ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

同性愛の傷の癒し

2017年06月29日 | 罪の傷の癒し
(ポーランドのカトリック雑誌「Miłujcie się!」(/ 互いに愛し合いなさい)から)
護教の盾からの引用)


ポーランドのカトリック雑誌(互に愛し合いなさい)


同性愛の癒し

2358 かなりの男性や女性が、同性愛の根強い傾向を持っています。この傾向は、客観的には逸脱ですが、彼らの大部分には試練となっています。したがって、同性愛的な傾向を持つ人々を軽蔑することなく、同情と思いやりの心をもって迎え入れるべきです。不当に差別をしてはなりません。これらの人々は、自分の生活の中で神のみ旨を果たすように、キリスト信者であれば、自分のこの傾向から生じる困難をキリストの十字架の犠牲と結び合わせるように、と呼びかけられているのです。

2359 同性愛的な傾向を持っている人々は貞潔を守るよう招かれています。内的自由を培う自制の徳によって、時には友人の献身的な助けのもとに、祈りや秘跡の恵みによって、少しずつではあっても確実にキリスト教的完全さに近づくことができるし、またそうしなければなりません。

──カトリック教会のカテキズム

同性愛の傾向を持つ人々は、ほとんどの場合、彼らの生育環境からの悪影響によってそのような傾向を持つに至ったので、愛と思いやりを以って扱われなければなりません。私たちは、彼らを責めるのではなく、彼らが霊的にも心理的にもどれほど深く傷ついているかを想像しようとしなければなりません。同性愛からの癒しは、その全体の中で治療的なカウンセリング(下記の推薦資料を参照のこと)が必要とされる場合もあるかも知れませんが、しかし根本的には、そのような癒しを可能にするのは神の愛です。神の愛のみが、人々を寂しさと悲しみから救うことができ、また彼らに、自分はいつ如何なる時も無条件に愛されている[管理人注2]と気づかせることができます。同性愛的な人たちは、自分の関心の目を、自分のセクシュアリティの問題からイエズス・キリストの愛の方へと戻さなければなりません。

[管理人注2]   この「無条件に愛されている」という言い方は、よくお目にかかるもので、そして私なども、心が傷つき、“必要な基本的自尊感情” さえあまり持てなくなり、何かにつけて「私なんか. . . 」と思うようになってしまっている人(私自身、そうかも)のためには必要な言い方であると思うのですが、しかし、それにもかかわらず、常に危うさを伴った言い方です。ここに「言葉」というものをあまりに単純に考える人が居て、「神様は私のことを無条件に愛しているということはつまり、私の罪のことも大して気にしておられないということだ」と考えたとしたら、マズイことになります。

同性愛の欲望に苦しんでいる人々は、この癒しの愛を十分に受けるためには、その行為、態度、邪悪な影響によって自分の逸脱に貢献したすべての人を許す必要があります[管理人注3]。祈りの中で、怒りと悲しみを神に捧げなければなりません。神に、自分が許すことができるよう、恵みを求めなければなりません。この、人を心から許すということが、自分の心を神の癒しの恵みに対して十分に開くための必要条件となります。また、ここには、ゆるしの秘跡と御聖体の秘跡の頻繁な受領も伴っていなければなりません。

[管理人注3]   ここで思い出すのは、以前見たデボラ・バーさんの言葉です。「そして神は、遠い昔に私を傷つけた人のことを私が赦すことができた時、私の心を癒して下さいました。」しかし私たちは、親子関係でも何でも、意外と「恨み」的な感情を、意外としつこく自分の心の内に保存していたりするものではないでしょうか(私も. . . )。しかしこの記事の筆者は「あなたがあなたを傷つけた人のことを心から許さない限り、あなたは、神からあなたへの恵みの通路を “自ら塞ぐ” でしょう」と言っているようです。(しかし、私たちは大抵、自覚がありません. . . )

貞潔への復帰は、頻繁で苦しい失敗によって特徴づけられる長く困難な旅です。この嵐の期間に於いては、忍耐こそ、何にも増して大切です。精神的また感情的な傷が癒えるにつれて、やがて、同性愛の欲望は弱まり、そして多くの場合、完全に消える可能性があります。

キリストに於いては、解決策を見出せない状況、などというものはありません。あまりに罪深くて、あまりに穢れていて、あまりに傷ついていて、癒されることなど無理である、などという人は一人も居ません。同性愛行為をしがちな人も、キリストを完全に信頼し、以下のステップを踏めば、癒されるあらゆるチャンスを手に入れます。

  - 同性愛に関する教会の教えを受け入れること。そして、貞潔に生きる努力をすること

  - 毎日の祈り、黙想、ロザリオの祈り、聖書を読むこと、ゆるしの秘跡と御聖体の秘跡の頻繁な受領などを通して、生活全体をキリストに深く傾倒させること

  - 同性愛行為の罪を誘発するかも知れないすべてのものとキッパリ手を切ること。本やビデオなど同性愛関連のものを捨て、同性愛的な環境の全てと手を切ることが特に大事です。ここにはバーや公衆浴場を避けることも含まれます。

  - 異性愛の男女と時を過ごすあらゆる機会を利用すること。Courage International のような、良い解決策を提供するかも知れない組織の保護の下、教区祈祷グループや自助グループに参加することは、良い解決策になるかも知れません。そのようなグループに属することから生ずる連帯感は、貞潔に反する誘惑から身を守るために非常に役立ちます。[管理人注5]

[管理人注5]  LGBT CJ は「そのようなグループ」には含まれません(少なくとも今のところ)。何故なら、そこには「LGBT には何の問題もない」と主張する人たちが居るからです。参加者の中から「あなた方はそう言うけれど、私たちとしては LGBT の傾向から脱出する道も模索してみたいのです」という声が挙がれば、また別です。もし LGBT CJ が Courage International のようなものに変貌したら、私だって、躍り上がってお祝いします。

同性愛的傾向からの癒しは、真の霊的な回心が行われた場合にのみ可能です。ここには、キリストに対する完全な信頼と、全生涯をキリストと共に歩もうとする意欲的な努力が必要とされます。この霊的な刷新は、すぐには起こらないかも知れません。人格の成熟も、そんなに速くは進まないかも知れません。人生の完全なコントロールを取り戻すには時間がかかります。その間、確かに厳しいかも知れません。しかし、イエズス様への集中的な祈りと信頼が、同性愛の強い誘惑を防ぐことに於いて、あなたを助けるでしょう。イエズス様は、私たちがイエズス様が示し給うた “人生を確かなものにする諸原則” に従うことに同意した時にのみ、私たちの傷ついた感情を癒して下さいます。


イエズス様の癒しの力に対する信頼を失う時、私たちは、同性愛は先天的な傾向であり、人間のセクシュアリティの自然な「もう一つの(alternative)」表現である、と主張する同性愛者グループのプロパガンダに惑わされます。


ヨハネ・パウロ二世教皇様が述べられたように、信者が最も辛い苦難の中にあってさえ神の聖なる法を守るための恵みと力を見出すのは、常に、イエズス様の救いの十字架の下、聖霊の恩寵の中、贖い主の御わき腹の御傷から湧き出た秘跡(聖ヨハネ福音書 19:34)に於いてなのです。(ヴェリタティス・スプレンドル — 真理の輝き 103)

アメリカでは命がもう一度勝利しつつある。

2017年06月29日 | マーチフォーライフ
「アメリカでは命がもう一度勝利しつつある。」(アメリカ副大統領マイク・ペンス 2017年1月27日)





以下はペンス副大統領のスピーチからの引用です。(ファチマの聖母の会による訳)

「今から240年前、私たちの建国の父たちはこれらの真理が自明なことであると宣言しました。私たちが、私たち全てが、創造主によって確かな不可侵の権利を与えられている、と。これらの諸権利の中に、命と自由と幸福の追求があります。44年前、最高裁はこれらの時を超えた理想の一つを否定しました。しかし、今日、皆さん全てのおかげで、また全米を私たちと共にマーチして立ち上がる数十万の人々のおかげで、アメリカで命がもう一度勝利しつつあります。」

「彼(トランプ大統領)は、私に皆さんのサポートを、皆さんが命のために立ち上がっていることを、皆さんのアメリカの女性と子供たちに対する同情を、皆さんに感謝するようにと命じました。」

「私は皆さんにお願いします。皆さんの優しさを、全ての人々にはっきり示して下さい。この運動を、怒りの運動ではなく、愛のための運動としましょう。この運動を、恫喝ではなく、同情のための運動として知らせましょう。心の事柄については、優しさよりも強いものはありません。もしも母親たちとそのまだ生まれていない子供たちのためにまず私たちの心が砕かれるなら、そして彼らがいるところに尊大な裁きではなく、寛大な心で出会うなら、来る世代の精神と心とを私たちが勝ち取り続けるだろうと信じています。」


WASHINGTON (CNS) -- The leaders of the pro-life movement are used to having the ear of the president, as they had with Ronald Reagan, George H.W. Bush and George W. Bush.

During their respective administrations, they addressed the March for Life via telephone, but this year the event marking the Roe v. Wade anniversary had the highest-ranking government official ever to address the crowd in person.

"Life is winning again in America, and today is a celebration of that progress," the official, Vice President Mike Pence, told the March for Life rally on the National Mall Jan. 27.

"More than 240 years ago, our founders declared these truths to be self-evident -- that we are, all of us, endowed by our Creator with certain unalienable rights and that among these are life, liberty and the pursuit of happiness," he said. "Forty-four years ago, our Supreme Court turned away from the first of these timeless ideals, but today, generations hence -- because of all of you and the many thousands who stand with us in marches all across the nation -- life is winning again in America."

Pence said President Donald Trump had asked him to address the rally, which took place under a sunny sky with temperatures in the 40s. "He asked me to thank you for your support, for your stand for life and your compassion for the women and children of America."

"Our president is a man with broad shoulders, a big heart," Pence said at the rally. To loud cheers, he added, "His vision, his energy, his optimism are boundless, and I know he will make America great again."

He pointed to Trump's Jan. 23 executive action reinstating what's called the Mexico City Policy, which bans tax dollars from funding groups that promote or perform abortion in other countries. He said the administration would work with Congress to stop taxpayer funding of abortion "and devote those resources to health care services for women across America."

"I urge you to press on," Pence told the rally. "Let your gentleness be evident to all. Let this movement be known for love, not anger. Let this movement be known for compassion, not confrontation. When it comes to matters of the heart, there is nothing stronger than gentleness. I believe we will continue to win the minds and hearts of the rising generation if our hearts first break for mothers and their unborn children and meet them where they are with generosity, not judgment."

中絶は殺人である。人権ではない。

2017年06月27日 | プロライフ
「見えざる人々:中絶は殺人である。人権ではない。」ノボトニー ⋆ ジェローム 神父
の記事の引用です。



「生命のため、友人へ」 ー 中絶は殺人である。人権ではない。

未婚の女性が特にレイプや近親相姦で妊娠した場合は非常に難しい問題であるが、十分な愛、慈しみ、そして努力があれば、どのような状況であれ素晴らしいことに転じる。中絶が善行になることはあり得ない。中絶反対運動では「両者をともに愛しなさい」と言っているが、強い力がその良識の声をかき消そうとしている。

良識に対抗するこの声の中心になっているのは他ならぬ国連である。2014年5月8日、CNSニュースは、国連拷問禁止委員会の副委員長であるフェリス・ギアーが、拷問禁止条約に違反する可能性があるとして、すべての中絶に全面的に反対するカトリック教会の態度を厳しく批判したと伝えた。

なんということだ!子供の生きる権利を守るという教会の姿勢が拷問の源だと言うのか。ギアーの論理は明々白々、つまり不合理な人々にとっては非常に分かりやすいものとなっている。

カトリック教会の上級政策顧問のモーリーン・ファーガソンは国連の偽善行為について次のようにコメントしている「子供の権利という名目の下、国連は教会に対して子供の保護、中絶に対する姿勢を変えろと言っているのだから、何とも皮肉なことである。中絶によって生きている人間が文字通り、引き裂かれること以上に、子供にとって残酷なことがあるだろうか?」

中絶は、その結果を抱えて生きなくてはならない女性と、言うまでもなく殺害されたその子供を除く関係者全員にとって、問題を隠蔽し状況を「安易な」ものにしようとする行為である。カトリック教会のような人権組織には、できる限り最高の結果がもたらされるよう愛、慈しみ、努力を持って真実を伝える使命がある。中絶はおぞましい不当な行為である。

端的に言えば、中絶は殺人である。これは客観的な事実である。今日では、集団虐殺のレベルに達している。人権に対する重大な不当行為であり侵害である。中絶は国連が解決策とするものではなく、人権侵害として対応すべきものである。国連は罪のない命の価値をスライディング・スケールで測っている。彼らは、「人権の声」は子宮の中の罪のない人間にまでは及ばないと主張している。

今こそ善良な人々が意見をひとつにし、中絶は生まれてくる子供の殺害であると主張するべきである。中絶はもっとも基本的な人権、生きる権利を侵害するものである。

グアダルーペの聖母のなさった奇跡:同性愛とエイズと薬物中毒からの脱出の記録

2017年06月26日 | 罪の傷の癒し
脱同性愛者たちの証言 ブラザー・クリストファー・セールの記事を引用します。

CM: どのくらいの間、ゲイのライフスタイルに関わっていたのですか?

