ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 3. 犠牲の仲間たち

2018年02月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


3. 犠牲の仲間たち

これらの天から送られた「抱擁」はジャシンタとフランシスコには滅多に届きませんでした。何故なら、ジャシンタとフランシスコの両親は誰にも子供たちに手をかけることを許さなかったからです。けれども二人は、私が苦しんでいるのを見たときには苦しみました。そして私が苦悩しているとか屈辱を受けているのを見ると何時でも、彼らのほほには何度も涙が流れました。

ある日ジャシンタは私にこう言いました。
「私のお父さんとお母さんがルシアのお父さんとお母さんのきょうだったら良いのになぁ!そうだったら私も殴られていたのに。そしたら私たちの主にもっと多くの犠牲を捧げる事ができていたのに。」

しかしジャシンタはほとんどの機会をとらえて自己犠牲する方法をよく知っていました。また時々、私たちは、九日間、あるいは一か月間、飲み物をいただかずに天主に犠牲を捧げる習慣がありました。一度、八月の窒息しそうな暑さの時でさえも私たちはこの犠牲をしました。

ある日コヴァ・ダ・イリヤへロザリオを唱えに行って帰宅の途中、道の脇にある池に来ました。ジャシンタは私にこう言いました。
「あぁ、喉がすごく渇いちゃった。頭もとっても痛いの!この水をちょっとだけ飲みに行くね。」と。
「あの水はだめよ」と私は答えました。「お母さんがこれ飲んじゃだめだって。この水は飲めないからって。マリア・ドス・アンジョスさんのところへ行ってちょっと水をもらいましょう。」
(マリア・ドス・アンジョスは私たち隣人で、最近結婚して近くの小さな家に住んでしました。)
「いや。きれいな水は欲しくない。これを飲みたいの。だって喉が渇いているのをイエズス様に御捧げする代わりに、この汚い水を飲む犠牲を御捧げすることができるから。」
事実、この水は不衛生でした。人々はこの水で洗濯をし、家畜がここに来てこの水を飲み、その中を歩いて渡ります。そんなわけで母は子供たちにこの水を飲まないように言い聞かせていました。

またある時、ジャシンタはこういいもします。
「私たちの主は私たちの犠牲に喜んでいらっしゃるに違いないわ。だって私はすごく喉が渇いているんだから。とっても喉が渇いてるの。でも何も飲みたくないわ。私はイエズス様を愛するために苦しみたいの。」

ある日私たちが、叔父の家の玄関口に座っていたとき、何人かの人が近づいて来るのに気が付きました。それ以外のことをする時間がなかったので、フランシスコと私は家の中に走ってベッドの下に隠れました。フランシスコは一つの部屋に隠れて、私は別の部屋に行きました。ジャシンタはこういいました。
「私は隠れない。私はこの犠牲を私たちの主に捧げるの。」

人々はやって来てジャシンタと話しました。私が見つかるまでかなり長時間待っていたのですが、ついにかれらが立ち去りました。私はかくれ場から出て、ジャシンタに言いました。
「あの人たちが、私たちがどこにいるかの知っているか聞いてきたとき、なんて答えたの?」
「私、何も言わなかったの。頭を下げてうつ向いて、地面を見つめて、黙っていたの。ほんとうのことを言いたくないとき、私いつもそうするのよ。私、嘘なんか言いたくないの。だって嘘は罪だから。」

ジャシンタは本当にこれをすることに慣れていました。その時、何を質問しても無駄でした。何故なら質問しても如何なる答えも得られなかったからです。もしも逃げることが少しでもできたなら、私たちはこの種の質問を受ける犠牲を捧げるのは、普通はあまり好みませんでした。

ある別の日、私たちは従妹の家のそばの道に木陰を作る二本のイチジクの木陰に座っていました。フランシスコは少し離れて遊び始めました。すると婦人たちが私たちの方に来るのを見て私たちにすぐ知らせに来ました。私たちはすぐにイチジクの木に登りました。その当時は、麦をふるい分ける蓑のような大きな縁の帽子をかぶるのが流行でした。ですからそのようなものを[婦人たちが]頭に付けているなら、婦人たちは上にいる私たちのことに気がつかないだろうと私たちは確信していました。彼女たちが通りすぎるとできるだけ急いで降りて、トウモロコシの畑の中へかくれました。

私たちがしたできるときは何時でも逃げるというこの習慣は、主任司祭の不平の原因ともなりました。主任司祭は、私たちが特に司祭たちを避けるためにも使ったやり方に不平を言いました。主任神父様は確かに正しかったのです。私たちに極めて厳格な尋問を課して、しかも何度も同じ質問をしに戻ってきたのは、特に司祭たちでした。私たちが神父様の前へいるときは何時でも、天主に私たちの最大の犠牲の一つを捧げる決意をしていました。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs) Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 2. ルシアと小教区の主任司祭

2018年01月31日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


2. ルチアと小教区の主任司祭

その当時、小教区の主任司祭は荘厳聖体拝領の儀式のために子供たちの準備を始めていました。6歳から私は毎年荘厳聖体拝領の儀式を繰り返していました。しかしこの年は、母は私がそれをしないことを決定しました。そのために公教要理のクラスに出ませんでした。放課後、他の子供たちは主任司祭のベランダに行き、私は家に帰って縫ったり糸を紡んだりしていました。

良い主任司祭は、私が公教要理の授業を欠席するのをよく思いませんでした。ある日、学校から帰宅しようとした時、主任司祭の姉がある一人の子どもを私の後に送りました。この女の子は、アルジュストレルへの道で、「カタツムリ」というあだ名のあるかわいそうな人の家の近くで私に追いついて、神父様のお姉さんが私に話があるからすぐ司祭館へ引き返すように、と言いました。

私はまた何か質問されると思ったので、「すみません、母が学校からまっすぐ家へ帰るようにと命令したの」言って、気が狂ったかのように畑を横切り、誰も私をみつけないように隠れ場を探しました。

