。リスベート本人も天主の神聖な掟を守りとおしました。「天主様の掟と矛盾するような権利は、誰も私に対して持ってはいないんです。」リスベートの母親も賢明な良心を持った女性だったために、娘に間違った選択を強要しなかったのです。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」25章

『リスベートさん、一体あなたはなぜ結婚しなかったのですか?』この質問は、たびたび私に提出された。ほとんどすべての妊婦が、このことを一度は知りたがった。私が、それぞれの場合の事情に応じて、あるいは調子よく、あるいは押し強く、男たちをあしらっているのを婦人たちが見るときには、特にそうである。そういうときには、『なぜあなたは結婚しなかったのですか? あなたは、男の方と交際する術をよく心得ているじゃありませんか……』という質問は、彼女たちを非常に興味がらせたのである。

そこで、私は大体次のように答えることにしている。ある一つの事柄は、誰にでも適するというものではない。そしてもし人が一度しばらくの間でも、助産婦になって、非常に多くのものを見、かつ経験せねばならぬとしたら、結婚をあえてする前に、そのことを十回どころではなく、もっとたびたび熟考させられるであろう。また、この職業は、私が解釈し、かつ実践しているところによれば、ほんとに私の生活を完全に満たしてくれる。もはや私の心の中には、男を入れる余地は全くない……心の最後の片隅に至るまで、男のことを入れようとしても、すべて無駄である、と……

しかし、今日この場合には 『なぜ、あなたは結婚しなかったのですか?』という質問に答えることは、むずかしい。というのは、今この質問を、何の気づくところもなしに、私にするその妊婦は、もし私がかつてその男と結婚したなら、私のものとなり得たであろうところの妻としての席を占めており、そして今や、その男と結婚したがために、十字架を背負わねばならないその当の本人だからである。(その十字架を背負わなくてもよいように、天主は私をお護り下さったのであった――)

長い一夜を、もうすでに私はこの母親を見守っているが、その間、いろいろな記憶がよみがえって来た。このような時には、記憶は呼ばなくても現われて来るものである。もう、あれから長いことだ……殆んど二十年になる。このリスベートも、一度は人並みに、自分自身の家庭のことを、自分の子供のことを夢見たことがあったのは……一人の男の愛によって自分が得るはずであった幸福を信じたのは……何の悪い予感もなく、信頼して……

彼は、よい相手であった。少なくとも私の境遇にとっては。大工場の代表者で、多額の収入があった。彼のある叔母さんのところに婚礼があったので、このリスベートは花嫁衣裳を縫う手伝いをするために、数週間も、その家に行くことができた。その家で私は、当時の一般の習慣通りに、その家族の中に立ちまじって、その男と近づきになった。すべてが善くかつ正しいように思われた。私の叔父は、その男の人格と境遇とを調べた。人々は、私にぜひその幸福を逃がさぬようにと、 非常に勧めてくれた。

そして私は、婚約した。私の心臓は、燃えた。それを告白するのを、私はちっとも恥かしいとは思わない。人間の心と心が邂逅するということは、およそ地上のあらゆる出来事と同じように、実に創造主の世界計画にもとづくのである。また、私は信じるのであるが、もし娘たちへの求愛が全く真面目であり、真実であるように見えるならば、その求愛に対して彼女らが全く無関心に留まり、そしてどうしてもそれに興味を覚える気にならず、または、それが無駄に終るというようなことは、殆んどないものであると。

しかし私の場合は、そこに何ものかがあった……何か間を分離するようなもの、見知らぬものが、私の心の前に立っていた……突然、踏み切り線路の柵のように、警告し停止を命じつつ立っているものが。これは、相手のアルベルトが、言葉にせよ、愛情においてにせよ、あるいは希望においてにせよ、家庭という伝統の狭い柵の中から、少しでも拔け出そうと試みたときには、まさにそうであった。彼は繰返し繰り返し、ここまたはそこで、二人きりで会うこと、一晚、二人きりで散歩に出かけることを私に承諾させようと試みた。

すると、直ちに私の心の中に警報が鳴った。たとえ、当時の普通の教育によっては、それが何故であるかということは、私の理解し得ないところであったか。とにかく私は、なぜこの二人きりということが必要なのか、少しも判らなかった。家庭内でも、私たちは、ちっとも窮屈ではなしに、お互いによく知り合い、そしてあらゆる将来のことを語りあう時間と機会とは十分にあった。かようなわけで、私は彼の希望に応じなかったが、このことは、明らかに彼の機嫌を損じた。



私が家へ帰ろうとしているのを彼が聞いたとき、彼は私にこの機会を利用して、一度、まる一日を自分に捧げてもらいたいと申し出た。彼のいわゆる『お互いに一度よく愛し合う』ための、かような絶好な機会は、逸すべきではない。自分は真にそうする権利がある、というのであった。
『何の権利ですって? 私がこの家にいなくなったら、あなたはいつでも私の家へ、母のところへいらっしゃればいいんです。』
『あんたは将来、全く僕のものにならねばならないんですよ。あんたは、僕を愛しているということを見せて下さらねばならない。さもないと、僕はもはやそれを信じるわけには行きませんよ。もしあんたが、そんなにますます気取ったり、拒んだりするのなら……』

その当時、私はその要求の意味が判っていなかった。しかし、著しい不安が私をとらえた……彼の眼の中にきらめき燃えたっている焰に対する恐怖、そんなにうるさく迫って来ても私には理解できなかった情欲に対する恐怖が……
『お止しなさい! あなたが何のことを話していらっしゃるのか、私には判らないんです。でも私はただ、私たちの天主さまに全く属しているだけで、ほかの誰にも属していないんです……』そして私は部屋を出て、彼をそこに置き去りにした。

しかし、その新しいもの、判らないもの、それは今や、私の心の中にしっかりと坐り込んで、もはや私を放そうとはしなかった。この奇妙な言葉の裏には、何が潜んでいるのか? それは一体、何を意味するのであろうか、私はぜひそれを明らかにしたかった! その晩、私は聖母教会へ行った。翌日は、御昇天の祝日であった。その大きな教会の主任司祭は、優しい御老人であるが、私はその司祭に、告白のとき、右のことについて尋ねようと思ったのであった……
司祭は、私によく忠告して下さった。私はそのお方に、永遠に心より感謝したい。

叔母さんは、私に説教して、きのうのように、私の婚約者を外らすような、そんな交際振りをしてはいけないと言った。もはや以前とは違っているべきだ――一旦、婚約した以上は、結婚して、そんなに大へんよい境遇にはいることができるのを、喜ばねばならぬというのであった。私は、叔母さんの言うことを悪くは取らない。しかし叔母さんは、気の進まぬ最後の理由と原因とを確かに知っていなかった。

午後に、アルベルトがまたやって来た。目立って機嫌が悪く怒っていた。彼は、今日の最後の機会を利用して、きのう断ち切られたばかりの話の糸口を再びつかみ上げた。
『さあ、どうですか? あなたの愛をいよいよ最後に示してくれますか? では、水曜日を、私たちのために取って置いて下さい。ここを朝、立って、木曜日に帰って来たらいいでしょう……』
『いいえ。そうすれば、私はここで家のものに嘘を言い、そして家へ帰ってからまた嘘を言わねばならぬからです。そして、その間に何があるんですか? 結婚しない限り、私はあなたと二人きりで旅行には行きません。私は結婚式の祭壇で、私の花冠を立派に頭にのっけていたいんです。』
『僕たちが婚約したからには、僕はあんたに対する権利、あんたの愛に対する権利を持っているんですよ。少々早かろうが、遅かろうが、一体何の差支えがあるんでしょうか……』
『天主様の掟と矛盾するような権利は、誰も私に対して持ってはいないんです。あなただって、そうです。天主の掟に反するようなことは、あなたは私に、それを知りながら行うことを、求めることはできないんですよ……』
『あんたは、田舎育ちだったことが、よく判りました! 何という旧式な考えを持ち出すんでしょう。我々男性は、その権利をどうしても持たねばならないんです。我々は、愛に対する権利を放棄してはならないんです……もし、あんたが僕を拒むのなら、僕は娼婦のところへ行かねばなりません。そしてその責任は、あんたにあるんです。もしあんたが、ほんのわずかでも僕にする愛をお持ちあわせだったら、あんたは、喜んでそうする用意があるでしょう……私のために喜んで何でもしてくれるでしょう……僕たちが結婚した暁には……』
『もしあなた方男性が、純潔な生活をすることができないものでしたら、天主はそんなことを命じたり、要求なさったりされはしないでしょう。天主は、あなたを、私たちと同様に、よく御存知なのです。そしてもしあなたが今、結婚式まで禁欲生活をすることができないと主張なさるのでしたら、結婚後、あなたが何週間も旅行していらっしゃるとき、どうして私は、あなたの忠実さを信じることができるでしょうか?』
『あんたは、男というものは、女ではないということを、ぜひ了解せねばいけませんよ……』
『私は、自分が純潔のまま結婚しようと思っているばかりでなく、同じように純潔で結婚する男の人が欲しいんです――それ以外の人は、ほしくありません。それぐらいなら、私は独身で暮したいんです。このことについては、もうこれ以上、ひと言もいいたくないんです。』

この縁談は、結局、行くべきところへ、行きついた。その後、あまり経たないうちに、彼は、この婚約は解消されたものと認めるという手紙をよこした。そんな旧式で時代おくれの考えを持つ女とは、とても一緒に幸福に暮して行くことはできないであろうと。
『くよくよすることはないよ、お前。』と当時、私の母は言った。『あの男だと、お前は何も損はしないよ。あれは、お前と結婚する値打ちのない人だ。天主様は、お前がもし結婚したとすると背負わねばならなかったかも知れない十字架を、担わずにすむように、お前をお守り下さったのだよ。だからよく感謝しなくちゃいけないね。』

今日では、私は母の言ったことが、いかに真実であったかを知っている。しかし、当時では、期待していた人生の喜びが、ただ天主の掟を忠実に守ることだけによって、粉なごなになってしまったということを堪えるのは、ほんとに容易なことではなかった。それをやっと完全に凌ぐことができたのは、実は私に助産婦の職業があったためであった。今では、天主は私に対して、結婚とは別のものを望んでいらっしゃるということを、私は知っているのである!

三年前に、そのアルベルト・ベルグは、ここの繊維工場に渉外支配人としてやって来た。当時、彼は結婚していた――しかし、どういうように! 彼は、思う通りの女を見つけた。その女は、結婚前でも、何でも御意のままという女であり――そして結婚後も、その通りであった。夫が家の外で、変わったことを探しまわっている間に、彼女は家の中で、同じようなことをしていた。当時、私は彼女の流産のとき、一度その家に行ったことがある。病毒のためだと、医者は言った。――

それから、離婚が起った。
その後、間もなく、彼はこの村で、二十になる会計係の娘と関係しはじめた。その娘は、彼より二十五も若かった。私は、その男の行状を正確に知っていたので、その母と娘にあえて話して見た。娘さんは、そんな不幸に走りこんではいけないと!
『どうあっても、私たちは結婚するんです。』
『私は娘の幸福を壊すことはできませんよ! まあ考えても御覧なさい、そんな相手というものは、やたらに見つかるものじゃありませんよ……』

私は、出来るかぎりの材料を持ち出して説いて見たが、無駄だった。例えば、あの男は離婚した人だから、カトリック信者の娘は正式な結婚式を挙げることは不可能なこと――年齢の相違――前の結婚のこと―――しかし、すべては無駄であった。

『男の方というものは、放蕩するぐらいでなくちゃいけないんですよ。そうした後で、一番良い夫になれるんです。そんなに收入のある相手……そんな世帯や住宅などのある……そんな相手というものは、そうざらに道端に転がっているものじゃありませんよ……』
結婚したがっている娘たちは、忠告を受けつけない――しかし、結婚させたがっている母親たちは、なお、もっともっと受けつけない!
私が、今日まで解くことのできない謎としていることは、世の母親たちが――自分で結婚の悩みについては、十分に経験を持っているに相違ないのに――よくも自分の娘を、そんなに無責任に、軽々しく、善からぬ結婚をさせようと駆り立てることができるものだということ、しかも、そういうことが繰り返し行われる、ということである。

三週間前に、結婚式が村役場で行われた。もちろん、単に法律上の(教会外の)ものであった。そして、今もう子供が生れるのである……
『リスベートさん、もし私がそれを、もう一度やらねばならぬのでしたら……あなたは、結婚なさらなくて、よかったですね……
子供のことで、もうたびたび喧嘩をしたんです! 今も、もうお産の前にやったんです! とにかく、子供が出来たんですから……今どきは、どんな百姓の娘でも、結婚前に妊娠したら、どうすればよいか知っています……でも、私の母は、それを許しませんでした。母は、こう言いました。あの人は、お前に結婚すると約束なさったのだから、実際、結婚してもらわなくちゃならないんだよ。もしお前が子供を下ろしてしまったら、あの人はお前を勝手にあしらって、見棄てしまうよ、と。そして今、私がここで子供のために苦しんでいる間に、あの人は、カールスルーエのほかの女のところへ行っているんです。というのは、私は昨晚、あの人が急いで行ったため机の上に置き忘れていた手紙を読んでしまったんです……
私が、それを、も一度やらねばならぬのでしたら……』

ああ天主よ、あなたの神聖な道徳律、すなわち、あなたの掟の旧式な時代おくれの規定は、いかに善いものであることか! この掟は、それを忠実に守る人間をば、いかに多くの苦悩と困難とから護って下さることか!、

旧式こそ最善の方法

2021年01月04日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」31章 その家は、砂の上に建てられたのではなく、岩の礎の上に立っている。をご紹介します

女性も男性も天主の掟を守ることで貴婦人であり紳士でありえます。婚姻まえの純潔は天主の祝福を招くのですね。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」31章

きょう、私たちの村では、お祭がある。初ミサと結婚式とが同時に行われる。私が最初に取りあげた二人の子供のうち、ヨゼフは初ミサであり、ヨゼフィンは結婚式である。全村が、こぞって祝った。屋根窓からは、大へん種々様々に組合わされた旗がひるがえっている。街路は、美しく掃き清められ、そして緑の葉が撒いてある。家々に添って、新鮮な白樺が立っている。花飾りが、大きなカーヴをなして、窓から窓へと、花の咲いた樹木の上を伝って絡みついている。御聖体の祝日のように、少女たちは、白衣を着、頭には花冠をつけて、校舎の前に集合し、そして新しく叙品された司祭を、初ミサを捧げに教会に案內して行けるその偉大な瞬間を待ちに待っていた。近隣の村々から出て来た音楽隊や、それぞれの旗をおし立てた種々な団体も、すでに停車場の前に立っていた。そして空には、親愛な太陽が暖かく笑い、そして一緒に喜んでいた。



祭日。若い司祭としてのヨゼフと、幸福な花嫁としてのヨゼフィン。彼女は、良い相手を得た。大きな紡績工場の第二支配人であり、かつ商業上の指導者である人が、彼女と結婚するのである。全村は、羨ましがった。ほかの母親たちも、娘たちも、この男を手に入れようと、どんなに骨折りをしたことか! それなのに彼女たちは成功しなかった。そして、全然その男を顧みず、全然そのことを考えていなかった彼女に、その大きな幸運が落ちて来たのである。ヨゼフィンは、全く清らかで美しい娘であった。 悪意に満ちた蔭口も、ないではなかった。しかし、それはすべて嘘であった。 ヨゼフィンは、自分の道を真直ぐに進み、何ものによっても、誤らされることなく、そしていかなる護步もしなかった――このようにして、彼女はその男を手に入れた。もしもあらゆる予想が誤っているのでなければ、それは幸福な結婚になるであろう。

私もその祝典に招待された。全く公然と、お祝いの賓客に伍して【と同等に】。およそ助産婦が、洗礼の場合以外に、一家のお祝いに招待されるということは、珍しい事である。 私たち助産婦は、実に一つの『必要な禍』に過ぎないのである。人々は、各種の困難と心配とを堪えて、私たちのところへやって来る。本当に切端つまって、私たちを呼ぶ。しかし、総じて、もし私たちを必要としないならば、非常に喜ぶ。私たちの顔を見るよりも、背中を見たがる。それは、正しいことではない、―――しかし人間的である。

『良い助産婦さん、本当に村の母です。その人は、村中のほかの誰よりもっとよく一切の悩みと困難とについて知っています。ですから、助産婦さんは、また喜びと佳い日にちあずかるべきではないでしょうか?』このように、駅長は、私を祝典の食事へ連れて行ったとき言った。それは、正鵠を得たものであった。人は全くそう言ってよい。もっとも、みんながそれを模倣するという危険、および、そうすると私たち助産婦が祝典ばかりあるために、もはや自分の職業上の仕事をやらなくなるという危険は、この場合、大きくはない。これについては、問題は余りにも簡単であり、かつ余りにも判り切っている。

ヨゼフィンは、きようの祝日を公明正大にかち得たのであった。元来、ヨゼフが、高等学校の三年生(上から数えて)を修了し、そして司祭になろうと思ったとき、彼の兄の一人は、高等学校の最上級にあり、もう一人の兄は大学にいた。一番上の妹は、結婚したいと思っていた。そこで資金が、もはや足りなくなった。勤め人の扶養家族手当ては、まだ無かった。小さな弟妹が、まだ三人もいた。



そこで十五になるヨゼフィンは、工場の事務所に勤めようと決心した。彼女は、兄弟をさらに助けるために、金を得たいと思った。彼女は、機敏で利巧であったから、間もなく電光のように速く速記し、タイプライターを打つことができた。私は、工場主と支配人に彼女を雇ってくれるようにと頼んだ。当時は、そんな若い娘を採用する習慣はなかった。しかし、特にそうしてくれた。

『お前、どんなものでも、気に入ってはいけないよ。』と駅長が言った。『何も、もらってはいけないよ。招待されちゃいけないよ。お前の自由を保って、誰のことにも、少しもかかわる必要のないようになさい。』

間もなく、工場の人たちは、彼女の仕事の速いのと、動作のしっかりしているのに驚いた。彼女は可愛らしい娘であったから、 彼女の愛を得ようとする動きもまた、間もなく始まった。 多くの人々は、小さな贈物をして、彼女に近づこうと試みた――しかし、拒絶された。『有難う、でも私は、原則として何も頂かないことにしていますのよ。』とヨゼフィンは言って、品物を見もしないで、押し返した。
そこで人々は、芝居や、音楽会への招待など、ほかの方法を試みた。『大へん御親切に有難うございますが、お断わり致します!』とヨゼフィンは言った。『私は、行こうと思えば、自分で切符を買いますわ。』
『あなたは、まだそんなに旧式なんですか、お嬢さん?』
『いえ、とてもモダーンなものですから、私は自分で正しいと思うことをする勇気があるんです。私は、誰にも御礼を言うことなしに、自分の自由を保たねばならないんです。』
『何と勿体ぶるんでしょう! あなたも、やはり我々みんなと同様に、同じ原始猿から出ているんですよ……』とある一人が抗議をあえて述べた。
『猿が人間になったということは、まだ誰も見たことがないんです。しかし、人間が猿になることは、私は毎日見ています。』とヨゼフィンは、生れつきの頓智をもって、たしなめ、そして人々を味方に引き入れ、そして段々心が平静になった。

ただ一人の人が、すなわちそれは工場主のある親戚であるが、ある日、実に卑劣にも、少しばかり愛情をあえて発露して、彼女の頬を撫でようとした。そこで、彼女は、わざと大きな声で言ったので、みんなにそれが聞えた。
『もしもし、ハンケチは更衣室にかかっていますよ。私は、あなたの汚い指を拭く雑巾の代りに雇われているんじゃありませんわ!』
『ひどい奴、いやな奴』と、そのやり損じた男がブッブツ言った。しかし、その娘に対する一般の尊敬は増した。人々は、彼女を本当に貴婦人として取り扱い、そして彼女にあまり近づかないように注意した。

彼女は、厚かましくはなかった。反対に、他の人々が節度を守っている限りは、彼女は可愛らしく、かつ愛想がよかった。しかし、それだけにまた、彼女は仕事においても頭を使い、ずば抜けてよく働き、昇進し、そして段々と商業指導者の注意を引きつけた。特に重要な商議の場合は、速記を取らねばならなかったし、 また会議および相談の場合には、謄本を作らねばならなかった。彼女は、知らぬうちに、女秘書となっていた。給料は、仕事に応じて自由に加減された、というのは、その頃は、賃銀表は、まだ今日のように、すべて何でも、紋切型に定められてはいなかったから。

支配人は、女の子というものに対しては、大した評価をしていなかった。もうすでに、そういうことをよく経験したことのあるすべての人のように。しかし、彼女は、彼の注意を呼び起した。しかもいよいよますます。
ヨゼフィンが一度、病気になったとき、彼は非常に淋しく感じたので、翌日のお昼に、彼女を見舞おうと思い立って、駅長の宅へやって来た。

『あんたは、我々を淋しく感じさせますよ、シュタインさん。ほんとに、直きに帰って来てくれなければいけませんね。』
『かけがえのないような人はいない、とビスマルクのような人でも言いましたわ。もし私の弟が、もう二年で卒業したら、すると……』
『すると、あなたはまさか我々を見棄てて、弟さんの家政婦になるつもりじゃないでしようね? それはいけませんよ……』
『もう勤め口は、きまっていますわ。だって、私たちの小っちゃいのが、一番小さな妹が、それを待ち構えているんですもの。でも私は、職業を鞍変えして、乳児看護婦になりますわ……』
『それは、よその子供でなくちゃいけませんか?』
『いいえ。でも自分の子が出来るかどうですか……』
彼らは、その夜、家庭の中で、全く無邪気におしゃべりをした。『しっかりした夫を得られますかどうか、というのは、自分の子供たちの父親として持ちたいような、そしてその責任を負わせることのできるような、そんな人をです……』
『あんたは、十分に選択できますよ。』
『ああ、どんな女のスカートの廻りででも、おべっかを言い、そして、チョコレート一枚で卑しいことをしてもいいと信じるようなものは、男じゃありませんわ――全く憐れむべき人です!』

この日から、本当の嫉妬心がその支配人を捕えた。もし誰かが来て、ヨゼフィンを征服し、彼女を連れ去ったら……彼は早くも頭の中で、彼女の襟首をつかんで引廻した! そんなことが起ってはならない。――さてヨゼフィンが、また出勤して来たとき、彼はこの太陽の光を確保するために、何をなすべきかを急に知った。元来、そんな綺麗な娘を事務所で古い書類のように、塵まみれにしておくことは、気の毒であった。しかも彼の住宅は、空っぽだった。彼はその二部屋に家具を備えつけておいた。年寄りの家政婦が、やっとその家の中を整頓していた。一体、何が彼のしようと思っていたことを妨げたであろうか?