Br. Christopher Sale: 私はゲイのライフスタイルの中に43年間居ました。私は自分がゲイであることを22歳の時にカミングアウトし、25年間続くことになる一つの関係を始めました。25年後、私は一人になる決意をし、自分が若い頃に失ったものを探す旅に出ました。

2008年頃、私はエイズと薬物中毒になっていたのです。私は、自分がゲイのライフスタイルを生きていた年々にどれほど神を傷つけていたかに気づきましたが、それでもまだ、自分の行動をコントロールすることができませんでした。私は全く間違った状態にありました。

CM: そのライフスタイルからどうやって抜け出しましたか?

Br: 私は、自分がエイズにかかり、薬物中毒に陥らなかったならば(つまり、人生のどん底を舐めなければ)「自分は神なしではこの罪深いライフスタイルから逃れることは決してできない」と悟ることはできなかっただろうと心から思っています。多くの人は、それではあまりに残酷だと思うかも知れません。

しかし、エイズにかかったことが神の恵みに変わったのです。もしエイズにかかっていなければ、私はいまだにその嘆かわしいライフスタイルを続けていたことでしょう。それは神がこう仰っていたようでした、「そろそろそれを終わらせなさい。さあ、私のところに帰って来なさい。そして、人々を救うことを始めなさい」と。

私は、他の人々を救うために自分の物語を使う勇気を、神が私に下さったと信じています。私は、たとえ真実を語ることで迫害されても、神が私を犠牲の霊魂としてお求めになっていると信じています。

そのライフスタイルに於ける私の苦しみは、一つの自己処罰的な苦しみでした。それは神の御目には価値のないものでした。〔しかし〕同性愛の真実を語ることで被る迫害の苦しみは、価値があります。

世界は時々殺伐としたものになるものですが、そのような時に人々に希望をもたらすため、私は2008年に、パードレ・ピオ兄弟会という組織を設立しました。私はパサデナとロサンゼルスの路上で、揺るぎない信仰の力の一例として私の物語を人々と分かち合っています。

私は、自分が他の人々から厳しく疎外されていると感じた時、しばしば自分で自分をアルコールとドラッグの中に追いやっていました。

私は、自分がエイズ・ウィルスに感染していると知った日のことを決して忘れないでしょう。それは現実を超えていました。私は、死にたい、しかし、そうでべきではない、少なくとも今は、と思ったことを覚えています。

或る日、窓から外を眺めていた時、神が窓の外から私を見ておられ、私を呼んでいるように感じました。私は寝室に戻り、服を着ました。私は自分がどう見えるかを気にしませんでした。実際、自分の靴下が服に合っているかどうかを気にしませんでした。〔そのような感じで〕私は教会に行く決心をしました。

私は、自分が教会の中まで歩いて行くエネルギーがあるかどうかを危ぶみながら教会の前に駐車しようとしているところを覚えています。私は文字通り、息をしようと喘ぎながら、そしてふらつきながら、教会の中に入って行きました。

そして後ろの信者席に坐り、神が私を助けて下さることを願って泣き始めました。教会まで辿り着くのが精一杯というほど体調が悪かったのですが、私は日に三度、その同じ信者席で祈りました。



三ヵ月後、私は医者に行きました。私のT細胞は140から160に上がっていました。その診療後、私は神に感謝するために教会に戻りました。その日は、その美しい教会の中をもう少し奥へと歩いて行く元気がありました。30フィート〔約9メートル〕ほど進んだ時、グアダルーペの聖母のための美しい教会(shrine)が目に入りました。私は彼女に日に三度、祈り始めました。その教会の他の物は目に入りませんでした。私は聖母に、もし彼女が私の人生を救うために執り成して下さるなら、私の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げます、と約束しました。

三ヵ月後、私のT細胞は180に上がっていました。私は聖母に感謝するために教会に戻りました。そのあと、私は家に帰り、全てのドラッグをゴミ箱に投げ込みました。家の中にあった同性愛に関するものも全て捨てました。パソコンの中にあったゲイに関係するものも全て削除しました。

私はこれら全てを祈りと共に、聖母の御助けと共にしました。数日のうちに、私の寝室は大きな御像と磔刑像のあるチャペルへと変貌しました。入口のドアには、悪魔の侵入を防ぐべく、聖ミカエルの御絵を掛けました。

それは本当に奇跡でした。2009年の初めの数ヶ月のうちに、私は自分がもう同性には惹かれなくなっていることに気づきました。私は誘惑を、つまり同性愛への傾倒を、もう感じなくなっていました。そして私の医師は、私が専門的な助けなしにどうやって薬物中毒を終わらせたのか、今日に至るまで困惑し続けています。

私が確実に死の病だと考えていたものに直面して祈っていた時、問いが私の心を満たしました。「この人生は何なんだ? しくじることなしに何かできるとしたら、私は何をするだろう?」と。

一つの古い感覚が燃える炎のように表われ始めました。私は、自分が爆発するほど神を愛している、というフィーリングを思い出しました。そして、暗闇の中に光が輝き始めました。

私は、若い少年であった頃の自分の最大の願いは、神に仕え、私たち全てが神に愛されているということを人々が知るよう助ける、ということだったのを思い出しました。それで、私は自分の内にあるその炎を掻き立て、パサデナとロサンゼルスの路上に行き、伝道し、祈るようになったのです。

私が路上で奉仕する時、自分の道を見失った人たちに希望を提供することが目的です。特に、彼らの信仰と祈りを励ますことによって。社会からつまはじきにされていると感じている人々のために、貧しい人々のために、虐待された人々のために、そして虐待した人々のために、私は、全ての人が赦されることを彼らに知らせるために、そこに立っているのです。

神は私たちを見離していません。私たちが神を見離しているのです。神は私たちを愛していない、という考えに巻き込まれる時、私たちは誤導されているのです。神は私たち全てを愛しておられます。そして、もし私たちが心を開き、神の愛を抱きしめると、私たちは癒されます。

時々起こる肺炎の発作が私を死に追いやろうとしますが、神は私を逝かせません。私が病気によって囲いの中に送り込まれる時も、叙階された司祭たちが私を見下げ、私を裁き、私を一人の敗残者か何かのように見る時も、神は私を拾い上げて下さいます。

私は、自分が偏見のために立っているのではなく神のために立っているのだということを思い出します。抵抗に直面しても、私は、「違い」は全く違いなどではなく、ただ神が私たちを通して御姿を現わしておられるもう一つの形態に過ぎないということを人々に思い出してもらうために、力強く立っています。

私は、神がゴミ収集庫の中から人を引き上げて救い出そうとなさる時の、大きな応援係です。私はいつも、自分はあまりに遠くに来てしまった、と言う人々に出会います。そんな時、私はいつもこう言います。

「神の目には、誰もあまりに遠く来てしまったということはありません。私はかつて罪の谷間に居ました。しかし神は、私を一度に一つの岩の下から掘り出して下さいました」と。

2009年には、神が私を同性愛の苦しみから完全に癒して下さったことが分かりました。

しかし、私はエイズにかかっていたので、既存の修道会はどこも私を受け入れようとしませんでした。それで私は、マホニー枢機卿に、私は聖母に自分の残りの人生を一人の修道士として生きることに捧げますと約束してしまったのだ、と言いました。マホニー枢機卿は、新しい修道会を作るには数年を要する、と伝えて来ました。それで私は、一つの信徒修道会(a lay order)を始めることにしたのでした。それには認可が必要ないからです。マホニー枢機卿が、信徒修道会なら認可を取る必要はない、と教えて下さったのです。私はこう考えています。もし私が既存の修道会に入っていたなら、私は沈黙を課されていただろう。しかし神は、彼の教会を防衛するために私を召したので(私はそう信じています)、彼は私の修道会を信徒修道会にしたかったのだ、と。

しかし、私を止めようとした司祭たちがいました。私が最初に始めた時、私は教皇ベネディクトの祝福を受けました。或る司祭は私に、彼の教会では私の修道服を着ないように、と言いました。年が経つにつれて、教会は結局、諦めました。私の存在は大司教区全体に知られるようになり、信徒たちからも良好に支持されています。

私は、ここロサンゼルスでの同性愛論議について、極めて率直に話して来ました。私は、何年もの間、ゴメス大司教が教会の敷地内でレインボーフラッグを禁止するよう働きかけて来ました。また、教会の教えに従っていないゲイ・レズビアン問題評議会についても率直に話して来ました。大司教区のどこででも、私の姿が見られました。それで私は、疑いなく、司教たちと司祭たちは私という人間を認めなければならないということに気づいたと思います。

しかし、最近の数年に於いては、彼らは教会に対する私の愛と私たちの教会を護ろうとする私の情熱を目撃しています。私を信じて下さい、最初は、そのようなことを非常に邪魔していたのです。〔しかし〕彼らは、その後、私は活動を止めないと理解するに至ったのです。

修道者としての私の真の使命と情熱は、貧しい人や家のない人たちを支援することに対する私の愛です。しかし神は、私を同性愛者の救霊の問題にも向かわせようとしておられるようです。


CM: サンノゼ司教区は最近、司教区のLGBT問題評議会のために「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」と主張するガイドラインを発表しました。他のカトリックLGBT問題評議会も同様に、「同性愛傾向にある人々は、常にそのようにあり、常にその欲望を感じる。彼らは残りの人生を、それを十字架として運ぶほか、如何なる選択の余地もない」と主張しています。これに関するあなたの御意見は? これは同性愛傾向と闘っている人々にとって有害となるメッセージでしょうか?

Br: サンノゼ司教区はこの誤った主張をして、同性愛者の救いに酷い不利益を与えている、と私は考えています。しかしこれは、教会の中、サンノゼ司教区に限ったことではありません。ここロサンゼルスでも同じことが起こっています。私は多くのゲイ・レズビアン問題評議会のイベントに行きました。

彼らは皆、「同性愛傾向にある人々は決してその指向を変えることはできない」という教会の主張を拒絶しており、そしてその指向を変えることを求めています。私は何度も、ゲイ論議を推進している司祭たちによって、教会の敷地から追い出されました。

教会はこの「同性愛は不可逆的なものである」という偽りの見解を吹き込むべきではありません。それは全くナンセンスであり、同性愛者たちの霊魂に重大な危険を負わせるものです。私は全ての同性愛者たちの代弁者になることはできません。私は次のように言うことができるだけです。真理は、愛に於いて、教会によって宣言されなければなりません。私たちは信者をなだめるために真理を砂糖で包むわけにはいきません。

私は、私たちが自分の十字架を取り、それを担って歩く時、残りの事は神がやって下さるということを、事実として知っています。

私がどうしてこのような地点に至ったかは、私にとって全く謎です。私は、神はまさしくこのために、私が苦しむことをお許しになったのだと思います。神は、全てが終わった時、私が人々を救うために戻って来ることを、知っておられたし、また、そう信頼して下さっていたのだと思います。

教会は決して真理を歪めさせてはなりません。そのように自分の個人的な手作りの神学を使用する司祭は、本当に私たちの主を裏切っています。同性愛者を司牧することは「タフな愛」の司牧です。しかし私は、私たちの司祭の多くが今日行なっているような仕方で同性愛者たちの霊魂を危険にさらすことを拒否します。


CM: 司教たちは同性愛傾向と闘っている人たちを本当に助けるために何をすべきでしょうか?

Br: 教会がそれら全ての虚偽の評議会を解体し、Courage[注] を促進し始めることが不可欠だと思います。同性愛者は、もし本当に神を探し求めるなら、彼らの振舞い〔同性愛行為〕に「ブラボー!」を提供する評議会の中に神を発見することは決してないでしょう。教会は教えにしっかりと立っていなければなりません。

教会は同性愛の誇りを祝う旗を禁止しなければなりません。教会は歴史の右にいることと心配すべきでなく、常に神の右にいなければなりません。もし私たちが救霊の業に携わっているなら、ほかに道はありません。真理が告げられなければなりません。


[注] Courage とは、同性愛からの「脱出」を支援するプロテスタント組織で有名なのは Exodus であるようだ。(エクソダスとは脱出の意味。聖書の出エジプト記も同名)
そのカトリック版とも言える組織が Courage であるようだ。

    Index

クリスティーン・ディクソン  女性、プロテスタント
ジョセリン・サザーランド  女性、プロテスタント
ブラザー・クリストファー・セール  男性、カトリック
キャシー・シモニーニ  女性、プロテスタント
シャーリン・コトラン 1 2     女性、プロテスタント
デニス・ジャニガン 1 2     男性、プロテスタント
ルイス・デヘイスース  男性、プロテスタント
アキーラ・ブレイボーイ  女性、プロテスタント
メリッサ・フライリーア 1 2  3     女性、プロテスタント
スティーブン・ベネット  男性、プロテスタント
スティーブン・ブラック  男性、プロテスタント
ナタニエル・フロック  男性、プロテスタント
或る翻訳書から  
ジャネット・ボインズ  女性、プロテスタント
オードラ・オースティン  女性、プロテスタント
ブラッド・グラマー1  2     男性、プロテスタント
クリスチャン・V  男性、カトリック
ジェイク・スタンウッド(仮名)  男性、カトリック
ジェシカ・ニューサム1   2   3   女性、プロテスタント
デボラ・バー  女性、プロテスタント

消えゆく日本の「子供の日」

2017年06月25日 | プロライフ
「見えざる人々:消えゆく日本の「子供の日」」ノボトニー ⋆ ジェローム 神父
からの引用です。


「生命のため、友人へ」 ー 日本では5月5日を「子供の日」として祝う。この祝日の起源は古く、西暦600年頃にさかのぼる。子供を大切にし、彼らの幸福を祝う日である。

国全体に鯉のぼり(鯉の形をした凧)がはためく様子を見ることができる。心から幸せな気持ちになる日だが、事態は見た目ほど輝かしいわけではない。



政府が子供の日に発表した内容によると、15歳未満の子供の数は昨年から160,000人減少している。つまり33年間連続で日本の子供の数が減少したことになる。1950年に統計を取り始めて以来、これは最低の数字である。日本の1家族当たりの子供の数の平均は1人をわずかに超えた程度であるが、人口を維持するには2.1人が必要とされている。

現在、日本の65歳以上の人口の割合は25.6%だが、子供はわずかに12.8%である。博士号を持っていない人でも日本が将来、国家として生き残れないことはわかるだろう。どう考えても不可能である。状況は悪循環に陥っている。高齢者世代は増え続けているのに、乳幼児は減少の一途をたどっている。最終的にはどちらも消えて行ってしまうだろう。

この問題の解決策は出生率の引き上げと日本への移民労働者の規模拡大であると私は考えている。

私は日本に長年住んでいるが、移民を受け入れる体制はまだまだ遅れている。国連の概算によると、出生率を引き上げない限り、日本は年間約650,000人の移民労働者を受け入れる必要がある。

また、日本では中絶件数が多く、国家存続への解決策を遠ざけているように思える。日本は子供の未来に希望を持てない中で「子供の日」を祝っている。これを幸せと呼べるだろうか?

