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【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その四:ルソーの教育論の問題点まとめ【エミール】5

2020年06月18日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう


それから、最後に、15歳になってから、エミールにはいよいよ宗教を教わり始めるということです。ルソー論において、宗教教育の始まりは15歳からです。これについての文章は次の引用で始まります。
「私の生徒のよう少年時代を通じて、私が彼に宗教について何も語らないのを知って、どれほど多くの読者が驚きを感じることだろう。それを私は予想する。十五歳になっても彼は、自分が魂を持っているかどうか知らなかったが、十八歳になっても、まだそれを学ぶ時期ではあるまい。」

さすがに。エミールは自分自身しか見ていなく、自分中心主義になっているものの、霊魂とは何であるかに関して教えなくてはならないとね。

「真理を理解できる状態に置かれていない者にむかって真理を告げるようなことは控えよう。それは真理の代わりに誤謬に置かれていないことを与えようとすることだ。神にふさわしくない卑俗で幻想的な観念、冒涜的な観念をもつよりは神について何の観念も持たないでいる方がましだ。」(106頁)

次に、宗教に対する過激な攻撃文があります。有名な文章ですが、次回、見ておきたいと思っております。それは『サヴォアの助任司祭による信仰宣言』という部分です。要するに、神父を登場させて、エミールに宗教を教える設定です。
それによって、ルソーはエミールを社会的な生活に投げ込むのです。次回にご紹介することにします。時間を必要とするし、今回はもう時間をオーバーしています。

『サヴォアの助任司祭による信仰宣言』を見ることによって、ルソーの宗教生活というか、ルソーにとっての宗教はなんであるかをよく示しています。



それから、第五編になります。第五編においてソフィーと出会って、結婚します。出会ってから、まず恋愛して、そして、二年間ほどエミールが旅立ってソフィーと会っていないが、そのあと、いよいよ結婚するという流れです。そして、父です。そして、次は小説となって、『ジュリ または新エロイーズ』とつながります。最終的に、「身内だけで自立して生活している」というのが理想とされます。それによって、社会を避けるためであるといっています。

こういった理想こそは『ジュリ または新エロイーズ』著作の中心テーマです。思い出しましょう。二組の夫婦は同じ家に住んでいて自給自足のような状態で小説が終わります。

以上、ルソーの『エミール』を簡潔に要約する試みをしてみました。どうしても、多くの引用をご紹介することにしました。それは、ルソーが言っていることをよく示して、ルソーの思想とされているものが本当にルソーが思っていたことだと強調するためでした。

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結びとして、いくつかの点を指摘したいと思っております。

第一、理想主義ばっかりです。これは一目瞭然でしょう。
まず、生まれながら人間は善性であるという理想主義です。生まれながら善性の子供なんて合ったことはありません。それが現実です。
それから、エミールという生徒に関する理想主義です。エミールを完全に夢から生まれさせて一から作り上げるのです。綺麗な教育論かもしれませんが、そもそもこういった「エミール」は現実に存在しない生徒です。しかも、ルソーはどうしてもその生徒が独りぼっちとなり、唯一、一人しかない教師を許すだけと言います。教師でさえ、ルソーでさえ、あり得ない設定を作ります。教師はいつも生徒のそばにいられるかのように書いてありますが、それはルソーの夢想にすぎません。

一言でいうと、この教育論は、ルソーの失敗だらけの自分の人生に対する復讐のようなものだと言えましょう。
教師についての理想主義もあります。全く存在しない教師です。つまり、エミールといった存在しない生徒に、そう言った存在しない教師が付くという設定の教育論ですが、実際の世界では一体どうやって適用できるといえるでしょうか。ルソーはあり得ないほど、大げさに議論を展開します。それが本質的にルソーの教育論の真相だと認めざるを得ません。

ルソーによる過剰論です。そういった大げさな夢想はまたほかにあります。それは、教育の段階の仕切り方です。そもそも完全にあり得ない仕切り方です。

ルソーに言わせると、0歳から2歳まで、人間は体だけ。2歳から12歳まで感覚的な霊だけ。12歳から15歳までいよいよ理性の始まりが出始めて。そして、いよいよ15歳以降、道徳感がでてくると言っているわけです。

それはあり得ません。実際は、人間は最初から人間です。つまり、生まれた瞬間から、もう人は人です。つまり、体と霊魂を生まれた瞬間から持っているというのは真実なのです。言い換えると、子どもは生まれると体を持ち、五感で感覚を持ち、それから理性をも持っています。

潜在力として、少なくとも成長していく能力としてもうすでに知性がそなわっているのです。そういえば、7歳は分別の時代だとよくいわれていますね。平均だけですから、それより早く分別がついてくる子どももいますが、分別の年齢になると、子どもは本物の質問、深い質問を聞いてきます。

「なぜ?」と聞く子どもは紛れもなく理性があるということを具体的に示しています。動物はどうしても「なぜ?」と思うことはできません。「なぜ?」と問う子供は物事の理由、物事の目的を知りたいわけです。また、「何のためにある」ということを知りたいわけです。あるいは、子どもは「何ですか?」と聞くときに、ある物事の本性を知りたいわけです。それも理性があるということを表しています。

ルソーにとって、理性は大体12歳になってから出てくるといっています。というか、早くて12歳で、おそらくより遅く出てくるといっています。というのも、18歳になっても、霊魂があるということを知らなくてもよいと主張するぐらいですから。そういった主張を見てみるとね、どう見ても。

ちょっと大げさに言わせてもらうと、ルソー論は狂気です。なぜか狂気であるかというと、「非現実」的な理論ですから。この『エミール』は教育論でもなんでもなく、ある程度のフィクション、小説にすぎないだけではなく、しかも人間の心理を完全に読み間違っている小説です。

それはともかく、『エミール』の中心の目的は、「真理を否定するための攻撃文」だと思っています。ルソーは根本的に、真理を教えることを固く拒みます。

そして、子どもはたまたま自分の力で真理をみつけたとしても、あくまでも有用性のある真理でなければならないと言います。彼にとって目に見えないことに関する真理は論外です。彼にとって形而上学や宗教は教えてはいけないのです。宗教に関して、ルソー論における「教育論」においてどうなっているかを次回ご紹介しますが、なかなか大変です。

要するに、ルソーの教育論において、真理はダメです。ところが、それよりひどい話があります。真理どころか、何の知恵・ノウハウ・技術の継承も、ダメだとされています。教育論における「師傅」は教師でもなく、師匠でもなく、先生でもありません。つまり、何の継承も、何の権威もありません。ルソーの教育論は「自分を自分で教育する」という「セルフ教育」なのです。つまり、きわめて個人主義であり、また児童の権利を称賛する教育論です。本質的にそういったものです。

これから、ある考察を引用したいと思っております。その方は若手で、世間で意外と人気のあるかたです。私は彼の言動に関してすべてに同意しているわけではありませんが、François-Xavier Bellamyです。『不運の時代・継承すべしという緊急について』 という本を出しました。その中に、ルソーについて次のことを言っています。

「最初の二つの「論」において(第一回と第二回のときご紹介したルソーの論ですね)、現代普及した空気の原点がそこにあります。」確かに。
「しかしながら、『エミール』において、さらに一歩先です。完全になっているつもりの教育論で、実際の応用のための計画であるという位置づけで書かれています。そして、現代の公教育、非常に組織化された文部省によって実現された計画なのです。」
面白いでしょう。

「ルソーの教育論を読むと、現代、公教育の失敗だとよく評価されている多くの悪い結果は、ルソーの教育論でいうと実際にはかなりの成功であることに気づきます。現代の公教育は、完全に明白に紹介されたルソー教育論の成功なのです。一言でいうと、何の知恵・知識を継承することを固く絶対に拒む教育論の実現です。」

当たっていますね。言い換えると、現代の公教育は成功しています。なぜかというと、馬鹿な愚かな大人を養成しているからです。つまり、近代主義でいうと、愚かな人間を養成するのは失敗ではありません。わたしたちからみると、失敗に見えるかもしれませんが、近代主義的な教育論の筋でいうと本来ならば、とんでもない成功なのです。つまり、知恵・知識を継承しないという基本です。エミールは無知であるべきだからです。

彼はこう続けます。
「そういった教育は経験主義を基盤にしています。それはある種の自然主義です。」まさに当たっています。

また、エミールが自由であるかのように描写されていますが、実際に自由なんて何もありません。いや、それよりひどく、かなりの矛盾があります。というのも、エミールは結局、他人のまねをする、完全に順応主義になっています。その「師傅」についていくだけです。実際において、その「師傅」はエミールに対して暗に多くのことを禁じて、何もやらせていないのです。そして、案の定、エミールは社会人になったら、そういった教育ですから、順応主義にならざるを得ません。本当にひどいものです。

そういえば、『エミール』の最後には、エミールがソフィーと結婚しますが、なぜ結婚するかというと「師傅が望んだから」ということだけですよ!つまり、結婚する自由でさえありません。師傅は自由であることをエミールに信じ込ませていますが、実際において師傅の人形にすぎないのです。

最初にちょっと申し上げた通りです。自由に対する偽りの称賛です。自由であることを信じ込ませながら、実際、何も選べない、すべてにおいて誘導されているだけで、自由はないということです。まさに現代の民主主義における我々と一緒ですね。

また、その教育論のひどいところは、目的のない教育です。目的はありません。何を目指していることはありません。ルソーにいわせると、子どもは「生きるがいい」といっていますが、生きるだけでよいというような感じです。まさに現代、普及している雰囲気です。

しかし、よく考えてみると、それほどひどいことはありません。理性のある被造物である人間が「どこへも向けられていない、何も狙っていない」のです。そんなことなんて非常に苦しいことです。ひどいです。「何のために生まれたか」という質問にルソーは「いや、何もない。何の理由のために生まれてきてはいない。生きるためだけ」と答えています。ひどいでしょう。理性のある人なら、それを聞くと絶望しかないでしょう。

つまり、永遠を思いはせる人、偉大なことを実現することが可能である人にとって、美しい立派なことをやり遂げることが可能な人に対して「いやいや、動物的に生きるだけでよいから」と言ったらどれほどひどいことでしょうか。「自分自身のために生きろ」ということで、子どもには目的を与えない教育です。目的を与えない教育です。

ルソーの教育論だと、「やる」だけでよいです。「何かのためにやる」ことはありません。目的がないから、方向づけられる行動はない、それは人間にとって悲惨なことです。何の目標・目的なしに生きるなんて悲惨で苦しいことです。なぜかというと、人間は、本性に刻印されている一つの特徴として、ある目的のために創られて、ある目的に方向づけられているのですから。目的を取り消して、目的を否定する教育なんて、子どもはそれを知らされないままになっているかもしれないが、それこそがルソー教育論の一番大きいな弊害です。

つまり、人間なら必ず「幸せ・幸福」を追求する気持ちは本性に刻印されています。が、そういった幸せに関して、ルソーは何も言わないのです。というのも、ルソーにとっての「幸福」は「今の状態だけの享楽」だけです。言い換えると、子どもは本性的に何か普遍的な、永遠なことを求めているものの、「今の瞬間」だけを享楽するがよいとしているのです。つまり、普遍的なことではなく、あくまでも偶然のもの、儚いもの、去っていくものだけがルソーの教育論の中心です。こういったような人生は本当に悲しいものです。ある意味で地獄のような人生です。

地獄の本質は永遠の苦しみである「劫罰」にあると言いますが、それは何と意味するでしょうか。地獄に落ちている霊魂は方向づけられている目的を自覚して、そしてその目的(天主)を渇望しているものの、いつまでその「渇望している善なる目的」を享受できないのが「劫罰」です。

その意味で、ルソーの『エミール』はこの世にいるうちから、地獄の準備のために働くかのような理論です。言い換えると、極端な個人主義ですから、自分自身中心で生きながら、同時にどうしても目的を持ちたい渇望もありながら、何の目的もないというこの世の地獄です。たとえてみると、呼吸したいのに、吸い込めないような状態です。つまり、肺臓は呼吸のためにある器官であることを実感しているから、肺臓を開けたいのですが、それでも吸い込めないような。


「目的への渇望」はそれと似ています。「目的(幸せ)への渇望」は人間の本性に刻印されています。どうしても幸せになりたいとみんな思うわけです。が、ルソーの教育論でいうと、「幸せはない」とされ、絶望しか残らないわけです。目的はない教育だからです。ですから、『エミール』は本物の地獄なのです。

最後、ルソーは「自然教育」を勧めますが、結局、自然に反する教育になります。
まず、ルソーは「自然」という言葉を定義していません。そして、家族を否定します。エミールには親も兄弟もいません。文化もありません。文化はゼロです。しかも文化をもたらしてはいけないと言います。エミールの理想像は結局、モーグリというキャラクターです。なんか、自然に投げ込んで、独りぼっちにさせて、自分自身ですべてやるようにならせるというような。

『エミール』は以上のようなものです。ルソーによる教育論。本物の理想主義です。そして、現代を見ると、ルソー教育論の凱旋的な成功です。というのも、最近の子供たちはエミールに似ているのが多いからです。しいていえば、最近の子供は「幸せ」ですが、馬鹿です。

次回、「サヴォアの助任司祭の信仰宣言」をご紹介します。ご清聴ありがとうございました。

~~
「エミールは何一つ、寓話さえも、暗記するようなことはしないだろう。ラ・フォンテーヌの寓話がどんなに素朴で魅力的だろうと、それさえも暗誦するようなことはしないだろう。歴史の言葉は歴史ではない、それ以上に寓話の言葉は寓話ではないからだ。」

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その四:ルソーの教育論の問題点【エミール】1

2020年05月28日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
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Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう

ルソーに関する講話を続けましょう。
今晩は、ちょっと特別な著作に関することをご紹介したいと思います。『エミール』です。これを中心にお話しします。この本の副題は「教育について」です。比較的に長い著作ですから、手元にお配りした資料に、今回、多く引用を載せました。もっと多くの引用をご紹介したかったのですが時間の問題で絞りました。

『エミール』は長い分、それだけ面白い点も多くあります。ご紹介に当たって、お配りした資料を読みながら、『エミール』におけるルソーの思想をよく把握するために一番役立つ点を取り上げます。

1756年、ド・シュノンソ(de Chenonceaux)婦人より、ルソーは教育に関する質問を受けていました。その依頼に応じるために、ルソーは『エミール』を書きました。

数年後、それを出版します。ルソーは次のようにこの著作を紹介します。自分で書いた面白い紹介文です。
「これから、教育論みたいな本を出版することになり、その中で私がいつも夢見ている空想を盛り込んだ。」(Jacob Vernetへの書簡、1760年11月29日)これは、ルソーによる『エミール』についてのまさに完璧な要約です。「いつも夢見ている空想を盛り込んだ」と。

教育論の依頼は1756年でしたが、『エミール 教育について』の出版は1762年5月でした。出版されてすぐ、話題となり、論争の対象となります。その著作はかなり批判されました。政府は書籍の在庫を没収し、ソルボンヌ大学は1762年6月、『エミール』を正式に否認しました。

1762年5月に出版され、同年6月7日ソルボンヌ大学からの否認に続いて、二日後、パリ高等法院(国王の権威を代理する裁判所)も『エミール』を否認する、と発表します。なかなかの大騒ぎであるのも想像に難くありません。

そこでルソーは逃げざるを得なくなります。ヌフシャテル(Neufchatel)へ避難することになりました。しかしながら、世間では『エミール』による余波は4年間ほど、1766年まで続きました。

さて1766年、ルソーが英国へ移住すると、一旦『エミール』に関する世間の動揺は落ち着きます。そういえば、ヴォルテールは全力を尽くしてルソーを非難し、ルソーへの害を図りました。というのも、ヴォルテールは、自分の広い人脈を活かして、諸国のあちこちの裁判所でルソーを告訴させるように、厳しい判決が下るように全力を尽くしたからです。ヴォルテールにはルソーによる「教育論」が気に入らなかったようです。

ある意味では信じられないことかもしれませんが、それほど世間は動揺しており、正面から非難されたにもかかわらず、『エミール』は後世においてかなりの影響を及ぼすようになりました。その意味で、ルソーが夢見て訴えている教育論からの支配を、現代でも私たちはかなり受けているといわざるを得ません。

また、『エミール』は単なる教育論にとどまらず、ルソーの全思想を総括するような著作でもあります。その意味で、面白いことに『エミール』を検討することによって、前にすでにご紹介したいくつかの要素・特徴が再確認されます。

ルソーの思想の諸原理が『エミール』において、もう一度、主張されていることは明らかです。さらに言うと、『エミール』においては、ルソーの思想が教育について適用されているので、ほかの著作よりもその分、より具体的に紹介されて分かりやすいかもしれません。



『エミール』はまた、『社会契約論』の続きでもあります。というのも、『社会契約論』において、ルソーは社会を対象に検討し、全人類に関することについて論及するのに対し、『エミール』では、教育論として、個人を中心に検討して論及していきます。

つまり、『社会契約論』と同じ人間観をもって個人の教育が論じられ、『社会契約論』において紹介されている社会の中で、個人がいずれか生活せざるを得ないという観点からも書かれています。

ある面、逆説的に見えます。ルソーは社会を否定していますが、『エミール』においては、教育論の目的として、社会とは非常な悪であるが、それでも個人が社交生活し、社会において何とか生きていけるように助けるべきであるとします。

しかし、問題はそこから出てきます。社会において生きる必要があるという前提に立つならば生徒を社会において教育すべきなのに、ルソーはその社会を否定して、社会の外での教育を提案し、これを「自然な教育」と呼ぶからです。ただし、「自然な教育」なのに、その教育の目的の一つは一応社交のできる大人になるように、社会において何とか活きられるようにとの教育論でもあります。

長い著作なので、多くの意見が出たりしまして、時々自ら矛盾している論及も少なくありません。Jean de Viguerie著の『教育論者』という立派な著作において、ルソーに関する章があります。ぜひとも、それを読んでいただけたらと思っております。というのも、10枚数だけで、今晩の一時間ぐらいの講話のすべてを要約してあります。

では、ルソーの教育論の問題点を取り上げましょう。まず、ルソー自身はまともな教育を受けていません。自分の母をほとんど知らなかったのです。母は家を出て、ルソーを見捨てましたから。また、ルソーには何人の子供が生まれましたが、生まれてすぐの自分の子を見捨てて教育しなかったのです。

また、一応、ルヴァサー(Levasseur)という女性と結婚していましたが、ルソーは、人生において付き合った女性たちと一緒に、本物の家庭や夫婦的な愛を経験したことはありませんでした。ルソーは付き合っていても、あまり真面目になれず、軽い恋愛の連続ばかりです。つまり、教育について説明するには、ルソーの立場は非常に悪いわけです。

次にJean de Viguerie氏を引用します。
「これは、教育論の中でも一番驚くべき本でしょう。著者は子供を育てた経験もありません。ルヴァサー(Levasseur)との間に5人の子供が生まれましたが、全員を保護所へ預ける形で見捨てました。非常勤という形での家庭教師の少ない経験を除けば、教師の経験は全くありません。ルソー自身、家庭教師の仕事が提案されたときに拒否したと自分自身が認めて次のように明かしています。「私には家庭教師の職に向いていない」と。」

『エミール』は文章としてはよくできています。書きぶりはやはり上手で、ルソーの筆は達者です。抒情的な文章だといっても過言ではありません。

『エミール』は小説であることを忘れてはいけません。教育に関する小説です。つまり、ルソーは夢の中でだけ経験した理想的な教育を描いている小説なのです。ルソーは現実に経験したことがない夢を教えようとしています。あえて言えば、『エミール』はルソーのダメな悲しい人生を埋め合わせるための空想論だといえましょう。このような思考様式で『エミール』を書くのです。



それから、著作の構造を見ましょう。五編からなっています。ルソーに言わせれば、編は人生の一般の五段階の一つ一つの段階により構成されています。つまり、ルソーは人生を五つの時期に分けます。生まれてから結婚までに人生を五つの時期に分けます。

小説の最後、エミールは結婚して父となって社会において生活しており、そこまでです。五編です。一遍ずつご紹介できればと思っておりますが、主に第一編から第三編までを中心にご紹介します。

教育論でいうと、一番大事なのは最初の二編です。そこに、ルソー思想のすべての諸原理が収まっているからです。第四編は宗教論を中心に語るのですが、次回にそれを中心に紹介する予定です。ルソーの宗教論に関する『サヴォアの主任司祭の信仰宣言』という大事な文書は、第四編にあるからです。

最後に、第五編についてほんの少しだけ触れることになりますが、ルソーの教育論においていよいよ一人の女性、唯一の女性が登場する場面です。エミールの結婚のために登場せざるを得ないのですが、ルソーは女性の教育に関してそもそも興味がありません。第五編は小説であって、次に書く『新エロイーズ』へとつながる結びだといってもよいでしょう。

要するに、五編からなっています。登場人物は厳密にいうと二人ですが、結局、三人です。これは面白い現象です。主人公はフィクション上のエミールという子供です。それから、エミールの家庭教師という人物も登場します。ですから、『エミール』は二人だけの登場人物の演劇なのです。

しかしながら、もう一人の登場人物も出てきます。それはルソー自身です。というのも、頻繁に家庭教師の代わりに、ルソー自身が宣言したりします。「家庭教師は」と言わないで、よく「私は」と書くのですから。要するに、登場人物は二人いて、見方によって三人がいます。

小説の目的は幼いエミールを育てることにあります。そして、エミールを大人にすることが目的です。ルソーに言わせれば、「大人にする」のはどういう意味なのかというと、「よく生きる」ようにするということです。これが、小説の目的です。

ルソー曰く「生きるとは職業だ。」 また「(生きるとは)体の器官や感覚やすべての能力を作用することだ 。生きることは感じること 。」また「生きることだけを望む人は幸いになる。」と。

エミールという子供は家庭教師の完全な支配の下に置かれていて、家庭教師はいつも彼のそばにいます。家庭教師はエミールが自由であることをエミールに思い込ませながら、実際にはエミールは自由ではないというのが小説の中心テーマです。

それでは、第一編に入りましょう。幼児期前期についてです。お配りした引用は編ごとに纏まってあります。多すぎてすべてを読めないのですが、ご参考のまで、編ごとに、『エミール』の流れに沿って引用を纏めました。

『エミール』の第一編の最初の文書から引用します。
「万物を創る者の手をはなれるときすべては良いものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。」

『社会契約論』を思い出してみると、この二行でもうルソーの思想のすべてですね。この二行に『社会契約論』が要約されています。万物を創る者は良く万物を創り、自然は良いが、「人間の手にうつるとすべてが悪くなる」ということで、人間は自然を堕落させるということを言います。

前回に見たように、ルソーの第一の前提は「人間の本性は善である」です。従って、これの単なる帰結ですが、教育論では、「子供も生まれながら自然に善良な者」という前提を置きます。そして、これの対称となるもう一つの前提は「社会は堕落をもたらす」です。つまり、社会において生きている人間は社会によって堕落させられているということを前提にしているのです。

この二つの前提を見るだけで矛盾があります。もしも本当に人間が生まれながら自然に良ければ、つまり、人間本性が絶対に善だったら、一体どうやって社会は人間を堕落させうるのでしょうか、それは不明のままです。

というのも、社会は人間より前に存在しないのなら、また人々の集まりによって構成されていないのなら(それはもちろんあり得ない仮説ですが)、そもそも良い人々を堕落させることはあり得ないはずです。

なぜかというと、社会はそもそも人々の結合ですから。そもそも良い人々ばかり集まったら、一体なぜ良い人々のままにいられなくなるでしょうか?あるいは、一体なぜ本当に良い人々は集まるだけで必ず悪くなれるでしょうか。どう見ても、結局、逆説的な前提です。

共同生活しているせいで、人々は悪くなるとは?ルソーはそのあたりについて明らかにしていないのです。社会から生じる悪はどこに由来するのでしょうか?『社会契約論』においては「所有権」に由来していると言っていました。根拠はそれだけです。ルソーはほかに理屈を見つけていません。結局、人間はそもそも良い存在なのに、悪い存在になっているという矛盾があります。

「人間の手にうつるとすべてが悪くなる。人間はある土地にほかの土地の産物を作らせたり、ある木に他の木の実をならせたりする。風土、環境、季節をごちゃまぜにする。犬、馬、奴隷をかたわにする。すべてのものをひっくりかえし、すべての物の形を変える。人間はみにくいもの、怪物を好む。何一つ自然がつくったままにしておかない。人間そのものさえそうだ。人間も乗馬のように調教しなければならない。庭木みたいに、すきなようにねじまげなければならない。」

人間はそもそも良いものでありながら、社会は人間を堕落させているという前提に立つルソーは、人間を教育するために、大人にするためにどうすべきかというと次のようにいいます。すなわち、社会から子供を離れて彼を一人にして、社会抜きに教育すべきだという対策を打ち出します。そうしながらも、いずれか社交がでてくるから、子が社交できるようにすべきだと。

「こんにちのような状態にあっては、生まれた時からほかの人々の中にほうり出されている人間は、誰よりもゆがんだ人間になるだろう。偏見、権威、必然、実例、私たちを押さえつけているいっさいの社会制度がその人の自然をしめころし、そのかわりに、何ももたらさないことになるだろう。」

このようにして、ルソーは、社会において子供を教育すると子供は堕落するとします。
「自然はたまたま道のまんなかに生えた小さな木のように、通行人に踏みつけられ、あらゆる方向に折り曲げられて、間もなく枯れてしまうだろう。」

したがって、人間を教育するために社会から離れる必要があるとします。次の引用を飛ばしますが、そのあとの引用はこうです。
「この教育は、自然か人間か事物から私たちのところに来ている。」

つまり、人間を教育するために社会から離れ、子供の教育者とは、次の三つの現実だとします。
第一、自然。それは「人間の本性」という意味で、自分の本性です。

第二、人間。理想的な教育を受けているエミールでさえ、ある種の社会から逃れようがない、これはルソーでさえ認めていることです。教育を受けるために、最低限、家庭教師が必要とされているから、どうしても社会はいつのまにか再登場します。従って、社会から子供を完全に離れることは不可能です。ルソーは最低限の社会にすることにしています。子供ともう一人と二人きりの社会にします。そういえば、小説のすべてはエミールとその家庭教師の関係を語ることになっています。ちなみに、その家庭教師には名前がないのです。ルソー曰く、「私だ」ということで、実際、ルソーです。

第三、事物。それは、エミールの周辺にある環境を指します。周辺の自然です。

要するに、第一、自分自身の内面にある本性(自然)。第二、家庭教師、第三、周辺の自然です。
「私たちの能力と器官の内部的発展は、自然の教育である。この発展をいかに利用すべきかを教えるのは人間の教育である。私たちを刺激する事物について私たち自身の経験が獲得するのは事物の教育である。」

