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御受難の聖遺物について 【公教要理】第四十五講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月24日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十五講  贖罪の玄義・歴史編その十三・御受難の聖遺物について




(私たちの主は)「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死してほうむられ」、
聖墓におられます。

今回は、ちょっと時間を割いて、「御受難の聖遺物」についてご紹介したいと思います。「聖遺物」という言葉は、ラテン語から来て、まさに「遺物」或いは「遺跡」という意味です。言い換えると、私たちの主の御受難から現代まで「遺された物」ですが、具体的になんであるか、また何を崇敬できるかということをご紹介したいと思います。


【十字架の聖遺物」
第一は、「十字架の聖遺物」です。聖十字架はコンスタンティノ皇帝の母に当たる聖ヘレナによって326年に発見されました。聖ヘレナはエルサレムにわざわざ行って、十字架刑の行われたゴルゴタの丘を中心に、聖十字架を見つけるために、発掘作業を命令しました。当然ながら、多くの十字架が発掘されました。私たちの主の十字架の他に、盗賊をはじめ、多くの受刑者の十字架があったので、どれがその聖十字架だったかどうやって分かったでしょうか。

それは、単純なことですけれど、私たちの主の聖十字架によって起きた諸奇跡のおかげで、聖十字架を確定できました。言い換えると、聖十字架によって、目覚ましい奇跡が起きたおかげで、聖ヘレナは聖十字架を確定できて、それを安置するために、ゴルゴタの丘の上に、教会をたてました。





また、聖ヘレナは聖十字架の幾かの欠片をローマに持って帰りました。ローマで、聖十字架の欠片を安置するために、「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」(エルサレムの聖十字架聖堂)を立てました。ローマにありますが、その名前通りに、エルサレムから持ち帰られた聖十字架が安置されているということです。キリスト教界の都であるローマに聖十字架が安置されて崇敬の対象になるというのは相応しかったと言えます。



また、13世紀のフランス国王聖ルイが聖十字架の欠片の一つを貰いました。パリに安置するために、「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」におかれました。現在では、その聖十字架の欠片は、パリ聖母大聖堂に安置されています。

そして、時代が下れば下るほど、聖十字架のごくわずかな欠片があちこちに渡され世界中に広がりました。どこでも、聖十字架を礼拝できるように、聖遺物の一部の欠片があちこちに置かれました。そういえば、本当の意味で、まことに、聖十字架を「礼拝」するのです。私たちの主の血に染まった聖十字架なので、全人類の贖罪の道具となった聖十字架なので礼拝します。従って、世界中に僅かなごく小さな欠片でも、あちこちに安置されています。何ヶ所あるかと聞かれたら、数え切れないほどあるので、詳しい目録もできそうにありません。


【聖釘】
それから、聖釘もあります。同じくローマのバジリカである「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」で、一つの聖釘が安置されています。
もう一つの聖釘がパリの聖母大聖堂に安置されています。常時公開はされていないのですが、定期的に公開されて崇敬できます。
それから、面白い話ですが、もう一つの聖釘はミラノ大聖堂の円天井の要石の中に安置されています。


【捨て札 Titulum】
聖釘に続いて、貼り札という聖遺物もあります。いわゆる「Titulum」という聖遺物です。「ユダヤ人の王、ナザレトのイエズス」と書かれている聖遺物です。この聖遺物も、「サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂」に安置されています。




【茨の冠】
それから、私たちの主からの聖遺物には、「茨の冠」も遺されています。もちろん、全体は遺されていませんが、あちこち「茨の冠」の破片と棘が安置されています。ところが、「茨の冠」の一番大きいな破片は、1239年にコンスタンティノープルの皇帝から聖ルイに与えられた聖遺物ですけれど、この聖遺物を安置するためにこそ、「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」と呼ばれている立派な教会をたてました。私たちの主の冠を安置するためだけの教会です。



現代では、「茨の冠」はもう「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」に安置されてはおらず、パリの聖母大聖堂の宝物室に安置されています。





【聖スポンジ(聖タオル)」

他に、あちこち「聖スポンジ(聖タオル)」もあるにはあります。特にローマの「ラテラノ大聖堂」「聖マリア大聖堂」とで崇敬することが出来ます。


【聖槍】
他に聖槍もあります。私たちの主の脇を突いた槍で、御心臓まで届いた槍ですね。ローマの「聖ペトロ大聖堂」に安置されています。また同じ場所に、聖ヴェロニカの聖布も安置されています。



【聖トゥニカ】
私たちの主の聖トゥニカはトリアー(Trier)[フランス語ではトレーヴ(Trêves)]アルジェントィユ(Argenteuil)とに安置されています。




【聖骸布】
周知の聖骸布は、イタリアのトリノに安置されていて、大人気を博し、頻繁に定期的に信徒の崇敬のために公開されています。聖骸布は多くの科学研究の対象となってきましたので、聖骸布を真面目に見ると、現代という科学的世界は、主を礼拝せざるを得なくなるはずです。言い換えると、聖骸布を科学の目で見たら、私たちの主のキリストの復活というのは、科学の能力を遥かに超えるということを認めざるを得なくなるからです。要するに、トリノで聖骸布を崇敬することができます。やっぱり、この聖骸布は現代なら非常に大事な証言です。この世のこの時代に対して、護教論上、素晴らしい聖遺物です。間違いなく、科学的なこの世に挑んで止まない聖骸布だと言えます。


~~

【聖なる階段:スカラ・サンタ】

他に、「法廷の階段」も遺されていて崇敬できます。というのも、残念ながらも死刑宣言を受けるために私たちの主が登り給った「階段」なのです。また「Scala Santa聖階段」とも呼ばれていますが、ローマに安置されています。聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂の傍のところに安置されています。現代は、もう一層の階段に覆われているので、直接に触っては登れないのですが、「聖階段」の上にある「階段」を登る良き敬虔な修行がありまして、跪きながら登るのがいいですけど、あちこち透明な窓みたいなところが用意されていますので、私たちの主の登り給うた「聖階段」を直接に崇敬することができます。



【鞭打ちの聖柱】
最後に、鞭打ちの聖柱もあります。私たちの主が鞭打ちの刑を受け給うために縛られた聖柱という聖遺物なのです。ローマでの「聖プラクセーデス教会」に安置され、崇敬することができます。聖柱のかなり大きい断片が残されています。
以上、私たちの主の聖遺物をご紹介しました。




【主の死刑に関わった人々】

そして、聖遺物ではありませんが、私たちの主の死刑に関わった人々についてちょっと触れたいと思います。つまり、私たちの主の死刑に関わった有罪者はその後にどうなったかというと、全員屈辱的な運命にあっています。


【使徒ユダ】
まず、使徒ユダがいますね。その最期は周知の通り、聖書に二回記されているのですけれど、自殺してしまいました。自分の犯した罪より天主の御憐れみの方が偉大で広大であることを認めなかったのです。従って絶望して自殺してしまいました。悲劇的な最期です。


【ポンシオ・ピラト】

ポンシオ・ピラト、「卑怯者」のピラト、或いは「自由主義者」と呼ばれるピラトはどうなったでしょうか。罷免されて、ガリアに島流しされて、そこで自殺したと思われています。


【ヘロデ(アンティパス)】
ヘロデはどうなったでしょうか。ヘロデも島流されてしまったのです。まず、ガリアのリオン(Lugdunum)でそしてスペインへ、最期は貧乏になって死んだと言われています。


【カイファ】

カイファはどうなったでしょうか。37年に大司祭職を剥奪されて、自殺したと言われています。37年というと、私たちの主の死の四年後ですが、悲しみで自殺されたと思われます。


【ユダヤの民】
そして、ユダヤの民自体はどうなったでしょうか。ティト(Titus)皇帝による70年、エルサレムの占領によって、離散されました。70年の占領の際に、エルサレムは完全に全焼し、ユダヤ民族が世界中に離散されました。

以上は、私たちの主の死に関わった人々の運命のご紹介でした。

死して葬られ 【公教要理】第四十四講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月19日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十四講  贖罪の玄義・歴史編・その十二・死して葬られ





「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して」

【主は意志を持って死ぬことにした。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える。」】
私たちの主は、本当の意味で十字架上に死に給いました。悲嘆を叫び出して死に給いました。そういえば、それは不可解な叫びと言えます。というのも、当然のことなのですけれど、十字架刑にかかっている受刑者は呼吸することが非常に困難だからです。身体の体重の影響で全身が下へ落ちようとしますが、より高いところに腕が釘付けられたので、肺臓が詰まったような状態となっています。従って、呼吸するには受刑者がどうかして一瞬でも身体を持ちあげることになります。すると、大変な苦しみになります。自分の身体を持ちあげる為には、釘付けられた足或いは釘付けられた手の釘で体を支えないと持ちあがらないからです。すると、激しい苦しみになってしまいます。ちょっとでも身体を持ちあげて、肺がちょっと楽になって一息できるということです。



従って、この状態におかれて、叫び出すことは肉体的にいうと無理なことです。ところが、私たちの主が仰せになったとおりです。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える」

私たちの主は、死を自由に選び給った、意図的に死ぬことになさったということです。御自分の意志をもって、死ぬことになさいました御自分の意志をもって、ご自分の霊を御父の御手に委ねました 。消極的に死んでしまったのではなく、積極的に死に給うたということです。意志をもって、死ぬことを決め給いました。「御自分の霊を委ねた」と。

私たちなら、普通の人間なら、自分の霊を委ねることを決めることは出来ません。ところが、天主である私たちの主は、十字架上でそのことができました。主の死は、自由意志をもった積極的な行為なのですが、ご自分の御霊魂を御父に委ねるという行為です。それが私たちの主の十字架上の御言葉の最後の御言葉でした。死に給いました。



【大自然が喪に服す】
そこで、ユダヤ人たちは「やった!」と思い、それで片付けたかったでしょう。イエズスの事件は片付いたし、もう忘れよう、翌日の安息日の準備があるし、しかも過越し祭なので、やることはいっぱいだと、皆、解散して家に帰ります。
でも、そういうわけにはいかないでしょう。天主を殺してしまって、罰せられずに済むことではないのです。主を死刑執行してしまい報復を受けずに済むわけがないのです。

しかも、大自然の創造主が、十字架上でそれほどの侮辱を受けられたという光景の前で、大自然でさえ憤慨してしまいました。従って、主の死に給う瞬間、多くの大異変が起きました。福音史家も記した奇跡です。また当時の歴史家たちも関係のないところにいても、それらの大異変を記録しています。
死に給うた直後に大異変が起きたことの、これは確認のとれる史実です。あえて言えば、大自然の喪です。また自分の創造主の死の前に、大自然が表した悲痛な具体的な表現です。自分の創造主を嘆く大自然の。


【原因不明な暗闇が地を覆う】
大異変にはなにがあったでしょうか。前回に見た「暗闇」がありました。第六時(正午)から第九時(午後三時)まで暗闇が地面を覆いました。第九時ごろに私たちの主が死に向かわれ給うたということで、午後三時ごろに死に給ったのです。つまり三時間ぐらいにわたって、地上が暗闇に覆われました。原因不明、説明不可能な暗闇でした。


【地震】

そして、死に給うた時、地震も起きました。地面や巌は割れてしまいました。そういえば、現地の地面を地質学的に研究した成果によると、当時の地震で確認できたひびが地下断層(地脈)と全く関係なく割れていたのです。要するに、死に給うた時の地震は、非常に不自然でした。通常の地震ではなくて、奇跡に他なりません。「地は振るい、岩は割れ」


【墓が開いて死者がよみがえる】

そして、「墓は開き、眠っていた聖徒の屍は数多く生き返り」 ました。きっと、エルサレムに恐怖を引き起こしたことでしょう。もう一度、この死刑の受刑者が主だったことを改めて裏づける出来事でした。つまり、本当のメシアを死刑にしてしまったもう一つの証拠となりました。確かに、それほど多くの違う奇跡と大異変が、特定の一人の死の際に起きたことなどまったくなかった出来事でしたから。

なぜ、死に給った時に、死者が生き返ったのでしょうか。私たちの主は命の源である上、死に給うたことによって、ご自分の命を私たちに与え給うのですから、当然ながら、それが直ぐに実現し、エルサレムに葬られた多くの屍が生き返りました。それらの死者は何時から葬られていたか不明ですが、それはともかく、死者を蘇らせることによって、私たちの主が「私が命である」ということを改めて示し給うたので大事な件です。そして、命である上、死に給うことによって御自分の命を与え給うということをも示されています。私たちは、主の死によってこそ、贖われたということです。
そして、きっとのことですが、生き返った死者たちは、親戚をはじめ人々を訪問したりして、私たちの主の天主性を語って証言したことでしょう。

大異変を単なる自然の出来事だと訴えようとしていた人々の前に、生き返った死者が出てきたら、どうやって自然の出来事であると説明できるでしょうか。いや、私たちの主が天主であることを示す奇跡でした。


【神殿の幕が上から下に二つに裂ける】
その上に死に給った時に、第三の出来事が起きました。神殿でのことでした。想像してください。翌日の過越し祭のために、子羊の生贄の準備をしている途中でした。神殿の中には「聖所」という部分がありますが、「聖所」の奥に「至聖所」と呼ばれているところもありました。「至聖所」は幕をもって外からその中が常に隠されていたのです。大司祭しか、年一回に限って、「至聖所」に入れなかったのです。そして、翌日の生贄への準備に忙しく、子羊を連れて来たりしていた時に起きた出来事です。準備で多くの人々が神殿にいたので、目撃者が多くいました。

福音史家が記している出来事ですが、いきなり「実にそのとき(死に給うた時)神殿の幕は上から下に二つに裂け」 ました。神殿の幕が裂けたという出来事は、旧約の終結を具体的に表明する出来事です。旧約はそれで死にました。また、その時以来、旧約は廃(すた)れます。旧約はそれでもう無効となりました。動物の生贄はもうその時から無効となり、効果もなくなりました。至上なる生贄が既に実現したので、私たちの主の十字架上の生贄にしか価値がなくなったということです。

注意すべきことは、神殿の幕が二つに裂けたことを見た人々が多かったということです。司祭らをはじめとして。その出来事は、人間による出来事でもなかったし、自然による現象でもなかったので、司祭らがこれを見て目覚めればよかったのに。

天主の御意志を自明に示された出来事だったわけです。というのも「至聖所」というところは、「天主」が具体的にお住まいになっていた場所だったわけです。要するに、幕が裂けることによって「この神殿に、我は、天主は、もういないぞ」とのことを自明なほど示す出来事だったのです。



だれの目にも明らかな意味だったに違いありません。司祭らもそれを理解したはずです。旧約はそれでもう「おしまいだ」と。私たちの主の死によって、旧約がもう「終わった」、終了だということは明らかになりました。

また、旧約の生贄は、私たちの主の至上なる生贄の前兆に過ぎなかったことも自明になりました。従って、十字架上の最高の生贄が実現された瞬間、旧約の生贄の役割は済んで、前兆が消えるわけです。そこで「幕が二つに上から下に裂け」ました。
~~

十字架の下に、番人の百夫長がいましたが、「大声で叫び、そして息を引き取られた」 私たちの主を見ていました。百夫長をはじめ、人々はこれを見ると、信仰を宣言しました。百夫長がまず「本当にこの人は天主の子だった」 と言いました。この百夫長は、ユダヤ人ではない異国人として回心する始めての人だったでしょう。この出来事も繰り返し「贖罪の普遍性」を語ります。救いは全人類のためにあるということをしめします。「本当にこの人は天主の子だった」 。百夫長に限らず、福音史家によると、「百夫長とともに、イエズスを見張っていた人々は、この地震と発生した事件を見て驚き、「本当にこの人は天主の子だった」と言い合った」 。「また、これを見に集まった人々も起こったことを見て、みな胸を打ちながら帰っていった」 。自分の犯した罪に対する悔悛を表す行為だったでしょう。


【サタンは「勝利だ!」と思ったその瞬間、自分の敗けを理解した】

死に給うた時、地獄で起きたことも容易に想像できます。サタンの叫びを容易に想像できます。サタンが「勝ったぞ!」と思いきや、敗戦してしまい私たちの主の勝利を見てしまったのですから。サタンがその人を死刑執行させて「十字架に付けさせることによって「天主の呪い」をやっと被らせ得たぞ。勝利だ!」と思いきや、打って変わって、サタンのやったことは、不本意ながらも、結局、天主の御計らいを助けただけだったのです。要するにサタンは不本意ながらも、否でも、天主の道具となって、自分で自分の敗戦を助けたということです。どれほどサタンにとってすさまじい事であるか想像に難くないでしょう。イエズスが死に給うたときにこそ、サタンがいよいよ担がれたことがわかった瞬間です。サタンが負けたときでした。私たちの主は、仰せになった通りに「勝利」しました。だから、サタンが悲嘆の叫びを出して、地獄ですさまじく恐ろしい事が起きただろうことは想像に難くないのです。
~~