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅱ. 御出現の後 カベソにおける祈りと犠牲 1~2

2017年06月24日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

II. 御出現の後




1. カベソにおける祈りと犠牲

私の叔母は、自分の子供たちに話をしたいと求めて来た人々を喜ばせるために、子供たちを家に呼び戻すために誰かを続けて送らなければならないことに疲れ切っていました。そこで、叔母は羊の群れの世話を自分の別の息子ジョアン [注15] に委ねました。

この決定は、ジャシンタにとって二つの理由で非常に苦痛でした。第一に、ジャシンタを探しに来た全ての人々に話をしなければならなかったから、第二に、ジャシンタはもう私と一緒に一日中過ごすことができなくなったから、です。ジャシンタはあきらめなければなりませんでした。しかし、この招かれない訪問者たちから逃れるために、ジャシンタとフランシスコは、私たちの小さな家に向いている丘の上にある岩に開いた洞窟 [注16] によく行って隠れました。丘の上には、風車小屋がありました。東に向いた坂にあったので、この隠れ場は雨からも焼くような太陽からも彼らを守ってくれる理想的なところにありました。特に、これは多くの樫の木とオリーブの木とによって保護されていました。ジャシンタはそこで私たちの愛する主にどれほど多くの祈りと犠牲とを捧げたことでしょうか!

斜面にはどこかしこに数え切れないほどの種類の花々が育ちました。それらの中には多くのアヤメがあり、ジャシンタは特にこれを愛しました。毎晩、ジャシンタは私が家に帰るのを道で待っており、私のために摘んだアヤメや、もしもアヤメが見つからないときにはその他の花を手にしていました。ジャシンタにとって、花びらを一枚一枚摘まんで私に吹きかけるのが本当に喜びでした。

[注15] ジョアン・マルト、ジャシンタの兄弟、2000年4月28日没
[注16] この丘はカベソと呼ばれ、この坂にある洞窟は「カベソの場所」Loca do Cabeço と言われる。

私の母は、私がどこで羊を牧するかを毎日決定することを、しばらくは満足していました。何故なら、私を探しているときに私がどこにいるか知っていたからです。場所が近いときには、私はジャシンタたちにそれを言い、私のところにすぐにやって来ました。ジャシンタは私を見つけるまで走ることを止めませんでした。私を見いだすと、疲れて座り込んで私を呼び続け、私がそれに答えてジャシンタに会いに走って行くまで止めませんでした。


2. 迷惑な質問攻め

ついに私の母は、私の姉妹が私を呼びに来きて私の代わりに羊の番をして時間を無駄にしているのを見るのに疲れ、土地を売ることを決断しました。母は、そこのことを叔母と話をし、二人とも私たちを学校に通わせることに同意しました。休憩時間にはジャシンタは御聖体訪問をよくするのを愛していました。
ジャシンタはこう言いました。
「あの人々はきっと分かっているのよ。私たちが教会に入るやいなや、人々の群れが私たちに質問をしにやって来るのだから!一人っきりでずっと、隠れたイエズス様と一緒にいてイエズス様とお話ししたかったのになぁ。でもそうさせてくれない。

その通りでした。単純な田舎の人々は私たちを決して一人にはさせてくれませんでした。全くの単純さで、彼らは私たちに彼らの必要や彼らの問題を教えてくれるのです。ジャシンタは極めて大きな同情を示しました。それが罪人に関する時は特にそうでした。
「私たちは私たちの主に祈り犠牲を捧げなければならないわ。この人が回心して地獄に行かないように!かわいそうな人!」

このことに関して、ここである出来事をお話しするのが良いかと思います。これはジャシンタが自分を探しに来た人々からどれほど逃げようとしていたかを示しています。
私たちはある日ファチマへと行くところでした。 [注17]主要道路に近づくと馬車から淑女と紳士のグループが降りてくるのに私たちは気がつきました。私たちには、全くの疑いもなく、彼らが私たちを探しに来ていたことを知りました。逃げることは不可能でした。何故なら、彼らは私たちを見いだすからです。私たちはそのまま道を歩き続け、私たちが誰かと知られずにそのまま通り過ぎることを期待しました。婦人たちは私たちに近づいてきて、聖母がお現れになった幼い牧童たちを私たちが知っているか尋ねました。私たちは「はい」と答えました。
「その子たちがどこにすんでいるか知ってる?」

私たちはご婦人たちに正確な行き方を教え、走ってそこから離れて、畑の中に隠れました。ジャシンタはこの作戦の結果にとても嬉しそうで、こう叫びました。
「人々が私たちの顔を知らない時は、いつもこうしなくっちゃ。」

[注17]このことは1918年から1919年の間に、御出現の一年後に起こった。


(続く)

「ファチマの聖母の会」を聖母の汚れ無き御心に奉献する祈り  CONSECRATION OF THE ASSOCIATION OF OUR LADY OF FATIMA

2017年06月23日 | ファチマの聖母の会とは?
ファチマの聖母の会の全ての会員の皆様に、重要なお知らせがあります。

当ファチマの聖母の会は、当会の全ての会員とその全ての活動とそのブログとを聖母の汚れなき御心に、洗者聖ヨハネの祝日に奉献します。

ファチマの聖母の会が自らを聖母の汚れなき御心に奉献する理由は、当会の上に聖母の汚れなき御心がしろしめし給うことを望み、当会が聖母の権威に忠実に従うためです。
聖母が当会を愛し給うことを感謝し、返礼として、聖母の御助けと共に、当会会員は聖母の汚れなき御心にいつも変わらない忠孝の愛を御捧げするためです。

地上に天主の御国が拡大することを望み、つまりカトリック教会の発展を望み、家庭において、社会において、国家において、全世界において、私たち一人一人から、愛され、崇敬され、奉仕されることを熱望し、当会がその聖母のものとなりたいと望むからです。

洗者聖ヨハネの祝日に奉献する理由は、プロライフと洗者聖ヨハネが関係するからです。イエズス様を胎内に身ごもっておられた聖母の御取り次ぎによって、洗者聖ヨハネは胎児の時、聖エリザベトの胎内で聖別を受けました。ゆえに、聖母が洗者聖ヨハネに果たした役割は、プロライフの胎児の保護と一致しています。そこで、洗者聖ヨハネの祝日に、当会を聖母の汚れなき御心に奉献するのが、御摂理に適っていると考えたからです。

また、2017年は洗者聖ヨハネの祝日が、イエズスの至聖なる聖心の祝日の翌日の土曜日だからです。聖母の汚れなき御心はイエズスの聖心と一致しているからです。

ファチマの聖母の会が、マリア様の汚れ無き御心に奉献されて、汚れ無き御心の凱旋のために、さらに多くの人に知られ、汚れ無き御心の信心が確立するための道具となることができますように!

聖母の汚れなき御心の御介入で、胎内の赤ちゃんたちへの戦争が終わり、赤ちゃんたちが聖なる命に導かれますように!

至聖なるイエズスの聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。

会員の方々は、また将来会員になりたいとお考えの方々も、次の奉献文を6月24日に唱えるようにしてください。



ファチマの聖母の会を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り

おお、聖母の汚れなき御心よ、イエズスの聖心の母にして、われらの元后にして母なる聖母よ!

御憐れみをたれて、このファチマの聖母の会に御眼差しを注ぎ給え。われらは御身に、忠孝の愛を示し、この荘厳な奉献によって御身に崇敬を表すことを望み奉る。

われら、ファチマの聖母の会の会員は、御身にわれらの全てを、肉体も霊魂も、能力も感覚も、人生の全ての悲しみも喜びも、われらの持てる全てを、われらそれ自身を、われらが愛する全てを、御身にことごとく捧げ奉る。

汚れなき童貞女よ、天主の御母にして全ての人々の母よ、われらは御身の聖母の汚れなき御心に、われら自身とわれらの「ファチマの聖母の会」とを奉献し奉る。われらを御身の子供として受け入れ給え。

御身の汚れなき御心が、われら会員らにとって、若きも老いたるも、健康なる者も病の者も、熱心なる者も罪を犯した者も、また将来の会員らにとっても、天主へと導く道とならんことを。

われらの愛する御母よ、われらを統治し給え。われらが豊かなときも貧しいときも、喜びの時も悲しみの時も、健康の時も病の時も、生涯に亘っても死後も、いつも御身のものたるために。

聖母のいとも憐れみにあふれる御心よ、童貞の元后よ、われらの心も精神も守り給え。御身はファチマにて、人々の傲慢や不貞潔や異教精神をいたく深く嘆き悲しみ給うたり。われらをして現代にあふれるこれらの洪水から逃れしめ給え。

今より後は、御身は当会の元后にして母なり。われらの霊的かつ物体的な善を世話し給え。われらの祈りを聞き給いて、この世の悲しみと困難の時、特にわれらの臨終の時にわれらに慰めを給え。

われらは、われらの家族、当「ファチマの聖母の会」、われらの祖国、全世界に、正義と愛徳における天主の平和を呼び求め奉る。

われらは、われらの能う限り、御身の御助けにより、償いと改悛との精神をもって御身の諸徳に倣い、真のキリスト教的生活を送り、世間体を気にせずに、頻繁な改悛の秘蹟と御聖体の秘蹟を受け、典礼に敬虔に与り、公教要理を注意深く学ぶことを謹んで約束し奉る。

おお、聖なるロザリオの元后よ、われらはロザリオの祈りを毎日欠かさずすることを約束し奉る。

われらは、御身の助けを持って、キリスト教生活が私たちに要求する犠牲を全て受け入れ奉り、それらを御身の汚れなき御心により、御身の聖子イエズス・キリストのミサ聖祭の犠牲と一致して、イエズスの聖心に捧げ奉る。

美しい愛の母よ、われらの心に、また当会とわれらの家庭に、天主を愛する愛の火を燃え立たしめ給え。願わくは、この愛の火によりて、われらの身分上の努めに常に忠実ならしめ、天主の聖寵により、われらの模範と犠牲と祈りとを通して、われらの隣人と憐れな罪人たちに対する熱心な使徒とならしめ、彼らを真の信仰生活を送るように導くことができるようなさしめ給え。

願わくは、イエズスの聖心の御国が、御身の汚れなき御心の御国と共に、当「ファチマの聖母の会」に来たらんことを。われらの元后にして母なる聖母よ、われらが御身を愛し御身に奉仕し、御身に真に奉献された生活を送ることにより、われらがついに至聖なる三位一体との永遠の至福に至るにふさわしき者とならんことを。アメン。


CONSECRATION OF THE ASSOCIATION OF OUR LADY OF FATIMA


“The consecration to the Immaculate Heart of Mary is a testimony of her sovereignty; a loyal submission to her authority; a filial and constant love in return; a commitment to work towards the establishment of her royalty in God’s kingdom, which is the Church, so that she may be loved, venerated, and served by each one of us in the family, in society, and in the world.”

(Pius XII in the radio message at the Crowning of Our Lady of Fatima - May 13, 1946)

O Immaculate Heart of Mary, Mother of the Heart of Jesus, our Queen and Our Mother! Look down with mercy upon this Association of Our Lady of Fatima. We wish to show thee our filial love and to render to thee our homage by this solemn act.

We come to offer thee our whole being, body and soul, faculties and senses, our life with all its sorrows and joys, all that we possess, all that we are, all that we love.

O Immaculate Virgin, Mother of God and Mother of all men! We consecrate ourselves and our Association of Our Lady of Fatima to thy Immaculate Heart. Receive us as thy children.

May thy Heart be for all us priests, teachers and catechists, parents and children, young people, adult and elderly, healthy and sick, absent, present and fallen away the path that leads to God.

Reign over us, O Beloved Mother, so that we may be thine both in prosperity and in adversity, in joy and in sorrow, in health and in sickness, in life and in death.

O most compassionate Heart of Mary, Queen of Virgins, watch over our minds and our hearts and preserve them from the flood of pride, impurity and paganism of which thou didst complain so bitterly at Fatima.

From this moment, thou art named Queen and Mother of this Association. Look after our spiritual and temporal well-being, hear our prayers and console us in the sorrows and tribulations of this life and particularly at the hour of our death.