それは、容易に同意を得べくもなかった。彼が、長い間考慮した揚句、ある日、ちょっと小さな突擊を敢行したところ、ヨゼフィンは非常に咎めるように、かつ悲しそうに彼を見つめた。『でも、支配人さん……』と、あたかも天が半分くずれ落ちたかのような眼つきをして、ただそう言ったきりであった。涙が眼の中に光っていた……

そこでとうとう彼は、古来の確かな道が最良のものであるということに考えついた。彼は、その日のうちに、駅長のところへ行って、その娘さんに求婚した。父親は、彼をお婿さんにすることは、恐らく満足であり得たであろう。彼は真直ぐな男であり、同じ信仰を持っており、保証された社会的地位を持っていた。ヨゼフィンは、すでによほど以前から、知らず識らずの間に、その支配人が好きになっていた。ところが、初めて、きょうという日に、何かがいつもより変っていることに気がついた。彼女は、彼もまた、ほかの男たちと同じだということを痛切に悟って悲しんだ! しかし、その誤解は、晴れ上った。そして親愛なる太陽は、再び笑った。

ヨゼフィンは、ヨゼフが卒業するまで、勤めを続けたいと思った。父親は、しぶしぶながら、彼女がさらにその婚約者と一緒に働くことに同意した。
『お前、いつもよく注意して純潔でいなさいよ。お母さんと私が、いつお前を見ても決して困る必要がないように、万事がなっていなければいけないよ。礼儀上のキッス、それはよろしい。しかし多すぎないように、いいかね、多すぎないように。お前は、そんなに長い間、忠実に身を守って来たのだから、今もまだ身を落してはいけないよ。愛する人に対しても、絶対にお前の純潔を守りなさい。』

一度、支配人は燃え上がる激情のため、少し我を忘れたことがあった。しかし、直ちにその娘の心の中には、防衛の構えが作られた。
『パウロさん、一体、きょうは、私を何と考えていらっしゃるの? 私はあなたに、そんなことをさせるきっかけを与えたでしょうか? もしあなたが、あす来て、許しを乞わなければ、私たちは、もうお分れです。』 そして彼女は行った。それは、仕事じまいの時刻より一時間前のことであった。

翌日の日曜日に、支配人はもう朝の八時頃に、停車場の小さな職員住宅の前に立っていた。いま直ぐヨゼフィンをあえて訪問していくかどうかを決し兼ねて。その娘が、彼にとってはいかなる宝であるかということを、今はじめてよく知った。彼は、非常に真直ぐな人であったから、自分がいかに甚だよくなかったかを認めたのであった。

私は、その結婚式から満一年後に、初めての女の子をとりあげたとき、この婚約物語を聞いた。この話は、支配人が自身で、お産の夜、妊婦を見守っていた際、話してくれたものであった。よくそういう時に、人があれやこれやの話をするように。
『私の家内がかつてそうであったように、すべての娘さんたちが、そのようであるなら、大抵の結婚もきっと幸福になるでしょう。結婚改善がいろいろ企てられていますが、その際、人の考えつかない一番の弱点が、まさにこの点にあるのです。それは、結婚前の純潔ということです。このことは、私を信じて下さい。もし、人々が結婚前に純潔を守ることが出来るならば、問題は、九〇パーセントまでは解決されるでしょう。』

かようなわけで、ヨゼフィンは、幸福な結婚への基礎を置いた。彼女の夫は、自分の妻を全く心より尊敬することを、よい時期に学び、そして二人の若々しい幸福の上には、過去のいかなるわずかな陰影すらない。その家は、砂の上に建てられたのではなく、岩の礎の上に立っているのである。

幼きキリスト様の持って来てくださるもの

2020年12月19日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」50章 我が国民の大きな待降節。アドベントリースと幼いキリスト様のための藁の茎をご紹介します

良き夫婦の信仰と子供たちへの愛情は、子供たちを幼きキリスト様へ自然に向かわせることができるのですね。美しい待降節と喜びにあふれたクリスマスは、私たちの心からの準備で与えられるのではないでしょうか?もうすぐクリスマスです。私たちも幼きイエズス様を私たちの心に愛を持ってお迎えしたいです。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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あすは、待降節の最初の日曜日である。
待降節。黙想と反省の時期、痛悔と生活の更新の時期。もしヨハネが今日、再びやって来て、彼の『悔い改めよ。』という言葉を、人々の心に呼びかけるならば! 一つの新しい精神が、はいりこむであろうか?
一つの新しい星が、救世主の秣槽(まぐさおけ)の方へ、ベトレヘムへの道をさし示すであろう。

待降節。新しい時代が、わが国民のために来るであろうか、黙想と反省の時期が? 人々は、自然法に関する忠実さ、子供に対する忠実さ、純潔の忠実さを再び信奉するであろうか? そうなるならば、外面的な生活改善という話においてもまた、待降節となるであろう。

あす、私たちは、待降節を私たちの新しい借家人のところで、一緒に祝うことになっている。それは、よい人たちである、ラウエルさん一家。父親は、職工長だ。母親は、裁縫婦として少し働いている。しかし裁縫をする時間は、あまりなかった。彼女は、いま四番目の子供を宿している。一番上の子は七つ、二番目のは五つ、三番目のは三つだ。その全家族のために洗濯し、繕(つくろ)いものをし、アイロンをかけ、縫物をして、万事がととのえられるまでには、一日が殆んど一ぱいになる。

そして子供たちも、少しは母親に相手をしてもらいたがる。晴れた日には、彼女は大抵、一時間ほど子供たちと一緒に野や森を散歩し、自然の素晴らしい事物に注意し、そしてそれを楽しむように彼らを指導する。それから、野外にまだ何か花が見いだされる限りは、彼らは、私への土産に、花束をもって帰って来る。そしてそのお礼に、彼らは、私が林檎を樹から採ってやるのを手伝うことができるのである。

私たちは、互いに仲がよかった。
ちょうど私たちは、美しい大きな待降節の花輪(アドベントリース)を一つ束ねようとしていた。このことは、ラウエルさんのところでは、新しいことであった。両親が悦ばしくも、この考えに思いついたのであった。この花輪は、来たるべきクリスマスの前夜の象徴として、待降節中の時日を特別に聖なるものとするであろう。それは、声高らかに叫ばれた「主の道を備えよ!」という言葉を表わすであろう。まだ本を読むことのできぬ子供たちのためにも。

間もなく、その花輪は、居間の天井にかけられた。紫のリボンで荘厳に吊るされ、かつ巻きつけられて。そして大きな黄色な蝋燭が、その上に立っている。四本だが、それは待降節中にある四回の日曜日に想応するものである。一個の空(から)の秣槽が、箪笥の上に置いてある。それは、幼いキリストのために中味を整えられねばならぬものである。

『お母さん、あれ何とキレイなんでしょう! なぜあの花輪は、きょう、あすこにかかっているの?』
『それは、最初の待降節だから。みんな今、幼いキリスト様をお迎えする準備をせねばなりません。晩に私たちは、一番目の蝋燭に火をつけ、そして待降節の歌をうたうのです。そして幼いキリスト様に、何を私たちはすることができるか、みんなで相談しましょう……』
『今晚、お母さん?』
『そう、今晚―――暗くなってから……』
子供たちは、それが殆んど待ちきれなかった。
『お母さん、まだなかなか暗くならないの?』と、小さい娘のロッテが、もう昼飯のときに尋ねた。とうとうその時が来た。私たちは、みんなその部屋に集まっていた。そこで父親が最初の蝋燭に火をともした。そして私たちは、あの好きな古い歌をうたう、天よ、義(ただ)しき人に露をしたたらせよ……子供たちは、とても、お祭のような気分になった。



『きょうは、私たちは、ただ一つ燈火をつけるだけです。なぜなら、まだやっと待降節中の最初の日曜日だから。日曜ごとに、もう一つずつ蝋燭がともされるでしょう。そこで、あんたたちは、みんなクリスマス前夜祭が、だんだん近づいて来るのがわかるんです。私たちが、ますます急いで秣槽を作り上げねばならないことが。

あすこに、秣槽(まぐさおけ)は、もう置いてある。でも、まだ全く堅くて空(から)です。そこで、あんたたちは、藁(わら)の茎だの、羽根だのを集めて来なければなりません。いま幼いキリスト様のために、小さな犠牲を一つ捧げる人は、藁の茎を一本取って来ることになるんです。それを、あんたたちは秣槽の中に入れるんですよ……』

『お母さん、もしお母さんが燕麦の餅をつくり、そして僕がそれを食べ、そしてちっとも泣かなければ……それは二本の藁の茎だ、そうでしょう?』と、五つのフランツが、その間に叫んだ。
『そして、もし私がコーヒーに砂糖を入れなければ、その砂糖を、クリスマスに貧民院のカトリンお婆さんのところへまた持って行っていいの?』と、七つのマリアが尋ねた。この娘は、四旬節中に、そうすることが出来たのであつた。

『そうですとも、そうしていいわ。そしてロッテは、もうきかん坊であってはいけませんよ。そして、そのことを待降節の天使たちが見ると、とても悲しまねばならないのです。だからロッテちゃんは、すぐこう言うでしょう、幼いキリスト様のために、わたしは、おとなしくするって。そうすると、ロッテちゃんも、藁の茎を一本、もらえるんですよ。』
『お父さん、なぜ蝋燭は、ちょうど四本あるの?』
『なぜなら、嬉しいクリスマスの日まで、日曜日が四つあるから。』

そこで、一番小さい子でも、その日がだんだん近づくのを知るのである。
『そして、もし四本の蝋燭がみな燃えてしまうと、すぐクリスマスの樅の木が来るの? そして……そして……お母ちゃん、話してちょうだい、それからどうなるの?』
『それは、お母さんには判りませんよ。それもやはり、待降節の天使たちが飛んで行くとき、日曜ごとに、あんたたちのことを幼いキリスト様にお知らせすることに全くよるのです……』
『天使たちも、秣槽の中に沢山藁の茎があるかどうか、のぞき込むの?』



『確かに天使たちも見ますよ。でも何よりもまず、天使たちは、人間の心のうちを見ます。愛と親切心が、その中に沢山はいっているかどうかを……しかし、お母さんは、幼いキリスト様が、ことし、持って来て下さる或るものを知っているんです。』
『お母さん……何?……何?……教えてちょうだい……どうぞ、どうぞ!』

『全く可愛らしい或るもの、小っちゃいきょうだい……』
『あっ、小っちゃい弟?……そうでしょう、小っちゃい弟……』 フランツは全く嵐のように熱望した。『女の子は、もう二人いるのに、僕はいつまでも、ひとりぼっちなんだもの……』
『それは、弟になるか妹になるか、幼いキリスト様は、まだ打ち明けて下さいません。そこで私たちは、それが生れてくるまで、待たねばなりません。』
『お母さん、どうしてお母さんは、そのことを知ったの。』と七つのマリアが考え深そうに尋ねた。その間に、小さいロッテは、待降節の花輪の燈火を吹き消そうとして興(きょう)がって【おもしろがって】いた。

『なぜなら、一人の天使が、その小さな霊魂を持って私のところへ来たからです。この霊魂は、天主様が私に贈って下さったのです。天主様は、それを搖籃(ゆりかご)の小さなベッドの中に置かせなさったのですが、そのベッドは、天主様が御自身で、ひとりひとりのお母さんの心臓の下に、赤ちゃんのために支度をなさったのです。そのベッドの中に、赤ちゃんが、いま眠っていて、そして幼いキリスト様とその聖天使たちの夢を見るのです。それから赤ちゃんが十分に大きくなると、私たちは、それを普通の小さなベッドの中に置くことができるのです。』

『では、私たちの赤ちゃんは、もうお母さんのところにいるのね。』とマリアが言った。そしてこの愛らしい秘密について、何ものかをうかがい知ることができるかのように、母親に非常にぴったりと寄りそうた。
『そうです。赤ちゃんは、もうここにいますよ。そして私たちは、赤ちゃんがいい子で、正直で、そして丈夫でいるように、これから毎日赤ちゃんのためにお祈りしましょう……』

『お母さん、なぜ天主様は、赤ちゃんを直ぐに贈って下さらないの? 天使は、赤ちゃんを直ぐお母さんのベッドか、お父さんのベッドかへ置くことができるんでしょうに……』
『あんたは、もう覚えていないの、美しい花が庭で咲いて出るが、その元の種子は、どんなに小さいものだったかということを? 赤ちゃんも、そんなに小さいんです。そして、そのお母さんは、天主様がその種子を植えつけなさる土地なのです…』

『私も、いつか、そのようにお母さんのところにいたの?』
『そうですよ。この子供たちは、みんな、一度は自分のお母さんのとこにいたものです。だから母と子たちは、またそんなに親密なのです。』
『そしてお父さんもね…』とその娘の子は言って、そして腕を両親に捲(ま)きつけた……

待降節。蝋燭は、つぎつぎと燃えて行った。どの土曜日の晚にも、その家族は、ほんとに嬉しい思いをいだいて、暫らくの間、一緒に坐っていたし、そしてどの日曜日にも、自己教育と自制への熱意が新たに燃え立たされた。子供たちは、クリスマスの日がますます近づいて来るのを知った。そしていつでも実際的な性質のフランツは、もっと多くの藁の茎を秣槽の中に入れるために、父親から数本のシガレットを、うまくだまして取り上げたのである。

『お父さん、もしあなたが、いまシガレットを吸わなければ、藁の茎を一本お供えすることになるのでしょう……そして僕は、それをクリスマスに貧民院のミヘル爺さんのところへ持って行ってやるんです。』
『子供たちが、我々を教育しはじめましたよ。』と父親が私に言った。そして息子の気に入るようにしてやった。

最後の待降節の日曜日の翌日の夜、男の子が生れた。それは、どんな喜びであったことか!  
実に黄金色をした元気な子供!  そのため、玩具のことなんか、すべて忘れられていた。私たちは、この小さな地上の市民を、お祭りのように迎えるために、四本の待降節の蝋燭をともして置いた。そしてその大きな赤い蝋燭の間に、小さな白い蝋燭を立て、そして銀色の小さな鈴を幾つか花輪にかけておいた。それが鳴って、クリスマスの祭日の開始を告げるのである。今夜、幼いキリスト様がお出でになる……!



『小っちゃい弟がもうここにいる。そして幼いキリスト様がお出でになる!』と子供たちは競って歓呼した。夕方、私たちは、クリスマス・ツリーをお母さんの部屋に置いた。小さな秣槽(まぐさおけ)をその下に。絵本を一冊、玩具箱を一つ、人形を一つ、それから饅頭と林檎と胡桃を盛った皿、それになお、冬季用の暖かい小さなジャケツと、色とりどりの毛糸で刺繍した子供帽。

それらは、今日の観念からすれば、わずかなものだった。しかし、正しく教育された子供たちにあっては、それは、大きな喜びを与えるにあまりあるほどであった。全く非常に多くの品物をもって、子供に不必要な願望と熱望とを目覚ますこと、および生活への要求を不適当な方面に導くことは、意味がない。心からの愛をもって与えられたわずかなものが、その目的を達するのである。

しかし、最も美しいキリスト様の贈物は、小っちゃい弟であった。それは興味の中心だった。
『いつ、それはスープを作ってもらうの?』とマリアが尋ねたが、この娘は、すでに小さな主婦であった。
『それは、まだスープは飲みませんよ。お母さんのお乳をのむんです。まあ御覧なさい。何という可愛らしいんでしょう……』と、私は赤ちゃんを寝かせながら、それに答えて言った。

『お母さん、私もそうしたの……?』そして母親にぴったり寄りそった。
『赤ちゃんは、みんなそうするんですよ。』もちろん子供たちは、何事でも、なされ且つ言われたそのままに受け入れた。子供たちは、真に無邪気な心で、そのような事物に出くわすならば、決してそれにつまずくことはない。

私がその翌日、赤ちゃんにお湯を使わせたとき、家族のものはみんな、風呂桶のまわりに集まった。そんな小っちゃいのが、水をパチャパチャするのを見るのは、とても面白いものだ。マリアは突然質問した。『おばさん、それじゃ、なぜ男の赤ちゃんは、そのように少しちがうの?…』
『赤ちゃんが生れて来ると、お母さんは、それが男の子か女の子かを見なければなりません。 だから、それは少し、ちがわねばならないのです。もし、そうでなければ、私たちは、女の子にハンスと名づけたり、男の子にグレートヘンと名づけたりするようなことになるでしょう……』

二三人の兄弟姉妹が育ってゆくところでは、もし真実の親の愛が、小さな巣を支度し、そして、それを保ちつづけて行くなら、その家庭は遙かに温かい。そこでは、すべての祝日は、全く独特な光輝をもつのである。



待降節……
全くひそやかに、たとえば初めての春の予感のように、新しい理解が世界を貫いてゆく。世間には、今日まだ美しい真の夫婦がある。その数は少ない。しかし実際に存在する。そしてそれは、酵母のような作用をするであろう。もしそれが純粋に、かつ忠実に保存されるなら。

そうすると、そのような夫婦生活からして、より高い価値に対する理解と、新しい理想への努力が、再び国民大衆の中に、しみとおるであろう。そのような夫婦の数は、増して行くであろう、もしそれが持ち続けられるなら。その人たちの上に、その少数の忠実な人々の上に、わが国民の将来と運命とが、かかっている。――それゆえ、それらの夫婦たちは、その生命力が窒息しないうちに、何よりもまず支持し保護されねばならない。そのような家庭で育った子供たちは、愛の真の精神をつかみ、そしてそれを次代へ伝えるであろう。かようにして彼らは、わが国民の大きな待降節を招き寄せることであろう。

遅すぎた!吝嗇の報い、取り戻せない時間

2020年11月21日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」9章『お医者さんへ使いをやりましたか。奥さんは死にますよ!』をご紹介します

吝嗇な夫、誘惑に打ち勝てないが能力で仕事を取り戻せる夫、彼らの日常の悪徳ゆえに悲劇を招いてしまったのではないでしょうか?後悔してももう遅すぎたのです!私たちも悪い習慣を明日からはやめよう、今回はしょうがないといって先延ばしにしてしまうこともあるのではないでしょうか?まったくの他人事とは言えないかもしれませんね。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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二十四時間も私はウンテルワイレルの百姓のお上さんのそばに坐っていたが、お産はまだいつ終るとも見えなかった。陣痛は、来たかと思うとまた去った――そして、その憐れな女を非常にゆすぶり動かしたので、彼女は踏みにじられた虫のように、のたくり廻った。しかし、分娩はまだ始まらなかった。嵐は、まだ最後を目ざして力を集中することなしに、いつも衰えた。

心配と、募る苦痛と苦悶との中にあること二十四時間――二十四時間というものは、長い長い時間である。もし人が、長い、暗い一夜を、苦痛のため、のたくり廻ったとしたならば、最後にやっと夜が明けそめて、日光がさして来るときには、いかに息を吹きかえすことであろうか。 朝の活動の潮が、少しばかり寄せて来る。人々の往来がはじまる。彼等は、よく時々、非常に詰らないことを話していることもある――しかし、それでもそれは一つの変化であり、気分転換になる。それに反して、夕方が近づいて来て、眼に見るものとては、ただ夜ばかりということになるとどうであろうか――あの長い、暗い、苦痛に満ちた夜……