【イエズスのすねは折られず、槍で脇が突き刺され血と水が流れた】
以上、私たちの主が死に給うた時に起きた諸々の出来事をご紹介しました。次は、十字架上のお体を処置することです。というのも、安息日までに、処置すべき規定があったので、日暮れるまでに、御体を十字架から降ろすことにしました。
そこで、司祭らがピラトのところに行って、「日暮れまでに死なせてもらおう」との要求を出しました。ピラトは「良し」と言って、受刑者にとどめを刺すため、命令して兵隊を送りました。大きいこん棒をもって十字架の下まできました。具体的に言うと、十字架刑で「止めを刺す」という命令は、こん棒で十字架刑の受刑者のすねを打って潰すことです。言い換えると、十字架に付けられたまま、こん棒を持つ兵隊が受刑者の十字架のところにきて、受刑者のすねとその骨を打ち砕くのです。そうすると受刑者は窒息して死んでしまうのです。受刑者はもう全身を持ちあげることができなくなってしまうので、肺が圧迫されたままになって、呼吸ができなくなり、窒息し即死してしまいます。

こん棒を持つ兵隊たちが、二人の盗賊者とイエズスの立っている三本の十字架に近寄ります。まず一人目の盗賊者のすねを叩き潰します。「兵隊たちが来て、まず共に十字架につけられた一人、そしてもう一人のすねを折った」 。続いて、「しかしイエズスの所に来るともう死んでおられたので、そのすねを折らなかった」 。私たちの主は頭を垂れて、身体は硬直していました。私たちの主はもう死んでおられたので、すねを折る必要がなかったのです。

続いて「そのとき一人の兵士が槍で脇を突いたので、すぐ血と水が流れ出た」 。槍を斜めに刺されたので、あばら骨の隙間を通って、心臓に突いたということです。聖ヨハネ福音史家が十字架の下にまだいたので、その事実を特に記して、証明します。そして、脇が突かれた上、「血と水」が流れ出たことを見たことを聖ヨハネが記して証明しました。聖ヨハネの大事な証言です。



なぜかというと、預言には「その骨は一つも折られないだろう」 という預言があったからです。死んでおられたので、こん棒で折られずに、一つの骨も折られずに済んで、預言が実現しました。それから、流れ出る「血」は人間の霊魂に生命を与える「御聖体」を象徴しています。また、「水」は人間の霊魂を再生し、超自然の命を与える洗礼を象徴しています。

洗礼と御聖体による素晴らしい効果は私たちの主の十字架のお陰でこそ、十字架を持ってこそ得られるのです。言い換えると、十字架から公教会が生まれます。あえて言えば、やりに突かれた聖心からこそ、公教会が流れ出ます
私たちの主は死に給いました。槍のひと突きによって既に死んでおられたことをさらに示したのです。


【主は十字架から下ろされる】

次に、死んでおられたので、私たちの主は十字架から下ろされました。釘などを抜き、当時の習慣に従って、受刑に利用された道具と一緒に葬られます。つまり、釘と他の道具と一緒に葬られました。

降ろされた時に、二人のユダヤ人が近寄ります。一人は、貴族出身と思われるアリマタヤのヨゼフでした。アリマタヤのヨゼフピラトに直接にイエズスの死体を要求し、ピラトが確かに死んだことという確認が取れたので、ヨゼフの依頼に応じました。

もう一人は、律法学者のニコデモでした。サンヘドリン(衆議会)の一員でした。私たちの主のところに夜中に一回だけ話しに来たこのニコデモが近寄りました。二人で、おそらく聖ヨハネも手伝わって、私たちの主の御体を十字架から取り外し下ろしました。ニコデモは香料と葬式用の布類を持ってきました。ユダヤ人の習慣に従って、香料をつけて、ニコデモが持ってきた麻布に包んだと思われます。日暮れるまで、時間がなかったので、慌ててしましたが、時間の許す限り、できるだけ応分に私たちの主を葬りました。



【聖母はイエズスの御体を抱く:ピエタ】
御体を十字架から取り外した直ぐ後、香料と遺骸布との作業の前に、きっと聖母が抱き給うたとおもわれます。十字架道行の第13留で伝わった出来事で、そして、ずっとそれからキリスト教の芸術では、その場面を絶えず描き続けてきました。

「聖母マリアは御なきがらを抱き給い、その御色ざし、御顔、御手足、および御脇腹の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う」という場面を描いた、聖母像「Pieta」という石像があります。33年前に、聖母は幼きイエズスを抱っこされました。立派な可愛い聖母の赤ん坊だったと共に、聖母の天主でもあったイエズス。十字架の下で、イエズスは、聖母の子とともに、聖母の天主である上、人間の贖い主でもあります。天主なる御自分の子の御体を十字架の下に降ろされて改めて抱いておられました。しかしながら、日暮れまでに葬らなければならないので、余りゆっくりもできなかったのです。



【イエズスは聖骸布に包まれて、新しい墓に葬られる】
近くに或る園がありましたが、その中に一つの洞窟がありました。その洞窟はアリマタヤのヨゼフが以前に購入した場所でしたが、自分の葬式を用意するために購入しておいた墓用の新しい洞窟でした。アリマタヤのヨゼフが私たちの主のために、洞窟をさしあげました。そして、主の御体を洞窟まで運び、洞窟内に、遺骸布を敷いて、その上に私たちの主の御体を置きました。置く前に、急いでいたから、慌てて手短く、清めるために、死体に最低限の香料を付けました。そして、遺骸布で私たちの主の御体を頭から包みました。他の布類をも使って包みきって、洞窟の墓を閉めました。洞窟に入る穴に大きいな岩を転がして塞いでおきました。

この場面を最初から最後まで見ていた人がいます。聖マリア・マグダレナです。聖婦人の一人である聖マリア・マグダレナですが、主が罪を赦した聖マリア・マグダレナです。十字架の下にずっといましたし、前もって聖墓の場所をも片付けて準備しておきました。カルヴァリオ山の近くにあったので、分かりやすい場所でしたけど、死体防腐処置の作業をする時間はあまりにも足りず、最低限のものだけを取り合えずしておいて、安息日と過越し祭が終わったら、聖マリア・マグダレナをはじめ、防腐処置作業を済ませるために戻らざるを得ないという状態でした。

従って、その後まだ戻らなければならないので、聖マリア・マグダレナが総てを見守りながら、場所も岩の位置もすべてをよく覚えておきます。そして、岩を転がして塞いだら、皆、しょんぼりしながら帰りました。一旦、悲劇の閉幕となりました。私たちの主は「死して葬られた」。もう終わった。



【ユダヤ人たちはピラトに墓に番兵を要求する】
そこで、驚くべき事実があります。本来ならば、普通に考えると、使徒たちをはじめ、イエズスを愛していた人々が、尤もなことですが、悲しんで、その分、イエズスを殺そうとし殺し得たユダヤ人たちが喜んでいたはずだろうと思うでしょう。しかしながら、いよいよイエズスを殺すことが出来たのに、その喜びがある種の恐れに邪魔されています私たちの主が死に給うた状態になってでさえ、ユダヤ人たちが私たちの主を恐れているということです。

すごいことでしょう。なぜかというと「復活して見せるよ」とイエズスが仰せになったわけですからね、ユダヤ人たちが気になって落ち着きません。どうしたかというと、ユダヤ人たちはピラトをもう一度訪問しました。ピラトに、聖墓のところに、「番兵を置いてくれ」といった要求をだしました。
そして、その通り、聖墓に番兵たちが置かれました。復活するのを恐れていたので、その対策を思いついたのでしょう。可愛そうなユダヤ人たち!私たちの主が天主なら、番兵たちがいるぐらいで、どうするつもりでしょうか。ピラトは一応許可しますが、ピラトの番兵たちではなくて、司祭たち自身の「番兵たちを置いてもかまわない」ということで、番兵たちが聖墓の前に置かれました。

私たちの主の弟子たちは悲しみで一杯でした。かれらは、まだ御受難が何だったかよく理解していませんでした
そして、ユダヤ人たちの側では、恐れの気持ちでいっぱいでした。

これをもって、聖金曜日が終わります。この聖金曜日こそが、結局、人類の歴史全体の中心の中心である一日です。全人類が贖われた一日ですから



十字架刑 【公教要理】第四十三講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月18日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十三講  贖罪の玄義・歴史編・その十一・十字架刑




【エルサレム城外のゴルゴタの丘、カルワリオ山で十字架につけられる】

私たちの主は、十字架刑を受け給うゴルゴタの丘という場所に御到着します。ゴルゴタの丘というのは、「カルヴァリオ山」とも呼ばれています。「カルヴァリオ」という言葉は「頭蓋骨(ずがいこつ・しゃれこうべ)の場所」という意味です。なぜ「頭蓋骨の場所」と呼ばれるかというと、聖伝によれば、最初の人間アダムが埋葬された場所だとされているからです。新しいアダムである私たちの主が人類を贖罪するために、言い換えるとアダムによって犯され代々に総ての人間に伝わった原罪を贖うために、十字架刑を受けたもう最も相応しい場所が「カルヴァリオ山」でした。

私たちの主はエルサレム城外にあるゴルゴタという小丘で十字架刑を受けたもうことになります。城外で私たちの主が死に給うということは、「総ての人間のために死に給う」ということが示されています。人種、国家を問わず、本当の意味で、総ての人間一人一人のために死に給うたということです。総ての罪を贖うために死に給いました。つまり、全世界を贖うために死に給いました。


【葡萄酒と没薬(もつやく)の混ぜ物は口をつけただけで飲まない】
私たちの主は十字架刑を受けたもうために、ゴルゴタの丘におられます。十字架に付けられる前に、ある種の混合物が与えられます。受刑者に対しての当時の慣例ですけれど、葡萄酒と没薬(もつやく)と蜂蜜との混ぜ物を受刑者に与えるという慣例がありました。十字架刑に向けて、受刑者を元気づけるために与えられた混ぜ物でした。また、刑を実行する前に、一旦受刑の渇きを癒すためでもありました。最後に、この混ぜ物の効果には麻酔薬効果もありましたので、十字架刑に伴う痛みを、できることだったら、和らげるためにも与えられました。

そして、慣例に従って、その混ぜ物は私たちの主に対して差し出されました。二人の福音史家は、聖マテオと聖マルコが特にその出来事を記しています。その混ぜ物は私たちの主に差し出されます。私たちの主は混ぜ物に「口づけた」だけです。混ぜ物をお飲みになりませんでした。私たちのために、私たちを愛し給うので、混ぜ物の苦みという嫌な味だけを味わい給いました。つまり、私たちのために、私たちを愛し給うので、より多くの苦しみを受け給おうとなさいました。混ぜ物をお飲みにならず、後に来る十字架刑に伴う苦しみをすべて完全に最後まで受け給おうとなさったということです。意志をもって、苦しみを理解しての意志をもって、積極的に苦しみを受け入れたもおうとなさっておられます。苦しみの何の和らぎを望もうともしないどころか、そういった和らぎを一切拒み給いました。福音史家によると「イエズスは飲もうとされなかった」 或いは聖マテオだと「イエズスに飲ませようとしたが、イエズスは口をつけただけで飲もうとされなかった」 と。要するに、「口を付けただけ」というのは、混ぜ物の嫌な苦みという味を味わおうとなさったが、麻酔薬という効果をあえて避けるためにお飲みになりませんでした。総てを苦しみ給わんとなさいます。


【主は、緋の血に染まった衣を脱がされる】

聖金曜日の正午ごろのことです。当時の時間制度でいうと、「第六時」という時です。従って、正午ごろのことです。十字架刑が始まります。
十字架刑に当たって、まず受刑者を侮辱するために、受刑者を裸にさせます。裸で十字架に付けられるということです。また、すべての服を脱がせてしまうことによって、私たちの主の傷だらけの体の傷口はまた開いてしまうということです。というのも、鞭打ちなどの刑やいじめから受けた諸傷は、改めて流血して、道行の際に凝固して服にくっ付いていたでしょうから、兵士たちが気を付けて脱がせたとは全く言えないやり方で、服装を脱がせてしまったので、私たちの主の服を剥ぎ取ってしまい、傷口もまた開いたに違いありません。

全身は血で真っ赤でした。私たちの主の着た本物の「緋の衣」は、その全身の血にこそあるといえます。「緋の衣」は、言い換えると私たちの主の「王権」はピラトからもらった「緋の上着」にはなくて、実際に私たちのために流し給った御血にこそあります。御血を流し給ったからこそ、私たちの王となりました。御血という代価で、御血という償いで、私たちを贖罪し給いました。私たちの霊魂の代価は、私たちの霊魂の贖罪の代価は、イエズス・キリストの流し給った御血だったということです。だから、私たちの主の「緋の衣」は、服を脱がせて全身がまみれた流し給った御血に他なりません。


【主は十字架にくぎ付けにせられ給う】

そして、服を脱がせてから、十字架に付けさせられ給いました。私たちの主は叫び声の一つも出さなかったのです。先ず、釘を腕に差し込むのですけれど、両腕の橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっこつ)との間に差し込まれました。そういえば、Barbet医者の「手術家から見た御受難」という書籍を是非とも参考して頂ければと思います。橈骨と尺骨との間に差し込まれるのは理由があります。体を支える両腕が、十字架に付けられても、十字架からもぎ取られないように、十字架にくっ付いているまま、橈骨と尺骨との間に差し込まれたわけです。


普段の十字架の像には、釘が掌に差し込まれるということになっていますけど、実際は違います。もし私たちの主の掌に釘が差し込まれたのなら、手首に差し込まれていたのなら、十字架に付けられても、ちょっと時間が経ったら身体の重みのせいで、両手が剥ぎ取られて落ちるはずです。だから、そうならないように、十字架刑を執行する十字架刑に詳しい兵士たちが、橈骨と尺骨との間に釘を差し込むわけです。また、そう釘を差し込むことによって、神経一本も切断されないで済むどころか、神経の近くに釘が差し込まれるので、神経を刺激させて、私たちの主には凄まじい苦しみを強いられたのです。しかも、受刑執行の間に、十字架上に私たちの主がちょっとでも動いたら、釘が神経に当たってしまい、強い苦しみを生み出すということです。凄まじい苦しみの感覚が伴うのです。

先ず片腕に第一の釘を差し込みました。そして、もう一本の片腕に第二の釘を差し込みました。そして、足にも釘を差し込みました。おそらく、両足を合わせて、一本の釘が差し込まれたでしょう。それで、私たちの主は「十字架にくぎ付けにせられ給う」。

それをもって、一つの預言が果たされました。というか、預言というよりも、ユダヤの律法自体が果たされたと言えます。「木に吊り下げられた男は天主の呪いである」 とあります。ユダヤ人たちが、十字架刑を通じて狙っていたのは、この律法の一条でした。私たちの主を十字架刑にさせることによって、私たちの主は天主に呪われた証になると確信していたので、「メシア(救い主)ではないことを証明した」という狙いでした。しかしながら、「天主に呪われた」のは、私たちの主ではなく、罪自体に他なりません。聖パウロによると、私たちの主は罪を責めさいなむために、十字架に掛けられることによって罪の償いを得るために「罪となり給うた」とあります。


【イエズスの服を「くじを引いて」分ける】
私たちの主が十字架に付けられると、次は執行人たちがイエズスの服を分けました。「くじを引いて」分けました。縫い目のないトゥニカが特に明記されています。兵士たちは、縫い目のないトゥニカを破らないために、誰が貰うかをくじ引きで決めました。この出来事も驚嘆すべきことです。兵士たちはくじ引きで服を分けたことによって、彼らが知らないうちに、もう一つの旧約聖書の預言を実現させたのです。つまり、旧約聖書に明記されていた一つの預言が成就しました。

明記されていたどころか、十字架を見ていたユダヤ人たちは聖書を良く認識していたので、預言をも知っていたはずです。だから、この縫い目のない服をくじ引きでの分けるのをユダヤ人が見て、預言を思い出せばよかったのに。それで、「この人こそはメシアだ」とも気付けばよかったのに。残念ながら何とも思いださないどころか、悪事を繰り返し引き続きやってしまいました。熱狂で頑固になってどうしても事実が目に入らなかったのです。


【ユダヤ人の王、ナザレトのイエズス】
執行人たちが服を分けてから、十字架の上に札をかけました。聖ヨハネ福音史家が一番詳しくその札を描写しています。札には「ユダヤ人の王、ナザレトのイエズス」と書かれています。四人の福音史家は、その札に書き下ろされた全文を四人とも記していないですが、全員とも少なくとも「ユダヤの王」という部分を記しています。

聖ヨハネはさらに詳しく記しました。「はり札は(Titulumとも呼ばれますが)ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていたので。多くのユダヤ人がそれを読んだ」 。従って、どの人でも読めるようにしてあったのです。言い換えると、人種と民族を問わずに、誰でも貼り札が読めて理解できるようにされていたのです。
ヘブライ語はユダヤ人向けです。
ギリシャ語とラテン語とは異人むけです。
「ユダヤ人の王、ナザレトのイエズス」と三か国語で。

ユダヤ人たちが貼り札をみると、大騒ぎになりました。「ユダヤ人の王とは何のことだよ。彼は王じゃないぞ。我々の王じゃないぞ!」といったような文句で、ピラトのもとに行ってしまいました。「ピラト、とんでもない事を書きやがったな。ユダヤ人の王と書かれるのは困ったものだ。彼は自分でユダヤ人の王といっているだけだぞ。我々は彼を王として認めないぞ。ユダヤ人の王じゃないぞ!」といったような文句をユダヤ人たちが言いだしました。そこで、ピラトは嘲笑したでしょう。その場面において、不本意ながらも、ピラトは預言したと言えます。そういえば、元大司祭カイファも、「一人の人が民のために死ぬことによって全国の民が滅びぬ方が、あなたたちにとってためになることだ」 といった時に、不本意ながらも預言していましたね。同じように、ピラトはある意味で預言しました。