We want to call down upon our families and our Association, our country and the whole world the peace of God in justice and charity. On our part, we promise to imitate thy virtues in a spirit of reparation and penance by a true Christian life, by frequent confessions and holy Communions, by fervent participation in the divine Liturgy, and by attentive study of the catechism without regard to human respect.

O Queen of the Holy Rosary, we promise to offer thee the prayer of the rosary each day.

We accept now, all the sacrifices that a Christian life will impose on us, and we offer them to the Heart of Jesus, by thy Immaculate Heart, in union with the Mass of thy divine Son.

O Mother of fair love, inflame in our hearts, our Association and homes, with the divine fire to keep us faithful to our duty of state and to become, with the grace of God, zealous apostles towards our neighbours and poor sinners by our example, our sacrifices and prayers, bringing them to the practice of the true Faith.

May the reign of the Sacred Heart of Jesus, together with thy reign, enter this Association of Our Lady of Fatima, our Queen and Our Mother, so that living truly consecrated to thy love and service, we may one day deserve eternal happiness in the presence of the Holy Trinity. Amen.


ピオ十一世は、ファチマの聖母の要求に従わず、ロシアでの迫害はますますひどくなった

2017年06月23日 | ファチマ
以下は、「マリアの汚れなき御心と霊魂の救い」からの引用です。

彼らは私の要求を顧みることを望まなかった!



ピオ十一世の教皇在位中にロシアはマリアの汚れなき御心に奉献されませんでした。また、5ヶ月の初土曜日の信心もローマによって公式に承認されませんでした。

ポンテヴェドラおよびトゥイでの御出現でルシアに明らかにされた神の御意志、すなわち5回の初土曜日の信心は修道会上長のマザー・マガリャエスや聴罪司祭のイエズス会神父ジョゼ・アパリシオ師の努力によってドロテア会の学校の生徒たちおよび父兄たちの間に急速に広まりました。

1927年12月17日シスター・ルシアは聖櫃の側でイエズスのお声を聞きます。聖母から初土曜日の信心に関してルシアが聞いたことを書きとめなさい、ということでした。

1928年9月9日に彼女はカノン・フォルミガオに会い、初土曜日の信心について話します。カノン・フォルミガオはポンテヴェドラの御出現の最初の使徒となるべき人でした。

1929年6月1日教皇使節ジョヴァンニ・ベダ・カルディナーレがトゥイの修道院にルシアに会いに行きました。

ルシアはこのとき教皇の代理者であるこの人に勇気を出して初土曜日の信心について教会の承認を求め、そのことを翌日ダ・シルヴァ司教に手紙で報告しています。司教の反応はルシアをがっかりさせるものだったようです。アパリシオ神父は1929年8月16日にトゥイにルシアを訪ねた後、ダ・シルヴァ司教にルシアが聖母のために初土曜日の信心が広められることを切に望んでいる旨手紙を書いています。

ルシアは2度目の手紙をダ・シルヴァ司教に書きますが、司教からは返事を得ることはできませんでした。司教は9月29日にアパリシオ神父に手紙を書き、こう言っています。

「初土曜日の信心はよいものです。しかし、その時はまだ来ていません。このことはそれが修道院や学院内で広められるべきでないということを意味するものではありません。」

アパリシオ神父はそのことをルシアに知らせ、12月15日ルシアはアパリシオ神父に返事を書き、その中でこの時点でもまだダ・シルヴァ司教からの返事を貰っていないことを明かしています。

1930年5月の終わり頃ルシアはゴンサルヴェス神父の命令によって次のような手紙を書きました。

「これはマリアの汚れなき御心への償いの信心およびロシアにおける迫害に関して神と私の霊魂との間に起こったと思われることです。」

「私たちのよき主は私の心の奥深くで、1925年に神御自身と聖母が、この小さな信心を通じて、マリアの汚れなき御心に背いた霊魂たちに許しをお与えになるためにお求めになったマリアの汚れなき御心に対する信心を教皇様が承認なさるように願うことを私に強く要求なさっていると思われます。聖母御自身はこの信心を実行する霊魂を、その死の時にその救いに必要なすべての恩寵でもって助けることを約束なさいました。この信心は次のことから成っています。引き続く5ヶ月の初土曜日に御聖体を拝領すること、ロザリオの祈りをすること、ロザリオの玄義を黙想しながら聖母を訪問すること、同じ目的をもって告解に行くこと。告解の秘蹟は他の日に受けることができます。」

「もし私が誤っていないならば、よき主は、もし教皇様御自身がイエズスとマリアの聖なる御心へのロシアの償いと奉献という荘厳で公的な行為をしてくださるならば、同様にまたカトリック世界のすべての司教様たちに同じことをするようにお命じになるならば、そしてもし教皇さまがこの迫害が終わったときにすでに述べました償いの信心の実行を承認し、推奨なさるならばロシアの迫害を終わらせることを約束なさいました。」

「私は思い違いをしているのではないかと大変恐れているということを申し上げます。そしてこの恐れの原因は私が主を親しく見ていなくて、ただ主の神的現存を感じたにすぎないという事実です。」

「修道院長様にこのことを申し上げることについて私が抱きました躊躇の気持ちはどこから来るのか、正確には分かりません。恐らく一部は院長様がこのすべてのことをお認めにならないかもしれない、あるいはそれは妄想、あるいは悪魔の暗示や何かそのようなことだとおっしゃるかもしれないという恐れかもしれません。」

「私はうやうやしく閣下の御手に接吻いたします。」

ゴンサルヴェス神父はルシアのこの手紙を5月29日に受け取り、それを読んでその日のうちにルシアに対して次の質問状を出しました。彼は司教や教皇に伝達するための完全に明白な文書を欲したのです。

「どうか出来る限り便箋で次の質問に答えてください。
1.土曜日の信心があなたに啓示されたのはいつ、どのように、どこでか。換言すれば、その日付(もしあなたが知っているならば)、機会、そして様式。
2.要求される条件。すなわち、この信心の成就に際して要求されることは何か。
3.利益。すくなくとも一度それを実行する人々にどのような恵みが約束されるのか。
4.聖母の悲しみのために9回あるいは7回ではなくて、なぜ5回の土曜日なのか。
5.土曜日に条件をすべて満たすことができない場合それは日曜日に満たすことができるか。例えば、田舎に住んでいる人々は遠く離れて住んでいるから、(土曜日に)そうすることができないことが非常に多い。
6.可哀想なロシアの救いに関して、あなたは何を望みまた欲するか。

このゴンサルヴェス神父の質問に対してルシアは同じ日の5月29日の夜、礼拝と償いの聖時間の時に問われた質問に答えるために必要な内的照らしを願ってそれを受けました。

数日のうちにルシアは返事を書き、ゴンサルヴェス師はそれを1930年6月12日に受け取りました。

1から3についてはルシアが1925年12月10日ポンテヴェドラで、4から6については1930年5月29日トゥイで受けた啓示です。

ゴンサルヴェス師はルシアから返事を受けた翌日6月13日にルシアのこの手紙のコピーをレイリアのダ・シルヴァ司教に送りましたが、司教はこの問題についてすでに知っており、それについて考えようとしている旨7月1日にゴンサルヴェス師に答えています。ダ・シルヴァ司教は8月28日初めてトゥイに来て、ルシアと会って話をしています。

ダ・シルヴァ司教の返事に失望したゴンサルヴェス師は別のルートで教皇ピオ十一世にルシアの手紙の内容を伝えた模様です。その時期は1930年7月から1931年8月の間だと、フレール・ミッシェルは考えています。

1929年6月13日トゥイに御出現になったときのことをルシアはこう述べています。

「聖母が私にこうおっしゃいました。『神が教皇に....世界の全司教と一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。』ルシアはその前にこうも述べています。「私たちの主はロシアの奉献のお望みとロシアを回心させる御約束とを聖なる教会に知らせるように私にお望みになる時が来たことを私にお知らせになりました。」

神は不可能なことを決して要求なさいませんから、1929年-1931年は神の御計画を実現するに最も好都合な時期だったはずです。

最も好都合であるという理由の第一は、この時期ファチマ御出現の調査記録が教皇の下に届き、太陽のダンスや奇跡的な癒しや無数の回心によってレイリアの司教によるファチマ御出現の公式承認が為された時期であり、聖母のメッセージの重大性を教皇は知っておられたからです。

次ぎに聖心へのロシアの奉献についても、歴史的に先例がありました。
1899年6月11日教皇レオ十三世はイエズスの聖心に全世界を奉献されましたし、聖ピオ十世は毎年それを更新することを命じられました。そしてピオ十一世自身1925年にこの奉献を王たるキリストの祝日に更新すべきことを命じられました。カトリックから分離した正教の、そしてボルシェヴィキのロシアを、ロシアの政府や正教指導者が参加することなしにローマカトリックの教皇と全司教が奉献することに神学的な困難があったのでしょうか?レオ十三世は1989年5月25日回勅『聖なる年』(AnnumSacrum)の中で、全世界および全民族は異端的、分派的あるいは異教的であるとしても、イエズスの聖心に奉献されることができると説明しました。

「キリストの力は同様にまたキリスト教信仰の外部に生きているすべての人々にも及ぶ」からです。

第三に、聖マリアの汚れなき御心がイエズスの聖心と密接に結びつけられることが天の意志でした。ロシアの奉献は「イエズスとマリアのいと聖なる御心に対して」なされなければなりませんでした。この奉献を可能とし、かつ容易にする素晴らしい、摂理的な準備がすでにできていました。

かなり前から聖マリアの汚れなき御心への奉献の請願が聖座には来ていました。例えば、1900年にリヨン・フルヴィエール国民マリア会議が請願を行い、また同年デシャン師によってトゥールーズにマリア十字軍が設立されましたが、その目的はマリアの汚れなき御心への個人、家庭、小教区、司教区そして全人類の奉献を促進することでした。聖ピオ十世教皇の在位期間にはこの請願は非常に多くなりました。1917年7月13日に聖母マリアは「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために[後に]来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう」と預言され、世界の奉献ではなくて、ただボルシェヴィキ・ロシアだけの奉献をお求めになりました。1929年6月13日に預言通り聖母はその時が来たことをルシアにお知らせになり、それを教皇に知らせ、教皇がそれを実行することを望まれたわけです。

もし教皇が聖母の要求をキリスト教世界に知らせ、実行されていたならば、全キリスト教世界の間にマリア信心の熱狂と巨大な運動が起こっていたでしょう。

最後に、ロシアの誤謬の広まりはどうだったのでしょうか。ピオ十一世が教皇座についた1922年以来、ロシアは教皇の最大関心事でした。教皇はロシア人の悲惨を少なくし、血生臭い迫害を終わらせるためにあらゆることを試みました。1922年、教皇は「世界の救世主、ロシアを救い給え!」という射祷に贖宥を与えました。しかし、1924年にはボルシェヴィキ革命がキリスト教世界の一部であるメキシコで猛威を奮い始めました。1928年ヴァチカンとソビエト政府とのすべての関係が断絶し、スターリンは以前よりもっと冷酷に迫害と虐殺を再開しました。1929年8月19日教皇はロシア人民を幼き聖テレジアの保護に委ね、贖宥のついた祈りを出しました。1929年11月、ローマ、パリ、ロンドン、プラハ、ジュネーブ等の都市でロシアが経験している迫害について人々に知らせるための会議が開かれました。

ピオ十一世はそれ以上のことを何かしなければならないということを理解されました。ピオ十一世は1930年2月2日ポンピリ枢機卿に宛てて公開書簡を書かれ、次のように述べておられます。

「ロシアの無数の人々の間で毎日繰り返され、ますます悪化している神と霊魂に対する恐るべき罪と冒涜を考えるとき私たちは深い悲しみを感じます。この聖なる普遍的、使徒的なローマ教会の多くの信徒、修道者そして寛大な聖職者たちがこれらのロシアの人々に属しています。彼らは壮烈なまでに、そして殉教するまでに信仰が深く、寛大でした。

非常に多くの冒涜と不敬の行為が新たになされ、当局によって公的に為されていることはより普遍的で荘厳な償いを要求します。今年クリスマスの聖なる日々の間に単に数百の教会が閉鎖され、多くのイコンが燃やされ、すべての労働者や学校の子どもたちが労働を強制され、日曜日が廃止されただけでなく、工場労働者は男も女も公式の棄教と神に対する憎しみの宣言に署名することを強制されました。さもないと、彼らはパンの配給切符、衣料、宿泊を取り上げらるのです。それらのものなしには、この哀れな国のすべての住民は飢えと悲惨と寒さで死ななければならないのです。他のこともいろいろありますが、昨年クリスマスの聖なる日々に、全ての都市と多くの村々で、恥ずべきカーニヴァルの見せ物が組織されました。外国の外交官たちが自らの目で見たように、首都モスクワの中心でもそうでした。彼らは聖なる祭服を着て、嘲笑しながら十字架を担い、十字架に唾を吐きながら、多くの無頼漢を乗せた戦車の行進を目撃しました。一方他の装甲車群は巨大なクリスマス・ツリーを運んでいましたが、ツリーにはカトリックとオーソドックスの司教たちを表す人形が首吊りにされていました。町の中心には他の若者たちの愚連隊が十字架に対するあらゆる種類の涜神行為を犯していました。

ですから、私たちはできる限り努力してこれらすべての涜聖行為に対する償いの行為をし、また全世界の信徒を償いをするように招きたいと思っています。それで私たちは、猊下よ、1930年3月19日、聖ヨゼフの祝日に聖ペトロ大聖堂に来て、そこで使徒の頭の墓の上で、この苦しい試練がついに終わり、人々が私たちの唯一の救い主にして解放者である主イエズス・キリストの唯一の群へできるだけ早く立ち返るように、そのように困難で苦しみに満ちた試練に会っている多くの霊魂の救いのために、また愛するロシアの人々の救済のために、イエズスの神的な聖心への犯罪的な攻撃に対する償いのミサを捧げることに決めました。聖心に赦しを願い、犠牲者たちと殺人者たちにも御憐れみを求めた後に、私たちは神の御母、聖なる汚れなきおとめマリア、その浄配、普遍教会の守護者、ロシアの特別の保護者である聖ヨゼフ、聖なる天使たち、洗礼者聖ヨハネ、聖クリゾストモス、聖キリルと聖メトディウスおよび他の多くの聖人たち、そして特に、私たちが特別にこれらの霊魂の未来を委ねた幼きイエズスの聖テレジアに嘆願します。」

ファチマ第二の秘密は世界の救いに関わる:世界平和のために「聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てる必要」

2017年06月22日 | ファチマ
以下は、「マリアの汚れなき御心と霊魂の救い」からの引用です。



1917年7月13日金曜日に三人の子どもたちに地獄を見せた後聖母は次のように言われました。

-あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。-

これは第一の秘密の結論に相当する部分です。

聖母は続いて第二の秘密を明らかにされました。第一の秘密が個人の救いに焦点を当てているのに対して、この第二の秘密は民族と教会の運命に関わって語られています。現代世界の平和が問題とされています。平和は人間が神に背くとき人間に与えられないということを聖母は告げておられます。

-私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。-

-このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。-........