けれどもこのことで私はひどい目に合いました。数日の後、小教区に大きな祝日があって、近所の数人の司祭がミサの聖歌を歌うために集まりました。ミサが終わってから、主任司祭は私を呼んで、私が公教要理の勉強に与らなかったこと、自分の姉が来るように私を呼んでも来なかったことを、みんなの司祭の前で厳しく叱りました。つづめていえば、私はすべての過失と失敗が、明らかにされたのです。このおしかりの言葉はかなり長い間続きました。
ついに、どうやってかはわかりませんが、一人の聖なる司祭が現れて、私の弁明をしてくれました。この神父様は私を弁解しようと、「多分、母親が許さなかったかもしれません」と言いました。すると、良い主任司祭は、こう答えました。
「この子の母親ね!何故?この子の母親は聖女だよ!でもこの子について、どんな子になるか見てみないとね!」
その時、私を弁護してくれた良き司祭は、後にトレス・ノヴァスの司祭になった方ですが、極めて優しく私に、どうして公教要理へ行かなかったのかと尋ねたので、私は母がそう決めたからです、と答えました。彼は私の言葉を信じなかったようです。聖堂のところにいた姉のグロリアを呼び、このことについての真理を見極めようとしました。
私が言ったのと同じことを聞き出して、神父様はこう言いました。
「それなら分かりました!この女の子は、初聖体の日まで残っている日に公教要理に来て、その後で私のところに告解に来なさい、そして他の子供たちと共に荘厳聖体拝領をしなさい。さもなければ、この子は、この小教区では二度と聖体拝領をゆるしません!」
姉がこの提案を聞くと、姉は私が姉たちと荘厳聖体拝領の五日前に別のところに行くことになっていること、司祭が言ったようなことは極めて都合が悪いことを指摘しました。姉は更にこう付け加えました。
「もしも神父様がそうお望みならば、私たちは別のところに行く数日前に、ルチアが告白と聖体拝領をすることができますが」と。良い神父様はこの願いに注意を払わず、自分の決定を変えませんでした。
私たちは家へ帰ると、母に全部を話しました。母も神父様のところに行って、別の日にルチアの告白を聞き、御聖体を授けて下さるように願いに行きました。しかし、全ては無駄でした。
そこで母は、小教区の荘厳聖体拝領の日が終わってから兄が私と一緒に移動することを決断しました。丘と小山で起伏の激しい極めて悪い道のりのため難しい長距離の道のりにもかかわらず、この決定がありました。
私は、主任司祭の所で告白することを考えただけでも、恐れて汗を流していたと思います!私はとても嫌で大声で泣きました。
荘厳聖体拝領の前日、主任司祭は、告白のためにすべての子供たちを教会へ呼びました。私も行きましたが、苦しみは私の心をとらえました。教会へ入ったとき、数人の司祭が告解を聞いているのを見ました。リスボンから来たクルズ神父様が入口のそばにいました。私は神父様と以前話したことがあり、神父様のことが大変好きでした。

主任司祭が教会の真中の開け放しの告解場で告解を聞いていたことに気がつかず、私は自分でこう考えました。「まずクルズ神父様に告白をして、私が何をしたらよいかを尋ねよう、それから主任司祭の所へ行こう」と。クルス神父様は私をとても親切に迎えてくれました。私の告解を聞いた後、いくつかのアドバイスをくださり、もしも私が主任司祭のもとで告白したくないのなら、そうしなくてもいい、このようなことのために主任司祭は私に聖体拝領を拒むことができない、とおっしゃってくれました。私はこのアドバイスを聞いてとても喜び輝き、償いをとなえました。そこで、私は教会からすぐに逃げて帰りました。誰から私を呼び戻そうとするのを恐れからです。翌日、白衣を着て教会へ行きました。聖体拝領を拒絶されるのを、まだおそれていました。
しかし、神父様は、荘厳聖体拝領の式が終わってから、別の司祭に私が告白しにいったという不従順のことをよく知っていると私に指摘することで満足しました。

このよい司祭は、聖母ご出現の出来事について、ますます不満を抱きどうして良いか分からなくなりました。そのうちに彼は他の小教区へ転任しました。神父様が私のせいで転任したという噂が広がりました。[注30] 何故なら神父様は聖母御出現の出来事の責任を取りたくなかったから、と。彼は熱心な司祭であり、小教区民に大変愛されていたので、その結果、私はとても苦しみました。

何人かの敬虔な婦人たちは、私に会うといつでも、、私を罵って自分たちの不愉快さを見せつけました。そして時々、私が道で歩いていると、握りこぶしで打ったり、足で蹴ったりしました。

[注30] これが転任の理由ではなかった。むしろ、教会の再建のために自分の小教区のある信者らと困難さがあったためだった。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  III. 御出現の後で 1. ルシアは学校に通う

2018年01月30日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

III. 御出現の後で


1. ルシアは学校に通う

あらまあ、みんなの使う表現で言うと、私はリズムも理由もなくここに書き留めています。しかも私が言わなければならなかったいろいろなことを既に抜かしています。でも、司教様が私におっしゃったとおり私は書いています。つまり、私が思い出すことを全て単純に書き留めなさい、と。それが私のしたいことです。順序やスタイルを気にせずにそうします。そうすることで私の従順がより完全になると思います。従って私たちの主と聖母の汚れなき御心により気に入るものとなります。

そこで、私は両親の家のことに戻りましょう。司教様、すでに私は母が私たちの羊の群れを売り払わなければならなかったということをお話ししました。私たちはただ3頭の羊だけをそのまま飼っていました。これらを私たちが野原に行くときに一緒に連れて行きました。私たちが家にいるときはいつでも小屋に入れてそこで餌を与えました。母は私を学校に行かせました。私の自由時間には母は私が糸紡ぎと裁縫を学ぶことを望みました。こうして私は家に安全にいて、私を探しまわす時間を無駄にする必要がありませんでした。ある天気の良い日、姉たちは、私に他の女の子たちと一緒に行って、ペ・デ・カン(Pé de Cão)[注29] の裕福な人のブドウ畑の手伝いをするように頼みました。母は私も行くのであるならば他の姉たちも行かせることを決断しました。すでに申し上げたとおり、母は姉たちが私を連れて行かないならばどこにも行くことを許しませんでした。

[注29] この所有地はトレス・ノヴァスの近くにあり、技師のマリオ・ゴディニョ(Mário Godinho)の所有であった。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 17. 司祭たちに尋ねられて

2018年01月26日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現



ファウスティノ神父

17. 司祭たちに尋ねられて

ジャシンタについて既に書いた中で、私はすでに司教様に、二人の聖なる司祭たちがやって来て私たちに教皇聖下について話をして、どれほどお祈りが必要であるかを教えてくださったことをお話ししました。

その時以来、私たちが天主に捧げる祈りや犠牲には、「教皇聖下のため」という呼びかけが入らないことはありませんでした。私たちは教皇様を愛するように、極めて深く成長しましたので、ある日小教区の主任司祭が母に、おそらく私はローマに行って教皇聖下によって尋問を受けなければならないだろう、と言った時、私は手を叩いて喜び、ジャシンタたちにこう言いました。「教皇様のところに行ってお目にかかることができたら、なんてすてきじゃない?」

二人は涙を流してこう言いました。「私たちは行けない。でもこの犠牲を教皇様のために捧げることはできる。」

主任司祭は最後に私に質問しました。[注24] 質問は、約束の日時にしっかりと終わりました。しかし神父様はこの出来事についてなんと言ったら良いのか分かりませんでした。神父様はご自分の不快を見せ始めもしました。