このような二十四時間というものは、この世において限りもなく長いものである。母親でなくともその傍らで眠らずに待ち受け、希望し、かつ心配し、そして彼女に対してほんとに全く何の助けもなし得ない者にとっても、また同様である。

繰返し繰返し陣痛が、その憐れな女をゆすぶった。それなのに分娩は、まだ始まらない。
『お百姓さん、まだお医者さんを呼びにやらないのですか? 奥さんは、少し様子が変ですよ!』もう私は、とっくにお昼頃に、 その百姓にウイリ先生のところに使いをやるように頼んで置いたのであった。ところが彼は、お八つに来たとき、それをやっと思い出した。

『あっ、なに、自然は時間がかかるものさ。待っているよりほかに仕方がないさ。』 と、彼は気むずかしげに言って、中庭に出て行った。私は、彼について行った。
『ただ待っているだけでは何もできませんよ。今度は、何だか、いつものようではないと、私は気づいているんですよ。お医者さんをお呼びなさい。』
『時間は、かかるものだよ。お前さんは、家畜小屋で、もう三晚も待っていてもいいよ。お前さんたち、女というものは、全く何と騒々しいんだろう……』

夕方になった。クリスマスの頃には、夕方は余りにも早く暗くなる。病室では、ランプの光が、せわしなく油煙を立てていた。揺れ動く長い影を、壁に描いていた。雨が降りはじめ、そして風が重い水滴を窓ガラスにバラバラっと打ちつけた。外では、犬が吠えた。そして徴かな戦慄が、その家を通って行った。それは、死の陣痛であって、死神は、そのいけにえを眺めていたのだ。下女は、硬ばった眼つきで病室をのぞき込み、十字を切った。煉瓦ストーヴのそばにある革のソーファの上に、百姓はうずくまってジッと前を見つめていた。

『お医者さんへ使いをやりましたか。奥さんは死にますよ!』
『お医者さんだって、この悪い天気では断わるだろう……うるさい女だね。だが、待っておれるだろう。俺は、お金を窓から投げ捨てるために持っているわけじゃないよ。今までに、もうふんだんに金がかかっているんだ。だが、もちろん、お前さんの仕事が早くすまなくちゃ困るだろう。何かこわいことでもあるかい!』

夜が更けた。陰気な、真黒な夜だった。病室は静かだった、無気味なほど静かだった。そして今や、陣痛は衰えて、段々と短く弱くなって来た……全く無くなってしまおうとしているようであった。母親の胎內は、静かだった。もはや子供の心臓の音は聞えなかった……
そのとき、馬係りの若者が部屋にはいって来た。そこで私は、彼に呼びかけた。 『フェリックスさん、どうかお願いだから、村に走って行って、お医者さんを連れて来て下さい。子供がお腹の中で、死ぬんです、お母さんも。』

彼は、百姓の方を見た。『夜が明けるまで待っておれるだろう。今夜のことにするというと、沢山お金がかかる。自然は時間がかかるもんだよ。』 と、百姓は言って、ソーファの上に体を伸ばして鼾(いびき)をかいた。そこで馬係りの若者は、こっそり部屋から抜け出て、提燈を持って村に行った。その若者は、お上さんに対しては、その百姓よりも、もっと多くの親切心を持っていた。

こんな夜には、時間はいかに長々しく、心配に満ちたものであろうか! やっと、その下男は帰って来た。低い音で、彼は窓をたたいた。彼は、百姓の怒りをおそれて、部屋の中に、はいって来なかった。医者は、彼が村に着かないうちに、あいにく、よそへ呼ばれて行っていた。しかし、後でお宅ヘ行くでしょうと、医者の母親が言われたそうだ。

百姓のお上さんは、寝入っていた。しかし、青白い頬には、赤い斑点が現われていた。私は、体温計で測った。体温は、目立って下りはじめた。とうとう夜半すぎに、医者が見えた。

『遅すぎましたね。』と、医者は言った。『またしても半日遅すぎましたよ。』
わざと鳴らしていた百姓の喉の轟音が、停った。もし妻が死ねば、それはお前の責任だ! 殺人者だ!という考えが、彼の心にひらめいた。
『もう午前中から、私は先生をお呼びせねばならないと言い張っていたのです。どうも調子がよくないと見てとったものですから……』
もう一度、下男は村の薬局へ行かねばならなかった。彼は、できるだけ早く走った。

しかし、またもや長い心配な時間が経った。あらゆる方法を尽くし、注射だの、産科鉗子や鉤(かぎ)だのを使って、長い時間をかけた後、やっと死んだ子供が母胎から取り出された。それは男の子であったが、すでに母胎の中で窒息していた。また母親にも、死体の毒がすでに感染していた。

五日後に、私たちは、その母と子を埋葬した。その当座の日々を、その百姓は、いかに気違いのように振舞ったことか! 今や彼は、三人の子供をかかえて、自分の吝嗇(りんしょく)の果実を蔵におさめねばならなかった。老司祭は、さらに不幸が引きつづいて起らないようにするため、百姓を自殺させないように、お骨折りになった。遅すぎた!

この初めての出來事から余り経たないうちに、私はさらに、もう一度、全く文字通りの悲劇を経験せねばならなかった。すなわち、自分自身の責任によって遅すぎたという事件である!

村はずれに、幾つかの工場がある。その近くに、労働者たちの家がある、醜い古いあばら家だ。そして、さらに森の方へかけて、工場の使用人たちが、次から次へと、小さな一戸建ての住宅を建てて移住している。もっとも、その当時は、やっと、こんな家が一軒立っていただけであった。この家には、一人の技術監督が、若い妻と住んでいた。もし正確に言おうとするなら、「ここに彼の若い妻が住んでいた」と言うべきだ。というのは、

その監督は、在宅しているよりは、居酒屋か、または近くの町かにいる方が遙かに多かったからである。彼は、放蕩者というわけではなかったが、極端に意志の弱い人だった。 ほんの僅かな誘惑にも負けた――もっとも、彼は非常に才能のある男だった。もし、そうでなかったなら、彼の不しだらな生活は、もうとっくに彼の地位を失わせていたであろう。

しかし、彼は、半日怠けたところのことを、短時間のうちに 十分取りかえすことができたのであった。
もっとも、彼がそうできたのは、工場内で機械や設備と取っ組んだり、新しい考案を練る場合のことであって、生きた人間を相手にしたのでは、そうはゆかなかった。

かつて、彼は休暇に、ある山間の小さな町に逗留していたとき、今の妻を知ったのである。そして世間によくあることであるが、彼がそこにいる間は、万事うまく行った。彼女は、非常に物静かな、可愛らしい娘であって、自分が置かれた境遇に対して余りにも物柔らかに順応した。彼女が、その村はずれの家から、私たちの村にやって来たのは、稀であった。

彼女は、プロテスタントであったから、日曜日には時々町の教会へ乗り物で出かけた。なぜなら、私たちの村には、カトリック教会があるだけであったから。村はずれの森の端には、彼女の家以外は、まだ一軒も立っていなかった。そこで彼女は、静かに独りで、家の周囲に色とりどりに美しく咲いている花と一緒に住んでいた。夫は、彼女をよその家庭に連れて行くような面倒なことはしなかった。恐らく、彼女がそこで、いろいろなことを経験するかも知れぬことを恐れたのであろう。そして彼女としても、自ら進んで、人と交際することはしなかった。

彼女の結婚から数ヶ月たって、その母親が一度、彼女のところへ訪ねて来た。その当時、その二人の婦人は、新妻が妊娠していることを知っておいてもらうために、私のところへもやって来た。そのとき、すでに私は、彼女の暗い眼の中には、深い悲しみが横たわっているかのように思われた。しかし、私は別に尋ねようとはしなかった。それから、数ヶ月経つうちに、私たちが、日曜日などに、ちょっとした散歩に連れ立って行くことができたときに、私は彼女を時々観察した。

そのとき、彼女は赤ちゃんのために作って置いたものを私に見せた。そのよく気を配るお母さんは、疲れも知らずに、美しい小さなものを編んだり、縫ったりした。彼女は、あれこれと質問した。彼女は、旧い習慣に從って、まだ何も知らずに結婚したのであった。そして、そういうことが、かつては最高の理想とみなされていたのである。



しかし、何ものかが彼女の心の中に、また眼の中に横たわっていた。 何ものかが、それは飛び出そうとはしたが、飛び出すことはできなかった。しかし、私はあえて尋ねようとはしなかった。というのは、恐らく彼女が予感もしなかったであろう事柄を、彼女の心の中に運びこむ怖れがあつたからである。

結婚してから数週間後に、その監督は、人が変ったかのように思われた。わずか数週間で、彼の以前の怠惰な生活が再びはじめられた。彼は、仕事が非常に忙しいのだと、彼女の前で偽りをいった。しかし、彼が帰宅したときの大抵の状態は、彼女にそれと気づかれずにはいなかった。彼女がいかに大きな愛情を持っていても、それは彼女をそれほど盲目にすることはできないであろう。

そうしているうちに、大体、お産の時刻を計らねばならぬほど近づいて来た。ある朝、この若い妻は、特別に具合が悪かった。そして昼食のとき、ごく微かに最初の陣痛が起った。
『今晚はどうか早く帰って来て下さいね、ヨハン。できるだけ急いで。私たちの赤ちゃんが、生れるような気がするんです。』
『もちろんだよ、マリア。仕事が片づき次第、早速ね……』
『もし、そうでなかったら、誰かをうちに寄こして下さい。もし具合がもっと悪くなって、リスベートさんを呼ばねばならぬようなことがあると、私ひとりでは困りますから……』
『お前は、何を考えているんだね。僕は、もちろん、直きに帰ってくるよ。』
『お母さんにきのう、手紙を出して下さったのですか?』
『いや、そこまでは手が廻らなかった。』
『では、私が書きますから、葉書を持って行って下さらない?』
『それは止したまえ。僕が電報を打とう。お母さんは、用件をよく御存知だから、驚きはしないだろう。』

午後五時頃に、彼は工場で帰り支度をして出て行った。しかし、入口の門の前で、親友のある保険監督官と出会った。彼はちょうど、きょう、この村に着いたばかりであった。『弱ったなあ! 帰らなけりゃならないんだが……』
『三十分ぐらいは構わないだろう。初めての子は、そう速くは生れないものだよ。お互いに随分長い間、会わなかったね! それに、言おうと思っていたのだが、実はエルドマン氏も来ているのだ。そら、あのインキ塗装器具屋の彼氏だ。直きに、ここへやって来るはずだ……』

彼等は、居酒屋にはいって行き、酒を飲み、一緒に晚飯を食べた。昔の青年時代のいたずら気が目覚めた――連れ立っての冒険……自宅で苦しみ心配している憐れな妻のあることは忘れてしまった。アルコールの酔いが、いま彼が最も関心をもたねばならぬ現実の上に、ますます厚いヴェールを投げかけたのであった。――

村はずれの森の端では、これから母になろうとする妻が、夫の帰宅を待っていた。陣痛はますますひどくなった。忍び寄って来るもの――未知のものに対する恐怖は、ますます大きくなった……彼女は、あけ放たれた窓に腰をかけて、細い步道をずっと眺めやっていた。秋風が、気づかわしいほど冷やかなのに、気がつかなかった。夫は、どうしても帰って来るに違いない――どうしても。薄暗くなって、晩がやって来た――夜になってしまった。神樣、ああ神樣、あの人はいつ帰って来るのでしょう! 誰かを私のところへ送ってよこしたのでしょうか? お母さんもまた、どうして来ないのでしようか? ヨハンは、電報を打つのをまた忘れたのだろうか? いま私は全くの一人ぼっちだ。

そしてあたりの恐ろしさ……彼女は頭を窓枠に置いて、胸も張り裂けるばかりに泣き出した。彼女が今までそんなに静かに胸の中に畳んでいた数ヶ月以来の苦痛と悩みとが、今や一度にほとばしり出た。彼女は、どのくらい長く待っていたのか、気がつかなかった。どこかで時計が鳴った。そして彼女は無意識に算えはじめた――十時。それなのに、夫はまだ帰って来なかった。

もう私は、誰かのところへ行かねばならない――どこかへ――もはや待ってはおれない――もうどうしても……
両足が彼女を運んで行くことは、非常な骨折りであった。苦痛に堪えかねて、彼女は地面に体を折り曲げた。そして、さらに垣根に添うて、苦労しながら進んだ――樹から樹へと――そしてとうとうまだ燈火がついている最寄りの労働者の家に辿りついた。そして彼女は、窓をたたいた。年寄りの女――母親――が燈火を手に持って戸口に出て来た。『あらまあ、監督の奥さん。どうなさったんですか……』そして彼女を内に引き入れた。部屋の中で、若い母親は崩れ落ちた。『宅の主人が帰って来ないんです……でも、私はもう待っていることができません。』

その年寄りには、子供がある。事情は、あまり尋ねなくても、よく判った。若い女をソーファに寝かせ、枕を運んで来た。そして、すでに寝ていた息子を呼び起した。『早くリスベートさんのところへ走ってお出で!』熱いお茶をわかした。優しい慰めの言葉を二つ三つ言った。直きに万事終ってしまいますよ。すると苦しみの代りに、母の喜びが来るのですよ。男っていうものは、確かにそういうものですね。いつも外に留められてばかりいて。妻がどうなっているか、知りもしない。それでも、女は子供を産まねばならぬとすると――この世には、もっとよいことが 非常に沢山あるだろうと。お婆さんは、少し冗談を言おうと試みた。

私は、呼ばれて行って見て、少なからず驚いた。熱、悪寒、陣痛……これは、一度には余り多すぎる。そこで私は、早速、お医者さんを呼びにやった。ウイレ先生が見えたが、これはどうなるのか、自分にはよく判らぬとおっしゃった。とにかく、非常に体が冷えている。それに多分、また興奮もある。その家の息子は、工場の災害救護部へ寄って来た。そして医者と若者とは、若い母を注意深く、その自宅へ運んだ。

重苦しい、心配な夜が来た。一時頃に、その夫が帰って来た。よろめき、わめきながら。彼が、私たちが彼の妻のベッドのそばに立っているのを見、そして事態が解りはじめたとき、彼は急に酔いがさめて、子供のように泣き叫び出した。そこで、ウイレ先生は、彼の襟首をつかんで、別室へ引き立てて行った。一言も言わないで。バタンと戸をしめた。『酔っぱらいの豚め……』と、先生は唸った。

『ここは静かにしていなくちゃならないんですよ。』明け方に、女の子が生れて来た。しかし、お医者さんは、まだその家を辞さないうちに、すでに母親が両肺とも重い肺炎にかかっていることを確認することができた。そこで、今や本当に電報を打って姑を呼び寄せた。熱は、どんどん昇った。

そして三日目に、若い母親は死んだ。心臓がそれ以上持たなかったのだ。憐れな心臓……今までに、それが何に堪えて来なければならなかったかを、誰が推量することができようか……

夫の監督は、もはやそのベッドを離れなかった。髮をかきむしり、そして非常に優しい言葉をもって、亡き妻に向って、どうかただ一瞥を――ただ一言を――と乞い求めた。そしてあまつさえ、苦悩に満ちて祈りはじめたのであった。遅すぎた!

愚かな母親、それは娘を守れず、天主を試みることにほかなりません!

2020年11月03日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」23章 常に繰り返される一つの歌、悩みの歌をご紹介します

我が子を危険のなかに送り込んで、守護の天使に祈っても、天主の正義によりそれは叶わないということの実例です。愚かな母親は、賢明な父親の忠告をきかずに娘を守ることができませんでした。単純で真直ぐで正しい父親の忠告はまさに家庭の王イエズス・キリストの忠告でもあったのですね!

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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『マルガレーテさん。』 郵便局の窓口にいたその娘は、驚いて耳をそばだてた。郵便局長が、 彼女に、そのように姓ではなく名を呼んで、話しかけたことは、これまでにないことであった。局長は、いつも非常に形式張って固苦しかった。――『あんたは、今晚、僕と一緒に町へ行きませんか。僕は芝居の切符を二枚持っているんです。ところが、きょうは、家内は都合が悪いんです。女というものは、妊娠すると、そうなるんですね……』

町へ! 劇場へ……長い間の熱烈な憧れ! まだ劇場へ行ったことがなく、それをただ聞いたり、読んだりして知っているに過ぎない若い娘にとつては、そういうところには、一体、どんなあらゆるものがあると思えるのであろうか。素晴らしい幻像が電光のような速さで、そびえ立った。戦争前の幾年間というものは、小さな村の娘たちは、独りでそんな探検旅行をあえてしようとはしなかった。

マルガレーテの家には、一緒に行く人は誰もいなかった。父母は、静かに暮していたかった。恐らくまた、そんな新しい事物に対しては、あまりにも不安な感じがしたのであろう。弟や妹は、まだ小さすぎた。――彼女は、ただもう一緒に行きたくて堪らなかったので、大喜びで、はいと言った。これが一つの運命になるか知れないという考えは、全然、彼女には起らなかった……それは、一つの譲歩であったということ――および、乙女が、生存のための戦いにおいて、道德的に身を守るために絶対に必要とするところの「人格的自由」を失う最初の譲歩であるということを。――

昼食のとき、マルガレーテは言った。『私は今晚、郵便局長さんと一緒に町へ芝居を見に行くんです、局長さんが私を招待して下さったの、奧さんはきょうは都合が悪いというんで……』
『それやお前、いけないよ。』 と父親が答えた。彼は昔風の正直な職人気質(かたぎ)の指物師である。『娘というものは、贈物をもらってはいけないんだよ。芝居の切符だってそうだ。きょう昼行ってから、こう言いなさい、御招待下さって有難うございますが、お断わりせねばなりません、と。』

悲しげに、娘は頭をうな垂れた。ところが、母親が口をさしはさんだ。
『あんた、お願いですよ! もし局長さんの御機嫌を損じたら、娘は首になるかも知れませんよ。いつか、町からわざわざ一人の女を雇おうとしたことがあったのを、あなたはもう忘れたのですか? この村の娘たちは、まだ殆んど自由を認められていなかったので、あの頃、言われたことには……』



『何ももらっちゃいけない。』と父親は、頑固に言いはった。『もらうと、義理が出来る。今度の場合は、恩返しができないんだから、それこそ二重に不愉快なんだよ。』

『そんなに昔風にしないで、娘を喜ばしてやりなさいね。』と母親は弁護した。『今日では、もうそのことを、そんなに生真面目に取る人はありませんよ。郵便局長さんは、結婚していらっしゃるのです。局長さんが、いま持っていらっしゃる切符を無駄になさる代りに、娘を連れて行って下さっても、それは局長さんにとっては別に何ということもないでしょう……』

『結婚していようが、いまいが……全く同じことだ。娘よ、このことを決して忘れないように、よく覚えておきなさい、人は何ももらってはいけない、と。全く何も。人に支払ってもらってはいけない。汽車の切符でも、コーヒー代でも……お前がこのことを知らないために、行きますと、もう言ってしまったのなら、仕方がない、ぜひ一緒に行きなさい。 だが、将来のために、このことをよく心に銘じて置きなさい。そして、もしお前たちが今晚、飲食店にはいるようなことがあっても、支払ってもらってはいけないよ。卒直に言いなさい、私は自分で払いますと。そして、この次にまた招待されたら、お礼を言って断ってしまいなさい。』

『まあ、あんた、何を言うんです。相手は局長さんですよ。私は、ほんとにあんたの気持が知れませんよ。あの娘が、大変上役の気に入っていることを喜びなさいよ。あのお方は、部下を昇進させる権力を握っていらっしゃるんですよ。ほかの親なら喜ぶだろうに……』

『よその家庭を御覧よ、お母さん。きょうまでに工場の事務所に務めていた十人の娘のうち、もう三人が私生児の母となっているのだよ。これは、「娘たちが、大変気に入られている」ということから来たことなんだ。残念ながら、以前とは経済事情が変わった。しかし、だからといって、昔からの賢いことまでが、変わるものではない。我々は、悪魔に小指をさし出すような危険なことは、してはならないよ。それどころか、誤ちの機会が大きければ大きいだけ、それだけ娘は、自分の廻りに砦(とりで)を高く築かねばならないんだよ……』

しかし、母と娘は、ついに勝利を占めた。マルガレーテは、日曜日の晴着を着、そしてサンドウィッチを持って出て行った。彼女は郵便局の窓口を閉めた後、すぐ駅へ行かねばならなかった。
『よく楽しんでお出でよ、お前!』と母親が言った。
『お父さんは、私の喜びにけちをつけたのよ……』
『お前知っての通り、お父さんは旧式な人なんだからね。今日では全く世の中のことは、いろいろ変わって来ているんだよ。そして、人は、時代と一緒に進んで行かねばならないものだね。』

