ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

【お知らせ】 ファチマの聖母に平和を求めるために。聖母行列(明日2018年1月6日)にどうぞご参加ください!

2018年01月03日 | ファチマの聖母
2018年1月6日、正午12時より大阪で、ファチマの聖母行列が行われます。

ファチマの聖母に真の平和を祈り求めるために、

胎児への大戦争を集結させてくださる平和を祈り求めるために、

ファチマの3人の子どもたちに、ファチマの天使が教えてくれた犠牲の精神で、

「イエズス様への愛のため、罪人の回心のため、聖母の汚れ無き御心に加えられる冒涜を償うために!」

どうぞ聖母行列にご参加ください!



↓以下は聖ピオ十世会のトマス小野田神父様からの投稿です。↓

【投稿されたコメント】
2018年1月6日(初土)正午12時より ファチマの聖母行列にご招待いたします。
「天主は平和を聖母に委ねたからです」 (Fr Thomas ONODA)
2018-01-02 17:52:02

アヴェ・マリア・インマクラータ!

「ファチマの聖母の会・プロライフ」の皆様、

新年のお喜びを申し上げます。
いかがお過ごしでしょうか。

聖ピオ十世会日本では、2018年1月6日(初土)正午12時より 大坂で、ファチマの聖母行列を行います。

もしもよろしければ、この聖母行列について皆様にお知らせくだされば幸いに思います。

何故なら「天主は平和を聖母に委ねたからです」(聖ジャシンタ)。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂
(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

聖堂の地図

▼記事のリンク▼
2018年1月6日(初土)正午12時より ファチマの聖母行列にご招待いたします 「天主は平和を聖母に委ねたからです」


ポルトガルの司教団によるポルトガルの聖母の汚れ無き御心への奉献 1931年5月13日

2017年08月02日 | ファチマの聖母
1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、全国の至る所からコヴァ・ダ・イリヤに来た30万人の巡礼者たちの列席する中で、ポルトガルの全ての司教たちと教皇庁大使の臨席のもと、新しく任命されたリスボンの主席大司教マヌエル・ゴンサルヴェス・セレジェイラ(Manuel Gonçalves Cerejeira)枢機卿は、次の奉献文を公式に読み上げ、自分たちの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。

その結果、ポルトガルは奇跡的な平和と安定とルネッサンスの時代を受けます。ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。それは、世界が享受するであろうものの前触れでした。


カトリック・ルネッサンス
司祭の召命が激烈に急増した。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になった。諸々の修道会の会員も同様に増えた。
カトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示された。

政治的および社会的な改革
カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もあった。アントニオ・サラザールが登場し、政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力した。彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対した。
平和の奇跡
ポルトガルは、隣りで荒れ狂ったスペイン市民戦争(1936-39年)から守られた。ポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れた。

1938年5月13日に聖母の守護に感謝して、聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新した時、セレイェイラ枢機卿はこう確認した。
「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来、天主の特別の祝福がポルトガルの地に下った。特に、最初の奉献後に過ぎ去った2年間を回顧するならば、天主の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせ、守ってくださったことを認めないわけにはいかない。」
教皇ピオ十二世も、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明した。

1939年2月6日、第二次世界大戦の宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアはダ・シルヴァ司教に手紙を書いた。差し迫っている「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」

1940年12月2日にシスター・ルチアは教皇ピオ十二世に手紙を書き、もし各国の司教たちが自分の国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、ポルトガルが受けていた保護を他の国々も受けたであろう、と言った。「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのポルトガルの奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々も、もし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」

聖母がポルトガルのために、この国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎない。




ポルトガルの司教団による
ポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
1931年5月13日

ファチマの聖母よ、御身は、曉に光と希望の夜明けを告げる幸せな明けの星のように、われらが祖国の地に来たり給えり。そは、御身が、ここに憐れみの玉座を打ち立て、かつてカナにて御身が言われたことを全ポルトガルに繰り返して言うためなり。赦しと、平和と、幸せとを見いだすために「わが聖子があなたたちに言うことを全て行え」と。

御身は、三重の称号においてここにお現れになり給うた。すなわちロザリオの聖母、悲しみの聖母、カルメルの聖母なり。

あたかも御身はわれらに、御身のロザリオが黙想させるイエズスの御生涯の神秘をわれらが真似することにおいてはじめて、われらはイエズスの如くなる、また、御身の御苦しみと共に苦しむことにおいてわれらは罪を忌み憎み苦行を愛することを学ばん、また、神秘的なカルメルの山の祈りと償いとにおいてわれらが浄めを得て憐れみを得るべし、とを表さんとの望みなりし。

