ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 6. 偉大な日

2017年08月09日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前


6. 偉大な日

歌ミサが始まり、御聖体拝領の瞬間が近づくにつれ、貧しい私の霊魂に一致しようと、天から降りてきて下さろうとする天主様のご訪問を待ち望んで、私の胸はますます速くドキドキしていました。主任司祭が祭壇からおりてきて、子供たちの列の方に近づき、天使たちのパンを配りました。私は最初に御聖体拝領をする幸運に恵まれました。司祭が祭壇をおりてこようとするとき、あたかも私の心臓は胸から飛び出てしまうかのように感じました。しかし司祭が私の舌に天主のホスチアを授けるや、私はえも言えぬ静けさと深い平和を感じました。
超自然の雰囲気にあまりにも浸りこんでいるのを感じたので、私たちの愛する主の現存が、あたかも私の体の感覚で主を見て主の言葉を聞いたかのように、はっきりと感じとれました。
そこで私は主に祈りをしました。
「主よ、私を聖人にしてください。あなたのためにだけ、私の心を常に清く保ってください。」
その時、私の心の奥底で、私たちの愛する主が次の言葉ではっきりと私におっしゃったようでした。
「今日、おまえに与えられためぐみは、おまえの霊魂に生きて留まり、永遠の命の実を結ぶだろう。」
私は天主の中に姿を変えてしまったかのように思いました。

儀式が終わったのはほぼ午後の1時でした。何故なら遠方から来られた司祭たちの到着が遅れたこと、お説教、洗礼の約束の更新などがあったからです。母は心配して、私が弱って気を失ってしまうのではないか、と案じて、私を探しにやって来ました。

しかし、私はと言うと、天使らのパンであふれ出るほど満たされ、どんな食べ物も食べることができそうにありませんでした。この後、私はこの世の物への興味と関心を失い、たった一人で静かなところにいるときだけ、私は安心して、初聖体の喜びを思いすことが出来ました。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 5. 初聖体を待ち焦がれて

2017年08月08日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前


5. 初聖体を待ち焦がれて

姉たちは私のために白いドレスと花冠を作るために、その夜はずっと起きていました。私といえば、あまり嬉しくて眠ることができませんでした。あたかも時間が全く進まないかのように思われました。私は何度も起き上がって、朝が来たのかとあるいは、もしも姉たちが私に白いドレスや花冠をつけて見たいか、と尋ねてばかりいました。

ついに幸せな日は昇りました。しかし9時になるのは、どれほど長かったことでしょうか!私は白いドレスを着て、姉マリアは私を台所へ連れて行きました。それは、両親に背いた数々の罪を詫び、両親の手に接吻して、祝福を受けるためでした。この後、小さな儀式があり、母は私に最後の忠告をしてくれました。母は私に、

イエズス様が私の心に来られる時、私が何を願わうことを望んでいるかを教えて、こう言って別れました。
「何よりもまず、イエズス様におまえを聖人にしてくれるように願いなさい。」

母の言葉は、私の心に消すことのできない深いものを刻みつけましたので、聖体を拝領して、私が最初に私たちの主に言った言葉はそれでした。母が私に言ったその時の言葉の声のこだまが、今でも聞こえるように感じます。私は姉たちと教会に向かいました。兄は道から来る埃の汚れが私に触らないように、教会まで私を抱いてくれました。教会につくや否や、私はすぐに聖母マリアの祭壇の前へ走って行って跪き、私の願いを繰り返しました。私はそこに留まり、前日の聖母の微笑みを思い出しながら祈っていました。姉たちが私を探してやって来て、私のために決められた場所に連れて行きました。
4列に並んだー男の子が二列、女の子が二列ーたいそう多くの子供たちがいて、教会の入り口から祭壇の御聖体拝領台までずらりと並んでいました。私は一番小さかったので、祭壇のそばの足元にある天使たちの近くにいました。

(続く)

メキシコのビューティー・クィーンは、修道女として天主に身を捧げるために全てを捨てる。

2017年08月05日 | カトリック
「メキシコのビューティー・クィーンは、修道女として天主に身を捧げるために全てを捨てる。」
Reina de belleza mexicana deja todo para entregarse a Dios como religiosa
Por Diego López Marina
からの引用