[注24] この主任司祭の貴重なレポートを私たちは手にしている。同じ出来事は、質問を受けるたびに起こった。

「どうして、あの人々がすべてあんなに砂漠のようなところに行ってひれ伏して祈るのだ?ここには、御聖櫃に置いて私たちの祭壇の生ける天主が、まったく一人ぼっちにされて、見捨てられているのに! あのトキワガシの木の下に、何の目的もなく彼らはお金を残すが、あのお金は一体全て何のためなのか?教会は、修理中なのに、お金がないために、修理工事を完成することが出来ないというのに!」[注25]

[注25] この時期の文書によると、この司祭がこの小教区を去った理由の一つが教会の修理ために直面した困難のためだったことを示している。

主任司祭が何故このようにおっしゃったのか私にはよく分かりましたが、私に何をする事ができたでしょう! もしも私にこれらの人々の心の上に権威を持っていたとしたら、私は確かに彼らを小教区教会へ導いたことでしょう。しかし私にはその権威が無かったので、またもう一つの犠牲を天主にささげました。

いろいろ質問を受ける間、ジャシンタは頭を下げて目を地面に向けてうつむき、ほとんどひと言も話そうとしないのが常だったので、いつも私が巡礼者らの好奇心を満足させるために呼ばれました。それが理由で、私は常に司祭館へ呼ばれました。あるとき、トレス・ノヴァスから私に質問をするために一人の司祭が来ました。[注26] 神父様が質問したとき、余りにも細かいことを質問し、私から聞きだそうとあまりにも一生懸命に試みたので、その後に私は神父様に秘密の内容を漏らさなかったかと心配して小心になりました。

[注26] 教会参事会員のフェレイラ神父(Canon Ferreira)、当時トレス・ノヴァスの司祭であり、ある日、自分がしつこく質問した一人であったと告白した。

私は従兄妹たちと相談しました。私は尋ねました。
「〈聖母が私たちに何か別なことを話しましたか〉と聞かれた時、全てを言わないのは、私たちは悪いことをしているのかしら。私たちが聖母は私たちに秘密を話しましたと言う時、その他の事について何も言わないのは、嘘を言っていることになるのかしら。」

「分からないわ。ルシアちゃん次第よ!私たちが何も話さないように望んだのは、ルシアちゃんよ。」とジャシンタが答えました。

「もちろん、ジャシンタちゃんが何か言うことは望まないわ。だって、みんな私たちがどんな苦行をしているのかって聞くことから始めるんだもの! しかもそんなのは他のと比べたら何でも無いわ。ねぇ!もしもあなたが静かにしていたら、それからひと言も言わなかったら、今ごろ誰ひとりも私たちが聖母を見たこととか、聖母とお話ししたこととか、天使に話をしたことなんて知らなかったわ。誰もそのことを知る必要なんて無かったのよ!」

かわいそうなこの子は、私の言葉を聞くやいなや泣き始めました。ちょうど五月にそうしたように、ジャシンタの生涯についての私の報告にすでに書いたように私の赦しを求めました。そこで私は小心のまま残りました。私の疑いをどのように解決すべきか何も分かりませんでした。

しばらくの後に、もう一人別の司祭が来ました。彼はサンタレムからの司祭でした。私が先に話したばかりの最初の司祭の兄弟であるかのようでした。というか、少なくとも二人は一緒に練習をしてきたかのようでした。同じ質問を氏、私を困らせる同じ試みをしました。同じやり方で笑って、私のことを笑いました。二人の身長も体つきもほとんど同じでした。この質問の後で、私の疑惑はますます強くなり、どんな行動をとるべきか全くわからなくなってしまいました。私は、私たちの主と聖母に私が何をすべきか教えて欲しいと絶え間なく祈りました。
「我が天主よ、我が愛する天のお母様、私がうそをついて御身を侮辱することを望んでいないことはよくご存じです。けれども、御身が私に教えて下さったすべてを、皆に言うのはよくないと御身はよく御存じです!」

この困惑のただ中で、私はオリヴァル町の補佐司祭 [注27] に話す幸せを得ました。
[注27] これはファウスティノ神父(Faustino)であった。

なぜだか分かりませんが、この神父様は私に信頼の念を起こさせてくれ、私は彼に自分の疑いを打ち明けました。この神父様がわたしたちの秘密をどうやって守るかを教えてくれたかについては、私はすでにジャシンタについての報告において説明しました。彼は、霊的生活についてさらにいくつかの教えを下さいました。とりわけ神父様は私たちに全てのことについて私たちの主をお喜ばせすること、数え切れないほどの小さな犠牲をどうやって主に御捧げするか、を教えてくれました。

「我が子らよ、もしも何かを食べたいと感じるなら、それをさしおいて、その代わりに他のものを食べなさい。そうやって天主に犠牲をささげなさい。もし遊びたいなと感じたら、それをせずに、別の犠牲を天主に捧げなさい。人々から質問を受ける時、その質問に答えることを避けられないなら、天主がそれをそのように望んでおられるのです。この犠牲をも天主に捧げなさい。」

この聖なる司祭は、私が本当に理解できる言葉で話して下さいました。私はこの神父様のことが大好きになりました。

そのときから、神父様は私の霊魂を決して見失うことがありませんでした。
度々私を訪ねたり、あるいは、オリヴァルの近くの小さい家に住んでいた敬虔な未亡人エミリアさん[注28]を通して私と会ったりしていました。エミリアさんはとても熱心な方で、頻繁にコヴァ・ダ・イリヤへ祈りに行きました。その後エミリアさんは私たちの家に来て、私が彼女と一緒に行って数日過ごすことを頼みました。

[注28] この場所はソウタリア Soutaria と呼ばれている。エミリアさんの家は今では聖堂として再建されている。

その時私たちは補佐神父様を訪問し、神父様は妹さんの一人といっしょに二、三日をすごすように私を招きました。そんな時、神父様は長い時間私と一緒に時を過ごすほど忍耐深くいらっしゃいました。私に徳をおさめる道を教えたり、ご自身の賢明な勧めで私を導いたりして下さいました。私はその当時、霊的指導について何も理解していなかったにもかかわらず、神父様が私の最初の霊的指導者だったと本当に言うことができます。そこで、私はこの聖なる司祭の感謝に満ちた聖なる思い出を保っております。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 16. 10月13日