ロザリオの聖母よ、御身の御心は御身の聖子の聖心の忠実なる写し絵なり。何故なら御身はイエズスの生涯を極めて親密に完璧に生き給うたが故に、御身の御心において救い主はヴェールを取られた御聖体のように輝き出で、御身を通してのみわれらはイエズスへと到達しうるがためなり。

悲しみの聖母よ、御身の御心は悲しみの剣に刺し貫かれ、聖子の全ての苦しみを御心において苦しまれ給うた。そは聖子の御血と御身の涙の支払った値により、われらのために御身が憐れみを得給うてわれらを地獄の火より救わんがためなり。

カルメルの聖母よ、御身の母の御心はご自分の子供を誰一人として忘れ給わず、子らを全て天国へと集めることを望み給う。たとえわれらがすでに忘れ去ってしまった霊魂たち、煉獄の霊魂たち、特にもっとも見捨てられている霊魂たちでさえも。

御血の値によって主の勝ち得た羊たちを聖子の聖名によりて - 御身の名を言うこと無しに言うことができないわれらが祖国すなわちこの「聖マリアの地」において - 司牧せんがために選ばれし牧者たるわれらは、その群れの公式の且つ聖なる代表者として、信仰と愛と信頼の忠孝に満ちた家臣の行為として、ポルトガルの国を御身の汚れなき御心に荘厳に奉献するために、今日、来たり。そは、御身がわれらのか弱き手から御手の中にこれを受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給い、イエズスがそこにおいて、統治し、征服し、支配させたもうためなり。イエズス・キリストの外においては、救いはあらぬがゆえなり。

御身の民の大司祭らは、われらのまわりに恐るべき嵐が起こり、イエズス・キリストの御母なる御身を祝する者らの忠実な信徒らの群れを散らし壊そうとしているのを感じるなり。苦しみのうちにわれらは御身の聖子に懇願の手を延べ、こう叫び奉る。「主よ、助け給え!われらは滅ばんとす!」

司祭的なる童貞女よ、御身、われらと共に立ち上がり給え、そは御身は天主の憐れみ深き聖心に全能の力を持ち給えばなり。御身は、いとも高き天主に全ての誉れと栄光とを与えるために、最も汚れの無きいけにえ、すなわち聖子と御身の涙とを、血を流さずして、天主に捧げ給いたればなり。

おお、われらが聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!東からは恐るべき風が吹き荒(すさ)み、聖子と聖子の御教えに基礎をおく文明とに反対して、この世において、人々の心を騙し、堕落させ、憎しみと革命との火を焚く、死の叫びをもたらすこの重大な時において!キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!

聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!罪の概念を失ってしまってさえいる限度を知らない不道徳の不潔な津波が、聖子の十字架の目の前で、肉の罪を高揚し、更にはイエズスの御聖体における御血に養われた百合のような貞潔の徳を、この世にて窒息させんと脅迫せんとするこの困難の時において!力強き童貞よ、われらのために祈り給え!

聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険がある情欲と疑いのこの時において!ポルトガルの国民を、聖子への従順において、教会への愛において、聖徳の取得において、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!

われらが祖国の守護者よ、ポルトガルは、御身が女のうちにて祝せられ給うを宣言するために、かつて多くの地においてそれを教えたことを覚え給え。ファチマの聖母よ、御身の栄光のためにわれらの祖国がなしたことを思いだし、ポルトガルをイエズスに与えることにより、救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすなり。

O Acto de Consagração

«Nossa Senhora de Fátima, que vos dignastes descer à nossa terra, como a bendita estrela da manhã que anuncia depois da cerração da noite a aurora da luz e da esperança, elevando aqui o vosso trono de misericórdia, para repetir a Portugal inteiro o que dissestes em Caná: ‘Fazei tudo o que o meu Filho vos disser’ a fim de achardes perdão, e paz e felicidade.

Vós que aqui vos manifestastes sob tríplice invocação de Senhora do Rosário, das Dores e do Carmo como se nos quisésseis mostrar que é na imitação dos mistérios da vida de Jesus, que o vosso rosário recorda, que nos tornaremos semelhantes a Ele; e na compaixão das vossas dores que aprenderemos o horror ao pecado e o amor à mortificação; e na oração e na penitência da mística montanha do Carmo que nos purificaremos e alcançaremos a misericórdia.