その憐れむべき母親は、自分の娘の成功を非常に誇っていたので、そのことを私に話して聞かせた。
私は、その父親の意見の正しいことを主張しようと試みた。しかし、それは失敗した。
『そんなことは、私の娘に限ってありませんよ! あんたは一体、何を考えていらっしゃるの……それに、相手は郵便局長さんですよ、結婚なさったお方ですよ……よくお考えなさいな!』

その夜、父親の指物師は、駅で終列車を待っていて娘を迎えた。郵便局長は、驚いて機嫌を悪くした。マルガレーテは、満足しきって輝いていた。

このようにして人生の中に初めて巣立って行った若い娘が、そういう気持になったことは、よく判る。彼女は、その晩、非常に多くの新しいものを一度に経験したので、もはやそれを全部思い出すことはできなかった。父親の戒めは、もちろん全部、忘れてしまっていた。人は、時代と一緒に進んでゆかねばならないよと、お母さんもほんとに言ったのだ……



『あんたは、今夜は、僕のお客さんですよ。』と郵便局長は言った。彼は、汽車の切符を買い……そして当時一般に行われていた観劇客の悪習にならって、チョコレート菓子を買い……それから、なおブドー酒を飲んだ……時代はまさに変わり、そして父親は旧式になったのだ。
その翌朝、郵便局のマルガレーテの席には、チョコレートが一枚置いてあった。『きのうの残りですよ。』と局長は言った。『あなたのお父さんは、いつもあなたのことを心配していらっしゃるんですか? 全く敬服ですね! しかし、今日では、生活は変って来たのです。古いお方は、変わった時代の中では、もう勝手がよく判らないのですよ……』

三日後、彼は彼女の方に菓子を一箱押しやって、『これで一日中、あまり退屈しないように。』と言った。その際、彼は彼女に非常に接近して、彼女の手をそっと撫でることができるような段取りにすることを知っていた。小さな御機嫌取り……小さな愛撫……厚かましさ……もし、それに触れると、無邪気さが葬り去られるところの縄(なわ)が、どのように綯(な)われているかということを、誰が知らないであろうか……

それなのに、その娘は、一たび誤った道に第一歩を踏み出した後、見かけ上の幸福のために、非常に心を奪われていたので、いかに男女の境界線が、おもむろに、いよいよ遠くへ押しやられ、そして消滅してしまったかということに気がつかなかった。――

『お母さん、わたし今夜、音楽会へ行けるといくんだけど。でも、お父さんが……お母さんは、よく判っていて下さるんだけれどもね……』
二週間後には、こういう調子であった。
『お前、多分お断わりはしなかっただろうね?』
『そうよ、局長さんに向っては、断われないわ。私がはじめに一緒に行って、そしてあのお方がとても親切にして下った後ではね――もし断わると、ほんとに侮辱だと思うわ。』
『お父さんには、こう言っておいていいだろうね、 お前はあるお友達のところへ行きました――なぜなら、クリスマスが近づいたのだからって……』父親が、そんなに分らず屋であるなら、どうしたらいんだろうか? と母親は、自己弁護をした。世間の人のするようにしておれば、どんな場合でも、うまい具合に行くものだと……

二人だけでの楽しみは、お定(きま)りのこととなった。交際はますます濃やかな形をとっていった。御機嫌取りはますます大きくなった。 新しい財布だの、絹のブラウスだの……母親は、それらの品物は、自分が調達してやったものだということにして、家庭でのごたごたが起らないようにした。もう娘にとって、そういうものが、似つかわしくなって来たからには、娘にもそれを当てがってやらねばならないと母親は言った。ああ、その母親は、娘が大へん局長の気に入っていることを非常に誇りとしていたのである!……

※イメージ図です

二月に郵便局長は、誕生日を迎えた。『マルガレーテさん、誕生日のキッスをして頂けないでしょうかね?』娘は当惑した。警戒心が起った、電光のように速く――父の姿が。お父さんは、何と言うだろうか? しかし、彼女はそんな小さな害のない願いを断わることはできなかった。――そんなに親切にしていただいた後は……? 何がまたそこに潜んでいるであろうか。――

『なるほど、僕は結婚した男です。しかし、そこには本当に何もないのです。僕は、いつもあなたに親切ではなかったですか? ですから、いま僕もまた、あなたが少し僕によくして下さることを一度見せていただきたいんです、そう、小さな誕生日のキッスを……』

黄金の鎖――それは、どんなに堅く縛りつけることか……
それは、誕生日のちょっとしたキッスだけに止まっていなかった。いな、それからは、さらに敬意を表わすキッスが要求された。しかし、そこには一体、何があるか? 間もなく、キッスは、每日の勤務上の義務となった。そして……然り、そして――

ある晩、彼らは町へ行ったが、もう劇場へは、はいらずにヴァライエティーへ行った。そこでは、いろいろな刺戟的なものがあった。多かれ少なかれ、ただ一つしか意味のないものが。半裸体の女が、現われて踊った。二人は、強い酒を飲んだ――終列車に乗りおくれた。そこで、その娘は大へん昂奮した。お父さん! もし彼女が家に帰らなかったなら、どうなることであろうか? 停車場で彼らは自動車を拾った。村へ車を走らす途中、郵便局長は、興奮、アルコール、目覚めた官能を利用して、最後のものへの大胆な攻撃を敢行した。そして多くの抵抗なしに勝った。何が一体あったのかということは、もはや全然、娘の意識に上らなかった。――

翌朝、マルガレーテは、しかし、相当な二日酔を押して出勤した。『僕たちは、きょうは、少し長く働かねばなりませんよ、』と局長は言った。そして午後おそく、強い赤ブドー酒をお八つに出した。
『マルガレーテさん、きょうは大へん顔色がよくないですね。 赤ブドー酒を沢山飲まねばいけません。さもないと、具合が悪くなっても、僕は責任を負いませんよ……』

なるほど、その通りに彼らは、 窓口を閉めた後、一緒に居残っていたが、食事はしなかった。娘は、涙を抑えようと努めた。『マルガレーテさん、いま僕は、あなたが僕を愛していることを知っています。きのう、あなたはそれを僕に示して下さったのです。僕の結婚は、あまりにも不幸でした……家内は、全然僕に適していません……僕を全然理解しないんです。もしあなたと一緒になれたら、どんなに幸福になれるでしょう! そうすると、生活は全く違ったものとなるでしょう。』

もうすでに、いかに多くの娘たちが、この鳥黐(とりもち)の上に足を踏み入れたことであろうか!
もちろん、局長は、離婚しようと思った。そうすれば、道は新しい幸福に向って自由に開けるわけであった。もっとも、当分の間は、彼らは結婚せずに、ただ愛し合っていなければならないのであったが。しかし、この相愛は、今はもはや変更することのできないものであった。彼らは、互いに相手のものとなっていた……

『リスベートさん、男というものは、よくも美しいことがしゃべれるものですね。それなのに、私たちは馬鹿で、それを信じこむんですね。そしてそれは、全くその通りだと考えるんですね…… あの人は、いまお前を掌中に握っている……お前は、あの人にしっかりすがっていようとする以外には、もうどうすることもできないのだ、とね。人間は実に馬鹿なもので、もし自分で愛を感じるなら、その愛を信じこんでしまって……心変わりすることなんか、考えることができないんですね……』

産褥で、私は彼女から、その「人生の懺悔」を聞いた。しかし、残念ながらその懺悔は、この種類の唯一のものではない。それは、常に繰り返される一つの歌である、誤った道に第一歩を踏み出した悩みの歌である……

郵便局長は、転任を命ぜられた。女の郵便助手は、局内での妊娠が知れわたったとき、免職となった。今や、その娘の母親は手を揉み、髮をかきむしった。『何という不名誉! 信仰が、ぐらついて来る。每日、私は娘の守護の天使にお祈りしたのに! 每晚! それなのに、今この恥辱……』と、母親は私のところで嘆き悲しんだ。

『目を覚まし、そして祈れ、と救い主は、おっしゃいました。キリストは、目覚めることを第一位に置かれましたが、それは何故かということを御存知だからでした。あんたがなさったように、お子さんを危険の真中に送りこむということは、天主を試みることです。このような瞞着(まんちゃく)【ごまかし】を、救い主は、お護り下さるわけには行きません……』

母親は、娘を家から出そうとした。しかし、父親が執りなした。 いつもと同じように、彼は単純で、真直ぐで、正しかった。『お前に責任があるんだ、』と彼は妻に言った。『だから、お前は、今お前のやり方の結果を引きうけたらいいだろう。』

郵便局長は、もちろん、真面目に結婚しようという気は毛頭なかった。以前その家にいた女中も、局長の子供を一人生んだことがあるということを知ったとき、父親はきっぱりと一切の関係を断ち切った。

なるほど、彼の娘は、一度その自由を売った――しかし、局長のような人間の屑に対して娘がそうしたことは、父親としては、今なお勿体なさ過ぎたことに思われたであろう。――
数年後に、世界戦争が勃発したとき、マルガレーテは再び郵便局に雇われた。そして今や自分で子供の世話をすることができるのである。

偉大な母、偉大な息子、偉大な夫、偉大な妻

2020年10月30日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」13章「この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。」をご紹介します

カトリックの家庭は、家庭の王をイエズス・キリストとして、家長である父親は家族を愛し、善に向かわせ、家族は家長である父親を敬い愛し従うはずではなかったでしょうか?両親は生まれた子供を天主へ善へ向かわせるために、教育をする義務がありますが、もしもそれを怠った場合に悲劇が起こりうることを教えているのではないでしょうか?

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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子供のころから、節制を実行し、寛大であること、賢明に純潔を守ることは、天主に助けを祈り求めることで可能になるのですね。それを子供に教える母親の大切さを感じます。お互いを隠れて助け合う、いたわりあう良き夫婦のお話です。彼らの賢明な忍耐力は謙遜な祈りによって得られます。悲劇は遠ざかり、天主から祝福された、家庭の本当の幸福が訪れるのですね。

「助産婦の手記」13章  「この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。」

『小さな幼いキリスト様が、私のところへお出でになるんですよ。リスベートさん! どうか、その時のために、忘れないように私のことを書きつけて置いて下さい!』 と、或る土曜日のこと、私がちょうど校舎を自転車に乗って通り過ぎたとき、教頭の奥さんが私に呼びかけた。

私は自転車から飛びおりて、庭の垣根のところにいる彼女のもとへ行った。私が世紀の変り目に、一台の自転車を買い求めたことは、この村での最先端を行ったものである。この村の女で自転車に乗ったのは、私が初めてだった。初めのうちは、子供も大人も、すべての人々が道に立ちどまって私を眺めた。あたかも私が、時々村を引っぱられて通る歳の市の駱駝か、踊りを仕込まれた熊ででもあるかのように。男たちは、もうよほど以前から、自転車に乗って他所から工場に通っている。『今日では、もう我々の村にないようなものはないね、』と人々はからかった。『今に赤ちゃんは、自転車に乗っかって生れて来るよ。』



そんなことは、私には何ともなかった。他人が、このことを面白がるのは勝手だ。私にとっては、この新式な乗物は、非常に実用的だった。私は、時間を大へん節約した、そして必要なところへ早く行くことができた。合理的な事物に関しては、人は、どうして時代と共に進んで行ってはいけないだろうか?

電燈もまた、引き入れられた。ただ、それを全部の人々が使っていたら、どんなによかろうに! とにかく、あの粗末な、悪い臭いのする石油ランプを用いてするよりも、全く違った仕事ができる。実に、赤ちゃんというものは、特に好んで、夜分に生れて来る奇妙な習慣をもっているから。
で私は自転車から飛びおりると、全く驚いて叫んだ。

『それは、ほんとですか、教頭の奥さん?』
『ほんとじゃありません。これは日曜日の冗談なんですよ。宅の主人は、このことをまだ全く知りません。あんたは、もうお家へ帰るんですか? それなら、暫らく内へおはいりになりませんか? コーヒーを一緒に飲みましょう。我々婦人たちは、そんなものは、いつでも用意がありますからね。』

そこで、私は朝の十時半というのに、コーヒーを飲みながらの無駄話をするために、校舎の中にはいりこんだ。一体、私はこういうことは、しない主義にしている。私が一年中、 婦人たちを利用して、お八つを食べていて、人々が私を必要とするときには探し廻らねばならぬ、というような陰口は、私のある一人の同僚に対してならいざ知らず、私に対しては、してもらいたくないのである。とにかく人は好ましい主義に関しても、場合によっては自由に取捨することができるようでなければならない。風呂水と一緒に赤ちゃんを流し捨てるように、何でもかでも捨てしまってはならないのである。もし赤ちゃんの母親が、ある特別な喜びを持つのであるなら、なぜ私も一緒にそれを喜んではいけないであろうか? 私たち助産婦は、ある意味では、すべての赤ちゃんの母である。

お産は、まだやっと七月になってからのことである。しかし、裁縫台の上には、もうその幼いキリストが使うことのできるとても可愛らしい小さな物が載っていた。『お産が近づくまで、とても待っていられないんです。すぐもう今朝から、全部作って置こうと取りかったんですよ……』
『あなたは、もう二回も難産だったのですから、心配しはしませんか?』

『そんなことは考えませんよ! お産のときの母の苦しみぐらい早く忘れてしまうものは、一つもありません。その苦しみは早く過ぎ去ってゆきます。それなのに、赤ちゃんは残っています。その上そんなにちっちゃな物は、全くこの世の中で一番美しいものですね。』
そこで、私は救世主のお言葉を再び思い出した。『女は、その苦しい時間が来たときには悲しむ。しかし、子供を生み終ったときは、女は一人の人間がこの世に生れて来た喜びのために、その悲しみを、もはや思い出さないのである。』と。救世主は、いかによく女というものをお知りになっていたことであろう! 今までもう何度も、私は、そのことを考えざるを得なかった。

『そうです。人は時々、母親たちをどこかへ連れていってしまいたいと思うぐらいです。』
『ウイレ先生は、七ヶ月の終りには、出産を起させることができるだろうと、おっしゃいました。その頃には、もう子供は生きる能力があるそうです。しかし、私はそんなことはしない方がよかろうと思います。もし子供を、あまり早く無理やりに、その温かい小さなベッドから、もぎ離すなら、それは子供に害を与えはしないかと、私は心配なのです。そこで、私は子供に害を加えるよりも、むしろ二三時間のつらい時間を自分で引き受けたいと思うんです! ――多分、子供の一生のために。』

どの社会にも、実に素晴らしい母親がいるものである。教頭のお宅では、いま子供が二人である。一人は八つ、も一人は四つだ。奥さんは、いつも非常な難産で、殆んど止めどもない出血をした。『二三時間』では、それは実際、済まなかった。それは、いつも生死に関し、そして長い病弱がそれに続いた。それなのに、彼女は再びそれを敢えてしようとしているのだ……

『私は、よい夫を持っています、リスベートさん。こんな人は、あまり多くいませんわ。最初の子のとき、医者は言いました。「あまり早く次の子が出来てはいけません。あなたは、奥さんが健康を回復するまで、よくいたわって上げねばなりませんよ。」
「先生の御指定の期間中は、」と主人は直ぐ言いました。お医者さんと主人は、隣りの部屋にいました。そして私が寝入っていると信じて、そのことについて自由に腹蔵もなく話し合っていました。
「このことは、あなたのお年で、そんなに若い御結婚では、さぞや、つらいことでしょう。しかし、そうせねばいけないのです。そこで、他の事柄は……」
「先生、その話は止めましよう。私は、そのことを決して妻に要求しないつもりです。ところで、ほかに何か御注意をいただくことはありませんか?」
「そうですね。ニコチンとアルコールは大いに差し控え、肉食は少量にし、強い香辛料は避けるようにされたいものです。そして特にできるだけ気を外らすことです。ほかの事柄に興味を向けてゆくこと、例えば何かの試験のために勉強するとか、音楽に没頭するとか、そのほか、あなたのお好みになることをすることです。庭の仕事とか、総じて肉体的に疲労させることを、忘れてはいけません。

そして、特に特に、教頭さん、妄想を支配し、そして行きつくところまで行く惧れのある情事は、避けることです。真に断固たる決心を要するような場合には、いささかでも譲歩してはいけません。このようにすれば、より確実に、そして、よりたやすく、目的が達せられます。
ただ正しい全き人だけが、必要な期間中、自分の力を保存し、それを他のエネルギーに転換できるのです。そして、もし我々の力が足りない場合には、力をお与え下さる一人のお方が、なお我々の上にいらっしゃるのです。」

リスベートさん、あなたは非常に沢山のお家へ行かれるんです。そこで、私は、私たちのような結婚生活が、ほかにまだもっとあると思いますし、子供が暫くの間、生れて来てはいけないことが、しばしばあろうと想像できます。ですから、私はあなたにこの話をしたのです。あなたは、それでもって、ほかの人たちを助けてお上げになることができるでしょう。』

『ただ、残念なことには、大抵の人は、すべてを自然のままにして置くべきだと信じており、そして、もしも都合よく行かないと、忽ちあきらめてしまうのです。その人たちは、自分勝手なことをし、自分自身に対して、何の予防策も講じないのです。そして、いと高い所からの力を、もはや信じようとはしないのです。』と私は言った。

『こんな苦しい時代というものは、天主からのお助けがなければ、うまい具合には過ぎて行きませんね。私の宅でも、残念ながら、つらい時がありました。すると、篤と考えて、お互いに言いました。さあ一緒にお祈りしましようと、すると嵐はいつも衰えて行きました。』
『そのことを、人々に再び教え込むことができねばいけませんね。天主の力に対する信仰と、それを求めるための祈りとを。もう何度、私はそのことを考えねばならなかったことでしょう。』と、私はそれに対して言った。

『でも、私たち人間としても、合理的なことをせねばなりませんね。私は、お医者さんの勧めを、こっそり聞き、そしてそれに協力できたことが大変嬉しかったのです。このことは、非常にいいことでした。私は、それを知っていたということは、主人にちっとも言いませんでした。男の人というものは、そのような事柄にしては、非常に敏感で、自分の腹の中を読まれることを好まないのです。主人も、今後どういうようにするということは、私に何も言わなかったのです。

ところが、お産から三週間後に、こう言いました。夜分、君と子供の邪魔になるといけないから、当分のうちまだ別室に寝ることにするよ、と。私は献立表を変え、そして言いました。乳呑児のある母親のためには、野菜を多く、肉を少なくし、そして香辛料はほんの少しにして料理するのがよいのですと。それから私たちは、主人が肥満の傾向があるため、何か作業をせねばならないということを確かめたので、宅の庭にそえて、さらにわずかばかりの庭地を借り受けました。そして私たちは、おのおの相手に気づかれないで、相手を助ける喜びを持ったのでした。

産後、たっぷり一年経ってから、私は医者のところへ行きました。希望に充ち満ちて。しかし、医者は言いました。「いえ、もっとお待ちにならなければいけません。」と。その晩、私は大へん泣きました。「あなたは、私と結婚なさってお気の毒でしたね、」と、私は夫に言いました。「自分の妻から全く何も得られないで――ほかの男の方とは違って。」

「それだからこそ、僕は君を今までと同じように愛するのだよ。君は、本当に自分の健康を、僕によって子供のために、失ったのだ。我々の腕白のために。もし僕が、君だけに子供を持つことに対する償いをさせたとしたら、僕はどんな馬鹿者であろうか! 我々の生活も、子供があるために、非常に豊かで、美しいものじゃなかろうか?」

出産後、三年たってから――とうとう医者は、満足しました。それから一年後に、私たちのマインラードが生れました。その子は、あなた御自身よく御存知です。ところが、私たちは、またもや最初のときと同じことをせねばなりませんでした。それなのに、いま私たちは、三番目の男の子が生れるのを待っているのです……』

幼いキリストは、クリスマスの前夜生れた。今度も非常な難産であった。しかし、生れた。そしてそれは本当に、男の子であった。母親がその子を抱いたとき、彼女は夫に言った。『あなた、四年後には、女の子が生れるに違いないわ。これで私たちも、老後に、支えを持つわけですね。』
『そう、僕の可哀そうなハセール、そうなるのを待つこととしょう。まず何よりも、健康を回復して丈夫になることだね。」



家の外で、医者が言った。『どちらの方が、偉大なのか判らないですね、あなたの自制力か、奥さんの勇気か。』
『そりや、家内の方ですよ、』と教頭が考えもしないで答えた。『私としては、それはあまりつらいことはありませんよ。このことは、私は母から教わったのです。自制、克己――いつもいつも変わることなく。「お前はいつかは一人前の男にならねばならないのですよ、女々しいものになるのではないよ。そしてお前は、そうなることができるにちがいない、フランツ。」

もう三つ四つになったとき、私はこう言われました、「お前、砂糖なしコーヒーを飲まないの? バターのつかないパンを食べないの? 待降節だからね。(または四旬節だからね。) お前は、何度それがやり通せるか、まあ試して御覧。そしてお前がそのようにして節約して貯めたものを、この貧しい病人にやりなさい……」と。

後に、学校時代には、「お前のお金をポケットに入れて、歳の市の仮小屋のところへ、トルコ蜂蜜屋などのところへ行って来なさい。自分のためには何も買わないで、三グロッシェンを、あす、ヤコプか、またはゼップへ贈りなさい。本当の男の子というものは、自分の希望に対して否と言い、そして喜ばしそうな顔をして、口笛を吹くことができねばいけないのだよ。」 と。
母自身も、その通りにして来たのでした。

我々腕白が喧嘩をしたとき、母が言いました。「お前、ミヘルをもう、あすはなぐるんじゃないよ。あれは、ほんとに嫌な悪い子だよ。でも御覧、あの子を正しく教育するものは、あの子の家には誰もいないのだからね。お前は自分のやるべきことをして、あの子には何も手出しをしないようになさい。どんな馬鹿な若者でも、ただワァワァののしり騒ぐことはできるものだ。でも、自分を制することは、遙かにむずかしいものですよ……」

そして、その後も、やはりその通りでした。「娘たちと一緒にぶらつき廻って、みんなと同じようなことをするのは、たやすく、また安っぽいものだよ。そんなことは、一番馬鹿なおしゃれでもできるよ。しかし、いつまでも、お前は純でなければならない。どんな娘に対しても、ちょうどそれがお前の姉妹ででもあるかのように、清いつきあいをなさい――でも、お前が結婚してしまうまでは、どの娘とも愛情が濃やかになってはいけない。お前がいつかは結婚して、ほんとうに健康な、そして十分値打ちのある子供を作ることができるように、お前の父親としての力を濫費してはいけないよ。男というものは、自分自身の信念に従って、自分の道をまっ直ぐに、しっかりと、進んで行くものですよ。意志の弱い人は、無人格なルンペンの大群と一緒に走るようなものですよ……」

御覧下さい、この教育のお蔭で、私の結婚生活が、とにもかくにも、太陽に満ち、そして私たち二人が喜ばしく、幸福であるということを、私は母に感謝しているのです。私は、今日でも、私の希望に対して否ということができるのです。しかし、子供のとき、それを学ばなかった他の人々は、それがどうしてもできないのです。道德的な力を養うこともまた、長くかかる骨の折れる仕事ではありますが、人々に教えこまねばなりません。
このようにして、男の人も純潔を保ち、純潔のままで結婚し、忠実に結婚生活をつづけることができるのです。困難な時代においても――もし、そうしようと思うならば。』

親の義務-教育を怠った悲劇

2020年10月28日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第7章をご紹介します

カトリックの家庭は、家庭の王をイエズス・キリストとして、家長である父親は家族を愛し、善に向かわせ、家族は家長である父親を敬い愛し従うはずではなかったでしょうか?両親は生まれた子供を天主へ善へ向かわせるために、教育をする義務がありますが、もしもそれを怠った場合に悲劇が起こりうることを教えているのではないでしょうか?