「ユダヤ人の王」と書かせたことによって、本当の意味で「本物の王」という事実をピラトが不本意ながらも明らかに断言したからです。ユダヤ人たちの文句に対して、ピラトがこう答えます。「すでに書いたことは書いたことだ」 と。それで、貼り札をそのままにしました。勿論、ユダヤ人たちは不満でしたが、ピラトの決めたことだったので、しょうがなくどうしようもありませんでした。


【ユダヤ人らの挑発】
だが、ユダヤ人たちは十字架の周辺にいて、私たちの主をあざ笑うことを止めずに続けました。四人の福音史家全員がその嘲笑を強調しています。言い換えると、冒涜をやめませんでした。酷い言葉を使います。
「おい、神殿を壊して三日で建てる男よ、十字架から下りて自分で自分を救え」 とか。
「それを見たら我々も信じよう」 。

しかしながら、天主のみ計らいは違うのです。私たちの主は人類を贖罪するために、十字架上に死に給わなければなりません。奇跡はもう数えきれないほど既に起こしましたので、十字架上でもう一つの奇跡を起こしてもユダヤ人が回心しなかったでしょう。数日前、ラザロを復活させたばかりですよ。なんといっても、それほどすごい奇跡はないでしょう。しかも、死者を蘇らせたのは始めてではなかったし。病を治し給ったことも無数ほどにありますし、御教えも、聞いていた人々を驚嘆させたのではなかったでしょうか。
だから、十字架上では私たちの主は挑発に乗って奇跡を起こすわけには行かなかったわけです。奇跡を犯したとしても、ユダヤ人たちはそれでキリストを信じようとしなかったのです。
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【十字架上の第一の御言葉「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているか知らないからです。」】
私たちの主はそれらの冒涜の言葉を聞いて苦しみ給ったに違いありません。しかしながら、冒涜されても、十字架上の第一の御言葉を仰せになりました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているか知らないからです」 と仰せになりました。

御前で人々が罪を犯してしまうにもかかわらず、私たちの主はどうしても御憐れみを与えようとなさっておられます。御受難の際に、人々といったらユダヤ人たちのことでしたけど、かれらは、目の前で、十字架上で起きている出来事を分かっていないのです。だから、「父よ、彼らをおゆるしください。」と仰せになることによって、人々に向けて十字架の意味を啓示されます。つまり、私たちの主は十字架というのが憐れみの出来事であることを啓示されます。また、十字架は天主に対する当然の是であること、最低限の正義に対して必要とされている代償であることを啓示したもう第一の御言葉なのです。というのも、御憐れみと正義は切り離せないことですから。

私たちの主は天主のためにご自分を生贄としてお捧げすることによって、罪を償い給うということです。かかる償いの行為である犠牲は、つまり、正義に適った行為こそが、霊魂たちのために贖罪を得、救済を得しめ給うということです。その結果、天主である私たちの主は、霊魂たちに天主の御赦しを得しめ給うことができるようになったのです。これは、十字架上における私たちの主の第一の御言葉でした。因みに、全部合わせて、十字架上の御言葉は七つあります。


【第二の御言葉「まことに私は言う。今日あなたは私とともに天国にいるだろう」】
第二の御言葉は、第一の御言葉のほぼ直ぐ後に仰せになりました。周りのユダヤ人たちは冒瀆を続けるところですけど、私たちの主を囲む十字架上の二人の盗賊者の一人も「悪い盗賊者」と呼ばれる一人が冒瀆してしまいます。

しかしながら、もう一人の良き盗賊者は悪き盗賊者にこういいました。「なぜそういっている。なぜ冒瀆するか。我々二人は、十字架に掛けられて当然のことだろう。人殺しでも盗みでも我々悪い事をやって死刑にされているのだから」といったような内容でした。要するに「お前は同じ刑罰を受けながら、まだ天主を畏れぬのか。われわれは行ったことの報いを受けたから当然だ。だがこの人は何の悪事をもしなかった」 と。

その発言によって、良き盗賊者は私たちの主の無罪を断言しました。それから、私たちの主に向いて、良き盗賊者はこう言いました。「イエズス、あなたが王位を受けて変えられるとき、私を思い出してください」 。「Memento mei私を思い出してください」その際、私たちの主はもう一度、御憐れみを与え給いました。良き盗賊者に向けて、イエズスがこう仰せになりました。「誠に私は言う。今日あなたは私とともに天国にいるだろう」

諺で言われている通り、「善き盗賊者の最後の盗んだものこそは天国だった」。だから、私たちの主は、彼に御憐れみを施し給いました。もちろん、良き盗賊者は自分の罪を認めた上で、正義に適って、その罪の償いとして苦しみを受け入れた上、信仰を宣言するので、御憐れみの対象になりうるのですけど、それらの条件を満たして、私たちの主に御憐れみを乞い願ったなら、私たちの主は御憐れみを与え給います。「今日あなたは私とともに天国にいるだろう」。十字架上の私たちの主の第二の御言葉でした。


【第三の御言葉「婦人よ、これがあなたの子だ」「これがあなたの母だ」】
そして、十字架のもとに、いとも童貞なる聖母と聖ヨハネがおられました。執行の場所の近くに何とか近づくことが出来ました。十字架にかけられたので、番兵たちはまだ警備するものの、親戚などは受刑者たちの近くまでに行けるようになったという感じです。いとも童貞なる聖母と一緒に聖ヨハネもおられます。そして、私たちの主はいとも童貞なる聖母に向いてこう仰せになりました。「婦人よ、これがあなたの子だ」 と聖ヨハネを指しながら仰せになりました。そういえば、聖ヨハネ自身が証言している場面なのですけど、聖ヨハネ自身がそこにいたから、なかなか価値のある証言なのです。で、また聖ヨハネに向いて「これがあなたの母だ」 と仰せになりました。

御言葉の意味は、イエズスは私たち人間に、母としていとも童貞なる聖母を与え給ったということです。ある意味で、ご自分の御母をお捧げしてまでの犠牲といえます。言い換えると、イエズスの御母だけでなくなって、すべての人間の御母となし給いました。そして、要注意なのは、十字架のもとで私たちの御母となし給ったので、「御憐れみの母」となっておられます。「Mater misericordiae」です。
十字架のもとで、聖母が苦しみ給い、そして、ご自分の苦しみを私たちの主の御苦しみにあわせ給うたおかげで、主と一緒に、と同時に、私たちのために憐れみを得しめたもうということです。



【昼間なのに「地上一帯が暗くなった」:預言の成就】
以上の出来事は何時ぐらいに起きたのかは、正確にはわからないけれど、正午と午後三時の間でした。十字架刑自体は比較的に早く済んだので、また昼間でした。
しかしながら、「地上一帯が暗くなった」 のです。その時に、天などは地上が暗くなったのは裏付けられた史実なのです。当時の関係のない記録の幾つかの中に「地上が暗くなった」という不思議な現象が記録されています。だから、地上が暗くなったのは、史実の史実で、多くの人々に確認された事実です。しかしながら、原因は不明で、奇跡的なので、日食などではなかったことも確認されています。そういえば、御受難の日に、満月だったのですけど、天文学上、満月だと、日食になるのはほぼ無理なことだとされています。しかも、暗くなったのは三時間ほどでした。また、旧約聖書には、暗くなるという奇跡はアモスに預言されたことです。この奇跡の時も、ユダヤ人たち向けですね。もう一度、ユダヤ人らは、旧約聖書に明記されたその預言を良く知っていたし、目の前で実現したので理解するはずだったのに、理解しようともしませんでした。


【第四の御言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「天主よ、天主よ、なぜ私を見捨てられたのですか」】
また、こういった物質的な外面的な暗みは、私たちの主の御霊魂の内面的な暗みを示すといえます。なぜかというと、その時に丁度、第四の御言葉ですが、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と仰せになりました。ヘブライ語で、「天主よ、天主よ、なぜ私を見捨てられたのですか」 とのお叫びです。

私たちの主は、罪による苦しみを深く感じ給い、孤独をも感じ給いました。勿論、天主はイエズスを一度も見捨てたこともないし、イエズスは天主であるままです。しかしながら、御受難の際に、私たちの主は御自分が天主であるということからの何の慰めを何も受けないことになさいました。だから、人間としての私たちの主は、一番凄まじく苦しみ給ったということです。「天主に見捨てられたかのように」という苦しみまで感じ給ったということです。それで、御言葉を叫ばれました。罪を贖うので、罪人の典型的な叫びに他なりません。

罪は天主から遠ざからせてしまうことですから。勿論、私たちの主は罪を一つも侵さなかったし、天主であるし、ずっとその天主性とその聖寵のままですが、罪を負い給ったということです。

しかしながら、模範であるから、罪人が本音で「天主に見捨てられた」といってしまうように、私たちの主も仰せになりました。いや、それより酷い話に、罪人は「天主よ、天主よ、罪のせいで、私があなたを拒絶してしまった」と明かすべきです。なぜかといと、罪という定義は、特に大罪は、天主を拒絶するということなので、天主を見捨てるということで、天主から離れるという意味なのです。

要するに、「天主よ、天主よ、なぜ私を見捨てられたですか」 と叫ばれたということで、私たちの主は罪人の感じている心の暗みまで感じ給いました。
十字架のもとにいる人々は、その御言葉を聞いて、イエズスが「エリ」という人を呼びかけると勘違いします。が、違います。「天主よ、天主よ」と仰せになります。


【第五の言葉「私は渇く」】
そして、次の御言葉は「私は渇く」 と仰せになりました。勿論、身体上の「喉渇き」だともおもわれますが、それ以上に、霊的な渇きでもあります。つまり、「霊魂たち」を欲しがっておられるということです。十字架上に霊魂たちを贖い給うということです。

「Sitio」「私は渇く」と仰せになったけど、その近くに受刑者の渇きをいやすための酢の壺が用意されていました。そして、ある兵士が槍の先にタオルを刺して、壺の酢に湿らせて、私たちの主へ差し出しました。私たちの主は、タオルを受けられ、酢を口にされました。苦みを受け給い、旧約聖書にある預言を実現するためにそうなさいました。ダヴィドによる預言なのです。「渇いた私に酢を飲ませた」 。酢の苦みを味わい給った。


【第六の言葉「すべては成し遂げられた」】
そして、もう一つの御言葉を仰せになります。「すべては成し遂げられた」 と。第六の御言葉でした。その意味は「旧約聖書にあるすべての預言を果たし実現した」という意味です。確かに「渇いた私に酢を飲ませた」 という預言だけはまだ実現されていなかったのです。その酢を飲まれたので、「すべては成し遂げられた」 。その上に、すべての霊魂たちを贖い給ったのです。


【第七の言葉「父よ、私の霊を御手にゆだねます」】
「「父よ、私の霊を御手にゆだねます」と大声で叫ばれた」 。「頭を垂れて息を引き取られた」 。死に給いました。



十字架の道行 【公教要理】第四十二講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月17日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十二講  贖罪の玄義・歴史編・その十・十字架の道行




「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ」
判決が下ってから、十字架に付けられるまでの間に「十字架の道行」という場面があります。私たちの主は十字架の道行を歩みだし給います。御自分の十字架を担いながら歩み給います。前回に見たように、ここに言う十字架は「Patibulum」という横の部分を担いながらということです。それから、行進が始まります。

【聖福音による十字架の道行きの記述】
聖福音には十字架の道行に関する記述は多くないのですが、二つの事が特に記されています。
第一、共観福音書において、要するに聖マテオ、聖マルコと聖ルカは同じことを記しています。シレネのシモンという人が私たちの主を助力するために動員されたという指摘があります。それから、聖ルカはもう一つの出来事を記しました。私たちの主は敬虔な婦人たちと出会い、彼女らを慰める場面です。
十字架の道行に関して、聖福音上では以上の二つの事しか記載がないということになります。要するにシレネのシモンと敬虔な婦人たちという二つの事です。

【聖伝による十字架の道行きの十四留】
とはいえ、聖伝によると十字架の道行について他に幾つかの出来事が伝わってきました。そういえば、聖伝を無視するわけにはいきません。なぜかというと、聖伝は啓示の源泉の一つだからです。従って聖伝が伝える教えは守るべき教えでもあります。十字架の道行に関して言えば聖伝によって伝わり、私たちの教会で行われる敬虔な修行の一つの中に織り込まれています。

この修行は特に聖金曜日に行うものです。「十字架の道行」という修行なのですけど「14留」から構成されています。つまり、ポンシオ・ピラトの「イエズスの死刑の宣告を受けたもう」という第一留から「イエズス墓に葬られ給う」という第十四留まで、この修行は綴られています。そしてこの十四留の内に、聖福音に記されている二つの出来事が出てきます。その上、これからご紹介していく別途の出来事も織り込まれており、公教会がこれらの出来事を大切に維持し続けてきました。


【私たちの主は十字架を担い給い(第二留)、倒れ給う(第三留)】
先ず、私たちの主は十字架を担い給い(第二留)、道行を歩みだし給います。過労で辛うじて進め給う挙句に、イエズスが始めて倒れ給います(第三留)。

「ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ、やがて大地に倒れ給う」。具体的に言うと、かなり心を打つような転倒だったのです。私たちの主はもうくたくたで疲れ切って、ついに大地にボーンと倒れてしまう転倒をします。また、担わせられる十字架に私たちの主が鎖なりで拘束されているので、ご自分の手で踏み止まることはできなかったのです。だから、きっと、ショックを弱めるすべもなく、頭が大地に激しくぶつかったことでしょう。


さらにいうと、十字架に鎖で拘束されるだけではなく、周りの番兵たちにも縄で繋がって拘束されていたはずです。だから転倒の際に、周辺の番兵たちは彼を虐める言い訳になります。彼を立ち直させるためであり、あるいは単に彼を鞭打つためであり、あるいはとにかく「進め!」と励まし、というかそれどころか虐待を受け給います。以上は、私たちの主の始めての転倒でした。


【聖母と出会い給う(第四留)】
この始めての転倒の後に次の出来事がありました。まだエルサレムを出ていないところなのですけど、ある交差点でもあった出来事でしょう。御自分の聖なる御母と出会い給います(第四留)。聖母マリア、いとも聖なる童貞は通りかかる行列を見つめられて、二人の盗賊者を御覧になった上に、ご自分の子、また同時に御自分の天主であるイエズスを見かけられました。

この光景を見て、どれほど聖母マリアの御心は苦しみの剣で貫かれただろうかは想像に難くありません。御自分の天主でもあった故にご自分の御子を完全に本当の意味でこの上なく愛していたイエズスを見かけて、聖母はどれほど苦しまれたでしょうか。目の前に御子がおられて、体が傷だらけで顔も醜くなってしまって、死刑の道具を御自分で担い給う様子、ゴルゴタの丘へ行き給う光景。

義人のシメオンはかつて聖母マリアに「あなたの心も、剣で貫かれるでしょう」 と預言されたときに、聖母マリアはいずれ受け入れるべき苦しみについて覚悟を決められたのです。が、これほど重い苦しみになるなど想像できなかったに違いありません。

聖母マリアは御子と視線を交わされます。というのも、私たちの主はわざわざご自分の御母へ一目を向け給うからです。慈しみ深い眼差しだったに違いありません。また、御子の眼差しは「母上よ、あなたの苦しまれることを知っておりますよ。御母よ、あなたの苦しみを私の苦しみに合わせていただきとうございます」と語る眼差しだったでしょう。
というのも、聖母の苦しみをもって、私たちの主の御受難に聖母が参与されたと言えます。

また、これがまさに聖母を「共同受難(compassion)の聖母」と呼ばわる所以です。この敬称のラテン語の語源は « Cum - pati »で、「共に苦しむ」という意味なのです。その通り、聖母マリアはご自分の苦しみを私たちの主の御苦しみと共にしたのです。聖母に会い給うた時に、視線は御二人からの二つあったかもしれません。しかし苦しみは一つでした。あえて言えば、心を一つにしておられたのです。御愛は同じく一つでした。


【キレネのシモン】
私たちの主が始めての転倒から立ち直られて聖母にあい給ったその後は、どうでしょうか。番兵たちなどはイエズスが十字架を担うことに非常に苦労していることを見受けていました。そこで福音史家たちは、シレネのシモンの登場を記します。

因みに、福音史家たちがシレネのシモンの登場を記載したということは、その出来事の歴史性を強調するということです。確かに、聖マルコはこのシレネのシモンについて更に詳しく記載しています。彼が特定の人で、評判の人で、「アレクサンドロとルフォの父」 だと明記されています。要するに、御受難の証言者が本当にいたということです。だから、イエズスという人が存在しなかったとか、御受難はなかったとか言っている人々に対して、シレネのシモンという歴史上の人物が明記されているお陰で、イエズスの存在と御受難の歴史性が証明されていて、史実であることが証明されているということです。

シレネのシモンは「その時、田舎から出てきて」 いたけど、恐らく畑働きの途中で、食事を取るためか一服するためか、一旦家に帰るときに行進に出会ったのでしょう。彼は、たまたま通りかかった、何の関係もない可哀そうな一人だったわけです。数時間の労働が終わったところで、一服しただけの労働者の一人です。ところが、帰る途中に死刑の行進と出会いました。それは始めてのことでもなかったのです。十字架刑を宣告された受刑者は以前にも間違いなくいたからです。
しかしながら、今回に限って、異例のことでしたけど、シレネのシモンが動員されてしまいます。つまり、番兵たちに声をかけられて、「ここにいる強盗者を助けよ」という命令で動員されました。