ここで問題になっていることは、個人の霊魂の救いではなくて、民族の戦争あるいは平和、教会の自由あるいは平和です。聖母のこの第二の秘密の主題はキリスト教世界の救いだと言えるでしょう。

第二の秘密を正確に理解するためには、私たちは聖母の「神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます」という言葉に常に立ち帰らなければなりません。

神の大いなる御計画はすべての霊魂によってばかりでなく、すべての民族によって聖母の汚れなき御心が愛され、称賛され、栄光を帰されることです。神はこの聖母の汚れなき御心にキリスト教世界の上に比類のない恵みの宝を注ぐことをお委ねになりました。

神が望まれたことはキリスト教世界が聖母を単に私的にだけでなく、公的に荘厳に崇敬することでした。「世界の中に聖母の汚れなき御心の信心を打ち立てること」は個人の心の中の問題にとどまるのではなくて、公的な教会の、世界の問題です。ジャシンタが入院するためにリスボンに行く前にルシアに語った次の言葉はこのことを非常によく説明しています。

「....私が天国へ行くのはそれほど先のことではないでしょう。あなたは神が聖母マリアの汚れなき御心に対する世界の信心を確立することを望んでおられるということを人々に知らせるために地上に残るでしょう。このことをあなたが言わなければならないとき、隠してはいけません。神は聖母マリアの汚れなき御心を通じて恵みを私たちにお与えになりますから、彼らがその恵みを聖母にお願いしなければならないということをすべての人に告げてください。そしてイエズスの聖心は聖母マリアの汚れなき御心がイエズスの側で崇敬されることを望んでおられるということを知らせてください。そして人々にまた平和のために聖母マリアの汚れなき御心に祈るように告げてください。なぜなら、神は平和を聖母に委ねられたからです。」


世界平和のための条件


1917年7月13日に、聖母は3人の子どもたちに平和の条件についてこう述べられました。

「世界のために平和を得、戦争を終わらせるために、ロザリオの聖母をたたえて毎日ロザリオの祈りを続けることを私は望んでいます。なぜなら、ただロザリオの聖母だけがあなたがたを助けることができるからです。」


ロザリオを毎日祈るようにという招きを聖母は御出現の度に繰り返されました。世の人々は行動しなければお祈りしても無駄である、と言いますが、聖母はまずロザリオを祈りなさいとわたしたちに勧めておられます。現在もこの聖母の招きは真実だと思います。シスター・ルシアはこのことの緊急性を絶えず強調しています。

聖母はロザリオの祈りの他に、すでに述べた「5ヶ月の初土曜日の信心」を1925年にポンテ・ヴェドラで、そして1929年に後に述べる「聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献」をトゥイで、シスター・ルシアに要求されました。

この三つの条件が神がマリアを通して世界に示された平和の条件です。「私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。」

1917年7月の時点で言われたこの預言は、第一次世界大戦の終結を予告したものです。すでに1914年7月に始まっていたこの戦争(オーストリア・ドイツ・トルコ・ブルガリアの同盟国側2400万とセルビア・イギリス・フランス・ロシア・イタリア・ベルギー・日本・アメリカ・中国・ルーマニアなど連合国側4300万が戦ったヨーロッパを中心とした大戦争)は丸3年経ってもまだいつ終わるかその行方がわからなかったときに、聖母はその終結を予告されたのです。

聖母がおっしゃっている平和は聖母が「平和の元后(女王)」(Regina Pacis)として世界にお与えになる「キリスト教的平和」(Pax Christiana)であって、「世が与えることが出来ない平和」(illam, quam mundus dare non potest, pacem)です。しかし、第一次世界大戦の終結(1918年11月)の後、世界の平和は長続きしませんでした。

すでに第一次大戦の最中、1917年11月7日(ロシア暦10月25日)にロシアではレーニンの率いるボルシェヴィキがケレンスキー臨時政府を倒してソヴィエト政府を樹立する共産主義の支配を始めていました。しかし、共産主義の悪が世界に拡がる前に、世界は第一次世界大戦をはるかに上回る恐るべき第二次世界大戦を経験しなければなりませんでした。

ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本のウルトラ・ナショナリズムという全体主義的・無神論的国家主義による世界再分割の要求貫徹のための侵略戦争という形を取ったと思います。世界の人々は聖母の忠告を無視して神に背くことを止めなかったわけです。神との平和のないところに人間の平和はあり得ないということは、現在もいっこうに変わっていないのではないでしょうか。

神の懲罰としての戦争


現代の人々は、神を信じる人も含めて、神の懲罰ということを信じたがりません。ですから、ファチマの聖母が次のように言われるとき、反発したり無視したりします。何度も引用していますが、聖母は1917年7月13日ルシアにはっきりとこう言われたのです。そしてこの預言通りのことが起こりました。

「しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです」

ピオ十一世の教皇在任期間は1922年から1939年です。1931年日本は中国侵略を開始し、日華事変を引き起こし、1933年にはヒットラーが再軍備に着手、イタリアは1935年エチオピアを侵略、1938年3月ドイツがオーストリアを併合、39年8月にポーランドに要求提出、聖母の預言通りに実質的に第二次世界大戦が開始されていました。

聖母が預言された「未知の光によって照らされる夜」は1938年1月25日の夜から26日の朝がたにかけてヨーロッパ・北アフリカの空に展開されました。それは専門家が「北極光」(aurora borealis)と呼んだ異常な輝きのことです。1938年1月26日のリヨンの新聞 Nouvelliste de Lyon はそれを次のように報じています。

「昨夜、西ヨーロッパの空を異常な大きさの北極光が波打った。それは多くの部局で大騒動を引き起こしたが、最初はそれが大火事だと信じた。.....アルプス地方全域において、多くの人々はこの不思議な光景に非常な興味をそそられた。空は非常に強烈な鮮血色の輝きを発しながら移動する一つの巨大な炉のように燃え立たせられていた。炉の縁はあたかも太陽がまさに昇ろうとしているかのように、白色であった。それは明らかに北極光であったが、しかし、グルノーブル大学理学部のペルス教授によれば、一つの例外的に巨大な北極光であった。」

『フランス天文学協会ブレティン、天文学、気象学、地球物理学月刊誌』は50ページにわたる特集でこの現象を次のように報告しています。

「例外的な美しさをもった北極光が1938年1月25日火曜日の夕方から26日水曜日の朝にかけてフランス、そしてヨーロッパのほとんどすべての国々において見ることが出来た。スイス、イギリスそして同様に西部、南西部、プロヴァンスに至る南東部地域、そしてさらに南部、イタリアやポルトガル、シシリー、ジブラルタル、そして北アフリカにおいてさえ、この現象はこれらの地域の緯度にしては例外的な強度を示した。....

天気は曇りだった。そして夕暮れ頃にはすこし霧雨になった。太陽は一日中見ることができなかった。しかし今、日没後2時間以上たって、雲がなくなり晴れた。北東、北、そして北西の地平線は、夜明けが再び一面に始まるかのように、明るくなった。実用的な目的からはそれは夜明けであった。....しかし、不思議な光をもった夜の曙である。それは北極光である。

青白い、美しい、青緑の光が北東から北西の空に展開している。徐々に上方へと空が深紅色に変わり、そして不規則的な赤い弧が現れる。紫色に染められた雲の一種が北東に圧縮し、それからあたかも一つの神秘的な息によって吹き払われたかのように、北西の方向へと移動して行く。それは積み重なり、波のようにうねり、消え、そしてまた現れる。一方、その色が真っ赤な色からだいだい色にそして黄色に変わって行く巨大な光線は星を覆いながら、天頂にまで登って行く。その光景は、消えたり現れたりしながら、光の振動で変化し、生き物のようで、心を奪うものである。....

通りではパニックが起こっている。『パリが火事だ!』地方のいくつもの村では消防隊が動員されている。....巨大な深紅の光が空いっぱいに拡がっていた。」



同じ雑誌はフランスと外国の特派員からの多くの報告を載せています。

アルプス・ピック・デュ・ミディの観測所で:
「この珍しいオーロラはピック・デュ・ミディ観測所で観測された最初のものであった。それはこの緯度としては非常に稀な現象である。....最初の印象は一つの巨大な火災のそれであった。....」

メーヌ・エ・ロワールのラ・シャペル・サン・ローで、10歳になる生徒の記録:
「昨晩は一つの大きな雲があった。それは血で染めた紙のようだった。それからその雲は大きくなった。それは大きな赤い糸の列になり、上の方へ上がって行った。その下にチョークの線のような白い糸の列が現れた。」

オワーズで、アンリ・ブラン氏:
「最初、それは巨大な地獄の気味の悪い反射だと思われた。....この現象の変則と強度に打たれて村人たちの多くは彼らの家の窓枠から幾分神経質になって観察した。....これらの赤い色の輝きが見られ、また消えた。そして後でかなり長い時間が経って再び現れた。....これらの光り輝く現象はときどき非常に空高く上がり、そして色、輝きにおいてそれらは一つの猛烈な近くの地獄の非常に生々しい反射にまったく比較され得るものであった。....この例外的な天空の光景の強烈さ、その素晴らしい輝き、その巨大な範囲、特にわれわれの地域におけるこの強度で[見られることが]非常に稀であること、一年のうちでこの季節に見られることはさらにもっと稀であることなどは、直ちに社会に教えるべき価値があるとわれわれには思われる。....」

ピカルディーで:
「5時15分に私は北北西の方向に、私が最初遠くにある地獄の結果であると考えた一つの赤熱に気づいた。....10分後に大きな紫色の点がオリオンの方へまっすぐに私たちの頭上を越えて拡がって行った。次ぎに他のもっと小さい、もっと青白い点が現れ、そして消えて行った。しばらく後に、燃える空が私たちの顔に反射した。私の側でその現象に賛嘆していた妻が、私には非現実的に思われる赤い反射の中で私に現れた。7時45分に、赤い輝きはその最高の強度に達した。ほとんど空全体が火事になっているように見えた。第二の[天にできた]ひだは素早く燃え上がった。その輝きは私が腕時計を見て時間を言うことができるほどの明るさだった。その光景は並外れていた。ニュースを求めて私の側にやって来た一人の農夫は非常に真剣に、それは世の終わりを告げていると信じた。....明らかにこの常ならぬオーロラによって頭がおかしくなった雄鳥が日の出であるかのようにときをつくり始めた!」

カーンの小神学校で:
生徒たちは寄宿舎から「大きな赤いシーツ」を見た。「そのシーツを通していくつかの星を見ることができた。」

ヴォークリューズのある証人は同じ表現を使っている:
「空に非常に大きい赤いシーツを見て私は驚いた。しばらくの間それは周辺の地域のどこかでの火事であると私には思われた。その燃える光が雲に反射していた。....私はその現象が続いている間村と周辺の地域の犬どもが吠え始めたことに気がついた。彼らは10時半頃まで吠えるのをやめなかった。」

北アフリカからの証言:
「このオーロラはチュニジアのほとんどすべての場所から見ることができた。それは、同様なものが1891年以来報告されたことがなかったから、一つの非常に稀な現象である。....一般に、それは巨大な赤い色あるいは桃色の光のように見え、多かれ少なかれ白い縞が入っていた。....非常に驚いた土地の人々はその中に神の怒りの警告を見た。ヨーロッパ人たちはそれは一つの巨大な遠くの火事であると考えた。

この現象それ自体は超自然的な奇跡ではなく、単に「一つの例外的な自然現象」に過ぎませんが、しかし、それは前もって予告されたものであり、神が世界をその罪のために罰しようとしておられる「しるし」として神によって与えられたものだと理解されるのです。現象自体が客観的に意味を持っているというのではなく、その現象に神は一つの意味をお与えになったと考えることができます。この現象の直後にシスター・ルシアは司教、カノン・ガランバ、修道会の上長、聴罪司祭たちにこの現象の超自然的、預言的な意味を説明しました。しかし、教会の司牧者たちはシスター・ルシアがこの自然現象における神の意志の意味を説明したことを無視して、信徒たちにそのことを明らかにしませんでした。「人々が神に背くことをやめ」て痛悔し、回心するようにという天の要求は聞き入れられず、世界は戦争、それも史上最大、最悪の戦争になだれ込んで行きました。