Senhora do Rosário, cujo coração é a fiel imagem do coração de vosso Filho, pois vivestes tão íntima e perfeitamente a vida de Jesus, que o Salvador brilha no vosso peito como uma Eucaristia sem véus, sendo certo que é por vós que se chega a Jesus.

Senhora das Dores, cujo coração foi trespassado por um gládio de dor, sofrendo nele todos os sofrimentos de vosso Filho, a fim de com o preço do Seu sangue e das vossas lágrimas obterdes misericórdia para nós e nos livrardes do fogo do inferno.

Senhora do Carmo, cujo coração maternal não esquece nenhum dos seus filhos, e anseia por os reunir a todos no Paraíso, mesmo os que nós já esquecemos, aliviando as almas do purgatório, especialmente as mais abandonadas.

Os pastores escolhidos por Vosso Filho para guardarem e apascentarem em seu nome as ovelhas que Ele adquiriu com o Seu sangue, nesta terra de Santa Maria cujo nome não se pode pronunciar sem pronunciar o Vosso, vêm hoje solenemente consagrar-vos, como representantes ungidos e oficiais dos seus rebanhos, a Nação Portuguesa ao Vosso Coração imaculado, num acto de filial vassalagem de fé, amor e confiança a fim de que Vós, tomando-a de nossas mãos frágeis nas Vossas, a defendais e guardeis como coisa própria vossa, fazendo que neles reine, vença e impere Jesus, fora do qual não há salvação.

Nós, os Pontífices do nosso povo, sentimos rugir em torno a procela temerosa, que ameaça dispersar e perder o rebanho fiel dos que vos bendizem por serdes Mãe de Jesus, e aflitos erguemos para o Vosso Filho as mãos suplicantes, gritando-Lhe: Salva-nos, Senhor, que perecemos! Erguei as Vossas connosco, ó Virgem Sacerdote, pois que elas são omnipotentes sobre o Coração misericordioso de Deus, a quem Vós oferecestes a Hóstia pura que dá ao Altíssimo toda a honra, e toda glória: a fim de que se não perca para nós o Sangue e Vosso Filho e as vossas Lágrimas.

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora gravíssima em que sopram do Oriente ventos furiosos que trazem gritos de morte contra Vosso Filho e a cultura fundada sobre os seus ensinamentos, desvairando as inteligências, pervertendo os corações, e inflamando o mundo em chamas de ódio e revolta. - Socorro dos Cristãos, rogai por nós!

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora conturbada em que as vagas imundas duma imoralidade já sem véus, que perdeu até a noção do pecado, pregando diante da Cruz de Vosso Filho a reabilitação da carne, ameaça afogar no mundo o lírio da virtude que se alimenta do Sangue eucarístico de Jesus. - Virgem poderosa, rogai por nós!

Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora torva de paixões e de incertezas, em que até os bons correm risco de perder-se...

Uni todos os portugueses na obediência de Vosso Filho, e no amor da Igreja, e no culto da virtude, e no respeito da ordem, e na caridade fraterna. - Rainha da paz, rogai por nós!

Lembrai-vos enfim, ó Padroeira da nossa terra, que Portugal ensinou tantos povos a saudar-vos bendita entre todas as mulheres. Em memória do que fez pela Vossa Glória, salvai-o, Senhora de Fátima, dando-lhe Jesus, em quem ele encontrará a Verdade, e a Vida, e a Paz».


日本の戦争終結と平和のために真夜中に起きてファチマの聖母に祈っていた横浜教区長ラウレンチオ戸田帯刀神父

2017年07月13日 | ファチマの聖母
「戸田帯刀・横浜教区長暗殺70周年に思う」(by ジャーナリスト・佐々木宏人)の引用を紹介します。



戸田師が射殺死体で発見されたのは1945(昭和20)年8月18日の夕刻、カトリック保土ヶ谷教会聖堂の右手にある司祭館1階の現在の事務室だった。

当時、山手教会は聖堂も海軍横浜特設港湾警備隊に接収、司教座は保土ヶ谷教会に移らざるを得なかった。

戸田師は終戦の8月15日の天皇の敗戦を告げる玉音放送のあった翌日の16日、山手教会に居座る港湾警備隊の幹部の所に単身乗り込み、教会の返還を求めた。

しかし敗戦を受け止められない将校らに「アーメン野郎、何を言うか!」と軍刀で切りつけんばかりの怒声を浴びた。その怒りが憲兵に伝わり、拳銃で射殺されたといわれてきた。