恐怖で、間違いなく従ったと思われます。いや、それは当然のことでしょう。数人の恐ろしい番兵たちに囲まれて命令されたら、普通なら抵抗しようともしませんから。まあ、おそらく恐れて従ったと思われます。もしかしたら善意もあってのことだったかもしれません。福音史家たちはその心情に関して何も記載していないので、それは兎も角、シレネのシモンは少なくともその命令に従いました。

つまり、彼は私たちの主と共に、十字架を担うことになりました。シレネのシモンは主が十字架を担い給うのを助けました。この事実を思うと、非常に素晴らしい出来事です。というのも、私たちの主は人類のすべての罪、私たちの罪を担い給いに来たり給うたからです。だから、一人の人間でも十字架を担うことは相応しかったのです。要するに、この十字架は罪の報いなのですが、人類のすべての罪、私たちの罪の報いであります。従って、私たちも皆、私たちの主の十字架に参与すべきなのです。

言い換えると、私たちの主は、シレネのシモンを参与させたという出来事を用意し給うたことによって、私たち人間を皆お誘いになります。「皆一人一人も私の受難に参与せよ」。言い換えると、「皆、自分の十字架を担え」という意味がその出来事に織り込まれています。「私の後に従おうと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従え」 。それぞれ自分の十字架を背負うべきだということです。「私の後に従おうと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って従え」 。そこで、私たちの主は十字架の一番重い部分を担い給ったのですが、一部だけは私たちに担わせようとなさいました。

ここに登場してくるシレネのシモンは、私たちのために用意された模範に他なりません。つまり、人間なら皆やるべきことの模範がこの史実において知らされています。「私たちの主の後に従い、自分の十字架を背負うこと」。いや、さらに言うと「私たちの主と共に、十字架を背負う」という模範なのです。
シレネのシモンは私たちの主をちょっと助けます。それから、私たちの主が何とかひと息つかれると、シレネのシモンは離れて元の道に戻って逆方向へ去りました。
~~


【ヴェロニカという婦人が主の顔を拭く(第六留)】
それから、その時ぐらいだったか、そのもうちょっとあとの時だったか、道辺にいた一人の婦人が番兵たちの隙間に主を見かけました。多量に出血していた主を、ぼろぼろになっておられた私たちの主を、醜くなってしまった御顔を、その婦人が見かけました。青ざめた弱った真っ白になった御顔を見かけました。この婦人は「丘まで行けそうにない」と思いながら憐れみの感情であふれて、番兵たちの警備に挑み、突っ走りだして番兵たちの隙間を抜けて私たちの主のもとによってきます。その婦人は自分のベールを取り、私たちの主の御顔をその布で拭います(第六留)。



この御憐れみの行動は私たちの主に報いられます。というのも、その布にイエズスは御顔を写させ給うたからです。登場するその婦人は聖ヴェロニカと呼ばれています。「ヴェロニカ」という名前はギリシャ語から来ますが「ヴェラ・イコン」という語源で、「本物の御影(ごえい)」という意味です。要するに、聖ヴェロニカの名前は、自分のやった出来事から転じた名前ということです。つまり、私たちの主より給った御写しということから「聖ヴェロニカ」と呼ばれています。「私たちの主の本当の御顔の写し」を頂いた聖ヴェロニカです。

要するに、どれほど小さい愛徳の仕業でさえも、その愛徳の行動に対して、私たちの主は必ず報いを与え給うということです。聖福音においてご自分で何度も仰せになることです。それを実現するかのように十字架の道行の中の聖ヴェロニカは憐れみの行動の報いを確かに頂いたわけです。


【イエズスは再び倒れたもう(第七留)】
シレネのシモンの助力にもかかわらず、その一人の婦人の和らげにもかかわらず、十字架は非常に重く、主は長時間にわたって苦痛し続けられたので、「イエズスは二度(ふたたび)倒れたもう」(第七留)のです。主の二回目の転倒になります。一回目の転倒の時と同じように、二回目の際にも番兵たちに虐待され虐められたでしょう。なるべく早く立ちなおさせるために。もう、道行の最後まで、行かせなければならなかったのです。

ユダヤ人たちにとって、どうしても十字架上で死んでもらうべきだったのです。行く途中でどうしても死なせてはいけなかったのです。見せしめにするためだったからです。
で、何とか辛うじて私たちの主は立ち直り給います。御受難において、忍耐の徳という模範を示し給いました。町の門を潜り給い、エルサレムを去り給いました。


【イエズスはエルサレムの泣く婦人たちを慰める(第八留)】
その次は、石ころだらけの道だっただろうけれど、ゴルゴタの丘への険しい坂を上り給うところです。
その途中で、門を潜る前だったか後だったか福音には記載無しということで不明ですが、聖ルカによると、私たちの主は泣いている婦人たちに出会い給いました。要注意なのは、受刑者に対して、慈悲の心を同情の気持ちを示すことは厳禁の行為だったことです。だから、受刑者を見て、彼のために泣き出すなどは禁じられた行為でした。だから、この婦人たちは恐れずに泣き出すことを惜しまなかったといえます。私たちの主の運命を見て泣き出すわけです。

感嘆すべきことが起きます。私たちの主は、ご自分の状況を一切に考えないで、それらの婦人たちのために思いやり一杯で、エルサレムの婦人たちを慰め給いました。十字架の道行の中の第八留です。私たちの主は憐れみに溢れておられます。非常に苦しみ給ったことは確かなのですけど、私たちのために苦しみ給うのです。私たちの悲惨事である罪から私たちを救うために、解放するために苦しみ給いました。十字架の道行の途中で、私たちの罪の負担を和らげ給うことを特別に実現し給います。エルサレムの婦人たちを慰め給うことによって、実現し給います。「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くことはない。むしろあなたちと、あなたたちの子らのために泣け。」 と仰せになりました。

ここの「子ら」という言葉は「罪」という意味で捉えれば良いのです。続いて、こう仰せになります。「〈うまずめ、子を生まなかった胎、飲ませなかった乳房は幸いだ〉という日が来る。その時、人々は山に向かい〈われわれの上に倒れよ〉、また丘に向かい〈我々を覆え〉と言うだろう。生木さえもそうされるなら、枯木はどうなることか。」

ここの「生木」はイエズスを指し、御自分に他なりません。「枯木」という時に、燃えやすい薪ということです。ということは、私たちの主は「生木」と言われる時に、御自分の無罪性を言われるのですが、「枯木」と言われる時に、罪を犯した霊魂のことを言われます。言い換えると「私、無罪である者がこういった目に合わせられるのなら、罪人はどういった目に合わせられるだろう」との意味です。暗に、人間の究極の行方について、最後の審判について語り給います。要するに、私たちの主は明白に罪の深刻さとその醜悪さについて啓示し給います。
以上、私たちの主がエルサレムの聖婦人たちを慰め給う場面をご紹介しました。


【イエズスは三度(みたび)倒れ給う(第九留)】
その後は、私たちの主は町を去り給います。ゴルゴタの丘への残りの道はわずかですが、登り坂なので非常に苦労が要る僅かの道のりなのです。
そこで、イエズスは三度(みたび)倒れ給う(第九留)。死刑の執行の場所まで、もう僅かしか残りません。立ち上がろうとしてもなかなかできず、残り道を半分御自分で歩き、半分引っ張られることになったでしょう。番兵たちなどは、転倒を利用して改めて私たちの主を虐めたりしました。
私たちの主は三度に取れ給って立ち上がり給うと、後はもう数歩で、死刑執行の場所に御到着です。
こうして、ゴルゴタの丘に御到着します。十字架の道行はそれで終了します。しかしながら、それから、大悲惨がはじまります。天主であり人でもある御方はその次に処刑されます。



参考文献・十字架の道行の祈り
■十字架の道行(みちゆき)の前の祈(いのり)
救い主イエズス・キリスト、主はわれらを罪よりあがなわんためにエルザレムにおいて残酷なる苦しみに遭い、恥辱を受け、十字架を担いてカルワリオに登り、衣をはがれてくぎ付けにせられ、二人の盗賊の間に挙げられて死し給えり。われ主のかく苦しみ給える地にもうで、御血(おんち)に染(そ)みたる道を歩みなば、鈍きわが心も主の愛の深きをさとりて感謝に堪えざるべし。また主の御苦難の原因なるおのが罪の重きを知りて、たれか痛悔の情(じょう)を起(おこ)さざるものあらん。われかかる幸いを得んと欲すれども能(あた)わざれば、かの地のかたみなるこの十字架の道を歩まんとす。されどわれもし聖寵(せいちょう)をこうむらずば、愛と痛悔との情を起す能わざるにより、願わくは御(おん)恵みをくだして、主の御(おん)苦しみをわが心に感ぜしめ、かつて聖母マリアおよび主の御跡(おんあと)を慕いし人々の心に充(み)ちあふれたる悲しみをば、わが心にもしみ透(とお)らせ給え。またわれをして今より深く罪を忌みきらいて全くこれを棄て、愛をもつて主の御慈愛に報い、主の御(おん)ために、苦難を甘んじ受くるを得しめ給え。なおこの十字架の道を、ふさわしき心もて行く人々に施さるる贖宥(しょくゆう)をわれにも、また煉獄(れんごく)に苦しむ霊魂にも、与え給わんことをひとえにこいねがい奉(たてまつ)る。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、わが心に深く印し給え。


■第一留(りゅう) イエズス死刑の宣告を受け給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 人々は主を捕えてカイファのもとに引き行き、あざけり、御顔(おんかお)につばきし、打ちたたき、次いでピラトの裁判にわたせり。ピラトは群衆の心を和らげんとて主を石の柱に縛りつけ、むち打ち、ついにいばらの冠を御頭(みかしら)に押しかぶせければ、傷つき血流れたり。されど群衆は少しもあわれと思わずして、なおも十字架に掛けよ、十字架に掛けよと大いに叫びたりしかば、ピラトもせん方(かた)なくて主に死罪をいいわたすにいたれり。

▲主イエズス・キリスト、主を死刑に処せしは、ピラトとユデア人(びと)とにあらず、ひつきようこれわれらの罪の業(わざ)なり。われら今(いま)罪を犯す毎(ごと)に、主に大いなる苦痛を加え、不当の宣告を受けさせ奉るなり。よりてわれらの罪の罰を赦し給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用(にちよう)の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪(あく)より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満てる(みちみてる)マリア、主(しゅ)御身(おんみ)と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母(おんはは)聖マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。(読み方: 「聖父」=「ちち」、「聖子」=「こ」、「聖霊」=「せいれい」)

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御(おん)あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、われらの心に深く印し給え。



■第二留 イエズス十字架を担い給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

人々は主を外に引き出(い)だし、荒木(あらき)もて作れる十字架をかしこくも主の肩に打ち掛くるや、主は御身の傷をもいとい給わず、すこしも拒み給う御気色(みけしき)なく、引き寄せてこれを担い、柔和にして、堪忍深き御姿(みすがた)にてかれらの後(あと)より歩ませ給う。

▲主イエズス・キリスト、主は十字架を担い給うべきにあらず。罪人(つみびと)なるわれらこそ、十字架を担うべき者にはあるなれ。さればわれらは主の御旨(みむね)によりて、罪を償(つぐの)うがために、この世の苦難を受くべき者なれば、主を鑑(かが)みとして、柔和堪忍をもつてこれに耐えしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第三留 イエズス始めて倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでにむち打たれ、いばらの冠に刺(さし)貫かれ給えるほどに、傷あとただれ破れ、あけの血に染(そ)みて歩み給いければ、衰弱のあまり足下(あしもと)よろめき、ついに十字架の重きに堪えずして、傾きかがみ、やがて大地(だいち)に倒れ給う。

▲主イエズス・キリスト、主を倒しまいらせしは一(いつ)にわれらなり。われら罪に陥りたるによりて、主はかかる苦難を受け給うなれば、われら深くこれを悲しみ奉る。この御苦難の功力(くりき)によりて、われらを罪より救い給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第四留 イエズス聖母にあい給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

聖母マリアは御子(おんこ)が死罪の宣告を受け給いしを聞き、急ぎ行き給うほどに、途(みち)にてあい給えり。あわれ天使の御(おん)告げありし昔には似るべくもあらず、あけの血に染(そ)み目も当てられぬ主の御姿(みすがた)を見て深く悲しみ給えども是非(ぜひ)なし。御子の御苦難(ごくなん)に御(おん)みずからの悲しみを添えて、われらのために御父(おんちち)天主に献げ給う。

▲主イエズス・キリスト、聖母マリアの御心(みこころ)を悲しませまいらせしは、一(いつ)に罪人(つみびと)なるわれらなり。主は限りなく慈悲深くましませば、幸いにわれらの罪を赦し給え。また主と御母(おんはは)との御心(みこころ)を慰め奉るために、われらに力を尽さしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第五留 イエズス、シレネのシモンの助力(じょりょく)を受け給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はかく歩み行き給うほどに、御気力(おんきりょく)次第に衰えてすでに危うく見え給えり。されど来りて助けまいらする者もなく、かえつてさまざまにののしりたたきたりければ、今ははや堪え難くして沈み入り給わんとす。人々は折しもそこに来合わせたるシレネのシモンに、強いて十字架を助け担わせ、なおも主を駆りて歩ませ奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、主の十字架を担いて、力弱り給いしは、これ全くわれらの罪の重きが故なり。われらこそシモンに代りて十字架を担うべき者なれば、今より一切の苦難を、主の十字架の分としてわれらに受けしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第六留 イエズス御顔(おんかお)を布に写させ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はなお歩み行き給うほどに、御体(おんからだ)も御顔(おんかお)もあけの血に染(そ)み給えども人々は少しもあわれまず、ますます荒立ち騒ぎたり。この時ヴェロニカという女群衆のうちより走り出(い)で、主に布を献げければ、主は御(おん)みずから御顔(おんかお)を拭い、尊き御(おん)面影をその布に写して返し授け給えり。

▲主イエズス・キリスト、われらの霊魂に聖寵を添え給え。十字架の苦難によりて、われらに御功徳(おんくどく)を移し給え。われら弱き者なれども、ヴェロニカにならい、世のあざけりを顧みず、専ら主を崇(あが)め奉るを得んことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第七留 イエズス二度(ふたたび)倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主の御力(おんちから)は血と共に減り、今は御足(みあし)も進みかね、息たえだえにてうつぶせに倒れ給いぬ。ユデア人(びと)らはなおもあわれまずして打ちたたき、棄物(すてもの)の如く扱いつつ強いて歩ませ奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、われら御血(おんち)の跡を慕いて、深く愛し奉る。主の二度(ふたたび)倒れ給いしは、われらの悲しむ時に当りて、頼もしき心を失わせじとなり。天に昇る道は十字架の道にて、すなわち苦しみの道なれば、御苦難(ごくなん)の功力(くりき)により、われらをして雄々しき心をもつて、歩ましめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第八留 イエズス、エルザレムの婦人を慰め給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

この時(とき)主の後よりあまたの人々慕い来り、なかにもエルザレムの婦人は涙にむせびて道すがら泣きければ、主はかれらを顧み、御(おん)苦しみを忘れて、慰め宣(のたま)わく『エルザレムの婦人よ、わがために泣くなかれ、なんじらとなんじらの子孫とのために悲しむべし。生木(なまき)すらかくの如くなれば、まして枯木(かれき)はいかにぞや』と。

▲主イエズス・キリスト、主は罪なくして苦しみを受け給えり。われらは罪をもつて聖寵を失い、あたかも枯木の如くなれば、必ず地獄の火に燃やさるべき者なり。さればわれらに、おのが罪と人々の罪とのために泣き、痛悔(つうかい)の涙を注がしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第九留 イエズス三度(みたび)倒れ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はカルワリオの上にいたりてまた倒れ給う。そは人々がかかる苦難を無益になさんことを思い給い、御心(みこころ)細(ぼそ)きあまり、深く悲しみ給えばなり。されど主はいずこまでも人々を助けんとて苦難を耐え忍び給う。

▲主イエズス・キリスト、主は何故(なにゆえ)に幾度(いくたび)も倒れ給いしぞ。これ全くわれら幾度(いくたび)も罪を犯し、たとい痛悔を起(おこ)すとも、また重ねて罪に陥るが故なり。主は三度(みたび)の後(のち)は倒れ給わず。さればわれらをして、主の御功力(おんくりき)によりて、この後(のち)再び罪を犯さざらしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十留 イエズス衣をはがれ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

ユデア人(びと)らはカルワリオにおいて主の御衣(おんころも)をはぎまいらせたり。その時御衣は御傷(おんきず)に付着して痛さに堪え給うべくもあらず、御頭(みかしら)のいばらの冠(かんむり)もさわりなりとて取り除(の)けしを、またもとの如く押しかむらせまいらせたり。そはいと苦しきことなれども、群衆の前にはだをさらさせ給いしは、なおこれにまさりて苦しげに見えさせ給う。

▲主イエズス・キリスト、御心(みこころ)に適(かな)わざることわれらにあらば、御衣(おんころも)の如く脱がしめ給え。わけても高慢、じやいん、どんよくなどの悪しき心を除き、聖寵の衣を着せ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十一留 イエズス十字架にくぎ付けにせられ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでにくぎ付けにせられんと十字架の上に倒れ、御(おん)みずから御手足(おんてあし)を延ばし給いたるを、ユデア人(びと)らは荒々しくその御手足にくぎを押しあて、かなづちにて打ち付けたり。この時(とき)主の御(おん)苦しみはいかばかりなりしぞ。御肉(おんにく)は破れ、御血(おんち)は流れて御力(おんちから)尽き、なお御(おん)渇きは堪え給うべくもあらず。さるをユデア人らは少しも心せず、十字架を押し立て、根下(ねもと)を突き固めて立ち去りけり。聖母は始終これを見て涙にむせび、十字架のもとに留(とど)まり給う。