1946年にジョンゲン神父がシスター・ルシアになぜ戦争前にこのことを公表しなかったのか?と問うた時、それに対して彼女は「誰もそのことを私に求めなかったからです」と答えています。シスター・ルシアが預言者のように、完全に独立して行動することを意図して、彼女の上長の同意なしに、彼女自身の権威に基づいて秘密を明らかにするということは神の御意志ではなかったのです。神の御意志はシスター・ルシアの上長、聴罪司祭や司教たちが協力することを通して聖母マリアの秘密が世界に公表されることでした。ですから、戦争が終わってから公表された秘密の責任をシスター・ルシアに負わせることはできませんし、ましてシスター・ルシアが事が起こった後になってそれを秘密の内容としてでっちあげたというダニス神父の主張はとんでもない誤解です。

フレール・ミッシェルによれば、ファチマにおいて神が第一に目的とされたことは、人々に直接的に、そして民主的に、彼らに回心するように警告を発することではありませんでした。シスター・ルシアが自分のイニシャティヴで秘密の預言を公表したのであれば、そうだったでしょう。そうではありませんでした。神の御計画はそれとはまったく異なっていました。神はマリアの汚れなき御心への信心を通じて世界を救うことを望まれました。しかし、神はまたカトリック教会の司牧者たちがその神的な権威を用いてその信心を荘厳に確立することをも望まれたのです。シスター・ルシアが1917年に聖母から託された秘密を教会の上長たちに知らせて、彼らを通して時期が来れば世界へ、信徒たちへ公表されることを願って、自ら公表することをしなかったのは、神の御意志に忠実であった証拠です。

1941年8月31日に書かれた第三の手記においてシスター・ルシアは懲罰を告知する大いなるしるしの後に彼女が経験した不安な期待の数ヶ月について彼女の司教に思い起こさせました。

「そうであると思いますが、(この天空の現象の正確な本性に関して)神は、その正義が罪ある国々をまさに打とうとしているということを私に理解させるためにこのことを利用されました。この理由で、私は初土曜日の償いの聖体拝領とロシアの奉献をしつこく懇願し始めました。私の意図は全世界のためばかりでなく、特にヨーロッパのために憐れみと赦しを得ることでした。....

神がその無限の御憐れみにおいて、恐るべき瞬間が近づいたということを私に感じさせられたとき、猊下は、機会が提供されるときにはいつでも、私がどのようにそれを指摘する機会を捉えたかを思い起こしてくださるでしょう。」 

ところで、1904年3月30日、ポルトガルのポルトの北にある小さな村バラザルに生まれたアレクサンドリナ・マリア・ダ・コスタは1955年10月13日に亡くなるまで多くのカリスマや神秘的な恵みを受けて聖なる生活を送り、1967年1月14日ブラガで列聖調査が行われ、1973年4月14日にはその調査が成功裡に終わりました。

このアレクサンドリナに、1935年8月1日、主が御出現になって、教皇に手紙を書いて、世界をマリアの汚れなき御心に奉献するように求めなさいと次のようにおっしゃいました。「かつて私は私の聖心に人類を奉献するように求めた。今、私は私のいとも聖なる御母の汚れなき御心に人類を奉献するように求める。」

彼女の聴罪司祭のイエズス会士ピニョ神父は1936年9月11日にパチェッリ枢機卿に手紙を出しました。枢機卿は聖座にアレクサンドリナの調査を命じ、1937年にブラガの大司教にさらに彼女についての情報を提供するよう求めました。1938年6月にファチマに黙想のために集まった(この時司教たちに説教したのはピニョ神父でした)司教たちは、ダ・シルヴァ司教が教皇に聖母マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の願いを出してすでに1年を経過しても何の返事も貰えなかったので、今度はポルトガルの司教たちの連名で、聖マリアの汚れなき御心への世界の奉献の要求を教皇に対して送りました。ポルトガルにおけるマリアの汚れなき御心によって働かれたきわだった平和の奇跡に教皇の注意を喚起しようとしてのことでした。

教皇ピオ十一世はこのポルトガルの司教団の要求に沈黙を守りました。カレイェイラ枢機卿が1967年に証言したところによれば、レイリアの司教には戦争の7ヶ月前に戦争が切迫していること、その暴力と範囲が伝えられていました。1939年2月6日付けのシスター・ルシアの手紙には、「聖母によって予告された戦争」が切迫していること、「ポルトガル司教団によってなされたマリアの汚れなき御心への奉献のおかげで」ポルトガルには聖母の御保護が約束されていることが述べられていたようです。また、次のように書かれていたと言われています。

「主たる懲罰は霊魂たちにおける神の国を破壊しようとした国々に対する懲罰でしょう。ポルトガルも同様に罪があり、懲罰のあるものを受けるでしょう。しかし、マリアの汚れなき御心がポルトガルを護るでしょう。よき主はポルトガルが償いをなし、自らと他の国々のために祈ることを求めておられます。スペインは罰せられるべき最初の国でした。スペインはまだ終わっていないその懲罰を受けました。そして他の国々に対する懲罰の時が迫っています。神は霊魂たちにおける神の国を破壊しようと欲するすべての国々をその血において純化することを決断なさいました。にもかかわらず、神は、もし人々が祈りそして痛悔するならば、怒りを和らげ、赦しを与えると約束なさいました。」

この手紙が書かれて数日後、1939年2月10日教皇ピオ十一世は亡くなられました。

シスター・ルシアは1939年3月(あるいは5月)に、主から次のメッセージを受け取りました。

「初土曜日にマリアの汚れなき御心を讃えて償いの聖体拝領が広められらることを願い、しつこく願いなさい。私の正義の厳正さがさまざまの国々の罪を罰する時が来ている。それらのうちのあるものは絶滅させられるであろう。遂に霊魂たちにおける私の支配を破壊しようとする者たちの上に私の正義の厳格さが厳しく降るであろう。」

1939年3月19日アパリシオ神父に宛てた手紙の中でシスター・ルシアはこう述べています。

「世界の平和かそれとも世界の戦争かということは、マリアの汚れなき御心への奉献と共にこの信心の実行にかかっています。これが私がそのように大いにそして特別にそれが広められることを望んだ理由です。なぜなら、それは私たちのよき主と私たちの愛する天の御母の御意志だからです。」

それから3ヶ月後、6月20日シスター・ルシアはアパリシオ神父に次のような手紙を送りました。

「聖母は、もしこの信心が広められ、実行されるならば、戦争の懲罰を遅らせると約束なさいました。私たちはその信心を広めるために努力がなされる程度に応じて彼女が懲罰をそらされるのを見ます。しかし、私は私たちが今している以上にはすることができないということ、そして神がその怒りにおいてその憐れみの手を挙げられ、世界をこの懲罰によって荒らされるにまかせられるということを恐れています。それは以前には決してなかったそのように恐ろしい、恐ろしい懲罰でしょう。」

シスター・ルシアが以前の聴罪司祭であるアパリシオ神父に説明した同じことを、彼女はきっと司教や修道会の上長にも説明したことは疑いのないところでしょう。

しかし、時はもう遅すぎました。1939年8月22日、独ソ不可侵条約が締結され、9月1日ヒットラーはポーランドを侵略し、その2日後イギリスはフランスを誘ってドイツに宣戦布告しました。たびたびの天の警告は顧みられませんでした。ヨーロッパはこの戦争の中に自らを盲目的に投げ込みました。これは聖母が忠告なさった人類の懲罰だったのです。もう一度1917年7月13日の聖母の預言をまとめて聞きましょう。

「戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。....このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」

実にこの戦争で4,000万人以上の人が死にました。
             

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き) 教皇様への愛 11~14

2017年06月21日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

I. ジャシンタの性格


11. 教皇様への愛

私たちのところに質問に来た二人の司祭たちは、私たちが教皇様のためにお祈りすることを頼みました。ジャシンタは、教皇様とは誰かと聞きました。その良い司祭たちは、教皇様が誰かを説明し、教皇様がどれほど祈りを必要としているかを話しました。これがジャシンタに教皇様に対する愛を与えました。ジャシンタがイエズスに犠牲を捧げるときいつでもこう付け加えていました。「そして教皇様のために」と。ロザリオの終わりには、ジャシンタはいつも「めでたし」を三回、教皇様のために付け加えました。時にはこう言いました。
「教皇様とお会いしたいなぁ!ここにはたくさんの人々がやって来るけれど、教皇様は来ないのね。」[注12]
ジャシンタの子供っぽい単純さで、教皇様が他の人々のように簡単に旅に出ることができると思ったのです。
ある日、私の父と叔父 [注13] とが私たち三人と一緒に、翌日に行政官 [注14] の前に出頭するように知らされました。
叔父はこう答えました。
「私は子供たちを連れて行かない。子供たちを裁判所に引き出すなんてまっぴらだ。何故って、そりゃ、うちの子らは自分のしたことに責任を持てる年でもないし、ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムまでの長い道のりを堪えることなんかできないからだ。」
私の父は別の考え方をしました。
「うちの子は、連れて行くね。うちの娘に自分で答えさせるよ。俺はこれが何んのことなのかさっぱり分からんから。」
ともあれ、家族の者たちはこの機会を利用してできる限りいろいろな方法で私たちを脅しました。翌日、私たちは叔父の家の近くを通りかかるとき、父はすこし叔父を待っていなければなりませんでした。私はジャシンタに別れを告げに走って行きました。ジャシンタはまだベッドにいました。もう一度会うことができるかどうか分からなかったので、両腕をジャシンタの周りに回して抱きました。涙にむせんでかわいそうなジャシンタは泣き声でこう言いました。
「もしも、殺されそうになった、フランシスコと私もあなたと同じだって言ってね。私たちも死にたいの。私はフランシスコと一緒に井戸のところに行くわ。一生懸命あなたのためにお祈りする。」
「私が夜遅く帰ると、私は井戸のところに走って行きました。すると二人とも跪いて、井戸の脇に寄りかかって、頭を両手に埋めて、激しく泣いていました。二人が私を見るやいなや、ビックリしてこう叫びました。
「あなた、帰ってきたの?何故って、あなたのお姉さんがここに水を汲みにやってきて、私たちにあなたは殺されたって教えてくれたのよ!あなたために私たちずっとたくさん祈って、泣いていたの。」

[注12] 1967年5月13日にパウロ六世が、1982年5月13日、1991年5月13日、2000年5月13日にはヨハネ・パウロ二世が、2017年5月13日には教皇フランシスコがファチマに来た。

[注13] ルシアの父親の名前は、アントニオ・ドス・サントス(António dos Santos)であり、1919年に死亡した。ルシアの叔父はマヌエル・ペドロ・マルト(Manuel Pedro Marto)で、フランシスコとジャシンタの父親である。1957年に死去した。

[注14] 行政官はアルトゥール・デ・オリエイラ・サントス(Artur de Oliveira Santos)、1955年死去。


12. オウレムの牢獄

後に、私たちは投獄された時、ジャシンタが一番苦しんだことは、自分の両親から捨てられてしまったと感じたことでした。涙をほほに垂らしながらこう言いました。
「あなたの家族も、私の家族も私たちに会いに来ないわ。私たちのことなんかもうどうでも良くなったの。」
フランシスコはこう言います。
「泣くなよ、僕たちこれを罪人の回心のためにイエズス様に御捧げできるじゃないか。」
そう言うとフランシスコは目と手を天に上げて、こう御捧げしました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のためです。」
ジャシンタはすぐにこう付け加えました。
「そして教皇様のため、それから聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うためです。」

しばらく私たちは離ればなれになった後、牢獄の別の部屋で一緒になりました。牢獄の看守たちがすぐに私たちを生きたまま油で揚げるためにすぐに戻ってくる、と言った時、ジャシンタは脇に行って窓から家畜の市場を眺めていました。最初、私はジャシンタが外を眺めて気晴らしをしようとしているのだと思いました。
しかし、すぐに、私はジャシンタが泣いているのに気がつきました。ジャシンタのところに行って、私の方に抱き寄せて、何故泣いているのか尋ねました。
「だって、私たち、お父さんともお母さんとももう会えずに、もうすぐ死んじゃうんだもの。」
ほほを涙でぬらしながら、ジャシンタはこう言いました。
「少なくとも、お母さんと会いたい。」
「それじゃあ、この犠牲を罪人の回心のために捧げたくないの?」
「捧げたい、そうする!」

顔は涙でグショグショにしながら、ジャシンタは両手を合わせて目を天に上げて捧げました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のため、教皇様のため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためです!」

この場面に居合わせた囚人たちは、私たちを慰めようとしました。
「あなたたちがしなければならないことは、行政官に秘密を言うことだよ。貴婦人があなたたちに何を望もうが望まないが、そんなのどうでも良いんだよ!」

ジャシンタはきっぱり答えました。
「イヤです!そんなことなら死んだ方がまし。」


13. 牢獄でのロザリオ

次に、私たちはロザリオを唱えることを決心しました。ジャシンタは首に掛けていたおメダイを外して、壁の釘にそれを掛けて欲しいと或る囚人に頼みました。
このおメダイの前で私たちは跪いて祈り始めました。他の囚人たちも私たちと一緒に祈りました。つまり、もしもロザリオの祈り方を知っていたのなら祈り、少なくとも跪いていました。ロザリオが終わると、ジャシンタは窓の方に行って泣き始めました。
「ジャシンタ、この犠牲を私たちの主に御捧げしたくないの?」
「うん、御捧げしたい。でも、お母さんのことをずっと考えているの。どうしても泣いちゃうの。」

聖母が私たちに、祈りと犠牲を聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために捧げるように言われたので、私たちは、一人一人が、これらの意向のうちの一つを選ぼうということになりました。一人が罪人の回心のために、別の一人が教皇様のため、もう一人が聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために御捧げするのです。このことをみんなで決めてから、ジャシンタにどの意向を選ぶのか尋ねました。
「私、この意向全部のために御捧げする。だってこれみんな好きなんだもん。」


14. 最後に、ダンス

囚人たちの中にはアコーディオンを上手に弾く人がいました。私たちの注意を引くために彼は演奏を始め、他の人々が歌い始めました。彼らは私たちが踊ることができるか尋ねました。私たちは「ファンダンゴ」と「ヴィラ」の踊りを知っていると答えました。

ジャシンタの相手は一人のかわいそうな泥棒でした。ジャシンタがあまりにも小さかったので、彼はジャシンタを人形のように抱き上げてダンスをしました。私たちは、聖母が彼を憐れんで、彼の霊魂を救ってくださることだけを望みました!