エスメラルダ・ソリス・ゴンサレス(Esmeralda Solís Gonzáles)は、2016年地元で「ミス・ビューティー・クィーン(Reina de belleza)」に選ばれた20歳の若いメキシコ女性である。「ミス・ハリスコ」に応募する代わりに、2017年3月御聖体のクララ宣教会に入会した。




「もし全世界をもうけても、自分の命を失ったらそれがなんの役にたつだろう。人は、その命をなにととりかえられよう。」(マルコ8:36)

エスメラルダは1997年4月2日にメキシコのハリスコ州バジェ・デ・グァダルーペのカトリックの家庭で生まれた。栄養士の仕事を退職して、今ではモレロス州のクエルウナバカの御聖体のクララ宣教会の修道院にいる。

エスメラルダは「キリストの十字架を受け入れてそれをもっと近くに生きる生活」を望んだ。そのために祈りと愛徳に多くの時間を費やした。

御聖体のクララ宣教会は、1945年、メキシコのクエルナバカで、福者マリア・イネス・テレサ・アリアス(María Inés Teresa Arias, 1904~81)によって創立された。1951年には日本でも創立された。

「本当は日本で創立したかったそうです。イエズス会のペドロ・アルペ神父が、メキシコに行った時、修道女の集まりで、原爆投下された敗戦直後の広島の様子を伝えたといいます。その話に心を打たれた創立者は、修道会が認司されると同時に、日本に4人の会員を派遣しました。ですから、私たちの会では、日本地区は“長女”と呼ばれています」

いまでは、メキシコ、コスタリカ、アルゼンチン、アメリカ合衆国、スペイン、イタリア、アイルランド、ロシア、日本、韓国、インドネシア、シエラ・レオナ、ナイジェリア、ベトナム、インドに修道院がある。

世界で一番高齢の修道女は日本にすんでいる

2017年08月03日 | カトリック
世界で一番高齢の修道女は日本にすんでいる

LLEVA 80 AÑOS DE MISIONERA Y CELEBRA EN JAPÓN SUS 110 AÑOS CON CASTAÑUELAS Y EL «QUE VIVA ESPAÑA»
からの引用

世界で一番高齢の修道女は日本にすんでいる。




スペイン人修道女であるビクトリア・デ・ラ・クルス・ガルシア(Victoria de la Cruz García)は、カトリック礼拝会の会員で、日本の喜多見修道院に住み、2017年6月24日に110歳になった。

イタリア人修道女のカンディーダ・ベラッティ(Candida Bellotti)は、シスター・ビクトリアよりも4ヶ月年上だったが、シスター・カンディーダが2017年5月25日に亡くなると、現在シスター・ビクトリアが世界で一番の高齢の修道女となった。

ビクトリア・デ・ラ・クルス・ガルシア修道女は、1907年にスペインのマラガで生まれ、1936年に来日した。日本のいくつかの学校で働き、複数の修道院の修道院長となった。




Sor Victoria, andaluza, es feliz en Japón: allí vivió la Segunda Guerra Mundial y combatió la trata

Una misionera española en Japón celebra su 110 cumpleaños tocando con castañuelas «Que viva España»


ポルトガルの司教団によるポルトガルの聖母の汚れ無き御心への奉献 1931年5月13日

2017年08月02日 | ファチマの聖母
1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、全国の至る所からコヴァ・ダ・イリヤに来た30万人の巡礼者たちの列席する中で、ポルトガルの全ての司教たちと教皇庁大使の臨席のもと、新しく任命されたリスボンの主席大司教マヌエル・ゴンサルヴェス・セレジェイラ(Manuel Gonçalves Cerejeira)枢機卿は、次の奉献文を公式に読み上げ、自分たちの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。

その結果、ポルトガルは奇跡的な平和と安定とルネッサンスの時代を受けます。ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。それは、世界が享受するであろうものの前触れでした。


カトリック・ルネッサンス
司祭の召命が激烈に急増した。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になった。諸々の修道会の会員も同様に増えた。
カトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示された。

政治的および社会的な改革
カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もあった。アントニオ・サラザールが登場し、政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力した。彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対した。
平和の奇跡
ポルトガルは、隣りで荒れ狂ったスペイン市民戦争(1936-39年)から守られた。ポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れた。