これは非常に面白いことです。ルソーにとって第一、発展すべき能力と器官とは、自分自身の中にあるのですね。ですから、結局、第一の教育者は自分自身だということです。

それから、それらの能力をいかに「利用すべきか」は他人から教わるということになっています。ここは要注意です。ルソーは能力をいかに「利用」するかということだけを取り上げます。いかに利用するか。しかし能力は何を対象にしているかあるいは他の対象にすべきか否かに関しては、全く無視されています。

ご存じのように、私たちのすべての能力は、ある特定の対象のために備わっているわけです。つまり、私たちには多くの能力があります。例えば、知性や意志や諸感覚などは備わっています。能力と呼ばれています。これは「何かを知る機能」あるいは「何かを作用する(働く)機能」という意味での能力です。

そして、それらの能力はある対象を目的にしています。つまりある対象に従っての能力です。例えば、知性という能力は本性的に真理に向かわせてあります。意志なら、善に向かいます。それより簡単な例を挙げると、「目」は視覚のためにあります。つまり、色のついた物体を見るためです。「聴覚」は「音」という対象に向かわせてあります。

しかしながら、『エミール』において、教育者の仕事はそれぞれの能力にふさわしい対象を与えることではありません。しかし能力を養う相応しい対象を与えるのは本来の教育であるはずです。

しかしながら、『エミール』においてそうではなく、教育者は能力の利用だけを指導しますが、能力の対象を全く与えないのです。それは自然が自然に対象を与えられているから、です。ルソーはその理屈を出します。少しずつ見えてきたでしょうか。

また後述しますが、これはルソーの教育論の基盤です。つまり、ルソーの教育論では、「教育者」は対象を「教えない」のです。いや、さらに言うと教えてはならないのです。指導するにとどまるべきだと。

「教える」と「指導する」という違いは非常に大事です。一言でいうと、教育者は「真理を教える」ことではなくして、「子供が自分の力で真理を見つけるべきだ」と。本来の教育の完全な転倒です。

御覧の通り、現代ではどれほど一般の教育論はルソー主義になっているかは自明でしょう。
「ですから、この本来の傾向にすべて(の能力)を結び付けなければならないのだが」

要するに、ある種の主観主義です。「ある種の」ですけど、そこまで言わなくても、少なくとも個人主義であることは確かです。こういったような原理に基づくと、必然的に、人々は「私だけの真理を作る」と言い出すことになってしまうしかありません。

こういった教育論の遠い帰結は「真理を相対化する」ということです。一人一人がそれぞれ違う真理を持つことになります。その結果、真理という概念自体は破壊されています。なぜかというと、すべての真理は相対的なものだったら、あることとその逆のことを同時に肯定できるということになりからです。

ですから、真理自体という概念を否定することになりますし、また実際において、いずれか現実にぶつかります。当然、相対化には限界があるのです。矛盾している「真理」が同時に二つあるのはあり得ないからです。それぞれの人々に違う真理がある、と思い込んでしまうと、真理は相対化されて、「真理は存在しない」と断言することと同然になります。

また、人は真理を決めることができるということを断言するようなことですから、「人は神になる」ということをも意味しています。従って、ルソー論だと、自分にとって自分は神です。それから、必然的に、自分が神ならば、神なる自分を他人に無理やりに認めさせるようになるしかありません。ですから、その時、確かに社会は息苦しくなってもおかしくありませんね。

要約すると、自然すなわち能力。人間すなわち家庭教師。それから事物がルソーの教育の三つの先生でした。
・・・続く

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その三【第2部】:社会契約論の限界

2020年03月04日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
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それから、第二編において、ルソーは次のように強調します。
「前編で明らかにされた諸原則から、第一に生まれてくる、そして最も大切な結果は、国家を作った目的、つまり公共の幸福(共通善)にしたがって、国家の諸々の力を指導できるのは、一般意志だけだ、ということである。(…)だから私はいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲り渡すことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在に他ならないから(この言葉に注目しましょう)、それはこの集合的存在そのものによってしか代表され得ない、と。権力は譲り渡すことも出来よう、しかし、意志はそうはできない。」(II,1)

要するに、市民は「集合的な存在」に全権を譲ることになるので、代表制も国会体制のようなものも全く論外です。その点において、ルソーがモンテスキューに対してすら反対しています。
続いて、
「ちょうど、自然が各々の人間に、その手足のすべてに対する絶対的な力を与えているように、社会契約も、政治体に、その全構成員に対する絶対的な力を与えるのである。そしてこの力こそ、一般意志によって指導される場合、すでにいったように、主権と名付けられるところのものなのである。」(II,4)

先ほど、説明しておきたかったのは、まさにこれです。つまり、主権者はいないのです。主権は全構成員の全体だとされています。「国民こそが主権者である」ということです。まさにそうです。「国民こそが主権者である」と言う時、これはルソーの論そのままです。
面白いことに、現代では、民主主義の名において、「ポピュリズム(国民主義)」が非難されていますね。滑稽なことでしょう。
ちょっとだけ次の文章をご紹介しましょう。「どちら側から原則に遡ったところで、いつでも同じ結論に到達する。すなわち、社会契約は、市民の間に平等を確立し、そこで、市民はすべて同じ条件で約束し合い、またすべて同じ権利を楽しむことになる。」(II,4)
いわゆる、「相互尊敬」ということですね。つまり、「あなたのやりたい事なら」「あなたの意見なら」「あなたがお望みのなら」といったような。

問題は、その平等は真理においても導入されてしまうということです。「あなたの価値観なら反対しないよ」といったような。そして、最近ではカトリック教会においてでさえ入り込んだ相対主義です。「あなたの宗教でそういわれるのなら」といったような。「法律上の平等」に他なりません。それは、「法律によってだけ確立される平等」という意味です。実際の事実ではどうなっているか別にして。
以上の基本的な原理を理解した時、ルソーの後のすべての結論を簡単に引き出せます。例えば、次の引用があります。
「法は、本来、社会的結合の諸条件以外のなにものでもない。法に従う人民が、その作り手でなければならない。社会の諸条件を規定することは、結合する人々だけに属することである。」(II,6)

これは、純粋な民主主義です。
「だから、法律を編むものは、何らの立法権も持たないし、また持ってはならない。」
なぜかというと、立法権は個人に属するのではなく、国民が持っているとされているからです。続いて
「そして、人民自身も、たとえそれを望んでも、この不可譲の権利をすてることはできない。」(II,7)

というのも、法を編む者は国民の「道具」に過ぎなくて、立法権は譲られていないとされています。そして、「道具」というのはなんであるかというと、「ある主な原因に従って動かされる物」ということです。ここでの主な原因はつまり、国民です。
「なぜなら、根本契約によれば、個々人を拘束するのは、一般意志だけであり、個別意志が一般意志と一致しているということは、個別意志を人民の自由を投票に委ねた後に、初めて確かめ得ることなのだから。」(II,7)

それから次の引用です。
「すべての人々の最大の全は、あらゆる律法の体系の究極目的であるべきだが、それが正確には、何から成り立っているかを尋ねるなら、われわれは、それが二つの主要な目的、即ち自由と平等とに帰することを見出すであろう。自由―なぜなら、あらゆる個別的な従属は、それだけ国家という〔政治〕体から力がそがれることを意味するから。平等―なぜなら、自由はそれを欠いては持続できないから。」(II,11)
自由と平等は常に手を組んでいると。両方とも、絶対的で、理想です。

面白いことに、この「社会契約論」において、哲学上にいうと、「自由」という概念が明白に定義されることは一度もないことです。これは、興味深いことです。社会契約論では、その「自由」は「独立」を意味するのであって、少なくとも、「好き勝手にやりたい放題にする」という意味です。絶対的な意味でいう自由だから、善悪はないという前提に基づきます。それは、善悪は自由に対してもう相対的なことに過ぎなくなるということになります。つまり、自由と善悪との間の本来のあるべき関係は、さかさまにされたということです。

本来ならば、自由こそが、善に対して相対的な関係にあります。つまり、本来ならば、善に従っての、善のための自由です。自由という能力は、善を遂げて、善を得るためにこそある「能力・道具」に過ぎないのに、ルソー以来、善を定義するために、必ず善は、自由に従属されます。善に従う自由から、自由に従う善へ。

本来ならば、「自由な人」とは「善に向かう人、善を実践する人」という前提があります。近代になってから、ルソー以来、「自由に貢献することこそが善だ」となり、本来の関係の逆さまになっています。または、誰かの自由を妨げることは、「悪いこと」だとされるようになります。要するに、その自由の対象はどうでもよくなるのです。

たとえば、最近、話題となっている同性結婚はまさにこれを語ります。
同性愛結婚に反対するのは、当事者の自由を妨げるになっているということで、「悪い事」だとされています。つまり、同性愛結婚という下劣な本質が無視されることになります。同性愛結婚は事実上、反自然であるという本質を完全に無視し、または、卑しむべき卑しい行為であることという事実をも無視するということです。というのも、客観的に物事を、目の前にある客体を見ることなく、主観的にだけ物事を見ることになってしまいます。言い換えると、内容はどうでもよくて「彼らの自由に反対した故に悪い事だ」ということになります。

やっぱり、「王たる人間」となるのです。「王たる人間」。従うべきことはもう何もない。ところで、最後の講演に詳しくご紹介する予定ですが、宗教についてのルソーの考えを見るとそれは明白です。「社会契約論」の最後にもちょっと出てくるのですが、ルソーは宗教を完全に切り捨てて、排除します。少なくとも、カトリックという宗教を徹底的に排除します。絶対に。なぜかというと、カトリックにおいては、掟があるからです。というのも、カトリックにおいて「客体」を有りのままに見せて示すからです。ルソーは「客体はみてはいかん」「現実を否定すべき」だとしますね。

それから、お配りした最後の二つの引用です。
「その性質上、全会一致の同意を必要とする法は、ただ一つしかない。それは、社会契約である。」(IV,2)
つまり、結合の基礎こそとしての社会契約ですね。言い換えると、社会が成り立つ基礎です。その場合に限って、「全会一致の同意を必要とする」と。

「なぜなら、市民的結合は、あらゆるものの中で、尤も自発的な行為であるから。総ての人間は、生まれた時は自由であり、自己自身の主人であるから、何びとも、彼の同意なしには、如何なる口実の許にも、彼を服従させることはできない。ドレイの子供は、ドレイとして生まれたのだと決めてしまうことは、彼は人間として生まれたのではないと決めてしまうことだ。」(IV,2)
言い換えると、人間は社会を作り出す瞬間に、自由の名において「社会契約」を結んだ時、絶対な全会一致の同意があるとされています。一人も欠かさずに全員が「自由のために自由の名において社会契約」を結ぶことにおいて一致して同意します。そして、ルソーも指摘するように、それ以外のすべての決定において、絶対的な全会一致は存在しないという問題が残ります。だから、どうするかというと、「数学的」な全会一致を採用することによってなんとかする、と。つまり、投票数によって決まると。投票数ですね。それで、最期の引用をご紹介しましょう。私に言わせれば、一番興味深い引用だと思います。なぜなら、一番逆説的な引用であって、ルソーの限界を良く示すのです。

「この原始契約の場合をのぞけば、大多数の人の意見は、常にほかのすべての人々を拘束する。これは、〔原始〕契約そのものの帰結である。」
繰り返します。
「この原始契約の場合をのぞけば、大多数の人の意見は、常にほかのすべての人々を拘束する。これは、〔原始〕契約そのものの帰結である。しかし、ある人が自由でありながら、自分以外の意志に従わねばならぬということが、どうして起きりうるか、を問う人がある。」(IV,2)
だから、投票しますよね。例えば、大統領選において、マクロンに票を入れた人々がいて大統領となりました。が、マクロンに表を入れなかった多くの人々もいます。でそこで、「反対者たちが自由でありながら、彼らの同意しない法律に服従するのはなぜだろうか?」(IV,2)

現代、我々が常に経験している現代の大問題はまさにこれですね。繰り返します。
「反対者たちが自由でありながら、彼らの同意しない法律に服従するのはなぜだろうか?」
確かに、なかなかの問題です。
「それは、問題の出し方が悪いのだ、と私は答える。」
さすがに、やっぱりね!
「市民はすべての法律、彼が反対したにもかかわらず通過した法律にさえ、またその一つに違反しても罰せられるような法律にさえ、同意しているのだ。国家のすべての構成員の不変の意志が、一般意志であり、この一般意志によってこそ、彼らは市民となり、自由になるのである。」(IV,2)

市民イコール自由です。
「ある法が人民の集会に提出される時、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意志、すなわち、一般意志に一致しているか否か、ということである。各人は投票によって、それについての自らの意見をのべる。だから投票の数を計算すれば、一般意志が表明されるわけである。従って、私の意見に反対の意見が勝つときには、それは、私が間違っていたこと、私が一般意志だと思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているに過ぎない。」
流石に、そうですね。
「あなたはマクロンに投票しなかった場合、間違っていたよ」というべきことになるのですね。

「もし私の個人的意見が、一般意志に勝ったとすれば、私の望んでいたのとは、別のことをしたことになろう。その場合には、わたしは自由ではなかったのである。」(IV,2)
上手く表現されているのは認めましょう。非常にうまく表現されていますね。しかしながら、問題が残ります。結局、自由になるように人を強制するのは不可能という事実は変わらないという問題です。

以上の文章を読んでみるだけで、表面的に解決になることに見えるかもしれません。つまり、「私を否定するその法律に従うといよいよ自由になる」との理屈は通りません。
「私の個人意見を否定するが一般意志に反対しない法律だから、私が間違っていたのだ」と。「私が私の個別意志と一般意志を離れようとして悪かった」と。だが、「法案が可決された瞬間に、一般意志に反対する私の個別意志は一般意志と一致していないということが表明されるから、私の個別意志が間違っていたということがいよいよ明らかになった」と。そういった理屈ですね。だから皆さん、「いや、でも正しい判断だと確信している」と思っても、「私が間違った」と思うべきだというのは民主主義そのものです。

従って、なぜか反対の票を入れたかを忘れることにして、可決された法律に従うまでだという理屈ですね。そして、その暁に「それでいよいよ私が自由になったぞ」と思うべきだと。なぜなら、「私が理解していなかった一般意志に従うことになるので、自由になるぞ」という理屈です。つまり「皆さん、訳が分からなくても、大事なのはあなたらが自由だということを覚えて置け」という理屈。つまりこういった感じのことです。バカな理屈です。完全に馬鹿な理屈だというべきです。
御覧になった通り、いつもいつも「自由」ばかりという問題が出てきます。

本日の講演を結ぶために、社会契約論の限界をご紹介したいと思います。以上は、社会契約は如何なるものかの簡単なご紹介でした。
これから、社会契約論を反駁していきたいと思っております。厳密に言うと反駁というよりも、社会契約論の限界とその帰結を示すことによって反駁することになります。

主要な大問題はやっぱり「自由」です。まず、社会契約論において、「自由」とは間違って定義されています。時間があれば、その自由の定義においてこそ、ルソーの理論の反駁の中心になるはずです。平等に関しても一緒です。間違って定義されています。というか、そもそもその平等はどこにも存在しないのです。平等というのは空想・幻想に過ぎないのです。というのも、平等は結局、法律上の擬制に過ぎなくて、自然(現実)を否定する擬制です。大自然において、平等ということはそもそも存在しないのです。だから、ルソーもそれを確認して、「人造的に」平等を作りだそうというのです。だから、ルソーの平等は「仮想的」な平等に過ぎないのです。問題は、現実上の大自然に織り込まれている自然な不平等・差別を否定する「人造的に平等」であることです。その挙句、どんどん緊張が高まって、ある日、その矛盾が爆発するという悲惨な運命がまっています。

だから、社会契約論の第一の帰結は次の通りです。
最初、社会契約を結ぶ「自由」を持つのなら、いつでもその社会契約を解約する自由をも持つはずです。ルソーが「その契約を結んだ時点で、もうだれ一人もその契約から去ることは不可能だ」といっているのですが、一体どの根拠をもってそれがいえるでしょうか。一体、どういった自由がその解約を不可能にするのでしょうか。本来ならば、もし一人が自分の力でいきなり元の独立の状態に戻ろうと思ったら、自由をもっていつでも契約から去ることはできるはずです。そうでなければおかしいでしょう。

だから、その結果、民主主義において無政府主義になる傾向が強いのです。つまり、社会契約は本当の意味での契約だったら、無秩序へ導く契約です。解約できないというのはどこからくるでしょうか。自由を維持する元の意志を、一体なぜいつまでも個人が持てるでしょうか。それは、自由のためだから、とされます。それなら、契約を結んで、ある時点でいよいよ一般意志のお陰で本来の私の自由を取り戻したと思った時に、社会契約から去ってもよいはずです。

つまり、社会を単なる人造的な契約にしてしまったことによって、ルソーは必然的に無政府・無秩序が伴う状況を作ったのです。なぜならルソーにとって、社会において生活するのは反自然なことだからです。従って、自由をもたらすために創られたとされている社会がもう自由をもたらせない時になった場合、純粋な契約になる社会から去るべきです。ルソーの社会契約は結局、長期にいうと原爆に似ています。社会契約は個々人の融合を行うようなものですが、融合がある程度の極まりを超えたら、ボーンと爆発します。もう個々人が自分の自由を取り戻そうとして、爆発してバラバラになっていく社会です。
要するに、社会契約論の長期的な帰結は、無政府です。個人、自分の自由を取り戻すためにある社会ですから。

つづいて、先ほど申し上げたように、一般意志にも限界があります。つまり、一般意志は「全会一致」になることは不可能ですから、大多数に基づいて決定するということになります。そこで、まず簡単な指摘ですが、「数」があるからといって、「質」がかならずしも伴わないということです。また、「数」から真理がかならずしも出ないのです。数と質とのそれぞれの次元は異なります。
そして、どうしても、少数派の問題は残っています。つまり、反対していたその少数派ですね。ルソーが美しい理屈を言っても、つまり、「その少数派が間違っているに過ぎない」といっても、何も解決になりません。
「私が間違っていたので、今、従うと自由になる」と積極的に個人が思い込もうとしても、最初に確信した反対の意見を思わずにいられないという状況は変わらないのは誰の目にも明白でしょう。「でも、私は自由だ、自由だ」と思いこんだとしても、事実としてその選択肢がなく、自由になるために強制されることになります。

だが、「自由になるために強制される」というのは結局、全体主義を意味します。全体主義そのものです。だから、逆説的にみても、民主主義の必然的なもう一つの結果は、全体主義を伴います。
ルソーの民主主義の結果は、必ずや、一方で「無政府主義」、他方で「全体主義」です。または、独裁主義です。ところで、ロベスピエールが次のようなことを言っていました。ロベスピエールはルソー主義でした。
「共和国の政治は、自由による独裁主義だ」と。丁度ぴったりと当たる表現です。
「共和国(民主主義)の政治は、自由による独裁主義だ」と。つまり、我々の政治家たちは独裁者です。

それから、別のもう一つの結果があります。民主主義において、政治指導者たちは主権者ではないのです。思い出しましょう。一般意志だけが主権者だ、と。とはいっても、事実上に、一般意志の決定を行使するために、またその一般意志の決定を解釈する何人の指導者たちが実際に存在するということになっています。

ロベスピエールの言っていた「共和国の政治は、自由による独裁主義だ」とは、次のようなことです。
つまり、一般意志の決定を行使するためにだけ、「民主主義的に選挙を通して選ばれた」代表者たちがいるのです。しかし、一般意志が選ばれた代表者たちの意志と違うようになった場合、どうなるでしょうか。その場合、当選された人々と一般意志の間の緊張感が生まれてきます。

具体的な例を挙げましょう。例えば、丁度、今日、マクロン大統領は80キロ速度制限という法案について発言しました。明らかに、一般意志に反する発言ですね。なんて反民主主義的な大統領だろうなあ。すると、どうなるでしょうか。「主権者」の立場にある指導者、まあ、ルソー論で言うとその指導者は「主権者」ではないが、それはともかく、一般意志の決定を行使するためにだけ存在する「指導者」が一般意志に反対するようなことをやり始めると、凄い緊張感が生まれます。どうなるでしょうか。その指導者は自分の席を確保するために、暴君のように振舞うようになるしかありません。

言い換えると、自由を保護、自由を守るはずの「社会契約」のせいで、暴政・僭主政治に落ちていくのです。ルイ・ジュニェ『哲学教義と政治システム』(Louis Jugnet : Doctrines philosophiques et systèmes politiques)による短い本を引用しましょう。ジュニェ(Jugnet)教授による政治についての講座の記録の本です。引用は、ルソーについての紹介であって、よく纏まっています。ご紹介します。
「前世紀(19世紀)の偉大なる共和国派の一人、Arthur Rankeが国家の右派に向けて憤怒しだしたことがあります。」
つまり、その人は左派ですね。
「彼は素直に次の発言を(右派に)投げつけました。」
先ほど申し上げたことを良く示す一つの例ですから引用します。
「(右派に向けて)君らが僅かな少数派に過ぎない場合、我々は君らを軽蔑しよう。君らが無視できない少数派になった場合、我々は君ら(の当選)を無効にしてやろう。君らが多数派になった場合、われわれは銃をとって町に行くだろう。」
明白な発言ですね。でも、毎日、現代においてまさにこれを経験している通りです。「君らが多数派になった場合、われわれは銃をとって町に行くだろう。」
今の黄色ヴェストの事件はどうなっていくかを知るのは天主様だけですが、「銃をとって町に行くだろう」というのはここで言うと、黄色ヴェストのことではなく、政府です。

最後に、ルソーが打ち出した社会契約の実現をしようとした1789年の革命以来、現代に至るまで、フランスの歴史を見ると明白です。いつもいつも、無政府主義と独裁主義の行き来ばっかりです。なぜかというと、相次いで出てくる共和国はすべて、ルソーの社会契約論に基づいているからで、必然的にそうなります。というのも、ルソーの社会契約論は出鱈目に過ぎないからです。なぜかというと、その社会契約は自然ではないどころか、反自然だからです。ルソー自身がそれを認めています。社会契約は自然ではないと。

だから、現代に置いて、どんどん痛感するように、こういった社会契約論の悲惨な帰結を味わわざるを得ないのです。
社会契約論について、これで終わらせていただきます。主要な筋を紹介するつもりで、これで社会契約論を理解するための鍵を得られたと何より幸いです。ご清聴ありがとうございました。
来月のテーマは「エミール、教育ついて」です。


【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その三【第1部】:ルソーとその政治論

2020年01月31日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう


初回の時に、お知らせしたとおり、
第一に、ルソーの人生をご紹介し、
第二に、ルソーにおける有名な課題である「芸術」、ルソーによる「学問芸術論」を中心にご紹介しました。
今回、第三回目として「ルソーとその政治論」と題します。
次回(第四回)は「ルソーとその教育論」、ルソーの政治論の延長線にある課題を取り上げます。
最終回となる第五回には「ルソーとその宗教論」についてお話しします。

【第一部】
さて、今夜は「ルソーとその政治論」です。
政治に対するルソーの思想を知るためには、ルソーの二つの著作を参照すればよいでしょう。
まず、「人間不平等起源論」という論文です。それから、「社会契約論」、その副題は「政治法の諸原理」です。
前者の「人間不平等起源論」は1753年に書かれました。後者の「社会契約論」は1762年に書かれました。

最初に、手短に、「人間不平等起源論」をご紹介したいと思います。お配りした資料には「社会契約論」の引用が載っています。「人間不平等起源論」からの引用はお配りしていません。
さて、この論文も、前回ご紹介した「学問芸術論」と同じような切っ掛けで書かれました。思い出しましょう。ルソーがある雑誌、恐らく「ル・メルキュール誌」を読んで、ディジョンのアカデミーがある課題または質問または問題を対象に論文募集としている記載がありました。

今回の質問は次の通りです。
「人間同士の間に存在する不平等の起源はどこにあるのか、また自然法によって許される不平等なのか」

「学問芸術論」の時と同じような「ひらめき」がなかったでしょうが、少なくともその問いを見たルソーは興奮し、考え、その有名な論文を書き下ろしました。その結果、彼は優賞を取りました。
一言で言うと、その論文において、ルソーは「自然」と「人為」とを区別します。つまり「自然」と「社会」とを区別します。ルソーにとって、「社会」とは「自然ではないこと」です。それについてはまた後述します。
または、『告白』においてもルソーが表現しているように「自然による人」と「人間による人」という区別をします。前者は自然な人であって、後者は「社会によって再構築された人」という意味です。

要するに、その論文においてルソーは説明していますが、「自然の人」は根本的に「無罪(罪が無い)」です。または「幸せ」です。さらにいうと、道徳以前の状態にあるのが「自然の人」としますから、善悪がまだ存在しない状態で、すべてにおいて上手くいって幸せな人です。その「自然な人」は、原始的な「善」のままだ、と。どちらかというと、その「自然の人」は動物と全く変わらず、唯一動物と違う様相というと、「自然の人」は「自由」という能力を持っていることです。いいじゃないのですか。つまり、これが有名な「善き未開人」という神話です。

しかし、この論文に関してよく理解すべき点があります。それは、ルソーがその論文において「人類史」を書いているわけではないことです。つまり、「最初に、人間にとって絶対に幸せな時代があった、原初において人間が善であった」と言ったような「歴史」を述べているのではないのです。このように「起源論」を読んで理解したら、ルソーの思想を間違って理解することになります。

実際のところ、ルソー自身は、18世紀当時の自分が生きている社会、または彼自身の立場から経験している社会における「不平等」を説明しようとします。そこで「科学者の方法」という思考様式を使います。というのは、科学者のように、最初、ある「仮説」を措定して、その仮説に基づいて、議論を展開していき、「哲学的な」結論を出そうとします。その結果、「社会契約論」という著作は、それらの結論を纏めて発展してきた本だと言えます。

言い換えると、「善き未開人」という神話は、仮定に過ぎません。ルソーがその神話を仮定して、そこから出発して18世紀、当時の彼の目の前にある現象を説明するために、その仮定を活かして、展開して考えていきます。将に「科学方法」の採用です。ここで科学者のやることを考えましょう。
例えば、惑星の動きを取り上げましょう。これは歴史上、教会においても含めて多くの議論を招いた科学的な課題なので、好例でしょう。科学者は、「惑星の動き」という問題にどのように具体的に接するでしょうか。
まず「今、観察できる惑星の動きを説明する理由が何であるか」と自分に問います。惑星の動きをできるだけ観察して、それらをノートして、それらの動きを描いたりします。いろいろ測定して、「それらの動きの裏にある説明は一体なんであるか」と自分に問いかけます。大事なのは、その「説明(方式)」は、観察できないということです。科学者は現象だけを観察します。その裏にある、それらの現象を規定する「法則」を観察することは不可能です。