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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肉屋のヘルマンの宅では、初めての子が生れるのを待っていた。彼は金持ちであり、しかも腕がよい。そのことは、また誰よりも彼自身がよく知っていた。もっとも、彼の経営方法は、一番評判がよいというわけではなかった。しかし、本当に自由自在に働き廻りたいと思うほどの若者たちは、ヘルマンのところへ行った。業をしていると、時々奇妙なことが起るそうである。

とにかく人々は、どんな種類の家畜でも、そう、死んだのでさえも、ヘルマンのところへ持ち込めば、何とかなることは確かであった。その代り、彼はまた、その腸詰商品を遠方の都会へ送るのであった。腸詰の中には何がはいっているか、判ったものではないと、見習の若い衆が言っていた。

しかし、ヘルマンが金持になったのは、右に述べた一切のことによるのではなく、むしろ彼の手広い家畜売買によるのであった。近所のどこかで、一匹の家畜でも売り出されると、彼はそれに手を出した。東はポーランドから、西は西プロシャまでも、彼は剛毛のある動物、特に豚や、そのほか食用の四足動物の取引をする。この大規模な経営による汚い取引によって、彼はこの村の成金王となったのである。

かようなわけで、この肉屋の親方ヘルマンの宅で、初めての誕生が待ち受けられていたのである。すでに三週間前から、私は毎日その奥さんを見に行かねばならなかった。彼女はまだ一人も子がなかったためであろうか、いつ私を必要とするか、その時期がよく判っていなかった。

バベット婆さんも毎日訪問に来て、お八つのために、腸詰を一本もらっては喜んだ。彼女が、まだしょっちゅう、妊婦たちのところへ行くのは、私にとっては大へん迷惑な話であった。というのは、彼女が私に害を与えるからではない。すでに婦人たち自身が、その憐れな婆さんは、もはやその職業には全く堪えられなくなったことを認めていたのであった。

もう三度も、ヘルマンは、私を夜分に呼びつけた―― もちろん、無駄であった。奥さんは、少しでも具合が良くないと、早くもマテオ聖福音書の最後の章になった。すなわち、もう終りだ、駄目だと信じるのであった。もし、私の見立てが間違っていないとするならば、まだ四週間も間があったのである。

とうとう有難いことには、万事は、いつかは終りになる。ヘルマン奥さんの妊娠も、そうである。すなわち、とうとう、私が五回も夜訪問し、八週間お每日見に行き、二十四時間もその家に留めて置かれたことが三回もあった後に、やっと男の子が生れた。全く正常なお産だった。初産は大抵そうであるように、やや長くかかった。それは全く大騒ぎであった!

ああ実際、もし母親というものが、そのようにして、子供をもうけるのであるなら、私はもう助産婦は止めてしまいたいと思う。そのときの奥さんの有様といったら! ほかの母親なら歯を食いしばって笑うような、少しばかりの陣痛が起ると、もう彼女はわめき散らし――呪った――。彼女が呪いの言葉を発するときには、私は『イエズス・キリストは讃美せられ給え』という祈りを、そんなに早口に唱えることは全くできなかった。

二度、ヘルマンは、医者のところへ走って行った。私は、この夫婦が、家庭医学叢書の中で、一体何を読んだことがあるのか知らない。出産のときの麻酔のこととか、産科鉗子の助けのこととか……? ウイレ先生が見えた。容態を見て――そして帰られた。『自然の成行きを待たないで、必要もないのに手出しをしないことですね』と先生は言われた。『万事好調ですよ。全く結構な正常な状態です! よい具合にゆくよう、お祈りします!』

とうとうお産を終えることができた。その幸福が果して誰にとってか、母親にか、私にか、そのどちらにとって、より大きかったか、私は知らない。父親は嫡男が生れたので、すっかり、はめを外して喜んだ。彼の店の前を通って行った子供たちは、みんな腸詰を一本ずつもらった。王子様がお生れになったのだ!  人々は、カイゼルの誕生日と同じように、それを祝わなければならなかった。――

しかし、この小さな息子は、前に母親がそうだったと全く同じように、泣きわめいた。私は、そんなに良くない子供を取り上げたことは稀であった。あたかも、父母の我儘と憤りとが、全部その子供の中で出会ったかのように思われた。始めからその子は、家庭の暴君であった。日中、その子は寝ようとした。そして夜分には、その子を泣きわめかさないために、女中が抱いて家中をグルグル歩き廻らねばならなかった。私は、それに対して抗議した。

『子供は、合理的に育てるものですよ。この赤ちゃんは、生れながらに、善くない或るものを持っているのですから、早めに従順と自制と秩序の習慣をつけるようになさいよ。』
『とんでもない、子供には我儘をさせなくちゃいけませんよ。以前、人々がやったように、子供の意志を抑えつけるのは、全く誤っていますね。』
『確かに子供は、正しい意志を持たねばなりませんわ。それを、私たちは保護し、伸ばしてやるべきです。でも、我儘と、怒りは、理性的な意志とは、別なものですよ。子供の希望と熱望を、全部無制限に叶えさせていると、ゆくゆくは、子供を刑務所に入れるようなことになりますよ。』
『子供が物心つきさえすれば、自分の不行儀をなおすでしょうよ。私は、子供に教育の自由を与えてやらねばならないんです。子供の人格的個性を保護してやらねばならない……』

こういうような有樣で、理性をもってしては、彼等を説得することはできなかった。彼等は、当世新流行の誤った考え方に陥っているので、私の勧めはすべて無駄であった。ところで、子供の教育ということは、結局、私の仕事ではなく、私にその責任はない。善意の忠告を受け入れようとしない人は、自分自身で後々のことを見なければならない。たぶん私たちは、そんな判りきった愚かしさに対しては、完全に黙っていることができないだけだ――子供たちのために。子供たちは、私たち助産婦にとっては、常に幾分かは、自分の本当の子である。

私の骨折りの報酬として、肉屋の親方は、豚を半分、送ってよこした。私たちは、この脂肪の匂いのする慣れないお礼の品物を、どう処分してよいか殆んど判らなかった。親方は、けちけちしようとしなかった。

約一年後、私がその家の前を通って行ったとき、ヘルマン奥さんは、私にまあお入りなさいと呼びかけた。彼女は、またもや妊娠したと信じこんでいた、そしてまた、その通りであった。そこに、ちょうど、坊やのハインツが部屋のテーブルの真中に坐っていた。母親の大きな鋏(はさみ)を手に持って、自分の玉座の上を、窓に取りすがって、あちこちと歩きながら、花の咲いた草木から葉と花をつみ切っていた。

『まあ、後で皆さんは、そこで昼御飯をお上りになるのに』と私は言わざるを得なかった。
『私、どうしましょう? あの子は窓のところへ行くことができねば、ほかの場所にはどうしても座っていないんですよ……』
私は、その腕白の手から鋏を取り去った。『ヘルマンの奥さん、もしも坊ちゃんがこれで自分の眼を突いたらどうなさるの……』
すると、そのお馬鹿さんは、顔を真赤にし、両手で拳を握り、手足をバタバタさせて泣きわめいたので、全く大騒ぎであった。

『そうだ』と父親は笑った。『この坊主の体の中には、何か潜んでいるんだね。この子は刃物のほかは、何も気に入らないんだ。大きくなれば、きっと……』そして母親は、言い訳をした。『この子は、欲しいものを何でも与えられない限りは、いつまでも泣き叫んでいるんです。どうすることもできません……泣き止めさせるために、何でもやるんです。……この子が物心つきさえすれば、すぐ変わって来るでしよう、まだそんなに小さいんですもの……』

私は、その腕白を、なにも言わずに、少し強くおむつの上からつかんで、その玉座もろとも地上に引き下ろした。『静かにして遊べないの……』そして、その子をジッと見つめた。身動きもせずに、黙ってその子はそこにうずくまり……ホッと深い溜息をし、……このような慣れない取扱いに対して、もはや不平をよう言いもせずに……助けを求めるように、父母の方を見まわした。しかし、彼らもその子と全く同じように、非常に圧せられていたので、どういう処置をとっていいか判らなかった。そしてただ顔を見合せていた。それが驚きであったか、怒りであったか、私は今日になってもまだ判らない。

そして、その腕白がやっと立ち直って、静かに母親のスカートにすがりついたとき、彼女は言った。『あなたは、お子さんがないですからね。そうでなければ、子供をあんな風には取扱えないでしょう。この子は、まだとても小っちゃくて、物事がよく判らないのですよ……』
私はよほど、それでは、そのお子さんは、あなたにお似合いですよ、と言いたかったのであるが、黙って立ち去った。馬鹿につける薬はない。

後に、その腕白の小さな妹が生れたとき、家族たちは、ほかの居間の食卓に坐っていた。『食べたくない!』とハインツが叫んで、スープのはいった皿を高く振り上げて、床へ投げつけた。
父親は笑った。『いつも元気だね、お前! 今じゃお前は、この家ではもう独りではないんだから、男の子の権利を護らねばいけないよ。』ハインツは、椅子から滑りおりた。父親がその子をつかまえようとすると、子供は出て行って、ドアをバタンと閉めて叫んだ。『つかめるかい……』そこで、父親は身をゆすぶって笑った。



彼は、寝室にいる私たちのところに来た。『あれが聞えたかね? あのハインツは、全くどえらい奴だ……』
ああ、実にハインツは、どえらい子であった。そして日増しにひどくなった。彼が街路に現われると、ほかの子供たちは、みんな走り逃げた。あるときは、彼は山羊の車に乗って、小さな動物を殴りまわった。あるときは、一匹の子羊を縄で引きずり殺したため、とうとう憲兵から注意を受けた。
そうかと思うと、彼は、鶏の雛の脚と羽を引き抜いた。『ああ、そんなものは、たかが家畜だ! なぜ子供を喜ばせてやってはいけないのかね?』と老ヘルマンが言った。すべてこれらのことは、最も憎むべき動物虐待であることを、彼の荒んだ感情は、理解できなかった。

ハインツの後から生れて来た二人の妹は、非常に利巧ではあったが、二三年のうちに死んだ。そのために、医者のマルクスが、この家に出入りした。ヘルマンのお宅には、私としては、もはや何の仕事もなかった。『子供が一人しかないということは、いいことだ、面倒なことがなくてよい。』と、ヘルマンは今や言った。

ハインツは、学校へ入学した。彼は強情な、狡猾な校友であって、そのずるい策略の前には、誰も安全ではなかった。もっとも学校では、彼は無法ぶりを公然と発揮するわけには行かなかったので、陰ではそれだけますます狡猾になった。教師は、その子を感化教育に附することを繰り返し提言した。しかして、誰も敢えてヘルマンの御機嫌を損じようとするものはなかった。そのため、それも沙汰止みとなった。

ある献堂記念日の日曜日に、その父親と息子が喧嘩をした。というのは、この十三歳の乱暴な子は、すでに午前中に店の銭箱の有り金をすべて使ってしまったので、彼はお昼に金庫の鍵に手を出した。このことは、流石の老ヘルマンにとっても、あまりにもひどいことに思われた。『この金庫は、わしがこの家の主人である限り、わしのものだ。判ったか!』そこで、その若者は怒って用の斧をつかんで、父に打ちかかった。仕損んじた。

しかし、ヘルマンは、電光に撃たれたように茫然と立っていた。そのとき、彼の眼は一度に開けた。そして同時にまた、抑え難い怒りが、彼をとらえた。始めて彼は、息子をつかまえて殴りつけた。もちろん、我を忘れ、止めどもなく。もしも、母親や職人や下女たちが仲にはいらなかったなら、彼は恐らく息子を殴り殺したであろう。

ヘルマンは、青と黒の打撲傷をつけて、家中を走りまわった。ハインツは、何週間も床に就いた。父親は、思い切った仕打ちをした。しかし、それは遅すぎた。父親のこの突然の変化は、その若者の中に眠っていた復讐心、詭計および粗暴といったようなものを、すべて表面に呼び出したに過ぎなかった。

数ヶ月の後、その息子は、父親を本当に用の斧をもってたたき殺した。狡猾にも、待伏せていた隠れ場から出て来て……
村中は、恐ろしい大騒ぎであった。こんなことは、前代未聞の出来事であった。しかし……しかし……すべての人々は、その父母が自らその禍(わざわい)を呼び起し、そして今その禍が、彼らを打ち砕いたのであるということを見、かつ感じたのであった。近頃は、多くの親たちは、次のように考えるようになった。すなわち、子供の教育は、一つの重要な課題であるということ、そしてそれゆえ親たちは『子供がまあ物心がつくまで……』待っていてはいけないということである。

親たちが、子供に対する誤った教育により、または全く教育しないために、子供を不幸にするのみでなく、自分自身の上にも不幸を招いたという、親の愚かさについて、私などは本を幾冊も書くことができる。以前には、家庭には、まだ或る種の習慣があって、それに従って教育が行われていた。子供たちは、この慣習を見、そしてそれを親から引き継いで来た。

今日では、この教育上の伝統は、その他の多くのものと一緒に、家庭から消え去った、それは一部分は、変化した経済上の事情にも因るのである。今や新しい母親たちは、自分の子供たちをどう取り扱ってよいのか、全く判らぬことがしばしばある。そして彼らの頭の中は、新しい流行語で一杯にはなっているが、何かを始めようとする場合には、この新しいものによるべきか、または、まだ保存されているところの――しかし、彼等のもとからは、消えてしまったところの――旧(ふる)いものによるべきかを知らないのである。結婚する前に、子供の教育に必要な知識を持っているという証明書を要求することは、痛切に必要なことであろう。

母親と父親の小さな生命への愛は、12人目であっても変わらない!

2020年10月09日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第3章をご紹介します

12人目の子供の出産、拷問のような難産の後でもその母親は自分の体を忘れ、生まれたばかりの息をしていない赤ちゃんを見捨てないように懇願します。リスベートはできうる限りの手当てをします。母親以外の誰もが窒息している赤ちゃんを諦めかけたとき、赤ちゃんは息を吹き返します。母親の我が子への愛ゆえに、また家計が苦しくなっても授かった生命を大切にしようとする父親の愛ゆえに、その祈りは天主が聞き入れ給うたのではないでしょうか?
またリスベートは先代の老いた産婆にも寛大です。本物のカトリック信者ですね!

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」3章『リスベートさん、何とか子供の手当を! 私はまだ死んだ子供を生んだことはないんです…この十二人目も生きているに違いありません』

私は、自分のなし遂げたことを非常に誇りながら、日曜日の朝、家へ帰って来た。うちの人たちは、ちょうど揃って朝のコーヒーを飲んでいた。『お前、ほんとにうまくやれたのかね?』……これが母の最初の言葉であった。『そう、もちろんよ、お母さん。しかも、同時に二人なの。男の子と女の子と。』 私たちが一緒に教会へ行ったときには、もうこの噂は、早くも村中に伝わっていた。到るところで、まるで私がその二重の慶びについて責任があるかのように、質問されるやら、からかわれるやらした。

そこで、私は負けていないで、言い返してやった。『これで私が、自分の仕事をよく勉強して来たことが、お判りになったでしょう。あなた方は、まだ半分しか私を信用していらっしゃらないんです。』 こういう具合に、とてもうまくやってのけて、私は味方を作ったのであった。

二、三日後、ブランドホーフの百姓が午前三時頃にやって来た。『おやまあ何でしよう?』と、私の母は、呼リンが夜中に鳴らされたので、 恐ろしさに我を失った。
『ああ、それは私への用事なんでしよう、お母さん、こんな事が起きても、直ちに慣れっこになって下さらなくちゃいけないわ。』 私は、布をまとって、窓から外をのぞいた。
『リスベートさん、一緒に家內のところへ来て下さい。』

まだ夜中であった。空には小さな星が一面に輝いていた。かつてマリア様とヨゼフ樣とが、御誕生の間近い嬰子(みどりご)のために、お宿を探されたとき、ベトレヘムではさぞやこの通りだったに違いないと私は思った。それから私たちが、一緒に歩いて行く道すがら、ブランドホーフの百姓は言った。
『リスベートさん。私は全く不愉快なんですよ――実はバベットさんが、もう来てるんです。それは、こういうわけです。私は子供のマリーを夕方村へやりました、「お前行って、リスベートさんに、来て下さいと言いなさい」と。ところがあの馬鹿者は、バベット婆さんを連れに行ったんです。

で私がそれに気がついて叱りつけると、あの子の言うことには、だって、リスベートさんは、一度に赤ちゃんを二人も家へ持って来るんだもの。あたしたちは、もう一人だけでたくさんだと。……おむつの洗濯や、泣き叫ばれるんで、一人でたくさんだとね。全く、子供にかかっちゃ、とてつもない突飛なことにお目にかかれるというものですよ……』

こんなことが起るのは、私が赤ちゃんを持って来るというような、そんな馬鹿げた事柄を人々が子供たちに話すことから来るのだと私は思う。しかし、私は、百姓に言った。『そうですね、 ブランドホーフさん、でも 助産婦が二人いるということは、まずいですね。ところで、バベットさんは、どんな様子ですか……』

『ああ、あの婆さんは、 ストーヴのそばに坐って、鼠のように寝ていますよ。婆さんが来たときには、全然酒気がなかったようではなかったんですがね。婆さんはまずお八つを食べたが、私のところの新しい果物酒は、よくきくものだから、ストーヴの後ろに寝こんでしまったんですよ。家內は十ぺんも大声で呼ぶし、私もゆすぶったんです――それなのに、婆さんは、一向はっきりしないんですよ。

そこで家內が、こう言いました。ヤコブ、どうかリスベートさんを呼んで来て下さい。あの憐れな婆さんが、あんなに眠りこけているとすると――私は安心して頼っていられないんです。今度はいつもと様子が違うのですから、と。』

『ただ助産料のためだけなら――それは、どんなことをしても。家內は私にとっては、それよりももっと大事なものですからね。』と、その百姓は、考えこんでいる私に言った。『だから、この次の市の立つ日には、子牛を一匹売らなくちゃならない……』――