1938年5月13日に聖母の守護に感謝して、聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新した時、セレイェイラ枢機卿はこう確認した。
「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来、天主の特別の祝福がポルトガルの地に下った。特に、最初の奉献後に過ぎ去った2年間を回顧するならば、天主の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせ、守ってくださったことを認めないわけにはいかない。」
教皇ピオ十二世も、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明した。

1939年2月6日、第二次世界大戦の宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアはダ・シルヴァ司教に手紙を書いた。差し迫っている「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」

1940年12月2日にシスター・ルチアは教皇ピオ十二世に手紙を書き、もし各国の司教たちが自分の国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、ポルトガルが受けていた保護を他の国々も受けたであろう、と言った。「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのポルトガルの奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々も、もし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」

聖母がポルトガルのために、この国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎない。




ポルトガルの司教団による
ポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
1931年5月13日

ファチマの聖母よ、御身は、曉に光と希望の夜明けを告げる幸せな明けの星のように、われらが祖国の地に来たり給えり。そは、御身が、ここに憐れみの玉座を打ち立て、かつてカナにて御身が言われたことを全ポルトガルに繰り返して言うためなり。赦しと、平和と、幸せとを見いだすために「わが聖子があなたたちに言うことを全て行え」と。

御身は、三重の称号においてここにお現れになり給うた。すなわちロザリオの聖母、悲しみの聖母、カルメルの聖母なり。

あたかも御身はわれらに、御身のロザリオが黙想させるイエズスの御生涯の神秘をわれらが真似することにおいてはじめて、われらはイエズスの如くなる、また、御身の御苦しみと共に苦しむことにおいてわれらは罪を忌み憎み苦行を愛することを学ばん、また、神秘的なカルメルの山の祈りと償いとにおいてわれらが浄めを得て憐れみを得るべし、とを表さんとの望みなりし。

ロザリオの聖母よ、御身の御心は御身の聖子の聖心の忠実なる写し絵なり。何故なら御身はイエズスの生涯を極めて親密に完璧に生き給うたが故に、御身の御心において救い主はヴェールを取られた御聖体のように輝き出で、御身を通してのみわれらはイエズスへと到達しうるがためなり。

悲しみの聖母よ、御身の御心は悲しみの剣に刺し貫かれ、聖子の全ての苦しみを御心において苦しまれ給うた。そは聖子の御血と御身の涙の支払った値により、われらのために御身が憐れみを得給うてわれらを地獄の火より救わんがためなり。

カルメルの聖母よ、御身の母の御心はご自分の子供を誰一人として忘れ給わず、子らを全て天国へと集めることを望み給う。たとえわれらがすでに忘れ去ってしまった霊魂たち、煉獄の霊魂たち、特にもっとも見捨てられている霊魂たちでさえも。

御血の値によって主の勝ち得た羊たちを聖子の聖名によりて - 御身の名を言うこと無しに言うことができないわれらが祖国すなわちこの「聖マリアの地」において - 司牧せんがために選ばれし牧者たるわれらは、その群れの公式の且つ聖なる代表者として、信仰と愛と信頼の忠孝に満ちた家臣の行為として、ポルトガルの国を御身の汚れなき御心に荘厳に奉献するために、今日、来たり。そは、御身がわれらのか弱き手から御手の中にこれを受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給い、イエズスがそこにおいて、統治し、征服し、支配させたもうためなり。イエズス・キリストの外においては、救いはあらぬがゆえなり。

御身の民の大司祭らは、われらのまわりに恐るべき嵐が起こり、イエズス・キリストの御母なる御身を祝する者らの忠実な信徒らの群れを散らし壊そうとしているのを感じるなり。苦しみのうちにわれらは御身の聖子に懇願の手を延べ、こう叫び奉る。「主よ、助け給え!われらは滅ばんとす!」

司祭的なる童貞女よ、御身、われらと共に立ち上がり給え、そは御身は天主の憐れみ深き聖心に全能の力を持ち給えばなり。御身は、いとも高き天主に全ての誉れと栄光とを与えるために、最も汚れの無きいけにえ、すなわち聖子と御身の涙とを、血を流さずして、天主に捧げ給いたればなり。

おお、われらが聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!東からは恐るべき風が吹き荒(すさ)み、聖子と聖子の御教えに基礎をおく文明とに反対して、この世において、人々の心を騙し、堕落させ、憎しみと革命との火を焚く、死の叫びをもたらすこの重大な時において!キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!

聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!罪の概念を失ってしまってさえいる限度を知らない不道徳の不潔な津波が、聖子の十字架の目の前で、肉の罪を高揚し、更にはイエズスの御聖体における御血に養われた百合のような貞潔の徳を、この世にて窒息させんと脅迫せんとするこの困難の時において!力強き童貞よ、われらのために祈り給え!

聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険がある情欲と疑いのこの時において!ポルトガルの国民を、聖子への従順において、教会への愛において、聖徳の取得において、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!

われらが祖国の守護者よ、ポルトガルは、御身が女のうちにて祝せられ給うを宣言するために、かつて多くの地においてそれを教えたことを覚え給え。ファチマの聖母よ、御身の栄光のためにわれらの祖国がなしたことを思いだし、ポルトガルをイエズスに与えることにより、救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすなり。

O Acto de Consagração

«Nossa Senhora de Fátima, que vos dignastes descer à nossa terra, como a bendita estrela da manhã que anuncia depois da cerração da noite a aurora da luz e da esperança, elevando aqui o vosso trono de misericórdia, para repetir a Portugal inteiro o que dissestes em Caná: ‘Fazei tudo o que o meu Filho vos disser’ a fim de achardes perdão, e paz e felicidade.

Vós que aqui vos manifestastes sob tríplice invocação de Senhora do Rosário, das Dores e do Carmo como se nos quisésseis mostrar que é na imitação dos mistérios da vida de Jesus, que o vosso rosário recorda, que nos tornaremos semelhantes a Ele; e na compaixão das vossas dores que aprenderemos o horror ao pecado e o amor à mortificação; e na oração e na penitência da mística montanha do Carmo que nos purificaremos e alcançaremos a misericórdia.

Senhora do Rosário, cujo coração é a fiel imagem do coração de vosso Filho, pois vivestes tão íntima e perfeitamente a vida de Jesus, que o Salvador brilha no vosso peito como uma Eucaristia sem véus, sendo certo que é por vós que se chega a Jesus.

Senhora das Dores, cujo coração foi trespassado por um gládio de dor, sofrendo nele todos os sofrimentos de vosso Filho, a fim de com o preço do Seu sangue e das vossas lágrimas obterdes misericórdia para nós e nos livrardes do fogo do inferno.

Senhora do Carmo, cujo coração maternal não esquece nenhum dos seus filhos, e anseia por os reunir a todos no Paraíso, mesmo os que nós já esquecemos, aliviando as almas do purgatório, especialmente as mais abandonadas.

Os pastores escolhidos por Vosso Filho para guardarem e apascentarem em seu nome as ovelhas que Ele adquiriu com o Seu sangue, nesta terra de Santa Maria cujo nome não se pode pronunciar sem pronunciar o Vosso, vêm hoje solenemente consagrar-vos, como representantes ungidos e oficiais dos seus rebanhos, a Nação Portuguesa ao Vosso Coração imaculado, num acto de filial vassalagem de fé, amor e confiança a fim de que Vós, tomando-a de nossas mãos frágeis nas Vossas, a defendais e guardeis como coisa própria vossa, fazendo que neles reine, vença e impere Jesus, fora do qual não há salvação.

Nós, os Pontífices do nosso povo, sentimos rugir em torno a procela temerosa, que ameaça dispersar e perder o rebanho fiel dos que vos bendizem por serdes Mãe de Jesus, e aflitos erguemos para o Vosso Filho as mãos suplicantes, gritando-Lhe: Salva-nos, Senhor, que perecemos! Erguei as Vossas connosco, ó Virgem Sacerdote, pois que elas são omnipotentes sobre o Coração misericordioso de Deus, a quem Vós oferecestes a Hóstia pura que dá ao Altíssimo toda a honra, e toda glória: a fim de que se não perca para nós o Sangue e Vosso Filho e as vossas Lágrimas.

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora gravíssima em que sopram do Oriente ventos furiosos que trazem gritos de morte contra Vosso Filho e a cultura fundada sobre os seus ensinamentos, desvairando as inteligências, pervertendo os corações, e inflamando o mundo em chamas de ódio e revolta. - Socorro dos Cristãos, rogai por nós!