2018年01月25日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記
II. 御出現



16. 10月13日

さて、司教様、私たちは10月13日になりました。司教様は、この日に起こった出来事を既に全部ご存知です。このご出現の時に、聖母がおっしゃった全ての言葉のうちで、私の心に深く刻みつけられたのは、私たちの天の母がなさったこのお願いの言葉でした。
「私たちの主なる天主をもはや侮辱してはなりません。何故なら、主はすでにあまりにも多く侮辱されているからです!」

それは、なんという愛に満ちた、なんと優しい懇願でしょうか!願わくは誰かが、私にこの言葉を全世界にこだまさせてくれることができますように!
それは天国の私たちの聖母の全ての子供たちが、聖母の声を聞くことができるためです!
あの噂が広がっていました。それによると、当局は私たちのすぐ近くで、御出現のその時に、爆弾を破裂させるとのことでした。これを私は恐ろしいと少しも思いませんでした。私はこのことを従姉妹たちに話しました。
「なんて、すてきなことでしょう!」と私たちは叫びました。
「あそこから、聖母マリアさまと一緒に天国に行くお恵みが私たちに与えられるなら、素晴らしい!」
両親は、しかしながら、非常に心配して、初めて私と一緒に行きたいと思いこう言いました。
「もしも娘が死ぬのならば、私たちも娘の側で死にたい」と。
父はそこで私の手を握って御出現のところまで連れて行きました。しかし、ご出現のその時から、私がその晩に家に戻って家族と一緒になるまで、私は父を一度も見ませんでした。

その日の午後は、私はジャシンタとフランシスコと一緒に過ごしました。私たちは、群衆が見て観察したいと思った見せもののようでした。その夜になると、たくさんの質問や尋問を受けて、本当に疲れました。

夜になっても、質問はまだ終わりませんでした。ある人は、私に質問することができなかったので、翌日まで、自分の順番を待っていました。その夜に私に話しかけようと試みた人々さえいました。しかし、私は疲労に負けて、床に眠り込んでしまいました。天主に感謝!まだその時分は、世間体とか自己愛というものを知りませんでした。そのために、私が両親と一緒にいたかのように、誰に対しても緊張することはありませんでした。

その翌日、いえ正確に言うと、その後数日も、人々の質問は続きました。ほとんど毎日、その時以来、人々はコヴァ・ダ・イリヤへ行き、私たちの天の母のご保護を乞い願いました。皆は聖母を見た者である私たちを、見たいと思いました。それは、彼らに質問をして、彼らと一緒にロザリオを唱えるためでした。あるときは、私は毎日、何度も何度も同じことを繰り返して話し、また祈るのに、とても疲れました。そこで、何かの良いわけを見つけて、お詫びして逃れようとしました。

けれども、これらの可哀想な方々は、あまりに願ったので、彼らを満足させるために努力をしなければなりませんでした。実に大変な努力をしなければなりませんでした。

そこで、私はいつもの祈りを心の奥底から繰り返し唱えました。「わが天主よ、御身を愛するため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うため、罪人の回心のため、教皇様のためにこれを捧げます!」と。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 15. 背の高い訪問者

2017年10月20日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


15. 背の高い訪問者

もしも私の間違いでないなら、この月の間に、或る一人の若者が私の家に来ました [注23] 。彼は背があまりに高かったので、私は恐れで震えました。その人が私を探して玄関をくぐって入るのに身をかがめなければならなかったのを見たとき、私はこの人はドイツ人に違いないと思いました。当時、戦争の時だったので、大人たちは子供たちを怖がらせようとして、「ほら、ドイツ人がおまえたちを殺しに来るぞ!」とよく言っていました。

[注23] これは1917年9月8日にカルロス・デ・アゼヴェド・メンデス博士(Dr. Carlos de Azevedo Mendes)の訪問のことである。

それで、私の最期の時が来たと思いました。その若い人は、私が恐れているのに気づいたので、私を落ち着かせようとし、彼の膝の上に座らせ、大変親切に私に質問しました。彼の質問が終わると、彼は母に、私が彼に御出現の場所を見せてくれ、そこで彼と一緒に祈るのを許して欲しいと頼みました。彼は希望した許しを受けて、私たちは出かけました。しかし、道すがら、私はたった一人っきりでこの見知らぬ人と一緒でしたので、ずっと震えていました。その時、もしも私を殺したなら、私は私たちの主と聖母を見に行くことだろう、という考えが起こり、また安心するようになりました。

コヴァ・ダ・イリヤの御出現の場所について、彼はひざまずき、自分が強く望んでいる特別な恵みを聖母から受けるために、彼と一緒にロザリオを一緒に唱えてくれと私に願いました。その恵みとは、ある若い女性が彼と一緒に婚姻の秘蹟を受けることを同意するということでした。私はそのような要求を聞いて不思議に思い、自分でこう考えました。
「もし相手の女性が、私が彼を恐れているように彼を恐れるなら、彼女は決して"はい"とは言わないわ!」

ロザリオが終わると、この良い青年は私を家の近くまで送り、お友達にするようなさようならをして、私にもう一度彼の意向で祈ることを頼みました。私は、彼がまた振り返って私を探して来るのではないかとまだ恐れながら、叔母の家へ、大急ぎで飛び込みました。私が驚いたことには、10月13日に、御出現の後に、私は突然、他の人々の頭よりも高くこの同じ人に抱き上げられたのでした。これは、私を見たがった群衆の好奇心を満足させるのに役立ちました。

間もなくこの良い青年は、(人混みの中で)自分がどこに足を置くのか見ることができずにつまずいて転びました。私はたおませんでした。私の周りに押し寄せる群衆に捕まえられたからです。すぐに他の人々が私を抱き上げ、この青年は消えてしまいました。彼はまた現れたのは、ずっとしばらく経った後のことでしたが、その時は、上に書いた女性と一緒でした。この女性は、今や、彼の妻となっていました!彼はこの受けた恵みを聖母に感謝するために、自分たちの将来を聖母が豊かに祝福してくださるように求めに、ここに来たのでした。この青年は、現在ではトレス・ノヴァスのカルロス・メンデス博士です。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 14. ルシアの犠牲の精神

2017年10月19日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


14. ルシアの犠牲の精神

ある日、ある隣人の婦人が(一体どうしてそう言ったのか理由は分からないのですが)、誰か(uns Senhores)が私に、いくらだったのかもう忘れましたがある金額のお金をあげた、と言いました。それだけなのですが、母は私を呼びつけてこのお金がどこにあるのかと尋ねました。私はお金を受けたことがないと言ったのですが、母はそれでも私がそのお金を差し出すことを望みました。そのために母は箒の柄をつかみました。私の服の埃が十分に打ち出されたころ、姉のカロリナが、ヴィルジニアという名前の隣の女の子とやって来て仲介しました。姉たちは、この人たちがする質問を横で聞いていたけれども、彼らがルシアに何かあげるのを見なかったと証言しました。こうやって弁明されて、私は大好きな井戸の方へ行き、その場所でまたこの犠牲を天主様に捧げることができました。

