白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、プーガ(D.Puga)神父様によるお説教をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
プーガ(D.Puga)神父様のお説教
聖伝ミサ、変わらぬミサ
2021年9月12日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
愛する兄弟の皆さま、芸術の作品などを見ることによって、先人たちの信仰がどうなっていたのかを確認することができます。だからキリスト教が生んだ芸術は重要です。フランスでは非常に古い教会や綺麗な教会は多くありますが、本日は主任司祭様が喜ばれるかとおもいますが、イタリア北部にある教会についてお話したいと思います。というのも主任神父様の故郷の近くにあるラヴェンナの教会、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂という教会だからです。
6世紀の初期に建てられたとても古い教会であり、現代まで立て直されていないことから、もとのままになっています。その教会には立派なモザイク画がありまして、旧約聖書と新約聖書の幾つかの場面が描かれています。ラヴェンナの教会は最初、一世紀にはじめて建てられまして、聖アポリナリスによって創建されました。聖アポリナリスは聖ペトロの弟子の一人でありますので、公教会の初期中の初期です。
そして綺麗なこれらのモザイク画の内の一つについて特別にご紹介したいと思います。旧約聖書の三つの場面が並べられてこのモザイク画にあります。アダムとイヴの子であるアベルのお供えの場面があります。ご存じのようにアベルは汚点一つもない仔羊を捧げる場面です。アベルの犠牲は天主によって召しいられることになりますが、アベルの兄、カインは人々の労働の実りであった農産物をお供えしましたが、天主によって召しいられなくて認められませんでした。それでカインは犠牲が認められた弟を嫉妬し憎むようになり、アベルを殺しました。歴史上はじめての殺人ともなります。
アベルの犠牲は我らの主、イエズス・キリストの生贄の前表であり、イエズスの犠牲を示します。というのも、アベルのようにイエズス・キリストもユダヤ人たちの指導者たちなる「兄」によって死刑に処せられました。また、正しい人だったアベルは正しい人イエズス・キリストをも示します。この上なく聖なる人であり、汚点一つもない仔羊として自分自身を十字架上に架かり捧げた正しい人です。
同じモザイク画にはもう一つの別の犠牲も描かれています。アブラハムの生贄です。ご存じであるかと思いますが、天主がアブラハムに命じた生贄でした。アブラハムには息子一人しかいませんでした。そしてこの息子より多くの子孫が生まれるだろうという約束を天主がアブラハムにされたのに、いきなりアブラハムはアブラハムの息子の生贄を命じます。アブラハムは非常に動揺しましたがアブラハムは天主の命令に従うべきだと知っていました。このようにアブラハムは自分の息子を生贄として捧げる準備をはじめます。アブラハムが愛する息子、最愛の息子、イサクを、聖伝に照らして、エルサレムのモリヤ丘へ連れていって、イサクを生贄として捧げることになります。
イサクは生贄を燃やすための薪を負っていましたが、イサクは捧げられる生贄は自分自身であることは知りませんでした。するとイサクは父に聞きます。「ここに火と薪を持っていますが、いけにえの子羊はどこにいるのですか」(創世期、22、7)。父は聖霊の感化もあって、「息子よ、天主がいけにえの子羊をご自分ではからってくださるだろう」(創世期、22、8)と答えました。そして、アブラハムは天主の恐ろしい命令を実行する直前になると、主の天使が現れてアブラハムを止めてイサクの生贄はすくわれました。天主はアブラハムの覚悟を見て召し入れられました。このようにしてイサクは死から逃れました。
この生贄も我らの主の生贄を示し、イエズスの将来の生贄を予告します。我らの主、イエズス・キリストはアベルのように死なれたのですが、同時にイサクのように生き残られたのです。イエズスは十字架上で死なれてから、復活されました。
そしてアブラハムは正しいことに聖霊の導きにしたがって、「息子よ、天主がいけにえの子羊をご自分ではからってくださるだろう」といいました。現に、アブラハムの言う通りでした。というのも人々は天主に値する生贄を見つけることなんて到底できないことですから。ですから、天主はご自分自身の息子を生贄として与え給いました。実にイエズスをもってはからってくださいました。天主はアブラハムに結局、息子の生贄をさせなかったのですが、代わりにご自分自身の息子を生贄のために与えられ、現に十字架上で死に給いました。天主は我々のために計らってくださいました。