司祭館に入っていく憲兵服姿を聖堂の窓越しに見た目撃者がいたが、犯人は分からず、戦後十数年後、東京・吉祥寺教会に「私が犯人です」と名乗り出た男がいた。

しかし連絡を受けた東京大司教区は、事情も聞かず「赦(ゆる)します」と伝えて行方は分からない。

1944(昭和19)年の横浜教区長の着座式が、伊勢佐木町近くの若葉町教会(現・末吉町教会)で行われた。

その時、丸坊主となって現れた戸田師は、「私は、世界平和のため、日本のため、自分の命をささげます」と決意を語った。今、保土ヶ谷教会の聖堂脇には、この言葉を刻んだ小ぶりな石碑が立てられている。



戸田師は保土ヶ谷教会に司教座が移る前の5月1日から50日間、午前0時から2時間、ファティマの聖母への取り継ぎを願い、山手教会の聖母像にひざまずき「平和」への祈りをささげたという。

この間には死者1万人を出した凄惨(せいさん)な横浜大空襲もあった。この祈りを終えた後、「日本は8月15日の聖母被昇天の日に終戦を迎える」と預言したという。


封印された神父殺害事件 終戦3日後の銃声からの引用をご紹介します。

横浜教区長の戸田帯刀(たてわき)神父(当時47歳)があおむけに倒れ、遺体で見つかったのは、終戦3日後の45年8月18日夕刻だった。軍用拳銃のものとみられる銃弾が頭部を貫通し、背後の窓ガラスを何枚も貫いて中庭に落ちていた。

 「私は自分の生命にかけて日本のため、また世界平和のために働きます」。戦時下の44年10月、教区長に就任した際、そうあいさつしたという。・・・

 事件の約10年後、犯人を名乗る男がカトリック吉祥寺教会を訪れ、ドイツ人の神父に「悔いています」と言った。信徒らによる後の調査では、連絡を受けた東京大司教区は当時、元憲兵と思われるこの男から事情を聴くことも、警察に届けることもしなかったとされる。

 45年8月18日、土曜の午後だった。教会近くに住んでいた山本陽一さん(83)はふらりと家を出た。3日前に勤労動員先の工場で玉音放送を聞き、ようやく訪れた静かな日々だった。「教会の前の道に通りかかった時、『バーン』という鈍い音が聞こえたんです」。70年前の記憶をたぐり寄せるように証言した。

 何の音だろうか。驚いて立ち止まると、カーキ色の軍服に戦闘帽姿の男が教会の門から出てきた。どんな顔だったかは思い出せない。男は慌てた様子もなく山本さんとすれ違うと、右に曲がり、歩いて姿を消した。教会で何が起きたのか。その日は分からなかった。

 当時の信徒からの聞き取りによると、戸田帯刀(たてわき)・横浜教区長(当時47歳)が倒れていたのは司祭館1階の応接室。近くの柱時計は「午後2時40分」または「午後2時45分」で止まっていたという。逃走時に犯人が壁にぶつかり、止まったという説があり、黒い司祭服を着た戸田神父はその2-3時間後に遺体で見つかった。夕食の準備に訪れた賄いの女性が発見し、慌てて近所の信徒に知らせ、警察官が来た。

 戸田神父は2階の寝室で昼寝をしていた形跡があり、犯人は客を装って訪問し、至近距離から発砲したとみられる。1発で頭部を撃ち抜いた手口から銃の扱いに慣れていること、さらに神父が一人になる昼食後に訪問していることから、周到な計画性もうかがわせた。中庭に落ちていた銃弾は軍用だったと伝えられる。

 人の恨みを買うとは思えないカトリックの高位聖職者が教会内で射殺された異常な事件だった。だが、終戦間もない混乱の中、事件は報道されず、今となってはどのような捜査が行われたのかも不明だ。現場の応接室には長い間、厚いビロードのカーテンが引かれていたという。

 戸田神父は1898年、山梨県北部の山あいにある西保(にしほ)村(現山梨市牧丘町)の養蚕農家に生まれた。6人きょうだいの5番目。今はブドウの名産地として知られるが、当時の村は貧しく、2人の兄は移民として米国とカナダに渡った。帯刀少年は体が弱く農業に不向きだったという。ただ、成績は優等で、高等小学校や教員養成所を卒業後、いとこを頼って上京し、開成中学に進んだ。