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 13. 9月13日

2017年10月11日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


13. 9月13日

9月13日が近づいてきました。私が既に申し上げたことに付け加えて、聖母は私たちにこの日にこう言われました。
「天主はあなたたちの犠牲を喜ばれています。しかし主はロープを付けて寝るのをお望みになりません。ロープは日中だけ身に着けなさい。」

言う必要はありませんが、私たちは直ちに主の命令に従いました。1ヶ月前、私たちの主が通常のことを超えた目に見える印を与えて下さることをお望みだと思われるので、母は、この日、そのような印が、ますます明らかで明白に与えられることを熱心にのぞみました。天主様は、おそらく、私たちに別の犠牲を捧げる機会をさらにくださるために、主の栄光の光の一線もこの日に現れることを許されませんでした。母はまたもやがっかりしました。家庭での迫害がまたぶり返しました。事実、母には腹が立つ理由がたくさんありました。コヴァ・ダ・イリヤは、全く失われていました。私たちの群の善い牧場として失われただけでなく、そこには育っていた野菜に関してでさえもそうでした。
これに加えて、私の母には、自分でそう言っていることによれば、ほとんど確実な確信がありました。それは、これらの出来事は、単なる馬鹿馬鹿しい空想以外の何ものでもなく、単なる子供っぽい想像の産物、ということでした。姉の一人は、私を探して呼びに出て行く以外は別のことができませんでしたし、私にあって話をしたいと私を尋ねてくる人々と話すために家に戻る間、姉は私の代わりに羊の群の番をしなければなりませんでした。裕福な家にとっては、この時間の無駄は、何でもなかったことでしょうが、自分の仕事で生計を立てている私たちにとっては、大きな負担でした。しばらくすると母は私たちの羊を売らなければなりませんでした。このことは家族を支えるために決して小さな変化ではありませんでした。私はこれらのすべての事のためになじられ、 難しいときには全てが私の顔に飛んできました。私たちの愛する主がこれ全てを私から受け取ってくださったと期待します。何故なら私は、主のためにまた罪人たちのために自分を犠牲として捧げることができることがいつも嬉しくて、これを主に捧げたからです。

母について言えば、母は英雄的な忍耐と自己放棄を持って、すべての困難を耐え忍んでいました。もしも私を叱ったり、罰したりしたとしたら、それは母が本当に私が嘘をついたと思っていたからです。母は、私たちの主が送り給うている十字架の数々を全て受け入れていました。時に母はこう言いました。
「このことは全て、天主様の御業で、私の罪を罰する為かもしれないね。そうだとしたら天主は讃美せられますように!」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 12. 償いと苦しみ

2017年10月10日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


12. 償いと苦しみ

数日後、私たちが羊らと一緒に道を歩いていると、馬車からロープが落ちているのを見つけました。私はそれを取り上げて、遊ぶつもりで、腕の周りを縛りました。しばらくするとロープが痛いと言うことに気づきました。
「ほらっ、これ痛いよ!」と私は従姉妹たちに言いました。
「私たち、これを腰の周りに縛って、これを天主様への犠牲として捧げようよ!」
かわいそうな二人の子供たちは、私の提案にすぐに同意しました。私たちはこのロープを三人で分けました。これを石の上に置いて別のとがった石をナイフのようにして打って切りました。或いはロープの厚さや荒々しさのために、或いは私たちがこれをきつく絞めすぎるので、この苦行の道具はしばしば私たちに恐ろしい痛みを与えました。時々、ジャシンタは涙をこらえることができず、これが彼女に引き起こした苦痛はそれほど大きなものでした。私がロープを取り外すように促すといつでもジャシンタはこう答えました。
「いやよ!私はこの犠牲を私たちの主に償いとして、また罪人たちの回心のために捧げたいの。」

別の日、私たちが壁にある小さな植物を摘み取ってそれを両手でつぶしてパチンという音を聞いていました。ジャシンタがこれらの植物を摘み取っている間、葉っぱにとげがあるイラクサを手にとって自分に刺していました。痛みを感じるやいなや両手でもっと強く握りしめました。そして私たちにこう言うのです。
「見て!見て!ほらここに苦行することができる別のことがあるよ!」

その時以来、私たちは時々私たちの足をイラクサで叩くことになりました。それは別の犠牲を天主に捧げるためです。

もしも私の間違いでないならば、すでに司教様にジャシンタについての報告の中で申し上げた、私たちがお昼のお弁当をかわいそうな子供たちにあげる習慣を身につけたのはこの月の間でした。私の母が平和をもう少し感じるようになり始めたのもこの月のことでした。母は良くこう言ったものです。
「もしもあとたった一人でも誰かが何かを見たのなら、私は信じるかもしれないね。でもこれだけたくさんの人々がいるけど、その人々が何かを見たならね!」

この前の月の間、いろいろな人たちが別のものを見たと言っていたのです。聖母を見た人もいるし、太陽に別の印を見た別の人もいるし、いろいろでした。すると母はこう宣言しました。
「もしもあとたった一人でも何かを見たのなら、私は信じるかもしれない、と言ったけれど、今では何かを見たという人があまりにも多いわ!だから私はまだ信じない!」

父もこの頃から私の擁護に回るようになりました。私をしかり始める人々に黙るように言いました。父はよくこう言ったものです。
「私はこれが本当であるか知らないし、これが嘘であるかも知らないんだよ。」

その時、続けて私たちを見たがり私たちに話をしたがる外部の人々全てのうるさい要求を心配した私の叔父と叔母とが、自分の息子であるヨハネを羊の群れの世話をするように送り始めました。彼ら自身はジャシンタとフランシスコと一緒に家に留まりました。私は他の人々と一緒に羊の世話をするのが好きではなかったので、たった一人で羊と一緒に出かけ始めました。司教様に既に申し上げましたとおり、私がジャシンタとフランシスコの近くを通りかかると、彼らは私のところによくやって来ました。牧場が遠くにあると、彼らは私が家に帰るのを待っていました。このときが本当に幸せな日々だったと私は本当に言うことができます。たった一人で羊たちの真ん中で、丘の頂上であろうが、谷の底であろうが、私は天の美しさを観想し、天主が私にくださった全ての恵みを天主に感謝しました。私の姉の一人の声で、誰かが私を探しているから家に帰るようにと私を呼んで、私の孤独を壊した時、私は深い不快感を覚えました。私の唯一の慰めはこの別の犠牲を私たちの愛する主に捧げることができることでした。