ブランドホーフのお上さんの言ったことは、残念ながら間違ってはいなかった。今度は、ほんとに、正常の状態ではなかった。胎児は、位置が違っていた。しかし、私がそれに手を出すには遅すぎた。お産はもう非常に進行していたので、何一つ変更できなかった。

『ブランドホーフさん、あなたは医者を呼んで来なくちゃいけませんよ。鉗子分娩をさせるのです、今が一番大事な時です。もっと早く私を呼んで下さればよかったのに。』
『年寄りのウイレ先生は、もう今では夜分には往診しないし、息子さんは旅行中だし。だから、私は、マルクス先生を呼ばなくちゃならない。確かに――あの先生なら雑作なく来てくれるでしょう……』

マルクスは二年前に引越して来た医者である。多くの人の話では、彼は以前刑務所にはいっていたことがあるそうだ。私は当時は、まだそれがどういう事情だか知らなかった。私たちの主任司祭は、私にこう言っておられた。あの医者には、妊婦はもちろん、婦人は一切、かからせてはいけない、と。しかし、生きるか死ぬるかの今としては、私たちは選択の余地が無かった。

医者のマルクスがやって来た。忌々しげに、だらしなく洋服を着て、髮はかきむしったようであり、そして汚い手をしていたので、彼はまず手を洗う必要があった。もし、私が極力そう言わなかったなら、彼は多分洗わなかったであろう。それから彼は、軽蔑したようにジロリと見まわした。

『成程、賢婦人が二人――非常な賢婦人が二人も揃っていらして――鞍褥(くらしき)をよう取り出しもしないで……』【注:鞍褥とは馬具の一つで、鞍(くら)の上、或いは下に敷く布団を指す。ここでは赤ちゃんのことを侮辱して呼んでいる】これが彼の最初の言葉だった。

私は、よほど彼の横っ面を張ってやりたかった。母親が死と取っ組み、子供の命のために闘っているその面前で、そんなことを言えたものであろうか?……とにかく彼の人間全体が、とてもだらしなく見えた。確かに、それは夜分ではあった――しかし、それにしても……私は人間の外観からして、その人の內面を、その心の持ちようを、おしはかるのである――

その百姓のお上さんは、大変に気丈夫ではあったが、しかし苦痛は、これに堪えようとするあらゆる意志よりも、さらに大きかった。百姓と私は、母親が余り激しく身を動揺させて子供と自分自身とを一層危険に陥れることのないように、彼女を支え、抑えつけて置かねばならなかった。そして彼女は、そのように束縛されていると、苦しみは倍になるように見えた。母親のうめきとすすり泣き、拷問にかけられているような体のもだえと揺れること以外には、何のはいる余地もなかった。

私は、後になってたびたびこう思わざるを得なかった。もし若い人たちが、お産のことを破廉恥にも、けがらわしいことのように言うのなら、彼らは一度、この苦痛を自分で経験して見るべきだ!  そうすると彼らは、人間の生れることと、自分の母親とを、違った眼で見るようになるであろうと! 陣痛の嵐が、一つ衰えたかと思うと、またすぐ新しい陣痛が起った。――

引っ張りと足掻き、辛抱、うめきと流血の下で、やっとのことで、子供が母胎から出て来た……引き裂かれ、出血しながら、死んだように疲れ果て、この憐れな女は褥(しとね)に横たわった――。

『どうしようもない……』と、医者の無慈悲な声が、今まで持ちこたえて来た恐怖の沈黙がまだ続いているその部屋の静けさを破ってひびいた。彼は、紫色に曇って恐らく窒息していた子供――女の子――を、ぞんざいに傍らに置いた。

私が素早くその子の上に身を屈めて、緊急洗礼を授けたとき、彼は嘲るようにつけ加えた。『ただ水をブッかければいいんだよ! だが、何にもなりはしない。だから、あんたのナザレトのイエズスを呼んで来なくちゃ駄目だろう、そのお方は死人でも生き返らせるんだから……』

一気に母親は、苦痛も危険も忘れて、褥(しとね)の上に坐った。今なお彼女自身がその中に漂っている危険をも打ち忘れて……

『静かに静かに!』と医者は叫んだ。そして彼女を抑えつけようと試みた。母親は叫んだ。『リスベートさん、何とか子供の手当をしてやって下さい! 取りかかって下さい……よく試して見て下さい……確かにまだ死んではいませんよ。私は、まだ死んだ子供を生んだことはないんです……十一人も生きている子を生んだのです…この十二人目のも、生きているに違いありません……』

『何ですって、十一人も生きたのを! 奥さん、十一人の子供! 気を慰めなさいよ! もうその上、一人もつけ加わらない方がいいでしよう……』

『でも私は、死んだ子供なんか欲しくありません……さあリスベートさん、取りかかって下さい……試して見て下さい……カールのときも、誰でもあの子は死んでいると思ったのですが、ウイレ先生が生き返らせて下さったのです……』

『ですが奥さん、私は医者として鞍褥(くらしき)ばかりは、何とも仕様がないということをよく知っているんですが――それは、もう生きる力はないんですよ。』

『それじゃ、私が出来るだけやって見なくちゃなりません―――どうしても、その子を生き返らせるんです……』私は、次の瞬間には、その母親はベッドから飛び出すだろうと思った。そうすれば、彼女は死んでしまったであろう。
『そのままにして見ていて下さい、奥さん、私が出来るだけのことはしますから……』

多くの期待は、私自身持っていなかった。しかし、私は、そんな場合になし得るかぎりの手当を、子供に加えようと取りかかった。ゆすぶるやら、人工呼吸をさせるやら、温水浴と冷水浴とを交互にやらせるやら……私がかつて助産婦学校で見ていたことを応用した。

『奥さん、まあお聞きなさい、このことについては、また明朝お話をしなけれやなりません。十二人の子供なんて、聞いたことはありませんよ。それはあなたの健康を損なうだけですよ。だから、何か替えなくちゃいけません。あなたが将来この負担からのがれられるのは、ほんのちょっとしたことをすればいいんです。きょうのお産がすんだら、もう二度とこんなことになってはいけませんよ……』

『私の子供を助けて下さい。私は、死んだ子供は欲しくないんです……子供が十三人になろうと、十四人になろうと、私には同じことなんです…』

もう一語も言わずに、医者は器具を取りまとめて、帰って行った。子供に対しては、もはや一顧すら与えなかった。その子は、彼にとっては、もはや片づいてしまったものだった。『死人の蘇らせに御成功を!』と彼は、部屋の戸の下で、私になお呼びかけた。

百姓は、拳を固めた。『あいつに番犬をけしかけてやりたいものだ……ああウイレ若先生がいて下さりさえしたら! あいつは、もう一度、きっと刑務所へ入れられるよ……』

ああ、それはほんとに無駄な骨折りのように思われた。天主様、どうかこのことで、私たちを後で嘲ける喜びを、あの馬鹿者のマルクスに与えないで下さい……どうか、この母親のために、この憐れな母親をお憐れみになって、その子を蘇らせ給え……

私が疲れて止めてしまおうとするたびに、母親の心配に満ちた哀願するような眼が、私を見つめた。彼女は、寝入らなかった……疲れ果ててはいたが。子供のための心配が、彼女を目覚ましていたのであった。子供はまさか死んではいまい……子供は多分……

私は、もう少しのことで、希望を捨てようとした。このとき……ほんとにその小さなものは、呼吸しはじめた……微かで殆んど認め得られないようであるが―――しかし――しかし――私は殆んど私の眼を信用できなかった……突然、一声の叫びが空気を震わした……子供は生きている!

『ああ私の子!』……嬉しげに母親は、子供に腕をさしのべて、キッスをし、祝福した。父親も走り寄って、その小さな奇蹟を見守った。二時間もぶっつづけて苦労した揚句―――もっとも、その間、父親は時々私と交替せねばならなかったが――その子供の生命は、ほんとうに救われたのだ。実は、私自身、医者の言うように、蘇ろうなどとは信じていなかった。ただ母親の願いを拒む気になれなかっただけであった。

医者が再びやって来たとき、彼は、小さい手足を揺り動かしている子供を入れた籠の前で、言葉もなく、つっ立っていた。『信ぜられないね、こんな霊妙な力……』

その当座というものは、私は普段よりも少し鼻を高々としていた。この職業の全く大きな喜びが、私の上にやって来た。お産を助けることが出来るということは、素晴らしいことであった。母と子のために尽くすということは、素晴らしい!

私の仕事の滑り出しもまた、私を非常に元気づけるものであった。また、それがうまく行かないかも知れないなどということは、当時私は少しも考えることはできなかった。『お母さん、わたし産婆だったこと、 とても嬉しいの。古いボ口を縫い合わすのとは丸っきり違うんですもの! 生きた命を保護し、地上の市民を作る手助けをするんですから……』

バベット婆さんは、もちろん、村中を悪口をたたいて廻った。自分があのお産の間中、寝て過ごしたことなどは棚に上げて。もっとも、婆さんがその子供を洗礼に連れて行くことができて、代父と代母から、当時の習慣となっていた贈物をもらったときには、すっかり満足した。

その子の母親は、私がその子をバベットに連れて行かせたことが全く気に入らなかった。私も、実はそうであった。というのは、それは贈物のためではなくて、私は「私の」子供たちと一緒に洗礼に行くのが大好きだったからである。

そうだ、私が教会へ連れて行く赤ちゃんは、つねに幾分かは私の子供である。しかし平和を保つためには、こうしたことも差控えるわけだ。それに、バベット婆さんは憐れな女である。二、三枚のマルク銀貨と洗礼のコーヒーは、彼女を喜ばすのである。



赤ちゃんは天主の使者。愛と尊敬とをもって受け取らなければ!

2020年09月20日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたの小野田神父様のご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第11章をご紹介します

戦時中のドイツ、貧しさゆえに産後すぐでも働かなくてはならない母親たちのために、生まれた乳幼児たちのために、リスベートは工場に授乳室を設置してもらうことに成功します。そして母親たちと乳幼児のためにできる限りの工夫と支援をしました。当時でさえ、母親の授乳率は10人にひとり!美容とエゴと体裁が理由だったようです。リスベートの助産婦としてのモットーは、カトリック信者として、人間として、生命を尊ぶことでした。彼女の職務への忠実さと賢明さは、常に天主と天国に協力を求めていたからではないでしょうか?

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」11章 赤ちゃんは、実に天主の使者である。それはおのおの天主から特別の使命を受けて、この世に生まれて来る。

お産の後、四週間たつと、憐れな母親たちは、また工場に通った。彼女たちは、もしそれに該当する労働禁止規定が、そうすることを妨げなかったなら、もはや二週間後には、勤めに出たであろう。
しかし、それでも、二三日ぐらいは、この禁止令に違反した。夫が失業しているときには、彼女たちは、何をなすべきであろうか? 彼女たちは、大抵、よい女工であったから、工場では喜んで大目に見て、再び就業させた。また労働力の過剰ということも、今日ほどには大きくはなかった。最近、この冬に、私は六人の母親に分娩させたが、彼女たちは直ぐまた工場へ行った。生れた子供たちは、果してどうなるであろうか?

私は、主任司祭とウイレ先生とに、このことについて相談した後、三人一諸に、工場主のところに行って、私たちの切なる願いを述べた。彼は、私が心配していたほど非社会的な人ではなかった。

ところが支配人は、嘲笑的な皺をよせて顔をゆがめた。『どうして愚かな人たちは、そんな子沢山なのだろう? 劣等な人的資源……』しかし工場主は、授乳室を一つ作るよう命じた。そして母親たちは、午前と午後と、三十分ずつ休憩を与えられて、赤ちゃんに乳を飲ませることができた。今は母親たちは、工場に赤ちゃんを連れて行き、授乳室の中に入れておいた。私の妹と、二、三の娘さんたちが、母親たちの就業中、交替で世話をしてやった。また数人の親切な百姓のお上さんたちは、每日ミルクを母親たちの朝食のために、進んで提供してくれた。



私たちは、赤ちゃんのお守りを、バベット婆さんに任せるつもりであった。そこでは、婆さんは、一日中、暖かい部屋にいることができ、しかも工場主は、わずかながら報酬を与えようと思っていた。しかし婆さんは、もはや、その仕事をすることはできなかった。残念ながら、婆さんは、一切合財、飲みつぶして、全くひどい状態になっていた。そして一杯の火酒を買う金もないときには、一日中、泣きわめき、そして、もう十年も経った今日でも、私を罵った――というのは、私が婆さんから、パンを奪いとったというのである。そういう日には、婆さんは、私の家に昼飯を食べにやって来た。奇妙な論法ではある! しかし、私はもちろん、昼飯をいつも喜んで食べさせてやった。

バベット婆さんは、それにもかかわらず、妊婦を不思議によく見る眼を失わずにいた。婆さんは、子供が生れそうなところへは、いつも現われて、お産の手伝いを申し出た。すると、お母さんたちは、婆さんが満足するように、一瓶のブドー酒、一壺の果実酒または火酒を与えた。それゆえ婆さんは、いつも酒を飲むためにやって来たようなものである。こういうことは、この村が、婆さんに、もはや十マルクの定時収入を与えないで、貧民院に入れて、一部屋と薪を割り当ててやってからでも、やはり続けられた。

一人の人間が、誤った道に滑り落ちて行くことは、それ自体、悲しいことではあるが、しかしこのバベット婆さんの場合は、まさに私の仕事をよりたやすくしてくれた。そのわけは、こうである。この村の母親たちの間では、妊娠中に火酒を飲む悪習が残っていた。ある人たちは、大酒をのむとお産が軽くなると言った。そして他の人々は、美しい子が生まれると言った。しかし、その母親たちが、私の教訓と火酒の禁止を、少しも重んじようとしないときには、私はバベット婆さんのことを実例として彼女たちの眼の前に示した。

すなわち、あなた方は、やがてどういうことになろうとしているのか、そして特に、あなた方の子供を何になるように育てようとしているのか、よく考えて御覧なさい。そして居酒屋に入りびたっている父親を持つ子供たちが、全生徒のうちの最劣等のものでないかどうかを、一度、学校の先生に尋ねて御覧なさいと。すると、これは効き目があった。愚鈍な子供を、母親は欲しない。むしろ躾(しつけ)の悪い子供の方を、彼女たちは遙かに遙かに好むのである。
【注:妊娠中にアルコールの影響を受けた治りようもない生まれつきの愚鈍よりも、躾さえ良くすれば良くなる子供の方を好む、ということ。】

さて、授乳時間は、母親たちの授乳の励行を助けた。私が助産婦になった当時は、百人の産婦の中で、自分の子供に授乳したものは、殆んど十人もなかった。バベット婆さんには、授乳のことなどはどうでもよかった。婆さんは、産婦に、したい放題のことをさせていた。そして、その際、口実として利巧なことが言われたのであった。すなわち、授乳をすると、年を取る! 醜くなる! 暇がない!する仕事があまり多くなる! 体裁が悪い! というたぐいである。私は、一人でも母親を説得するまでには、骨の折れることがしばしばあった。

しかし私は一歩も譲らずに、成功するまではベッドから立ち去らなかった。それから、産婦が一たび授乳しはじめると、彼女たちは、間もなく、そうすることが子供のためにも、いかによいものであるかということを認識し、そしてそれをさらにやり続けた。しかし、場合によっては、彼女たちをそうさせるまでには、天国にあるすべての諸聖人の助けをかりねばならないことがたびたびあった。

私たちが授乳室を作ったときには、私はもう十年も助産婦をしていた。時は、経過する――どのようにかは、人は知らない。私は、非常に喜んで助産婦をやって来た。人間は、薔薇の上に寝かされているのではない。このことは、私がこれまでに述べた事件がよく示している。しかし、私はまだそれを仲々述べ終らないのである。私が書き、かつ備忘録を覗いている間に、私はさらにますます何ものかを思い出す。それをさらに、つけ加えねばならない、そしてあのことも。

しかし、何はともあれ、私は助産婦以外の何ものにもなっていなくてよかったと思う。実は、私もかつては、それとは違った考えを持っていたこともあった。しかし赤ちゃんを取り上げて、それを再び母親の腕の中に置くことのできるのは、一つの喜びである。父親が、赤ちゃんを注意深く胸に抱いて、髭だらけのキッスをその小さな顔に圧しつけて、こっそり臆病げに小さな十字を切るときも、そうである。大抵の愚かな父親は、私がそれを確かに見ていないかどうか、まず見まわす! もしも彼等が家庭の司祭として祝福を与えることは、いかに自分たちにふさわしいものであるかということを知っていたなら、そして、たとえ難産であっても、最後によい結果が得られたときには、お助け下さった天なる父の御手に接吻することができるなら、いかによかろうかと思うこともしばしばある。



親が子供を欲しがらないような場合でさえも、私はベッドのそばに坐っているのが楽しいのである。赤ちゃんが、この世に生れて来るときには、誰か多少なりとも愛情をもって挨拶する人がいればよいが。その赤ちゃんに対して、みんなが敵意を持っていなければよいが。

私は、いつもこう思う。赤ちゃんの受胎した時の状態というものは、その子の全生涯を通じて、人々の前に現われるに違いない。しかも、赤ちゃんは、実に天主の使者である。それはおのおの天主から特別の使命を受けて、この世に生まれて来る。父母は、子供がその任務を果すように助けてやらねばならない。ただし天主の使者は愛と尊敬とをもって受け取らねばならない。

少なくとも、私はそうしようと思う。そして、しばしば人は、母の心の中から、埋れた黄金を掘り出すことができる―まさに、そのような時に。すなわち、非常に長い心配な夜と昼には、人は多くのものを人間の心の中に目覚ますことができる。人間の心はこのような場合ほど、そんなに感じ易いことは稀である。そんなに正直で真実なことは稀である。それは、苦痛と心配とのため、私たちが普段、多かれ少なかれ、みんな持っているところの仮装と仮面を忘れ果ててしまうからである。まさにそれゆえに、私たちは、そういうときには、人間の心に、よりよく近づくことができるのである。

父親というものは、それが正しい父親である限り、大抵、バターのように心が全く柔らかである。父親は、母親がお産の時には、自分のために一緒に苦しんでいることを感じる。父母の双方にとっての喜びが――或いは父母の片方のみによって味わわれる喜びが――母親ただひとりによって、激しい苦しみをもって、購(あがな)われなければならぬとは! それゆえ、この時には、正しい夫もまた、妻のために非常に心配する。しばしば母親自身よりも遙かに心配し、昂奮しているのである。それゆえ、私は夫たちを大抵、室外に居らせて置き、そして時々彼等をして母親に何か親切な言葉をかけさせるのである。ところが、もし彼等が、いつも私たちの廻りにいると、彼等はやたらに心配するため、ただ不安と興奮とをまき起すだけである。残念ながら、こういう父親とは全く違った人々もいる。



隣村では、全く新しい一人の助産婦が、他所から引越して来た。ウッツという婦人だ。彼女は、そこの助産婦と激しい競走をし、そして今や、この村の私の領分にまで、はいって来ようと試みた。助産料金は、現在十二マルクであるが、彼女は十マルクでよいと申し出た。それは、ただ人々を獲得するためのものだった。ところが、後で彼女は臨時経費を請求するから、結局、私たちよりも多くの費用がかかることになる。彼女は、幾つかのお産を私から横取りした。しかし、婦人たちが、儲けたと思った喜びは、束の間であった。というのは、その助産婦は、自分に対するサーヴィスを非常に多く要求したので、人々は、やむなく彼女に非常に色んなものを、非常にしばしば運んで出さねばならなかった。それから、揚句のはて、臨時経費が請求された。

春になって私は、補足講習を受けることができた。私は職業に関しては、いつも最高水準を保っていたいと思う。私たちのように、いやしくも人命に関する職業にたずさわっている場合には、自分の知識を広め深めるためには、いくら熱心に努力しても足りるということはない。最近、私がある同僚と会ったとき、彼女はこのことを、いくら嘲笑しても足りないようであった。しかし、私はそんなことは、一向気にしない。どこでも 人間の欠点は現われるものだ。

代わりに、天主が母となりたもうた!