以上の二つの場面はモザイク画の両端にありますが、中央には旧約聖書の謎の多い人物、メルキセデクが描かれています。メルキセデク大司祭です。メルキセデクはアブラハムの人生の間に出会った人物です。アブラハムがある戦争に勝利して帰省する時に登場した人物です。凱旋して帰る途中のアブラハムの前に、王であるとともに司祭でもあったメルキセデクが会いに来ました。至上司祭であるメルキセデクです。サレム王であるメルキセデクです。ヘブライ語では「メルキセデク」ということばは「正義の王」という意味です。また、「サレム」とは「平和」の意味であり、現代ヘブライ語の「シャロム」という挨拶の語源です。つまり、メルキセデクは正義の王であり、平和の王です。なぜなら、本物の平和は正義が全うされてはじめて確立できることだからです。正義が全うされていない時、平和は確立できない、実現できないのです。ことに天主に返すべき正義を全うしなければさらのことです。
聖書ではメルキセデクについての詳細は不明です。彼の家系などもわからないままに、父母もいないかのようです。そして、アブラハムはメルキセデクへ貢(みつぎ)を進呈しました。聖パウロはこの場面を説明してくれます。アブラハムは旧約聖書の司祭たちの父であります。レビ族の父だからです。言いかえると、旧約聖書の司祭職はメルキセデクの神秘な司祭職の前にひれ伏すということです。
ご存じのようにメルキセデクはまた、パンと葡萄酒をお供えします。そしてメルキセデクのお供えはパンと葡萄酒の形色の下にまします我らの主、イエズス・キリストの前表だと公教会は理解しました。ちなみに、メルキセデクの時代の数世紀後、ダヴィド王は王たる救い主、メシアについて語られるとき、天主はダヴィド王に次のように仰せになったと詩編に残されました。「Tu es sacerdos in aeternum, secundum ordinem Melchisedech(あなたは永遠の祭司、メルキセデクの位に等しく)」(詩編109、4)
「メルキセデクの位」という意味は旧約聖書より優れて上位にある司祭職であるという意味で、イエズス・キリストはこの上ない司祭であることを表します。また新約聖書の司祭職は旧約聖書の司祭職より優れて上位にあるということをもあらわします。なぜなら、イエズス・キリストが制定なされた司祭職は決定的であり、また正義の王、平和の王であるメルキセデクはもちろんイエズス・キリストを示すからです。メルキセデクには家系がないのは、イエズス・キリストの神秘に満ちている御托身、肉体になり給う玄義を示しています。
「Tu es sacerdos in aeternum, secundum ordinem Melchisedech(あなたは永遠の祭司、メルキセデクの位に等しく)」(詩編109、4)
このようにメルキセデクはモザイク画の中央に描かれて、メルキセデクの祭壇にあるパンと葡萄酒に向けてアベルが仔羊を捧げる姿です。同じように、イサクもアブラハムに連れられてメルキセデクの祭壇へ赴く姿です。そしてモザイク画のメルキセデクの姿は旧約聖書において記されている老人のように描かれると同時に、我らの主、イエズス・キリストの風貌も見えています。
このモザイク画は6世紀のモザイクです。つまり1500年前の古いものです。なぜ、このモザイク画について紹介したかというと、愛する兄弟の皆様、聖伝ミサの典礼において、イエズスの御体と御血へ変化するパンと葡萄酒の聖変化のすぐ後に司祭は天主へお祈りを申し上げるからです。
「ありがたきご受難」から生まれますが、人祖の原罪について「O Felix Culpa(嬉しき罪)」と歌い、つまりこれほど素晴らしい救い主を送られたので、ありがたい原罪というようなことですが、おなじように「ありがたいご受難」とも祈ります。天国の門はご受難のお陰で我々のために開けられたからです。
「ありがたきご受難、いとも高きみいつ(ご威厳)に対して、御身のたまわった賜物の中から、この清く、聖なる、汚れなきいけにえ、永遠の生命の聖なるパンと永遠の救いのカリス」を捧げ奉るという祈りです。言いかえると、祭壇の上にある御体と御血を天主にお捧げしますが、この御体と御血は天主から与えられたわけです。
続いて、司祭は祈りをつづけます。「この供え物に、ご嘉納のおだやかな御目を降し給え。」