ある日、三人の紳士が私たちに話しに来ました。彼らが質問した後、この質問はその他の如何なるものであったとしても、快いものではありませんでしたが、彼らはこう言って立ち去っていきました。
「君たちは自分の秘密を言うように決めなさい。もしもそうしないなら郡長は君たちの命を取ってしまうつもりだよ!」
ジャシンタは、喜びで光り輝いた顔をして、この喜びを隠そうとは全くせずに、こう言いました。
「うぁー、すごいわ!私、私たちの主と聖母が大好きなの!そうなったら私たちすぐにイエズス様とマリア様と会うことができる!」

郡長が私たちを本当に殺そうとしているという噂が駆け回りました。このためにカサイスで結婚して住んでいた叔母は私たちの家に引っ越して来ました。それは自分の家に私たちを連れて行くためでした。その理由は、叔母の説明によると、「私は別の郡に住んでいるから、この郡長はおまえたちに手を置くことはできないよ」でした。しかしこの叔母の計画は決して実行されませんでした。何故なら私たちは行きたくなかったからです。私たちはこう答えました。「もしも殺されるなら、おんなじことよ。私たちは天国に行くんだから!」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 11. オウレムでの投獄

2017年10月06日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


11. オウレムでの投獄

そうこうしているうちに8月13日の夜明けが来ました。前晩から群衆が各地から流れ込んできていました。彼らは皆私たちを見たがり、私たちに質問をして、私たちに彼らの願いを言い、私たちがそれを聖母に取り次いでもらいたがりました。この大群衆のまっただ中で、私たちは、まるで、遊んでいる男の子たちの手の中にあるボールのようでした。私たちはあっちにこっちに引っ張られ、誰も彼もが私たちに質問し、だれにも私たちが答えるチャンスをくれませんでした。

この騒ぎの中で、郡長からの命令が伝えられました。それは私に叔母の家に行け、郡長がそこで私を待っている、という命令でした。父がこの知らせを受け、私を連れて行ったのは父でした。私が到着したとき、郡長は私の二人の従姉妹たちと一緒に部屋の中にいました。郡長はそこで私たちを尋問し、私たちが秘密を明かすように、またコヴァ・ダ・イリヤに戻らないと約束させようと、力尽くでもう一度試みました。しかし、郡長の思い通りにはなりませんでした。そこで父と叔父とに私たちを主任司祭の司祭館へ連れて行くように命令しました。

司教様に私たちが投獄されたときに起こったことを全て申し上げて筆を遅らせることはここではしません。何故なら司教様はそのことを全てご存じだからです。以前司教様にご説明したとおり、このときに、私がもっとも深く感じたこと、また私を最も苦しめたことは、私が家族から全く見捨てられたことです。私の小さな従姉妹たちにとっても同様でした。この旅路というか投獄のあと、私はそれをなんと呼ぶべきかよく分からないのですが、私は家に戻りました。私の思い出す限りそれは8月15日です。家族のものは、私の帰宅を歓迎するために、羊をすぐに牧場へ連れて行くように私に命じました。叔父と叔母は、ふたりの子が家に留まることを望み、その代わりに彼らの兄のヨハネを羊の番にやりました。

もう遅かったので、私たちは、私たちの小さな村の近くの、ヴァリニョスという所で留まりました。[注22]

[注22]ルシアはここと別のところでも、御出現がヴァリニョスで8月15日にあった、すなわち、ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレンから戻った日だった、と言うがこれは間違いである。オウレムから戻ったのは確かに8月15日だったが、御出現はその次の主日、すなわち8月19日にあった。

その次に起こったことも、司教様はご存じです。ですからそのことについてもここには書きません。もう一度、聖母は私たちに苦行をすることを勧めてこう言って終わりました。
「罪人たちのために祈り、たくさん祈り、犠牲を捧げなさい。彼らのために自分をいけにえにして、祈る方々がいないので多くの霊魂が地獄に堕ちています。」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 10. ルシアの最初の霊的指導者

2017年10月05日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

第二の手記

II. 御出現


神学博士マヌエル・ヌネス・フォルミガン神父

10. ルシアの最初の霊的指導者

この月に初めて神学博士フォルミガン(Formigão)神父様[注21]が私に質問をしに訪ねてきたと思います。彼の質問はまじめで、詳細に亘っていました。

[注21]神学博士マヌエル・ヌネス・フォルミガン(Manuel Nunes Formigão Junior)神父は、ファチマの偉大なる使徒となった。彼は8月ではなく9月13日に御出現のあったコヴァ・ダ・イリヤに初めて行った。

私は神父様が大好きでした。何故なら、彼は善徳の実践について、またそれを実行するいろいろな方法について、たくさん私に話してくれたからです。彼は聖アグネスの御影を見せてくれました。また、私に聖女の殉教について話し、その模範にならうように励ましてくださいました。

神父様は、毎月、私に質問するために続けて訪ねてきました。いつも終わりには良い勧めをくださいました。その指導は霊的な良い助けになりました。ある日彼は、私にこう言いました。
「わが子よ、おまえは私たちの主をたくさん愛さなければなりません。それは天主が、おまえに与えておられるかくも多くの恵みと聖寵の返答としてですよ」と。

これらの言葉は私の霊魂に深い感銘を与え、その時から、私たちの主に次の祈りをいつも捧げる習慣を身につけました。「我が天主よ、御身が私に下さった恵みへの感謝として、御身を愛し奉る」と。
私は、この射祷が大好きで、ジャシンタと彼女の兄に教えました。彼らもこの祈りを心に深く止め、最も熱中している遊びの最中であっても、ジャシンタはこう尋ねたものでした。
「主が私たちにくださったお恵みのために、どれほど主をお愛ししているか、って言うのを忘れなかった?」

(続く)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 9. ルシアの家庭での問題

2017年09月29日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


9. ルシアの家庭での問題

私自身の家庭のもっとも深いところで、新しい苦しみが起こりました。このことの非難は、私に非難が飛んできました。
コヴァ・ダ・イリヤは私の両親の所有地でした。その一帯ではもっとも良く肥えた畑で、とうもろこし、野菜、馬鈴薯、エンドウがよくできました。傾斜面には、オリーブの木が生え、樫の木、トキワガシの木々が茂っていました。さて、群衆がそこに行って集まるようになってから、すっかり踏まれて荒らされ、何の収穫も得られないようになりました。大多数の人々が馬やろばに乗ってきたので、彼らの動物が見つけることができたものを全て食い荒らして全てを荒らしてしまいました。
母はこの損害を嘆き悲しんでこう言いました。
「さあ、おまえ、何か食べたい時には、例の貴婦人の所へ行ってもらいなさい!」
姉達までも「コヴァ・ダ・イリヤで育つものを、おまえは食べたらいいわ!」と言うのでした。