カトリックとの出合いは、いとこの家族と東京下町の本所教会を訪ねた3年の時。洗礼を受け、神学校を経て、関東大震災があった1923年にローマ・ウルバノ大学に留学した。5年後に帰国すると、大正デモクラシーは終わり、日本は激動の昭和に突入していた。

開戦4カ月後の42年3月、札幌教区長を務めていた戸田神父は北海道の特高警察に連行された。

その直前には、理事長を務めていたカトリック系の商業学校での軍事教練に消極的だとして、軍部から批判されてもいた。


2年後の44年10月、横浜教区長に転任。就任の式に現れた戸田神父は丸刈り頭で、出席者はその姿に目を見張り、覚悟を感じ取ったという。戸田神父は述べた。「私は自分の生命にかけて日本のため、また世界平和のために働きます」

ある学者が、米国立公文書館で日本のカトリックに関する資料を探した際、戸田神父の名がある報告書を見たというのだ。試みにインターネットで氏名を入力し検索すると、容易に見つかった。米中央情報局(CIA)のホームページだ。「機密 大統領宛て文書 日本人交渉者」のカテゴリーに報告書はあった。

「タテワキ・トダは」で始まる報告書は45年4月11日、CIAの前身、米戦略事務局(OSS)の情報源が発信したものとしている。死の直前のルーズベルト大統領に届けられた。戸田神父が当時のローマ法王ピオ12世に宛て、終戦工作のための提言を送ったとする内容だ。戸田神父は法王に「太平洋戦争についての調停の試みを放棄していない」ことを昭和天皇へ伝えるよう求めたとされている。

ローマ法王を仲介した日米の終戦工作は、同年6月に米側から提案したことが明らかになっている。OSS文書が事実なら、工作はより早く、沖縄戦のさなかに始まっていたことになる。しかし、報告書は、戸田神父を「皇族の一員」と記載するなど、明らかに事実と異なる内容が盛り込まれていた。

情報源を示すコードネームは「ベッセル(船)」とある。ベッセルは、バチカンで活動していた米国のスパイのコードネームで、イタリア人記者ら複数の人物が関わったとされる。ベッセルの報告書には偽情報が多い時期があり、内容の信用度をめぐって論議を呼んできた。「戸田神父に宮中との関係がないなら(報告書は)虚偽だろう」。日本近現代史の第一人者、保阪正康さんは言った。

ただ、戸田神父は、皇室の侍従らと交流のあったドイツ出身のシスターと親しく、この人に遺書を託していたと伝えられる。また、ローマに留学経験があるとはいえ、バチカンでは無名の存在といえる戸田神父が、なぜOSSの諜報(ちょうほう)網にキャッチされたのかという疑問も残る。

報告書は虚偽を含むが、実際に戸田神父がバチカンに働きかけていた可能性はないのか。あるいは、工作活動は事実無根であったとしても、報告書の内容が日本の官憲に伝わり、何らかの意図によって事件につながった可能性はないのだろうか。


カトリック吉祥寺教会は戦後間もなく、東京都武蔵野市の緑豊かな街並みに建てられた。戸田神父の事件を調べている元毎日新聞記者で、カトリック信者の佐々木宏人さん(74)によると、射殺事件の約10年後、この教会を中年の日本人の男が訪れた。応対したドイツ人の神父に自分の名を告げ、「私が射殺した」と話したという。しかし、男は警察に通報されることもなく、姿を消した。

佐々木さんは6年前、カトリック吉祥寺教会に在籍していた神父に取材を試みた。ドイツ人神父の後任にあたる人物で、取材依頼の返信はがきにこう書かれていた。名乗り出た男について「元憲兵隊の横浜地区の人だと聞いております。私はその事実を確かめることなく過ごしております。何らの手がかりもありません」。便りの数年後、神父は亡くなった。

やはり憲兵の犯行なのか。保阪さんは「終戦直後の憲兵は戦争責任を恐れて混乱していた。3日後ならなおさらだ。しかし、憲兵が戦後に民間人を射殺したケースは聞いたことがない。推測だが、神父を生かしておくと都合の悪い、よほどの事情があったのだろうか」と話した。

保土ケ谷教会の聖堂わきに「世界平和のために働きます」と刻まれた石碑がある。戦時下の44年10月、教区長の就任の式で戸田神父が述べた言葉だ。石碑は主任司祭だったニュージーランド出身のバリー・ケンズ神父(83)が10年前に建てた。