司教様、司教様はきっとこうおっしゃることでしょう。「殉教するために、何と素晴らしい心構えなのだろう!」と。その通りです。しかし、私たちはまだ子供でしたから、これを超えるようなことを少しも考えていませんでした。ジャシンタはダンスがとても好きで特別な素養がありました。

戦争に行った兄達の一人が戦死した知らせを受けた時、ジャシンタがどれほど悲しんで泣いていたかを、私は覚えています。私は彼女の気を紛らわせるために、ジャシンタの二人の兄弟と一緒にダンスをしました。ジャシンタは頬に流れる涙を拭きながらダンスをしました。

それほど、ダンスが好きで、一人の羊飼いの笛の音を聞くだけで、一人でダンスをしました。それにもかかわらず、カーニヴァルの時、或いは洗者聖ヨハネの祝日が来ても、こうつげました。
「私、もうダンスに行かないの。」
「何で行かないの?」
「だって、私たちの主にこの犠牲を捧げたいから。」

(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)10 家族の反対

2017年06月20日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


第一の手記

I. ジャシンタの性格



10. 家族の反対

その間、何が起こったかというニュースが広がっていました。母は心配し始めました。そこで私が言ったことを、私が否定するように、何が何でもそうさせようとしました。

ある日、羊と出かける前に、母は私が嘘を言っていると告白させようと決意していました。この目的のために、母は宥めたり脅したり、ホウキで叩いたり、全てをしました。これらを全てしても、母は私の沈黙しか受け取りませんでした。或いは、私がすでに行ったこと全てが本当だということしか聞きませんでした。母は私に羊を連れて行きなさいと言い、母が決してどんな子供にもどんな小さな嘘さえも許したことがない、しかもこの種の嘘は決して許さない、ということを一日中よく考えなさいと言いました。

母は、これから毎晩、私を連れて私がだました人々のところに、全て嘘だったと告白し謝りに行かせると警告しました。私は羊を連れて家を出ると、その日は私の小さな仲間はもう既に私を待っていました。私が泣いているのを見ると、彼らは走ってきて私に何が起こったのかを尋ねました。私は起こったことを全て言い、こう付け加えました。
「ねえ、私は何をしたら良いの?お母さんは、何でもかんでも、私が嘘ついてるって言わせたいの。私、どうしたら良い?」

するとフランシコはジャシンタに言いました。
「ほうらね!みんなおまえのせいだよ。なんでこの話をいっちゃったんたんだよ。」

かわいそうなこの子は涙を流して跪いて両手を合わせて私たちの赦しを乞い願いました。
「私が悪かったの」と涙を流して言いました。
「でも、もう決して誰にも言わないわ。」

司教様は、一体だれがジャシンタにこのような謙遜な態度を教えたのかと不思議に思われるかもしれません。私も分かりません。きっとジャシンタは、自分の兄たちや姉たちが聖体拝領に行く前に両親に赦しを乞うのを見たのでしょう。或いは、私の思うには、ジャシンタは聖母から聖寵のより大きな溢れをうけ、天主と聖徳のより良い知識を受けていたのでしょう。

小教区の主任司祭が後に私たちのところに質問するために送られてきましたが[注11]、ジャシンタは頭を下げていたので、ジャシンタから一言二言を言わせるのがやっとでした。外に出た後、私はジャシンタに聞きました。

[注11]1917年5月の終わりに主任司祭がした最初の尋問のこと。

「ねぇ、なんで神父様にお返事しなかったの?」
「だって、私、もう誰にも何もしゃべらないってあなたに約束したんだもん。」

ある日、ジャシンタは質問しました。
「罪人たちのために犠牲を捧げなければならないってあの貴婦人が私たちにおっしゃったって、なんで私たちは言っちゃだめなの?」
「そうしたら、人々はどんな犠牲を私たちがしているのかって尋ねないようになるから。」

私の母は、出来事が大きくなるにつれてますます怒ってきました。このために私が嘘をついたと告白させようと別の試みをしました。ある朝早く、母は私を呼んで、主任司祭のところに私を連れて行くと言いました。
「ルシアちゃん、着いたら跪いて神父様に嘘をつきました、って言って謝るのよ。」

私たちが叔母の家を過ぎ去ろうとすると、母は数分の間叔母の家の中に入りました。このチャンスにジャシンタに何が起ころうとしているのかを説明しました。すると私がカンカンに怒っているのを見て、涙を流してこう言いました。
「フランシスコを起こしに行ってくるわ。ルシアちゃんのために井戸のところで二人でお祈りするから。戻ってきたら、そこに来てね。私たちそこにいるから。」

私は戻るときに走って井戸のところまで行きました。二人が跪いて祈っていました。二人が私を見るやいなや、ジャシンタは私のところに走り寄って抱きついてこう言いました。

「ほぅらね!私たちは何も怖がってはダメよ!あの貴婦人が私たちをいつも助けて下さるから。あの方は私たちのとってもよいお友達なのだから!」
聖母が、私たちにイエズス様に私たちの犠牲を捧げることを教えてくれたあの日以来、苦しまなければならない何か、或いは犠牲をすると同意した何かがある時はいつでも、ジャシンタは尋ねました。
「ねぇ、イエズス様にこれはあなたへの愛のためですってもう言った?」

もしも私がまだ言ってないというと、ジャシンタはこう答えました。
「じゃあ、私がイエズス様に言うわ。」
両手を合わせて、ジャシンタは目を天にあげて言うのです。
「イエズス様!これは御身への愛のためです、そして罪人たちの回心のためです!」と。


(続く)

シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き)9 罪人の回心のため

2017年06月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008



第一の手記

I. ジャシンタの性格



9 罪人の回心

ジャシンタは、罪人の回心のために犠牲を捧げるというこのことを心に良く思い留めていました。そのためどんな小さな犠牲の機会も決して逃しませんでした。その当時、モニタ[注10] には、その子供たちが家から家へと物乞いをしてまわる二件の家族がありました。

[注10] その当時、御出現の場であるコヴァ・ダ・イリヤの北、約1キロのところにあった小さい村。

私たちはある日、私たちの羊と一緒に移動しているときに、この子たちと会いました。ジャシンタは彼らを見るやいなや、私たちにこう言いました。
「罪人たちの回心のために、私たちのお昼のお弁当をこのかわいそうな子供たちにあげようよ。」

そしてジャシンタはお弁当を彼らに持って行くために走りました。その午後、ジャシンタはお腹が減ったと私に言いました。近くにトキワガシの木や樫の木がありました。樫の木の実はまだとても青かったのですが、私はジャシンタにこれを食べることができると言いました。フランシスコはトキワガシに登ってポケットを木の実でいっぱいにしました。しかし、ジャシンタはその代わりに樫の木の実を食べることができると思い出して、苦い木の実を食べて犠牲を捧げようとしました。そこでその午後は、私たちはこの美味しい食事を!楽しみました。ジャシンタはこれをいつもの犠牲の一つとしました。そしてよく樫の木やオリーブの木から実を取っていました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃん、それ食べちゃダメよ。苦すぎるから!」
「でもね、苦いから私食べてるの。罪人の回心のために。」

私たちが断食したのは、このときだけではありませんでした。こんな貧しい子供たちと出会ったらいつでもこの子たちに私たちのお弁当をあげるという約束をしていたのです。子供たちはそのようなものをもらうのは、とても喜んでいました。そこで私たちとよく会おうとしました。この子たちは道ばたでよく私たちを待っていました。私たちといえば、彼らを見るやいなや、ジャシンタは彼らのところに走って行って、あたかもそれをジャシンタが全く必要としないかのように喜んで、私たちが持っていたその日の食べ物をみんな彼らにあげました。

そのような日は、私たちの唯一の栄養物は松の実です。それから黄色い花の草の根に実を付けるオリーブの実のサイズの小さな木の実やブラックベリー、マッシュルーム、あるいは松の木の根元に見つける他のものです。その名前をなんと言ったかもう今では思い出せません。もしも両親の庭にある果実があればそれも食べました。

ジャシンタの犠牲をしたいという渇きは、癒やすことができないように思えました。ある日、ある隣人が私の母に私たちの羊のためのよい牧草地を提供しました。それはとても遠いところにあり、真夏でした。極めて寛大な提供を母は受け入れ、私をそこへ送りました。母は私に、群れが行って飲むことができる池が近くにあるから、木陰で昼寝をするように、と言いつけました。道の途中、私たちは例の親愛なる貧しい子供たちにあいました。ジャシンタはいつもの施しを与えるために走りました。とても素晴らしい天気でしたが、太陽は燦然と輝き、乾いて、石だらけの、荒れ地でした。全てが太陽で焼け焦がれているかのように思われました。私たちは喉が渇き苦しみましたが、私たちが飲む水は一滴もありませんでした。最初は、寛大に罪人たちの回心のためにこの犠牲を捧げていましたが、お昼を過ぎるともう我慢できませんでした。

近くに家があったので、少し水をもらってくると仲間に提案しました。二人はこれに同意し、私は行ってドアを叩きました。背の低いお婆さんが水入れにいっぱいのお水をくれたばかりかパンもくれました。私は喜んでそれを頂きました。私は走って行って小さな仲間と分けるために戻りました。私が水入れをフランシスコに差し出して、飲むように言うと、
「僕、飲みたくない」と答えました。
「なんで?」
「罪人の回心のために、僕、苦しみたいから。」
「ジャシンタ、飲みな!」
「でも、私、罪人の回心のためにこの犠牲を捧げたいの。」

そこで私は水を岩の穴に注ぎました。羊が飲むことができるようにです。それから水入れを持ち主に返しに行きました。暑さはますます厳しくなりました。虫の鳴き声と近くの池の蛙の鳴き声とが混ざり合い、ほとんど我慢することができないほどでした。ジャシンタは体が弱いので、水と食べ物を摂らずにますます衰弱していました。私に、ジャシンタは生まれつきの単純さでこう言いました。
「虫とカエルに静かにしてちょうだいって言って。頭がきりきりするの。」

するとフランシスコはジャシンタにこう尋ねました。
「罪人たちのために、この苦しみを捧げたかったんじゃないの?」
かわいそうなジャシンタは、小さな手で頭を抑えながら、こう答えました。
「そうよ。捧げたいの。歌を歌いましょう。」


(続く)

1957年以降発表された35の論文のうちの27の論文で、中絶が乳癌に関与することが指摘されている

2017年06月18日 | プロライフ
今も無視されている中絶と乳癌の関連
医学論文の4件のうち3件は重大な因果関係を指摘している
Julie Foster(ジュリー・フォスター)」からの引用です。

英語は次で読めます。
Abortion-breast cancer link still ignored
3 out of 4 medical studies indicate significant cause and effect




1957年以降発表された35の論文のうちの27の論文で、中絶が乳癌に関与することが指摘されているにもかかわらず、『家族計画連盟』などの中絶賛成団体はそのような関連性が存在することを否定し続け、中絶手術を受けようと考えている人にその論文のことを知らせることを拒否しています。

カレン・マレック(Karen Malec)をリーダーとする、「ABC(Abortion-Breast Cancer:中絶:乳癌)連合」は、中絶提供者が概してその関連性について人々に知らせないので、そのことを人々に知らせる取り組みをしています。

「科学者は、この関連性を44年間研究し続けています。にもかかわらず女性たちがこれらの研究の存在を今まで知らされてこなかったことに私たちは大変驚いています。なぜ女性たちは自分たちの健康管理に関する議論から除外されているのでしょうか?私たちはこの重大な不公正を正すつもりです。」と彼女は話しました。

シカゴの「ABC連合」のボランティアは先月、中絶と乳癌の関連性についての研究のことを読者に知らせる冊子を配布しました。マレックは、中絶と乳癌の関連性を証明するほぼ半世紀にわたる研究にもかかわらず、「女性たちが依然として自分たちの健康管理に関する議論に加えられないでいること」に彼女のグループは驚いていると言っています。「このような情報が今まで女性たちに隠されてきたということには、弁解の余地はありません。」と彼女は話しました。