その言葉を聞いて、私は心を傷つけられ、一切れのパンさえ敢えて取って食べることができなくなりました。母の言う表現によれば、母が私に本当のことを言わせようと、とてもしばしば、箒の柄、あるいは、暖炉の側から一本の薪をとって私を強く打ちました。けれども、それにもかかわらず、母は母親だったので、私の弱った健康を再び回復させるように努めました。母は私の青白い痩せた姿を見て、私が病気にかかるのを注意深く心配しました。かわいそうなお母さん! 今、私は母の立場が一体どんなだったかを良く理解し、本当に母のことを気の毒に思います。母は、私がそのような大きな恵みを受けるに値しないものだと思い、私が嘘をついているのだ、と判断しましたが、母は正しかったのです。

主からの特別な恵みによって、私は、母が私に対するやり方に関して、恨みの考えや気持ちを起こすようなことは少しもありませんでした。天使が、天主は私に苦しみを送ってくださると予告したので、これらのすべてのことの中に、いつも天主の御手の働きを認めていました。それで、私は、あたかも最も可愛がられたかのように、母に対して私が抱くべき愛と尊敬と敬意は増えてゆきました。今、私はこのような母の厳しい態度で私を接してくれたことに対して、愛撫や優しさで私を取り巻き続けてくれたよりも、もっと感謝しています。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 8. 郡長からの脅迫

2017年09月28日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


8. 郡長からの脅迫

数日の後、私たちの両親は通達を受け、ジャシンタ、フランシスコ、私の三人が両親と共にヴィラ・ノヴァ・デ・オウレンの役所の前へ、指定の時刻に出頭するようにとのことでした。これは、およそ15キロメートの道のりという三人の小さい子供にとって相当な道程を行かなければならないことを意味していました。その頃の唯一の交通の手段は、私たちの二足の足で歩くか、あるいはろばに乗るか、でした。私のおじは、すぐに伝言を送り、自分は出頭するが自分の子供たちは連れて行かないと伝えました。
「子供たちには、歩いて行くのは無理だ、ろばに乗るのも慣れていない。ロバの上に留まっていることもできないだろう。ともかく、こんなに小さい二人の子供を裁判所に出頭させるなど全く意味がない」と言いました。
私の両親は、全く反対のことを考えました。

「私の娘は行きます。あの子に自分自身で答えさせます。
私は、このことについて何も分かりません。もしもあの子が嘘をついているのなら、嘘をついたことの罰を受けるちょうど機会です。」
その翌日 [注20] の朝早く、私はろばに乗せられて出発しました。父と叔父とがついてきました。私は道の途中、三度ろばから転がり落ちました。司教様、この日、ジャシンタとフランシスコは、私が殺されると思っていたので、どんなに苦しんだか、それについては、私はすでに申し上げたと思います。

[注20] これは8月11日である。

私にとって、私の心を最も傷つけたことは、両親が私に見せた無関心でした。これは私にとってあまりにも明らかでした。何故なら、叔父や叔母が彼らの二人の子供をどれほど愛情を込めて優しく扱うのを見ることができたからです。私たちが道を行くに従って自分でこう考えていたのを覚えています。
「私の両親は、叔父や叔母とどれほど違っていることだろう。彼らは自分の子供たちを守るために、自分自身を危険にさらすのに、うちの両親は全くの無関心で私を渡そうとしているわ。それなら、したいようにすればいいわ!でも私は忍耐しなければ。」
心の奥底でこう言ったのを覚えています。
「わが天主よ、つまりこれは御身を愛するため、罪人らの回心のために、もっと苦しむという幸せがあるっていうことだわ。」この考えは、いつも私に慰めをもたらしました。役所では、私は、父や叔父やその他知らない人々の前で、郡長から訊問されました。
郡長は、私に何とかして秘密を白状させようと、そして、これから絶対にコヴァ・ダ・イリヤへ戻らないという約束をさせようと決意していました。この目的のために、彼は、色々手を尽くし、約束や脅しさえ用いました。しかし何も得ることがないと分かり、私を解放しました。しかしながら、彼は私の命を奪わなければならなくなったとしても、自分の目的を達成する、と宣言しました。そして彼は、叔父が自分の子供らを連れて来なかったことを厳しく叱ってから、私たちに家へ返しました。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 7. ルシアの母親と母の疑い

2017年09月27日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


7. ルシアの母親と母の疑い

天主様のおかげで、このご出現は、私の霊魂から疑いの雲を晴らしてくれ、内的な平和が回復させました。私のかわいそうな母は、ほうぼうから群れをなして訪ねてくる人々を見れば見るほど、ますます心配しました。母は言いました。
「この可哀想な人たちは、あなたのたわごとに騙されて、ここに来ています。あなたはそのことをはっきり知りなさい。お母さんは彼らがだまされないように何をしたらよいかわからないわ。」

私たちをあざ笑い、私たちを侮辱し、私たちを殴りつけようとさえして自慢していたかわいそうな人が、ある日、私の母に尋ねました。
「ちょっと、奥さん、あなたの娘の受けた幻についてどう考えますか?」
母は「わかりません。私にはこの話しは偽で、それは世界の半分をだますほどの嘘だと思います」と答えました。
「それを大きな声で言わないでください。さもないと誰かが娘さんを殺してしまうでしょうから。」
「それはかまいません。あの子がそれで真理を白状すればそれで良いんです。私は、いつも真理を話しています。私の子供たちに反対することであれ、その他の人に関わることであれ、私自身に反対することであってもそうです。」そしてこれは本当のことでした。母は常に本当のことを言いました。それがたとえ自分に都合が悪くてもです。私たちは母の子供として、この良い模範を母に感謝しています。

ある日、母はまたしても、私が言ったことを全て撤回するように私に強制しようと試みる決心を立てました。母はその翌日司祭館に私をまた連れて行こうと決心しました。そこに行ったら、私は嘘をついたと告白して許しを請わなければなければなりませんでした。そして神父様が私に与えることを望まれる、あるいは私にふさわしいと思われる償いを果たさなければならないと言いました。今回は攻撃があまりにも強かったので私はどうして良いか分かりませんでした。道すがら私は叔父の家を通ると、私は家の中に走って入りジャシンタに何が起こっているのかを話しました。ジャシンタはまだベッドにいました。それからすぐに家を出て、母の後に従いました。ジャシンタについての報告の中で、私はすでに司教様に申し上げたとおり、天主様が私たちに送り給うたこの試練においてジャシンタとフランシスコが果たした役割、そして彼らが井戸のところで私を待ちながらどれほど祈りをしていてくれたかを書きました。