2020年09月09日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
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「助産婦の手記」の第19章をご紹介します

母親の偉大な任務を果たしたことで、代わりに天主が母となられ奇跡がおこりました。
母親の偉大な任務とは何だったのでしょうか? 子供たちを産み、愛ゆえに自分よりも子供の世話をして、愛ゆえに自分の生命と引き換えに我が子をふたり救ったのです。
天主の御摂理のままに、すべてを耐え忍び、天主を信頼したがゆえに、天主は母親の願いをお聞き入れになり、その母親は生きてより、もっと子供のために尽くすことができたのですね。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」19章 神父様『さあ、お前たち、一生涯中、このようなお母さんにふさわしいように、やって行っておくれ。』

聖マリア被昇天の同じ祝日に、私の助産によって、もう一人の大へん心配をかけた赤ちゃんが生れた。村はずれの暗い森の中にある山林住宅の中に、よほど以前から、陰気な心配事が起きた。林務官の奥さんが、病気であった。最初、彼女は腎臓炎であったが、それを大して気にもしなかった。

周知のように、婦人には、二つの種類がある。一つの方は、あまりにも体をいたわり過ぎ、何の理由もないのに頭をうなだれ、そして医者を呼んで来させるのである。も一つの方は、あまりにも自分の健康に注意せず、何事でも真剣に取りあげようとはしない性質の人で、従って、自分がまだ這い回ることができる間は、病気とは思わぬのである。

その林務官の奥さんは、後の種類に属していた。彼女はまた、自分の体を大事にする時間的余裕もなかった。家には、子供が五人いた。長女は十三歲くらいで、普通なら母親の手助けがよくできるはずである。しかし、その子は全く落付きがなく、そそっかしい子だった。『若い頃のお父さんそっくりだ、』 と老人たちは言った。もしその娘が全く落ちつきがなく、どこへでも出しゃばりたがり、 しかもただ単に「私にもやらせて頂戴」ということばかり言って、全く何の役にも立たないなら、そういうことは、それが娘であるだけに、男の子よりも遙かに始末の悪いものである。そんな娘は、ややもすれば、しくじりを仕出かしやすく、そして人の予期しないうちに不幸が起るものである。

家の中では、娘は何の役にも立たなかった。竈(かまど)の前に坐ると、ミルクをこぼしたり、水を入れないで馬鈴薯を煮たりした。コーヒーを家畜小屋へ運んだり、山羊の飼料の入っている鍋をお八つの食卓へ持って来たりした……その娘は一体、何を考えているのか判らなかった!  家から出て行きなさい! と言われると、娘は、村をうろつき廻って、あちこちで何か仕出かす。この娘は、母親にとって最大の心配の種だった。

冬に、編物の授業が遅く終るとか、または、そのほか何かのために村からの帰りがおそくなった場合には、母親は腎臓炎にも拘らず、雨でも雪でも、娘を迎えに行ったことも稀れではなかった。しかし、謝肉祭の頃から、母親は咳をし、発熱しはじめた。肺病も併発した。今としては、医者にかからないわけには行かなかった。

森から行くと、村にとっ付きの最初の家に、医者のマルクスが住んでいた。そこで、林務官は、村の真中まで行かずに、その最寄りの医者を連れて来た。彼は、彼女に妊娠三ヶ月、腎臓炎および肺臓カタルという診断を下した。そして入院を命じた。妊娠は、何よりもまず中絶しなければならぬ、さもないと母体は、お産まで、もたないだろうということであった。



つらい日々が、林務官の家でつづいた。ある夜、子供たちがベッドにはいってから、父と母は向い合って坐っていた。
『今でも私たちは、もう子供が五人あるんですよ。六番目のも、やはりパンと小さなベッドがいります。それはまた大きくなるでしょう。ですから、私たちは、今それを葬ってもらわねばならないですね……』

『それは、赤ちゃんのためにはならないね、お母さん。私はもうそれが可愛ゆく、いとしくなって来ているようだ。でも、もしお前が死ぬとすると? お前が死ぬよりは、赤ちゃんが死ぬ方が、良くはないかね? ほかの子供たちは、どうなることか、そのことを考えて御覧。また赤ちゃんは、お前がいなければ、そう、お母さんなしには、どうすることやら?』

『では、私が死ぬだろう ということが、確かに判っているんですの? もし妊娠中絶をしさえすれば、私は死なないってことが、判っているんですの?  あなた、昨年、あの居酒屋「鹿」で、どういうことが起ったか思い出して下さい。そのときは、当のマルクス先生も、中絶せねばならぬと言ったんですよ。そしてお上さんは、その手術で死んだのですよ。』

『しかし、またうまく行ったこともたびたびあるんだからね。なぜ、お前の場合に限ってうまく行かないということが、あろうか?  私は、マルクスさんが、もう、二三回、妊娠中絶をさせた村の女の人を幾人か知っている。我々男たちが寄り合うと、色んなことを話すんだよ。ぶなの木や兎のことばかりじゃない。ある女は、神経がどうだとか、他のある女は心臓がどうだとか。そうだ、人は好きなことを考えることができるものだ。僕は医者ではないし、責任を負わない。しかし、徹夜でダンスをしたり、心臓や神経でもって、スキーをやったり、手橇(そり)に乗ったりすることのできるぐらいの女なら、辛抱して子供を生むことができると思うがね、もしその気があるなら……』

『あなたは、いつか私たちが一緒に見に行ったあの博覧会のことを覚えていませんか?  胎児は、もう二三ヶ月で、どんなに可愛らしくなっていたか覚えていますか? あすこでは、胎児はあんなに無慈悲に、蛇やひきがえるのように、アルコール漬けにして保存してあったのですが、それでも、それはほんとに小さな人間の子であったということは、どんなにか私たちを悲しませたことだったでしょうか。

二年前にエラ叔母さんが、ここに来て流産したとき、それはどんなにあなたを悲しませたか、覚えていますか?  あの小っちゃいのが、嘆願するかのように、自分の小さな手を動かしていて……それなのに、それはまだあまりにも小さすぎるので、誰も助けることができなかったのですよ。』



『覚えてる。お母さん、よく覚えてる。だが、もしお前が死ぬと何が起きるだろうか? もし、子供が生れても、お前が死ねば子供は、どうなるだろうか? そのときには、子供も、きっと死んでしまうだろう。』

『御覧なさい、ヤコブ、私たちが、そんなことを話していると、私のお腹の子供が、私たちの言葉を聞いて、恐ろしさに、その小さな心臓が停ってしまうような気がするんですよ。また、赤ちゃんがその小さな手を動かして、どうか私を生かして置いて下さい、と願っているようにも思われるのですよ。

赤ちゃんは、こう言っています。あなた方は、もともと私を呼んで生存させたんです。人間の生命というものは、この世では神聖なものではないんですか?  天主の戒めには、汝殺すなかれ、とあるではありませんか?  そしてあなた方は、私のお父さんとお母さんになろうと思ってるのです――私を生命へ目覚ましたのです――そして、私がいま生きていいかどうかについて、イエスかノーか、ただ一言いうことができるだけなのです、と。』

『お母さん、私は決して強いてお前にそれをやらせようとしているのじゃないよ。だが、もしお前が死んだら、子供はどうなるかね? そのときには、子供は、よりよい具合になるかね?』

『それは全く、確かにいい具合になりますよ、ヤコブ。そのときには、あなたは、赤ちゃんの父と母とにならねばなりません。地上の一番みじめな生命でも、無いよりはましです。それは天主の子ですし、天主と天国とのために育てなければなりません。それは洗礼を授けられねばなりません。ああ、私たちは一体、自分自身というものをどんなに重要なものと思っているんでしょう!  どれほど多くの子供が、父も母もないのに、生きていることでしょう。

もし天主が、私をこの世から取り去り給うたなら、天主が孤児の母となられるでしょう。そして私は永遠の彼方から、私が今このように、あなたのそばにいるよりも、多分もっとあなたのために尽くすことができるでしょう。ああ、全く私たちは、何事も私たちなしにはやって行けないと、いつも信じているんです。しかし、天主はそのお創りになった天地を統べることがおできになるし、またそうするためには、私たちの一人ぐらい何の必要ともなされないのです……』

日曜日の御ミサの後で、林務官は妻と一緒に、ウイレ先生のところへ行った。詳しい診察の後、医者は、体をよくよくいたわるよう命じた、すなわち、体力を強めるために、若干の薬剤を、殊に、ミルク、卵、果物をとるようにという処方を与えた。

『あなたは、御自身必要とするものを、自分で調達できますか?  あなたは、物事をあまり軽く見てはいけませんよ、特にあなたの状態では。あなたは、手助けする人を頼むことができますか?  もしできなければ、私はあなたに看護婦を一人、無料で世話してさし上げましょう……私たちは、私たちキリスト信者は、お互いに助け合うために存在しているんです。』

『それには及びません、親戚のものが誰か暫らく来てくれるでしょう、先生――。でも先生は、あのことについては、今まで何もおっしゃいませんでしたが――妊娠中絶をせねばならぬというのは、確かにほんとなのでしょうか?』

『多くの医者たちは、あなたに、このことを第一の救助策としてやらせようとするかも知れません。この赤ちゃんは――いや、すべてどの赤ちゃんでも――母親にとっては、非常に精力を消耗させるものであることは確かです。しかし、また同時に、どの赤ちゃんでも、母親にとっては、力の源泉です。そこには、何か相互関係があるのですが、これについては我々は、まだ仲々よく判っていないので、はっきりした断定を下すのは僭越の沙汰なんです。

ただ私は、こういう見地に立っています。生命を――すべての生命を――保護するということは、医者の神聖な義務である、と。殺さないということは、まさに医者の天職です。外見上、ある人の利益になると思われる場合でも、そうなのです。 そして、もし手術の結果が、どこか体の一局部に限られるのではなくて、心臓、神経、感情など、一切を含む有機体の全部にわたる場合には――私は、そのような手術は妊娠そのものよりも、もっと憂慮すべきものと考えるのです。

そうした考えからして、私は、もし母体に対するさし迫った死の危険が、このことを要求しない限り、中絶の手術をする決心は、ようしないのです。幸いに、こうしたことが起るのは、ごく稀れです。私は、病気の母親の方を手当てして、子供のことは出来る限り心配しないことにしているんです。』

『ですと、先生も、私の家內は子供のために、死ぬだろうと思われるのですか?』

『人間的な判断からすれば、妊娠が終ってしまうまでは、心配は増してゆくでしょう。それからまた、お産のときには、色んな混乱がおこりやすいものです。うまく行くかどうかは、本当をいえば、我々には判断できないんです。まさにこういう方面で、人は最も不思議な驚きを経験できるのです。そこで、お母さん、地上のあらゆる生命は、より高いもの御手の中にあるということをお考えになって、あまり心配しすぎないようになさい。必要なことだけに気を配って、静かに成行きにお任せなさい……』

親戚の或る女が、この家へ手伝いに来た。林務官の奥さんは、その女が、まるで五人の子供の母親であるかのように、よく世話をしてもらった。かようにして冬が過ぎ去った。医者は每週来診したが、その都度、「病気のお母さんが必要とするような何ものか」を持って来てくれた。彼女の健康は、大して悪くはならなかった。春がやって来て、暖かい太陽が森を照らすようになると、彼女の健康状態は快方に向っているかのように思われた。

そしてご昇天の祝日に、男の子が生れた。二三週間早すぎたように私には思われた。しかし、この小さな男の子は、大へん丈夫で、牡鶏と競争してはげしく鳴き立てた。実に、いい具合いに行った。よい看護のお蔭で、母親の健康は、半年前よりは一層よくなった。しかし、まだ赤ちゃんに授乳することは許されなかった。

産後四日目に、親戚の女は、赤ちゃんのために、哺乳器をアルコールの湯わかしの上で温めさせるために、十三歳のベルタを台所にやった。しかし、ベルタは、その仕事にまたもや注意を向けなかった。予期しないうちに、その十三の小さな姉は、焰に近寄りすぎたため火が燃えついた。恐ろしい叫び声を発して、その娘は部屋の中へ走りこんだ。親戚の女は、驚いて身動きができなかった。

しかし、母親は、ベッドから飛び下り、掛蒲団をもって焰を消し止めた。その娘は、大した火傷は負わなかった。ところが、母親は突然、悪寒の発作で、ブルブル慄えたので、歯はギシギシ音を立て、ベッドは一緒に揺れ出した。殆んど止め難い出血が起った。医者が連れて来られぬうちに――私は、ちょうどそのとき、お産のためウンテルワイレルに行っていた――事は既に遅すぎた。驚き、出血、突然に起った心臓衰弱……

三日後には、すでに死の蝋燭がともされた。気丈夫な母親の心臓が、停ったのであった。死骸の前に、父親は赤ちゃんを抱いて跪いた。『お母さんの遺(わす)れ形見たちよ。』と、彼は子供たちに言った。

『小さな弟に生命を与えるために、そして小さな姉を焼け死にから救うために、お前たちのお母さんは、死んだのだよ。ただただお前たちに対する愛から。さあ、お前たち、一生涯中、このようなお母さんにふさわしいように、やって行っておくれ。』

ベルタは、憂鬱な日々を送った。誰も彼女を非難しなかったのではあるが、母親の死んだのは、自分の責任だと、彼女は自ら感じていた。私は、その娘が、さらにまた愚かなことをするのを防ぐために、その娘に長い間、話して聞かさねばならなかった。とにかく、母の遺れ形見の小さな弟が、橋渡しをした。その子供を世話することが、その娘に生き甲斐と、生きる勇気とを取り戻させた。

キリストの十字架像の一角に、母親の肖像が掛っていた。忠実に義務を履行して、彼女は死んだのである。忠実に義務を履行して、今やベルタもまた、母の遺れ形見を保護することを学んだのである。その娘の不注意と軽卒の性質は、あの恐ろしい出来事によって消え去った。十三歳の娘にとっては、五人の小さな兄弟姉妹のいる世帯をやって行くことは、容易なことではなかった。しかし、彼女はそれに成功した。それは、あたかも、永遠の彼方にいる母親が、何本かの糸を手に操(あやつ)り、忠告と行為とをもって、その成功に協力したかのように思われたのである。

その小さな母の遺れ形見のハンスは、今日では年老いた父の若い助手であり、かつ最も忠実な相手となっている。祝福された子供。


童貞なる聖母マリア様の行いに倣った職業

2020年09月05日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第1章をご紹介します

リスベート・ブルゲル(Lisbeth Burger)は三十歳の娘の時に、カトリック司祭の勧めで助産婦となりました。
神父様は助産婦という職業を説明します。童貞マリア様が実践なさった、出産のために母子をお助けするという、いわば天主の助手となる名誉ある職業であると。
リスベート・ブルゲル自身もカトリックであり、助産婦となった四十年間を、助産婦という天職の尊厳性、幼児のしつけ、青年男女の貞操、出産前後の夫婦の心得、夫婦愛などのあらゆる問題をカトリックの教義の視点から書き記しています。

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」1章 神父様『リスベートさん、私はあなたと真面目な話を一寸したいのですが…』

私が三十になろうとした頃、私たちの村で何事かが起った。それが何であつたかは、私は知らない。当時は、そのような事柄の上には、神秘的な厚いヴェールが被いかぶせられていて、未婚の上品な娘と見なされたいと思うものは、誰一人として、このヴェールを取り払おうとあえてするものはなかった。私の知っていることは、ある妊婦がお産のとき死んだということ、そして私たちの村の助産婦に、その責任が負わされたということだけであった。

この助産婦は七十六になるお婆さんで、見たところ体が少々ふるえていた。彼女は自分の子供を十人も育て上げ、しかも数年前までは、一生涯中大酒飲みで仕事は殆んど何一つしないような夫を養わねばならなかった。今では、もうその夫は死んでおり、そして子供たちも家から巣立って、それぞれの道を歩んでいる。この老母の世話をする人は、誰もいない。多くの人たちは、この婆さんも死んだ夫にならって適量以上の酒をたしなんでいるのではないかと知りたがっていた。とにかく、彼女は全く変になって来た。そこへもって来て、今また、一人の母親が死んだその責任を問われるという不運が起ったのであった。こんなことは、彼女としては初めての失策ではなかったであろうが、それ以外の失策は、大目に見のがされて来たに過ぎなかった。

とにかく、この村の医者たちや医監は、誰か新しい若い助産婦が養成されねばならないと非常に強く主張するようになった。隣り村の助産婦は結婚していて、毎年、自分自身で産褥についているというような始末であり、しかも私たちの村でその助産婦に用があるときには大抵そうなのであった。新しい工業がまた開始された結果、私たちの村はますます人口が増えることとなった。そこで婦人たちは、一体誰がこの村の助産婦になろうとするのかと、非常に熱心に話し合っていた。しかし、彼女たちの間からは、この重荷を背負おうとするものを見いだすことはできなかった。

私の父はかつて教員をしていたが、残念なことに、チブスが流行したとき、まだ大変若いのに死んでしまった。で、当時、私の弟は神学校に入っており、そしていつも病身な妹は家にいた。その頃、この村ですることのできる唯一の職業は裁縫だけだったので、私はそれを稽古して、乏しい恩給を補おうとした。しかし、そうしてもわずかに「酸っぱい一切れのパン」が得られるに過ぎなかった。というのは、この村には、もうすでに三人も古い縫手がおり、しかも村の女たちは、何十年も着つづけた衣服をまだ着ているという有様であり、そして普段着は、大抵の女は、自分で作ったからである。仮縫いの四つはぎのスカートや、前掛や肩掛を作るには、大した技術も要らなかった。

さてある日のこと、主任司祭が、私たちの家へお見えになった。神父様は、まるでこの家にお葬らいでもあるかのように、とても厳かな様子に見えた。
『リスベートさん、私はあなたと真面目な話を一寸したいのですが…』

おや、まさか縁談ではあるまいに!と私は思った。私は大分前から熟考したすえ、結婚はすまいと思っていた。しかし、神父様は、私にそう長くは気を揉ませなかった。

『あなたは、この村で新しい助産婦が必要だということを、もう聞いておられるでしよう。で、私はきょう、村会で、助産婦学校にあなたを入れるべきだと言ったのです……』

『まあ、神父様……』これはまさに、私が怖れていたこと以上に、いやなことであつた。私のような娘が助産婦になるなんて……

『費用はいらないんですよ。助産婦学校の学費は、村で負担しますから。で、 この村では、一年に大抵、八十件ぐらいお産があります。しかも、助産料金は、今日では十二マルクですから、大した収入になります――もっとも貧乏な女では、そんな大金は、ちょっと勘定できないでしようが。裁縫では、一杯の薄いスープに塩を入れるほどの稼ぎにもなりますまい。』

『誠に御もっともなお話です、神父様』と、私の母が言葉をさしはさんだ。『でも、私はリスベートをそういう風には育てなかったのです……そうです、全くそうなんです!この娘は、いつまでも、きちんとしていなければなりません!――それなのに、助產婦は、まともな娘のする仕事ではありません。』

『きちんとしたですって、奥さん……きちんとしたというのは、どういうことなんですか? 助産婦は全然きちんとしたものではないとでもおっしゃるのですかね? 御婦人たちを、苦しいお産のときに助けるのですよ。あなた方御婦人は、信賴できるきちんとした人が、そばについていてくれるとしたら、いつもどんなにか心丈夫でしように――それとも違いますか? そして赤ちゃんが生れて来る手助けをするんです! 自分が母親でない御婦人にとっては、お産のときに母子を助け、保護することより以上に、美しい職業は恐らくないでしよう。そして素晴らしく真面目な職業です! いつも母親と子供の二人の人間の生命を握っているんです。もし私が女であって、結婚もせず、子供もないとしたら、これ以上に望ましい、より美しい職業は、よもやほかにはなかろうと思うのですが。』

『でも、それは、まともな娘に適した仕事ではありません。結婚しないうちは、そんな事柄については、何一つ知るべきではありません………』

『ですが、奥さん、お宅のリスベートさんは、もう子供ではありませんよ。間もなく三十になるんです。もし、ほかの人たちのように早く結婚していたら、子供が四人も出来たことでしよう。』

『でも、あの娘はまだ子供がありません――そんな事柄とは、全く無関係なのです。そうです、私は娘がそんな事にたずさわるのには堪えられません……』

『あなたはやたらに、そんな事……そんな事と言いますね。奥さん』と老神父様は、本当に怒り出した。こんなに怒られたことは、珍しい。

『では、正しい結婚で赤ちゃんが生れて来るということは、罪悪だとでもいうのですか? それとも、私たちの天主様は、そういうようにはお定めにならなかったとでも言うのですか? 天主の御業は、善いものです、常に善いものです。悪いのは、ただ人間の考えのみで、従って人間のする業もまた悪いのです。今こそ我々のうちの善人は、天主の全き祝福が与えられるように、助産婦になるべきです。独り身の人は、その職業に一層よく専念することができます。そういう人は、母親としての義務や家事などで束縛されることもないし、殊にお宅のように、ほかに女手があるような場合には、なおさら、そうです。リスベートさんは、全く自由に他人のために働くことができるのです。』

『でも、それはどうしても適していません……』

『それでは、なぜ童貞マリア様は、山を越えて、従姉妹(いとこ)のエリザベト様のところへ行かれましたか?
これは、ただ、何か珍しい噂さ話を持ちこむためだけだったでしょうか? いえ、従姉妹のお産の苦しい時に、お助けしようと思われたからです。で、もしもこのことが、マリア様に――最も純潔な処女に――適していたとするなら、今日でもそれはやはりふさわしいことでしよう。まさに純な人々にとって、純潔な手と純真な心は、そのような責任のある職業に適しているのです。そして、どんな雑事によっても乱されず、また愚かな考えのひそまない明晰な頭脳。そして最後に、沈黙をよく守り、かつ万事において、心を正しく持つ婦德もまた必要なのです。



とにかく、奥さん、私はもう村会で、リスベートさんは勉強に行くと言ってしまったのです。ですから、どうか私を村中の笑いものにして下さいますな。村長はもうすでに、娘さんが十月から授業を受けられるようにするために、助産婦学校へ向けて出発されました。というのは、この村の生活改善は、焦眉の急を要するからです。もし、そうしなければ、また一年経ってしまいます。もし、この間のような事が起ったとしても、あなたは、その責任を負うことは全くできないでしよう。』

『では、もし私の娘が堕落したら、どなたがその責任を負うて下さいますか?』

『私が負います、奥さん。私は、リスベートさんが本当に立派な助産婦になることを保証します――すべての婦人や子供たちを幸福にして――そして助産婦をすることによって、心身に害を受けるというようなことは全くないのです。では、一週間以內に準備をして下さい、分りましたか?』

『はい、でも神父様――私は神父様のおっしゃることは、すべて正しいとかねてから信じています……しかし、私は助産婦というものは、一体何をするものなのか、ちっとも存じませんもの……』

『ああそうですか、それは、赤ちゃんが無事に生れ、そしてお母さんに何の別状もないように手助けすることです。そして赤ちゃんをきちんと整え、世話をすることです――ですが、赤ちゃんは、おむつと一緒に天から降りて来るのじゃありませんよ……』

『でも、私はちっとも知りませんもの、どういうように……どういうように……』

『どういうように何をするかということは、間もなく教わるでしよう。あなたは、在学中いつも一番だったのですから、そんなこともまた解るでしよう。それに、あなたのお母さんが、直きに何か話して下さるでしよう……』

『そんなことは、誰も話しはしませんよ、神父様。私の母もそうでした。』 と、母は言葉短かに言った。そして私は、もう一つ最後の異議をあえて申し述べた――というのは、私は、これから引きずりこんで行かれねばならないその神秘的なものに関して、とても不安で心配でたまらなかったから。

『でも、それは罪悪です――私のような者にとっては……』

『いえいえ、あなたは私のところの「公教要理」の勉強で、そんなことを教わったことはありませんよ!
で、もし、かりにそう教わったとしたなら、あなたを助産婦にならせようなどと私がすると思いますか? 子供が、どのようにして生れて来るかということを知ることは、成長した人なら、誰でもが持つ権利です。天主の御業は、それを理解できる年齢に達した人なら、誰でも知ってよいことです。そして、そういう場合に、手助けをし言わば天主の助手となるということは――一個の人間にとって大きな名誉です。罪というのは、自分の知識をあらゆる不正な事柄に悪用することだけです。このことは、あなたは間もなくよく理解し、区別することができるでしょう。』

私たちは、なお暫らく、あれやこれや話し合った。そして結局母は、どうしても承知しようとはしなかったが――私は一週間後には、助産婦学校へ向けて出発した。母も私も、その土地は不案内であったので、その町出身の教頭の奥さんが、私を連れて行って下さった。

私たち新入生は十四名で、三人ずつ小さな部屋に起居することとなった。そして晚になると、私たちは夕食の食卓を囲んだが、何を話し合ってよいか分らなかった。翌朝、教室で私たちは、アルファベット順に並ばされたので、私は一番目の席についた。校長先生は、この職業の厳粛なことについて一場の講話をされたので、私はすっかり気分が重くなってしまった。すると校長先生は、私にお尋ねになった。

『あなたは、もうお子さんがおありですか?』
まあ……こんなことを尋ねるなんて。一体、私のことを何と思っているんでしょう……全く狼狽して、私はどもった。
『いいえ……私の村の神父さんは、おっしゃいました……子供を持っている必要はないんですと……』
幾たりかが笑った。しかし、校長先生は大変まじめに、断固として言われた。

『全くその通りです。 この職業を正しく理解し、正しく行うには、その必要は全くありません。私は、処女たちが、母と子のために全力をつくして下さるなら、ほんとに嬉しいのです。』

しかし、私たち処女は、わずか三人だけであった。大抵の人は、既婚婦人であり、しかもそのうちの四人は、正式の結婚によらぬ母であった。そこで私の母が、どうして私を助産婦にならせたがらなかったかというわけについて、ほのかな光がごくおもむろに私にさして来た。老校長先生は、私たち三人のために、一般の授業が始まる前に、特別な講義をして下さった。このことについては、私は今日でもなお感謝している。校長先生は、私たちの知らないことを大変はっきり言って下さったので、私たちは、愚か者ながら、後になって、さほど大きな困難には全く会わずにすんだ。

しかし、当時私は、時々こう考えていた。私たち娘が成人した暁には、母親は娘たちをブラブラ遊ばせておくことはよくないことである。正式な結婚をして子供を儲けることは、ほんとに好ましいことであって、このことは、天主様が人間にそうさせるために、新たに霊魂をお造りになり、そしてこれを母親の胎內に宿らせ給うのであるということを考えて見れば判ることであると……

私たちは、昼も夜も一生懸命に勉強しなければならなかった。時は、非常に速く過ぎて行った。当時は、授業期間はわずか五ヶ月であり、それから試験があって、私たちは免許状を授けられた。これよりさき、私の村の村会は、私に最新式の器具を買って帰るようにと依頼して来ていた。そして私は三月の上旬に、ちょうど小さな椋鳥(むくどり)が初めて春のおとずれをするかのように故郷へ帰った。

私の母は、駅に出迎えに来ていた。そして私たちが一緒に村を通って行くと、どこでも好奇心に満ちた眼が庭の後ろからも、窓の中からも覗いていた。婦人たちは、不信な面持ちで。というのは、未婚の娘が、彼女たちの助産婦になろうなどということは、よく了解できなかったことだから。娘たちは、驚いて、彼女たちは、私の新知識をとても羨んだ。子供たちは、無邪気に喜んだ。

『ワーイ、新らしい助産婦さんが来るぞ!』と一人の腕白が友達仲間に叫んだ。『あの人、知ってるかい、どこへ赤ちゃんを持って行くか知ってるかい!』
『違うよ、あの人が持って来るんじゃないよ! こうの鳥が持つて来るんだい!』
『でも、あの人が来て、赤ちゃんをこうの鳥から取らなくちゃならないんだよ……そうしないと、こうの鳥がお母ちゃんの足に噛みつくんだ……』
『ちがうよ、こうの鳥が赤ちゃんをお母ちゃんのところへ持って来て、それからお母ちゃんが、それを黒い袋に入れて家の中に運ぶんだよ……』
幸福な子供の無邪気さよ……

カトリックってすごい! 安産の特効薬!

2020年08月30日 | 生命の美しさ・大切さ
Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの、「助産婦の手記」をご紹介します。
※この転載は、 Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のためアップしております

「助産婦の手記」の第18章をご紹介します
カトリックの教える真理によると、生命は受胎の瞬間に天主により与えられます。その真理に基づくと、この美しい方法を実践できるんですね。
カトリックってすばらしいですね!

以下、Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じたさんの記事を転載させていただきます。
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「助産婦の手記」18章

憐れなシュミット奥さんは、これまで、恐ろしく不幸な目に遭って来た。彼女は、過去数年間に、すでに子供を二人生んだが、いつも難産で、子供は、へその緒の中にもつれ、窒息していた。三人が三人とも。

それはまあどんな母親であることか、誰もそれを述べることができない。あらゆる苦痛、あらゆる困苦、あらゆるものが、結局、無駄であった。あらゆる苦難と苦悩に対する報い、死ぬほどの心配と、死物狂いの勇気に対する報いは――死んでいる子供であった。喜ばしい赤ちゃんの洗礼の代りに、静かな埋葬であった……

さて、今度は、この前のときから五年たっている。憐れな両親は、も一度子供を作ろうという勇気をもはや持っていなかったことは、当然である。しかし、以上のことは、絶え間なく彼等の心を痛め悩ませる。どうして我々に限って? 我々は非常に子供がほしいのであるが、それを恵まれない。それなのに、子供を全然ほしがらない人々が、却って必要以上に子供を得るのである。

さて最近、善良なシュミット奥さんが、私のところへ来て、お産の予定を書きとめさせた。私は、自分の耳を信用できないのであるが、彼女は、『それは多分、復活祭の小兎となって生れて来るでしよう、』と言いはったのである。彼女は、ここ数年来、そんな様子が見られなかったほど、喜ばしそうであった。そして私が、なぜそんな気分転換がおこったのですかと、問ういとまもないうちに、彼女は語った。

『私たちが、も一度お産をやって見ようとすると、あなたは不思議がるでしょうね? どうして、こういうことになったか、お話し致しましょう。宅の主人は、この夏、ある親戚のところへ行って来ました。それは司祭ですが、その人は、私たちをよほど以前から招いていました。しかし、何分にもこんな有様ですから、私たちは、もはや生活に何の喜びも持っていませんでした。

ところが今年になって、私は主人に向って、どうしてもぜひ一度行っていらっしゃいと言いました。もっとも、なるようにしかならないでしようが。もちろん、行ってから、男の方たちは色んなことについて、また私たちが子供のないことについても、話し合ったわけです。すると、その主任司祭は言いました。

「私は今までにずいぶん多くの人たちの助けとなった一つの良い忠告を持ち合わせています。――赤ちゃんは、確かに守護の天使を持っています。受胎のときから、一人一人の赤ちゃんに対して、天主の天使が一人ずつ、その行く末を守るために附けられているのです。いいですか、そこで、毎日、御一緒に守護の天使に安産をお祈りなさい。そして、もしあなた方が正しい信頼心をお持ちでしたら、万事よくなってゆくでしょう。」 と。

その言葉通りに、私たちは、きょうまでして来たのですし、また今後もその通りにするつもりです。ああ、私たちは、今度こそ、天主の天使が連れて来て下さるにちがいない復活祭の小兎のことを、二人で大変喜んでいるのです。』

私は、あまりにも大き過ぎる期待に対して、警告しようとは敢えてしなかった。しかし、もしもそれが失望に終るならば? それはあまり信頼しすぎてはいないか? もちろん、主はこう言われる。『汝等の天使は、常に天にまします父の御顔を眺むるなり。』と。そして他の場合にも、聖書には、こう記してある。『見よ、われ天使を遣わさん、そは天使、汝を伴ない、汝を道すがら守り、而してわれの備えたる場所に汝を導かんためなり。汝、罪を犯さば、かれ汝を赦さじ、而してわが名は、彼のうちに存するなり。されど、もし汝、彼の声を聞き、かつわれの命ずるすべての事を行わば、われは、汝の敵の敵となりて、汝を打つ者をば打たん。而してわが天使は、汝の前を行かん。』

しかし、それにしても……私なら、このような期待を起させることは、とうていできないのであるが。
不安と心配とをもって、私は、彼女の言う復活祭の小兎を待ち入っていた。今度は、私の心労の方が母親のそれよりも遙かに大きかった。

シュミット奧さんは、守護の天使がお助け下さるということを非常に固く信じ、ほかの考えは全く起らなかった。そして私は、それが失望に終らねばよいがと、日夜、心を痛めていた……そうでなければよいが。もし、彼女が今また四度目に赤ちゃんのために身に引き受けた苦難と苦痛とが、すべて無駄になったとするなら、彼女はどうしてそれを堪え忍ぶことができるであろうか……

それから私は、一時間また一時間と、その母親のベッドのそばで待っていた――待ち、かつ祈った。私は骨を折って辛うじて平静を保っていることができた。そして私の周囲には、信頼と期待とが……私は、あまり過度な希望をいだくべきではないというようなことは、一言もよう言わなかった。落胆が大き過ぎないように、用心して置くべきだということについても、一言も……とうとう、赤ちゃんが生れたとき、私は内心の昂奮のため、殆んど手がふるえた……
丈夫な、力強い男の子!

私がこのことを告げる間もないうちに、赤ちゃんが泣きはじめたのは、喜ばしいことであった。幸福そうに、母親は赤ちゃんの方へ手を差し延ばした。そして父親は言った。
『天主の天使が、お助け下さったんですよ。だから我々の子供が生れたのは、誰のお陰かということを決して忘れることのできないように、この子も、天軍の総帥と同じようにミカエルと名づけねばならないね。』

この喜びは、この小さな農家のうちに閉じ込められてはいなかった。それは忽ち道路を上下に、村中に伝わり、また電話を通じて、その親戚の神父さんにまで伝わった。そしてその神父さんは、赤ちゃんの洗礼に来なければならなかった。

きのう、私たちはバベット婆さんのお葬いをした、もちろん貧民法に基づいて。そして私たちは、ちょうど三ヶ月每の会合を開いていたので、私たち同僚は、お婆さんのために追悼ミサを捧げてもらった。お婆さんは、十人の子供を育て上げた――しかし、どこに彼等がいるのか誰も知らなかった。

私たちのきょうの会議には、近在から出て来た一人の同僚も出席していた。彼女は結婚していて、太った男の子が一人ある。一度、その子を連れて来たことがある。この前、会ったときには、彼女は非常に衰弱している様子だった。私は、多分また子供が出来るんだろうと思った、既婚婦人の場合は、そうなるのが常であるから。私たちが夕方、散会したとき、彼女は、こっそりと私のスカートをつかんだ。
『リスベートさん、あなたは、きょう、大へん特別なことをお話しになりましたね。どうか、もう一度、守護の天使をどうするのか、おっしゃって下さい。何を祈らねばならないのか、そして何度といったようなことを。』

『何も一定のことは命ぜられていません。お母さんは誰でもちょうど自分の心にあることを、そのまま祈ればよいのだと思います。まあ、私だったら、守護の天使が実際ここにいて、そしていま私があんたと話しているように、天使とお話をする、という風に考えるでしょうね。』

『私の場合も、事情が同じなんです。最初の子供のときは、 私は三度も切られました。 そして医者は、もうこれ以上子供を生んではいけないと言うのです。ところが、今また妊娠しているんです。何しろ、若くて結婚していればね。しかし流産を起させることは、私はやる気がしないんです。この子は、実際私の子ですし、また生きています。私たちがそれを作った以上、それは生きる権利があるんです。私は、それを殺させることはできません。

私は、いつもこう考えねばならぬのです。もし、いま、私の子供が、小さなベッドに臥して重態であり、そして私が看病せねばならぬとします。そして誰かがやって来て、「もしお前がその子供を看病すると、お前自身が死なねばならぬのだぞ!」と言ったとします。そうすると、どんな母親でも言うでしよう、それでは、私が子供のために、死んでも看病しますと。真の母親なら、子供をほって置いて、私は自分の生命を保たねばなりませんとは、決して言わないでしょう。そこで私も、今お腹の中にいる子供のために、それとは違った考えを抱くことはできないんです…』

『そうですね、胎内にあるのは、全く一人の人間の生命です。それは霊魂を持っており、そしてその霊魂は、天国に入るように定められているんです。天主から授けられた使命を、地上で成しとげねばならないのです。人間はおのおの二度とは生れて来ないと言うじゃありませんか? だから、もし私たちが、ひとりの人間に対して、それが人生へ進み入るのを拒むなら、天主の宇宙計画の中に、一つの星が欠けることになるわけですね。』

『では、私は宅の主人に、「守護の天使の処方」を報告することにしましょう。そして私たちも、それを試すことにしましょう。その処方が、非常な苦難にあっているほかの人たちの場合に、よい結果を得たということが判っているのなら、私たちの心は、非常に軽くなるわけです。』

『でも、助産婦学校の老校長がいつも言っていらっしゃったようにね、「あんた方は、婦人たちをあまり心配させないようになさい。そしてあんた方は、自分で、婦人たちに、どんな心配もかけないよういなさい。まさに、こういう方面で、我々医者は、すでに非常に大きな驚異を経験したのです。そして我々が絶対的確実性をもって言うことのできることは、結局、我々は何も言うことができないということだけです。」』

さてその後、なお二回私たちは会ったが、その同僚は、いつも上機嫌であった。私は、赤ちゃんの洗礼に行く約束をせねばならなかった。それから数週間後に、私は、彼女が分娩するために、上級官庁のある都市の病院に入院したということを聞いた。その病院というのは、彼女がかつて最初の子供を生むとき、手術を受けたところであった。

『なぜ、あんたは、 やっと今頃になって、入院したんですかね?』と主任医師が言った。『あんたは、助産婦のくせに、分娩が不可能な子供は、できるだけ早く取り除かねばならぬということを知らないんですかね?』
『私は、私の子供を最後まで辛抱し拔いて、生みたいんです。』
『今まででも、あんたは 全くよく辛抱し切ったわけですよ――帝王切開か穿孔か――このことを、あんたはあすの朝までに、よく考えていいですよ。』と医者は、ざっと診察した後で言った。『あんたの考えは、宗教的狂信から来ているんですね。』

これに対しては、彼女は何も答えなかった。自分の部屋へ行って、夜食をたべ、それからベッドに身を横たえた。彼女は、特別な考えを持っていた。守護の天使の処方、それはどうしても、その真実であることを証明されねばならない。その上、彼女は、お産は朝までは長びかないだろうと確信していた。それは、彼女の思いちがいではなかった。一時間後には、もう強い陣痛が始まった。最夜中には、事態は重大となった。助産婦と当直の助手とが呼ばれた。助手は、陣痛を強める注射をした。

朝四時頃に、アントンレが全く正常に生れた。代診の医師が、ただ小さな切目をつける必要があっただけであった。
主任医師は、朝の訪問で、その母子を検診したとき、少ならず驚いた。『これは全くあり得べきことではない。』しかし、それは実際起ったのだ。

医者は、あれこれといろいろ尋ねたが、結論に達しなかった。なぜなら、ただ一つの正しい結論、すなわち、ここでは、まさに、他の一つの力が加えられたということ、それを彼は、どうしても引き出すことができなかったのである。その上、彼は自分の学問をあまりにも非常に自慢し自負していたから、なお一つの、より高い叡智と、より強い手とが、彼およびすべての人々を支配しているということを認めることはできなかったのである。助産婦学校の校長先生なら、恐らくそれを無条件に認めたであろう。もっとも、先生もまた――人々の言うように――信心深くはなかったのではあるが。

その同じ日に、私は葉書を受け取った。
『守護の天使の処方は、輝かしくその真実であることを立証されました。私のアントンレおよび私は、心よりの御挨拶をお送り致します。どうか、あなたのすべての同僚の方々へ、そのことをお伝え願います。』

多くの多くの親たちから、私は今日まで、次の意味の報告を受け取った。守護の天使に対するこの信賴に満ちた祈りは、輝かしくその真実を確証されました、正に危険な場合において、さよう、絶望の場合においてさえも、と。そして、今までに、ただの一人の母親も、失望したということを書いて寄こしたものはないのである。

親愛なるお母さんたちよ、天主の神聖な天使のことを、よくお考え下さい。



会いたかった

2018年11月22日 | 生命の美しさ・大切さ
中絶掲示板にあった、中絶したお母さんたちの赤ちゃんへのメッセージ


会いたかった。抱きしめたかった。


あなたがお腹に宿って4ヶ月。
あなたのママになるって分かって
嬉しさと不安、戸惑い色々考えました。

エコー見るたびに大きくなっていて、
必死に心臓を動かしていて親になるんだ
って実感。でも、不安も一緒に大きくなって
18でひとりで育てていく度胸がなかった

弱虫でごめんね。そんな私の元にきてくれて、本当にありがとう。
これからも一生あなたを諦めたこと
後悔します。忘れることはないです。

お願い、また私の元にきて。そしたら
絶対絶対に幸せにするから。

本当にごめんなさい。弱くて身勝手で、
産んであげられなくてごめんなさい。

会いたかった。抱きしめたかった。
かわいいお洋服着せたかった。

できない自分が、自ら選んだ選択が惨めで仕方ないです。



今頃5歳だったんだね

A
歩夢へ
産んでいたら、今頃5歳だったんだね。
1人で歩いている時、歩夢がいたら、一緒に手を繋いで歩くことができてたのかな、って考えることがあります。
本当に身勝手でごめんなさい。

さよならをしてもうすぐ6年経つけど、時が経つにつれて、あなたがいたら…と考えるようになり、本当に自分が嫌になります。
どんどんダメ人間になっている気がして、生きるってどういうことか分からなくなることもあります。

歩夢。私はあなたがお空で笑顔でいてくれることを望みます。
いつもあなたを心に、どうにか生きていくのが私のすべきことだと思います。
大好きだよ。
本当にごめんなさい。

歩夢が私のことをどう思っていようと、私はあなたを忘れないし、心の中で大切にします。


ごめんなさい。

チビたん
ごめんなさい。

何もないよ。
あなたを犠牲にしてまで選んだ道なのに。私は何のためにあなたを犠牲にしたの…。ごめんなさい。

信じてもらえないだろうけど、愛してる。
会いたかった。会いたかった。
弱くてごめんなさい。