「7件のうち5件の研究で携帯電話と脳腫瘍の関連性が指摘されたとき、そのことが人々に知らされたにもかかわらず、なぜ女性たちは、20数件もの研究がこのいのちに関わる病気の危険要因としての中絶の関連性を指摘しているという情報を知る権利を与えられていないのでしょうか?悲惨なことに、この危険要因に対する、危険だと判断される基準が上げられたので、100人に1人は中絶による乳癌で死亡することになるでしょう。」とマレックは主張しました。

乳癌は生殖ホルモン、特にエストロゲンと関連があります。何が乳癌を引き起こすかはまだ科学によって特定されてはいませんが、女性が第一子を産むのが早いほど、乳癌発症の危険性は低くなるということは異議を唱えようのないことです。

『乳癌予防協会』の会長であり、いわゆる『ABC(Abortion-Breast Cancer)リンク(中絶と乳癌の関連性)』の研究の第一人者であるジョエル・ブリンド博土(Dr. Joel Brind)によると、女性のエストロゲンの値は妊娠するとすぐ通常の何百倍に増加し、妊娠した女性の身体の最初の変化のひとつが乳房に起こります。ホルモンの急増は、母体が生まれてくる赤ん坊のために母乳を作り出す準備をするために、乳房に「未分化」細胞を増加させることになります。未分化細胞は傷つきやすいのです。

妊娠の最終週には、それらの細胞はまだほとんど解明されていない過程を経て「最終的に分化」し、母乳を出す準備が整うのです。分化細胞は発癌物質の影響を受けません。しかしながら、もし万一妊娠が細胞の分化よりも早く終わってしまえば、女性の身体は未分化の細胞の数が異常に多い状態のままとなり乳癌の発症の危険性が増加することになるのです。

危険性増大の割合は、女性が思春期に達する年令と、最初の妊娠の年令と、中絶前の妊娠期間の長さに左右されます。ほとんどの研究で30%から100%まで、あるいはそれ以上危険性が増大することが明らかになっています。

ブリンド博土によると、自然発生的な中絶つまり流産は、一般的にはまずエストロゲンの不足によって起こるので、危険性の増加とは普通関係がありません。

ほとんどの避妊用ピルは、妊娠したときに起こるホルモン作用と同じホルモン作用を発生させることによって効果を発するので、ABCリンクの研究においてそれもまた乳癌の原因だとして疑われています。

『英国王立産科婦人科大学』は中絶提供者に向けて、ABCリンク研究を「無視することはできない」と警告するガイドラインを昨年の2000年3月13日に発表しました。その大学はブリンド博士によって1996年に行なわれた、世界中の研究の再調査を検証し、博士の研究は、「注意深く行われ」、「研究方法に重大な欠点はない」と発表しました。

そして今年の初めに、閉経後の女性に行なわれるエストロゲン補充療法薬(ERT)が発癌物質の全国リストに加えられました。ERTは、妊娠の際に女性の卵巣で自然に作られるエストロゲンとほぼ同じ化学物質です。乳癌の危険因子として知られているものの大多数は、エストロゲンの影響を過度に受けることと関連があります。

世界の最も有力な医学雑誌、『ニューイングランド医学ジャーナル』でさえ、密かにABCリンクについての姿勢を変え始めています。3年前、『ニューイングランド医学ジャーナル』は、中絶と乳癌の関連性を否定するデンマークの論文を発表しました。それはメルビー論文として知られていますが、その研究者たちは、「人工中絶が乳癌の危険性全体に与える影響は全くない」と結論づけました。また、女性が中絶を考えるとき、「乳癌の危険性を心配する必要はない。」と断言する国立癌協会の疫学者による論説も、『ニューイングランド医学ジャーナル』に掲載されました。

しかし、ペンシルバニア医科大学のカトリーナ・アームストロングを中心とする研究者たちによる『乳癌の危険性の査定』と題した咋年の記事の中で、次のような見解が述べられました。それは、「ダイエットや経口避妊薬の使用、授乳、中絶といった他の危険因子は、乳癌との関連性における一貫性が少ない」というものでした。大々的な宣言では決してありませんが、その発表は、その雑誌が以前とっていた姿勢からの大きな転換を表しています。

しかし、中絶や避妊薬の使用が乳癌を引き起こす危険性があるという明白な証拠があるにもかかわらず、収益性の高い中絶産業はいかなる関連性も存在しないと否定し続けています。ブリンド博士や他の研究者が行なった研究の信頼性を攻撃して、中絶擁護団体はその問題に関して科学者の見解は一致していないと主張し、患者たちは乳癌の危険はないと教えられているのです。

『家族計画連盟ロサンゼルス支部』の代表、ナンシー・L・ササキは次のように述べています。「『家族計画連盟』の見解は、中絶によって健康にもたらされる実証された危険はないというものです。人工中絶と乳癌の関連性は、その安全性にもかかわらず中絶に反対している人々が唱えている理論なのです。その理論は研究によって生み出されたものではありません。『家族計画連盟』は、女性は病気の危険性に影響するすべての要因についての情報を手に入れることができるべきだと信じていますが、『家族計画連盟ロサンゼルス支部』はまた、女性には医学的に実証され、政治的な問題に染まっていない情報を受ける価値があると信じているのです。研究者たちが、乳癌と中絶に関して一致した見解を持つには至っていないので、『家族計画連盟』は、その要因(中絶)だけが原因だと断定できるだけの現在実証済みの健康への危険性はないと、妊娠を終わらせようと考えている女性たちにアドバイスしているのです。」

中絶と乳癌の関連性を女性たちに教えることに関わっているマレックや他の人々は、中絶支持者には女性たちに知らせないでおく政治的な動機があると言います。もしABCリンクについての情報が広く認識されれば、『安全な』中絶という神話が修復できないほどダメージを被るかもしれないのです。

「我々の組織は、女性のために中絶反対の立場をとっています。残念ながら、この政治的に間違った情報のこととなると、誰もが女性の健康を第一には考えているわけではないのです。」とマレックは断言しました。


For Your Information

次の記事「堕胎と乳がんとの関係がある証拠はもっとある」も参考にして下さい。
More evidence linking abortion, breast cancer
Planned Parenthood, other advocates deny any connection despite studies

これによると、クリス・カレンボーン医学博士(Chris Kahlenborn, M.D.)の6年間に亘る堕胎と乳がんとの関連性の研究書が発表されています。
Breast cancer: Its link to abortion and the birth control pill”です。

カレンボーン医学博士によると、若いときに堕胎や避妊薬を体験すると、乳がんの危険性が大きくなります。

  もしも女性が最初の完全な妊娠出産の前に堕胎をすると、乳がんになる危険が少なくとも50%増加する。
  女性が最初の子供が生まれる前に避妊薬を飲むと、乳がんになる危険が少なくとも50%増加する。
  女性が最初の子供が生まれる前に避妊薬を4年以上飲むと、乳がんになる危険が少なくとも72%増加する。

さらに、アミー・ソビー及びデビッド・リアドンの「思春期の中絶の有害な影響」
Detrimental Effects of Adolescent Abortion
By Amy R. Sobie and David C. Reardon, Ph.D.

によれば、

ある程度の年齢に達して中絶をした女性と比較して、10代で中絶をした女性は、中絶と関係のあるより深刻な精神的外傷を受けたという場合が極めて多い。

大人になって中絶をした女性と比較して、10代で中絶をした女性は、

自殺をする可能性が2~4倍高い。(7)
精神的な問題を発症しやすい。(8)
人間関係に問題を生じやすい。(9)
一般的に、中絶に関するカウンセリングとガイダンスの必要性が高い。(10)
普通の女性より、精神病院に入院する可能性が約3倍高い。(11)

(7) M. Gissler, et. al., “Suicides after pregnancy in Finland: 1987-94: register linkage study,” British Medical Journal, 313:1431-1434, 1996; and N. Campbell, et al., “Abortion in Adolescence,” Adolescence, 23:813-823, 1988.
(8) W. Franz and D. Reardon, op. cit..
(9) J. Marecek, “Consequences of Adolescent Childbearing and Abortion,” in G. Melton (ed.), Adolescent Abortion: Psychological & Legal Issues (Lincoln, NE: University of Nebraska Press 1986) 96-115.
(10) J. Gold, “Adolescents and Abortion,” in N. Stotland (ed.), Psychiatric Aspects of Abortion (Washington, DC: American Psychiatric Press, 1989) 187-195.
(11) R. Somers, “Risk of Admission to Psychiatric Institutions Among Danish Women who Experienced Induced Abortion: An Analysis Based on National Report Linkage,” (Ph.D. Dissertation, Los Angeles: University of California, 1979. Dissertation Abstracts International, Public Health 2621-B, Order No. 7926066)

以上の事実と研究は、あまりにも知られていないので、拡散をお願いします。

聖母の悲しみを称えるために、なぜ5回の初土曜日なのか?

2017年06月17日 | ファチマ
以下は、「マリアの汚れなき御心と霊魂の救い」からの引用です。



トゥイ:1930年5月29日-30日の啓示


シスター・ルシアはこのときトゥイの修道院にいました。

彼女の霊的指導司祭ゴンサルヴェス神父は書面でいくつかの質問を彼女にしましたが、その四つ目の質問は次のようなものでした。「聖母の悲しみを称えるために、なぜ5回の初土曜日なのですか、なぜ9回あるいは7回ではないのですか?」

その同じ夜、シスター・ルシアは主に、この質問に対する答えを願いました。この日の夜、いつものように聖時間の祈りをしているときに、この点に関して主から次の啓示を受けました。

「わが娘よ、その答えは簡単です。マリアの汚れなき御心に対して犯される5種類の罪と冒涜があります。

1.汚れなき御孕りを否定する冒涜。
2.聖母の童貞性を否定する冒涜。
3.聖母が天主の御母であることを否定する冒涜。同時に聖母が人々の御母であることを拒否する冒涜。
4.子どもたちの心の中にこの汚れなき御母に対する無関心あるいは軽蔑、あるいは憎しみをさえ植えつけることをねらう人々の冒涜。
5.聖母の御像や御影(ごえい)において聖母を直接侮辱する人々の罪。

ここに、わが娘よ、マリアの汚れなき御心がこの小さな償いの業を私に思いつかせた理由があります。」

初土曜日の信心の5つの条件と償いの意向

2017年06月16日 | ファチマ
以下は、「マリアの汚れなき御心と霊魂の救い」からの引用です。



大いなる約束と6つの条件


聖母マリアの汚れなき御心に対する信心は人間にとって最も大切な永遠の救いが成就されるか否かを決定する臨終に際しての決定的な援助を約束しています。

初土曜日の信心には5つの条件とこの5つの条件を満たす際に必要な一般的意向が要求されます。

1)5ヶ月続けて初土曜日にミサに与ること

初土曜日の信心はそれ以前からも行われていましたが、初めのうちは15ヶ月続けて行うことが一般的でした。1889年には教皇レオ13世はこの信心を実行する人に全贖宥という特権を与えました。聖ピオ10世は12ヶ月の初土曜日の信心を公式に認め、それを実行する人に全贖宥を与えています。条件は告悔、聖体拝領、教皇の意向のための祈り、でした。1912年6月13日に同じピオ10世はポンテヴェドラを予告するかのように、「神の御母、汚れなきマリアに対する信者の信心を促進し、不敬虔な人々によってマリアの御名と特権に対して犯された侮辱に対する償いをするために、初土曜日の信心に対して全贖宥を認め、これを煉獄の霊魂にも適用できるとされました。条件は告悔、聖体拝領、教皇の意向のための祈り、汚れなきおとめを称えて償いの精神で敬虔に信心を行うことでした。」1920年11月13日教皇ベネディクト15世は8ヶ月の初土曜日信心に対して新しい贖宥を与えることを認めました。このような伝統を持つマリア信心を私たち弱い人間にもっと容易なものとすることをポンテヴェドラで聖母は約束なさったのです。


2)その間毎月一度告悔の秘蹟を受けること

イエズスがルシアにお答えになったように、告悔は初土曜日当日にしなければならないわけではありません。もちろん、初土曜日になるべく近い日にすることが勧められますが、毎月1回告悔の秘蹟を受ければよいのです。


3)償いの聖体拝領をすること

償いの聖体拝領は償いの信心の中で最も重要なものです。フレール・ミッシェルはその意味と重大さを理解するためには1916年秋の天使による三人の子どもたちの聖体拝領を考えるべきだと言っています。また、パレ・ル・モニアルでの聖心によって要求された9ヶ月の初金曜日での聖体拝領との関連も考えられます。土曜日にミサに与り、聖体拝領ができない場合には、司祭の許可を得るという条件で(個人が勝手に決めてはならない)、日曜日に代えることができます。


4)毎日ロザリオの祈りを唱えること

1917年の御出現では毎回聖母は毎日ロザリオを唱えることを人々にお求めになりました。これはマリアの汚れなき御心に対して犯される侮辱に対する償いのためです。


5)ロザリオの15玄義を15分間黙想すること

ロザリオを唱えることに加えて、聖母はロザリオの15の玄義を15分間黙想することを求めておられます。これは1玄義を15分間ずつというのではなく、全部で15分間ということですから、簡単にできることです。


6)マリアの汚れなき御心の侮辱に対する償いという意向を入れること

この一般的な意向がないならば、上に挙げた5つの行いは無意味になります。聖母が示された棘に取り巻かれた汚れなき御心は罪人たちの冒涜と忘恩が棘のように聖母の御心を苦しめていることを示しています。聖母の御心を慰めるということは私たちの愛と償いの行為によって聖母の御心からそれらの棘を取る去ることを意味しています。