私たちが歩いていると、母は私にお説教をしました。ある時点で私は震えながら母に言いました。「でもお母さん、私は本当に見たのに、見なかったと、どうして言うことができるの?」と。
母はだまっていました。司祭館に近づくと、母はこう宣言しました。
「いいかい、よくお聞きなさい!私が望むのは、おまえが本当のことを言うことです。
もしあなたが見たならば、見たと言いなさい。でもおまえが見なかったなら嘘をついたとみとめなさい。」

その他に言葉はなく、私たちは階段を上りました。よい神父様はとても親切に、さらに愛情を込めてとさえ私は言いたいほど、私たちを書斎に迎えてくださいました。神父様はまじめにきわめて礼儀正しく私に質問をし、私が自己矛盾をしているのではないか、あるいは私の発言に一貫性がないかを調べるために様々な作戦を使いました。最後に神父様は私たちを帰しながら、あたかも「どうしたらよいかさっぱり分からない」とでも言っているかのように肩を上に挙げました。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. ご出現 6. ジャシンタとフランシスコからの励まし

2017年09月26日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
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Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007


フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。

第二の手記

II. 御出現


6. ジャシンタとフランシスコからの励まし

神父様のこの考えがどれほど私を苦しめたかは天主だけがご存じです。何故なら天主だけが私たちの心の最も奥底にまでしみ通るからです。

その時から私は、これらのご出現は、悪魔から来たのではないかと疑うようになりました。悪魔はこれらの手段を使って私の霊魂を失わせようとしているのではないか、と。私はよく人々がこう言っているのを聞きました。悪魔は、いつも混乱と無秩序を持ってくる、と。そこで、本当に、これらのことを見始めてから、私の家はもう同じではなくなってしまった、喜びと平和が逃げてしまったということを考え始めました。私はどれほどの苦悩を感じたことでしょうか!私は自分の疑いをいとこたちに打ち明けました。
ジャシンタは答えました。

「ちがう、絶対に悪魔じゃない!絶対にちがう!悪魔はとっても醜くて、地獄の地下の奥底にいるって聞いたわ。でもあの貴婦人は、あんなに綺麗だったでしょう。私たちは、あの方が天に昇っていくのを見たもの!」
私たちの主は、この言葉で私の疑いを幾分か軽くしましたが、その丸一か月間、私は犠牲と苦業をする熱心を失ってしまいました。それから何もかもおしまいにするために、嘘をついていたと言ったほうがよいのではないかと躊躇うようになってしまっていました。フランシスコとジャシンタは、叫んで言いました。
「そんなことをしないで。ルチアちゃんは、嘘をつこうとしているって分からないの?嘘をつくのは、罪なのよ。」

この心の状態に陥った時、私は精神の暗闇をますますいや増しただけのある夢を見ました。悪魔が私をだまして、嘲笑いながら、私を地獄へ引っ張りこもうとしている夢でした。

自分が悪魔の爪の中にいるのを見て、私はあまりにも大きな声で叫び、助けを求めてマリア様を呼び求めたので、母が目を覚ましました。母は何が起こったのかと心配して私のそばにきて、「どうしたの」と聞きました。私が母に何を言ったか覚えていませんが、私は恐れで麻痺してその夜は一晩中眠れなかったということは覚えています。

この夢は私の霊魂を、本物の恐れと苦悩で覆い包みました。私の一つの気休めは、一人で静かなところへ行くこと、そこに心の満足するまで泣くことでした。

私の二人のいとこたちと一緒にいることも、重荷のように感じ始めました。その理由から、私は彼らから隠れ始めもしました。可哀想な子供たち!時々、彼らは私を探して、私の名を呼ぶのですが、私は返事をしませんでした。私は彼らが探そうと思わないような隅に、彼らのすぐ側に隠れていました。

7月13日が近づきました。私は、まだコヴァ・ダ・イリヤへ行くべきかどうか迷っていました。私は自分でこう考えていました。
「もしあれが悪魔なら、何故悪魔を見に行くべきだろうか?もしなぜ行かないのかと尋ねられたら、私たちに現れているのが悪魔かもしれないと思う、と言おう。そのために私は行かないのだって。」
フランシスコとジャシンタは自分たちの好きなようにすればよい。私はコヴァ・ダ・イリヤへはもう行かない。」私は決心を立てて、その通りにすると決意していました。

12日の夕方になると、次の日の出来事の準備で早くも群衆が詰めかけていました。私はジャシンタとフランシスコに、私の決心を知らせました。ふたりは口を揃えて、
「私たちは行きます。あの貴婦人は、私たちに来なさいおっしゃったのよ」と言いました。

ジャシンタは、貴婦人に話しかけることを自発的に申し出ましたが、私が行かないと言ったのでとても怒り、泣き出してしまいました。私は、涙の理由を聞きました。
「だって、あなたが行かないから!」と言うのです。
「私は行かない。よく聞いて。もし貴婦人が私のことをお尋ねになったら、悪魔かもしれないと思って、私は行きませんでした、て伝えてちょうだい。」

そこで私は二人を残して、隠れに行きました。質問をしようと私を探して来た群衆に話さなければならないのを避けるためでした。母は、私が村の子供たちと一緒に遊んでいるものと思っていました。私はその間中、もう何度も申し上げた井戸から少し東寄りで、アルネイロと隣り合わせの隣家の茂みの後ろに隠れてしまいました。その夜に私が家へ帰るや否や、母は私を叱りつけました。
「おまえったら、なんて恥ずかしくもなく聖人づらをしているのね!羊の世話から離れるとずっと遊ぶことしかしないのだから。しかも、誰も探せないような所で遊ぶなんて!」

その翌日、 あそこへ行く約束の時間になろうとする時、私は突然行かなければならないと感じました。私は不思議な力に押されて、 ほとんど抵抗することができませんでした。私は歩き出して、叔父の家で、ジャシンタがまだ家にいるか呼んでみました。すると私はジャシンタが兄のフランシスコと一緒にベッドの横で跪いて泣いているのを見ました。
「あなた、行かないの?」と私は尋ねました。
「ルチアちゃんが行かないなら、私たちだって行かない。来て!」
「うん、行くわ!」と私は答えました。
二人の顔は、喜びに輝き、私と一緒にコヴァ・ダ・イリヤへ急ぎました。
大勢の人々は道の途中で、私たちを待っていました。そこで私たちは群衆を押しわけながら、やっとあそこに到達することができました。この日は、私たちに秘密を教えてくださった日です。そのあと、聖母が私の弱くなった熱心を再び生き生きとさせるために、私たちにこう言われました。
「罪人たちのためにあなたたちをいけにえにしなさい。あなたたちが犠牲を捧げるときには特に、イエズス様とマリア様にたくさんこう言いなさい。イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、マリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償うためです、と。」

(続く)