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora conturbada em que as vagas imundas duma imoralidade já sem véus, que perdeu até a noção do pecado, pregando diante da Cruz de Vosso Filho a reabilitação da carne, ameaça afogar no mundo o lírio da virtude que se alimenta do Sangue eucarístico de Jesus. - Virgem poderosa, rogai por nós!

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora torva de paixões e de incertezas, em que até os bons correm risco de perder-se...

Uni todos os portugueses na obediência de Vosso Filho, e no amor da Igreja, e no culto da virtude, e no respeito da ordem, e na caridade fraterna. - Rainha da paz, rogai por nós!

Lembrai-vos enfim, ó Padroeira da nossa terra, que Portugal ensinou tantos povos a saudar-vos bendita entre todas as mulheres. Em memória do que fez pela Vossa Glória, salvai-o, Senhora de Fátima, dando-lhe Jesus, em quem ele encontrará a Verdade, e a Vida, e a Paz».


ドミニコ共和国の司教定例総会は堕胎を自然法に反すると非難

2017年08月01日 | プロライフ
ドミニコ共和国では、マスメディアのキャンペーンに反対して、司教たちが堕胎に反対して声明を発表しました。

2017年7月2日から7日まで開かれたドミニコ共和国の司教定例総会の最後に出された書簡で司教たちは堕胎合法化のキャンペーンをするマスコミを厳しく非難しました。

「堕胎のための立法化は、自然法それ自体と共和国憲法とに対立する。[Legislar a favor del aborto va en contra de la misma naturaleza y de la Constitución de la República.] 」と宣言し、いわゆる生まれる前の子供を殺害する「権利」などは存在しないと一致団結して発表しました。

また同時に、立法の責のある議員たちに、「生命と憲法上の秩序とに直接的なやり方で対立するような行為を、私たちの法律に入り込むことを許すのは、重大な誤りである。Sería un grave error dejar entrar en nuestra legislación una acción que vaya directamente en contra de la vida y del orden constitucional.」と警告しました。

ドミニコ共和国の司教たちは、堕胎に好意的な偏った情報を流す傾向にあるマスメディアにも警告を発しました。
「堕胎のプロパガンダをするこれらの人々は、堕胎の非刑罰化により、女性の諸権利と尊厳とが守られ、出産の死亡事故が減少する、と主張し、社会を説得しようとアグレッシブなキャンペーンを見せているが、その主張は真実と対応していない。Estos propagandistas del aborto montan campañas agresivas para convencer a la sociedad de que con la despenalización del aborto se defienden los derechos y la dignidad de la mujer y se reduce la mortalidad materna, cosa que no se corresponde con la verdad.」

司教会議で取り上げられたことは、堕胎だけではありませんでした。その他にも司祭の養成とその養成機関についても話し合われました。

資料
Al concluir nuestra 55ª Asamblea Plenaria, los Obispos de la República Dominicana extendemos un saludo de paz y bendiciones a todos los hombres y mujeres de nuestra sociedad dominicana y especialmente a todos los fieles de nuestras Diócesis. Les agradecemos sus fervientes oraciones. (...)

11. Ante la campaña mediática a favor de la legitimación del aborto, somos conscientes de las presiones políticas, nacionales e internacionales a las que en muchas ocasiones son sometidos nuestros legisladores. Legislar a favor del aborto va en contra de la misma naturaleza y de la Constitución de la República. Sería un grave error dejar entrar en nuestra legislación una acción que vaya directamente en contra de la vida y del orden constitucional.

12. Exhortamos a todos los católicos auténticos y a los hombres y mujeres de buena voluntad, a no dejarse persuadir por los dogmáticos que enfatizan de manera irracional y contra todo principio moral y constitucional la legalización del aborto.
Estos propagandistas del aborto montan campañas agresivas para convencer a la sociedad de que con la despenalización del aborto se defienden los derechos y la dignidad de la mujer y se reduce la mortalidad materna, cosa que no se corresponde con la verdad.

13. Exhortamos encarecidamente a nuestros diputados a ratificar la decisión de la Cámara del Senado para que finalmente podamos tener el Código Penal, pieza jurídica que por años ha estado reclamando la sociedad dominicana.

14. Que la Virgen Santísima, Nuestra Señora de La Altagracia, nos proteja y asista en nuestros esfuerzos por construir el Reino de Dios y nos ayude a consolidar la paz entre todos los hijos e hijas de esta amada República Dominicana.