先ほどご紹介したモザイク画にはメルキセデクの上に天主の御手があって、御手は穏やかに差し出されて、天主は生贄を召し入れ、受け入れる、嘉納することを表します。
それから、カノンの祈りは続きます。「主のむすこなる義人アベルの供え物と、我らの太祖アブラハムのいけにえと、主の大司祭メルキセデクが主に捧げ奉った供え物を受け入れ給うた如く、汚れなきホスチアを受け入れ給え」
ご覧のように典礼の聖変化の次にすぐ、アベル、アブラハムとメルキセデクの生贄は記念されています。唯一真の生贄であるミサ聖祭、言いかえるとイエズス・キリストの十字架上の生贄を事前に予告し、示され、前表となったこの三つの生贄は聖変化のすぐ後に記念されるということです。イエズス・キリストは汚点一つもない仔羊であり、天主の唯一の御子であり、聖パウロがいうように、「ご自分のみ子を惜しまずに私たちすべてのために渡された」(ローマ人への手紙、8、32)方であり、また至上の祭司であることを思い起こさせます。
罪の償いのためにパンと葡萄酒の外観の下に、イエズス・キリストは自分自身をお捧げするということも聖変化の次の祈りによって思い起こされます。またこの生贄は天主が召し入れて、受け入れ給い、喜び給うお供えです。そして、このようにイエズス・キリストのいけにえのお陰で天からの恵みを得られるようにという美しい祈りです。
先ほどのモザイク画は1500年前のモザイク画ですよ。このモザイク画はカノンの聖変化の次の祈り(Unde memento とSupra Quae)とぴったりと重なります。このように1500年前の信仰、我々の先人たちの信仰は現代の信仰と全く同じであるころを芸術を通じてわかります。このため、芸術は大事です。
というのも先ほどのモザイク画の場所ですが、当時ミサ聖祭が捧げられる場所でした。ミサ聖祭を捧げる場所であると想定して描かれたモザイク画です。つまり、カノンの後の祈りは1500年前にすでに存在していたことの証拠です。要するに聖変化の後の祈りは少なくとも1500年前までさかのぼります。それ以上に古いとされています。大教皇レオの時代にはすでにこの祈りがあったことが知られています。
つまりこのような祈りは宝です。イエズスの生贄の本質についての素晴らしい中身としても宝ですし、先人たちの祈りであり、最初からラテン語の形で祈られたとしても宝です。というのも、先ほどのラヴェンナの教会は聖ペトロの弟子、聖アポリナリスによってはじめて建設されたことから、聖ペトロによってラヴェンナへ福音を運ぶために送られたと思われるからです。ラヴェンナでは2世紀に入ったらすでに強く広いコミュニティがそこにありました。当時、ラヴェンナは大きな都会でした。
要は、現代でも聖変化の後のこの祈りは聖ペトロご自身にまで遡っている可能性が高いということです。ですから聖伝ミサを「変わらぬミサ」だと呼ぶのはこのためです。聖伝ミサの中には、非常に古い要素が多くて、イエズスや最初の使徒たちに繋がっている要素も多いのです。
ところが、愛する兄弟の皆様、1969年の典礼改革を経て、この祈りは取り消されました。新ミサにはいくつかのカノンがありますが、いずれにもなくて、完全に取り消されました。
つまり、カトリック信仰を完璧に表現する祈り、または聖ペトロの時代に遡るだろう祈りをあっさりとなくされたということです。
現代では全国にある古い教会を破壊しようと積極的に進められたら、皆様はどうしますか?いわゆる、時代遅れの建築なので、これらの教会を壊して、その代わりに近代的な建築に変えようと言い出されたらどうでしょうか?これは犯罪になります。深刻な犯罪です。
同じように、数世紀以上、ほぼ2千年の遺産をなくすことなんてまさに犯罪です。
愛する兄弟の皆様、以上のようなことからどれほど聖伝ミサが大切であるかを考えましょう。先人たちの信仰を表す聖伝ミサを守りましょう。聖伝ミサは本当に長い伝統を持ちます。
最後に、本日、聖なるマリアのみ名の祝日でもあります。本日は日曜日なので主日のミサを捧げます。というのも聖母マリアよりイエズスが優先されるからですが、折角の聖母マリアの祝日なので、聖母マリアの名において何かの信心をぜひともやってください。
また本日はウィーン包囲の戦いの勝利です。1683年9月12日、トルコの侵略を撃退した戦いですが、その勝利は聖母マリアのみ名のお陰で得られました。また、今週の水曜日は、聖母マリアの七つの苦しみの祝日でもありますので、汚れなき御心を特に愛している我々なので、我らの御母を特に崇敬しましょう。また、典礼の遺産を我々が守れるように助けを与えるように祈りましょう。聖伝ミサの宝は我々の信仰の維持がかかりますので踏ん張って守り抜きましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