▲主イエズス・キリスト、主はわれらのために、十字架にくぎ付けにせられ給えり。さればわれらもまた、主と共に十字架に付けられんことを望む。たといいかなる苦しみに遭うとも、主を離れざるよう御(おん)恵みをくだし給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十二留 イエズス十字架の上に死し給う

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主は二人の盗賊の間に挙げられ給いしが、人々のために御父(おんちち)天主に向いて『かれらはそのなす所を知らざるによりて赦し給え』と宣(のたま)えり。一人の盗賊はこれを聞きて『願わくは御国(みくに)にいたらん時われを思い給え』と申したりければ、主は『今日(きょう)なんじ、われと共に楽園にあらん』と宣えり。また十字架のもとに聖母(せいぼ)及び御弟子(みでし)の立てるを見給いて、御母(おんはは)に向い『女よ、御身の子ここにあり』と、また聖ヨハネに向いては『なんじの母ここにあり』と宣い、やがて『事(こと)終りぬ』と宣いて、息(いき)終(た)えさせ給えリ。その時、日はなお高かりしが、世界にわかに夜の如く暗くなりぬ。

▲主イエズス・キリスト、主の死し給える時に当り、地は震(ふる)い、日は暗み、墓は開け、死人はよみがえり、岩は裂く。われらこれを思いて心にいたく感ずる所なくんば、きわめてかたくななる者なり。これによりて、今よりわれら再び罪を犯さず、主と共に、この世に死するを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十三留 イエズス十字架よりおろされ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

主はすでに息絶えさせ給いしかば、御体(おんからだ)は十字架よりおろされ給えり。聖母マリアは御(おん)なきがらを抱(いだ)き給い、その御色(おんいろ)ざし、御顔(おんかお)、御手足(おんてあし)、および御脇腹(おんわきばら)の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う。

▲主イエズス・キリスト、かくも聖母を嘆かせまつりしは、すなわちわれらなり。ああ罪人(つみびと)なるわれら、いまさらに悔み悲しみ奉る。聖母はわれらのためにいつも母たり給えば、われらはいつも子となりて、忠実を尽すを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■第十四留 イエズス墓に葬られ給う
ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

時にニコデモとヨゼフはピラトの許しを得て、主の御体(おんからだ)を葬らんと御母(おんはは)よりこれを受け、清らかなる布にて包み、新しき墓に葬り奉れリ。

▲主イエズス・キリスト、われらの罪を御墓(おんはか)に隠し給え。われら心のうちに、主を受け奉り、今よりこの世の楽しみに死し、天国において、主を讃美するを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

●(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

●(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

●(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。

ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。


■十字架の道行の後(のち)の祈り
唯一の希望にして世の救いと栄えなる十字架を崇め奉る。願わくは熱心なる者はこれによりてますます聖寵を加えられ、罪人もこれによりてその罪を赦されんことを。▲救霊の源にまします三位一体(さんいいったい)の天主、願わくはすべての霊をして、主をほめたたえしめ給え。われらに十字架の勝利を与え給いしによりて、その報いをも得しめ給え。アーメン。

ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

悲しみを極めませる聖母、われらのために祈り給え。▲キリストの御約束(おんやくそく)にわれらを適(かな)わしめ給え。

主よ、われらの主イエズス・キリストは主の一族なるわれらのために悪人の手にわたされ、十字架の苦しみを受くるをいとい給わざりき。▲願わくは、主のこの一族を顧み給え。

主イエズス・キリスト、活ける天主の御子(おんこ)、主は世をあがなわんがために十字架にくぎ付けにせられ、かつわれらの罪の赦されんために御血を流し給えり。▲願わくは、われらをして死後喜びて、天国に入(い)るを得しめ給え。

主イエズス・キリスト、主の御苦難(ごくなん)の時に当りて、苦しみの剣(つるぎ)は御母(おんはは)なる童貞聖マリアの尊き御心(みこころ)を貫きたり。▲願わくは、聖母われらのために取り次ぎ、今も臨終の時も、いつも主の御(おん)あわれみを、われらのために求め給わんことをこいねがい奉る。アーメン。

われらのためにむち打たれ、十字架を担い、これにくぎ付けにせられ給いしわれらの主イエズス・キリスト、われらを祝し給わんことを願い奉る。▲アーメン。





生命・ダウン症・体外受精―カトリック信徒は、なぜ命を守るのか?

2019年04月17日 | カトリック
カトリック信徒は、なぜ命を守るのか


中絶といったお腹の中の赤ちゃんの殺害、あるいは安楽死といった殺人など社会を転覆させるような野蛮な「権利」は人間にはない。これに反対するのは人としての常識だ。勿論、残念ながら、綺麗な言葉に騙されたり、毒めいた空気に負けたり、直接に関係ないからと思い無関心であったりするせいで、曖昧に黙認してしまうのが現代社会の現状だろう。

そのような中で、幸いに、無辜の命を守る為に立ち上がる人々がいる。切っ掛けは多くあるだろう。中絶によって自分の子を殺してしまった母の後悔と苦しみから、他人の女性に同じような過ちをしてもらいたくない、と立ち上がる人。無罪の命、声のない一番弱いものの命を奪うことによって、金儲けをしている資本主義的な要素に対して憤怒する人。日和主義に陥れ、中絶による「死の文化」が恒常化し、社会全体の形骸化を嘆き、亡国を憂う人。その他、無数に、中絶を無くしたいと思う理由がある。このような人々の中で、受精の瞬間から赤ちゃんの人間としての命を守るべきだという理由を掲げる勢力として、カトリック信徒の数が特に多い。なぜだろうか。


私自身がカトリック信徒であるので、なぜ中絶を廃するための運動に加わっているのか、私なりに説明したいと思う。



霊魂の救いのために中絶を廃せよ
結論から言うと、赤ちゃんの霊魂の救いのために、カトリック信徒して、どうしても生まれる赤ちゃんを守ろうとするしかない。

勿論、カトリック信徒ではなくても、生まれる命を大切にするということはごく自然なことで、ごく常識的なことになるはずだ。そのぐらいなら、信仰を持つ必要はない。無罪の子ども、一番弱い存在、大人になりうる、いや大人になるために守り育つべき、授かった赤ちゃんを守るのは、ごく自然のことで、人道的なことだ。また、家と国の未来を保証する多くの子孫を大切にする心なども、ごく自然のことで、文明国たりうる国なら、異教徒であろうとも、カトリック教徒であろうとも、何処でも何時でも命を守ったということは歴史の裏づける事実だ。逆に言うと、こういった赤ちゃんの命(または英知を持つ年配の方の命)を軽蔑して、無視して、貶める文化は、野蛮な国、非道な国、最低な人間の非文明的な国に他ならない。そして、必ず亡国するだろう(スパルタやソドムなどの前例がある)。これらの理由は、常識的なことで、自然なことで、だれも理解できることで、感じうる自然な感情と人間の理性だけで把握できる事実であろう。


それはいいとして、それを超えたところに、なぜカトリック信徒が、それほど中絶に反対するのだろうか。なぜ、生まれようとする子供をそれほどに大切にするだろか。


単純に、生命を大切するためだけではない。より根本的な理由があるカトリックの信仰によると、イエズス・キリストの内的な永遠の命こそ、この世での旅の唯一の目的となっている。つまり、長寿するためとか、この世の豊富を享受するためとか、この世での「幸せ」のためとか生きているのは、人生の究極の目的ではない。全く違う。逆に言うと、洗礼を受けた分別のない幼児が死んでしまったら、人間的に悲しむかもしれないが、カトリックの親としては喜ぶべきことだ。なぜかというと、洗礼を受けた幼児が、原罪から清められた上に、新しい罪(自罪)を犯していないので、確立に救われている、天国に入った、聖人となったとことになる。因みに、幼児洗礼を受けた子どもの葬式の典礼は、喜び溢れる典礼だ。大人の葬式典礼とは真逆になっている。なぜかというと、洗礼を受けた大人が死んでしまったら、罪なく天国に行ける何の保証もないし、我々、この世に生きている人間がどこに行けるかを知るよしもない。皆、罪人で、そして天国への門は狭く、容易に天国には入れない。だから、地獄あるいは煉獄に行ってしまった可能性が高く、天主の御憐れみに寄り縋りながら罪の償いを捧げる悲しい典礼となっている。

もう一点に注目していただきたい。洗礼をうけなければ、救われることはない。天国には行けない。洗礼を受けていないまま、死んでしまうのは地獄行きの切符となっている。

従って、お腹にいる赤ちゃんを殺すとは、一番酷いことだ。なぜかというと、その赤ちゃんの霊魂の救いを奪って、地獄に送ってしまうということだからだ洗礼を受けていない原罪を負っているままの堕落した霊魂だから、必ず地獄に落ちてしまう。だから、中絶は絶対に許せない。母と関係ない。妊娠によって、母に死命的な危険があったとしても、中絶はありえない。問題は霊魂の救いに帰する。しいて言えば、両方が死んでしまうことになったとしても、両方が天国に行けるならば良い。まあ、そこまで行かなくても、実際のところ、どの場合があっても、「赤ちゃんを殺さなければ、母が必ず死ぬ」と断言できることはありえない。もしある「医者」と名乗っている人がこういった確率のような断言を言ったら、詐欺だ。嘘に過ぎない。医者の使命は命を救うことだ。実際のところ、医者から「必ず死ぬ」と言われた場合でも、結局、皆が救われた場合が多い。さらに言えば、そのような場合、天主のみ旨のままに、二人の命を共に守る為に出来るだけのことをやった後、祈りと犠牲において、天主により縋るしかいない

また、強い人が弱い人を守って自分の命を捨てるべきだ。イエズス・キリストが人類のために自分の命を捨てた。夫が妻のために自分の命を捨てる。母が自分の子どものために自分の命を捨てる。これこそ、人道であるはずだ。実践し辛いことであろうとも、「そうすべき」だということに関して変わらない。

もう一つ言い付け加えよう。「信仰の論理に立って、洗礼を授けた子どもをすぐに殺すなら子供は天国に行けるから、なぜそうしないか」という疑問が出てくるかもしれない。

それは信仰上にあり得ない帰結だ。なぜかというと、理由は幾つかある。先ず、勿論、第四戒の掟に反する。「汝、殺すなかれ」。どこの文明にもある掟だ。

それから、死ぬ時を決めるのは、人間ではなくて、天主だからである。つまり、天主が、我々それぞれに使命を与えて、それに合わせて死の時をも決め給うということだ。例えば、悪人が長生きするのは、天主の恵みの証拠だと言えるということになっている。なぜかというと、回心しないままに、悪人として死んでしまったら地獄に落ちるが、天主はすべての人々を愛し給うから、その悪人を長生きさせて、救おうとする。(因みに、救われるためには、我々が救われようとしない限り救われないという前提もある)

もう一つの理由は、どうしても罪を犯してはいけないからだ。「罪」とは「天主に背く」、「天主を悲しませる」「天主から離れる」という意味だが、赤ちゃんを殺してしまったら、天主の掟を破って(汝、殺すなかれ)、正義に反して(原罪が赦されて清められた、洗礼を受けた霊魂こそ、本当の意味での無罪の霊魂なので、ある意味で洗礼を受けていない赤ちゃんを殺すよりも重い罪となる)、大きな罪を犯すことになり、自分の霊魂は大罪を犯すことになる。隣人愛というのは、まず自愛から始まる。自分の霊魂の救いを蔑ろにして他人の救いのために働くことはありえない。

第三の理由は、より超自然的なことだが、洗礼を受けた赤ちゃんを殺して、天国に行けたとしても、それは酷い話だ。なぜかというと、その幼い霊魂の栄光を奪うことになる。長生きして、聖人になる使命のある霊魂なのかもしれない。また、多くの働きによって、犠牲と祈祷によって、天主のみ旨を果たす霊魂になるはずだから、それを奪って、天国におけるより多いな栄光の立場を奪ってしまうことになるからだ。あり得ない行為だ。

もう一つある。「天主のみ旨のままに」という至上の謙遜と従順との心が十字架上のイエズス・キリストによってこそ示された。「完全にキリストに倣う、それこそが完全な信仰を持つことだ」と信仰を要約できるかもしれない。従って我々はイエズス・キリストに倣って一生を送るべきだ。そこで、天主御父によって与えられたすべての恵みと試練とを、イエズス・キリストが単純に抵抗なし受け入れ給ったと同じように、我々も主の御旨を受け入れるのだ

要するに、誰でも共感するはずの自然的な理由の上に、カトリック信徒は、その彼方に、その上に、超自然の信仰に基づく理由がある。自然な理由を否定しないで、自然的な理由を織り込みながら、それを超越する理由だ。従って、霊魂を救うために、天主のみ旨によらない人為的な営みによる中絶に反対するのだ。



ダウン症の子が生まれるという恵
それでは、同じく別の例を挙げてみよう。
信仰から見たら、ダウン症の子をどう見るかをご紹介したい。
お腹の中にいる子の殺人と同じように、ダウン症を大切にする自然的な理由は多い。「それでも私の子」「より弱い子なので、守るべき存在だ」などだ。

しかし、例えば、「普通に成長して生活できるから」というような理由・根拠は、本来ならば、命を守ろうとする理由とするべきではない。これは弱い根拠なので、捨てるべきだ。なぜかというと、その根拠によると、生まれてから数週間で死ぬような不自由な子ならば、殺しても良くなるからだ。ところが、生まれてから数日間でも死んでしまうような難病の子であっても、その子を最期まで守るべきだ。霊魂の救済のために、天主のみ旨のままに従うために。天主のみ臨終のときを決めることができるからだ。

それは兎も角、信仰という立場に立つのなら、ダウン症が授かるというのは、至上の幸せになる。非常な恵みだ。なぜかというと、洗礼を受けたダウン症の子が、高い確率で天国に行けるからに他ならない。ダウン症の子の理性が弱くて、感情が強くて、天主の玉座の一番近くに座れるような手柄を果たせなかったとしても、大体の人々が天国の狭い門から入れないのと違って、ダウン症の子は罪を犯しづらいから、天国に行きやすく、凄い恵みとなっている

また、ダウン症の子の周辺の人々も恵まれているとも言える。ダウン症の子のお陰で、兄弟たちと親戚をはじめ、犠牲の心、愛徳の心、祈祷の心が育てられやすくなり、より天主を愛し、天主に近づくことが可能になるからだ。これは嬉しい事だ。

従って、ダウン症の子をお腹の中に皆殺しにするのは、酷い話で、その救霊を奪う上に、周辺の救霊を困難にしてしまう。(さらにいうと、以上の良い影響を奪うだけではなくて、犯してはならない罪を犯してしまうことになるから、天主からより離れてしまうことになる。)

因みに、カトリックによる貧困者と病人に対する特別な配慮の底流は、以上のことからも見いだせる。貧困者や病人こそ、イエズス・キリストのような存在でありながら(福音によると貧乏人と病人にしたことはキリストにしたことだ、という言葉がある)、一般に、富める人よりも貧乏な人や病で苦しむ人の方が、祈りや謙遜によって天主に近い場合が多い。だから天主によって恵まれ、一般の人より回心しやすく、救霊の道に近いはずなのだ。



体外受精について
最後に体外受精という例を挙げよう。以上の信仰の論理に従って、体外受精に対するカトリック教徒の立場は明らかだろう。徹底的に反対なのだ。
その理由は容易に分かる。体外受精の結果、何人かの赤ちゃんが受精するが、一人か二人しか生まれない。その他の受精した人間らは冷凍されて人間実験の対象となるか、単に死んでしまう。中絶と同じような致命的なこととなる。

因みに、私自身が体外受精の子だ。大人になってその技術の詳細を知ったとき、いよいよ分かってしまった。「私は長男だと思っていたが、そうではない。顔も名もない兄弟が殺された。自分だけが生き残った」。なかなか大変な発見で、知った時には憤慨した。少なくとも、殺された兄弟の分を含めて、自分の使命を果たすべきだと思った。どれほどさり気なく近代の社会が酷い事をすることが出来るなんて、思うだけでぞっとする。

最後に、「子どもが欲しい」という気持ちは普通ならば自然なのかもしれない。だからといって子どもを殺してまでも欲しいと求めることは、けしからんことだ。先ず、子どもが授かっているのは、子どもが両親のためにあるのではなく、両親が子どもの救霊のためにあるだけだ。結婚して、不妊だということが分かったとしても、子どもが出来なければ、それでよし。一般の夫婦と違って子供を育てる使命がないということになるだけだ。それを受け入れることは大事だ。無理矢理に子どもが欲しいといって、自称「不妊療」などをするのは、ほとんどの場合、赤ちゃん殺しを伴っているからだ。体外受精については、中絶と同じように、徹底的に戦うべきだ。



結びに
以上はあまりに聞き慣れないことだろうが、はっきり言うことが、大事だと思ってご紹介した。「命のために」係わっている人々、特にカトリック信徒の場合、物事を明白にせず、明らかな概念を持たずに、曖昧でもやもやした考えだけでは、残念だが足りないし、ややもすると危険にもなりうる。

