苦しみに無関心で、過敏で無神経で、容赦なく辛辣で、無慈悲な神学者であり、あわれな母親を嘲り、軽蔑し、口調もスタイルも人間性も堕落した主人公であり、ナショナリズムと神学的厳格主義によって盲目になって、硬直し、混乱し、改宗を必要とし、当時の厳格さと支配的な神学的、政治的、文化的要素に病み、幽閉され、異教徒の信仰を賛美する。これは、「Il Fatto Quotidiano」のコラム「主日の福音」の中で、カナン人の女の娘の癒やし(マテオ15章21-28節)という福音書の一節について、「チヴィルタ・カットリカ」のディレクターであるイエズス会のアントニオ・スパダロ神父が語ったイエズスの肖像です。スパダロ神父の言葉について、カルロ・マリア・ヴィガノ司教の見解を紹介します。
もちろん、【近代主義者によれば】キリストの神性は、「原始共同体」の聖なるものの必要性からくる希望的観測に過ぎないと考えられました。キリストの奇跡は誇張として、キリストの言葉は比喩として軽視されました。一方、サタン会(Society of Satan)の総長アルトゥーロ・ソーサが言ったように、「録音機はありませんでした」。今日、聖イグナチオの規則に違反してペトロの座を占めているイエズス会士に守られ、このセクトの最悪の信奉者たちは自由にわめき散らし、地獄のような錯乱の中で、イエズス・キリストを冒涜するまでに至っており、イエズスは、ベルゴリオから、すでに憂慮すべき言葉を浴びせられています。「イエズスは蛇になり、悪魔になった」と、このアルゼンチン人は少し前に言っていたのです。
Diane-Marie修道女 Ternayという地名の最初の出現は15世紀末の公正証書において見られます。Ternayは恐らくラテン語のTernasに由来しておりまして、「第三、三番目」との意味であります。というのも、Le Vicomte家の三番目の領土だったことから転じます。当地の封領はVillepreuxにあり、そして第二の領土は本学校の隣にある「Ferme des Graviers」にありました。
記録映画
編集長 Armel Joubert des Ouches
音楽 Stephan Cayre
ミキシング Cali Schmidt
続き) 「フリーメイソンを辞めた理由」
セルジュ「これはね、いろいろ経緯がありました。
その時、車を運転していました。ある会議から帰る道でした。渋滞がありました。で、ラジオをつけてみたら自動検索モードでした。で、カトリックの地域ラジオ、RCF Pays d’Audeに当たります。で、全国のカトリックラジオと同じように、毎日、午後3時30分から、ルルドのロザリオが放送されていました。つまり、その時、私はロザリオの生中継に当たりました。たまたま。ロザリオと言う祈りを聞いたことは一度もありませんでした。ロザリオの存在ですら知りませんでした。
フランス国立視聴覚研究所の記録動画
取材者「フリーメイソン結社はいまだに政治への影響力はあるでしょうか?」
Fred Zeller「はい、もちろん。どちらかというと、第三共和国と第四共和国の時代よりも、フリーメイソンの影響力はいまのほうが強いかもしれません。(注・第三共和国の時、大東社だけで、議員の八割がフリーメイソン会員だったという時代もあった)今は、昔と比べて、フリーメイソンは別次元に移っただけです。」
取材者「どこの次元でしょうか?」
Fred Zeller「簡単でしょう。全国のどこの団体にも、労働組合にも、グループにも、フリーメイソン会員はその中枢の立場やトップにいるわけだから、(その影響力は)自明でしょう。」
ですから訂正しましょう。私は黒いミサのような儀礼を見たことがありません。しかしながら、多くの著者は確かにこのような儀礼について証言したりします。特にスペイン人の学者ですが、Ricardo de la Ciervaという有名な学者があります。彼はこう説明しています。「すべてのフリーメイソン会員は悪魔礼拝者ではありません。しかしながら、すべての悪魔礼拝者はフリーメイソン会員なのです」と説明しています。このことは単なる現実の確認なのです。学界では彼の研究の成果は評価されているわけです。例えば、合衆国での悪魔教の創立者はAleister Crowleyですが、彼はフリーメイソン会員でした。」
Albert Pike(1809-1891)
Albert Pikeの言葉
「我々は神を崇拝しますが、実際に迷信のない神なのです。我々、秘伝に与った高等階級の(フリーメイソン)会員らはルシファーの清い教えの内に我々の宗教を生きてい行かなければなりません。ルシファーが唯一の本物の神ではなければ、一体なぜAdonai(注・キリスト)がルシファーを誹謗するでしょうか。Adonaiのすべての言動は隣人に対する過酷さ、(。。。)憎しみと科学の否定を語っているのではないでしょうか?はい、ルシファーは確かに神です。しかしながら、残念なことにAdonaiも神です」
(スコットランド典礼の32級の会員向けの発表からの抜本。1889年7月4日の言葉。)
Albert Pike曰く、「ルシファーの清い教え」