プーガ(D.Puga)神父様のお説教
聖伝ミサ、変わらぬミサ
2021年9月12日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
愛する兄弟の皆さま、芸術の作品などを見ることによって、先人たちの信仰がどうなっていたのかを確認することができます。だからキリスト教が生んだ芸術は重要です。フランスでは非常に古い教会や綺麗な教会は多くありますが、本日は主任司祭様が喜ばれるかとおもいますが、イタリア北部にある教会についてお話したいと思います。というのも主任神父様の故郷の近くにあるラヴェンナの教会、サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂という教会だからです。
6世紀の初期に建てられたとても古い教会であり、現代まで立て直されていないことから、もとのままになっています。その教会には立派なモザイク画がありまして、旧約聖書と新約聖書の幾つかの場面が描かれています。ラヴェンナの教会は最初、一世紀にはじめて建てられまして、聖アポリナリスによって創建されました。聖アポリナリスは聖ペトロの弟子の一人でありますので、公教会の初期中の初期です。
そして綺麗なこれらのモザイク画の内の一つについて特別にご紹介したいと思います。旧約聖書の三つの場面が並べられてこのモザイク画にあります。アダムとイヴの子であるアベルのお供えの場面があります。ご存じのようにアベルは汚点一つもない仔羊を捧げる場面です。アベルの犠牲は天主によって召しいられることになりますが、アベルの兄、カインは人々の労働の実りであった農産物をお供えしましたが、天主によって召しいられなくて認められませんでした。それでカインは犠牲が認められた弟を嫉妬し憎むようになり、アベルを殺しました。歴史上はじめての殺人ともなります。
アベルの犠牲は我らの主、イエズス・キリストの生贄の前表であり、イエズスの犠牲を示します。というのも、アベルのようにイエズス・キリストもユダヤ人たちの指導者たちなる「兄」によって死刑に処せられました。また、正しい人だったアベルは正しい人イエズス・キリストをも示します。この上なく聖なる人であり、汚点一つもない仔羊として自分自身を十字架上に架かり捧げた正しい人です。
同じモザイク画にはもう一つの別の犠牲も描かれています。アブラハムの生贄です。ご存じであるかと思いますが、天主がアブラハムに命じた生贄でした。アブラハムには息子一人しかいませんでした。そしてこの息子より多くの子孫が生まれるだろうという約束を天主がアブラハムにされたのに、いきなりアブラハムはアブラハムの息子の生贄を命じます。アブラハムは非常に動揺しましたがアブラハムは天主の命令に従うべきだと知っていました。このようにアブラハムは自分の息子を生贄として捧げる準備をはじめます。アブラハムが愛する息子、最愛の息子、イサクを、聖伝に照らして、エルサレムのモリヤ丘へ連れていって、イサクを生贄として捧げることになります。
イサクは生贄を燃やすための薪を負っていましたが、イサクは捧げられる生贄は自分自身であることは知りませんでした。するとイサクは父に聞きます。「ここに火と薪を持っていますが、いけにえの子羊はどこにいるのですか」(創世期、22、7)。父は聖霊の感化もあって、「息子よ、天主がいけにえの子羊をご自分ではからってくださるだろう」(創世期、22、8)と答えました。そして、アブラハムは天主の恐ろしい命令を実行する直前になると、主の天使が現れてアブラハムを止めてイサクの生贄はすくわれました。天主はアブラハムの覚悟を見て召し入れられました。このようにしてイサクは死から逃れました。
この生贄も我らの主の生贄を示し、イエズスの将来の生贄を予告します。我らの主、イエズス・キリストはアベルのように死なれたのですが、同時にイサクのように生き残られたのです。イエズスは十字架上で死なれてから、復活されました。
そしてアブラハムは正しいことに聖霊の導きにしたがって、「息子よ、天主がいけにえの子羊をご自分ではからってくださるだろう」といいました。現に、アブラハムの言う通りでした。というのも人々は天主に値する生贄を見つけることなんて到底できないことですから。ですから、天主はご自分自身の息子を生贄として与え給いました。実にイエズスをもってはからってくださいました。天主はアブラハムに結局、息子の生贄をさせなかったのですが、代わりにご自分自身の息子を生贄のために与えられ、現に十字架上で死に給いました。天主は我々のために計らってくださいました。