信仰に基づく原理を明らかにして、念頭に置いて行動や発言すると、活動自体がより効率的になり、布教活動にもつながる。

最後に注意していただきたい点がある。悪と罪に対して公教会はいつも絶対的に不寛容で非妥協的だった。だが、それは人間一人一人を救うためにそうだった。

悪・罪を明白に咎めるということは、一人の人間を咎めることではない。逆に言うと、総ての人間は罪人である。聖人と言われている人々でさえもそうだ。だからこそ、十字架上で見せられた罪の恐ろしい帰結から解放するために、罪から背を向けさせるために、愛徳からくる義務として、明白に物事を誠実に発言して、何も曖昧さのない形で断言すべきだ

言わなかったとしたら、罪がある限りその結果が伴う。だから、迷っている者を救うために、迷いの原因、苦しみの原因、つまり罪を明白に言ってあげなければならないのだ。言ってあげなかったら人間はどうしようもないのだから、カトリック教会は真理をドンと断言し続けた。なぜそれほど自信を持てるかというと、自分で発見して言うのではなく、天主から啓示されたことを単に繰り返すだけだったからだ。だから天主の垂れた教えを言い続けられたのだ。

すべては天主のみ旨のままに。

ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け 【公教要理】第四十一講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月16日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十一講  贖罪の玄義・歴史編・その九・ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け



「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け」。
前回見たとおり、ピラトは十字架につけさせるためにイエズスをユダヤ人たちに渡しました。総督ピラトにこそ私たちの主に対しての死活の権限があったのです。従ってユダヤ人たちにイエズスを渡してしまうことによって、ピラトが死刑判決を下したことになります。言われてみるとなかなか不思議なやり方だといえます。

【ピラトの逆説:卑怯さ】
ピラトは一方で、私たちの主が罪で無いことを認めました。しかも、私たちの主の無罪をハッキリと大きい声で国民の前にピラトは訴えました。ところが、同時に、自分の手を洗いながらも、ユダヤ人たちに十字架につけさせるためにイエズスを渡してしまいました。だから、結局、イエズスが有罪であると断言した行為に他なりません。不思議な逆説といったらそうなのですが、どちらかというと残念ながら、これはピラトの卑怯さを良く物語っています。

つまりピラトという名前は世々に至るまで引き継がれるほどの卑怯な男だということです。そういえば、マリア・マグダレナに関して数日前にこうありました。私たちの主イエズス・キリストはマリア・マグダレナを指して「世々に至るまで彼女の名前はのこる」というようなことを仰せになりました。ところが、ポンシオ・ピラトの場合は、その名前自体は信経の中に記されているほどです。従って、カトリック信徒は、すべての教条が納まっている信経を唱えるたびに、ポンシオ・ピラトの名前を唱えます。つまり、私たちの主はその人の管下にて苦しみを受け、死に給うたと唱えます。


【ポンシオ・ピラト:御受難の具体的な歴史性を表す】
第一、ポンシオ・ピラトの名前を言う理由は、年代上の位置付けの目印としての役割が勿論あります。つまり、御受難とは、歴史上の事実であることを表すために言及されています。言い換えると、御受難は歴史の一つの史実である上に、具体的なまでその史実を知っているということを思い起こします。つまり、具体的に「ポンシオ・ピラトの管下」の時代にあった御受難なのです。要するに「ポンシオ・ピラト」という言及は、御受難の歴史性を表しますが、その上に、「ポンシオ・ピラト」という人こそが私たちの主を十字架につけさせるためにユダヤ人たちに渡してしまったということをも表す言及なのです。
それで、ユダヤ人たちが私たちの主を捕まえてしまいました。

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【猶予を与えない死刑執行】
当時の慣例に従うのなら、死刑宣告された囚人に対して、死刑を執行するまでに、数日間を与えていました。それは、自然なことで、常識的な慣例でした。私たちの主は死刑という判決を受けてしまいました。本来ならば、判決が宣言されてから、囚人を独房に戻して、そこで死刑の執行を控えて数日間に待機させる慣例がありました。私の記憶が正しいならローマ法では、死刑の判決から死刑の執行まで、最大に十日間の期間が許されていたとおもいます。

しかしながら、予想外のことでしたが、私たちの主は独房にも入れられずに、すぐさまに十字架につけられました。渡された途端、ユダヤ人たちが私たちの主を捕まえて、彼を十字架につけるために、ゴルゴタ丘へ連れて行ってしまいました。なぜそれほど急いでいたかというと、司祭長たちがある恐れを抱いていたからです。つまり、執行まで待ちすぎたら国民が自分の意をまた変えてしまって、私たちの主の味方に回る恐れがあったからです。従って、司祭長たちの影響下にある国民が「十字架につけよ!十字架につけよ!」と叫んでいるうちに、司祭長たちはその国民の情熱を利用して、私たちの主を十字架につけてしまいました。

枝の祝日の日に、数日前に「ダヴィドの子にホサンナ!」 と叫び出した同じユダヤ国民でしたから、またこれから自分の意を変えてもおかしくもなかったし、行き成り私たちの主のために同じのような賛美を叫び出す可能もかなりありました。司祭長たちは国民がひっくり返して、自分たちの敵に回ることを恐れてしいたので、執行を急ぎました。だから、すぐさまに十字架につけてしまいました。


【緋色の服を着替えさせるが、茨の冠はそのまま残す】
そこで、先ず私たちの主の覆っていた緋色の上着を脱がせました。ポンシオ・ピラトが覆わせていた上着でしたね。私たちの主を嘲笑うためでもあったが、また緋色は王の色でもあったので、王もどきにさせて、ポンシオ・ピラトはユダヤ人たちにこの格好で私たちの主を見せていました。ユダヤ人たちはその緋色の上着を脱がせました。きっと、脱ぐと鞭打ちの傷はかきむしられたでしょう。その代わりに、日常の服を着せました。つまり、私たちの主のトゥニカを着せ直しました。それから、茨の冠を被っているまま、十字架を担わせてしまいました。差し込まれていたから、茨の冠を脱がせるのも面倒だったし、イエズスを嘲笑うためでもよかったでしょう。こうして十字架を担わせてしまいました。


【十字架を担わせる】
十字架といっても、全体の十字架ではありませんでした。一般的に、十字架はT型でしたけれども、その全体のT型の十字架を私たちの主が担われたのではありません。実は十字架という物は、二つの部分からなっています。第一に縦の部分があります。土の中に差し込む縦の部分です。第二に横の部分があります。その横の部分を縦の部分にくっ付けるのですが、「Patibulum」と呼ばれる部分です。この横の部分に、受刑者の手を釘付けられるのです。
したがって、一般の死刑受刑者と同じように、私たちの主はその横の部分を担い給うことになりました。当時のやり方に従うと、受刑者の体が縄で横の部分に絞られ、それで肩に担わせられてしまいました。それから、十字架の道行を歩み始め給いました。カルヴァリオの丘の道を歩み始め給いました。


【二人の盗賊も同時に死刑を執行される】
ところで、もう二人の受刑者を私たちの主と共に執行させることになりました。目撃者としても一緒にさせますが、その上、私たちの主を単なる有罪者程度に貶めるためでもありました。というのも、もう二人の受刑者は盗賊者だったからです。この二人の盗賊者は私たちの主の死を目撃することになります。残念なことに、目撃者となると同時に、、私たちの主の死の同伴者になりました。
要するに、この二人の盗賊者を、私たちの主と一緒に死刑執行することで、国民へ「これは単なる犯罪者だよ、盗賊程度の野郎だぞ」と知らせるためでした。私たちの主は強盗者扱い程度に貶められてしまったということです。

そこで二人の盗賊者も独房から出して、Patibulumを彼らにも担わせました。縄で同じくPatibulumに絞られていました。この二人の盗賊者は、死刑が判決されいましたが、死刑の執行をまさに待っていた受刑者でした。だから、私たちの主のような虐めやむち打ちなどは受けていなかったのです。あえていえば、私たちの主よりかなり元気でした。この二人にとって、Patibulumを担うのは、あまり苦労せずに容易でした。
要約すると、私たちの主の傍に、この二人の盗賊者がいて、受刑者の皆に十字架を担わせてから、行列を組みはじめました。


【ゴルゴタまでの行列の構成:先頭、中央、しんがり】
ゴルゴタまで行く行列ですけれど、その構成を見ておきましょう。
行列の前方には、触れ役がいました。ローマの番兵たちと共に、行列の先頭に立ちました。触れ役は受刑の判決掲示を掲げる上に、判決を絶えずに叫び出し続けました。周りの国民へ判決の理由を知らせるためにいた触れ役の人です。
触れ役と番兵たちが行列の先頭に立ち、そして、その後、番兵たちの次に数人の男たち、恐らく子供を含めて、十字架刑に使われる諸道具を持っていきました。要するに、釘や縄や槌や酢を持っていた男たちです。酢は後でまた説明しますが、受刑者に与えた酢でした。
十字架刑に使用される諸道具を持っていた男たちが続き、その次に、二人の盗賊者と私たちの主が続きました。受刑者の周りに番兵たちが用意されていました。それから、その後にも番兵たちが行列の殿(しんがり)をつとめました。この行進は正に行列のように進み、私たちの主はその中央におられました。王のための行列といったら不思議にそうだったかもしれません。王たる者のその上ない生贄として、私たちの主は行列の中央におられました。また、子羊が屠所に連れていかれるように私たちの主は連れて行かれました。私たちの主は行列の中央におられて、抵抗せずに歩み給うのです。


【十字架の道行き】
それから、「十字架の道行」と伝統的に呼ばれる場面が始まるのです。あるいは「ヴィア・ドロローサ」とも呼ばれます。「苦しみの道」との意味です。十字架の道行は、その距離が具体的に言うとそれほどに長くはありません。正確な距離を推算するのは難しいですけど、大体700メートルから1200メートルまでの距離ぐらいだったと思われます。要するに、健やかな人だったら、15分ぐらいで歩く距離です。

しかしながら、私たちの主の場合は、より長く時間がかかりました。もう、苦悶から鞭打ちを通じて茨の冠をはじめ、いろいろの虐めなども含めて私たちの主はもう疲れ切っておられた状態です。したがって、その疲労困憊の状況だったからこそ、十字架の道行はより苦しくなり、難しくなりました。

十字架の道行は町をでますが、出発点がどこにあったか定かではありません。聖伝の定説に従うのなら、出発点はアントニア城塞にあったとされています。アントニア城塞は神殿の後ろ辺り、町の北部にありました。で、北東へ十字架の道行は町から出て降りるのですが、エマオの町に向かう道でした。別の説によれば、出発点はより中央西部にあるとされて、ヘロデの宮殿にあったという説です。

それは兎も角、私たちの主は町から降りて、エマオ行きの門を確かに潜り給うのです。潜り給うとエルサレム町を去ることになりますが、エマオの町方面の西へ行く道になります。主は、その道を歩み給うたのですが、しばらくすると、その手前にあった道坂を通って、道沿いにあったゴルゴタ丘へ登り給いました。

以上は、十字架行きの図面のご紹介でした。要約すると、私たちの主は、先ず町から降り、門を潜り、町を去り、ゴルゴタ丘に登り給うたという道行です。「苦しみの道」でした。私たちの主は十字架を担い、十字架の道行を苦しまんとなさいました。



ポンシオ・ピラトの前で 【公教要理】第四十講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月11日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十講  贖罪の玄義・歴史編・その八・ポンシオ・ピラトの前で



【ローマ総督ポンシオ・ピラトの前で】
大司祭カイアファとサンヘドリンによって、私たちの主イエズス・キリストは死刑を宣告されました。ところが、前回に見たとおり、カイアファには死刑を宣告する権力はありませんでした。従って、現地のローマ総督であるポンシオ・ピラトに告訴することになりました。ポンシオ・ピラト総督の公邸に私たちの主は連れていかれて、そこでポンシオ・ピラトが裁くのです。それは死刑宣告を下される権限のある人は、総督であるポンシオ・ピラトしかいなかったからです。

ところが、ユダヤ人たちは公邸の内部に入りませんでした。なぜかというと、過越し祭を控えて、異教徒の公邸に入ってしまうと律法上に汚れを負うことになってしまうので、入らないのです。過越し祭の食事を食べるには、律法上、清い状態でなければならないということになっていたからです。そこで、私たちの主は公邸の中へおそらくローマの兵士たちに引き取られました。

そこで、どういった事件になっているかを知る為に、ユダヤの律法を認識しているポンシオ・ピラトはユダヤ人たちに聞くために公邸から出ざるを得ませんでした。

ポンシオ・ピラトの前にイエズス・キリストが連れていかれたところ、ユダヤ人たちに向けて「で、何をやってほしいのか」と聞いたということです。

聖ルカによれば、ユダヤ人がこう答えます。「私たちはこの男がわが国民を乱し、チェザルに税を納めることを禁じ、また、自ら王キリストといっているのを聞きました」と訴えました 。「チェザルに税を納める」という文句に関しては、ピラトは騙されはしなかったのです。数日前に、「チェザルのものをチェザルに返せ」 という私たちの主イエズス・キリストの発言を耳にしたからです。だから、ピラトにとって、税のことは出鱈目だと知っていました。そういえば、その後にユダヤ人たちはピラトに向けてはっきりと明かした場面があります。ピラトが「あなたたちはこの人について、何を訴えるのか」 と聞きましたが、ユダヤ人たちがこう答えました。「その人が悪者でなかったなら、あなたに渡さなかったでしょう」 と。まさに自明でしょう。つまり「我々は彼をすでに裁いたので、その理由を知らなくても良い。だから、死刑宣言をせよ」といわんばかりです。

そこで、聖福音に記されていますけど、ピラトは明白にユダヤ人へこう言いだしました。
「この人を引き取って、あなたたちの律法に従って裁け」 と。



ユダヤ人たちは「私たちは死刑を行う権限がありません」 と答えました。
以上で見るとおり、ユダヤ人たちには殺意の意志があったことと、私たちの主は抵抗せずに子羊のように死に行かせてもらったことがよく見受けられます。

そこで、ユダヤ人の起訴の起因として、税のことはすぐさまに却下されましたが、王だという起因に関して、ピラトは気になります。ピラトの耳に入って、非常に気になります。ピラトにとって、王が一人しかいないからです。皇帝のチェザルです。したがって、私たちの主にこう質問しました。「あなたはユダヤ人の王か」 と。
イエズス・キリストは 「あなたは自分でそう言うのか。あるいは、他の人が私のことをそう告げたのか」 とお答えになりました。
「すると、ピラトは「私をユダヤ人だと思うのか。あなたの国の人と司祭長たちがあなたを私に渡したのだ。あなたは何をしたのか」と聞きました」 。
それで、イエズス・キリストはこうお答えになります。真理を語るので私たちの主のお答えはいつも美しくて立派です。当然といったら当然ですが、確かに綺麗な言い方でもあります。

「イエズスは答えられた、「私の国はこの世のものではない。」

要するに、ピラトに向けてイエズスが「別の王が現れることを恐れるのか。チェザルという王にたいして、私がユダや国民を煽って反乱を起こす恐れがあるのか。それなら安心せよ。私の国 はこの世のものではないからだ。」という意味です。

つづいて、こう仰せになります。「もし私の国がこの世のものなら、私の兵士たちはユダヤ人に私を渡すまいとして戦っただろう。だが、私の国はこの世からのものではない」。」

続いて、「ピラトが「するとあなたは王か」と聞いたので、イエズスは「あなたの言う通り私は王である。私は真理を証明するために生まれ、そのためにこの世に来た。真理につく者は私の声を聞く」と仰せになりました」 。

つづいて、「ピラトは「真理とは何か」といった」 。

それから、話は変わります。残念ながら、ピラトは真理を受け入れようとしませんでした。。だから、その質問に対して私たちの主は答えませんでした。

しかしながら、ポンシオ・ピラトは困ります。私たちの主イエズス・キリストに対して死刑宣告をする理由をどこも見出さないからです。ユダヤ国民を煽ってローマ人に反逆させるようなことは、私たちの主は全くしなかったからです。
主の「国はこの世のものではない」と仰せになったし。ポンシオ・ピラトは「どうすれば良いか」で悩みまました。彼にとって困ったものですね。
そこで、ポンシオ・ピラトはこの困った事件を片付けるために、「イエズス・キリストを別途の裁判に譲ることにしよう」と思いつきました。

それはそうでしょう。厄介な事件にあう時に、その事件に取り関わって解決しないで、先ず「なんか別の人に譲れないのではないか」と考えるものです。従って、ピラトが「あなたはガリラヤ人か」と尋ねてみました。確かに、私たちの主は、ガリラヤ人です。地元はナザレトですから。

それに気づいて、ピラトが「なら、この事件はわたしの管轄外である」ということを思いつきます。ガリラヤ地方の総督の管轄下にある事件になるからです。そういえば、ガリラヤ地方の総督はヘロデであって、「幸いに」 その時エルサレムにいたということで、ピラトがヘロデへ、事件を譲ろうとしました。

過越し祭の時にエルサレムに総ての首長が集まっていたからです。要するに、ピラトがこの困った事件を避けようと思って、ヘロデのところへ私たちの主を送りました。「私の管轄外なので、ヘロデの前に送れ」といわんばかりです。

それで、その後、ヘロデの前に私たちの主を連れていきました。人間の裁判所を、また不正なる人間による裁判所をこれほど多く被ってしまって、天主である私たちの主にとってどれほど侮辱であるかは自明でしょう。

先ずアンナの裁判、それから、夜中と昼間との二回ほどのカイアファの裁判、また一回目のピラトの裁判、ヘロデの裁判。

そしてこれからご紹介しますが、ピラトの裁判にさらにもう一度連れていかれました。裁判所から裁判所へ相次ぎに完全に強盗者扱いされてしまいます。

【ヘロデ王の前に連れていかれる】
そこで、ヘロデは現世欲を好む人なのでした。肉欲の人で、霊的な人ではありませんでした。だから、ヘロデは、私たちの主を前にして、魔法めいた奇跡を期待していたのです。言い換えると、超自然次元の奇跡でも恩寵でもなく、肉体的な魔法を私たちの主に求めたのです。「奇跡が見たい」だけでした。つまり、王がおどけ者にして、笑わせてもらうように、私たちの主に笑わせてもらいたいに過ぎなかったのです。


しかしながら、私たちの主はヘロデへ一目さえやらなかったのです。ヘロデへ一言でさえ発しなかったのです。ヘロデはがっかりし、イエズスを酷く虐めた上にピラトのもとに送り返しました。送り返す前に、ヘロデは私たちの主を虐めます。「華やかな服」を着せたりしたのです。侮るために、あざ笑うためにそうしました。
私たちの主はピラトのもとに戻りました。

~~

【イエズス・キリストは再びポンシオ・ピラトのもとに立つ】
ポンシオ・ピラトは改めて私たちの主を見て、ユダヤ人に向けてこう言いました。「お前たちこの男を、民を扇動する者として、私の前に引いてきた。お前たちの前で調べたが、訴えることについて、この人には何一つ咎めるところがなかった。」 と。

明白な証言でしょう。ピラト自身が認めたことです。聖福音に記されている通りです。また続いて、ピラトが「なおヘロデもそう思ったから、この男を我々に送り返してきた」 と言ったと聖ルカは記しました。

要するに、ヘロデはイエズスには咎めるところを見つけなかったのです。
続いて、ピラトは「見る通りこの男は死に当たることを何一つしていない。だから、こらしめてからゆるすことにする」といった」 。

要するに、これからポンシオ・ピラトは彼の力が許す限りに、あらゆる手段を使って私たちの主を死刑宣告せずに解放させようとしました。

【鞭打ち】
第一の手段は鞭打ちという手でした。「鞭打ちを命令したら、ユダヤ国民の心を動かすだろう」とピラトは思ったのでしょう。従って、私たちの主に対して冷酷なる鞭打ちの刑を命令しました。御存じの通り、その鞭のひもには多くの細かい鉛玉が付いていました。なぜかというと、ひもが肉についたら、鉛玉が肉にくっ付いて、鞭打ちを実行する兵士によってひもが引っ張られたら、くっ付いた肉もはぎ取られるために用意された鞭だったのです。鞭が打たれる度に、背中に皮膚がずたずたにされ、それよりも深い傷が開けれて流血になるのです。冷酷な極刑を受ける給う私たちの主は、口を一度も開けずに受け入れ給たのです。



【茨の冠】
イエズス・キリストを嘲笑うために、茨で冠を編みました。具体的にいうと、半球形となっているある種の帽子で、冠とはいえ実際に半球形の帽子という形になっていて、木材からなってかなり長い棘で編まれています。その茨の冠を私たちの主の頭皮に叩いて差し込みました。鞭打たれ、茨の冠を被っているまま、ピラトが私たちの主をユダヤ人の前に出しました。彼らの心を動かすためでした。イエズスは苦しんでいたし、惨めな姿になっていたからです。
ピラトは「これをユダヤ人たちが目にしたら、彼らを満足させて、死刑を宣告しなくても済むだろう」と思ったでしょう。ポンシオ・ピラトは同時に二つの事をやろうとしました。

 


一方、正当な判決を下そうとするものですが、もう一方にユダヤ国民を満足させようとしました。残念ながらも、ユダヤ人たちは、私たちの主を見た瞬間に、より大きい声で次のように叫び出しました。数日前に「天主の御子にホサンナ!」 と叫んだ同じユダヤ人たちなのに、今回は「彼は死に当たる」 と。「殺せ」 と。



【イエズス・キリストか、バラバか】
ポンシオ・ピラトにとって、無罪の人を死刑にするのは非常に困ったことでした。それを避けるために第二の手段を使ってみました。慣例的に、毎年の過越しの祭の際に、囚人の一人を総督は解放していました。ピラトはこう思いました。当時の囚人の間にバラバという一人の有名な反乱者がいる、と。

そういえば、天主様が選び給う名前や状況などは不思議なことが多いです。すべてが天主に依存することが確かに確認できる事実でもありますが、「バラバ」という名前は「父の子」という意味です。私たちの主はまさに「永遠なる聖父の御子」ではありませんか。

兎も角、バラバは強盗者であるだけではなくて、殺人者でもありました。だから、ピラトはこう思ったのです。「ユダヤ人たちにバラバを解放することを提案したら断るだろう。殺人者であるし、暴動して国民を乱したし、国民が彼を解放したくもないはずだろう。平和の内に過ごしたいはずだから」と。
だからピラトはこう思いつきました。「ユダヤ人よ、今年の解放候補者として、バラバか、イエズスか、と提案しよう」との考えです。
「イエズスは無罪である一方に、バラバは殺人者であるから、きっとユダヤ人はイエズスを解放してもらって、バラバを死刑にしてもらうだろう」とピラトが思っていたでしょう。

残念なことに、非常に残念なことに、ユダヤ人たちが「その男を殺せ、バラバを赦せ」 と叫び出しました。ポンシオ・ピラトは、それを受けて、しかたなく「水を取って民の前で手を洗い」 ました。この仕業は「私は関係ない。責任ないぞ」ということを象徴するためでした。
しかし責任がないわけではありません。ピラトこそが判決を下さすので、それで責任を負うしかありません。にもかかわらず、自分の手を洗って、十字架刑にさせるためにイエズスを兵士たちとユダヤ人に渡しました。

~~

【ピラトの妻】
裁判の途中に、ポンシオ・ピラトは自分の妻の使者の訪問を受けました。彼女は「あの義人に関わりを持たないでください。私は今日夢の中であの人を見。たいそう苦しい思いをしました」 と。にもかかわらず、ピラトは妻の警告を無視して、イエズスを解放しませんでした。


【ユダヤ人らの叫び】
一方、ユダヤ人が叫び叫び喚きつづけました。「十字架につけよ。十字架につけよ。」これに対して、ピラトは「「この人を連れていって十字架につけよ。私はこの人に罪を見つけない」といった。ユダヤ人は、「私たちには律法があります。律法によれば、彼が死にあたる、自ら天主の子と名乗ったからです。」と答えた」 のです。

それから、ピラトはもう一度イエズスに質問をしましたが、イエズスは黙っておられてもう何も答えませんでした。

そこで、ユダヤ人たちも、狡い手段を使いました。
「もしもあの人を赦すのなら、あなたはチェザルの友ではない。自分を王だという者はチェザルの反逆者です」 とユダヤ人たちが言いました。その時、ピラトは恐れを抱きました。自分の地位とのその出世に対して恐れました。
ピラトは「これがお前たちの王だ」 と言い出しました。
ところが、ユダヤ人たちはより大きい声で「十字架につけよ」と叫んで、ピラトは「私がお前たちの王を十字架につけるのか」 といいました。どちらかというと、ピラトは主がこの世の王ではないことを、よく認識していました。そこで、ユダヤ人たちは偽善的な返事をするのです。
「私たちの王はチェザルの他にありません」 と。
十字架につけさせるために、ピラトはイエズスを彼らに渡してしまいました。



ペトロの否認 【公教要理】第三十九講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月09日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十九講  贖罪の玄義・歴史編・その七・ペトロの否認



【真夜中の虐待】
私たちの主は衆議所(サンヘドリン)によって刑を宣告されたところです。ところが、夜中の集会だったので、その裁判の宣告には何の価値がありません。無効です。というのもユダヤの律法に従うと、有効な宣告を下すためには、サンヘドリンの集会は必ず昼間に行われるべしとの規定があったからです。

その後、どうなったでしょうか。私たちの主は独房に入れられました。夜中に具体的に何があったか不明な点が多いですが、恐らく番兵たち或いは番人たちに渡されて、虐められてしまったでしょう。その夜中に関して福音には遠慮がちであまり記されていないのです。福音者によると「イエズスを監視していた人々は、イエズスをあざけり、殴り」 などとあります。

その場面に対する福音の遠慮は分かりやすいでしょう。ひどく虐待されたに間違いありませんから。福音の続きは「目隠しして、「当ててみろ、おまえを打ったのはだれだ」と聞き、そのほかいろいろ侮辱の言葉を浴びせた」 とあります。また「イエズスにつばをかけ、下男たちもイエズスを打ちたたいた」 ともあります。だから、監視の人々は私たちの主を虐待して、私たちの主は抵抗をしなかったのです。私たちのために、私たちの罪を贖罪するために、すべての苦しみを受け入れてくださいました。



【無効の死刑宣告】
暁を控えて、夜中の残りの数時間の間に、私たちの主は独房に入れられてしまいます。暁になったら、合法的にサンヘドリンは集会することを控えていました。

暁になったら、実際に有効な宣告をするために、サンヘドリンが改めて集会しました。そして、もう一度イエズスがサンヘドリンの前に連れていかれました。福音者たちはその通りに記します。「夜が明けたときに」 と聖ルカが記します。聖マテオなら「夜明けになると」 とあります。御覧の通りに、福音者たちは、夜明けの時にこそ、日が出てからこそにサンヘドリンが集会したということを強調しています。

裁判の刑の宣告は前回と全く同じです。「この男は死に値する」 。しかしながら、ちょっとした問題があります。カイアファに至っては、生死を決める、つまり死刑を宣告する権能はもうありません。ユダ王家が王杖(権力のしるし)を失ってから、つまり、パレスチナがローマ帝国の一つの地方になってから、大司祭たちはもう死刑を宣告することはできなくなりました。ユダヤ人は生死に関する宣告をする権能はありません。だから、死刑を宣告したところで、それを執行させることはできないのです。従って、現地の、つまりエルサレムのローマ総督に告訴する必要が生じました。ポンシオ・ピラトです。


【聖ペトロは主を否む】

サンヘドリンの裁判の後からとポンシオ・ピラトの裁判が始まる時までの間に、聖ペトロの否認という場面があります。中庭に聖ペトロがいました。火の近くで体を温めていました。

「下女が一人近寄ってきて「あなたもあのガリラヤのイエズスと一緒にいた人ですね」といった」 。それに対して、聖ペトロが否みました。もう一回、もう一人の下女が彼の方言に気付いて、彼の正体が分かりました。
が、聖ペトロは自信をもって、もう一度否みました。誓いによる否認になります。
「私はそんな人を知らぬ」 と聖ペトロが言いました。深刻な否みです。聖ペトロは、イエズスと何の関係がないと言ってしまいました。

その少し前に「主よ、私はあなたのために命を捨てます」 といっていた聖ペトロなのに。また「先生、どこに行っても私はあなたについて行きます」 といった聖ペトロだったのに。しかしながら、私たちの主はこう忠告しておきました。思い上がったことだということを知らせました。
「私は言う。今日、今夜、雄鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を否む」 と予言されました。
予言されたとおりに、三回にわたって自分の主を否むと、雄鶏の声が聞こえました。そこで、私たちの主の言葉を聖ペトロが思い出しました。私たちの主は一体何をしたでしょうか。私たちの主は天主であり、良き天主です。だから、無限の慈悲の心を込めて、聖ペトロの方へ頭を向けてかれに目をやったのです。天主にしか持てない視線で聖ペトロをご覧になったのです。つまり、霊魂を貫くような視線、心の奥まで、霊魂の隅まで行く視線です。


聖ペトロは私たちの主の視線を受けて、お言葉を思い出しました。同時に、私たちの主の慈悲の御心をも思い出します
ユダも同じ慈悲の言葉を聞いたはずなのに。「友よ、あなたは口づけをして人の子を裏切るのか」 が言われたのに、ユダは慈悲の御心を無視しました
聖ペトロはユダと違って、私の主の視線をうけて、泣き出しました。聖ペトロの性格を考えると、彼の熱気らしい性格を考えると、聖ペトロが泣き出したと言われたら、ただのものではなかったわけです。悔しみ、いや深い悔しみの涙でした。
ある教父によると、その後ずっと、雄鶏が鳴くたびに、聖ペトロは泣き出したというほどです。確かに、彼の人生の最後まで、雄鶏の鳴き声は彼が裏切ったことを思出させたということは想像にかたくないのです。

聖ペトロは悔しみの涙をこぼしました。残念ながら、それと打って変わって、ユダがいます。

~~

【イスカリオトのユダ】
ユダも、裁判の成り行きを何とか見ています。彼のお陰で主が逮捕されたのですから。銀貨三十枚を貰ったユダですが、見て聞きました。死刑の宣告をも聞きました。「この男は死に値する」 。

ユダは悩みます。考えてみると当然でしょう。裏切ったので、気が咎めています。しかも、私たちの主をよく知っています。三年間ずっと傍にいました。良き天主なるイエズスがこの世に生きてきた道をずっとユダが見守ってきたわけです。だから、死刑の宣告を受けて、ユダの心がやましくなります。そこで、一体何をやるでしょうか。私たちの主を裏切った時に、ユダは、犯しそうな罪をそれほど考えなかったでしょう。そのどころか、賞金をばっかり考えていたでしょう。私たちの主を裏切ったときに、けちな欲望ということで一番動いていたでしょう。

しかしながら、銀貨三十枚を貰うと、恥の気持ちと恐怖の気持ちが彼を覆いました。
「司祭長と長老たちにあの三十枚の銀貨を返し、「私は罪なき者の血を売って罪を犯した」といった。」
ユダは、私たちの主イエズス・キリストが無罪であることを認めるということです。しかも、司祭長に知らせるのです。一つの証言でしかないものの、なかなかの本物の証言です。「罪なき者」と裏切者自身が言っているのです。続いて、「ユダはその銀貨を神殿に投げ捨て」 ます。


司祭長がこう応じます。「それがどうした。われわれはかかわりがない、おまえ自身のことだ」 。言い換えると、「我々は関係ない。自分でなんとかしなさい」という意味です。

残念ながら、ユダの悔悛は超自然的になっていませんでした悔い改めの第一歩が見られますが、成熟していませんでした。だから、赦しを乞わずに終わってしまいました。私たちの主、イエズス・キリストに赦しを乞ったら、頂けたに違いないのに。にもかかわらず、ユダは首吊り自殺してしまいました。

詩編には次の預言がありました。「呪いを好んだから、呪いは彼におよび、祝福を喜ばなかったから、祝福が彼を去るように」 恐ろしい預言といったら恐ろしいです。

司祭たちは金が返されたので、ちょっと困りました。血の値だから神殿の倉に納めることはできなかったからです。殺人に当たる値の金だったからです。で、銀貨三十枚で、「陶器造りの畑を買って」 外人の埋葬用に使わせれておきました。またアラマイ語で「Akeldama」と呼ばれて、「血の畑」という意味です。

まとめると、ユダという裏切り者がいます。
否認者あるいは背教者の聖ペトロがいます。
両方とも重い罪を犯しました。
私たちの主は常にお赦しを与えようとなさっておれます。
一人は赦しを受け入れました。自分の犯した罪を悔やんで泣き出して回心します。聖ペトロです。
残念ながら、もう一人は赦しを受け入れませんでした。自分で自分を御慈悲と切り離してしまった挙句、首吊り自殺をします。

イエズス様はカイアファの前に 【公教要理】第三十八講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月07日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十八講  贖罪の玄義・歴史編・イエズス様はカイアファの前に




【私たちの主が逮捕されてから】
オリーブ山で、私たちの主は逮捕されます。使徒たちは私たちの主を後に、主を一人残して逃亡してしまいました。無罪なのに強盗扱いにされ、主は束縛されました。拘束されながら前日に歩んできた道を逆の方向に歩まれました。ケドロンの谷へ向けて山を下りて、ケドロン川を渡りました。その際、川の中へ頭を押し浸されたかどうかは不明ですが、詩編109によると「De torrente in via bibet (道にある激流から彼は飲む)」とありますから、その際の予言である可能性が高いでしょう。

兎も角、福音においてはそれについて何も記されていません。ケドロン川を渡ってから、エルサレムの町へ昇り、城壁をくぐりました。夜中でした。私たちの主を先ずアンナのところへ連れていきました。

【大司祭アンナのもとで】
アンナという人は元大司祭です。現役の大司祭ではありません。本来ならば、こういった事件と関係ないはずの前任の大司祭です。しかしながら、アンナは現役の大司祭であるカイアファの義父に当たる人物でもあります。また元大司祭として、現役だった時に大評判を得て、引退しても後任の大司祭たちへの彼の影響力は強かった事実もあります。だから、私たちの主イエズス・キリストに対する陰謀の首謀者はまさにアンナであると言えます。

アンナの前での裁判は非公式の裁判ですが、正式の裁判の大リハーサルのようなものです。要するに、訴因や証人を見つけたりすることによって、その後の正式の裁判のために、判決がなるべく早くにスムーズに下されるようにアンナの前での非公式裁判をやるということです。

アンナが私たちの主イエズス・キリストを尋問する場面があります。私たちの主はこう応じられたのです。簡素で立派な答えです。
「私はこの世の人々に公然と話してきた。なぜ私に聞くのか。私のことばを聞いた人たちに聞け。」 と仰せになりました。

ある種の不受理事由を訴えるような答えです。つまり「あなたは私を裁判できる裁判官ではないぞ」という意味を込めて仰せになりました。
「あなたはその立場でなくなったので裁けないし、もし私について知りたいのなら、私の弟子たちと私のことばを聞いた人々に聞けばよい。私のことばを聞いたファリサイ人に聞けばよい。彼らに答えてあったから彼らが知っている。が、私は今あなたに何も答えない。あなたが裁く資格はないから、裁判官でなくなったから。」という意味です。

以上のように答えられてアンナは唖然とします。身のほどを思い知らされて唖然となり、そこにいた一人の召使は私たちの主に近寄ってきて、平手打ちをしました。おそらく強い平手打ちだったでしょう。
「大司祭に向かってそんな答えをするのか」とその召使が言いました。
私たちの主は改めて不受理事由を宣べるかのように、「私が悪い事を話したのなら、この悪い点を証明せよ。もし良いことを話したのなら、なぜ私を打つのか」 と仰せになりました。当然ながら、召使からの返事は皆無でした。

~~

【私たちの主はカイアファの前に】
それから、アンナの裁判はあまり旨く行かなかったので、続いて、アンナは自分の婿であるカイアファの前に私たちの主を連れて行くことを命じました。福音によると、この流れの前後を整理するのはやや難しいのですが、少なくとも言えるのは、アンナの前に連れていかれた後に、カイアファの前に連れていかれました。
現場の設定は不明な点が多いですけれども、高い可能性で、アンナの住居とカイアファの住居の間に、共通の中庭があって繋がっていたと思われます。福音によると、中庭では聖ペトロがいました。聖ペトロは私たちの主を愛しているので、逃亡したのですが引き返して主のところまで来ていました。そこで、中庭に入り込むために、司祭・大司祭たちの家との人脈をもっていた聖ヨハネに頼んで、入り込んでもらったと思われます。つまり中庭には聖ペトロと聖ヨハネがいました。

中庭には温まるための火がありました。それは兎も角、束縛されたままに、私たちの主はアンナの場所を去って、番兵たちに囲みこまれて強盗扱いされながらカイアファの前に行かれました。カイアファだけではなく、衆議所(サンヘドリン)の前に連れて行かれたということになります。サンヘドリンというのは、通常なら72員から構成されていた司祭たちの議院なのです。大司祭と共に、大司祭を院長として協議される司祭議員です。



私たちの主はカイアファの前に連れていかれました。衆議所(サンヘドリン)も揃っていました。そこで、偽りの証人が寄せられました。偽りの証人というのは、私たちの主イエズス・キリストに対する不利な証言をするように頼まれいた証人たちを言うのです。

そこで、ある種の小さいな奇跡らしきことが起きましたが、少なくとも、事実として確かに何側に真理があったか確認しやすい事が起きました。嘘と誤謬はかならず自己否定するしかありません。だから、偽りの証人たちの証言はお互いに矛盾していました。訴因を何とか私たちの主に擦り付けようとした挙句に、お互いに矛盾し合ってしまいました。その結果、私たちの主、イエズス・キリストに対するすべての訴因は嘘だったことは明らかになりました。訴因を確立する試みはすべて失敗に至りました。

一人の証人は、「彼は<私は神殿を壊して三日に建て直せる>と言いました」 といいました。なぜかこの証言は訴因になり得たかというと、こういう発言は、神殿に対する冒瀆として認められたら、ユダヤ律法上、死刑に当たる犯罪とされていたからです。でも、その時でも偽りの証人は同じことをいっていませんでした。また、ユダヤ人は、皆、私たちの主イエズス・キリストがそう言った発言をしたときに、建物の神殿なのではなくて、ご自分のことについて語っていたことを分かっていたのです。

訴因を確立しうる証言を得られなかった挙句、カイアファが私たちの主を直接に尋問することになりました。しかしながら、私たちの主は何も答えないままでした。黙っていたままです。
「屠所にひかれる子羊のように、口を開かなかった」 。

カイアファは無言のイエズスに対して、どうするでしょうか。大司祭としての権威を振るうことにしました。
「Adjuro te per deum vivum」
「私は生きる天主によって、あなたに命じる」 といいました。

つまり、メシア(贖い主)の到来を認め受けるはずの大司祭職の権威をあえて振るいました。本来ならば選ばれた民に知らせるために大司祭として聞くべきだった質問を聞きました。「私は生きる天主によってあなたに命じる、答えよ、あなたは天主の子キリストなのか」 と聞きました。

しかしながら、残念なことに、カイアファの意図は明らかです。本来ならば、しっかりと自分の大司祭職を本当に果たそうと思ったのなら、イエズスが「はい」と答えられた場合に、カイアファは、主が本当に天主の子であるかどうかを確認して(確認する余裕が十分あったし)、その上に民に知らせるべきでした。

しかしながら、カイアファの心には違うことを企んでいました。「はい」と答えられたら、冒涜者であることは自明となって死刑に相当する、と。

「いいえ」と答えられたら、嘘つきの強盗ということが自明となって、死刑になると。
要するに、選択はどちらかです。何を答えたとしても、私たちの主は死刑が宣言されるというジレンマです。そのジレンマに対して、私たちの主は何も答えないという選択もありました。

ところが、私たちの主はあえて真理を断言しました。なぜかというと、キリスト教徒への模範と励みを残すためです。キリスト教徒なら、いずれか信仰が問われたら、また殉教者もまさに問われたように、私たちの主による私たちへ「信仰を恥じないで、死が伴ってまでにしても公然としたハッキリに信仰宣言をせよ」という模範です。

だから、私たちの主はご自分の天主性を断言して、こうお答えになりました。
「その通りである。私は言う、人の子は全能なるものの右に座り、天の雲に乗り来るのをあなたたちは見るであろう」

その後の流れは予想通りになりました。カイアファが待っていた答えだったのです。彼はどうするでしょうか。
「そのとき大司祭は自分の服を裂き」 ました。
ユダヤの文化では、憤慨を表現する仕業でした。「この男は冒瀆を吐いた」 と叫びました。「どうしてこれ以上証人がいろう」 。

都合いいですね。偽りの証人たちはもういらない、もう自分で明かしたので、これが証拠だ、と。冒瀆したばかりだから、「みなも今、冒瀆のことばを聞いた。どうだ」 と。サンヘドリンはそれを受けて「reus est mortis」「この男は死に値する」 と答えました。

つまり、死刑になれということですね。死刑を宣告せよ、ということです。

死刑は宣告されたということになります。ところが、死刑が宣告されたとしても、その宣告は無効でした。

なぜかというと、法律上、サンヘドリンは、夜中の裁判をすることが禁じられていたからです。だから、有効の宣告をするために曙を待たざるを得なかったのです。


オリーブ山(ゲッセマネ園)でのキリストの苦悶 【公教要理】第三十七講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年04月02日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十七講  贖罪の玄義・歴史編・オリーブ山(ゲッセマネ園)でのキリストの苦悶


最後の晩餐の後の垂訓が終わり、律法に定められた賛美歌を歌って、私たちの主は立ち上がりチェナクルム(高間)を下り去ります。

そしてエルサレムを去り、ケドロンの谷を経て、ケドロン川を渡り、向こう側の坂を途中まで登られます。オリーブ山のふもとに着きます。園ですが、名前通りオリーブの木のある園なのです。ゲッセマネの園とも呼ばれています。

そこで私たちの主は苦悶に入ります。苦悶・憂い(agoniaアゴニア)という言葉はギリシャ語から由来しますが語源は「戦い」という意味です。私たちの主は、使徒たちに向けて「誘惑に陥らぬよう目を覚まして祈れ」 と仰せになります。それから、聖ペトロと聖ヨハネと聖ヤコブを連れて行き他の弟子たちからちょっと離れて、ご自分の祈りに合わせて祈るように三人の使徒に御頼みになります。そこで私たちの主は「憂(うれ)い悲しみに捕らわれだして」 、苦悶に入って伏して跪いてしまいます。

苦悶の状態に入って、私たちの主は御自分の心の深くまで不安で憂(うれ)います。苦難において受けるべきすべての苦しみに対する苦悶です。艱難のすべての苦しみをすでにご存じです。
また、苦難の苦しみの一つ一つに細かく知り御覧になられます。イエズス・キリストがそこで苦しみの一つ一つを心理上、既に感じて経験されます。というのは、私たちもまた体で苦しみを受けていないものの、心理上、苦しみを思うだけで感じうる苦しみがあるように、主もそれを感じておられたからです。

その上、イエズス・キリストの感じた苦悶(憂い悲しみ)は、御自分が負われた人類のすべての罪のせいでもあります。私たちのために、罪とさえなってくださったからです。
最後に、苦悶の理由は、その後、ご自分の御血でお捧げする犠牲が、残念ながらもある霊魂たちによっては侮辱されることを知り、御自分の犠牲によって人間を贖った贖罪の功徳をそれらの霊魂が得られないことを知り、憂い悲しみに捕らわれだし苦悶なさるのです。
私たちの主は、心の底まで苦悶を深く経験なさります。



それほど深く激しく感じるあまり、人間としての本性は恐れて気持ちが挫かれます。苦しみに対する人間の本性にある自然な反応です。私たちの主はそれから受ける大きな苦しみに対する嫌気が湧きます。そこで、ご自分の心で本当の意味での戦いが起きます。
「父よ、できればこの杯を私から取り去り給え」と。
「けれども、私の思うままではなく、み旨のままに」と続いて祈りだされます。

以上の言葉はお互いに矛盾関係にあることに見えているかもしれませんが、前者はイエズス・キリストの人間本性から来る言葉で、後者はイエズス・キリストの天主性から出てくる言葉です。前者は感覚上から来ており、後者は天主性が覆った意志から来ています。

つまり、私たちの主は、み心の奥深いところで、「ご自分」対「ご自分」という戦いを味わうのです。これはまた罪に対する戦いでもあります。しかし「み旨のままに」と言われます。
それから、私たちの主は一時間ぐらい祈りに耽ってから、使徒たちのところに戻ります。すると三人の使徒は眠っています。

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考えてみると、なんて惨めな情けないことでしょう。私たちの主は三人の使徒たちを起こして、聖ペトロを叱ります。「そんなふうにしてあなたたちは、一時間さえ私とともに目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう目を覚まして祈れ。心は熱しても肉体は弱いものだ」 と仰せになります。
それから聖ルカに言われてるように「石を投げて届くほどの距離をおき」 、私たちの主は再び祈りに耽るのです。
一回目と同じ祈りを捧げて、苦悶が続きます。医者なる聖ルカが指摘するところですが、私たちの主の苦悶は額に血の汗をかくほど激しい苦しみとなりました。血をかくのです。医学上に稀になるものの、精神上の大衝撃を示す症状です。で、私たちの主はその大衝撃を受け入れることになさいました。が、その大衝撃で(普通の人間なら死んでいたはずなのに)それでは死なぬことになさいました。すべての苦しみを受け入れて最後まで、すべての苦しみを味わうことになさいました。「苦杯をなめ尽くす」ことになさいました



一方、使徒たちはずっと眠ってしまっています。しかしながら、義人なら安眠できるような睡眠のではなくて、福音に記されるように「まぶたが重くなっていた」 のです。使徒たちは今何が起きているか分からないのです。彼らにとって、たんなる謎に見えています。そこで、一柱(一位)の天使が私たちの主の前に現れます。私たちの主を慰めるために、もしかしたら贖罪の実りをお見せするために、また同時に、「もう行くべき時が来た」と知らせるために現れます。
「この杯を遠ざけることはできない」と言わんばかりに。
「み旨のままにならん」と私たちの主が仰せになりました。苦悶の場面です。二度目、使徒たちを起こして、二度目祈りに耽ります。

三度目起こし、三度目祈りに耽るのです。そして、三度目に使徒たちを起こしたら、「さあ立って行こう」 と仰せになります。すぐさまに、カチャカチャと聞こえてきて、遠くから松明の光が近よるのが見えます。兵士たちです。ユダが先立って道を案内しながら司祭たちに送られた兵士たちが近寄ります。
ユダはオリーブ山に入り、私たちの主イエズス・キリストのもとまで近寄ります。確かにユダが言ってあったのです。「私が口づけするのがその人だから、それを捕えよ」 とユダが合図をしてあったのです。言った通りです。合図は口づけです。「Tenete eum」「それを捕らえよ」と。つまり「しっかりと捕らえよ。私の良く知っている彼だから、奇跡をしやがる者だからね、逃げられるからしっかりと」と言わんばかりに。「しっかりと捕まろ」と。で、兵士たちが近寄ってきます。

先ず、ユダが私たちの主に向けて「アヴェ・ラビ」「主よ、挨拶を申し上げます」といってから、口づけしました 。

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その時に、私たちの主はユダに対してもう一度憐憫(れんびん)の言葉を施すのです。「友よ、」 とユダに仰せになります。「友よ」と。偽善では全くありません。「あなたは口づけをして人の子を裏切るのか」 とユダに仰せになります。確かに逆説ですね。口づけというのは、愛を示すはずなのに、この場面では口づけをもってユダが裏切るのです。つまり、口づけをもって主に対する憎しみを示し、「あなたは口づけをして人の子を裏切るのか」 と。

ユダは答えないままです。それから、恐らく、目立たずにその場を去ったのでしょう。私たちの主は一歩進み出ます。ここも、私たちの主は、ご自分の天主性及びご自分の愛の聖心を示すのです。「誰を捜しているのか」 とお聞きになります。すると、兵士たちは「ナザレトのイエズス」 と答えます。「わたしがそうだ」とお答えになります。次に具体的に何があったか、兵士たちの一列目がちょっと下がったか明白ではないけど、福音者に曰く「彼らは後ずさりして地に倒れた」 とあります。なんといっても凄いでしょう。私たちの主の天主性のもう一つの証しなのです。兵士たちは地に倒れたのは、もっともなわけです。というのも主を捕らえるのは不正なことですから。

同時に、私たちの主は、ご自分自身の意志でご自分を捕えさせるということを示します。捕えられるのを待たないで、ご自分から進んで出て、お聞きになります。まさに私たちの主は、逮捕の時も含めて出来事のすべてを司る御方なのです。「私を捕えることがでできるのは、私が望んでいるからであり、自分を自分で差し出すからにすぎない」ということを示す場面です。「私を捕えることがでできるのは、私が望むからだ」と。
「誰を捜しているのか」 「ナザレトのイエズスなら、この私だ」と。「私が自分で私を渡すので、私を捕えなさい」といわんばかりに。要するに、私たちの主は、捕らえられたのではなく、捕えさせました。同意して捕らえさせました。聖パウロ曰くに「天主に御自分を渡されたキリスト」 とある通りです。「わたしがそうだ」 とお答えになります。

兵士たちは立ち上がり、私たちの主が二度目に「誰を捜しているのか」 とお聞きになります。「ナザレトのイエズスを」ともう一度兵士たちが答えます。「私だと言っている」 と主はお答えになります。その時、血気はやる聖ペトロは自分の主を守ろうとして、剣を抜きます。わざだったのか、不器用でそうしてしまったのか、警告のしるしだったのか不明ですが、兎に角、聖ペトロはある下男の耳を斬るのです。
私たちの主は、聖ペトロに向けて「剣をもとに納めよ」 と仰せになります。繰り返しのような説教または思い出させるような言葉です。つまり、「ユダヤ人が私を捕らえようとするたびに私は逃げることができただろう」といわんばかりに。
「ずっと私は逃れてきた。私が捕えられる運命なら、天主の御旨のままに」と言わんばかりに。

「私が父に頼めば、今すぐ十二軍にも余る天使たちを送られることをしらないのか」 と仰せになります。ここで、私たちの主はご自分の王という本性と、ご自分の天主性を示し給います。聖ペトロに言っていることは結局、「私は、十字架上で死ぬことにした。私の時は来た。もうよい。」ということです。



それから、私たちの主は耳を拾って、斬られた兵士の傷跡の元に戻して直します。死ぬまでになさった私たちの主の最後の奇跡となります 。この奇跡をもって繰り返し、ハッキリと御自分の天主性を示すのです。周辺の皆の目に余るほど、その天主性を確認します。耳を拾って元に戻して瞬間に直すなんて只者の業ではないでしょう。この単純なちょっとした業だけで、ご自分の天主性を皆に知らせるのです。

しかしながら、兵士たちは命令を果たします。私たちの主を逮捕します。そこで、死ぬ前の最後の親切な振る舞いを施す、というか兎に角、目立つような私たちの主の親切な行為の最後になります。使徒たちに向けての親切さです。
「私だと言っている。私を捜しているのならこの人々を去らせよ」 と仰せになって、使徒たちを逃させます。つまり、「苦しむべき者は私だ。最後までこの杯を飲むべき者は独りにわたしだ」ということです。「彼ら使徒たちも杯を飲むが、それを飲むのはいまではない。去らせよ。」ということです。
そこで、兵士たちは使徒たちを逃します。だから、私たちの主のお陰で使徒たちは逮捕されず済むのです。まあ、どちらかというと、その時に使徒たちは、皆、独りも欠かさず逃亡します。私たちの主を一人にさせてしまいます。それから、オリーブ山で、私たちの主は縛られたのです。