従って、その法則に近づくために、科学者は多くの仮説を立ててみます。そして、観察された現象を、それらの仮説で説明しようとします。次に措定された仮説がその現象を説明できるかどうかを確認します。そして、以前に収穫した多くの観察のすべてが説明できる仮説を発見した時に、「やった!正しい結論を発見した」となり、例えば「太陽系において、地球ではなく太陽が中心に位置している」といったような結論をだすのです。だから、科学者の間に、いつもいつも論争が起きます。

例えば「地動説」と「天動説」の論争の原因は科学上の方法論にあります。というのも、複数の仮説を立てても、当時、観察できた現象のすべてを説明し切った仮説が、同時に複数があり、論争が起きたからです。当時確認できた観察で、両方の仮説は、科学的に言うなら「正しい」ので、どちらか実際に正しいかを争う余地があったのです。

ルソーに戻ると、彼は「人間不平等起源論」において、次の仮説を立てます。ところが、その仮説をいつまでも「是」として、(それが本当なのかを検討していないのに)これはすべての現象を説明しつくすと主張します。
その仮説とは「自然の人は完全に罪が無い」です。つまり「善き未開人」を根拠づけるために、歴史を探って証明するのではなく、単に科学的な仮説、即ち「仮説的な根拠」に過ぎません。言い換えると、「善き未開人」というのは「説」に過ぎません。問題はその仮説を「公理」にして、その思想を展開していくことです。

さて、ルソーにとって、最初に何が起きたでしょうか。彼によれば、自然状態にあった人間が、外部からのある事情のせいで、ある時点で「原始的な無罪」を失ったと見ます。例えば、ルソーは災害を取り上げます。そのせいで、自然状態から「未開の状態」に落ちてしまったと見ます。未開の状態になると、人々はもうやむを得ず、ある程度の不平等の状態となった、そして、「一人が他人の物を横取りし」、そうした時点で、私有地の始った、と見ます。そこで、その私有地を維持するために力を使って、他人が本人より弱い限り、本人はその私有地が奪われなくても済んだ、と。従って、多くの不平等が生まれただけなく、それらの不平等が定着し、または所有権も定着してきた、そのせいで、人間同士の関係において不均衡・不安定性を生んだ、と。
これは、第二の状態であって、「未開人の状態」です。

ある意味で、以上の話はカトリックの教義の貧しい滑稽な模倣だと言えましょう。
カトリックの教義では、楽園でのアダムとイブの無辜(むこ)の状態があり、そして、原罪によってその堕落、そして、イエズス・キリストによる贖罪があります。
ただし、贖罪されたからといって、誰も確認できるように、最初の無辜の状態が取り戻されたわけではありません。それは兎も角、ルソーの理論においても、カトリック教義とある程度の類似性が見られます。無罪状態の喪失です。

つまり、無罪の状態とは「善き未開人」の神話です。そして、無罪の状態を喪失してかは、「未開人の状態」です。その段階では「善き未開人」ではなく、「悪き未開人」となります。つまり、所有権が発生して、喧嘩し、争い、不平等が発生したと。これらの単語はルソーが良く使っていて、彼の著作に散見しています。

それから、不平等という問題を解決するためには、自然状態(未開の状態)に戻ることは不可能だという前提がありますので、人間同士に「社会契約」を作るしかなかったとします。
ルソーによると、部分的でも人間を治し、未開の状態に戻すために、人間自身が人間同士である契約によって社会を「作り出した」とします。不平等と喧嘩ばかりで、また自然状態における多くの「権利(自由)」の喪失を意味する「未開の状態」を部分的にも治す役割が社会にあるはずだとしています。

御覧の通り、ルソーにとって、社会は自然的な事実であるのではなく、あくまでも「契約」による現象に過ぎません。つまり、彼にとって、たまたま発生して定着してきていた問題を解決するためにだけ、社会は「人造的に」人間によって作り出されたに過ぎないのです。言い換えると、ルソーによると、自然状態の人間は、つまり、人間は本性的に「独立している存在」です。
要するに、「人間不平等起源論」は結局「絶対自由主義」を賞賛する文章です。または、「個人主義」を絶賛する文章であることは一目明瞭です。

ルソーは数年後、「社会契約論」という著作において、以上の政治思想をより詳しく説明していきます。これから、「社会契約論」と抜本した引用に基づいて、ルソーの政治論をご紹介していきたいと思います。

それについて、デュゾー(Dusaulx)という人にルソーが発言したとされている有名なセリフを良く取り上げられます。これは本当に言い出したかどうかは不明のままですが、少なくとも面白い側面を示すセリフですから、読み上げさせていただきます。ルソーはDusaulxに次のように言った可能性があります。

「私の『社会契約論』に関していえば、それを完全に把握し理解していると自慢している人がいれば、私よりも頭がすぐれている。本来ならば、その本を書き直すべきですが、その力と時間の余裕がもはや尽きたので、よりようがない。」
自分の「社会契約論」についてルソーが言ったとされている評価です。

それは兎も角、1762年、「社会契約論」は出版されて、その数ヵ月後、次回にご紹介する「エミール―教育について」という著作も出版されました。しかし出版されたばかりの「社会契約論」はフランスとジュネーブにおいてすぐに禁書となります。ルソーはその本を書こうと思ったのは、昔からのことでした。少なくとも、大使館の書記官としてヴェネチアに滞在した時期からその本について思っていたのです。少なくとも、「政治制度」についての理論をその時期から書こうと思いました。そこで、『社会契約論』はその「政治制度」の哲学上の部分に当たると言えましょう。

実は、『社会契約論』を要約し、それを理解するのは、非常に簡単なことです。三つの言葉を覚えていただけたらそれで済みます。
「自由」と「平等」。ただし、三つ目の言葉は当たらないと思いますよ。博愛ではなく、「一般意志」です。まあ、もしかしたら「博愛」でもなんとかなるかもしれませんけどね。

「自由」「平等」「一般意志」
「社会契約論」は四編に分かれています。一編はそれぞれ、およそ10章からなっています。それぞれの章は3-4ページからなっていますので、読みやすくなっています。最長の章でも6ページを超えません。だから、やはり、20ページからなる章の本よりも、読みやく快いですね。

総計すると、四分に分けられ、全書は180ページだけで、48章です。
繰り返し繰り返し出てくる主な課題は「一般意志」です。この概念こそが、『社会契約論』を理解するための鍵であって、主要となる概念です。つまりこれこそが『社会契約論』のキーワードです。

「一般意志」は絶対に正しいし、間違えることは一切ないし、単一であるし、譲渡不可能だが、残念ながら、時々、一般意思が誤魔化されることがある、とされます。それは、完璧すぎる一般意思に当て嵌まらない現実を説明するためのルソーによるコツですね。
また「一般意志」は「個別意志」あるいは「個人の意志」に反しています。その上、後述しますが「中間共同体」にも反しています。言い換えると、『社会契約論』において、中世期の政治生活の批判が織り込まれます。

「社会契約」というのはある「逆説」より誕生します。
逆説の一点目は、「社会は自然的(本性的)なことではない」です。

二点目「しかしながら、社会は現実に不可避である。」言い換えると「本来ならば、そして人間が自分の本性に従うのならば、人間は社会において生活すべきではないし、生活しないはずだ」が、現実として「人間は社会において生活せざるを得ない」という逆説です。言い換えると、「人間は社会において生活するのは理不尽だ。なぜかというと、人間は本性的に非社会的な存在だから」と見ながらも、「現実において、どう見ても、社会において生活せざるを得ず、社会の外に生活することはできない」、これが『社会契約論』を生んだ逆説です。

お配りした最初の引用です。『社会契約論』の最初の文章です。
「人間は自由なものとしてうまれた」(1,1)これは、ルソーが見ている人間の本性の一つの要素です。「しかもいたるところで鎖につながれている。」言い換えると、現実にどこにいても、人間は奴隷だと言わんばかりだ。「自分が他人の主人であると思っているようでも、実はその人々以上に奴隷なのだ。」
つまり、ある人々は自分が他人を支配していると思っているかもしれないが、彼らも含めて、ある意味で奴隷だ、と。他にある主人の奴隷でもあるのだ、と。

「どうしてこの変化が生じたのか?私は知らない。何がそれを正当なものとしうるのか?私はこの問題は解き得ると信じる。」(1,1)

つまり、人間は一体なぜ社会において生きているのか。また、社会においての人間の生活の基盤はなんであるべきか、という問いをあげて、ルソーがその著作において答えてみようとします。

「もし、私が力しか、または、そこから出てくる結果しか考えに入れないとすれば、わたしは次のように言うだろう。ある人民が服従を強いられ、また服従している間は、それもよろしい。人民がクビキをふりほどくことができ、またそれをふりほどくことが早ければ早いほど、なおよろしい。なぜなら、そのとき人民は、〔支配者が〕人民の自由を奪ったその同じ権利によって、自分の自由を回復するのであって、人民は自由を取り戻す資格を与えられたからだ。しかし、社会秩序は他のすべての権利の基礎となる神聖な権利である。しかしながら、この権利は自然から由来するものではない。それはだから、約束に基づくものといえる。これらの約束がどんなものであるかを知ることが、問題なのだ。それを論ずる前に、わたしはいま述べたことをハッキリさせておかねばならない。」(1,1)


要するに、最初、ルソーが言っていることは次のとおりです。
「人民が服従を強いられ、また服従している間は、それもよろしい。」
つまり、人間が誰かに服従せざるを得ない時は、人間は相応しい状態にはいないということでます。なぜでしょうか。以前にもちょっと触れたことですが、それは、「人間が自由を失ったからだ」とルソーは言っています。人間の一番貴重な権利は自由だと。これは、『社会契約論』の最初の文章です。「人間は自由なものとしてうまれた。」『社会契約論』を考えるために、いつもこの文書を念頭に置いておきましょう。「人間は自由なものとしてうまれた」と。

言い換えると、ルソーによると、本性的に言うと、人間を特徴づけて人間を定義づけるのは「自由」です。何があっても、どうしても人間が自由のままに残るべきで、人間は自分の自由を維持すべきだ、と。しかし社会において生活せざるを得ない時点で、人間はもう通常な状態でなくなった、従って、「人民がクビキをふりほどくことができ、またそれをふりほどくことが早ければ早いほど、なおよろしい。」それは、「自分の自由を回復する」から「なおよろしい」ということです。しかしながら、それでも社会秩序が存在しているということもルソーは確認しています。

そういえば、ルソーはちょっと不思議なことを書いています。
「しかし、社会秩序はすべての他の権利の基礎となる神聖な権利である。」
実を言うと、ルソーがここで言おうとするのは「人間が自由のままにいられる社会秩序は存在している」というようなことです。そして、この社会秩序の如何について、またどうやって設立できるかなどについてが、『社会契約論』の論じる課題です。
要するに、ルソーから見ると、人間の本性を尊重する唯一の社会形態は人間の自由を尊重し、その自由を維持させる社会です。言い換えると、人間がその社会に入っても、自分の自由を失わなくても済むような社会をルソーは理想にします。

それで、『社会契約論』においてのルソーの解くべき難題は次のことです。
「人間は社会的な存在でありながら、つまり服従せざるを得ない存在でありながら、同時にどうやって自由な存在でありえるだろうか、つまり服従しなくてもよいだろうか。」

『社会契約論』はこの矛盾こそを解こうとしています。簡潔にいうと、「人間はどうやって同時に服従しながら自由のままにいられるのか」という問題です。
お配りした資料の引用毎の最初の数字は、例えば(I,1)と言った表記があると思いますが、第一桁は何編目であるか(全・4編)、第二の桁は編の中の章を指します。総ての引用は『社会契約論』からです。

つぎに、ルソーは引き続きこう書きます。
「あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。」(1・2)
それは興味深い文章です。「ただ一つ自然な」社会は家族だけです。ルソーによる市民社会、あるいは村・国家などは自然な社会ではないということですね。言い換えると、我々が生活している社会は自然ではないのです。「国家Civitas」すなわち「政治的な社会」は自然ではないと見ます。

では家族についてルソーが何を言っているかを見ていきましょう。
「あらゆる社会の中でもっとも古く、またただ一つ自然なものは家族という社会である。」
もしもルソーが現代に生きていたならば、確かに彼の世紀よりも現代の方が家族を否定することは簡単だったといえるでしょう。「科学進歩」の「お陰で」、父母を隠して、父母抜きに子供を一応「作れる」ようになったので、昔より家族を否定しやすくなったかもしれません。ルソーの時代だと、そういったような否定は考えられなかったし、思いつきそうになってもまったく現実的な話ではなかったので、ルソーは「家族」に対して絶対に否定できなかったのです。

ルソーでさえ「家族が自然なものである」と認めざるを得なかったのです。ルソーの時代にも現代にも、父母がない限り、これは変わらない事実で、家族無しには子どもは生まれません。まあ、現代は、「有能」な政治家たちのお陰で、家族を奪ったまま子供を「作れる」ことが合法的になっています。素晴らしいことではないでしょうか。
それはともかく、ルソーは「家族が自然な社会だ」と言います。それをどうしても認めざるを得ないからです、本当に認めたくないけれど。
「ところが、子どもたちが父親に結び付けられているのは、自分たちを保存するのに父を必要とする間だけである。この必要がなくなるや否や、この自然の結びつきは解ける。」(1.2)
言い換えると、ルソーによると、子どもが独立するようになる瞬間から、父母を失うのです。ルソーの言葉です。そうなると「自然の結びつき」は解けると断言します。結論は、「家族はもうない」ということです。

考えてみると、なかなか信じられない論調ですね。
「子どもたちは(…)再び独立するようになる。」
ルソーは、いつも同じことに帰するのですけど、彼の妄想は「自由」です。あるいは独立と言ってもわかりやすいかもしれません。
「もし、彼らが相変わらず結合しているとしても、それはもはや自然ではなく、意志に基づいてである。」
これは、言い換えると「ある時点になると、血縁でさえ自然なことでなくなって、意志に基づく縁に変わる」と言います。要約すると、その意味です。

「だから、家族そのものも約束(契約)によってのみ維持されている。」
要するに、幼い時に限ってだけ、子どもは自然に父母を愛しているのですが、その後は、独立したら契約に基づいて父母を愛するようになると主張します。皆様はそういったことを経験したのでしょうかね。やっぱりまったくないなあ。
「両者に共通のこの自由は、人間の本性の結果である。」

これです。ルソーの言っている主要な点です。つまり、人間の本性は根本的に自由なので、自由の故に、独立が伴うしかないということです。
「人間の(本性)の最初の掟は、自己保存を図ることであり、その第一の配慮は自分自身に対する配慮である。そして、人間は、理性の年齢に達するや否や、彼のみが自己保存に適当ないろいろな手段の判定者となるから、そのことによって自分自身の主人となる。」(1.2)
「子どもの権利」と言った発想は、そういった考えに由来しています。というのも、子どもが肉体的に成長したら、何を食べたら良いか、学校で何を習ったらよいか、子どもが自分ですべてを決める権利があるといったような帰結を伴う思想だからです。
以上御覧の通り、なかなか過激な主張です。というのも、ルソーは、しいていえば社会の「自然性」のすべてをトコトンに否定するからです。

「自由のために」として否定します。お配りした次の引用は、引き続き第一遍にあります。
「自分の自由を放棄すること、それは人間たる資格、人類の権利並びに義務をさえ放棄することである。」(1.4)

こういったような雰囲気な引用は数え切れないほど頗る多いのですが、やっぱりこういった発想が『社会契約論』の底流にありますので大事です。絶対自由主義です。そういえば、現代ではとかく「自由」としつこく言われていますが、それはルソーに由来するものに他なりません。現代までルソーの理想をどうしても実現しようとし続けてきました。しかし、ルソーの望んだ理想は現代でも全く実現していないと思いますが、それは驚くべきことでもなくて、ルソーに従ったらうまくいくわけがありません。結局、いわゆる「ルソーのせいだ」ということですね。まあ、「ヴォルテール」のせいでもありますが。

「自分の自由を放棄すること、それは人間たる資格、人類の権利並びに義務をさえ放棄することである。何人にせよ、すべてを放棄する人には、どんな報いも与えられない。こうした放棄は、人間の本性と相容れない。意志から自由を全く奪い去ることは、行いから道徳性を全く奪い去ることである。要するに、約束する時、一方に絶対の権威を与え、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ。」(1.4)
要するに、自由に背くことだと言っています。

さて、ルソーは引き続き議論を展開します。まず、人間は本性的に自由であって独立しているとします。「自分は自分の主だ」と言います。それから、お配りした次の引用になりますが、それは「人間不平等起源論」に織り込まれた仮説を再び打ち出します。
「私はつぎのように想定する。人々が自然状態において生存することを妨げる諸々の障害が、人間の抵抗力によって各個人を自然状態に留まらせる力に打ち勝つにいたる点まで到達した、と。そのときに、この原始状態はもはや存続し得なくなる。そして人類は、もしも生存の仕方を変えなければ、亡びるであろう。」(1,6)

言い換えると、ルソーの仮説を踏むと、人間は自分の抵抗力より強いもろもろの障害に対して無力のままで、というのも、ルソーがその後に言うように「人間は新しい力を生み出すことはできない」からですが、人間は障害に対して勝てず、それらの力は人間を支配するかのように、障害が妨げとなって、「自由の状態」という本性から堕落しつつある、としています。
それでは、人間はどうするのでしょうか。

次に続くこの文書があります。
「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて、守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。」

簡単に要約すると、ある時点になって、人間は予想外の非常な難事に遭います。自分の自由が拘束されてしまうほどのような難事だとされています。それらの障害のせいで、自分の自由が妨げられるようになります。それでは、それらの障害に対してその状態を解決するためにどうすればよいのか。人間は他の人間の人々と一緒に結合・結社せざるを得なくなった、ただし、こういった結合・結成の目的は各構成員の自由を維持する、あるいは自由を取り戻すためにあるだけです。ルソーによると、こういったようなことこそが「社会契約」の起源です。「社会契約」の目的も明記にされています。それは自由のためにあると。これが、しつこく「自由」という概念を強調している所以です。ルソーによると、人類史のある時点になって、いや、仮説的、科学的にいうある時点になると、人間は自由を失いそうになったとします。その状況を受けて、自由を失わないように、自由を取り戻すために、他人と結合したのだ、と。

「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々を結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、依然と同じように自由であること。」
これは興味深いでしょう。
「そうしてそれによって各人が、すべての人々を結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、依然と同じように自由であること。これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える。」(1.6)

よし、それでよろしいでしょう。「社会契約論」はこの引用で終わりです。その引用を読めば、この本のすべてを理解できたと思います。つまり、「社会契約」とは何であるかというと、「各構成員が自分の自由を取り戻す目的をもって、人々が結合することによって社会を設立する契約」ということです。
「自分の自由を取り戻す」とは、「自分自身にしか服従せず」ということです。

そこで、新しい逆説が現れるということがお気づきになったでしょうか。というのも「他人と結合しているのに、一体どうやって自分自身にしか服従しないということはあり得るだろうか」または、「どうやって他人と契約を結んでいるのに、自分の自由を維持することは可能だろうか」という矛盾があるからです。

お配りしていない引用だと思いますが、次の興味深い文章があります。
「要するに、各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。」(1.6)
これは、以上の矛盾に対するルソーの解決です。考えてみると単純ですね。思いつくことさえできれば。
「要するに、各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。そして、自分が譲り渡すのと同じ権利を受け取らないような、如何なる構成員も存在しないのだから、人は失うすべてのものと同じ価値のものを手に入れ、また所有している者を保存するためのより多くの力を手に入れる。」(1.6)

それに従って、お配りした次の引用が続きます。より明白になると思います。
「だから、もし社会契約から、その本質的でないものを取り除くと(コメント・言い換えるとその本性に属しないものを取り除くという意味)、それは次の言葉に帰着することが分かるだろう。「我々の各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意思の最高の指導の下に置く」と。」

はじめて「一般意志」という表現が登場する個所です。この概念は、以上の逆説を、自由のために結社せざるを得ないという矛盾を解決する役割をもつのです。
「我々の各々は、身体とすべての力を共同のものとして、一般意思の最高の指導の下に置く。そして、我々は各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受け取るのだ。」(1.6)

続いて、次のように書いてあります。「この結合行為は、直ちに、各契約者の特殊な自己に代わって、一つの精神的で集合的な団体を作り出す。その団体は集会における投票者と同数の構成員からなる。それは、この同じ行為から、その統一、その共同の自我、その生命及びその意志を受け取る。このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつては都市国家(シテ)という名前をもっていたが、いまでは共和国(république)または政治体(corps politique)という名前を持っている。それは、受動的には、構成員から国家と呼ばれ、能動的には主権者、同種のものと比べる時は国(puissance)とよばれる。」

ここで、ルソーは一体何が言いたいでしょうか。要するに、人間は自分の自由を取り戻すために、結社する、これが第一歩です。そして、結社しますが、次に、人間はどうするでしょうか。社会を作りますが、その社会を指導するのは個別の人ではなく、肉体の指導家ではなく、「集会全体」を「指導家」にします。というのも、皆が結社するのは、自分の自由を取り戻し、維持するためですから、結社する全員が、自分が自分を指導するのです。すると、自分を自分で指導することによってだけ、他人をも指導するような、いやむしろ、裏返すと、他人を指導することによって自分を自分で指導するために結社するのです。

要するに、社会契約において指導者たちはいないことになります。または、それぞれの意志の結社に過ぎないが、その上に、その意志は皆が共通していると。それは自由を維持しようとする意志が皆の構成員にあった同じ意志だと。すると、こういった結社は非常に強いので、その結社は新しい団体を作って、それは「社会」とルソーが名付けています。ただし、その新しい団体は、新しい意志を生み、その意志は皆共通し、いわゆる、同時に各々の構成員が持つべき意志であり、共同でも持たれている意志です。

ちょっとわかりづらいですが、イメージはわかりましたか。これはルソーの「一般意志」です。つまり、「構成員」からなる契約社会には、皆が共通して同じ基礎・基盤である「目的」を持っているのです。その目的は「自分の自由を維持する」ためです。で、その契約社会というのは、ちょっと大げさにいうと、各々の構成員が自分の自由を提供することによってある種の「超自由(一般意思)」を作り出すのです。そして、それほど「超」自由なので、団体が誕生すると、その団体には、ルソーの言葉を借りたらあたらしい「自我」とか新しい「意志」とか新しい「自由」を持つ新しい人格を作り出します。一言で言うと、それは「一般意志」を作り出す結社だとルソーが言っています。そして、こういった「一般意志」というのは、同時に各々個人の意志でもあるのだとされます。個人の意志と一緒でありながら、一般意志は、個別の意志にとどまらないとされます。感じとしてそういったイメージです。

例えてみたら、こういいましょう。一人の体のそれぞれの四肢にある「生命」は全体の「生命」とまったく一緒だというのと似ていて、個人の意志が「一般意志」と全く一緒だとされます。つまり、身体において流れてくる生命は身体の部分を問わず同じ生命でありながら、全体としての「私」を特徴づける、区別できる「生命」です。

ただし問題があります。こういった類似は一般意志に関しては、実を言うとあてはめることは不可能です。というのも、共同体を説明するために、物質的だけの身体に比較することは不可能だからです。なぜかというと、一人の身体のすべての部分はバラバラではなく、本当の意味で統一してはいるからです。身体は、本当に統一した生命において存在するからです。

その統一を特に強調しましょう。ルソーの言うことはこうです。人間は結社する、それは社会を作り出すと。そして、結社することに当たって誓約を交わすと。それが「社会契約」だと。そして、その新しい社会において、唯一の生命が流れてくる、それが「自由」という生命だ、と言います。しかし、この生命を見つけるためには「一般意志」を通じてでなければできないと。で、また後述しますが「一般意志」というのは、結局、「皆の表現・現れ・総意の表明」である、まさに、これはルソーによる、近代的な「民主主義」の定義に他ならないのです。

しかし、その定義に沿うと、多くの問題が出てきます。例えば、結社する人々は皆が共通している目的をもって結社するとされているので、皆が同意するとされています。それは「自分の自由を維持するため」という目的で結社されるとされています。しかしながら、後はどうするというでしょうか。

より簡単にわかりやすくするために例えてみましょう。それらの人々を一緒に融合させてある種の「生地」になったとしましょう。たとえば、20人が居て、社会契約を結んで、それらの20人をよく混ぜて一つのある種の「等質体の生地」となったと。「やったぞ、社会契約ができたぞ、一般意志ができたぞ」と言い出します。ただし、問題が残りますね。どれほど結社したって、どれほど「一般意志」という者の下に置いたって、社会の構成員はそれぞれ個人であって、どうしても個人として存続するのです。

どういえばいいでしょうか。例えば、混ぜ得る二つの液体があるとしましょう。その二つの液体を混ぜた結果、新しい「全体」が等質となっています。問題は、人間の場合、どれほど「混ぜた」といっても、どれほど結社させたとしても、どれほど最初の契約の基盤を皆が共通に持っていたとしても、それぞれの構成員はすべてにおいて意志が一致することは不可能だということです。それぞれの構成員はどうしても「個別」の人としてのこり、個別の側面を無くすことは不可能です。これこそがルソーがぶっつかる次の問題です。
「皆が一致して全員全体として自由である」と同時に「それぞれ各々の構成員は個人として自由でいられるようにする」というのは一体どうやってできるかという問題です。

そこで、その問題を解決するためは、ルソーはもう一度、「一般意志」を打ち出して、一般意志で解決しようとします。一般意志というのは、結局(民主主義的な)「皆の表現、現れ、総意の表明」だとされています。
ただ、問題があります。そもそも「全員皆が絶対に「自由になるため」というところに同意している」というところです。そういえば、現代はこういった状況になっています。どういう手段をもって自由になれば良いかに関して、もう皆がばらばらとなっています。大問題です。

そこで、どうすれば良いでしょうか。お配りした次の引用に移りましょう。
「従って、社会契約を空虚な法規としないために、この契約は、何人にせよ一般意志への服従を拒むものは、団体全体によってそれに服従するように強制されるという約束を、暗黙の内に含んでいる。そして、この約束だけが他の約束に効力を与えうるのである。このことは、〔市民〕は自由であるように強制される、ということ以外の如何なることをも意味していない。」(I,7)

なんて思いつきでしょうか。
「そうしたことこそ、各市民を祖国に引き渡すことによって、彼をすべての個人的従属から保護する条件であり、政治機関の装置と運動を生み出す条件であり、市民としての様々の約束を合法的な物とする唯一の条件であるからだ。」(I,7)
なかなかの提言ですね。さすがに。

次にお配りした第八章の引用でルソーが言っているように、なかなかの利点がでてきます。つまり、「市民状態」となった社会において、人間は、確かに自然状態において持っていた幾つかの要素(独立、絶対な自由など)を失わざるを得ないものの、別の新しい要素を得ることができるとされます。ある面、「自由であるように強制される」といったなかなかの逆説的な要件を認めさせるために、そういった「利点」を打ち出します。というのも、皆が結社した時、現代でうるさくなるほど「自由!自由!」と叫んで同意したとしても、同意した途端、終わらない喧嘩ばっかりが始まるのです。どうせ、自由と言っても、なぜ自由になりたいか、どうやって自由になりたいか、誰と一緒に自由になりたいか、それは誰も結局知らないから、めちゃくちゃになっていくしないのですから。
ルソーいわく、そういった問題を解決するのは簡単です。「一般意志」に従わない個人を強制すればよいと。どうせ、その個人は「自由は何であるかを分からないから」彼を強制してもよいという。

しかしながら、注意しましょう。ルソーにとって、「団体」を作り出す「結社なる社会」は同時に「共同体」であり、同時に「主権者」であるのです。これを理解すべきです。社会契約において、「一般意志」というのは、それぞれの個別の意志が一緒に決める意志なのだから、その一般意志の持主は「一人の人」ではなくて(まあ現実問題として、結局、ある代表者が指導者として指定されるようになりますが、それはともかく)、社会契約における主権者は人ではなく、全構成員の全体です。これこそは「純粋な民主主義」です。現代風に言うと、「絶対的な国民投票」のようものですが、結局、それができたとしても何もならないのです。

そういえば、面白いことに、ルソー自身が民主主義は何もならない、うまく行かないということを認識していました。その引用も手元にあると思いますが、要約すると、こういっています。
つまり、社会契約ということ、つまり一般意志が機能するために、非常小さい国である必要があるという条件を認めています。簡単に言うと、二人で結社した方が、三・四人で結社するよりも、同意しやすいという単純なことですね。たとえば、記憶が正しかったら、ポーランドを「32ヵ国に分国する」とルソーが提案したことは典型的でしょう。フランスを分国しようとおもったら、どういった提案をルソーがやったかは興味深いですけど。ともかく、その32ヵ国に分けるというのは、政治がうまくいくためだと。ところで、実際問題としての国制について、ルソーは「ポーランド」と「コルシカ」についてだけ言及し、これらを例にしました。面白いことに、コルシカについては「大騒ぎになるだろう」といったのですね。確かにそうなりました。彼の言った意味と違う意味で大騒ぎになったのですけど。

それはともかく、構成員が多ければ多いほど、喧嘩と不和が増えるので、できるだけ、国を小さくにしようと提案しますね。そうじゃないと喧嘩になるから。
繰り返しますが、なぜか問題になるか、「主権者は決定する時こそ、共同体そのものだ」とされているからです。しかしながら、同時に、決定されたことに従うのも「共同体そのものだ」ともされています。今回は「自分のために自分が決定したことに従う」としての共同体。ようするに、主権者は集まった共同体であって、その社会自体が決定すると同時に、その決定に従う同じ共同体でもある、と。これは純粋な民主主義です。「自分が自分のためにきめる、主権者即臣民」。契約社会においてなら、「自分らが自分らのために決める」ですね。

次に、以上のような社会に属するに当たって、一体どういった利点があるでしょうか。次の引用です。
「この状態において、彼は、自然から受けていた多くの利益を失うけれど、その代わりに極めて大きいな利益をうけとるのであり(…)もし、この新しい状態の悪用が、彼を、抜け出てきた元の状態以下に堕落させるようなことがあまりなければ、元の状態から彼を永遠に引き離して、バカで劣等な動物から、知性あるもの、つまり人間たらしめたこの幸福の瞬間を。絶えず祝福するにちがいない。」(I,8)

次の引用に移ります。
「この賃貸勘定の全体を、たやすく比較できる言葉に要約してみよう。社会契約によって人間が失うもの、それはかれの自然的自由と、彼の気をひき、しかも彼が手に入れることのできる一切についての無制限の権利であり、人間が獲得するもの、これは市民的自由(これはつまり平等です。いわゆる〈すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、権利と尊厳について平等である。〉)と、彼の持っているもの一切についての所有権である。」(I,8)

御覧の通り、この所有権は「一般意志」によってこそ制限されています。というのは、一般意志によって制限されるというのは、自由をもって意志的に制限するという理屈で、各々の構成員の自由が保護されるとされているからです。サルトルもいったように「他人の自由の始まるところで我が自由は終わる」のです。要するに、自然的な自由である絶対なる自由を失う代わりに、所有権を得た上で、ある程度の自由を維持しながら、他人の自由を保護することに貢献すると言いたいのです。


「この埋め合わせについて、間違った判断を下らぬためには、個々人の力以外に制限を持たぬ自然的自由を、一般意志によって制約されている市民〔社会〕的自由から、はっきり区別することが必要だ。さらに、最初に取ったもの権利〔先占権〕或いは暴力の結果に他ならぬ占有を、法律上の権原なくしては、成り立ちえない所有権から、ハッキリ区別することが必要だ。」(I,8)

「わたしは、すべての社会組織の基礎として役立つに違いないことを一言して、本章及び本編をおわろう。それは、この基本契約は、自然平等を破壊するのではなくて、逆に、自然的人間の間にありうる肉体的不平等のようなもののかわりに、道徳上及び法律上の平等を置き換えること、また、人間は体力や、精神について不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になるということである。」(I,9)

この文章は非常に面白いです。というのも、この文章こそは、我々が毎日経験している現代社会の原理とその基礎をなすからです。まさに絶対な平等です。肉体的な違いを無視するのです。何でもいいですけど、年齢の差とか、民族とか、身長とか、性別等々。そういった平等は自然によって与えられたと言っていますね。そして、「社会のお陰でこういった自然な平等を消せる」と言います。消すというか、「無視する」ということで、そういった不平等に関してもう何もやらない、話さない、世話しないとした上で、別にある人造的な平等を設立しようとするのです。

それが、市民的な平等であって、「道徳上の平等」で、「社会上の平等」です。社会契約はこの平等を設立しようとします。だからこそ、〈すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、権利と尊厳について平等である〉とされています。その契約によってだけ、そうなっています。

たとえば、現代に話題となっている「子どもの権利」とか、これから、こういった「権利」が発展していくでしょう。また同じく、どんどん「男女平等」ということで、男女を同じものにさせようとする政策もそこから来ます。「権利の平等」、その結果、無数の「差別」が現れます。「差別」という言葉を言い出した時点で、実際はどうであっても差別で告訴したら勝つのです。また、結婚に至って結婚において平等を入れるということで、それに反対したら、いわゆる「同性愛に対する差別だ」と罵倒されるような。

要するに、ルソーの「社会」は、法律上の平等を与えます。例えば、同性愛で結婚するのも「権利」だと言われるようになります。また同じく、何でもいいですけど、「○○権利」を要求してもよいようになります。後は手短にせざるを得ず、後述しますが、以上のような発想に従うと多くの問題が出てきます。

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その二【第2部】:学問芸術論のなかにある誤謬

2020年01月16日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



【第二部】
それでは、第二部となります。第一部より、多少短いですが、お配りした抜粋は第一部より多少多いです。というのも、一番有名な引用は第二部にありますから。
手元にある最初の抜粋こそは、恐らく一番一般的に、「学問芸術論」から紹介されている文章だと思われます。

「人間の休息を敵視するある神が学問を発明したというのは、エジプトからギリシャに伝わった古い伝説だった。」
C'était une ancienne tradition passée de l'Égypte en Grèce, qu'un dieu ennemi du repos des hommes était l'inventeur des sciences.

プロメテウスの神話の話ですね。「人間の休息を敵視する」ティタンのプロメテウスが「ゼウス」から火を奪って、人間に火を渡したという神話です。御存じの通り、ゼウスが憤怒して、罰としてプロメテウスを鎖で拘束し、毎日毎日、鷲によってプロメテウスの肝臓が食われるのです。そして、夜になって、肝臓が回復して、翌日が改めて鷲が来て肝臓をいつまでも食っているというのです。また、プロメテウスは人間に冶金術を教えたともされています。

ルソーによると、「エジプトからギリシャに伝わった古い伝説」はプロメテウスが人間の敵であることを証明するといっています。なぜでしょうか。ゼウスがプロメテウスを罰したからです。つまり、ゼウスが人間を守ろうとしたからだとルソーは言っています。
「では、学問の生みの親であるエジプト自身が、学問について持っていたに違いない見解は、どんなものだったのだろうか。エジプト人こそ学問を生み出した源を身近に見ていたのだから。」
Quelle opinion fallait-il donc qu'eussent d'elles les Égyptiens mêmes, chez qui elles étaient nées ? C'est qu'ils voyaient de près les sources qui les avaient produites.

ちょっと飛ばします。同じ段落の最後に次の文章があります。学問の原因を語る一行。これはよく引用されている部分です。
「天文学は迷信から生まれ、雄弁術は野心、憎悪、お世辞、虚偽から生まれ、幾何学は貪欲から、物理学は無益な好奇心から生まれた。これらすべて、道徳でさえ、人間の傲慢さから生まれたのだ。それゆえ、学問と芸術とが生まれたのは、我々の悪のせいなのであって、もし、徳のお陰で生まれたのなら、われわれが、学問芸術の利益について疑うことは、もっとすくないことだろう。」
L'astronomie est née de la superstition ; l'éloquence, de l'ambition, de la haine, de la flatterie, du mensonge ; la géométrie, de l'avarice ; la physique, d'une vaine curiosité ; toutes, et la morale même, de l'orgueil humain. Les sciences et les arts doivent donc leur naissance à nos vices : nous serions moins en doute sur leurs avantages, s'ils la devaient à nos vertus.


明記されていますね。
学問と芸術は悪い習俗を引き起こした、と。だが、その上に、学問と芸術の原因もまた人間の悪徳なのだと主張しています。

例えば人々は「丁寧さ」を身につけたのは、偽善心のせいであるか、あるいは、へつらいのせいであるかということになりますね。また、なぜ天文学者が出たかというと、ルソーによると、彼らは迷信的だったから、天体を見ることによってその迷信を満たそうとしていたからだということになります。道徳でさえ、なぜか存在するかというと、ルソーに言わせれば、「人間の傲慢さ」に由来しているからだといっています。なんか「自分の完成」を求める「傲慢な人間」のせいで道徳ができたという感じ。
「それゆえ、学問と芸術とが生まれたのは、我々の悪のせいなのであって、」
Les sciences et les arts doivent donc leur naissance à nos vices
書きぶりとして上手く良く出来上がっているでしょう。パッと読むと、一瞬「まあそうかもしれない」と思われてもおかしくないようにされている巧みな書きぶりですね。


【「原因」と「きっかけ」との二つの概念を混同】
以上の段落には、何らかの一理がなくはないかもしれませんが、そこでルソーが犯している主な誤謬は、次の通りです。つまり、区別すべき二つの言葉を混同して、間違って使っているという誤謬を犯すのです。「原因」と「きっかけ」との二つの概念を混同します。原因と切っ掛けは別々のことです。

つまり、ルソーは「人間の悪こそ学問と芸術の原因である」と主張します。
しかしながら、実際においては、「人間の悪は学問と芸術の原因ではなく、そのきっかけに過ぎない」というべきです。同じに見えても全く違う結論になります。なぜかというと、「原因」というのは、「必然的に」結果を伴うのです。「結果」は必ず「原因」から引き起こされているからです。結果はその原因と必然的に結んでいるということです。要するに、「原因」は「結果」を生むのです。

一方、その言葉の意味から自明な通り、「きっかけ」から、結果が生じるのではなく、その切っ掛けは「事情・状況」であって、「その状況において、ある結果がある原因から実現した」という意味です。原因と切っ掛けとの区別は見えたでしょうか。「原因は結果を生む」。それに対して、「きっかけは結果を生まない」ということです。きっかけは「ある原因がある結果を生んだ」状況・事情に過ぎないのです。

それでは、「人間の悪が幾つかの学問の “きっかけ”になった」ということは、それは可能だし、実際にあったかもしれません。しかしながら、「人間の悪が幾つかの学問の “原因”」だったのは、それは無理です。また後述しますが、実際において、「学問の原因」というのは、知りたい気持ちこと、理解したい気持ちといった人間においての「自然なる欲望」にあるからです。
御覧の通り、以上の段落では、良く書きあがったものの、根本的な誤謬があります。「原因」と「きっかけ」が混同されています。
ちょっと哲学用語を使わせていただいたら、「偶然を対象にした詭弁 [注2] 」という誤謬のある文章です。ちょっと飛ばします。手元にある次の段落に移ります。

[注2]つまり、偶然なことを「必然」なことをみなす詭弁。

「もし、我々の学問が、目指す目的において無益であるとするならば、それが生み出す結果によっても、学問はさらに一そう危険なものである。無為の中に生まれた学問が、今度は無為をはぐくむ。」
Si nos sciences sont vaines dans l'objet qu'elles se proposent, elles sont encore plus dangereuses par les effets qu'elles produisent. Nées dans l'oisiveté, elles la nourrissent à leur tour

ここでは、学問と芸術を生み出した悪の内に、ルソーが「無為」を加えるのです。諺は御存じですね。「無為はあらゆる悪徳の母だ」と。
「無為の中に生まれた学問が、今度は無為をはぐくむ。」
そこでは、ルソーにとって厳密にいう「悪循環」があるとされます。悪である無為が学問を生み出し、そしてルソーにとって悪である学問が無為を生み出すのです。

「そして、取り返しのつかない時間の浪費こそ、学問が必然的に社会に与える第一の害である。道徳においてと同じように、政治においても、すこしも害をしないことは、大きな悪である。無用な市民は、すべて有害な人とみなすことができる。」
et la perte irréparable du temps est le premier préjudice qu'elles causent nécessairement à la société. En politique, comme en morale, c'est un grand mal que de ne point faire de bien ; et tout citoyen inutile peut être regardé comme un homme pernicieux.

要するに、ルソーにとって、学者や芸術家は無用な人です。なぜかというと、これらは、ルソーにとって、善を施さない人々だからです。ルソーにとっての善は、徳そのものです。したがって、その理論だと、徳をもって行動しない人は、無用となるしかありません。故に、彼にとって学者や芸術家は無用な人です。手元にある抜粋に次を省いたと思いますが、そこで啓蒙哲学者たちと科学者たちに声をかけます。

「そこで、有害な哲学者諸君、物体は真空でどんな比例で引き合っているか、惑星の公転において、同一時間に通過する面積の比は、どれほどであるか、」云々「などを我々に教えてくれる諸君、かくも多くの崇高な知識を我々与えてくれる諸君よ、どうかつぎの問いに答えてくれ。もし諸君が、われわれに、以上のことを教えなかったとしたら、我々の人口がいまよりもすくなく、政治も良くなく、恐れられることも少なく、繁栄してもいず、あるいは一そう邪悪になっただろうか。」
Répondez-moi donc, philosophes illustres ; vous par qui nous savons en quelles raisons les corps s'attirent dans le vide ; quels sont, dans les révolutions des planètes, les rapports des aires parcourues en temps égaux ; … Répondez-moi, dis-je, vous de qui nous avons reçu tant de sublimes connaissances ; quand vous ne nous auriez jamais rien appris de ces choses, en serions-nous moins nombreux, moins bien gouvernés, moins redoutables, moins florissants ou plus pervers ?

要するに、徳に関して、学問などは無用だとルソーは主張します。
ルソーは学問学術と習俗の頽廃を因果関係で結ぶので、それに対して「徳」を弁護しようとします。彼にとって、徳が人間において存在するために、学問を除外すべきだと言っています。故に、次のように続きます。

「だから、あなた方の業績の重要性をふりかえってみてくれ。我々の学者や最良の市民の最も輝かしい業績が、我々にほとんど役に立たないとすれば、国家の物資を貪り食って、何の役にも立たないあの多くの無名作家たちや、なすところのない文士どもの群れを、どう考えたらよいかを、いっていただきたい。」
et Revenez donc sur l'importance de vos productions, si les travaux des plus éclairés de nos savants et de nos meilleurs citoyens nous procurent si peu d'utilité, dites-nous ce que nous devons penser de cette foule d'écrivains obscurs et de lettrés oisifs, qui dévorent en pure perte la substance de l'État.
国家に居候(いそうろう)している連中です。ルソーは現代に生きているのならば、現況に対してどう描いたでしょうかね。

「なすところがない、といえるだろうか。実際、文士どもが、そうであればありがたいのだが!そうだったら、習俗はもっと健全で、社会はもっと平和だったろうに!ところが、これらの生意気で、くだらぬ口やかましい連中は、有害な逆説を武器として、四方へ出かけてゆき、信仰の基礎をくつがえし、徳を破滅する。」
Que dis-je, oisifs ? et plût à Dieu qu'ils le fussent en effet! Les mœurs en seraient plus saines et la société plus paisible. Mais ces vains et futiles déclamateurs vont de tous côtés, armés de leurs funestes paradoxes ; sapant les fondements de la foi, et anéantissant la vertu.

どう見ても、啓蒙哲学者たちはなかなか狙われているのですね。
「彼らは、祖国とか、宗教とかいう古い言葉を嘲り笑い、人間の内にあるあらゆる神聖なものを打ち壊したり、卑しめたりするのに、自分たちの才能と哲学をささげている。」
Ils sourient dédaigneusement à ces vieux mots de patrie et de religion, et consacrent leurs talents et leur philosophie à détruire et avilir tout ce qu'il y a de sacré parmi les hommes.

確かにルソーの書きぶりは美しいですね。勿論、根本的に間違っている根拠を打ち出して啓蒙哲学者を攻撃しています。確かに啓蒙哲学者を攻撃するが、間違っている根拠で攻撃します。それについては、また後述します。
そして、ルソーは幾つかの事例を挙げてから、次のように続けます。

「それでは、この奢侈の問題において、正確には、何が問題なのか。それは、国家(帝国)にとって、輝かしいが短命であるのと、有徳であるが永続的であるのと、どちらが重要であるか、を知ることである。」
De quoi s'agit-il donc précisément dans cette question du luxe ? De savoir lequel importe le plus aux empires d'être brillants et momentanés, ou vertueux et durables.

同じ対立ですね。一方はピカピカな外観。他方は実際においてどうなっているのか。「輝かしい」のは外観であって、そして、建前なので、表面的に過ぎなくて、何れか崩れるというのです。だから、輝かしい帝国は短命だとルソーは言います。それは、第一部の時に事例を挙げた論調からの帰結ですね。エジプトとか古代ローマと古代ギリシャなどは、輝かしくなろうとした時に、衰退し始めたとルソーは確認しようとします。有徳のあるものは長生きするといっています。

「わたしは、いま輝かしい、といいましたが、その輝かしさは、どのような光によってだろうか。豪奢な趣味が、同一人の魂の中で、正直な趣味と結びつくことは、ほとんどない。」
Je dis brillants, mais de quel éclat ? Le goût du faste ne s'associe guère dans les mêmes âmes avec celui de l'honnête.
いつも、同じ対立ですね。ここでの「正直」は「有徳」との意味ですね。

「いや、極めて多くの下らぬ気づかいによって堕落した精神が、偉大なものにまで高まることは、決してないし、また高まる力があるにしても、その勇気に欠けている。」
Non, il n'est pas possible que des esprits dégra-dés par une multitude de soins futiles s'élèvent jamais à rien de grand ; et quand ils en auraient la force, le courage leur manquerait.

続きは、「芸術家というものはすべて、賞賛されることを望む。」
Tout artiste veut être applaudi.

その後は、ヴォルテール氏をちょっと嫌がらせするための指摘があります。
「有名なアルエよ!あなたは、雄々しく力強い美を、我々の偽りの繊細さのために犠牲にしたことが、いかに多かったか、また、あなたが、つまらぬことにはきわめて入念な、あの礼節の精神のために、あなたの中にある偉大なものを、失ったことが、いかに多かったかを、われわれにいっていただきたい。」
Dites-nous, célèbre Arouet, combien vous avez sacrifié de beautés mâles et fortes à notre fausse délicatesse, et combien l'esprit de la galanterie si fertile en petites choses vous en a coûté de grandes.
まあこれは、復讐でしょう。

「このようにして、奢侈の当然の結果である習俗の堕落が、こんどは趣味の腐敗を呼び起こすのだ。」
C'est ainsi que la dissolution des mœurs, suite nécessaire du luxe, entraîne à son tour la corruption du goût.
つまり、習俗の堕落の上に、趣味の腐敗も起こる、これで、もうルソーの理論が完成すると言えるでしょう。このようにして、ルソーが見ている悪循環となります。

今度は、手元にはない文章をご紹介しましょう。
「人々が、習俗について反省すれば、かならず原始時代の単純な姿を思い出して、楽しむことだろう。」
On ne peut réfléchir sur les mœurs, qu'on ne se plaise à se rappeler l'image de la simplicité des premiers temps.
ここは「自然状態で創られた」人間という課題にいつもルソーが打ち出すのですね。次は手元にはあります。

「生活の便宜さが増大し、芸術が完成に向かい、奢侈が広まる間に、真の勇気は萎靡し、武徳は消滅する。そして、これもやはり学問と、暗い小部屋の中でみがかれる、あのすべての芸術のしわざなのだ。」
Tandis que les commodités de la vie se multiplient, que les arts se perfectionnent et que le luxe s'étend ; le vrai courage s'énerve, les vertus militaires s'évanouissent, et c'est encore l'ouvrage des sciences et de tous ces arts qui s'exercent dans l'ombre du cabinet.
言い換えると、学問と芸術は無気力を引き起こすとルソーが言っています。
つづいて、ルソーが多くの事例を並べます。ゴート人とか、カール八世とか、ローマ人とか、ギリシャとか。

そして、手元にある次の段落になります。ほぼ最後の抜粋になるかもしれません。
「学問を修めることが、戦士としての資質にとって有害であるとすれば、それは道徳的資質にとっては、さらに一そう有害だ。幼年時代以来、無分別な教育が、我々の精神をかざり、われわれの判断力を腐敗させた。」
Si la culture des sciences est nuisible aux qualités guerrières, elle l'est encore plus aux qualités morales. C'est dès nos premières années qu'une éducation insensée orne notre esprit et corrompt notre jugement.

まさに、この論文は学問と芸術に対する大批判ですね。

「いたるところに見られる広大な施設(学校)で、莫大な費用をかけて、青年にあらゆることを教えているが、義務だけは例外のようである。あなた方の子供たちは、自国語はしらないのに、しかも、どこにも使われていない他国語を話すことだろう。」
Je vois de toutes parts des établissements immenses, où l'on élève à grands frais la jeunesse pour lui apprendre toutes choses, excepté ses devoirs. Vos enfants ignoreront leur propre langue, mais ils en parleront d'autres qui ne sont en usage nulle part

まあ現代風の学校に見えますね。
「また自分たちがほとんど理解することができないような詩を作ることはできるだろう。」
ils sauront composer des vers qu'à peine ils pourront comprendre
現代なら、もう誰も詩を作ることはできないなあ。理解しないことにかんしてはまあ変わりませんね。

「子どもたちは、誤謬と真理とを弁別できないのに、特殊な議論によって、他人にそれらを見分けにくいものにする技術を身につけるだろう。しかし、高邁、公正、節度、人間らしさ、勇気などの言葉が、何を意味するかは知らないだろう。」
sans savoir démêler l'erreur de la vérité, ils posséderont l'art de les rendre méconnaissables aux autres par des arguments spécieux : mais ces mots de magnanimité, de tempérance, d'humanité, de courage, ils ne sauront ce que c'est
確かに現代は全くその通りですけど。

「祖国というあの優しい名をけっして耳にすることはないだろう。また、神について語られるものを聞くとしても、それによって神を畏敬するよりは、むしろ神を怖がることになるだろう。」
ce doux nom de patrie ne frappera jamais leur oreille ; et s'ils entendent parler de Dieu, ce sera moins pour le craindre que pour en avoir peur.

「私は生徒たちが、ジュ・ド・ポーム(古式テニス)に時を過ごすことを望むだろう。少なくとも、生徒の体が一そう丈夫になるだろうから」と、ある賢者がいった。」
J'aimerais autant, disait un sage, que mon écolier eût passé le temps dans un jeu de paume, au moins le corps en serait plus dispos.
そして、お配りしたこの抜粋の最後の文章はこうです。

「子どもたちが学ぶのは、大人になった時になすべきことであって、大人になって忘れなければならないことではない。」
Qu'ils apprennent ce qu'ils doivent faire étant hommes ; et non ce qu'ils doivent oublier.
確かに、書きぶりは旨いですね。


さて、こういった悪徳と偽善心はどこから来るでしょうか。手元にある次の文章はその問いに応じるのです。
「才能の差別と得の堕落とによって人間の中に導き入れられた有害な不平等からでなければ、これらすべての悪習が、いったい、どこから生まれてくるのか。(…)人間に要求されるのは、もはや、誠実であるかない
かではなくてして、才能があるかないかである。書物が有益であるかどうかなくして、文章が上手かどうかである。」
D'où naissent tous ces abus, si ce n'est de l'inégalité funeste introduite entre les hommes par la distinction des talents et par l'avilissement des vertus ? … On ne demande plus d'un homme s'il a de la probité, mais s'il a des talents ; ni d'un livre s'il est utile, mais s'il est bien écrit.
いつも「外観・内面」、「建前・本音」の対立ですね。

「才人のうける報酬が莫大なものだが、徳のある人は依然として尊敬されない。」
Les récompenses sont prodiguées au bel esprit, et la vertu reste sans honneurs.
そして、その後は知識人がいるかもしれないが、市民はもはやいないとルソーは言います。

従って、彼に言わせれば、祖国もなくなったということです。それから、印刷術をもルソーは厳しく批判しています。それから、ホッブス、それから、スピノザを対象に批判を投げます。
そして、結びの前に、次の文章があります。手元にはないような気がしますが非常に面白いです。

「しかし、もしも学問芸術の進歩が、我々の真の幸福に何も加えることもなく、またもしこの進歩が、われわれの習俗を腐敗させ、されにまた、もし習俗の腐敗が純潔な趣味に害を与えたとするならば、あの初歩的な本ばかりを書いている人たち―ミューズの神殿に近寄るのを妨げるために、また、物を知ろうと試みる人々の力をためすかのように―自然がそこには張り巡らしたら障壁を、ミューズの神殿から取り除いてしまった人たち―の群れを、なんと考えたらよいのか。」
Mais si le progrès des sciences et des arts n'a rien ajouté à notre véritable félicité ; s'il a corrompu nos mœurs, et si la corruption des mœurs a porté atteinte à la pureté du goût, que penserons-nous de cette foule d'auteurs élémentaires qui ont écarté du temple des Muses les difficultés qui défendaient son abord, et que la nature y avait répandues comme une épreuve des forces de ceux qui seraient tentés de savoir ?
ここでは、数少ない本当に才能のある作家の弁護をルソーが行っているところです。一旦飛ばしまして、後で改めて触れます。
それから、この本は次の文章で終わります。

「おお 徳よ! 素朴な魂の崇高な学問よ!お前を知るには多くの苦労と道具とが必要なのだろうか。お前の原則はすべての人の心の中に刻みこまれていはしないのか。お前の掟を学ぶには、自分自身の中に帰り、情念を静めて自己の良心の声に声に耳を傾けるだけでは十分ではないのか。」
O vertu! Science sublime des âmes simples, faut-il donc tant de peines et d'appa-reil pour te connaître ? Tes principes ne sont-ils pas gravés dans tous les cœurs, et ne suffit-il pas pour apprendre tes lois de rentrer en soi-même et d'écouter la voix de sa conscience dans le silence des passions ?

また後述しますが、そこで触れられているのは「良心」という課題です。覚えていらっしゃるかもしれません。「良心よ!良心よ!神なる本能よ!」というセリフがありました。

「ここにそこ真の哲学がある。」
Voilà la véritable philosophie

つまり、ルソーにとって真の哲学は「自分自身の中に帰する」ことであり、「何をすべきか」と言ってくれる道徳的な行為を招く自分の良心を聞くことであると言っています。

「そして、文学の世界で不滅の生をえている、あの有名な人々の名誉を羨むことなく、かれらとわれわれとのあいだに、かつての二大民族のあいだに認められたあの輝かしい区別―一つはよく語らうことを知り、他はよく行うことが出来たーを設けるように努めよう。」
et sans envier la gloire de ces hommes célèbres qui s'immortalisent dans la république des lettres, tâchons de mettre entre eux et nous cette distinction glorieuse qu'on remarquait jadis entre deux grands peuples ; que l'un savait bien dire, et l'autre, bien faire.
これで、「学問芸術論」が終了します。



さて、要約してみましょう。この論文は、学問芸術に対する厳しい諭告(ゆこく)だと言えます。ルソーにとって、学問芸術は悪徳から生まれたものであって、その結果に、習俗を腐敗させる学問芸術です。これは、ルソーの中心となる主張です。
つまり、最初の問いを一言では答えてみたらこうなるでしょう。
「学問(科学)と芸術との再興は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」
ルソーの答えは「いいえ」と答えるべきだとしています。
いや、悪から生まれた学問と芸術との再興は逆に、歴史においても人類のことを調べても、悪を伴うということが示されているので、学問芸術は徳と関係ないどころか、徳に反対していると言っています。
そして、学問芸術に対する諭告の裏に、ルソーは徳を弁護します。それも間違いなくその文章にあって、ルソーはある種の徳を弁護します。
しかしながら、すぐに指摘しておきましましょう。一つは「すべての学問芸術が悪い」ということをルソーは言っていないのです。

要約してみると「学問芸術は数少ないエリートのためにだけあるべきだ」と主張し、そして、市民の徳を求めるべき政治上の指導者たちへそのエリートが助言を与えるべきだ、と手元にはなかった先ほどの文章の終わりにルソーは主張します。しかし、こういった学問芸術上のエリートは数少ないのです。有徳の士だからです。その場合に限って、学問芸術は悪から生まれず、悪を生まないことが可能となるとの主張です。しかし、それができるのは、限られた少ないエリートだけです。

そういえば、この主張は不思議なところがあります。つまり、言い換えると、学者あるいは芸術家になるために、まるで英雄的な徳を持たなければならないということになっています。要するに、学問芸術は少ないエリートのためである一方、他方、徳はみんなのためにあるとルソーは言います。

【ルソーの「自然」と「芸術」の対立関係は、実は「徳」と「悪習」の対立】
そして、結局、ルソーは「自然」と「芸術」を対立関係に置いている時、実際には、その裏で、「徳」と「悪習」の対立となっています。ごく僅かな例外を除いて、一般論としてこうなるとルソーは主張しています。
そこに注目しましょう。非常に面白いことです。

そこにその後のすべてのルソーの「哲学の基礎」はそこにあるので、注目しましょう。
つまり、自然と徳はいつも相伴うということになります。言い換えると、「人間は自然に善の状態でうまれる」ということですね。
そして、「学問芸術」に基づいた「社会」が「善い自然な人間」を腐敗させるという理論になっていきます。
ルソーがデビューしたこの「学問芸術論」の中に、ルソーの思想の中心にある主張が既に織り込まれているということです。つまり、「人間は自然に善の状態でうまれる」ということで、そして「学問」は人間を腐敗させます。学問というと「政治」でもあります。なぜかというと、ルソーが「自然と政治」とを対立関係に置いているので、「学問あるいは政治」が「有りのままの本来の人間」を腐敗させたという主張になります。
御覧の通り、文章の行間を掘り下げてみると、「ジャン=ジャック・ルソー」の思想の基盤をここで見つけるのです。要するに、ルソーにとって、「創造された人間」と「徳」との間に相関関係があります。人間は善い状態で創造されたというのです。
また、御覧の通り、自然の人間と社会の人間との間に、対立があるということになります。建前と本音。正直さと偽善さ。


【ルソーの間違いをどう指摘するべきか】
さて、以上の意見の前にして、どうこたえるべきでしょうか。
そこには、主に二つの誤謬が織り込まれています。

【ルソーは人間の「原罪」の代わりに、「自分の外・政治」のせいにする】

第一の誤謬は神学上の誤謬です。「原罪」を否定する誤謬です。一目明瞭です。
「原罪の否定」という誤謬。信仰上の真理ですけど、「原罪」さえを認めたら、すべて解決します。
つまり、原罪があると、我々それぞれの心にある原罪のせいで「悪は学問の切っ掛けになることは」可能となりえます。つまり、我々にある原罪は、言い換えると、三つの現世欲からなっていて、いつの間にか、我々を「悪い方向へ」押そうとする傾向を指すのです。そうすると、「悪(習)がきっかけとなっても」理解できますが、それだからといって、悪が原因とはならないのです。

それでも、我々人一人に、悪へのきっかけの可能性がずっとあるのです。そのことだけは、ルソーが痛感しています。イタリアに洗礼を受けに行った時のルソーは、ちょっと公教要理をならったはずなのにそれほど誤っていてしょうがないなあ。問題は次のように要約しましょう。
その切っ掛けをみて、「人間の心の中は何か腐敗している」つまりそれは「原罪がある」ということを断言すべきなのに、ルソーが「いやいや、人間にある腐敗は外から来る」と間違って主張します。つまり、あえていえば政治から腐敗が来るということになるが「自然・本性から来ない」とルソーが言ってます。
要するに、「人間の本性は傷つかれている」という真理をルソーが否定しています。つまり、ルソーにとって、「人間の本性は善いまま」だと主張しています。これは後でもいつも出てくる主張です。これこそ、ルソーの全思想の基盤となる誤謬です。


【ルソーは「意志」を過剰に重んじ、「知性」と「感受性」を否定する】

そして、原罪の否定の上に、人間の本性に対する誤解があります。人間の本性(自然)はなんであるかをルソーが誤解しています。
従って、原罪の問題をさておいても、「人間の本性」、「自然状態」を語る時に、ルソーは根本的に無理解にあります。なぜでしょうか。

本来ならば、人間というのは、命づける「霊魂」と「身体」とから構成されている存在です。従って、人間は理性が備わっているので、人間には「知性」があり、「意志」を持ち、「自由意志」をも持つ存在です。または、感受性(感覚)をも持ちます。これらのすべては人間には「自然に」備わっている要素です。要するに、能力です。ところが、「能力」というのは、何かが「できる力」であり、また「可能性」であります。たとえば、何かの能力を持つ時に、「それができる」と言いますが、その通りです。可能です。

ここでは何の意味を持つでしょうか。人々には「能力」が備わっているということは、人々には「可能性」が備わっているということです。そして、人々は、自分を完全にするために、それらの「可能性」を実現すべきですね。要するに、誰かが「何かができる」と言った時、その「できること」を実際に実践する時にこそ、「何か可能だ」といったよりも自分が完全になるのです。
ということで、人間の本性は、これらの能力を持つだけではなく、それらの能力をそれぞれの完全にまで達成するということも人間の本性です。

そして、「知性」の完全性は他でもない「学問」です。言い換えると、「真理」が知性の対象です。「意志」の完全性は他でもない「徳」です。言い換えると、善く「行動」することが、または「善」が意志の対象です。ところが、この「善」は何であるかを発見しなければなりません。そして、よく理解されていると思いますが、「善」を発見することは可能になるためには、「学問」を通じて「善」を知る必要があります。したがって、善を発見するためには、ある程度の真理を知性が事前に知る必要があります。言い換えると、ある程度に学問にまで知性が達成しなければ、善を発見できないのです。

だから、ルソーのいう「学問がないままに人間が自然に有徳である」という命題はあり得ないことです。どうやって、自然のままに、徳を身についていけるでしょうか。誰から徳を教わるというでしょうか。

ルソーの人生自体を見ると、この矛盾が自明です。ルソーを前にして、「あなたは自然の状態だった時に、つまり幼い児童と青春だった時に、自然に有徳だっただろうか」と聞きたいところですね。要するに、ルソーがまだ教育を完成に貰っていなかった時に、「自然に有徳」だったことはなかったどころか、まあ…

そして、あえて言えば、ルソーの誤った主張は結局、かれがパラノイアであることを示します。きっと、ルソーも誰もと同じように、自分が過去に犯した悪い事を思って痛く感じて、それは精神的な負担となっていたでしょう。そして、反省するよりも、自分が罪を犯したのに自分のせいにするよりも、その負担を忘れるために、ルソーにとって「良心が神の本音」だと思っているから、もしも「自分の良心」に従うことが出来るのなら、ルソーも「自分がいつも善いままだった」と彼は思っていたでしょう。そして、そうはならなかったのは、「社会のせいだ」と、「社会が私を腐敗させた」とルソーが信じ込むようになったのでしょう。たやすい責任回避ですね。

そして、人間の本性にある「感受性」は、知性と意志の作用を得て、「芸術」を生みます。芸術は感受性の完全化です。そういえば、「芸術」と言った時に、厳密に言うと二つの種類があります。
一方、美術そのものがあります。そして、他方、職人の技術もあります。言い換えると、有用性のある芸術です。

ところが、以上のすべては人間の「霊魂と身体の一致」の中に織り込まれています。全体図は見えるでしょうか。
従って、ルソーの思想には第一に原罪の否定という誤謬があります。つまり、「人間の本性」は自然に善い本性だ、つまり有徳の本性だとする誤謬ですね。

そして、同時に、ルソーは人間の本性の中に、「意志」を過剰に重んじるあまりに、「知性」と「感受性」を損害し、否定する誤謬となります。自明でしょう。

要するに、ルソーの思想には、ある種の「意志主義」があります。その「意志主義(自由意志・自由主義)」を踏んで、「知性/学問」と「感受性/芸術」を貶めるはめになります。結局、人間は本質的に何であるかについてのルソーの無理解だと言わざるを得なません。そういえば、ルソーは結石によって苦しめられたようです。その時に、ルソーはしっかりとした学問を持った医者に相談できたことを嬉しく思っていたはずです。まあ、最終的に必ずしも治ったかどうかは分かりませんが。

【ルソーは人間の本性について無知であった】
しかしながら、御覧の通り、ルソーがとかく「人間の本性・自然状態」を語ってばかりいるのに、実際において、ルソーが人間の本性を知らないのです。従って、人間の本性に関してルソーは「無知」であることは自明です。ルソーは「幸いなる無知」と讃えるかもしれないが、しかし、結局「不幸なるルソー」に過ぎません。そして、悲しいことに、その無知のせいで多くの人々を誤魔化して騙したのです。つまり、全く筋の通っていないことを近代人に「普及」させてしまったのです。
だから、実際には、ルソーの無知は幸いなことではないばかりか、不幸であって、そしてルソー自身もその無知のせいで、結局かなり不幸な人生を送りました。
以上は、学問芸術論の中にある誤謬のご紹介でした。


一言で要約してみましょう。それで、その一貫性がより見えて来るでしょう。

古典的にいうと、「学問」において次の区別をするのです。つまり、学問には二つの違う目的があります。
一方、学問は「知るためにだけ知ろう」とするのです。
他方、学問は「行動するために知ろう」とするのです。
そして、その後者の学問は、行動・行為するときに、何かの対象をもって実践するのです。
一方、行動の対象は自己となります。他方、別の物を対象に行為を実践します。前にご紹介したことと一緒であり、別の言い方に過ぎません。つまり、「知るためにだけ知ろう」とするのは、狭義の「学問」といいます。そして、自己を対象に、「行動するために知ろう」とするのは、自分を改めるため、自己を改善するためですから、「道徳」または「善き習俗・風俗」といいます。最後に、「別の物を対象に行動ために知ろう」とする営みは厳密に言う「芸術」です。

こういった古典的な紹介を見ると、「学問・習俗(道徳)・芸術」の一致がよく見えてくるでしょう。その三つとも、同じ「学問」ですが、その目的・対象だけが違ってくる「学問」だということです。見えてきたでしょうか。
従って、「学問」の原因は悪でもなんでもなくて、「学問」の原因は「知性」にあります。そして、「知性」は能力であり、求めている目的を得ようとする「知性」です。例えてみると、知性の在り方は、肺臓が「空気を呼吸」しようとすることと似ています。

また、徳の原因は「意志」です。しかしながら、悪の原因も「意志」です。なぜかというと、意志が間違った方向に行くのをゆるしてしまった時に、悪の原因となります。そして、最後に、芸術の原因は「感受性」です。「感受性」という能力も、「美」という目的において完全化しようとする能力です。「美」というのは、「感覚」を本当の意味で嬉しくすることですね。つまり、「知るのが快い」物事は「美」となります。見えてきましたかな。

従って、学問と芸術の本当の原因は、ルソーの言ったように悪でもなんでもなくて、本物の原因はつまり「人間の本性」自体にあるということです[注3]

[注3]したがって、人間がいるところには、芸術と学問が必ず生まれる。裏を返せば、学問と芸術抜きの人間はあり得ないことであり、人間でなくなると言える。

裏を返せば、ルソーには、人間は自然に何であるかと全く誤解しています。だから、間違った結論をルソーが出しています。
あとは、政治における芸術の位置を語るのも面白いですけど、時間の問題で割愛せざるを得ません。

『学問芸術論』はこれで終了します。
その著作の中心なる部分を示すつもりでした。そして、一番代表的な抜粋をご紹介して、そして、それに対してどう結論すべきかをご紹介しました。

ご清聴ありがとうございました。


【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その二【第1部】:学問芸術論を巡って

2020年01月01日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



お知らせした通り、前回は、簡単手短にジャン=ジャック・ルソーの生涯をご紹介しました。

今日は、その次の「ルソーと芸術」というテーマです。というのも、今まで、芸術について詳しくご紹介した機会がなく、面白いテーマなので、今日の話を切っ掛けに哲学でいう芸術をご紹介できたらと思います。難しい課題なので一時間では足りないかもしれません。

なぜ今日このテーマにしたかというと、もう一つの理由があります。ジャン=ジャック・ルソーの初めての大作は芸術についての文書だからです。前回、ご紹介したように「学問芸術論」であり、それはいろいろな意味でルソーの思想上の決定的な著作だと言えます。少なくとも暗黙の内に「学問芸術論」の中には、ジャン=ジャックの思想のすべてが織り込まれていると言っても過言ではありません。今日はそのことをご紹介していきたいと思います。

本日、主に「学問芸術論」についての話をします。これは1750年に作成されました。前回は作成に至った事情などをご紹介したと思いますが、要約しておきましょう。

【「学問芸術論」執筆に至った事情:復習】
パリに滞在していたルソーが、ヴァンセンヌへ行く途中、恐らく自然の中を通って小道を歩いていたでしょう。当時、まだ緑が多くて都市の農密度は現代ほど高くなかったからです。徒歩でルソーはヴァンセンヌに向かっています。大自然の中を歩くのは、ルソーの大好きな趣味ですから。ルソーの友達だったドニ・ディデロがヴァンセンヌの牢屋に禁固されているので、ルソーは彼を訪ねに行ったのでした。だから、ディデロが禁固されても一応寛大な扱いを得られていたというか、少なくとも訪問を受けることは可能でした。だから、ルソーは訪問に行ったのです。どうせ歩く機会にもなるし、大自然を散策する機会にもなるし、そして、読書する機会にもなるからです。本を読むのもルソーの趣味であり、いつも読み物あるいは書き下ろせる白い紙とペンを持ち歩いていたと言われています。

散策しながら、点々と止まったりして読んだり書いたりしていたと言われています。だから、何か思いついた時ルソーは散策していても書き下ろせたのです。なかなか田園的な雰囲気ですね。これは1749年、ヴァンセンヌへ向いていた途中でした。その時「Le Mercure de France」という雑誌を持ち歩いていました。その雑誌の中に、ディジョンのアカデミーによってある問いが論文募集の対象となっていました。ルソーが応じた論文の最初にその問いが記載されています。
「科学(学問)と芸術との再興は風俗(習俗)の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか。」

ルソーは自分の論文においてその問いに応じることになります。そして、私たちもその問いをみて、ルソーの返事を細かく見ていきたいと思っております。

ルソーの論文は芸術と科学(学問)と風俗(習俗)について触れることになります。言い換えると、芸術と学問との諸関係についての論文となる一方で、他方、芸術・学問と風俗との関係についてでもあります。すると、政治との関係ともかかわってきます。というのも、ラテン語で言えば「in ubiquo」になりますが、つまり間接的に、風俗を通じてルソーは政治について言及することになります。そして、御存じの通り、風俗とは、政治学の一部をなす分野でもあります。良い指導者は自国の民族の風俗を深く考慮しています。そして、本来ならば、良い指導者の唯一の目的は、善き徳高き民族になるように全力を尽くすという目的に帰するはずです。それだけですね。現代はそれだけはなかなか大変みたいですけど。

それでは、Mercure雑誌にルソーはたまたま上記の問いを見ました。ルソーにとって、人生における「ひらめき」となりました。ルソー自身が次のようにコメントを残しています。「偉大且つ不吉な体制を垣間見た」といっています。少なくとも夢中となって、メモを書きおろしたりして興奮していました。彼にとって回心そのものでした。ディデロを訪ねて、いま書こうとしている論文と考えを打ち明けたら、ディデロがルソーを励んで「応募したら?」というような激励をしました。そこで、ルソーは論文を書くことにしました。

彼自身が何か所ではその場面を語ります。『告白』の第八篇とか、『対話』においても、また『孤独な散歩者の夢想』の第三の散歩においてもその場面を語ります。

ディジョンのアカデミーに応募してから一年が経って、彼の応募した論文は大成功を納めました。というのも1750年、アカデミーの賞を受けたからです。最初に提出された論文にちょっとだけ書き足して、注を入れて出版されたと思いますが、応募した版とほぼ変わりません。すると、その論文のお陰で、全世界において有名となります。出版名は「学問芸術論」と称されました。次の問いに応じた論文です。「科学(学問)と芸術との再興は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。

【「学問芸術論」の中に、ジャン=ジャック・ルソーの思想のすべてが織り込まれている】
これからご紹介しますが、その論文をもって、ルソーにとっての思想の歩みの第一歩となります。彼の思想の基礎はそこに織り込まれています。他の作品はある意味で、『学問芸術論』において既に潜在的に織り込まれている思想の基本要素の発展というか、彼の思想を明文化する作品だと言えます。
その論文自体は長くもなくて、20枚ぐらいです。手元にあるのは抜粋に過ぎないのですが、一番象徴的な抜粋を提供することにします。それを読んで、それに沿ってコメントを述べると一番やりやすいと思います。ルソーの思想の本質の要素をご紹介できたらと思います。


これは芸術と科学との関係を分析する作品ですが、芸術と科学は並べられて対象となります。「芸術」と言った時、その論文ではルネサンスから来た「芸術」を指します。そして「science 学知・科学」と言った時、ルソーは「哲学」をも含みます。つまり、物理学などといった自然科学だけではありません。御存じの通り18世紀は自然科学の大発展の世紀です。ニュートンもいたし、科学が発展していた世紀でした。デカルトも既に出て、新しい哲学の発展もあります。要するに「science 学知・科学・学問 [注1] 」と言った時に、現代風に言う「物理的科学」をも含み、「哲学」をも含みます。

[注1]Science は日本語で、学問と科学の両方の訳語があります。「哲学」という部分もscienceとして数えられているので、「学問」といった方が適切であると思われますが、啓蒙思想家の口には、どちらかというと「科学」という意味で「science」を使うことが多く、「哲学」も入っていましたが、近代的な「哲学」だったので、伝統的な「学問」のありかたと啓蒙的な「科学」とのありかたはちょっと違うのですが、フランス語では同じ言葉になっているので、両意味が混同したりします。一貫性のために、以降は「学問」で統一する。


【第一部】
それで、ルソーは以上の問いに答えます。これから、幾つかの抜粋を読み上げたいと思います。お配りした文章になったらお知らせしますね。次は第一部の第一行です。因みに、論文の構造は第一部と第二部からなっています。第一部は次のように始まります。

C'est un grand et beau spectacle de voir l'homme sortir en quelque manière du néant par ses propres efforts ; dissiper, par les lumières de sa raison les ténèbres dans lesquelles la nature l'avait enveloppé ; s'élever au-dessus de lui-même, s'élancer par l'esprit jusque dans les régions célestes ; parcourir à pas de géant, ainsi que le soleil, la veste étendue de l'univers ; et, ce qui est encore plus grand et plus difficile, rentrer en soi pour y étudier l'homme et connaître sa nature, ses devoirs et sa fin. Toutes ces merveilles se sont renouvelées depuis peu de générations.
「人間が、自分自身の努力で、何らかのやり方で無から抜け出したり、生まれながらつつまれている闇を自分の理性の光で払いのけたり、自己自身を超越したり、精神の力で天界にまで飛び上がったり、巨人のような足取りで、太陽のように、広い宇宙を馳せめぐったり、さらに、これは立派で困難なことだが、自分自身にたちもどってそこにおいて人間を研究し、人間の性質、その義務、その目的を認識したりするのを見るのは、すばらしく美しい光景である。しかもこれらすべてのおどろくべきことが、少し前の時代から、つねに新しくくりかえされている。」

つまり、ルネサンスの時代からですね。[…]
L'esprit a ses besoins, ainsi que le corps. Ceux-ci sont les fondements de la société, les autres en sont l'agrément.
「人間の精神は、肉体と同じように、それ自身の欲求を持っている。肉体の欲求が社会の基礎であり、精神の欲求が社会の娯しみである。」

御覧の通りです。最後の文章は手元に配っていないと思いますが、
「人間の精神は、肉体と同じように、それ自身の欲求を持っている。肉体の欲求が社会の基礎であり、精神の欲求が社会の娯しみである。」

要するに、社会の基礎は肉体の欲求であり、社会の娯しみは精神の欲求だというのです。こういった社会における肉体と精神との区別を頻繁にルソーは繰り返しますので、既にそれを指摘しておきましょう。お配りした抜粋の最初の文章には次の主張がされています。

Tandis que le gouvernement et les lois pourvoient à la sûreté et au bien-être des hommes assemblés, les sciences, les lettres et les arts, moins despotiques et plus puissants peut-être, étendent des guirlandes de fleurs sur les chaînes de fer dont ils sont chargés, étouffent en eux le sentiment de cette liberté originelle pour laquelle ils semblaient être nés, leur font aimer leur esclavage et en forment ce qu'on appelle des peuples policés.
「政府や諸法律が、人間集団の安全と幸福とを配慮するのに対し、学問、文学、芸術は、政府や法律ほど専制的ではなく、おそらくより強力に、人間を縛っている鉄鎖を花環でかざり、人生の目的と思われる人間の生まれながらの自由の感情を押し殺し、人間をして隷従状態を好ませるようにし、いわゆる文化人(ポリス化した国民ら)を作り上げた。」

面白いでしょう。

【見せ掛けの徳と本当に持っている徳との対立】
それから、手元に配ってある文章にある直前に、次の文章があります。
Peuples policés, cultivez-les : heureux esclaves, vous leur devez ce goût délicat et fin dont vous vous piquez ; cette douceur de caractère et cette urbanité de mœurs qui rendent parmi vous le commerce si liant et si facile ; en un mot, les apparences de toutes les vertus sans en avoir aucune.
「文化人たちよ(ポリス化した国民らよ)、才能をつちかえ。幸福な奴隷たちよ、お前たちが誇りとしている繊細で巧緻な趣味、お前たちの間の交際を究めてたやすく気持ちのよいものにしているあのおだやかな性格とみやびやかな習俗、要するに、何一つ徳を持たないのに、あらゆる徳があるかのような見せ掛け、これらはみな才能の力に負うものなのだ。」

以上の文章だけでも、学問と芸術をルソーが攻撃し始めます。ルソーの主張を整理しましょう。
彼にとって学問と芸術とは、要するに、人生の飾りであり、楽しみであり、つまり花飾りに過ぎないのです。また「人間の生まれながらの自由の感情を押し殺す」学問と芸術のせいで、「あらゆる徳があるかのようにみせかける」ことが出来るが、実際に「何一つ徳を持たない」というのです。
この文章だけでも、ジャン=ジャック・ルソーの意見の中心に直接ぶつかることになります。

C'est par cette sorte de politesse, d'autant plus aimable qu'elle affecte moins de se montrer, que se distinguèrent autrefois Athènes et Rome dans les jours si vantés de leur magnificence et de leur éclat.
「その偉容と輝きを誇った時期のアテナイとローマとがかつて他に抜きんでいたのは、この見せびからすふりをすることがすくなければすくないほどより愛すべきものとなるような上品さによるものだ。」

それから、お配りした文章に移ります。次の通りです。手元にあるちょっと長い最初の文章です。
「もし外観が、常に心情の映像であったなら、[…]我々の人生は快いものとなったことでしょう。」
Qu'il serait doux de vivre parmi nous, si la contenance extérieure était toujours l'image des dispositions du cœur

【「内面」と「外観」の対立関係】
つまり、先ほどに見たとおりに、徳の見せ掛けと本当に持っている徳との対立を改めて強調します。言い換えると、「有様」と「見せ掛け」との対立を中心に置きます。この対立こそ、ルソーにとっての大事な対立となって、この作品の文章には常に出てくる対立です。つまり、我々は本当に「有りのままにいる」姿と「見せ掛ける」姿との対立が常にこの作品に出てきます。

実際、こういった対立はどこから来るのでしょうか。というのも、ルソーの書いていた時代に置いて、こういった対立があまりにも目立っていたようだったから、ルソーが「人々は見せ掛けるふりにするが」つまり、外見的にある偽りの像を打ち出すが、実際に内面的に全く違う人となっているという印象から来る主張です。言い換えると、当時の人々は本来の自分のありのままではない偽りの方を見せ掛けるとルソーは主張します。別の言い方をすると、彼らは「あらゆる徳を持つかのように」見えるかもしれないが、実際において、それらの徳を本当の意味で持つのではないとルソーは主張するのです。

そういえば、お配りした最初の文章の最後を読みになったら自明でしょう。
「我々の人生は快いものとなったことでしょう。」ということは、希望の形を取って語っていますね。そして、希望・願いというのは、今持たないものへの欲望を表現することですね。つまり、こういった願いを表明することによって、ルソーが明白に「私の望んでいる社会は存在しない」ということを断言するのです。

「もし外観が、常に心情の映像であったなら、[…]我々の人生は快いものとなったことでしょう。」
要するに、「実際にないが」と言わんばかり、我々の有りのままが外観に写るならば、どれほど我々は皆と一緒に過ごして気持ちよかろうという感じですね。続きはこうなります。
「もし行儀のよいことが徳であったならば、」
si la décence était la vertu

また希望の形にして、行儀は作法などであって、つまり彼の言う「飾りと見せ掛け」の一種ですね。で、しっかりとした丁寧さなどが本当に徳の現れであればよかったのに(実際にそうではないが)という意味ですね。まだ希望の形で続いて、
「もし格言が規範として我々に役立ったのならば、」。
si nos maximes nous servaient de règles

つまり、「我々の言う格言を本当に宣言して、本当の意味で、真にその格言に従って喜んで具現化することができればよかったのに(実際にそうではないが)」と言わんばかりです。確かに、格言を言い出すのは容易ですが、実際に格言に従って模範的に生きていくのは困難ですね。

「もし真の哲学が « 哲学者 »という肩書と切り離せなかったならば、我々の人生は快いものとなったことだろう。」
si la véritable philosophie était inséparable du titre de philosophe

この最後の部分では、すでに啓蒙哲学者たちを攻撃します。お配りした他の文章でも、その攻撃がその後に続きます。ルソーは結局、啓蒙哲学者を敵に回すのです。特にヴォルテールを敵に回しました。そして、次のことを書き加えます。

「しかし、これだけ多くの美点が一つに集まることは極めてまれであり、」
Mais tant de qualités vont trop rarement ensemble,

言い換えると、「有りのまま」と「外観」の一致が非常に稀だということです。また、外観が内面と一致することも、あるいは内面が外観と一致することも稀だと彼はいっています。従って、ルソーは次のように続けます。
「徳がこれほど華々しく現れることも、まためったにありません。」
et la vertu ne marche guère en si grande pompe.

ルソーの当時はルネサンス期の後の時代であることを念に置きましょう。言い換えると豪華と輝きがある時に、つまり華美や壮大さや壮麗な作法・礼儀または言葉の綾とか、なんでもいいですが、兎に角、それらはあるのなら、裏には徳がないとルソーが断言します。
「衣装の豊かさは富者のしるしであり、衣装のみやびやかさは風流人のしるしといえるかもしれない。しかし健全で強壮なひとびとは、他の特徴によって見分けられる。」
La richesse de la parure peut annoncer un homme opulent, et son élégance un homme de goût ; l'homme sain et robuste se reconnaît à d'autres marques

ここも同じことが繰り返されていますね。ルソーの書きぶり自体は紛れもなく綺麗だと言わざるを得ません。要するに、「豊かさ」などは徳にならないとルソーは断言します。いろいろな意味で「豊か」に見える人々は「徳」を現すのではないと言っています。なぜかというと、徳のある人、「健全で強壮なひとびとは、他の特徴によって見分けられるもので」あるからです。

「肉体の力強さがみられるのは、農夫の質素な衣の下にであって、廷臣の金ピカの衣装の下にではない。魂の力であり生気である徳にとっても、衣装は同じく無縁なものだ。善行の士は裸で戦うのを好む力士である。彼は自分の力の使用を妨げるつまらぬ装飾物、多くはなんらかの奇形を隠すために発明された装飾物を、すべて軽蔑する。」
c'est sous l'habit rustique d'un laboureur, et non sous la dorure d'un courtisan, qu'on trouvera la force et la vigueur du corps. La parure n'est pas moins étrangère à la vertu qui est la force et la vigueur de l'âme. L'homme de bien est un athlète qui se plaît à combattre nu : il méprise tous ces vils ornements qui gêneraient l'usage de ses forces, et dont la plupart n'ont été inventés que pour cacher quelque difformité.

ここです。「内面」と「外観」を対立関係に置くついでに、ルソーはまだはっきりと言わないが、後に紹介する通りハッキリしますが、ルソーはもう一つの対立を被らせます。つまり「本性・自然」と「文化・教養」との対立です。ここに言う「文化」という表現は、「学問と芸術」を指すに他なりません。なぜでしょうか。

【「本性・自然」と「文化・教養」との対立】
最初は、「本性」と「芸術」を対立させますが、結局同じ結論になります。
「魂の力であり生気である徳にとっても、衣装は同じく無縁なものである。善行の士は裸で戦うのを好む力士である。」
La parure n'est pas moins étrangère à la vertu qui est la force et la vigueur de l'âme. L'homme de bien est un athlète qui se plaît à combattre nu

ここにある「裸」というのは、必ずしも身体の裸だけではなくて、「自然」状態に戻るということです。言い換えると、人間の芸術、人間による教養で加えられていない自然状態に戻るということです。わかりますか。
「彼は自分の力の使用を妨げるつまらぬ装飾物、多くはなんらかの奇形を隠すために発明された装飾物を、すべて軽蔑します。」
il méprise tous ces vils ornements qui gêneraient l'usage de ses forces, et dont la plupart n'ont été inventés que pour cacher quelque difformité.

言い換えると、「文化」は醜い「本性・自然」を隠し、発展に足りない「本性・自然」を隠すためだけにあるとルソーは言います。御覧の通り、ここでは、「外観」と「内面」との対立の上に、「自然・本性」と「芸術・教養」、または、「自然」と「文化」との対立が打ち出されています。それから、手元にある次の段落も明白です。

「芸術がわれわれのもったいぶった態度を作り上げ、飾った言葉で話すことを我々の情念に教えるまでは、我々の習俗は粗野であったが、自然なものだった。」
Avant que l'art eût façonné nos manières et appris à nos passions à parler un langage apprêté, nos mœurs - et la différence des étaient rustiques, mais naturelles

「我々の習俗は粗野であったが、自然なものだった。」言い換えると、習俗は善かったということです。「粗野」だったということは、丁寧さも礼儀もないという意味として「粗」く、または、「文明化」されていなかった習俗は「芸術」によって窒息させられていなかったと言うことです。

そして、ルソーは更に以上の対立を究めていきます。もう既に、ルソーの結論が打ち出されている文章です。また最後に改めて触れたいと思いますが、残りの文章はその結論の説明、そしてそれに関する事例に過ぎません。要するに、ルソーの打ち出す対立から対立への間に、ある種の発展が見えています。

最初は「外観」と「内面」とを対立関係に置かれています。彼にとって本当に乗り越えられない対立。
それから、第二の対立は「自然・本性」と「芸術」との対立となります。

【「自然・本性」と「政治的なもの」との対立】
第三の対立は、この文章を読むと、究極的に言うと「自然・本性」と「政治的な生活/営み」との対立となります。
「芸術がわれわれのもったいぶった態度を作り上げ、飾った言葉で話すことを我々の情念に教えるまでは、」
「態度」とか「言葉で話す」とか、他人との関わりにおいて不可欠な営みですし、他人との関係を特徴づけると言えますね。だから、あえて言えば、そういった他人との関係を持てる言葉などは政治上の営みを特徴づけるのです。なぜかというと、政治上の生活は、基本的に他の人々との関係を指すからです。
つまり、「芸術」によって「政治的な性格」を作り上げるまでは「我々の習俗は粗野だったが、自然なものだった」という意味になります。
見えてくると思いますが、その論理がどこに辿り着くか分かってくるでしょう。以上の対立こそ、ルソーの思想における中心たる根本的な要素です。

「そして態度の相異が、一目で性格の相異を示していた。人間の性質(本性・本質)が根本的に今日よりよかったわけではないが、ひとびとはお互いをたやすく見抜くことが出来たので、安心していた。そして弧のような利益---もはやその価値を、我々は感じなくなってるが---によって、彼らは多くの悪徳をおかさないで済んだのだ。」
procédés annonçait au premier coup d'œil celle des caractères. La nature humaine, au fond, n'était pas meilleure ; mais les hommes trouvaient leur sécurité dans la facilité de se pénétrer réciproquement, et cet avantage, dont nous ne sentons plus le prix, leur épargnait bien des vices.

言い換えると、「善徳ぶった態度」がなかった時、「芸術と学問による装飾物」がなかった時、また、ルソーの言うように、「偽善である礼儀・丁寧さ」、あるいは「あらゆる外観の偽善さ」がなかった時にこそ、人々はお互いに有りのままに見え合っていたと言うのです。芸術と学問がなかった時に、人々はお互いに有りのままに見え合っていたと。
従って、ありのままに、本当の姿でお互いに知り合えていた「自然状態」だったと言っています。また言い換えると、学問と芸術のもたらした物事のせいで、人々はお互いに有りのままに見抜けなくなったということを彼は言っています。従って、お互いに知り合うことができず、少なくとも、お互いに本音を見抜くことができないと。

以上は、ルソーが打ち出した幾つかの典型的な対立です。

そして、お配りした長い抜粋の続きを読み上げましょう。
「一そう精緻な研究と一そう繊細な趣味とが、ひとをよろこばす術を道徳律にしてしまった今日では」
Aujourd'hui que des recherches plus subtiles et un goût plus fin ont réduit l'art de plaire en principes,

また同じですね。「道徳律」は徳ではなくなって、「人を喜ばす」ということになっていると言います。
「つまらなくて偽りの画一さが、我々の習俗で支配的となり、あらゆる人の精神が、同じ鋳型の中に投げ込まれてしまったように思われる。たえずお上品さが強要され、礼儀作法が守らされる。つねにひとびとは自己本来の才能ではなく、慣習に従っている。」
il règne dans nos mœurs une vile et trompeuse uniformité, et tous les esprits semblent avoir été jetés dans un même moule : sans cesse la politesse exige, la bienséance ordonne : sans cesse on suit des usages, jamais son propre génie.

御覧の通り、いつも「外観に礼儀作法によって偽られている」とルソーは主張します。言い換えると、18世紀における典型的な「オネトム・善き忠誠なる人」という追求すべき模範をルソーは否定するのです。

以上をもってルソーは何と言いたいのでしょうか。
「芸術は不自然に人造的・人為的」なこととなってしまった、とルソーは言いたいのです。言い換えると、「偽りの建前」になったということです。次の文書はより明白です。
「人々はもはや、あえてありのままの姿を現そうとはしません。」
On n'ose plus paraître ce qu'on est

言い換えると、礼儀作法などを使うが、結局、礼儀作法とは本音を隠すためだ、と。また、配慮・低調さ、上品さを人々が使っているが、相手のありのままの姿はそれで伝わらないし、本音は隠されているままだと。

つまり、取り敢えずその文章では(あとはちょっと違う意味になりますが)、礼儀作法としての「芸術と学問」のせいで、人間関係を歪めたと言っています。つまり、彼にとって、人々の関係はもはや忠実でなくなり、偽善と偽りの関係になってしまったと。なぜかというと、本性がありのままの姿で現れないから、人間関係が歪曲されたと。
「外観に遮蔽されるありのままの姿」。
「芸術という建前によって遮蔽される本音」また「礼儀作法・人為的な営みなどなどによって遮蔽される本音」。ルソーに言わせれば、画一化したせいで、個性が現れなくなった。
「こういった不断の強制の中で、」
ここの「強制」という言葉は、「自然・本性」との対立をまさに現します。
「礼儀作法」、また、ルソーの批判している多くの「行儀」などは、例えば文学と表現の形式も含めて、「不断の強制」だといいます。

【ルソーは啓蒙哲学者を対象に批判する】
「こういった不断の強制の中で、社会と呼ばれる群を形作っているひとびとは、同じ環境の中におかれると、ますます強力な動機によって方向を逸らされない限り、全く同一のことをするだろう。したがって、どの人と関わるべきかよくわからず、自分の友を知るためには、重大な機会、すなわち、万事が終わった時を待たねばならない。というのは、友を知ることが極めて重要なのは、そのような機会のためだから。」
et dans cette contrainte perpétuelle, les hommes qui forment ce troupeau qu'on appelle société, placés dans les mêmes circonstances, feront tous les mêmes choses si des motifs plus puissants ne les en détournent. On ne saura donc jamais bien à qui l'on a affaire : il faudra donc, pour connaître son ami, attendre les grandes occasions, c'est-à-dire attendre qu'il n'en soit plus temps, puisque c'est pour ces occasions mêmes qu'il eût été essentiel de le connaître.

要するに、社会とそれらの礼儀作法などの外に出られた時だけはじめて、我々の親しい人々をいよいよ本当に知りうるとルソーは主張します。
それでは、ルソーにとって、社会がなぜこうなっているかの理由はどこにあるのでしょうか。次の段落は手元にないと思いますが読み上げましょう。

「(この友を知ることの)不安に、何といろいろな悪をお伴がつきまとうことか!もはや真面目な友情も、本当の尊敬も、基礎の固い信頼もない。」
Quel cortège de vices n'accompagnera point cette incertitude ? Plus d'amitiés sincères ; plus d'estime réelle ; plus de confiance fondée.

これは以上のある種の帰結ですね。総ては建前に過ぎないのなら、友情でさえすべてうわべだけに過ぎないということになります。建前だからうわべだけですね。外観だけです。

「あの画一的で不実なお上品さのおおいの下に、現代の知識のおかげであるあの誇らしげなみやびやかさの下に、疑惑、猜疑、恐怖、冷淡、遠慮、憎悪、裏切り、と言ったものが常に隠されている。」
Les soupçons, les ombrages, les craintes, la froideur, la réserve, la haine, la trahison se cacheront sans cesse sous ce voile uniforme et perfide de politesse, sous cette urbanité si vantée que nous de-vons aux lumières de notre siècle.

前回、ルソーの人生をご紹介したことを覚えていらっしゃるかもしれません。ルソーにはある種のパラノイアという精神病にかかっているという要素がありました。以上の文章はその意味で明白でしょう。
「疑惑、猜疑、恐怖、冷淡、遠慮、憎悪、裏切り」。少なくともこの文章でルソーが自分のありのままを現していると言えますね。
「あの画一的で不実なお上品さのおおいの下に、現代の知識のおかけであるあの誇らしげなみやびやかさの下に、」
これが直接に啓蒙哲学者を攻撃する文章です。この裏にヴォルテールが特に狙われていて、ルソーが関わっていた啓蒙系の社交界を狙うのです。というのも、ルソーには啓蒙哲学者たちとの交際が多くあって、その社交界をよくわかっていたし、百科全書の作成のためにも誘われたのですから。
勿論、ルソーの能力に相応しい項目の作成が頼まれて、つまり音楽についての項目だけです。少なくとも、啓蒙系の連中を良く知っているルソーです。

ルソーは皮肉ぶって次のように結論付けます。
「このようなものが、我々の習俗が手に入れた純粋さだ」。
Telle est la pureté que nos mœurs ont acquise.

というのも、こういった「純粋さ」というのは、概観だけの人造的な純粋さであって、絶対にうわべの純粋さに過ぎないという皮肉です。この文章は勿論皮肉ですね。そして、
「このようにして、われわれは善行の人となった。」
C'est ainsi que nous sommes devenus gens de bien.

要するに、人々を「善行の人」だと評価するためには、本音はどうなっているのか、実際にどう行動するのかという基準ではなく、建前と外観だけが基準となっている、と言います。もちろん、ルソーはここでまた啓蒙哲学者を対象に批判しています。

「このありがたい仕業の中で、文学、学問、芸術の力に帰すべきものは、これらに要求させておきましょう。」
C'est aux lettres, aux sciences et aux arts à revendiquer ce qui leur appartient dans un si salutaire ouvrage.

【「学問と芸術とが完成に近づくにつれて、魂は腐敗した」】 
それから、お配りした一枚目の第二の引用に移したいと思います。以上垣間見た主張をルソーが更に発展していくことをご紹介しましょう。

「何らかの結果もないところには、探究すべき原因もない。だが今のばあい、現実の頽廃という結果は確かなことだ、我々の学問と芸術とが完成に近づくにつれて、我々の魂は腐敗したのだ。」
Où il n'y a nul effet, il n'y a point de cause à chercher : mais ici l'effet est certain, la dépravation réelle, et nos âmes se sont corrompues à mesure que nos sciences et nos arts se sont avancés à la perfection.

この一行で、ルソーの主張は要約されています。つまり、「我々の学問と芸術とが完成に近づくにつれて、我々の魂は腐敗したのだ。」
「これは我々の時代に特有な不幸と言えるだろうか。いいえ、諸君、我々の無益な好奇心によって引き起こされた禍は、世界とともに古いものだ。」
Dira-t-on que c'est un malheur particulier à notre âge ? Non, messieurs ; les maux causés par notre vaine curiosité sont aussi vieux que le monde.

ここでいう好奇心というのは、知識上の好奇心をさすのです。言い換えると、学問の嗜みを指すのです。または、18世紀において言われていた学問と科学を指すのです。というのも、当時は学問の飛躍的な発展な時代だったのは紛れもない事実ですから。

「いいえ、諸君、我々の無益な好奇心によって引き起こされた禍は、世界とともに古いものだ。大洋の水の日々の干満が、夜中に我々を照らしている天体(月)の運行に従う規則正しさと雖も、習俗と誠実さの運命が、学問と芸術の進歩に従う規則正しさには及ばないだろう。」
Non, messieurs ; les maux causés par notre vaine curiosité sont aussi vieux que le monde. L'élévation et l'abaissement journalier des eaux de l'océan n'ont pas été plus régulièrement assujettis au cours de l'astre qui nous éclaire durant la nuit que le sort des mœurs et de la probité au progrès des sciences et des arts.

ここでは、ルソーは科学的に結論付けようとしています。つまり、干満を引き起こす月と習俗の頽廃と引き起こす学問芸術との関係を関連付けて、類似性を見出して、同じような関係にあるとしています。つまり、両方とも因果の関係にあると主張します。つまり、干満の原因である月と同じように、習俗の頽廃の原因には学問と芸術がある、と。そして、その段落の最後の文章は次の通りです。

「学問学術の光が地平にのぼるにつれて、徳が逃げてゆくのが見られる。これと同じ現象は、あらゆる時代、あらゆる場所においてみられる。」
On a vu la vertu s'enfuir à mesure que leur lumière s'élevait sur notre horizon, et le même phénomène s'est observé dans tous les temps et dans tous les lieux.

「学問学術の光が地平にのぼるにつれて、徳が逃げてゆくのが見られる。」
つまり、ここでいう「光」は他にならない「学問の発展」であるが、つまり「学問学術の発展が地平にのぼるにつれて、徳が逃げてゆくのが見られる。」

先ず、第一の対立として、「外観と内面」(あるいは建前と本音)が打ち出されています。
そして、第二の対立として、「自然と芸術」が打ち出されています。あるいは「自然と文化」ともいえます。
続いて、その延長線に、「自然と政治」との対立となっていきます。
要するに、ルソーに言わせれば、学問と芸術は習俗の頽廃を引き起こす原因なのだと言っています。

原文の数枚を飛ばしておきました。というのも、以上に見た主張を根拠づけるために、幾つかの歴史上の事例を述べ並べるのです。ルソーの父は、ルソーの子供の時に、多くの本を読ませておいて、ローマと古代史についての本も多くルソーは読みました。だから、愛読者だったルソーがそれらの歴史の本を読んだりして、夢中になって、古代の英雄になりたかったかもしれません。

ということで、ルソーはまずエジプトという事例を出します。エジプトは「世界最初の学園」であるからと彼はいっています。
また「英雄たちが多くいたギリシャ」。そして、「一人の羊飼いによって築かれ、農民たちによって興隆したローマ」。これは象徴的ですね。「一人の羊飼いによって築かれ、農民たちによって興隆したローマ」。
要するに「自然たる人々によってローマが創立された」ということで、最初は「ローマが善かった」と主張しているルソー。
しかし「テレンティアリス」とか「エンニウス」とか出てきた時代から、ローマが衰退し始めたとされています。つまり、知識人が出てきた時ですね。そしてルソーはさらに非難します。

「オヴィディウス(Ovidius)、カトゥルス(Catullus)、マルティアリス(Martialis)のようなひとびとや、その名を聞くだけでも恥ずかしい思いのする多くの淫らな作家たちが出た後、かつては徳の殿堂であったローマは」
つまりかつては羊飼いの時代のよきローマは「犯罪の舞台、諸国民の汚辱、蛮族のもてあそびものになった。」
Mais après les Ovide, les Catulle, les Martial, et cette foule d'auteurs obscènes, dont les noms seuls alarment la pudeur, Rome, jadis le temple de la vertu, devient le théâtre du crime, l'opprobre des nations et le jouet des barbares.

ルソーの書きぶりは美しく、その論調が綺麗なのは綺麗です。
「ついにこの世界の首府は」云々。事例を打ち出し続けていきます。
Cette capitale du monde tombe enfin sous le joug qu'elle avait imposé à tant de peuples, et le jour de sa chute fut la veille de celui où l'on donna à l'un de ses citoyens le titre d'arbitre du bon goût.

「しかし、なぜ、この真理の証拠を、遠く過ぎ去った時代に求める必要があるだろうか。いまなお眼前にその証拠が残っているではないか。」
Mais pourquoi chercher dans des temps reculés des preuves d'une vérité dont nous avons sous nos yeux des témoignages subsistants.

そして同じ調子でルソーがつづけます。
「いままでのべてきた、色々の事例に、少数の民族―空虚な知識の伝染を免れて、自らの徳によって、自分自身の幸福を作り、他の民族模範となった民族―の習俗の事例を、対比してみよう。」
Opposons à ces tableaux celui des mœurs du petit nombre des peuples qui, préservés de cette contagion des vaines connaissances ont par leurs vertus fait leur propre bonheur et l'exemple des autres nations.

そして、それに続いて「反対推論」、「裏を返せば」という様式で、別の事例を述べ並んでいきます。
最初のペルシャ人やゲルマン族やスキタイの事例を挙げます。また古来のローマ。そして、長くスパルタの事例を打ち出します。スパルタが大好きのルソーです。そして、スパルタをアテナイに対立関係におきます。

「アテナイは上品さと風雅さとのすみかとなり、雄弁家と哲学者の国となった。アテナイの建築の優雅さは、言語の優雅さと相応した。(…)あらゆる堕落の時代に置いて模範として役立つ、あの驚くべき作品ができたのは、そのアテナイからだった。」
Athènes devint le séjour de la politesse et du bon goût, le pays des orateurs et des philosophes. L'élégance des bâtiments y répondait à celle du langage. … C'est d'Athènes que sont sortis ces ouvrages surprenants qui serviront de modèles dans tous les âges corrompus.

ちょっと飛ばします。
そして、ルソーはソクラテスを引用するのです。ルソーにとってのソクラテスは「無知のソクラテス」に帰します。「わしは、何も知らないことだけは知っている」。これなら、ルソーは自慢にして好きな引用ですね。
ソクラテスについて、次のようになります。「このようなのが、ソクラテス、神々の判断によれば最も賢明な人間であり、全ギリシャ人の考えではアテナイ人の貨で最も卓越した学者であるソクラテスがなした無知の賛美なのだ!」
Voilà donc le plus sage des hommes au jugement des dieux, et le plus savant des Athéniens au sentiment de la Grèce entière, Socrate, faisant l'éloge de l'ignorance!

象徴的でしょう。
要するに、ルソーは「無知」と「徳」と同一視するということです。厳密に言うと、無知を徳の原因として見なすのです。
「同胞市民たちの徳を腐敗させ、この勇気を弱めた、この技巧的な巧緻なギリシャ人たちに対して、激しく反抗することはアテナイではソクラテスがはじめ、ローマでは老カトーが、それを続けた。」
Socrate avait commencé dans Athènes ; le vieux Caton continua dans Rome …

続いて、「おお、ファブリキウスよ!」。言うまでもなく、流石に評価すべき書きぶりです。ちょっと飛ばします。
「時と場所との隔たりを飛び越えて、われわれのくにで、我々の眼前で起こっていることを見よう。いやむしろ、我々の繊細な心を傷つけるような、いまわしい描写はやめ、また同じことを違った名でくりかえす労を省こう。(…)」
「我々の間では、ソクラテスはじっとして毒を飲むことはないだろう。しかし彼は侮辱的な嘲笑や、死よりも百倍も有害な軽蔑を、もっと苦しい盃でのみ込むだろう。」
Niais franchissons la distance des lieux et des temps, et voyons ce qui s'est passé dans nos contrées et sous nos yeux ; ou plutôt, écartons des peintures odieuses qui blesseraient notre délicatesse, et épargnons-nous la peine de répéter les mêmes choses sous d'autres noms. …
Parmi nous, il est vrai, Socrate n'eût point bu la ciguë ; mais il eût bu, dans une coupe encore plus amère, la raillerie insultante, et le mépris pire cent fois que la mort.


ここも、ヴォルテールと啓蒙哲学者に関する指摘です。

【「幸福な無知の状態」】
それでは、以上の大結論をご紹介しましょう。この第一部の最後の段落です。
「このようにして、永遠の叡智のおかげで、我々が味わっていた幸福な無知の状態から抜け出るために、我々が行った傲慢な努力の天罰は、いつの時代でも、奢侈、頽廃、奴隷状態だった。」
Voilà comment le luxe, la dissolution et l'esclavage ont été de tout temps le châtiment des efforts orgueilleux que nous avons faits pour sortir de l'heureuse ignorance où la sagesse éternelle nous avait placés.

「幸福な無知の状態」を指摘しておきましょう。
ルソーに言わせれば、学び始めた人々は少しずつ頽廃してきたということです。裏を返せば、無知を大切にし続けた人々は幸福のままになって、つまり有徳の士だったと言っています。

「永遠の叡智が、そのすべての働きの上に熱い蔽いをかぶせていたのは、われわれが空虚な研究をするように、神が決して運命づけてはいなかったことを充分に予告しているように思われる。」
Le voile épais dont elle a couvert toutes ses opérations semblait nous avertir assez qu'elle ne nous a point destinés à de vaines recherches.

言い換えると、人間は学ぶ時に苦労しているということは事実です。確かに、我々も誰も否定しないと思いますが、学校に行って辛い思いをする(勉強したくないという傾向)のは、結局、ルソーにとっては「怠惰さ」のせいではなく、「神の恩恵」です。彼の理論だと当然でしょう。
彼にとって、「幸福な無知」を守るために「学問をするときの自然な苦労」があるわけです。その自然な苦労は、英知・智慧・学問・芸術に「陥らない」ために備わっている、自然なるよき「怠惰」となります。それは、単純な習俗のままに留まるための(自然状態のままでいるための)、つまり「有徳の士」のままで留まるための良き「怠惰」だと言えますね。これがルソーの理論です。

【学問と邪悪の間に因果関係がある】
手元にある同じ抜粋のちょっと後に次があります。
「人々よ、母がその子の手から危険な武器をもぎとるように、自然はお前たちを学問から守ろうと望んでいたことを知るがよい。」
Peuples, sachez donc une fois que la nature a voulu vous préserver de la science, comme une mère arrache une arme dangereuse des mains de son enfant

勿論、彼の言っていることは、一理あるのです。「母がその子の手から危険な武器をもぎとるように」
「自然がお前たちに隠しているあらゆる秘密は、それだけ悪であって、自然はお前たちがその悪に落ち込むのを保護してくれていること、お前たちが知識を手に入れるのに要する苦労は、自然の恩恵の中でも、最少のものではないことを、一度は知るがよい。人間というものは、邪悪なものだが、不幸にして学者として生まれていたなら、もっと邪悪なものだろう。」
que tous les secrets qu'elle vous cache sont autant de maux dont elle vous garantit, et que la peine que vous trouvez à vous instruire n'est pas le moindre de ses bienfaits. Les hommes sont pervers ; ils seraient pires encore, s'ils avaient eu le malheur de naître savants.

これを見ると、明白ですね。学問と邪悪の間に、明白な因果関係があると主張しています。
そして、次のことで第一部を結びます。
「上に述べたような反省は、人類にとって、なんと屈辱的なことか!」
Que ces réflexions sont humiliantes pour l'humanité!

そして、これで第一部を結びます。
「それでは、学問と芸術それ自体を考察しよう。学問と芸術の進歩から生まれるに違いない結果を見よう。そしてわれわれの推論と、歴史からの帰納とが、一致するあらゆる点を、もはやためらうことなく認めよう。」
Considérons donc les sciences et les arts en eux-mêmes. Voyons ce qui doit résulter de leur progrès ; et ne balançons plus à convenir de tous les points où nos raisonnements se trouveront d'accord avec les inductions historiques.

要するに、多くの悪い結果が学問と芸術の進歩からどうやってきたかということを次にルソーが説明しようとします。

(続く)

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その(一)【第2部】

2019年08月15日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



【ルソーの評判が生まれる:『学問芸術論』】


実は、ルソーの評判は、1749年のパリで生まれました。ヴァンセンヌというところに行っていた時のことです。いわゆる有名な「ヴァンセンヌのひらめき」という場面です。御存じの方もいるかもしれません。監獄に収監されたドニ・ディドロを訪ねるためにヴァンセンヌにルソーが行きます。そこに行く途中、ルソーはある雑誌を読んでいました。その雑誌には、論文募集の記載がありました。ディジョンのアカデミーが次のテーマで論文の募集をしていました。論文賞のようなもので、小論文を募集しているということです。「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。つまり、芸術論と道徳論の範囲を跨ぐ題目です。ちょうど、ルソーが音楽も道徳も比較的に知識があります。特に、風俗に関して比較的に知識があります。カトリックの教育も受けたし、幼い時にプロテスタントの教育も受けたから、道徳と言った分野に関してよく知ってはいます。

「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。その後、監獄中のディドロに訪ねて、論文募集の話をしてみたら、ディドロが「応募したら?」ということで、時折ルソーがヴァンセンヌの道を歩いているとひらめきを感じたので、論文を書くことにしました。ルソーの始めての「ディスクール」となります。『学問芸術論』という論文です。その中で彼は「進歩」に反対します。面白いでしょう。そして、1750年、優賞を貰いました。その時デビューするというか、初めて彼の評判が広まります。

優賞だったので『学問芸術論』は出版され、社交界などで彼の名前は知られるようになります。その論文に対して、反駁者も出てきました。しかしながら、反駁者が偉ければえらいほど、逆効果になり、論文の作者に注目を浴びさせるような現象を起こします。そして『学問芸術論』を反駁した有名な人物がいて、国王のフレデリック二世でした。偉い人でしょう。その反駁のお陰もありルソーの論文が大話題となって、彼がいきなり有名となりました。それをきっかけに、ルソーがより多く社交界に出ることになります。しかしながら、問題が発生します。百科全書の作者たちとの間の仲を引き裂いてしまいました。どうせ、ルソーは、結局、最終的に全員と仲悪くなりますが。晩年になって、皆、彼と敵対するようになりました。

1752年、『幕間劇、村の占い師』という寸劇を書きました。この作品こそは今でも評価されています。どちらかというと、『告白』を取り上げるぐらいなら、やっぱり『幕間劇、村の占い師』を取り上げた方が価値のある作品です。フォンテンブローで国王ルイ15世の前で演劇されることになり、大成功しました。しかし残念ながら、その演技に後で、国王がルソーに会いたいということでしたが、ルソーは謁見に出なかったのです。その時、出たのなら恩給でももらえたはずです。しかしルソーは謁見に行かなかったのです。

この事件はルソーの性格のもう一つの特徴を示します。ルソーは何かに誰かに依存することが大嫌いだという性格を示す事件でした。ルソーは熱狂的な自由主義者ですし、まだ夢見がちの人柄で、戯れるのも彷徨うのも大好きで、散歩者のルソーです。従って、誰かに依存するのは耐えられない性格で、孤独が大好きなのです。


【『人間不平等起源論』:「本性的に善なる人間」とは「散歩者、自由孤独なルソー」の裏返し】

1754年、ディジョンのアカデミーが新しい論文募集を公開します。題目の正確の文章は手元にありませんが、その募集に応募したルソーは二つ目の「ディスクール」を書くことになります。それが『人間不平等起源論』で、そしてルソーはそれで確実な名声を博するようになりました。ルソーの一番有名な「ディスクール」でしょう。その中で、ルソーは「人間は本性的に善だ」という命題を打ち出します。『人間不平等起源論』は、社会を攻撃する作品でもあります。まあ、でも、その攻撃はルソーの偏執狂に由来してはいます。ルソーは本当の意味で仕事することはできませんでした。努力することは耐えられない性格だったみたいで、仕事が課せられた時があった時にどうにもなりませんでした。幼い時から、怠惰で、何も義務を果たさなかったので、ルソーは何度も厳しい体罰を受けていた子でした。

有名な場面を挙げると、次の話があります。ある時に、休憩の間に、ある小窓の向こうにあったリンゴを、小棒を工夫して盗もうとするのです。そういったようなことをするには気の利いたルソーでしたが、真面目な仕事なら、書記であれ、時計屋であれ、もうだめでした。要するに、何の拘束をも拒否していたタイプです。自由を愛しているルソーでした。そして、特に大自然を歩いた時に、その自由を見つけていたのです。

要するに、ルソーの思想を理解する為に、彼の性格を理解すべきです。総て繋がっています。「本性的に善なる人間」と「散歩者なるルソー、孤独なるルソー」とは、両面一致の事実なのです。本当に大事なことだと思います。本当に深くルソーの著作を理解しようと思ったら、先ずルソーの心理のあり方を理解するのが非常に大事になってくると思います。つまり、ルソーの孤独さとかですね。そういえば、なぜ五人の子供をも平気に捨てられたかというのも、自分の孤独と自分の自由(独立)を守るためにという理由が、少なくとも入っていたでしょう。

さて、この二つ目の「ディスクール」で名声を博するようになりましたが、大話題となって、激しい論争が起きました。今回は、ルソーを反駁するのは、ヴォルテールとなります。また、フレロンもいます。一発目の「ディスクール」の中と同じように、ルソーが「進歩」を批判して、「進歩が堕落の原因だ」と断言して批判します。そのせいで、啓蒙思想の大人物の全員と仲が悪くなります。他の啓蒙思想家たちは全員「進歩」を称賛するからです。本当に、ルソーが全員の啓蒙思想家らを敵に回しました。そして、ルソーは彼らとの縁を切ります。それだけです。

ルソーは「徳」を望むには望みますが、あくまでも「自然」上の徳しか求めません。言い換えると「自然を愛する徳」に過ぎません。その点に良く注目してください。つまりルソーの諸著作は、結局「ルソーは実際に生きることができないのに、ルソーが生きたい世界を描く」といった物書きに過ぎないという側面が非常に大きいことです。

要するに、いつも「自由を取り戻したい」、あるいは「大自然の中に単純に生きられるように生きたい」という気持ちでずっといるルソーは、結局実際の「社会にぶつかって」、社会の中に生活せざるを得ず、存続するために、社会の中に生きるしかないと感じているのです。つまり、ルソーがずっと「散歩したい」というか、どうしても散歩せずにいられないという衝動を持っているのですが、社会こそが散歩したい衝動を妨げるとルソーが思っています。本当に、ルソーは歩くのが大好きです。機会があるたびに歩いて旅立って、ゆっくり旅行するルソーですから。田舎を歩いて回り道したりするルソーでした。そこで、ルソーは社会こそが自分の「歩く自由」を妨げる、社会はその自由の障害だと見ていました。社会に対するルソーの不満の種は、そこに由来しています。

パリに流行っていた「進歩の哲学」という空気から逃げるために、休むために、ルソーはスイスに戻ります。ジュネーヴに行って一旦休みます。そこで宣誓してカトリックを捨てました。プロテスタントに戻り、改宗しました。その後、フランスに戻って、そして親友だったディドロと喧嘩します。特に社会について論争したことがきっかけで、結局喧嘩になったのです。いつも同じパターンですね。ルソーは不安定の上、結局、人間嫌いです。しかも彼に対して大掛かりな陰謀が仕掛けられていると思い込んでいるほどルソーは人間嫌いです。こういった偏執狂(パラノイア)の内に、常に生きているルソーなのです。でも彼が完全に悪いわけでもありません。

Bernard Fayが指摘する点だったと思いますが、確かに、ヴォルテールやディドロやダランベールといった連中が自分の敵になった時に、偏執狂になる理由がかなりあります。でもそれでもルソーの弁解になるわけがありません。彼らを敵に回したのは、結局ルソーのせいですし、彼の書いた著作のせいでもあります。


【『エミール または教育について』:さらに皆と対立する】

その後『エミール または教育について』を書きました。ところが、1762年、禁書目録に指定されます。従って、ルソーはローマ・カトリック教会をも敵に回し、積極的にローマ教会を攻撃するようになります。ローマ教会を積極的に攻撃して、彼はプロテスタントになりますが、プロテスタントの表現を借りると「反教皇主義者」となりました。

ところが、反教皇主義者になったとしても、ルソーはプロテスタントと仲良くできなかったのです。なぜかというと、プロテスタントはルソーの思想を好まないからです。それに留まらず、プロテスタントをも敵に回して、その挙句、ジュネーヴ市の市民籍を捨てるほど、ルソーはプロテスタントと仲が悪かったのです。あちこちで皆に喧嘩を売った挙句、ルソーはスイスの「ヴィン湖」の仲の孤島に逃亡して避難せざるを得なくなります。Saint-Pierre島というところです。しかしながら、間もなくして、その島から追い出されました。引き続き、ルソーはあちこち彷徨うしかありませんでした。「社会に狩られて」彷徨うのです。その時、自伝を起筆します。自伝というよりも、自己正当化の著作です。それもルソーの特徴です。つまり反省する能力がまったくありません。


【イギリスに逃亡する】

パリから逃亡して、プロテスタントから逃亡して、スイスから逃亡して、フランスから逃亡して、教会と禁書目録から逃亡して、ダヴィド・ヒュームの協力を得て、ルソーはイギリスへと避難しました。ヒュームは、もう一人の哲学者です。その時に、ヒュームはフランス滞在の大使だったはずですけど、兎に角、フランスにいて、ルソーのためにイギリスでの仕事を見つけました。
ルソーがイギリスに行った時には色々な経緯がありますが、ある誹謗書簡がルソーの許に届きます。ヒュームからの書簡だとルソーは思っていたのですが、実際にはヒュームからの書簡ではありませんでした。そこで「ヒュームからも迫害されている」とルソーは嘆きます。僅か半年が経っただけで、イギリスを去り、フランスに戻ります。ルソーの人生は人生とは言えない人生だなあ。パリの周辺でまだ彷徨うことになります。


【パリで急死する】

パリ北部のオワーズのエノンヴィル村辺りにある人里離れた別荘に一旦落ち着きます。そこで、急に死にます。心臓の問題で、正確に言うと脳卒中で急死を迎えることになります。1778年7月2日、死にました。場所はコンピエーニュとパリの間にあるぐらいのエノンヴィルなのです。1794年、パンテオンへ「引っ越し」させられました。


【不安定、怠惰、だらしない、しかし文才があり、自由と孤独を愛する】

ルソーについて何を覚えておけばよいでしょうか。まず、ルソーは不安定な人です。怠惰深くて、だらしない人です。彼の人生を見ると自明です。また、文才のある人です。それも自明です。ところが、文才があったものの、だらしない性格で、ルソーは一度も徹底的に何かを勉強したことはありません。ルソーは長期的に、全力で、何かに尽くしてコミットすることができないのです。不安定で、怠惰だが、ルソーは「自由の愛人」でもあります。何よりも、自由と孤独を愛しています。『孤独な散歩者の夢想』という著作の中にある一つの章は、一つの散策を語るものです。ご紹介するために、原文を持ってくるつもりでしたが、持ちそこなったようです。原文無しで行きましょう。とにかく、その著作にハッキリと「15年前からずっと絶えないで同時代の皆に罵倒されて、傷つかれている」といったようなことを書いています。このセリフで、ルソーは自己紹介するのです。原文が見つかりました。読み上げましょう。

「この世で一人ぼっちになった私には、兄弟も父も隣人も友人も社会もあるが、それは皆、私なのだ。」(拙訳)という文章で、著作が始まります。文庫を持ちそこなったので残念ですが、ある意味で文学的に言うと、フランス語的にいっても綺麗ですけど、彼に同情しようと思っても、やはり同情できませんね。もう、ルソーを読めば読むほどに、同情できなくなります。なんといえばいいかな。もう充分だというか、やり過ぎはやり過ぎだという感じですね。「勘弁してくれ」と言いたくなります。

『告白』もその意味で凄いです。原文がありました。はい、『告白』の始まりを読み上げましょう。非常に有名なものですけど、それで「ルソーによるルソー」を味わっていただければ幸いです。

「私は前代未聞の偉業を遂げようとする。後世には誰も真似できない偉業だ。「私」という偉業。完全なる自然のありのままの一人の男を同類の皆に見せたい。その男は私となる。」以上。
彼は書いていますね。「私だけ。」以上。
「私は、私の心を感じ、人間を理解している。一生見てきた多くの人々と違って、私は違っている。全世界、全歴史に存在したすべての人類とは、私は違う存在だと信じたい。」

御覧の通りに、本当に孤独で、他の人々から完全に孤立している側面がよく読み取れる文章でしょう。

「他の人間より、私は良くないかもしれないが、少なくとも別ものだ。私の生まれた型を壊した自然が良くやったか、あるいは悪くやったかを分かるには、私の著作を読めば判断できる。」
やっぱり、自己正当化ですね。弁解のための著作です。

「最後の審判のラッパがいつ鳴らされても構わない。その時、この本を高く掲げ、至上の裁判官の前に私が出て、恥じないで大声でこういい出そう。『ここには、私のやったこと、思ったこと、私がどういった人間だったということが書いてあります。私の人生の善悪を問わないですべてを忠実に記しました。悪を黙殺しなかったし、善を装ったこともありません。時には善悪と関係なく飾りを足したとしたら、私の記憶の欠如のせいで出てきた空白を埋めるためだけでした。正しいと善意で思い込んでいたことを正しいとしたことがあるかもしれませんが、嘘だと知っていたことを正しいとしたことはありません。有りのままに私を見せました。卑怯と軽蔑すべき時、それをそのままに記し、また私が慈愛深き、高潔な、崇高だった時も、それをそのままに記したのです。あなた(至上の裁判官)が読み取った通り、私の内面を見せただけです。永遠なる存在よ。私の周りに、数えきれない大衆から、私の同類を集めたまえ。彼らは我が告白を聞けばよい、我が卑劣な行為を嘆けばよい、我が不幸を憐れむがよい。そして、皆一人一人が、あなたの玉座の許に、自分の心を私が忠実にしたように、明らかにせんことを。厚かましくも「この男(ルソー)よりも、私の方が善だった」と言い出せる人がいるのなら、名乗り上げんことを』と。」


【最後に】

以上はルソーでした。結局、話しは一時間弱になりましたね。ルソーの人生に関して、これで終了したいと思います。

最後に、ルソーの名作の名前を紹介しておきましょう。
1750年の『学問芸術論』で、始めての「ディスクール」です。
そして、指摘すべき音楽の作品として、1752年の 『幕間劇、村の占い師』があります。ルソーは非常に感情的です。ルソーの特徴として指摘すべき性格です。確かに良い意味で感情的であることは紛れもない事実です。彼の非常な敏感な感情は、理性と意志によって和らげられていないということこそが問題です。

1755年に『人間不平等起源論』を書いて、これは第二の「ディスクール」ですね。
1758年に、取り上げる価値のある著作は、『摂理に関する書簡』 とダランベール宛の『付録 - ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目』があります。
1761年、『ジュリ または新エロイーズ』と書きます。「エロイーズ」という有名な歴史上の場面を再編成したものです。「エロイーズ」とは、中世のピエール・アベラールPierre Abélardとエロイーズとの恋愛のことですけど、大雑把に言うと、アベラールAbélardは、「修道士」というか、一応誓願だけは立てていた、エロイーズの家庭教師だったのです。エロイーズは、父を失っていたので、叔父の家で育てられました。そして、二人ともお互いに恋に落ちたのです。エロイーズは妊娠し、子が生まれました。それを知った叔父が激怒しました。記憶が正しければ、もう一人の叔父が大聖堂の参事会員の司祭だったと思います。罰として、アベラールAbélardの去勢が命じられました。アベラールAbélardは良い学者だったのに、その事件で彼の学問上の将来は潰されたのです。

そこで、『ジュリ または新エロイーズ』において、ルソーはジュリ・デタンジュという女性の話を描いています。ジュリが自分の家庭教師に恋します。ところが、両親と社会のせいで、ジュリは家庭教師と結婚できないという設定になっています。御覧の通りに、いつも「社会のせい」になっていますね。ジュリと教師は結婚しないまま恋愛関係を語る小説です。書簡を交わし合います。作品自体は主に書簡体小説という形になっています。そして、教師とジュリが離れざるを得なくなります。その後、ジュリはもう一人の男と結婚します。ヴィルマールという男です。ジュリは夫を愛していることは愛しているという感じです。そして、ルソーがどちらかというと、「愛と結婚」をハッキリと切り離してしまいます。というのは、ジュリは、結婚している相手を相手しているとしても、一番愛している相手とは結婚しない設定になっているからです。その点が作品の面白いところです。

ある日、三人とも皆がついに会い揃います。夫の友達と教師と共通の友達という縁で、たまたま皆がヴィルマール家で揃う場面が出てきます。結末として、全員がある種の理想的な社会で過ごせるようになって、そして完全に自給自足の社会で過ごせるようになります。「自給自足の社会」というのは、ルソーらしいですね。つまり、社会から完全に切り離れた「場所」になります。何とかその理想的な小社会では、人間関係は一応良くて問題はないということになっています。つまり、ルソーにとっての「自然なる人間の本来のあるべき姿」を書こうとしました。つまり、社会抜きの人間を理想にしている小説なのです。以上は『ジュリ または新エロイーズ』の短い紹介でした。

本当に立派な文学性をもっていて、書きぶりは綺麗です。それについて話しがあります。生真面目(きまじめ)なカントという哲学者がいますね。彼は時計のように毎日同じ日課で過ごしていたと言われています。一秒も変えずに、毎日同じだったそうです。ところが、ある日、毎日の散歩をしなかったのです。理由はルソーの『ジュリ または新エロイーズ』を読んで夢中になったせいで、散歩に行くのを忘れたという話がありあります。

1762年、 『エミール または教育について』を書きました。そして、その中の最後の章は「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」です。私の記憶が正しかったら、この「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」の部分は、「エミール」には最初は入れないつもりでした。結局入れるのですが、入れてからでもルソーは外したかったそうです。
理由は単純で、『エミール』自体が禁書目録で禁じられるようになった場合、「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」という文章を手元に持っていて、そのまま出版できるように用意するつもりでした。

同じ1762年、 『社会契約論』も執筆しました。
1765年~1770年の間に『告白』を書きます。『告白』はルソーの死後に出版されました。
もう一つの死後の作品というと、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』があります。死後の方が裁きやすいですね。

また、晩年に書かれて、死後に出版された『孤独な散歩者の夢想』という作品があります。この作品は確かに書きぶりが上手で文学性があるのだけど、うんざりとする作品を言わざるを得ません。これを読んでしまうと、ルソーに対して、同情できなくなります。
そういえば、こんなことがありました。ルソーが泊まっている部屋の門に、次のことを落書きしたのです。確かに、パリにいた時です。ルソーの部屋の門ですね。次はルソーからの引用です。

「それぞれの分に置かれての世間の人々の私についての諸態度。
国王と偉い方々は、本音を言い出さないが、少なくとも私のことを寛大に扱ってくれる。
栄光を愛している本物の貴族は、私が栄光について達者であることを分かってくれる貴族なので、私を尊敬して黙っている。
司法官は、私に対して多くの悪事をしやがったせいで、私のことを憎んでいる。
私が暴いて見せてやった哲学者は、私の破滅を望んで、何れか成功するだろう。
出生と身分を誇りに思っている司教は、私を畏れず敬意してくれる上に、私をうやうやしく扱ってくれ、私を評価してくれる。
哲学者に買収された司祭らは、哲学者にへつらうために、私に対して吠え掛かる。
才気のある人々は、私の才能の優位性を感じて嫉妬するので、私を誹謗することによって私の優位性に復讐する。
私の熱愛の対象だった国民が、私のことをみて、櫛を入れていないかつらのやつであり、誹謗されている男だと思っている。
女性を侮辱している陽気で興ざめな男に騙されている女性たちは、一番彼女らのために値する男である私を裏切っている。
スイス人は私に対して悪事を強いられたせいで、私をいつまでも赦さないだろう。
ジュネーヴの司法官は自分の罪を感じるし、そして彼の罪を私が赦してやることも感じているし、その司法官がその気になったら償ってくれるはずだろう。
国民の指導家たちは、私の肩の上に立っているのに、私を隠そうとして、自分らだけ目立つようにしたいらしい。
作家たちは私の書いた物を盗んで誹謗している。ペテン師が私を呪っている。ごろつきらが私をやじっている。
良き者がまだ存在しているのなら、私の不幸な運命を見て嘆いてくれる。そして、私はその良きものを祝福して、いずれか死すべき人に私のことを教えてくれるといい。
私のせいでも眠られないヴォルテールが以上の文章を馬鹿にするだろう。ヴォルテールによる愚かな罵りが結局、彼の無本意のうちに私に対する称賛になる。」

以上は、ジャン・ジャックのご紹介でした。ご清聴ありがとうございました。

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その(一)【第1部】

2019年08月13日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



本年度の新連続講座にようこそ。ご案内したとおり、今年は一人の著作者を徹底的に分析することにします。
ジャン=ジャック・ルソーです。彼について、多くのことが言われているし、流行っている作者です。
皆様は、ルソーのことを聞いたことがあるに違いありません。皆様はどれほど彼の著作を読んできたか分かりませんが、大体の場合、知られているのに意外と実際にはそれほど読まれていないか、少しだけしか読まれていないようです。一応面白い人物だと言えましょう。面白いというか、ルソーについての通説というか、何というか、大体の場合「フランス革命の根本的な理念(原理)」を確立した人物としてルソーが知られています。

革命の原理を確定したかについて議論の余地があったとしても、少なくとも、ジャン=ジャック・ルソーの遺体が「パンテオン(革命が偉大だと評価した人物を葬るパリの建物)」に置かれているぐらい「不吉な人物」であると言えるでしょう。パンテオンに遺体があるのは象徴的なことです。この事実だけをみても、ジャン=ジャック・ルソーという人物の位置付けは自明でしょう。要するにルソーがパンテオンの門の上に刻まれているように、「祖国 が偉大な人に感謝している」一人の名人であることは揺るがない事実です。

ルソーを紹介しようと思った時に、どうすれば一番良いでしょうか。難しいことですけど、この連続講座は今年、五回ほどルソーについての講演をするので、一回ごと一つのテーマに絞ってルソーをご紹介します。毎回一つのテーマに絞って説明していきます。そうすると、多様な観点からルソーを見る効果があると同時に、幾つかの哲学上の概念を復習します。政治哲学なり、政治じゃない哲学上の概念なり、心理学上の概念などもちょっと触れれば何より幸いです。こうした方が、ルソーを理解するために一番やりやすいと思ったからです。その上で、できれば、できるだけ、ルソーの著作の原文自体をご紹介していきたいと思います。ルソーの書いた文章を知って頂けば、私の話に肉付けするために一番分かりやすいし、やりやすいでしょうから。

【これからのテーマ】

今回の第一講演は比較的に手短になると思いますが、「ルソーの人生」をご紹介していきたいと思います。今回は分かりやすくて疲れない話になると思います。ルソーの人生自体は疲れる人生でしたけど、今晩はルソーの人生に絞ってご紹介していきたいと思います。

これからの四回の講演の時には、四つのテーマをご紹介します。順番は前後になる可能性がまだありますが。

第一のテーマは「ルソーと芸術」についてです。ルソーが「芸術」について多く言及したし、彼の書かれた最初の大作は芸術についてでしたから。その際、ルソーの二つの著作をご紹介する予定です。『ダランベール宛の書簡』と『学問芸術論』です。後者はルソーが書いた最初の「ディスクール(論)」です。現代では「芸術」を語ることはかなり稀になってきたので、面白いテーマだと思いました。芸術について語るときに、社交上の話ぐらいでは、あまり深入りしませんね。「芸術」を特徴づけるのは何であるか、政治上の位置付はどうなっているか、どうすべきか、というような大事なテーマはほぼ触れられていません。だから、そのテーマを機に、芸術に関する哲学上の基礎をちょっとご紹介して、糧になればなによりです。

第二のテーマは「ルソーと政治学」です。このテーマこそは一番普段にルソーに語られている課題ですから、ある意味で一番分かりやすい部分である、少なくともルソーの特徴を理解するために一番役立つテーマでしょう。というのも、ルソーの一番有名な理論は、彼の政治論だからです。政治というテーマでルソーの名作は『社会契約』なのです。また、ジャン=ジャックの二つ目の「ディスクール(論)」もあります。『人間不平等起源論』もあります。以上の第二のテーマの時にご紹介する著作です。

第三のテーマは「ルソーの教育論」です。その際、カトリックによる教育観を復習する機会にもなります。その時に、『エミール または教育について』を中心にご紹介する予定です。

最後に触れるテーマはより難しいテーマにはなりますが、「ルソーと信仰と宗教」というテーマにしたいと思います。それを分析するために、『エミール または教育について』という著作の最後の部分である「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」という文章を中心にご紹介したいと思います。そして、ルソーの宗教観というテーマについて、ルソーの面白いヴォルテール宛ての一通の書簡もあります。

以上、今年、ご紹介していく四つのテーマです。そうして、ルソーの諸著作をご紹介し、我々現代人にとっても、関心のある幾つかのテーマをご紹介できたらと思います。ルソー論をご紹介するきっかけに、本来の良き原理・理念をご紹介できればと思います。こういった本来の良き原理から出発して、どうやってルソーがこれらについて語ってきたかということをご紹介できればと思います。
テーマについては以上の通りです。


【ルソーの人生】

さて、今日の講演の題目は「ルソーの人生」です。私は歴史家ではありません。年表も出来事も私には非常に覚えづらくて歴史家の才能が残念ながら私に欠如しています。いくら読めても、なぜか年表は覚えられないのです。だから、今日だけは歴史家でない私の話を聞いて下さる皆さまは可哀そうでしょうけど、何とか頑張らせていただきます。

ルソーの人生を理解するために、二つの入門書をお勧めしたいと思います。
一つ目は、人生だけではなく、ルソーの思想をも論じるので哲学的な側面もありますが、ジャック・マリタンの「三人の改革者」という入門書です。本当に優れている小さな論文で、「三人の改革者」と題しています。三人の改革者はだれであるかというと、デカルト、ルターとルソーです。マリタンにとって、この三人こそが、世界のすべてを改革した人物なのです。哲学上の改革はデカルト、政治上の改革はルソー、宗教上の改革はルター。

マリタンの結論に関して、一つだけ警戒を言い出しましょう。確かルソーに関しての結論だったと思いますが、マリタンには「人格主義」という傾向があります。つまり、人間において「人格」と「個人」をほぼ現実的な区別として捉える傾向がある「人格主義」です。そして、マリタンは「共通善」よりも「人格」を優位に立たせるという誤謬に偏りがちです。それだけを指摘しておきましょう。

「三人の改革者」をお勧めします。読みやすいし、マリタンは、二番目に紹介するルソーについての部分を「ルソー、自然の聖人」と題しています。ルソーを特徴づけるために、よく当たっている表現だし、正しい表現だと思います。
また、ルソーの人生について、もう一つの書籍を熱くお勧めします。ベルナール・フェ Bernard Fayによる「ジャン=ジャック・ルソー」という書籍です。Fayはルソーが自分自身のことを語った文章を多く拾ってルソーの人生を紹介します。確かにルソーの諸著作の特徴は「ルソーが自分を語る」ということです。「ルソーは自分を思う」とも言えるでしょう。ともかく、Fayがとりわけ『孤独な散歩者の夢想』と『告白』をはじめ、ルソーの諸著作に参照しながら、ルソーの人生を紹介します。そして、ルソーの人生を立派に紹介することに成功します。ルソーの人生は細かく具体的に語られています。これは、ルソーの後を一歩一歩追いながら、それぞれの風景の描写も美しく、彼のそれぞれの行為と行動を旨く描写し表現している書籍です。しかも、書きぶりも本当に良くて堪能できる一書です。

ついでに、今ちょっとだけFayの書籍の文章を読んで堪能していただきたいと思います。序文の部分です。序文はとても短いので。そういえば、序文が短いのは良いことですね。短いと本を読みたくなりますが、序文が長ければ長いほどに逆ですね。本番に入る前に、「それほど長い文書が必要だなんて」ということを気付いた時に本を読む気は少なくなりますね。さて、引用しましょう。

「今より二世紀前からずっとルソーについて多く語られてきました。好意をもって、熱心をもって、熱狂をもって、教養をもって、策略をもって、不実をもって、嫌悪をもって、ルソーについて多くがばらばらに語られました。時にルソーについて愚かさをもって語られたこともありました。そしてそれはそれで敬意を払うべき膨大な批評とはなりますが、あまりにも多く存在するので、中心になるはずの著作者自体が、そしてその特質とその人間性を見失う恐れがありましょう。私もルソーから引力を感じて彼について長く勉強し続けました。最初は彼の著作を堪能しました。彼に魅力されたし、怒りもしたし、魅惑されました。ある日、ルソーを理解したい気持ちになりました。自分自身のことを一度も自らで理解したことのない人間について、私が理解しようとするのは厚かましかったかもしれません。しかしながら、自分自身を自分で理解できなかったルソーは、少なくとも自分のことを謝り、自分のやったことを正当化し、自分を称賛することぐらいはしました。私は最初にルソーの行動を見た上で、ルソーを理解しようとしたのですが、彼の行動は曖昧のままで両義性があると思いました。
また、ルソーの思想を見た上で理解しようと思いましたが、彼の思想はどうしてもよく把握できませんでした。私の検討を逃げるかのようにルソーが感情へ逃げ込んで、それらの感情は暖かくなりながら、不安定でもあったと気づくようになりました。彼の『告白』を何度も読み返しました。眩しい幻、とらえどころのない幻覚、偽りの幻影。彼を読み込んだ挙句、彼のことを私は夢で見始めました。夢で彼を見た時、彼の本当の人物といよいよ出会うことができました。ルソー自身も語るように、ルソーの人生は夢だったのです。それ以外なんだったでしょうか。
また、ルソー自身が神話でした。ルソーは確かに生きていたことは生きていましたが、夢を見るために生きていたのです。ルソーの残したのは、終わらない夢の連鎖に過ぎません。ただ彼の才能によってその夢は美しくされて、時にはかれの興奮が注がれた夢になるか、あるいは時には懐中の情けに満ちた夢にもなります。ルソーはどうせ夢の中に生きていたので、私がその高い雲だった夢の世界に、彼を探し出しに行き、彼をいよいよ見つけたのです。」

書きぶりは悪くないでしょう。残りの全書も同じ書きぶりで、美しいスタイルになっています。堪能できる書籍です。書きぶりはね。描写される人物は美味しくないということは紛れもない事実ですけれど。そして、この本の副題は「ジャン=ジャック、人生の夢を見る」です。


【ルソーの人生の生い立ち】

さて、ルソーの人生の本番に入りましょう。生まれた年は1712年です。つまり、彼の人生は18世紀のど真ん中となります。生まれたのは、1712年6月18日のジュネーヴです。フランスのパリを逃げた家庭に生まれました。というのも、彼の家族はプロテスタントだったからです。フランスからスイスへ亡命した家族でした。まあ、確かにその出生は恵まれていないかもしれません。プロテスタント信徒として生まれることになります。プロテスタントの洗礼を幼児の時に受けました。生まれてから二十日間ぐらいが経って、ルソーの母がなくなりました。つまり、ルソーは自分の母をすぐ失い、母を知りませんでした。ルソーの母は同年7月7日に亡くなっています。母なし育ちました。父に育てられます。父は主に狩りをして生計を成り立たせていました。ルソーは特に大切にされた子供でした。父と一緒に、ルソーの伯母も彼の世話をずっとやってきました。多くの愛が注がれた子でした。愛情のこもったこういった環境でルソーが開花したと言えます。ルソーは愛され、愛されていることをよくわかっていました。

また、指摘すべき点は、ルソーが魅力的な人物だったことです。Bernard Fayがそれを何回も強調しています。年齢を問わず、ルソーはずっと魅力的な人物だったのは確かのようです。それは想像に難くない性質でしょう。彼の諸著作を読んでも、その魅力さがいつでも感じうるでしょう。彼の諸著作は文学的に言うとやっぱり綺麗で魅力的ですから。つまり、ルソーの書きぶり自体はなかなかよく出来ているのは事実です。ルソーは魅力があるし、そして魅力があることを彼は知っています。その魅力を示す話があります。Bernard Fayが次の話を紹介します。

ルソーが幼い時に、何かの悪戯(いたずら)をやったせいで、「食事なし」の罰になりました。父が「食事なし」という罰をルソーに与えました。すると、ルソーが家族の全員に丁寧にご挨拶をし、テーブルを去り、何かの動物を焼いている暖炉の前を通りかかりました。暖炉の前でルソーは立ちとどまって「おやすみなさい」と丁寧に焼かれていた動物に挨拶をしました。すると、父がそれを見て笑って、罰をやめることにするのです。テーブルにルソーを戻して、結局、普通に食べられたという話です。こういった例で確認できるように、ルソーには紛れもない魅力があるのです。

後は、ルソーという子は穏やかな静かな子だったのも、間違いありません。愛の注がれた環境で育たれながら、かなり早い段階で、父に指導されて読書を教わったのです。ルソーはずっと読書好きで多くの本を読みこなしてきました。父は彼に本を読ませていたし、また、父が朗読して、息子に読み直してもらったりしていました。声に出して読み合う感じです。古典も含めて。ルソーという子の憧れた一つは、古代ローマ人の英雄的な行動だったそうです。また、ルソーは小説を読むのも好きでした。

問題はルソーを勉強させるときに、読書ほどに旨く行っていなかったことです。まず、ルソーの父が裁判を避けるためにVaux州を去って亡命せざるを得なくなります。父が亡命するが、息子を叔父に託すことになっています。ジャン=ジャック・ルソーは父と一緒に行きません。父が去って叔父の所に住むようになったのは、ルソーの10歳の時でした。そして、10歳にもなったので、何か仕事をさせることになりました。あちこちに見習いとして従事させてみたのです。その一つの見習いの経験は、(裁判所の)書記の所に働きに行くことでした。ただ、ルソーはどうしても怠惰な性格で、あちこち見習いに行っても、休憩時には必ずルソーがジュネーヴの壁外へ散歩に行っていました。当時はジュネーヴにはまだ壁に囲まれていたので。ルソーは壁外に行って、野原や森を散策することが大好きだったのです。確かに、ルソーの諸著作を読むと、とりわけ『告白』を読むと、ルソーがどれほど野原を熱愛しているか、どれほど冒険に夢中になっているか、どれほど孤独な散策こそを熱愛しているかよくわかります。それは間違いないことで、因みに彼の性質の一つの特徴として覚えておくべきでしょう。

その性格を語る次の話があります。ある休憩の時に、もしかしたらある日曜日の時だったかもしれません。Bernard Fayは日曜日の時だったと書いています。いつも散策に行っていたルソーでしたが、その日に町に戻る時に、壁の門が閉まっていました。壁外に一人ぼっちで入ることができません。そのせいで、見習いとして雇われている所の契約をその日の分に果たすことは不可能となってしまいました。すると、ルソーは、その状況を受けて、町を逃げてしまうのです。さりげなく。16歳の時でした。そして、その近くの村に避難し、その村の主任司祭の許に行きました。なぜ主任司祭の所に行ったかというと、当時なら、主任司祭という存在がまだ尊敬されて、困った時に助けてくれるという評判だったからです。まあ、ルソーから見ると、主任司祭の信仰を聞くつもりはなかったようです。でも、一応、主任司祭はルソーに対して優しくしてくれて、彼を雇ってくれるし、ルソーが彼を気に入っていました。これもルソーの性格の特徴的な点です。

ルソーが相手を評価する時に、いつもその司祭の時と全く同じパターンとなっています。ルソーの全人生を見ても変らない性格です。多くの場所に旅行してきたし、多くの地方を歩いたルソーがいつもそうでした。

ルソーはいつも全人生に亘って旅してばかりいて、彼の性格は落ち着きがなく、どこもいつも不安定です。あまり、同じ場所に長く泊まることはできず落ち着かないタイプです。人を出逢う度に、相手を評価することに当たって、心で判断します。頭の理性で判断するのではなく、心で相手を評価します。つまり、「直感的」に、相手のことを知らなくても、相手の正しい評価はできなくても、いきなり「惚れてしまう」ような性格を持つルソーです。だから、その主任司祭に遭った時に「惚れてしまった」パターンというか、非常に「大のお気に入り」となります。主任司祭がルソーに「カトリックへの改宗」を勧めると、ルソーが「いいじゃん」という感じで応じて、改宗することを受け入れました。

ということで、次に主任司祭は、最近回心した婦人のいるスイスのヴヴェー(Veuvay)村へルソーを連れて行きました。Madame de Varins(ヴァランス夫人)という婦人です。ヴァランス夫人という人物はルソーの人生の中で非常に大事な人物となります。ヴァランス夫人の住まいに到着して、彼女と初めて出会った時に、ルソーはやっぱりひと目惚れしました。彼女もルソーのことをひと目惚れしたようです。当時、ヴァランス夫人はまだ比較的に若かったのです。確か三十歳ちょっと以下だったと思います。ルソーは16歳辺りでした。次は、ルソーの改宗へ向けて、公教要理を勉強しなければならないということで、トリノ市へ行くことになりました。つまり、Veuvayからトリノに行く知り合いがちょうどいたついでに、ルソーも一緒にトリノに行って、そこで女子修道院で公教要理の教えを受けることになりました。ルソーは改宗志願者だったわけです。

ルソーには、正確には、どうしても傲慢心があったので、改宗までの間に、彼はちょっと目立った改宗志願者として教師たちによっても目をつけられました。まあ、ルソーは度を超えなかったので、それでも改宗は無事に出来ました。1728年4月23日、カトリック洗礼を無事に授かりました。洗礼志願だった時代のルソーの一番の喜びは、トリノ市を散策するということでした。要するに、余り稼がないで、運に頼って、生計を立てずに、毎日を冒険のようにふらふら散策したりして生活しているという日常でした。金がなくなりそうな時に、何とかちょっとした「バイト」であちこち何とかちょっとした金を稼ぐのです。仕事だけは相次いで見つけることだけが見つけるのですが、長く同じ仕事にいられなくて、いつも不安定なのです。

この時代に、次の話があります。ある日、ある仕事に就いた時に、ルソーが大嘘をつきました。あるどこかの引っ越しの際、たまたまそこにあった桜色のリボンを見つけました。なぜかルソーはそれを気に入って、自分のものではないのに取ってしまいました。そういった行為も、ルソーの「直観的」な性格をよく物語っています。「好きだから、盗んでしまう」。ルソーを理解するために、やっぱり直感・本能という性質が非常に強いことを理解しなければなりません。

話に戻ると、ルソーがそのリボンを取ってしまうと、後で上司が桜色のリボンを見かけなくなったから、「だれか、どこにあるか見たか」と従業員に聞きました。その時に、ルソーは黙ったままでした。そして、その後に、ルソーの手袋に桜色のリボンが入っていたことが明らかになりました。すると、ルソーはどうしたかというと、家の女性の料理人が犯罪者だと嘘をつきました。結局、料理人は罰せられなかったようです。ルソーが料理人を咎めたので、上司はルソーと料理人を対決させてみますが、何も結論が出なかったので、結局罰はなかったということで終わりました。ルソーも料理人も「私はやっていない」という立場を固く断言していたので。

だから、上司にしても、仕方がないわけです。犯罪者を明らかにするのはできないまま、上司は罰を与えることはできませんでしたが、次のような結論で終わったそうです。
「盗みを犯した犯罪者の行った悪事が、彼の良心を咎めるだろう」みたいなことを上司が言ったようです。確かにこの事件はルソーに印象深く残りました。可愛そうな料理人ですね。

まあ、こういったようにルソーは人生を送っていたのです。かなり不安定にやっていました。ルソーのトリノでの滞在は一年とちょっとでした。その時期に何人かの仲間と友達ができたし、そして、何人かの女性にも恋していたようです。また、ルソーは綺麗だなと彼が感じる女性に会うたびに惚れるような感じで、大体ルソーがその女性をたらし込もうとしています。こういった恋愛などはたぶん精神的に留まるのですけれども、特徴として長く続きません。同じ気持ちにあまり留まれないルソーで、恋愛面でも不安定で次々に変わります。ルソーの不安定という特徴だけは、いつも変わらず安定している特徴でした。

結局、自分自身も言うように「自分について絶望したルソー」、そしてどうせ周りも皆、ルソーのことをがっかりして、ルソーはスイスに戻ることになります。ヴァランス夫人の所に戻るのです。ヴァランス夫人と再会すると、あえて言えばルソーが改めて「惚れる」ことになり、間もなくヴァランス夫人の家に泊まることになります。ルソーはヴァランス夫人を親しく「母さん」とずっと呼んでいました。逆にもヴァランス夫人がルソーを親しんでずっと「坊や」と呼んでいました。

【ルソーと音楽】

ところで、ルソーは何とか稼がざるを得ないのですが、ルソーの不安定と怠惰の性格から、なかなか旨く行かず、余り仕事はしませんでした。結局、辛うじて大聖堂の聖歌隊での仕事が紹介されました。ルソーは歌がうまく、音楽に興味を持っていました。そういえば、彼の音楽好きの特徴は一般的にそれほど知られていないかもしれません。しかしどちらかというとルソーの人生において大事な一要素なのです。音楽を好み、聖歌隊で働いた時代に、一人の聖歌隊員と友情をもり、仲間となりました。問題はその一人が評判の悪い人で、良い青年ではなかったのです。ヴァランス夫人をはじめ周りの人々にも警告されていたのに、ルソーは自分の友達に対して客観的な評価はできず、分別を欠いていました。「彼と関わることを止めよう」といったような判別力を、ルソーはなかなか持てなかったのです。これもルソーの性格を知るためになかなか面白い例だと思います。ルソーはいつもこういった性格でした。直感と感情で動くタイプの人物です。

【リヨンに行くがすぐスイスに戻る:困難なことから逃亡する】

それを見て、ヴァランス夫人は何とかルソーをその子から離れさせようとしました。そのために、聖歌隊長が町を何かの理由で去ってリヨンに行くことになった時、ヴァランス夫人はルソーに聖歌隊長と一緒に行くように頼みました。すると、ルソーは師匠と一緒に町を去りました。私の記憶が正しければ、リヨンに到着するや、師匠が町を歩いて人前で癲癇(てんかん)の発作を被ったのです。つまり、師匠が地面に転げ回ったり、泡立った唾を吐いたりするような発作(ほっさ)でした。ルソーはパニックしました。一応、師匠をどこかに泊まらせるようにと周りの人に聞かれてルソーは答えるのですが、その後、ルソーはそのままに逃げます。師匠から離れて逃げました。そこで、スイスにもう一度戻ることになります。一年ぐらい彷徨(さまよ)うことになりました。音楽論の教室をあちこちして、ちょっとして稼ぐのですが、本当のところルソーは音楽理論について何も全く知らなかったので、はったりをかまして教えていました。最初は相手が気付かないのですが、間もなく、いくらたっても生徒が上達しないので、当然ながらあまり長つづきできません。

次の場面もありました。ある音楽の夕べに誘われた時に、そこで何かの曲を弾いてくれないかと頼まれました。ルソーは受け入れて弾いてみるのですが、参加者全員が笑い出した、という話があります。皆に笑われて、ルソーは深く面目をつぶされたと感じたようです。それは兎も角、音楽教室をやって、音楽を好んでいる人々と付き合うおかげで、ルソーは少しずつ音楽の知識の基礎を何とかちょっとだけでも得るようになりました。その一年の間に、音楽教室以外にも、ルソーは多く散策していました。ルソーはやっぱり散歩・散策するのが大好きです。夢想にふけることが大好きなのです。だいたいの場合、散策する間に、どっかに出会って惚れた「女性」のことについて夢想するのが特に好きでした。また、ヴァランス夫人の事を頻繁に思っていました。ルソーは誰よりもヴァランス夫人を尊敬していました。

【モンペリエ、リヨン、パリ】

次は、フランス南部のモンペリエに行きます。その理由は、ルソーに心臓の問題が出たということで、行くように言われたからです。なにか心臓病ではないかという疑いがありました。
モンペリエでは、依然同じようなパターンを繰り返していました。若い女性と出逢って一目惚れしました。おそらく、精神的な恋愛にとどまったと思われます。でもどうでしょうか、彼は天使のような人物でもなかったのです。

モンペリエに滞在してから間もなく、リヨンに行きました。そこで、コンディヤックという啓蒙思想家と知り合いました。エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック。1740年当たりに出会った同世代です。
ルソーは30代です。コンディヤックはルソーの二歳下なのですから、同世代です。そして、リヨンではダランベールとも知り合って友達となります。それをきっかけに、「啓蒙」の世界に初めて足を踏み入れることになりました。ダランベールはルソーの5歳下です。まあ30歳になる辺りだと、世代は大体一緒と言えましょう。リヨンでこういった友達ができた上、パリへ向かいました。パリでは音楽関係の仕事に就こうとしました。ここでも音楽でした。後でも見られるように、ルソーは全人生において結局、音楽で稼ぐようになっています。

そういえば、音楽についての論文を書くことも試みました。新しい記譜法を作ってみました。私の記憶が正しければ数字を使う記譜法だったと思います。ところが、この記譜法は完全に大失敗に終わりました。とにかく、パリに住んで、写譜者として働きます。それほど音楽上の知識がなくても出来る仕事で、さすがにルソーらしいです。ルソーはどうせ怠惰で、散策することが大好きですから。やっぱり、ルソーの一つの性格の特徴は怠け者ですね。パリでは、写譜の仕事しながら、町を楽しむのです。現代に比べたら、当時のパリの方が小さかったし、自然も多かった、広い場所もあったし、もうちょっと自由に動けた町でした。

パリでディドロと知り合いました。面白い出会いでしょう。ディドロと啓蒙家らの世紀です。ディドロは1713年生まれで、ルソーの一年下です。啓蒙家はやっぱり大体皆、同世代です。ディドロとその他の知り合いを通じて紹介されて、「サロン(パリ社交界)」に足を運ぶようになりました。有名な18世紀のサロンですね。それらのサロンで話し合っていて、あえて言えば来たる革命が策略されているサロンです。新しい思想はそこで流されて、交換されて、そしてサロンの外のエリート層にも流れていく影響力のあるサロンでした。
こうしてルソーはサロンに通うことになりますが、必ずしもいつも歓迎されているわけでもありません。ある時ルソーはイタリア人の大使と知り合いました。その大使はルソーの文学上の能力を評価して、ルソーを秘書として雇いました。


【ヴェニス】

つぎは、大使の後を追って、一緒にヴェニスに行くことになります。というのも、ルソーは以前トリノに一年間ほど滞在したので、イタリア語が流暢にできたからです。年表はちょっと前後してしまいますが、その時の一つの場面をご紹介しましょう。ある時に彷徨っていた時代に、散策していたらある男と出逢いました。その男は、ギリシャ正教会の修道院長だと自称する人物でした。そして、トリノにいたのは、「聖域の独立のために運動しているからだ」とその人物が言っていました。その男は空威張りに過ぎなかったものの、ルソーは騙されてその男に金を渡してしまいました。自称の肩書きを主張していたその男は、たんなる詐欺師で金を貰おうとしていただけでした。そして、ルソーは相手が詐欺者であることを見抜く分別力を全く欠如していたので、相手を正しく評価できず、その男の話に乗りました。ちょっとだけ乗ったのではなくて、かなり長い間にその詐欺者の後に付いていたし、詐欺であることがばれるまでその後に付いていました。ルソーは嘘が分かった時、騙された悔しさで泣き出したと明かしますが。今の話は、ルソーの分別力の欠如を良く物語る話なのでご紹介しました。

元の話に戻ると、大使館の秘書官として、ヴェニスに行くことになりました。ヴェニスの滞在の間に、当時の有名な音楽者と出逢いました。また、ヴェニスではルソーの大好きな「移り気」な空気を満喫できました。放蕩の雰囲気にあって、ルソーはその雰囲気が気に入ります。それだけではなく、ヴェニスでの滞在の時にこそ、ルソーは本当の意味で初めて政治活動を経験することになります。従ってルソーが政治について考え始めたきっかけはヴェニスで見たことでした。ヴェニスは都市国家で、政治的に言うとすべてが揃っていながらも小さくて全体図が見やすいところがありましょう。ヴェニスでの滞在は一年以内でした。そういえば、いつも転々と動く分、ルソーの人生を整理するのは難しくなります。


【パリに戻る:同棲、結婚】

ヴェニスでの一年間の後に、パリに戻ることになります。パリでは、テレーズ・ルヴァスールと同棲します。結局、その後に結婚しましたが。ルソーは熱心なカトリック教徒でもなく、そういった結婚の掟を破っても平気で躊躇うことはなかったようです。どうせ、かつてトリノに行ってカトリックに改宗したのは、憧れのヴァランス夫人に勧められたことと、それでちょっとした金を貰えたからに過ぎないので、熱心なカトリック信仰心を持つわけがありませんね。テレーズ・ルヴァスールと同棲し、彼女と間に5人の子供をもうけることになりました。1747年から1751年までの間に、5人が生まれました。ところで子どもが生まれた途端、ルソーは五人とも捨て子の団体に預けました。要するにルソーは、卑怯にも自分の子を捨てるのです。このこともルソーの性格の不安定さを象徴的に示します。


【子供を全て捨てた理由:皆が自分の敵であるという偏執狂(パラノイア)があった】

面白いのは、ルソーは自分の著作では自分の子を捨てた幾つかの理由を挙げています。彼が記す一つの大きい理由は「妻の家族から子どもを離れさせてあげる」ためです。あえて言えば、気持ちだけは理解できるかもしれませんが、その理由はルソーのもう一つの性格の特徴を示します。つまり、ルソーが偏執狂だからです。それは本当のことで、いつも、皆が彼を敵にしているということをルソーが常に感じざるを得なかったのです。彼の晩年になって、感じだけではなく、確かに実際に皆が彼の敵になるようになりましたが。
でも、彼が本当に偏執狂で、皆が自分のことを責めているように感じていた挙句に、実際に皆を敵に回してしまったのです。『告白』を読んでも、人類全員がルソーのことを恨むかのように書かれていますね。

【子供を全て捨てた理由:子どもを育てる金がない】

捨て子の団体に自分の子を捨てた第二の理由として、「子どもを育てる金がないから」とルソーは記します。


【子供を全て捨てた理由:祖国こそが我が子を良き市民にするため】

第三の理由として、これは彼にとっての一番重い理由になると思われますが、「自分の子を捨てたのは、市民的な行為であり、祖国こそが我が子を良き市民にするためだった」といった感じの理由を記します。なんて卑怯でしょうね。そういえば、ヴォルテールもルソーの卑怯さをはっきりと咎めていました。要するに、ルソーが5人子供いたのに、全員を捨てました。にもかかわらず、「教育論」を書くことになります。まあ、いつもあることですね。「教訓」を偉そうに与えながら、自分に関してはやらない。

パリでは、百科全書の作成に参加しました。有名な百科全書のことです。ダランベールやディドロなどが参加した百科全書作成ですが、ルソーは音楽についての項目を担当することになりました。御覧の通り、その時点でルソーの書いた物には哲学のような文章は何もありません。まだ、何も書いていなかったのです。つまり、1747~1748年の時点で、まだ何も書いていませんでした。音楽についてのちょっとした文書が少しあるぐらいで、文学上のルソーはその時点でまだ存在しない、というかまだ無名でした。どうせルソーは不安定な生活しているので、もうちょっとしっかりとした人間関係を結ぼうとします。というのも、金を稼いで、より豊かな生活したいと思っていたのです。それだけです。

《続く》