以上の二つの場面はモザイク画の両端にありますが、中央には旧約聖書の謎の多い人物、メルキセデクが描かれています。メルキセデク大司祭です。メルキセデクはアブラハムの人生の間に出会った人物です。アブラハムがある戦争に勝利して帰省する時に登場した人物です。凱旋して帰る途中のアブラハムの前に、王であるとともに司祭でもあったメルキセデクが会いに来ました。至上司祭であるメルキセデクです。サレム王であるメルキセデクです。ヘブライ語では「メルキセデク」ということばは「正義の王」という意味です。また、「サレム」とは「平和」の意味であり、現代ヘブライ語の「シャロム」という挨拶の語源です。つまり、メルキセデクは正義の王であり、平和の王です。なぜなら、本物の平和は正義が全うされてはじめて確立できることだからです。正義が全うされていない時、平和は確立できない、実現できないのです。ことに天主に返すべき正義を全うしなければさらのことです。
聖書ではメルキセデクについての詳細は不明です。彼の家系などもわからないままに、父母もいないかのようです。そして、アブラハムはメルキセデクへ貢(みつぎ)を進呈しました。聖パウロはこの場面を説明してくれます。アブラハムは旧約聖書の司祭たちの父であります。レビ族の父だからです。言いかえると、旧約聖書の司祭職はメルキセデクの神秘な司祭職の前にひれ伏すということです。
ご存じのようにメルキセデクはまた、パンと葡萄酒をお供えします。そしてメルキセデクのお供えはパンと葡萄酒の形色の下にまします我らの主、イエズス・キリストの前表だと公教会は理解しました。ちなみに、メルキセデクの時代の数世紀後、ダヴィド王は王たる救い主、メシアについて語られるとき、天主はダヴィド王に次のように仰せになったと詩編に残されました。「Tu es sacerdos in aeternum, secundum ordinem Melchisedech(あなたは永遠の祭司、メルキセデクの位に等しく)」(詩編109、4)
「メルキセデクの位」という意味は旧約聖書より優れて上位にある司祭職であるという意味で、イエズス・キリストはこの上ない司祭であることを表します。また新約聖書の司祭職は旧約聖書の司祭職より優れて上位にあるということをもあらわします。なぜなら、イエズス・キリストが制定なされた司祭職は決定的であり、また正義の王、平和の王であるメルキセデクはもちろんイエズス・キリストを示すからです。メルキセデクには家系がないのは、イエズス・キリストの神秘に満ちている御托身、肉体になり給う玄義を示しています。
「Tu es sacerdos in aeternum, secundum ordinem Melchisedech(あなたは永遠の祭司、メルキセデクの位に等しく)」(詩編109、4)
このようにメルキセデクはモザイク画の中央に描かれて、メルキセデクの祭壇にあるパンと葡萄酒に向けてアベルが仔羊を捧げる姿です。同じように、イサクもアブラハムに連れられてメルキセデクの祭壇へ赴く姿です。そしてモザイク画のメルキセデクの姿は旧約聖書において記されている老人のように描かれると同時に、我らの主、イエズス・キリストの風貌も見えています。
このモザイク画は6世紀のモザイクです。つまり1500年前の古いものです。なぜ、このモザイク画について紹介したかというと、愛する兄弟の皆様、聖伝ミサの典礼において、イエズスの御体と御血へ変化するパンと葡萄酒の聖変化のすぐ後に司祭は天主へお祈りを申し上げるからです。
「ありがたきご受難」から生まれますが、人祖の原罪について「O Felix Culpa(嬉しき罪)」と歌い、つまりこれほど素晴らしい救い主を送られたので、ありがたい原罪というようなことですが、おなじように「ありがたいご受難」とも祈ります。天国の門はご受難のお陰で我々のために開けられたからです。
「ありがたきご受難、いとも高きみいつ(ご威厳)に対して、御身のたまわった賜物の中から、この清く、聖なる、汚れなきいけにえ、永遠の生命の聖なるパンと永遠の救いのカリス」を捧げ奉るという祈りです。言いかえると、祭壇の上にある御体と御血を天主にお捧げしますが、この御体と御血は天主から与えられたわけです。
続いて、司祭は祈りをつづけます。「この供え物に、ご嘉納のおだやかな御目を降し給え。」
先ほどご紹介したモザイク画にはメルキセデクの上に天主の御手があって、御手は穏やかに差し出されて、天主は生贄を召し入れ、受け入れる、嘉納することを表します。
それから、カノンの祈りは続きます。「主のむすこなる義人アベルの供え物と、我らの太祖アブラハムのいけにえと、主の大司祭メルキセデクが主に捧げ奉った供え物を受け入れ給うた如く、汚れなきホスチアを受け入れ給え」
ご覧のように典礼の聖変化の次にすぐ、アベル、アブラハムとメルキセデクの生贄は記念されています。唯一真の生贄であるミサ聖祭、言いかえるとイエズス・キリストの十字架上の生贄を事前に予告し、示され、前表となったこの三つの生贄は聖変化のすぐ後に記念されるということです。イエズス・キリストは汚点一つもない仔羊であり、天主の唯一の御子であり、聖パウロがいうように、「ご自分のみ子を惜しまずに私たちすべてのために渡された」(ローマ人への手紙、8、32)方であり、また至上の祭司であることを思い起こさせます。
罪の償いのためにパンと葡萄酒の外観の下に、イエズス・キリストは自分自身をお捧げするということも聖変化の次の祈りによって思い起こされます。またこの生贄は天主が召し入れて、受け入れ給い、喜び給うお供えです。そして、このようにイエズス・キリストのいけにえのお陰で天からの恵みを得られるようにという美しい祈りです。
先ほどのモザイク画は1500年前のモザイク画ですよ。このモザイク画はカノンの聖変化の次の祈り(Unde memento とSupra Quae)とぴったりと重なります。このように1500年前の信仰、我々の先人たちの信仰は現代の信仰と全く同じであるころを芸術を通じてわかります。このため、芸術は大事です。
というのも先ほどのモザイク画の場所ですが、当時ミサ聖祭が捧げられる場所でした。ミサ聖祭を捧げる場所であると想定して描かれたモザイク画です。つまり、カノンの後の祈りは1500年前にすでに存在していたことの証拠です。要するに聖変化の後の祈りは少なくとも1500年前までさかのぼります。それ以上に古いとされています。大教皇レオの時代にはすでにこの祈りがあったことが知られています。
つまりこのような祈りは宝です。イエズスの生贄の本質についての素晴らしい中身としても宝ですし、先人たちの祈りであり、最初からラテン語の形で祈られたとしても宝です。というのも、先ほどのラヴェンナの教会は聖ペトロの弟子、聖アポリナリスによってはじめて建設されたことから、聖ペトロによってラヴェンナへ福音を運ぶために送られたと思われるからです。ラヴェンナでは2世紀に入ったらすでに強く広いコミュニティがそこにありました。当時、ラヴェンナは大きな都会でした。
要は、現代でも聖変化の後のこの祈りは聖ペトロご自身にまで遡っている可能性が高いということです。ですから聖伝ミサを「変わらぬミサ」だと呼ぶのはこのためです。聖伝ミサの中には、非常に古い要素が多くて、イエズスや最初の使徒たちに繋がっている要素も多いのです。
ところが、愛する兄弟の皆様、1969年の典礼改革を経て、この祈りは取り消されました。新ミサにはいくつかのカノンがありますが、いずれにもなくて、完全に取り消されました。
つまり、カトリック信仰を完璧に表現する祈り、または聖ペトロの時代に遡るだろう祈りをあっさりとなくされたということです。
現代では全国にある古い教会を破壊しようと積極的に進められたら、皆様はどうしますか?いわゆる、時代遅れの建築なので、これらの教会を壊して、その代わりに近代的な建築に変えようと言い出されたらどうでしょうか?これは犯罪になります。深刻な犯罪です。
同じように、数世紀以上、ほぼ2千年の遺産をなくすことなんてまさに犯罪です。
愛する兄弟の皆様、以上のようなことからどれほど聖伝ミサが大切であるかを考えましょう。先人たちの信仰を表す聖伝ミサを守りましょう。聖伝ミサは本当に長い伝統を持ちます。
最後に、本日、聖なるマリアのみ名の祝日でもあります。本日は日曜日なので主日のミサを捧げます。というのも聖母マリアよりイエズスが優先されるからですが、折角の聖母マリアの祝日なので、聖母マリアの名において何かの信心をぜひともやってください。
また本日はウィーン包囲の戦いの勝利です。1683年9月12日、トルコの侵略を撃退した戦いですが、その勝利は聖母マリアのみ名のお陰で得られました。また、今週の水曜日は、聖母マリアの七つの苦しみの祝日でもありますので、汚れなき御心を特に愛している我々なので、我らの御母を特に崇敬しましょう。また、典礼の遺産を我々が守れるように助けを与えるように祈りましょう。聖伝ミサの宝は我々の信仰の維持がかかりますので踏ん張って守り抜きましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン