ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

天に昇りて 【公教要理】第五十五講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月31日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十五講  贖罪の玄義・神学編・その八 天に昇りて




今日は信経の第六条へ移ります。
死者の内によりよみがえった後に続いて第六条は「天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し」給うたイエズス・キリストを信じます。以上は第六条です。
イエズス・キリストは「天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し」ました。
よみがえった後に、私たちの主は四十日間ほど地上にましました。四十日間に、使徒たちの傍におられました。

まず、ご自分の復活と出現を証明するためで、以前ご紹介したとおり、ご自分の御体を見せて触らせたりしました。

それから、使徒たちへの教訓を告げ終わりました。またその上、ご自分の公教会を創立なさったのです。聖ヨハネの福音書第21章で語られている創立です。私たちの主はご自分の公教会を創立なさいました。

第一に、ペトロの否認を赦し給うた上に、正式にペトロを公教会の長として任命したもうたのです。ペトロはキリストの初代の地上における代理者となりました。ガリラヤ湖の岸辺で創立なさいました。奇跡の大漁のすぐ後の場面です。私たちの主は聖ペトロに話しかけます。
「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちよりも私を愛しているのか」 。「この人たち」というのは、使徒たちです。聖ペトロが使徒たちの内に私たちの主のことを一番愛していたことは周知のことです。
「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たちよりも私を愛しているのか」 。で聖ペトロが「主よ、そうです」 。ただ、今回は気取りなどが一切ありません。「主よ、そうです。あなたのご存知の通り、私はあなたを愛しています」 。以前のペトロなら、気取ったところがありましたね。「主よ、私はあなたのために命を捨てます」 とか「先生、どこに行っても私はあなたについて行きます」 ですね。以前は、かなりの自慢があったと対照的に、今回は謙遜の極まりです。「愛しています」というのではなくて、「あなたのご存知の通り、私はあなたを愛しています」 といっていますね。つまり、「私よりもあなたが知っておられます」と暗に謙遜に言うことです。聖ペトロはこう答えると謙遜の行為を果たすのです。これで、第一回の否認を償うのです。それから、私たちの主は「私の子羊を牧せよ」 と仰せになります。
そしてもう一回、「ヨハネの子シモン、あなたは私を愛しているか」 と聖ペトロに問われます。同じく、「主よ、そうです。あなたのご存知の通り、私はあなたを愛しています」 と聖ペトロが答えます。で、第二の否認が償われて、イエズス・キリストが同じく「私の子羊を牧せよ」 と仰せになります。
そして、三回目に、私たちの主が問いかけられます。「私を愛しているか」 。つづいて聖ヨハネの福音書に「三度に言われたのを聞いてペトロは悲しみ」 と記されています。続いて「主よ、あなたはすべてをご存知です。私があなたを愛していることはあなたがご存知です」 と聖ペトロが三度目に答えます。そうすると、聖ペトロの答えには大事な意味織り込まれています。つまり、聖ペトロ自身が、自分の動きで「ある真理を言い出す」のではなくて、「イエズス・キリストに従ってこそ、イエズス・キリストと共にこそ、イエズス・キリストの仰せになっている真理であるからこそ」聖ペトロが言い出せるという意志が示されています。真理なるイエズス・キリストなので「私よりもあなたイエズス・キリストの方が御存じで、私があなたを愛していることも私よりもどれほど愛しているかあなたが御存じである」というような意味です。私たちの主の答えは「私の羊を牧せよ」 と今度仰せになります。「子羊」ではなく「羊」を仰せになることによって、私たちの主は聖ペトロが「羊と子羊との牧者になる」ということを告げ給うのです。

言い換えると公教会において「信徒の牧者と牧者の牧者」となるという命令です。聖ペトロをはじめ歴代教皇たちは、「他の司教たちと共に信徒の牧者である」だけではなく、「司教たちの牧者でもある」ということで、言い換えると司教の権威を上回る至上権威を持つという意味です。要するに、司教たちよりも教皇の権威が優位であるということです。従って至上権威を持つのです。

以上のとおり、使徒たちの前にご出現の際、私たちの主は三度にわたっての「愛の宣言」の機会を聖ペトロに与え給い、聖ペトロが自分の愛を宣言することによって、自分の犯した三度にわたる否認を償うことができました。そして、私たちの主は三度のお答えを通じて、公教会における聖ペトロの権威を断言して宣言なさったのです。

続いて、私たちの主は使徒たちを使徒たちという「公教会の牧者である」という立場・高位を改めて断言し再確認して確立なさいます。次のように仰せになりました。
「私には天と地の一切の権威が与えられている。」 因みに、この場面でもう一度明らかにご自分が天主であることを再断言する発言です。
「行け、諸国の民に教え、聖父と聖子と聖霊の名によって洗礼を授け、私が命じたことをすべて守るように教えよ。私は世の終わりまで常にお前たちと共にいる」 。
使徒たちへの以上の御言葉によって、司教の三つの使命を与えます。
第一に、「真理を教える」使命です。「行け、諸国の民に教えよ」。
第二に、また後述しますが、「秘蹟を授けることによって人々を聖化する」使命もあります。「聖父と聖子と聖霊の名によって洗礼を授けよ」。
それから最後の第三に、「行動の模範と戒律と掟のおける指導をする」使命です。「私が命じたことをすべて守るように教えよ。」「守る」というのは、実践において、行動において、風習において、「命じたことをすべて守るように教えよ」ということです。そこで、司教たちは「指揮する」使命と権威も備わっているということです。

以上、私たちの主はご自分の公教会を創立なさいました。また、聖ペトロに至上権威を与え給いました。「私の子羊を牧せよ」。「私の羊を牧せよ」。
それから、牧者たちに、つまり使徒たちとその継承者となる歴代司教たちには、公教会での三重の教導権を与え給ったのです。「教える権威聖化する権威率いる権威」との三つの教導権です。

また、私たちの主が使徒たちに「罪を赦す」力を与え給います。そういえば、よみがえった日の夕方に、使徒たちの前に現れましたが、最初に与えた権威はまさに「赦す力」でした。「Pax Vobis」「あなたちに平和」と仰せになりました。その場面に続いて、「罪を赦す権威」を与え給ったのですが、その力は御受難の実りである上に、ご復活の実りです。

というのも、御受難の生贄のお陰で、人類が贖われて、天主に対する侮辱が償われた暁に天主との「仲直り」ができたということです。それで、同じく「悔悛の秘跡」、「悔悛の秘跡」は、最近「赦しの秘跡」とも言われることがありますが、「悔悛の秘跡」こそが、致命的な罪(大罪)のせいで恩寵を失われてしまった霊魂を天主の御心の愛に復帰させてくださる秘蹟に他なりません。

要するに、使徒たちに「罪を赦す」力がイエズス・キリストによって与えられました。「あなたたちが罪をゆるす人にはその罪がゆるされ、あなたちが罪をゆるさぬ人はゆるされない」 と仰せになりました。

以上、ご復活後のこの地上での四十日間ほどのご滞在をご紹介しました。それから、四十日間の最後に私たちの主が天に昇りました。



使徒たちと一緒にご飯を食べて終わると、恐らく最後の晩餐の会場だったチェナクルムで聖木曜日と似ていて、使徒たちと一緒にご飯を食べました。それから、食べ終わるとオリーブ山のベタニアの庭にいらっしゃいました。

最後の晩餐と対照的に対をなす場面となります。つまり、聖木曜日以降はすべての侮辱や苦しみを受け給って、十字架上の死までにかれの天主性が見えなくなるほどになるということと対照的に、昇天の日に私たちの主が同じオリーブ山の庭にいらっしゃるのですが、聖木曜日と違ってキリストの人間性が見えなくなって、天主性によって完全にその人間性が追われるようになって、天に昇りました。

オリーブ山のベタニアの庭に私たちの主がいらっしゃり、そこで、昇天において褒め称えられました。そこで、感嘆すべき点があります。というのは、天に昇りましたが、昇りながら使徒たちを祝福なさったのです。いや、正確に言うと、使徒たちを祝福しながら、天に昇りました。そうすることによって、イエズス・キリストが天におけるご自分の御働きをしめしたもうのです。

つまり「祝福」する御働きです。天にましますイエズス・キリストの絶えない御働きは、我々人類を祝福したまうということです。語源でいうと「祝福」というのは「誰かのことについて良い事を言う・人をほめる」という意味です。「Benedicere」。そして「祝福」するというのは、また我々に「恩寵を送り注ぎ給う」という意味も織り込まれています。言い換えると、我々を祝福するために、つまり恩寵を注ぎ給うために、天に昇られたということです。

天に昇りましたが、その場面の神秘というと、イエズス・キリストがそれで消えたということです。使徒たちはイエズス・キリストが天に昇ることを目撃していました。どんどん上の方に昇っていたところに、いきなり姿が消えました。使徒たちは天を見つめているままですが、もう何もありませんでした。使徒たちはこのまま動きませんでした。

それから、二位の天使らが使徒たちの前に現れ、こう告げました。「ガリラヤ人よ、なぜ天を見つめて立っているのか。今、あなたたちを離れて天に昇られたあのイエズスは、天に行かれるのをあなたたちが見たように、またそのようにして来られるであろう」

イエズスは天に昇りました。凱旋した王として、褒め称えられながら、天に昇りました。当然です。天使たちに賛美されながら、凱旋的な昇天です。昇天祝日典礼のアレルヤのように「主は捕虜されていた奴隷を伴って昇り給った」のですから、言いかえると旧約聖書のすべての忠実だった霊魂たちを伴って、昇天しました。つまり、天国の門が開かれたその時を待っていた古聖所にいた霊魂たちを連れて天に昇りました

それから、私たちの主は、ご復活後ですから「栄光なる身体」を持っておられました。従って、身体に相応しい場所に昇天することは適切でしたので、イエズス・キリストの「栄光なる身体」に相応しい「栄光なる場所」にましますのは相応しかったのです。「栄光なる場所」は天に他なりません天国こそイエズス・キリストのご身体に相応しい場所です。



私たちの主は昇天しました。使徒たちの目から消えて、使徒たちが地上に残りました。ところが、使徒たちの内に私たちの主がもういません。天にましますイエズス・キリスト。人間のために罪のせいで閉じられていた天門をお開けもなさいました。また、我々の上に聖霊を送り給うために、天にまします。また、我々のために、御父に御取り次ぎし給うために、天にまします。

私たちの主が昇天して天にましますが、引き続きに私たちのために御働きを続けたまっています。

信経の第六条に戻ると、「天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し」とあります。つまり、私たちの主は父なる天主の「右」に座られます。
「坐する」という姿勢の意味はまず「休む姿勢」であります。というのも、私たちの主はご自分の使命を果たしまして、「すべては成し遂げられた」 と仰せになった通りです。つまり、贖罪の玄義自体はもう遂げられました。永遠に天にましまして、贖罪の完成による効果・恩恵を霊魂たちに与え続けたもうだけです。だから「坐し」ました。そして、「坐する」という姿勢は「君臨して裁く王」の姿勢であって、イエズス・キリストが天主として「王と裁判官」であることを意味します。私たちの主は、本当の意味で王であります。ピラトに「私が王である」と仰せになった通りです。

要するに、「座す」という姿勢であることは、「休み」と「王と裁判官」を意味します。その上に、信経によると「全能の父なる天主の右に坐し」で、「右」の位置が強調されています。なぜでしょうか。それは、「天主として」のイエズス・キリストが「天主に同等する」ということを意味します。
その上に、「人として」イエズス・キリストということを通じて、イエズス・キリストの人間の本性を高揚するためです。というのも、イエズス・キリストの人間の本性がどの被創造物よりも優位であるよということを意味します。宇宙で創造されたすべてのことより優位するということを示します。ご托身の玄義をご紹介したときに説明したとおりです。従って、イエズス・キリストの人間の本性としても、「天主の右に坐し」て、天主と対等な高位まで高揚されて、あらゆる被創造界のなによりも優位に立てられているということです。天使よりも、いと童貞なる聖母よりも、優位に立てられているということです。なぜかというと、被創造物としてのイエズス・キリストは完全に限りなく完成で完璧だからです。

以上、信経の第六条をご紹介しました。

ご復活が捏造された事件ではないということを証明する根拠 【公教要理】第五十四講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月27日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十四講  贖罪の玄義・神学編・その八 ご復活の諸根拠について




「三日目に死者のうちよりよみがえり、」

今回もご復活という真理について時間をもうちょっと割きましょう。ご復活という真理こそ、カトリック信仰の基礎であって、私たちの主が本当に実際に真の天主であることを証明する刻印のような出来事なのです。
聖パウロの記す通り、「キリストが復活しなかったら、私たちの宣教はむなしく、あなたたちの信仰もむなしく、そのうえ私たちは天主の偽証人となる」 。

だから、ご復活についてじっくりとやらなければなりません。今回は、ご復活という出来事は捏造された事件ではないということを証明する根拠をご紹介したいと思います。

5つの根拠をご紹介します。
第一に、使徒たちの証言が、現実を間違えたり誤解したりして証言したことだったとするのは、あり得なく不可能だったこと。
第二に、使徒たちには騙す意図とか、現実を偽る意図とかが全くなかったこと。
それより更に、第三に、使徒たちが現実を捏造しようとしたとしても、結局実現することは不可能で、できようがなかったこと。
それから、最後にもう二つの根拠を挙げましょう。第四に、サネドリンの司祭たち自身による根拠、つまり、イエズス・キリストの敵たちによる根拠です。感嘆すべきことに、私たちの主はご自分の敵たちでさえご自分のために使うことになります。
第五に、現代でも残されている根拠です。


【第一、使徒たちの証言が、現実を間違えたり誤解したりした証言だったとするのは、不可能】

第一に、使徒たちの証言が、現実を間違えたり誤解したりして証言したことだったとするのは、あり得なく不可能でした。なぜでしょうか。
使徒たちが間違って証言したとしたら、二つの事があり得ます。

一つは、イエズス・キリストではない人に出会って間違ってイエズス・キリストだと思い違って証言するという第一の可能性です。
もう一つは、そうでなければ、イエズスの「幽霊」或いはその「姿のみ」を見て、生きていると思い違って証言するという第二の可能性です。この後者なら、現代風に言うと心理上の病気による幻想とかに当たるでしょう。ところが、両方の可能性とも不可能です。なぜでしょうか。

まず、私たちの主が現れたのは一度だけではなく、同じ使徒たちの前に何度も現れてきました。そして、何度も違う時に現れてきました。つまり、よみがえった私たちの主は、ご復活後に四十日間ほど地上に残り給うたのです。それで、この四十日間の間にずっと、何度も現れ続けてきました。要するに、イエズス・キリストの復活後の出現は、何か超常現象あるいは心霊現象といったことではありえないし、また、儚い一時的な事件でもなく、一回だけのことでもないということです。イエズス・キリストの出現は、四十日間ほどの期間に、何度も繰り返しに、違う場所と時間帯で何度も何度も実現した現象なのです。四十日間はなかなかの期間で長いです。

その上、私たちの主は使徒たちの前にしか現れてこなかったということではありません。その他に、多くの違う人々の前に現れました。聖書によると、五百人以上の人々の前に現れたとされています。要するに、違う多くの人々の前に現れてくることによって、ご復活は本当に実現した、事実なのだということを裏付けます。つまり、使徒たちの前に何度も現れてきたということを通じてだけではなくて、その上に、多くの違う人々の前に現れ、かなりの数の人々の前に現れたことによっても、ご復活の事実性・真実性・歴史性が証明されています
その上、昼間に現れた上、違う状況と違う場面と違う時間帯で私たちの主は現れました。

従って、使徒たちなどが見たことは、何かの特定の状況に置かれて、特定の原因にしかよらないということは言えなくなります。一回の出現に限って言及する場合は、例えば、チェナクルムで引きこもって悩んでいた使徒たちが、不安のあまりに幻想を見て幽霊を見てその出現を想像したといったような推測は完全にありえないことはないにしても、まあ心理学でいうと稀の稀にある現象だとしても、可能なだけは可能でしょう。
しかし私たちの主が何度も、違う状況と時と時間帯と場所とに、違う人に何度も現れてきたから、こういった特定の心理状態とか、環境状態による説明はもう無理となります。要するに、数多い多様なご出現のこういった特徴のお陰で、あらゆる「医学」による説明が、「心理学」による説明が無理となります。
例えば、夜中に閉っていたチェナクルムだけではなく、外でも、昼間でも、庭においても、現れたことがあるし、エンマウスの二人の弟子に道において現れたし、使徒たちと一緒にご飯を食べたし(現れるだけではなくて)、ガリラヤ湖の岸辺にも現れたし。

そこで、使徒たちが別のことをやりながらイエズス・キリストがご飯を炊いていたが、チェナクルムと違って使徒たちが別のことで作業して頭が一杯だったので、特にイエズス・キリストのことを思っていなかった時にイエズス・キリストが出現したこともあるので、「幻覚」によるといったようなことでは説明ができないのです。また、オリーブ山での園にも現れました。

要するにあちこちに私たちの主が現れました。しかも、イエズス・キリストは違うタイプの人の前に現れました。イエズス・キリストをすぐ認めた聖なる婦人たちの前に現れこともあれば、疑い深い人々の前にも現れました。典型的なのは、前回ご紹介したように、疑い深い使徒聖トマですね。また、さらにいうと、かなり時間がかかった挙句にいよいよイエズス・キリストを認めたエンマウスの二人の弟子の前にも現れました。この二人のエンマウスの弟子がイエズスを認めるにはかなり時間がかかったので、「幻覚」によるような出現ではありません。何か幽霊であるかのように「いきなり現れた」とかではなくて、イエズス・キリストが既に道におられて、一日ぐらいを一緒に歩いた後に、弟子たちがパンを割いた時にだけ彼をいよいよ認めました。つまり、道で出会ってから、パン裂きまで、エンマウスの二人の弟子による錯覚といったような説明はありえません。一日ぐらいほど、隣にいた男性の福音についての話を聞きながら歩きました。しかも、この男性がイエズス・キリストであることなんて、彼らにとって思いつきも出来ないまま、完全に論外のことでした。一緒に歩いて、食事の時に認めるには時間がかかりました。

以上のような多様的な場面・場所・時間帯・環境・相手などは、あまりに多く多元的ですから、出現が現実に実際にあったということを証明します。さらに私たちの主が出現する際、食べたり話したりご自分の御傷を触らせたり、ご自分の足と脇と手を見せたりする多様なことも出現の際になさったりします。

従って、使徒たちが間違って証言することは不可能です。イエズス・キリストが多く出現した際に、同じことを証言することはあまりにも多すぎて、すべて間違って証言されることは不可能です。しかも多かっただけではなく、証言の性質も多様で、証言者も多様で違う立場にありながら、すべての証言は「イエズス・キリストがご復活した」という同じ事実に収斂します。
従って、主が本当によみがえったのであって、使徒たちが間違って証言したと考えるのは不可能です。明白です。


【第二、使徒たちは騙す意図がなかった】

それから、第二、使徒たちがわれわれを騙そうとしたのでしょうか。それはありません。使徒たちがわれわれを騙そうとしたことは全くあり得ないことです。
なぜでしょうか。まず、単純に、使徒たちがイエズス・キリストの一番の側近の弟子として彼を良く知っていた上、使徒たちが皆ユダヤ教の宗儀を守り、敬虔だったので、神罰を被ることを恐れていました。そこで、事実を捏造して人々を騙そうとしたのなら神罰をも恐れないということで、彼らは神罰を被るリスクをおうことになります。しかし使徒たちの性格と振る舞いをみたらそれは到底あり得ない思考・発想です。こういった使徒たちの心理的な側面を見て、使徒たちが騙そうとするという発想自体が生じることはあり得ないことです。

その上、使徒たちは最期まで罵倒・嘲笑されつづけて、苦しめられ、そして最後に、全員殉教の死を遂げたのです。だから、何か捏造された嘘のために殉教するなんて、到底あり得ないことです。従って、使徒たち全員の殉教自体は、彼らの証言の信憑性を高めて、その誠実性を証明します。

「イエズス・キリストが復活した」という嘘をなして、使徒たちが騙そうとしても、何の利益もなかったのです。イエズス・キリストが本当に死んだままに復活しなかったとしたら、一体なぜ使徒たちがこういった話を言い出すのでしょうか。死んだままだったら、何もイエズス・キリストに期待することも、利益を貰うことはなかったのです。嘘を語って、使徒たちが何の利益を得ることもなかったし、イエズス・キリストが死んだままなら、こういった偽造しても、何も得ることありませんでした。それによっても、使徒たちが嘘をついたことは到底あり得ないことです。

【第三、捏造は不可能だった】

その上、それよりも、使徒たちが嘘をつこうとする意図があったとしても、実際問題として、そういった嘘をつくことは無理でした。なぜでしょうか。まず、イエズス・キリストの死体が存在していたということになります 。そして、こういった嘘をつくために、つまり「ご復活した!」と嘘をつこうと思ったら、どうしても、その死体を無くす必要があったのです。嘘をついただけで済まないからです。死体が遺ったら、すぐばれますので。そこで「死体を処分する」必要が出てきます。でもどうやってするのでしょう。

三つの方法があります。策略を立てて、何かの手段・方法で墓に入り込んで死体を盗む選択肢。何か隠し道をとって墓に入り込むとか。ところが、こういった隠し道は存在しません。ありませんでした。番人たちも、だれもこういった隠し道について何も残していないし、考古学上にいっても何も痕跡がないし、当時の墓の設定から言っても、あり得ないことです。従って、こういった「策略」による死体の盗みはありえません。

それから「暴力を振るって無理矢理に死体を盗む」という選択肢。それはむりです。使徒たちが力ずくで死体を奪おうとしたのなら、厳格に監視されていた墓の武装していた番人たちに捕まったに違いありません。しかも、受難の時からずっと使徒たちがとった卑怯な逃げ隠れを見ると、なかなかあり得ないことです。何か、これほどに御受難において逃亡したり否認したりして卑怯に振舞い続けた使徒たちが、突然勇気をもって死体を力ずくで奪い取ろうとすることはなかなかの奇跡になります。いや、死後直ぐの使徒たちの性格と精神状態では到底あり得ません。御受難の間に彼らの弱みと卑怯さばっかりの行動をみて、3日目だけでこういった勇敢を持てるような行動は到底あり得ないことです。

それから「策略」も「力ずくで」も無理だったら、「番人たちを買収した」選択肢もあります。例えば、金でも渡して、死体を受け取って、番人たちに黙ってもらおうという選択肢。でも、これは到底あり得ない可能性で信じがたいものです。まず、使徒たちが漁師たちの身分で皆貧乏です。私たちの主が死んでから、漁せざるを得なくなるほど貧乏で、主の死後に何もなかったほどです。何も預金もなかったのです。それでほど貧乏で、番人たちを買収できるような金は全くありませんでした。それに、こういった買収するには、当時の状況を考えると、大金ではない限り、買収できないでしょう。番人たちの上司は大司祭たちだったわけです。金を貰ったとしても、大司祭たちにすべてを明かした方が彼らの利益になったでしょう。厳しい罰を免れるために、さらに褒美をもらうために。
要するに、使徒たちが事実を捏造しようとする意図があったとしてでも、実際問題として、そうすることは無理でした。


【第四、イエズス・キリストに敵対する人らの記録】

それから非常に面白いことに、ご復活の一つの証拠は、番人たち自身にあります。先ほど申し上げたとおりに使徒たちが番人たちを買収することはできなかった一方、番人たち自身がご復活の際、非常に恐怖したと記されて、それで逃げて大司祭たちの許に行ってきて、「二位の天使を見ました。眩しい二位でした。岩が奇跡的に転び飛ばされました。地震もおきて、そして確認したら死体が消えました」という報告を大司祭たちに知らせておきました。
それから、見たことを黙るように、そして死体が盗まれた、と言わせるように、大司祭たちが番人たちに金をわたしておいたのです。それは非常に面白い記録です。非常に大事ですね。大司祭たちこそが番人たちを買収したということは、裏を返して、使徒たちが死体を盗もうともなんとも無理だったということを証明します。大司祭たちこそ、現実を捏造しようとしたのですから、非常に面白いのです。番人たちに嘘をついてもらっておいたのです。
「数人の番兵が町に行って、起こったことをすべての司祭長に告げてた。司祭長たちは長老と集まって協議し、兵卒たちに多くの金を与えて言い含めた、「<あの男の弟子たちが夜中に来て、我々の眠っている間に屍を盗んでいった>と言え。」」

聖アウグスティヌスが有名な説教で、番人たちの偽証言を次のように訴えかけ、非難します。つまり、本当に眠っている間に弟子たちが死体を盗みにきたら、どうして、眠っていたのに弟子たちであることを確認出来、断言できるのだろうか、と。そして、眠っていない時に盗まれたら、武装していたのに、どうして非武装の弟子たちを止めなかったのかと。

以上を見る限り、司祭長たちと番人の偽証言から見える真理はより明瞭になってきます。つまり、サネドリンと番人たちによる公然たる偽証言こそが、私たちの主のご復活の信憑性を強く根拠づける事実となります。また、使徒たちが何も捏造することはなかったということをも裏付けます。裏を返せば、使徒たちと関係ない死体の消失の責任を使徒たちに負わせるために、大司祭たちなどは番人たちに偽の証言を、金を渡して告げて貰っています。

要するに、私たちの主はご自分の敵の行動を使って、ご自分の復活の真実性を証明するのです。面白いでしょう。番人たちによる明白な偽証(矛盾している証言ので)を通じて、ご復活が本当にあった事を裏付けます。当然ながら、私たちの主は偽の証言をはじめ、悪をお望みではけっしてありません。ところが「犯されてしまった」悪でさえ、より大きいな善のために使っているということです。イエズスが「君らどうしても嘘をつこうと思ったら、性懲りも無く嘘をつくだろう。だが、その嘘が何かを残してもらおう。それは私の復活の根拠になってもらおう」といわんばかりに。


【第五、聖骸布】

それでも、以上のすべての証言を疑い深く思う人が出るでしょう。特に、現代に置かれて、合理主義と科学主義なる現代に置かれて、科学上であれ、物理学上であれ、数理学上であれ何かの科学的な立証がない限りに信じない現代ですね。この世紀が以上の証言を否定しても、実はご復活の科学的な証明があるのです。少なくとも、ご復活を明白に根拠づけて、ご復活の明白な痕跡があります。この痕跡は近代科学に挑む証拠です。聖骸布に他なりません。使徒たちは空っぽの墓に入った時に、折り畳まれた布類を見たのですが、現代でこの一つは遺っています。聖骸布です。聖骸布というのは、私たちの主の体を包んだ大きな布です。つまり、体を横にして布に包む、体の頭から全身へ折り畳めて体を包む布です。



それで、私たちの主はご復活したときに、布類を通り抜けたかのようです。科学上に説明不可能なことですが、通り抜けて痕跡を聖骸布に残して、この布を後に残しました。使徒たちも聖骸布のことを見て福音書に記しました。それで、現代まで残り、受け継がれました。
この聖骸布は科学調査を受けて、偽造されたものではないことも立証されている上、聖骸布の痕跡は科学的に説明不可です。科学に対する挑戦なのです。つまり、現代の科学は、聖骸布が一体なぜこういった状態になっているか、説明できないままです。

また滑稽な反論もあります。中世を暗黒時代だとしている同じ連中は、聖骸布が中世期において偽造されたと主張しています。矛盾ですね。一方、中世が暗黒時代で、無知の時代だったが、啓蒙思想家のお陰ですべて知るようになったというスタンス。他方、現代の科学でさえ説明しきれない聖骸布なので、中世に偽造したといって、つまり現代より中世の方が、科学が進んでいたという矛盾になってしまいます。こういった矛盾は信仰の敵たちの逆説を良く語る好例です。

科学がそれほど評価されている現代においてこそ、聖骸布はイエズス・キリストのご復活を根拠付ける立派な証拠となります。少なくとも、聖骸布はなかなかの証言となり続けて、科学を挑み続ける聖遺物です。これは、私たちの主が、命とあらゆる被創造物の支配者であることを証明する上、創造主であり贖い主であることを語ります。現代でも崇敬され続ける聖骸布を見ても、イエズス・キリストのご復活の証言がイエズス・キリストによって残し給うたことを感嘆しましょう。

以上のように、幾つかの根拠をご紹介しました。それで、ご復活をどの観点から見ても、証拠が数えきれないほど多く、すべての証言や証拠はすべてご復活が本当に事実で、歴史上にあったできごとであることに収斂し、それを語っているということが確認できます。

要するに、イエズス・キリストのご復活は神話でもなんでもなくて歴史上の立証された事実に他なりません。またカトリック信仰の究極的な根拠こそご復活なのです。従って、私たちの主がご復活したということを根拠に、真の天主であることを合理的に信じることができます。それから、真の天主であるという事実から、イエズス・キリストの人生におけるすべてのことをも信じうることになり、そして、十字架上に我々の贖罪が本当の意味で捧げられたという玄義をも信じうる事実となってきます。


私たちの主は使徒たちの前に現れる 【公教要理】第五十三講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月25日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十三講  贖罪の玄義・神学編・その七 私たちの主は使徒たちの前に現れる




よみがえった私たちの主は使徒たちの前に現れる


よみがえった私たちの主は、聖なる婦人たちの前に現れ給うた後、使徒たちの前に現れ給います。聖書によると、最初に現れたのは聖ペトロの前だったと記されています。聖ペトロの前にご出現したことについての証言は一ヶ所しかありません。なぜ最初に聖ペトロの前に現れ給ったかというと、聖ペトロが使徒たちの長であるからです。

【エンマウスの二人の弟子らに私たちの主が現れ給う】

次は、エンマウスの二人の弟子の前に現れ給いました。エンマウスの二人の弟子はエルサレムに滞在していたところから、エルサレムを去ったときに出現し給うたのです。エルサレムでの滞在はきっと使徒たちと一緒だったと思われます。チェナクルムに引きこもっていた使徒たちと一緒に何人かの親しい弟子たちもいたと思われますから。そして、エンマウス出身の二人の弟子がエルサレムを去ることになり、エンマウスへ旅立つのです。エンマウスの方向は、エルサレムの北西の方にあります。エルサレムから徒歩で半日・一日ぐらいかかると言えましょう。それで、エンマウスの二人の弟子は、憂いつつエンマウスへ出発します。

福音書の文章によると、二人の弟子の心は非常な悲しみで重かったということが伝わります。この場面を描写する形容詞を見ると、心の重さが特に強調されています。御存じのように、私たちの主は二人の弟子たちの前に現れ給いますが、「彼らの目はさえぎられてイエズスを認めることができなかった」 のです。要するに、二人の弟子たちは主を認めないまま、イエズスであることが分からないまま、悲しんでいます。私たちの主イエズス・キリストとずっと一緒に過ごしていたし、イエズスの起こされた奇跡をも多く目撃してきたし、イエズスが天主であるが故に、二人の弟子はイエズスに憧れ切って驚嘆し続け、本当に素直な心でイエズス・キリストを信じ続けた二人の弟子なのです。

しかしながら、3日前に私たちの主は亡くなられてしまったのです。まあ、この朝、婦人からの不思議な知らせが確かにあったのですが、「婦人の噂を信頼するわけにはいかない」と思われ、あまり気にしなかったのでしょう。だから、悲しみに沈んでいるまま、悲嘆に暮れて出発しました。その時、私たちの主が二人の弟子の前に、奇跡的に現れ給ったのです。しかし最初は誰なのか分からないままでした。



イエズス・キリストがまず彼らに声をかけたまいました。「あなたたちは歩きながら何を話し合っているのか」 と。「かれらは悲しげなようすで足を止めた」 。
「クレオパと言われる一人は「エルサレムにおられたのに、あなただけが、このごろそこで起こったことをご存じないのですか」といった。「どんなことか」とイエズスが問われたので答えた。」  
次のことですね。「ナザレトのイエズスのことです。その方は、天主とすべての人々の前に、行いにおいてもことばにおいても力ある預言者でしたが、私たちの司祭とかしらたちが、死刑にしようとその方を引き渡し、十字架につけました。私たちは、イスラエルを救うのはその方であろうと望みをかけていました。なお、そのことが起こって今日でもう三日めです。」
つづいて、弟子が言い加えます。「ところが私たちは、仲間のある婦人たちに驚かされました。その婦人たちが朝早く墓に行きますと、死体が見当たらず、そのうえ天使たちが現れ、イエズスは生きておられると告げたと言って帰ってきました。私たちの仲間のある人々が墓に行ってみますと、婦人たちが言ったとおりでしたが、イエズスは見えませんでした」 。
だから、二人の弟子が悲しんでいました。
「すると、イエズスは、「ああ、預言者たちの言ったすべてのことを信ずるに鈍い愚かな者たちよ。」」  確かに、イエズスが目の前にいるのに、預言を信じすらしなかったのですね。

続いて、イエズス・キリストが、二人の弟子に、聖書の解説を丁寧に美しく説明してくださいます。旧約聖書の預言やそれからすべての奇跡と前兆を取り上げて、ご自分が公生活の際に、それらすべてを実現させたということを説明し紹介なさいます。要するに、正当なことに二人の弟子が信じたイエズス・キリストは実際に旧約聖書のすべての予言と前兆を実現させて果たしたということを思いおこさせてくださいます。その際、聖書に織り込まれている神秘のすべてのことを明らかにさせて二人の弟子に垂訓なさいます。残念ながら、この聖書の解説についての授業ともいうべきこの垂訓の詳細は福音書に記されていません。なにか、私たちの主ご自身による聖書の解説講演なんて聞きたくなりますね。どれほど素晴らしい解説だったでしょう。きっと、われわれがとんでもない苦労した挙句に何とか聖書に見いだせる諸真理を一つ一つ イエズス・キリストはあっさり教訓なさったのでしょう。

それから、目的地のエンマウス村に近づいたら「イエズスが先に進みいかれるようすだったので、彼らはしいて止め」 、二人は主に晩御飯を一緒にするようにと誘ってみました。イエズスであることは分からないままでした。それから、私たちの主は二人の弟子の家で晩御飯を共になさるのですが、「イエズスはパンを取り、祝福をとなえ、それを裂き、彼らに与えられた」
それを見た暁にいよいよ「二人の目が開きそれがイエズスであったと悟ったとき、イエズスは彼らの前から姿を消された」
つまり、二人の弟子がイエズスであることを分かった瞬間に、かれらの信仰は新たに燃え上がっているかのように、信仰は新たに輝かしい光となって、イエズスがもう実際に傍にいる必要がなくなりました。もう弟子たちは光を心に持っているので、信仰を持っているので、主は姿を消されます。

続いて、弟子たちは何といったでしょうか。「途中で聖書を説明された時、私たちの心は中で燃えていたのではないか」 と言い合った。

以上は、エンマウスの二人の弟子の前に私たちの主がどうやって現れ給ったかをご紹介しました。
以上のご出現には特に驚嘆すべき点があります。弟子たちは悲しみに沈んでいるという点です。つまり、イエズスに対して彼らはゆるしがたい態度になっていたということです。信仰を失っていたと言えます。愚かな者でもないし、馬鹿な者でもないし、正気を失って、冷静でいられなくなった二人でもないから、いわゆる、気まぐれで思いついた偽りの証言を言うような状態では全くない二人です。これほど悲しんでいたので、二人とも絶望に陥っているところでした。絶望という状態に陥ったら、快く物事を見受けることは到底あり得ません。逆に言うと、なにもかも負の側面ばっかり物事を見受ける傾向があります。だからこそ、それほど長く、イエズスがいても認めることはできませんでした。その悲しみによってこそ、エンマウスの二人の弟子の証言をより強くして、より信憑性を与えるのです。非常に悲しんでいたから、弟子たちの証言がより根拠づけられているということです。

そして、二人はどうするでしょうか。当然、すぐさまにエルサレムに急いで戻りました。11人の使徒たちの許に行くと、「本当に主はよみがえられてシモンに出現された」 と言われます。


【私たちの主は、チェナクルムで使徒たちの前に出現される】


次の私たちの主の出現は、チェナクルムで使徒たちの前です。ご復活の日の夕方ぐらいの時でした。使徒たちは集まっていて、晩御飯を取るところでしたが、「戸は閉じてあったのにイエズスが来られた」 というふうに福音書に強調されています。戸が閉じているのに、入れたということで、イエズス・キリストが天主であることのもう一つの証明です。

そして、「あなたたちに平和」 とイエズスが使徒たちに仰せになりました。ご復活後の使徒たちへの最初の御言葉は「あなたたちに平和」なのです。というのも、平和を失っていた使徒たちでした。もう、熱心な信仰を失っていたからです。で、「あなたたちに平和」と仰せになりました。「Pax Vobis」。父が私を送られたように、私もあなたたちを送る と続いて仰せになりました。使徒たちは黙ったままです。もちろん、イエズスであることをわかりました。私たちの主を直視して、彼らの信仰があらためて燃え上がります。

続いて、私たちの主は、たしかにご自分であることを確かめさせました。どうやって確かめさせたでしょうか。ご自分の御傷を見せ給うのです。この場面をみて、「栄光の身体」の一つの特性である「輝き」を出現の際に持たないことになさった理由はそこにあります。つまり、よみがえった身体も本当のそのままのご自分のご身体であることを使徒たちに示すためでした。「本当に私の身体だよ。脇の傷を見なさい。足の傷と手の傷もあるよ。触ってもよい。私をみて。一緒にご飯を食べてあげるから」と言わんばかりに。

それから、私たちの主は、使徒たちと一緒にご飯を取ります。それも大事です。つまり、食べられるというのは、単なるうわべとか姿ではなく、本物の体であるということで、それを示すために、一緒にご飯を取ってくださいました。その上に、使徒たちがお身体を触ることもできました。どれほど使徒たちが喜び溢れたか想像に難くないでしょう。

そして、ご飯が終わると、私たちの主は消えました。ところが、一人の使徒が出現の時に不在でした。聖トマでした。「疑い深い」聖トマと呼ばれているが、まさにそうなのです。この場面もなかなか大事なのです。聖トマにとって、イエズスが目の前に現れてもそれほど疑うというのは、確かにかなり恥じることでしょうけど、その分に、ご復活の真実性をより強く裏付ける証言なのです。つまり、使徒たちでさえ、ご復活を信じようとしなかったのです。いや、信じうることでさえ彼らにとって論外でした。使徒たちにとって、主の死で、もうすべて終わっていたと信じ込んでいたのです。「疑い深い」の聖トマの場面は、ご復活に対する疑いが使徒たちの内にかなりあったということを示す場面です。


【ご復活に対する使徒たちの疑いは、主のご復活を証明し裏付ける】


つまり、主が墓に葬られてから、使徒たちが何か企んで、「よみがえったことにするために、どうすればよいか」といったような捏造は一切あり得なかったということをこの場面とその他の場面で確認できます。いや、逆に、最初から、使徒たちでさえ、ご復活を信じていなかったのです。信じようともしなかったのです。疑ったのです。まず、婦人たちの証言を全く疑って信じませんでした。それから、エンマウスの二人の弟子は悲しんでいました。つまり、ご復活は彼らにとって論外だったということを表す悲しみなのです。使徒たちが集まっても悲しんでばかりいました。

イエズスが現れたが、聖トマが不在で、聖トマが戻ったら、他の使徒たちが「主がよみがえったよ!」と知らせましたね。聖トマが笑わんばかりに「違うだろう、ふざけないで、無理だ」と言わんばかりに。「いや、実際にこの指で傷に触れない限り、この手で脇の傷を触れないかぎり、あなたたちの言うことを信じないぞ」という感じですね。

要するに、幾つかの場面で見取れる使徒たちの心の底にあるご復活に対する疑い深さこそは、私たちの主のご復活をより立派に証明し裏付けて示すのです。捏造されたことではないということを証明します。というのも「ご復活の場面」はかなり使徒たちの負の側面を表すわけだから、とうていこういったふうに捏造することはあり得ないからです。従って、これらの悲しみや疑いのおかげで、福音書の証言をより強くして、確立させます


【復活の一週間後、もう一度、使徒たちに主が現れ給う】

続いて、一週間後、もう一度、使徒たちの中に私たちの主が現れ給いました。今回は、聖トマがいました。一回目と同じように、「あなたたちに平和」と仰せになりました。「Pax Vobis」 。聖マルコによると「復活を見た人たちの話を信じなかった彼らの不信仰と頑固を咎められた」 とあります。

繰り返し申し上げますが、信徒たちにとって、なかなか恥ずかしい話ばっかりでしょう。その分、福音にあるご復活などは、捏造がありえないことを裏付けるような醜い使徒たちのようすだと言えます。もし捏造されたと想定されたら、福音書のすべてがこういった想定に逆らってばかりいます。また次回に、ご紹介しますが、ご復活は捏造され得なかったのです。

そして、使徒たちの中に私たちの主が現れ給い、「あなたたちに平和」と仰せになりました。
想像してください。そこにいた聖トマが主を直視します。唖然とね。主を認めた時に、恥じて恥じて部屋の隅っこに隠れて目立たないようにしただろうということは想像に難くないですね。他の使徒たちはイエズスを一週間前に見ていたからもう信じていましたが、疑い深い聖トマは疑い続けました。他の使徒たちは、聖トマへ目をやって「ほら、見たかい」と言わんばかりに。で、聖トマは目で答えて「お願い、目立たないように庇って!」何か「はい!わかった! 信じるよ」と言わんばかりにしていました。

ところが、私たちの主は心を貫く天主で、聖トマを見てすぐわかったのです。聖トマはもしかしたら「お願い、お願い、怒らないでください。何もいわれなきゃいいのに」と思ったかもしれません。
ところが、私たちの主は「トマ、おいで」と合図されます。想像してみると聖トマは可哀そうですね。恐る恐る近寄る聖トマ。
私たちの主は聖トマに「さあ、ここにおいで」と。この場面は、まさに私たちの主は心のすべてを読み取れる力があることをも示します。
「あなたの指をここに出して私の手を見なさい。あなたの手を出して私の脇に置きなさい。」 と仰せになりました。明白でしょう。その前に、使徒たちに「私はその手にくぎの跡を見、私の指をそのくぎの跡に入れその脇に入れるまで、私は信じません」と言った聖トマですよ。私たちの主は、そう言ったことをそのまま貫いて触らせます。
聖トマはそうしなくても、私たちの主のもとに伏して「私の主、私の天主」 といいました。信仰宣言です。「私の主、私の天主」 と、私たちの主は「あなたは私を見たから信じたが、私を見ずに信じる人は幸いである」 と仰せになりました。以上、私たちの主のご復活の幾つかの実りを見取りました。



以上を見る時に、大事なのは、ご復活はどれほど使徒たちの予想外のことだったかということを念頭に置くということです。使徒たちはどうしても信じられなくて、最後まで信じませんでした。
その分、ご復活の歴史性、実際に合った事実であるということが、より強く立派に裏付けられます
その分、カトリック信仰はさらにより強く根拠づけられます


ご復活の流れ 【公教要理】第五十二講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月21日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十二講  贖罪の玄義・神学編・その六 ご復活の流れ




「三日目に死者のうちよりよみがえり、」
前回、玄義としてのご復活をご紹介しました。つまり、信条としての真理である「イエズス・キリストのご復活」をご紹介しました。私たちの主イエズス・キリストは、御自分を御自分でよみがえらせたことによって、「死に対して勝利」したということです。

私たちの主のご復活という事実は、福音書によって立証されています。ご復活の歴史的な流れ自体を見るのは非常に価値のあることですから、ご紹介したいと思います。


ご復活自体は玄義ということなので、確かに私たちに隠されている神秘ではあります。というのも、玄義なので、厳密に言うと人間の理性だけでは把握できず知り得ない神秘なのです。その玄義の中心なる部分は、天主なのに本当に死に給うたうえに、「御自分でご自分を」よみがえらせたという玄義です。

イエズス・キリストは、分離してしまった物事(神体と霊魂)を元に戻せる御力があるという玄義です。人間なら、無理なことです。だれも、自分の力だけで、自分を復活させることは不可能です。もし自分で自分を蘇らせることが可能だとしたら、人間が命に対して全能であるということを証明することになります。ところが、人間が命に対して全能であることは、「死ねない」ということになりますが、人間にはこういった力はありません。

もしかしたら、次の批判が言われるかもしれません。「でも、イエズスが死んだでしょう。それでも命に対して全能であるというのですか」と。はい、それでも全能であるのです。私たちの主ご自身は仰せになりました。「その命は私から奪い取るのではなく、私がそれを与える」 と仰せになりました。つまり、「死ぬ時でさえイエズス・キリストは御自分の命を与える」ということであり、命に対して絶対の支配者、全能者であることの証明なのです。
そして、ご自分の命をご自分の意志だけで与え給う事実を証明するために、イエズス・キリストが御自分をご自分でよみがえらせ、ご自分でご自分に命を戻したのです。
明白なことでしょう。ご復活を通じて、私たちの主はご自分が真の天主であることを証明されました。「ご自分でご自分をよみがえらせ、ご自分でご自分に命を戻す」というこのことこそ、ご復活の玄義なのです。

それで、私たちの主は以上の玄義を使徒たちに示されました。人間を完全に卓越するような出来事なのですから、示さないわけにはいきませんでした。「普通の復活」と違います。旧約聖書において、ある預言者が子どもをよみがえらせたら、確かに大奇跡なのかもしれないが、預言者は天主の名においてこそよみがえらせたし、天主が主役になって、天主が預言者を「通じて」行われたにすぎない奇跡です。勿論、大奇跡ではありますが、道具となる預言者を通じて「だけ」ということで、天主こそがよみがえらせるのです。

一方、イエズス・キリストのご復活の場合には、「道具」はないのです。私たちの主はご自分の力だけでご自分をよみがえらせたのです。このことこそはご復活の玄義の中心部分をなします。さらに言うと、「ご自分でご自分をよみがえらせた」という事実こそは、イエズス・キリストが真の天主であることを証明して裏付けるのです。旧約聖書における子供をよみがえらせた預言者なら、自分の力で自分をよみがえらせることは出来ません。「命」に対して、絶対的な支配力を持たないからです。
一方、旧約聖書の前例に続いて、私たちの主は、何人かの人々をよみがえらせたことがあった上、イエズス・キリストだけが、ご自分だけの力でご自分を甦らせることが出来たということです。
そして、もうよみがえった私たちの主は弟子たちと使徒たちにご自分を見せ、彼らの前に現しました。四つの福音書ともご復活の証言を残しました御復活を根拠づける証言は非常に大事です。というのも、前回にご紹介したように、ご復活こそがカトリック信徒を根拠づける事実なのですから。

だから、「玄義だから信じるだけでよい」というだけでは足りないのです。勿論、天主の権威によって与えられた信条なので、信じることのためには足りるだけは十分に足ります。ところが、天主は、単なるご啓示なさった信条だけにとどまらず、ご復活という事実が福音書に記されるようになさったのです。従って、福音書記者の全員がご復活に関する証言と流れを記しています。聖マテオ、聖マルコ、聖ルカと聖ヨハネの全員が記しています。四人による福音書の中に、私たちの主が本当にご復活した根拠が記されています。
さらに言うと、立派な証言だと言わざるを得ません。なぜかというと、「死者の内からよみがえった」という一行でのような証言ではなく、それらの証言におけるすべての細かいところまで、「ご復活」の真実性・現実性・歴史性が裏付けられているからです。また、私たちの主のご復活は「捏造のようなものを無理やりに信じさせる」ようなことではないということが、福音書における証言を読んだら目に見えるかのように明白です。


【ご復活の時間的な流れ】

それでは、ご復活の流れはどうなっているでしょうか。ご復活の日の夜明けとなりました。まず、私たちの主が正確にいつよみがえったか不明のままです。確かなのは、地震があったことです。福音者もその地震があったということをしるしています。しかしながら、きっと、地震のちょっと前に、静寂の内によみがえったのでしょう。少なくとも、3日目がはじまってから、よみがえったというのは確かです。というのも、3日ほどお墓に残ったからです。現代の人の目から見るとよく分かりませんね。三日というと、3かける24ということで、72時間ほどにお墓に残ったはずなのに、聖金曜日の死から日曜日の復活まで72時間には足りないから分かりませんね。いや、勿論「一日」とか言われるのは、丸一日になっているというのではなくて、「第一日」という期間を表す表現なのです。つまり、お墓に葬られたのは聖金曜なので、数時間だけになりますが「第一日目」として数えられます。それから、聖土曜日は丸一日にお墓の中にましました。もう「一日」となります。そして、3日目の日曜日が始まって、お墓にまだいたから、数時間だけでしょうが、もう「一日」として数えられています。だから信経においても、私たちの主のご自身のおっしゃる通りに、「三日目に死者の内よりよみがえり」というのです。
まず、私たちの主がご自分の復活を預言なさったのです。ご自分を指しながら、「この神殿を壊せ。私は三日でそれを立て直そう」 と仰せになりました。言い換えると、3日目に建て直されるという意味です。また、旧約聖書では、主の前兆であるヨナについてもイエズスが取り上げられました。ヨナが三日と三夜ほどに鯨の腹にいたという旧約聖書の場面です。

【地震】

そして、ご復活の日の夜明けごろ、私たちの主はよみがえったのです。福音書にしるされているように、その時に地震がありました。その上、その地震の際に、お墓を塞いでいた岩は飛び転びます。そういえば番人たちがいましたね。ポンシオ・ピラトが用意してあった番人ではなくて、大司祭たちが番人たちをお墓の前に聖金曜日からずっと番をさせておいたのです。なぜかというと、大司祭たちは、どうしても死体が無くならないように番人をおいていて、もう「この冒涜者の事件が収まるように」、また何かのさらなる政治事件にならないように、番人を置いておいたのです。つまり、イエズス・キリストの預言は嘘であることを証明するために(特にご復活の預言)、お墓の前に番人たちを置いておいたのです。で、記憶が正しかったら、三人あるいは四人の番人を置いておいて、四時間ごとぐらいで、当番が変わるという体制だったと思います。つまり、お墓の番は厳格でした。

【兵士たちの逃亡】

地震の後に、いきなりお墓の岩が飛び出すのを番人の兵隊たちは唖然として見ました。それから、天使たちによる眩しい光を見ました。兵隊たちは大恐怖に陥ってしまいました。すっかり恐れ、兵隊たちは逃亡してしまいました。で、すぐさまに、大司祭たちのところに行きました。

【婦人たちの到来】

その間、日曜日の朝早く、安息日も明けたので、聖なる婦人たちがイエズス・キリストの死体の防腐処置を終わらせるためにお墓に向かっていました。聖なる婦人たちが、当時の死体埋葬用の定番の没薬や芳香類の道具を用意してありました。そして、チェナクルムに恐る恐る隠れて引きこもっていた使徒たちと違って、私たちの主イエズス・キリストに対する深い敬虔と礼拝の心をもった聖なる婦人たちが日曜日の曙になって、没薬類をとって、勇気を出して墓へ向かったのです。イエズス・キリストのご死体に世話をするために、向かっていました。深い敬意を表す行為でした。また、イエズス・キリストに対する深い愛は称賛すべきです。
興味深いことに、聖なる婦人たちの愛は非常に強く、重い岩を転ばすために男を連れずに行ったわけです。ある意味で、前もって、愛によってそういった障害は消えることを知っていたかのように。考えてみるとかなり面白い場面でしょう。福音書によると向かっている時になって、初めて「彼女たちは「墓の入り口にある石をだれに転ばしてもらおうか」と話し合っていた」 と書かれています。
婦人たちのこういった単純さは私たちの主に対する深い信仰を示します。結局、転ばす必要はなかったのです。というのも、お墓に着いたら、既に岩が飛び出て転ばされていたからです。

【婦人たちが到着すると墓は空だった】

その次の場面を整理して語るのはちょっと難しいところです。聖マテオ、聖マルコと聖ルカが合わせて同じようなことを語るのですが、聖ヨハネの方は次の場面で多少違います。四人とも一致するのは、聖なる婦人たちがお墓まで到着したことです。それは間違いないのです。また、確かなのは、お墓は空っぽだったということで、これも間違いないことです。
で、天使たちが婦人たちの前に現れて「主はご復活した」と知らせました。この次の場面の整理が難しいというのは、この場面の前後を整理するのが難しいからです。



【マリア・マグダレナがまず聖ペトロと聖ヨハネとに報告する】

順番として一番あり得ることから言うと、こういう順番になったでしょう。
つまり、マリア・マグダレナがまず一旦聖ペトロと聖ヨハネの許に戻ってみて報告しました。「もうお墓には主の体が無くなりました」ということを報告しました。すると、聖ヨハネと聖ペトロがお墓へ走り出しました。聖ペトロより聖ヨハネの足が速いので、先にお墓に到着しました。福音書の中に、聖ヨハネ自身がこの場面を語ります。お墓の中に頭を突っ込むが、入りませんでした。そして、聖ペトロが続いて到着して、先にお墓の中に入って、聖ヨハネがその後を付いて入りました。私たちの主の死体は消えていました。しかも、不思議なことに、体を包んでいた布などは、綺麗に折り畳まれていたのです。というのは、何かの盗賊者による業ではないということを意味しています。死体を盗みに来た盗賊者なり泥棒なりがいたら、わざわざ綺麗に、盗みながら時間を無駄にして布類を折り畳む余裕があるわけがありません。いや本当に無理ですね。盗賊なら、死体を取って捕まらないようにすぐ逃亡するに違いないからです。
ところが、お墓の中に、布類が綺麗に整頓され、ただしく折り畳まれていました。まさに、整頓を大切にする業なのでした。あえて言えば「死体が消えた」のは整頓正しく秩序正しく起きた事実なのだといったようなことを表すのです。そして、聖ヨハネと聖ペトロはお墓が空っぽだということを目撃したら、マリア・マグダレナの知らせを確認して、布などを見てもピンと来なくて、確かに主の死体が「盗まれた」と思いました。で、お墓を去って帰りました。



【残りの聖なる婦人たちは、しばらくして墓を去り、他の弟子たちの所に「主がご復活した」と報告する】

その間に、残りの聖なる婦人たちが、お墓を去って、他の弟子たちの所に「主がご復活した」ということを知らせるために行っていました。

【聖マリア・マグダレナだけは、その後、お墓に戻る】

聖マリア・マグダレナだけは、その後、お墓に戻って残りました。以上の出来事がそれぞれにあったのですが、どういった順番で起きたか、ちょっと整理しづらいところがあります。福音書の中に、ばらばらに語られていますから。

一方、聖ペトロと聖ヨハネがお墓に行って、死体がなかったということを確認しました。また、聖マリア・マグダレナは、その間に何とかお墓に戻ってお墓に一人で残りました。そして三つ目の出来事は、他の聖なる婦人たちがお墓を去ってあちこちに知らせに行ってきました。「ご復活した」ということを知らせるために、使徒たちが引きこもっているチェナクルムの戸を叩き彼らが小窓を開いて「何だろう」と聞いたら、婦人たちは「主の死体が盗まれてしまったよ。死体が無くなったよ。天使たちが復活したと言っていたよ」と。

天使たちは「死者の内より復活した。弟子たちに知らせに行け」 といわれましたので。弟子たちは婦人たちに言われても「頭がおかしくなった」と思って、全く真に受けなかったのです。つまり、使徒たちは聖なる婦人の話を信じることはなく、彼女たちを追い出しました。

ところが、福音書によると、彼女たちの前に私たちの主が現れたと記されています。「みなに先立ってガリラヤに行かれる。弟子たちに知らせに行け」と。

この間に、マリア・マグダレナはお墓に残っていました。なぜかというと、聖アウグスティヌスの言う通りに「マリア・マグダレナの心は主に対する愛で燃えていた」からです。だから、死体が消えても、愛している私たちの主を求め続けました。というのも、「愛の感情」というのは、愛されている対象を自分のものにする感情なのです。そして、マリア・マグダレナは格別に私たちの主を愛しています。以前にご紹介したように、その愛を示したことがありました。従って、どうしても私たちの主にお会いしたいと思っていました。愛していた誰かを失う時に、悲しみます。慰めを求めながら、聖マリア・マグダレナはお墓に戻りました。

天使たちの出現をも目撃して、空っぽの墓を見て、捜していたが死体は消えていました。以前にご紹介したように、お墓は小さな庭の中にありました。そして、お庭で聖マリア・マグダレナが振り向くと、そこに一人の男がいました。実はよみがえったイエズス・キリストでしたけれども、最初は聖マリア・マグダレナは主であることを気付かないままでした。庭の管理人だと間違ったのですけど、「私の主をだれかが取り去りました。どこに持っていったのかわからないのです」 と彼女は言いました。

考えてみると、不思議な発言です。私たちなら、マリア・マグダレナがなぜそこにいるかを知っていますから、その発言の意味を理解できますが、もう一人が本当に庭の管理人なら、分かるはずがありませんね。管理人にはわけがわからないのです。誰のことであるか、だれに取り出されたか、筋は全く不明になるはずなのですね。
「何の話だろう。誰のことだろう」と管理人が答えるような状況なのです。要するに、聖マリア・マグダレナの発言は相手が本当にイエズスではなかったとしたら、かなり不思議に聞こえたでしょう。同時に、この発言は、聖マリア・マグダレナの霊魂にある熱心をも示すのです。

それから、私たちの主はご自分の正体を気づかせてあげました。何によって気づかせてあげたかというと、「マリアム」とマリア・マグダレナの名で声をかけ給うたのです。その時マリア・マグダレナは、主の正体を分かりました。そういえば、私たちの主は「私たちの羊はこの声を聞き分け、私に従い、私も彼らを知っている」 と仰せになった通りです。
私たちの主の声が聖マリア・マグダレナの耳に入って、心を刺しました。「マリアム」 と仰せになったからです。それを聞いたマリア・マグダレナの心は喜びに溢れて、私たちの主の足元まで飛び出してひれ伏しました。でも、私たちの主が「私を引きとめるな」 と仰せになります。なぜかというと、もう「栄光の身体」になったから、マリア・マグダレナへ「物質的ではない霊的な新しい命をもって生きてほしい」というような意味がこめられています。(それから「兄弟たちの所に行き、<私の父またあなたたちの父、私の天主またあなたたちの天主の許に私は昇る>と言いなさい」 。)

以上、御覧の通り、ご復活した私たちの主は、聖なる婦人の前と聖マリア・マグダレナの前に現れました。
つまり、使徒らの前ではなく、聖なる婦人たちの前に現れ給ったのです。なぜかというと、聖なる婦人たちの愛徳の方がより熱心だったからです。彼女たちと違って、使徒たちは信じなかったからです。恐れで一杯で、チェナクルムに引きこもったままでした。


それから、福音書に記されていないもう一つの出来事があります。聖伝により、使徒たちから現代まで伝わった出来事ですけど、「私たちの主が第一に現れた方は聖なる御母だった」ということです。確かに尤も相応しいことだし、美しいことです。容易に理解できるでしょう。

一度も、一瞬も、聖母の信仰は揺るいだことのないお方なのですから、御子に約束されたご復活に対する信仰は揺るがされたことは全くなかったお方ですから。従って、私たちの主は、第一に、聖母の前に現れるのは一番相応しかったことだったと言えます。さらに言うと、いとも童貞なる聖母こそは、格別に神秘的に私たちの主の贖罪の玄義を共にされた御方なのです。以前にご紹介したように、私たちの主はご自分の贖罪の元に聖母がともにすることになさったのです。また、十字架上の私たちの主の御苦しみを共にして、十字架の許にいとも童貞なる聖母は苦しまれました。そして、御母の苦しまれたことを、人類救済のために価値のあることにするために、私たちの主は御母をご自分の贖罪の玄義を共にさせることをされました。



従って、教義とはなっていないけれども、贖罪の玄義における聖母とイエズス・キリストとの特別な絆の故に、いとも童貞なる聖母を「共贖者」と呼んでいます。そして、こういった絆があったからこそ、きっと、私たちの主は、御母の前に、第一最初に現れ給ったでしょう。それは、聖母の信徳と望徳とを報いるためでした。また、より溢れる愛徳を与えるためでもありました。その後に、聖なる婦人の前にも現れ給います。そして、聖なる婦人の前に現れてから初めて、弟子たちの前にもつぎつぎと現れ給うたのです。

ご復活について 【公教要理】第五十一講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月19日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十一講  贖罪の玄義・神学編・その五 ご復活について





三日目に死者のうちよりよみがえり

「またその御独り子(おんひとりご)、われらの主イエズス・キリスト、
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、」
それから、信経の第五条は次の通りです。
「古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて、三日目に死者のうちよりよみがえり、」

前回は第五条の前半をご紹介しました。一つ目の真理をご紹介しました。「古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて」という事実です。つまり、前回にご紹介したとおりに、私たちの主イエズス・キリストは、「太祖たちの古聖所」に降りておられました。
それから、信経はこう続きます。「三日目に死者のうちよりよみがえり」


【主の御死去】

今回は、この真理にちょっと時間を割こうと思います。信仰における特別に大事な真理です。
「よみがえり」という言葉の意味は「生き返る」ということです。私たちの主は死にました。本当の意味で実際に死にました。真の人だから十字架上に真に死に給うたということです。そして、一般の死と同じく、死んだら霊魂と身体が分離したということです(これが死の定義なのです)。

ところが、イエズスの天主性霊魂と一致したままになっていたと同時に、天主性は身体と一致したままでした。すると、3日の間墓に葬られた私たちの主の御体は、厳密に言う「屍」ではないということです。つまり、一般の「屍」と違って、イエズス・キリストの死体は腐敗・分解することは不可能でした。なぜかというと、天主性は御体と密接的に一致し続けたからです。死体の分解は不可能でした。
死んでおられた私たちの主の状態は以上のような状態でした。

「死して葬られ」て、御霊魂は古聖所にくだりながら、ご身体はお墓の中に閉じられていました。弟子たちは墓の前に大きな岩で塞いでおいたということで、完全に閉じられていました。


【復活の事例】

「三日目に死者のうちよりよみがえり」。ということは、「生き返る」という意味です。「復活・よみがえり」ということ自体は、以前にも存在した現象です。
旧約聖書において幾つかの復活の件が出てきます。主に預言者を通じての復活でしたが、新約聖書においてもいくつかの甦りの件があります。私たちの主は何人かの人をよみがえらせたことを通じて、復活の大真理を準備なさったかのようです。

福音において、三件の復活が記されています。第一は、ナインのやもめの息子の復活があります。第二は、ヤイロの娘の復活もあります。第三は、さらにより明白にイエズス・キリストの力を示す復活になるかもしれないが、主の友達のラザロの復活があります。ラザロは洞窟の墓の中に既に置かれ「臭くなっています」 とその時マルタに言われたラザロですね。それから私たちの主が一言だけ仰せになると、復活させました。

私たちの主は生命に対する御自分の御力を既に示し給うたということです。しかしながら、それより偉大な形で生命に対する御力を示し給うことになさいました。つまり、他人のではなく、御自分を復活させるということです。


【死者の内より御自分を御自分の力で復活させる】

「ご復活の玄義」は「御自分を御自分で復活させるという事実にあります。私たちの主は御自分を御自分の御力で復活させるのです。イエズス・キリストは天主であるからです。つまり、私たちの主は確かによみがえりました。それ以上に、「死者の内より御自分をよみがえらせた」というべきです。

要するに、死んでおられたイエズス・キリストでしたが、御自分の御力で、再び生き返って、再び生者となりました。言い換えると、私たちの主のご身体とご霊魂とが再び一致となり直したということです。つまり、人間を構成する霊魂と身体との一致を戻すということで、再び、私たちの主の人間の本性を構成し直させます。


【生命に対する御自分の絶対の力を示す】

「死者の内よりよみがえり」というは、言い換えると、御自分の御力をもって、「死」を破滅することによって、御自分を「生き返らせる」ということなのです。つまり、ご身体とご霊魂の元の一致を取りもどすということです。従って、私たちの主は、御自分の復活を通じて、「生命」に対する御自分の絶対の御力を示し給うことになります。

ご復活のお陰で、「私が命である」という御言葉をより理解できるでしょう。御自分でご自分を復活することができるというのは、イエズス・キリストが「命」に対する絶対的な支配者だということです。そして、イエズス・キリストこそが「命」であるということは、結果に「死」に対する絶対的な支配者であるということでもあります。
「黄泉の国よ、おまえの滅びは、どこにあるのか」 。別訳にすると「死よ、おまえの死はどこにあるのか」。また「O mors, ero mors tua」と、「死よ、私がお前の死だ」という意味です。

言い換えると、私たちの主は、ご復活を通じて、「命」に対する全能者であることを示し給い、あえて言えば「死」を死刑させることを示し、死がイエズス・キリストに対してもう何の力もない、何の影響も支配もないことを示し給うのです。従って、私たちの主に従う人々に対しても、死による支配から解放されたことが示されています。復活するお陰で「死」を破滅なさいました。「死」よりご自分が優位だということで、「イエズス・キリストの命」は「死の力」よりも強いので、「イエズス・キリストの命」こそ「イエズス・キリストに対する死の力」より強かったのです。
裏を返せば、「イエズス・キリストが命である故に」、「死は、イエズス・キリストに対して力がない」ということを示し給うたのです。


【主のご復活は、主が天主であることを証明する】

私たちの主のご復活は、主が天主であることを証明し、裏付ける事実です。というのも、天主は生命です。また、天主しか命に対する全能者はありません。「天主は命」でありながら、同時に「生命を与える」者です。そこで、私たちの主は、御自分の復活を通じて、御自分が「命である」ことを示し給うのです。

私たちの主は「死に対して勝利者」です。よみがえったということで、「死に対して勝利」したが故に、勝利による自分自身の命は、もう死すべき命でなくなります。
よみがえったとはいっても、よみがえってからの命は(死ぬ前の命と違って)、もう死すべき命でなく、「栄光の命」となります。従って、ご復活によって、私たちの主に「新しい命」が与えられます。いや、より正確に言うと、以前との同じ「生命」を生きておられるが、死に勝利し、死に対して凱旋した命であるが故に、「栄光の命」です。意味は、この「新しい命」に対して、死からの影響・支配はもう完全になくなったということです。新しい命。ご復活以降は、天主の命そのものが、イエズス・キリストの御体においても輝くようになります。そのお陰で、「死から完全に解放された体」という復活後の御体は、「栄光体」となります。私たちの主は生き返った「命」を失うことは、もう不可能となりました。これは、「死」に対する勝利のもう一つの証拠です。



【イエズス・キリストが十字架上で死ぬことを悪魔が望んでいた理由】

思い出しましょう。御受難と十字架刑の際に、私たちの主が十字架上で死ぬことを悪魔はどうしても望んでいました。その理由は、旧約書において「十字架に付けられてた者は、天主に呪われた存在だ」とあることからです。悪魔はそれを望んでいたのです。従って、主を十字架上に付けて死なせることによって、悪魔が「主が天主に呪われているはずだ」と期待していました。もし天主に呪われたら、それでお終いでした。

完全に主を死なせて、悪魔は自分の勝利を確信していたところです。ところが、実際には、良き天主は、悪魔の策略を、あえて言えば、使わせてもらい、悪魔の策略自体が悪魔を倒すことになりました。それによって、悪魔に対して、「あなたがある程度の力があるとはいえ、すべての力は持っていない」と示し給うたのです。

というのも、悪魔は命に対して全能であるわけがないからです。私たちへの模範でもありますが、その上、私たちの主が復活することによって、「死に対しての勝利者」であると同時に、「悪魔に対する勝利者」でもあることを示し給うたのです。従って、死と悪魔とに対する完全な勝利となります。

従って、また、罪に対する完全な勝利となります。なぜかというと、「罪」の結果は死に他ならないし、「罪」の原因は悪魔に他ならないからです。よみがえった私たちの主が「死に対して勝利し」、「悪魔に対して勝利し」、また「罪に対して勝利し」たのです。

また、私たちの主は「勝利」であり、「命」であるので、もう死ぬことはできなくなりました。これこそ、復活における素晴らしい玄義です。というのも、具体的にどうやってイエズス・キリストが御自分を甦らせることが出来るかは、把握しようがないからです。私たちは自分自身に対してでさえ命は何であるかよく理解できませんね。一人一人に「命」があって、何とかそれぞれが自分の「命」を維持しようと世話しています。それだけで、難しくて手一杯なのです。少なくとも、「死に抵抗するのは」人間にようやくできることで、ある意味で「死に抵抗する」能力は、人間にあるかのようです。

そういえば、死にかけている人でさえ、最期の最期まで、どうしても死に抵抗して死と戦おうとしています。また、「死に抵抗するのは」人間の身体の自然的な反射です。
「命」は私たちの享受している「最高の価値」のある善であり、私たちにとっての「一番貴重」な持ち物だからです。しかしながら、私たち人間は死んでしまったら、死に対して、もはや何もできなくなります。一方、私たちの主は、死に給うた後でも、御自分で御自分をよみがえらせることを実現し、それを通じて、死より力強いということを示し給うのです。

~~

以上、ご復活の玄義をご紹介しました。本当の意味での「勝利」だと言えます。また、御受難の完成でもあります。というのは、ご復活こそは、御受難の戴冠式のようなもので、つまり、御受難こそは、ご復活という「勝利」そのものをどのように得たかを示す事実です。というのも、私たちの主がよみがえったということは、死んでおられたからこそです。そして、死んでおられたというのは、御苦難を受けられたからこそです。ご復活は贖罪の玄義を完成させる玄義です。


【復活は、天主が証明書に押す御璽】

また、ご復活は、贖罪の玄義におけるイエズス・キリストによる「押印」「御璽」のような事実でもあります。この「押印」としてのご復活の意味は、私たちの主によって十字架上で捧げられた我々のための贖罪は、本当に、実際に、絶対に、われわれに本物の「命」を与える玄義であり、我々の救済の玄義であることを証明する、として天主が御璽をおす「押印」としての復活なのです。

私たちの主はよみがえりました。復活し、前述したように、新しい命をもって生きておられます。もう失えない「栄光の命」を持っておられます。さらにいうと、この新しい命は、御自分の身体を支配する完成した命です。私たち人間からみると、分かりにくい事実です。というのも、私たち人間においては、原罪のせいで、身体と霊魂の間に絶えざる軋轢があるからです。一方、身体が現世欲によって物事を欲しがりながら、他方で、理性のお陰で、本物の聖徳を垣間見ることができます。そして、聖徳を垣間見ることによって、徳を遂げるために、どれほど身体における犠牲が必要となってくるかも、理性で垣間見ることができます。聖パウロがこのことを旨く表現しています。
「私は自分の望む善をせず、むしろ望まぬ悪をしている。」

原罪によるこういった軋轢・対立が、常に私たちの霊魂にあります。ご復活を通じて、私たちの主は、「命」に対して持っておられる御力は絶対であることを示し給うのですが、われわれの内にあるような軋轢を、ご復活によってなくされた。私たちの主の御霊魂とその天主性は、御自分のご身体に対して、絶対的な支配を持つということです。

因みに、以前にもこういった絶対的な御力がありました。というのも、私たちの主は真の天主であるから、「罪」を犯したことのない天主なのですから、原罪に傷つけられていない天主ですから、当然ながら、以前にもこういった身体に対する絶対的な支配力を持っておられました。しかしながら、ご復活を通じて、私たちに対する「新しい命」への招きとなります。つまり、霊魂が身体を完全に支配できる「新しい命」なのですが、「新しい命」を持つと、霊魂の持っている「栄光の命」は、身体にも染み出してきて、身体にまで「栄光の命」が注がれることになり、身体も霊魂の栄光をともにするのです。従って、私たちの主の復活したご身体は、「栄光の身体」の特性を持つようになります。


【「栄光の身体」の四つの特性】
「栄光の身体」の特性は四つあります 。

「栄光の体」の第一の特性「輝き」claritasです。この特性によって、「栄光の体」が輝かしくなるという特性です。因みに、タボル山で使徒たちはイエズス・キリストの御変容の際に「栄光体の明るさ」を垣間見ました。福音に記されるように「顔は太陽のように輝き、服は光り(雪)のように白くなった」 。それから、エリアとモーゼの預言者が現れると、使徒たちは御変容を見て「恐れて倒れ伏した」 。ご復活なさった後のご身体は、御変容の時のようになりましたが、一瞬ではなく常態となっています。ただし、ご復活の後に、使徒たちに「この輝き」を示さなかったのは確かです。その理由は簡単で、使徒たちに、御自分のご復活の事実を確認してもらうためでした。「輝き」を見せてしまうと、使徒たちが恐れに満ちて、ご復活の真実性が見えなくなってしまうので、栄光の体の「輝き」を見せずに、御自分の本当の御体であることを弟子たちに見せることになさいました。それでも「輝き」は「栄光の体」の一つの特性です。

第二の特性は「受苦不能性」impassibilitasという特性です。「死に対する」当然の結果なので、分かりやすい特性でしょう。つまり、ご身体はもう苦しむことも老いることもないということです。完璧な若さを持っている身体です。あるいは、完璧な成長に達した身体だとも言えます。パウロはローマ人へこう言います。「そして死者からよみがえられたキリストはもう死ぬことがないと私たちは知っている。キリストに対してもはや死は何の力ももっていない。」  信条なのです。

第三の特性は、「敏捷(びんしょう)性」agilitasと呼ばれます。栄光の体は、私たちがこの世で感じざるを得ない身体の重苦しさを持たないのです。因みに身体に対する霊魂の絶対的な支配力を示す特性になりますが、「栄光の体」によって、身体が「瞬間的に」霊魂の命令に従う特性です。具体的に言うと、ある場所から他のある場所まで、瞬間に移動できるという特性です。私たちの霊魂だけなら、(考えで)瞬間移動できるのは経験しているところですね。つまり、想像を通じて、いろいろ瞬間移動する経験があるから、何となく想像しやすい特性ですね。
たとえば、自分の生い立ちの町に想像上にいることを思いながら、いきなり住みたい町を考え出して、想像で瞬間移動することはできます。つまり、霊魂だけだったら、世界の末端にある場所から他の世界の末端のある場所まで瞬間移動はやりたいだけ出来ます。例えば、ある瞬間に「永遠の町」と呼ばれるローマを考えて、次の瞬間に全く関係ない場所を考え出すことはできます。例えばナイヤガラの滝とかですね。要するに、霊魂は想像力を通じて、瞬間移動ができます。栄光の体を持った霊魂なら、霊魂にある「敏捷(びんしょう)性」という能力を身体に与えることになります。言い換えると、「思いの素早さ」ほどに、身体も移動することが出来るようになります。これが第三の特性です。

最後に、第四の特性はよりちょっと分かりにくいかもしれませんが、「精敏さ」subtilitasとよばれています。「精敏さ」という特性によって、「栄光の体」は障害を通り越す、障害にぶつかることはなくなるということです。


以上は、「栄光の体」の特性でした。「罪と死と悪魔に対する勝利」のお陰で、「栄光の体」は霊魂の「栄光なる命」を共にしますから、こういった特性を持つようになります。

今まで見てきたすべてのことから、私たちの主が復活したのは、御自分のためでもありましたが、その上さらに、私たちのためでもあったのです。ご復活の玄義は、私たちにとって、非常に関心を持つべき玄義で、私たちと直接に深い関係にあるのです。
というのは、ご復活によって、私たちの主は、カトリック信仰の根本となるからです。

聖パウロが記す通りです。「キリストが復活しなかったら、私たちの宣教はむなしく、あなたたちの信仰もむなしく、そのうえ私たちは天主の偽証人となってしまう」 。なぜでしょうか。前述したように、ご復活というのは、天主が押印なさったような出来事で、イエズス・キリストが本当に天主であることの証明であるからです。

つまり、私たちの主が御自分でご自分を甦らせることを通じて、以前のこの地上での生活において与えられた全ての真理や御教えを確認し、再断言し、確立なさったということです。ご復活のお陰で、イエズス・キリストが真の天主であることをご証明なさったのです。

従って、ご降誕の日に礼拝するご托身の玄義を証明するのも、ご復活という大事実でもあります。そして、続いて、十字架上での死には、贖罪の玄義があるということをも証明なさったのです。つまり、真の天主及び真の人である神人が、十字架上で本当に実際に、人として死んだ上、天主として、聖父なる天主に対して相応しい完璧な生贄を捧げられたという贖罪の玄義を証明する大事実なのです。

というのも、ご復活というのは、この世における天主による刻印のような出来事で、イエズス・キリストが本当の意味で真の人かつ真の天主であることを証明し、十字架上の犠牲(いけにえ)が完璧であることを証明し給うのです。
つまり、十字架上で、私たち全人類の贖罪が実現したことを証明するのです。イエズス・キリストはよみがえった。従って、明白にイエズス・キリストが天主であるということになります。だから、十字架上の犠牲(いけにえ)は、本当に効果があったという証明なのです。

まとめて言うと、私たちの主が御自分を御自分でよみがえらせたお陰で、カトリック信仰を根拠づけ、信仰の根本となるのです。

そういえば、司祭が幼児に洗礼を授ける時、洗礼式の最初あたりで司祭は幼児にこう聞きます。まだ教会に入っていないままで、教会の門の前で挙げられる式です。因みに、教会の外で式が始まるというのは、洗礼を授かっていない幼児がまだ教会の一員ではないという意味があります。
司祭が最初に幼児に聞く質問は「天主の公教会に何を求めますか」です。幼児あるいはその代父か代母は「信仰を」と答えます。そして司祭から「信仰はあなたに何を与えますか」と聞かれると、幼児あるいは代父母は「永遠の命を」とこたえます。

それらの質問を初めとして、厳密に言う洗礼の秘跡を中心に洗礼式が進みますが、洗礼の秘跡自体を授かると、洗礼式の後半では幼児の霊魂が超自然の命に復活したという事実を示すために、司祭が次の式を行います。

受洗者に与えられる洗礼の蝋燭を手に取って、ご復活の蝋燭の火をとって灯すのです。ご復活の蝋燭は、私たちの主のご復活を示す蝋燭です。年一回だけ、聖土曜日からご復活の主日の夜の徹夜祭の儀式で使う、復活の蝋燭ですが、ご昇天の祝日までミサの時はずっと火を付けます。「私たちの主が地上によみがえったよ」ということを象徴しています。

要するに、洗礼式の後半で洗礼を授けてから、司祭は洗礼の蝋燭を手に取り、ご復活の蝋燭の火からそれに火を灯すのです。何を意味しているのでしょうか。「洗礼によってあなたの霊魂に与えられた信仰(洗礼の蝋燭の火が象徴する)の根拠と基礎はご復活(ご復活の蝋燭の火が象徴する)にあるよ」という意味です。

私たちの主がよみがえったからこそ、私たちの信仰は虚しいことはないということです。従って、私たちのためにこそ、私たちの主がよみがえった。よみがえり給うたおかげで、イエズス・キリストこそが、私たちの霊的な命の模範となるのです。「霊的な命」というのは、「新しい命」によみがえった私たちが、その「新しい命」においてこそ生きなければならない、ということです。
だからこそ、カトリック信徒は誠に言うのです。「私たちは罪に死んだ」 。「罪に死んだ私たちは、どうしてなおその中に生きられよう」と聖パウロが記す通りです。

要するに、私たちの主のご復活は私たちカトリック信徒の霊的な復活の証明に他なりません。聖パウロが記す通りです。
「私たちは洗礼によって、イエズスとともに葬られた。それは、御父の栄光によってキリストが死者の中からよみがえったように、わたしたちもまた新しい命に歩むためである」 。
また、聖パウロ曰く「あなたたちがキリストとともによみがえったのなら、上(天)のことを求めよ。キリストがそこで天主の右に座し給う。地上のことではなく、上(天)のことを慕え。あなたたちは死んだものであって、その命はキリストとともに天主の中に隠されていたからである」 。つまり、私たち人間の内的な生活(生命)のすべては、ご復活によってこそ示されるのです。「内的な生活(生命)」というのは、「罪に死ぬ」ということで、また「天主における生活(生命)」ということです。



古聖所に降りて 【公教要理】第五十講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月17日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第五十講  贖罪の玄義・神学編・その四 古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)




古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)

信経の第四条をこれで終わります。「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ」。

続いて、信経の第五条に移りたいと思っております。「古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて、三日目に死者のうちよりよみがえり」

以上の信条には二つのことが含まれています。前者は「古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)」で、後者は「三日目に死者のうちよりよみがえり」となっています。


【古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて】

これから、第五条の前者の方をご紹介したいとおもっております。「古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて」
十字架上で、私たちの主は死に給うたところです。御体は十字架から離されて、墓に葬られました。墓は閉じられて、その入り口は兵士たちによって注意深く警備されていました。「番兵をやるから、好きなように守るがよい」 とピラトが言いました。
「そこで彼らは石に封印し、番兵を付けて墓を守り固めた」 。墓の見張りは厳重に見張られていたということですが、私たちの主が死んでおられるところです。

「死」というのは、身体と霊魂との分離ということです。それで、死んでおられるから、私たちの主の身体は、私たちの主の霊魂と一致していないのです。しかしながら、私たちの主の身体は、厳密に言うと屍ではありません。なぜかというと、イエズス・キリストの御体は腐敗することはできませんので、屍とは言えません。なぜ腐敗できないかというと、霊魂との分離があっても、その身体は神性と一致しているままですから腐敗できません。つまり、死んでおられても、位格的結合は私たちの主の身体にそのまま残っているからです。

私たちの主は天主なので、天主の身体となります。ご托身の玄義をご紹介したときに学んだ位格的結合は、ご身体とご神性との間に残っていて結合しているままです。従って、ご神性は、御体を腐敗させずに、保存しているのです。

【「古聖所」とは何か】

その間に、信経によると、私たちの主の御霊魂は、古聖所(こせいしょ)【ラテン語を直訳すると地獄】に降ります。
「古聖所・地獄」とは何でしょうか。「地獄」の語源はラテン語の「Inferni」からです。意味は「下の場所」、「低い場所」です。
それでは「古聖所・地獄」とは何でしょうか。ラテン語の「Inferni」の定義は三つあります。

第一、「地獄」という時 それはまさに「地獄」という場所を指していて、劫罰を受けた霊魂が滞在する場所であり、そこにおいて永遠に永劫の罰を受ける場所なのです。呪われた霊魂のいる場所です。「呪われた者よ、私を離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ。」  以上は「地獄・古聖所」の第一の意味です。この意味こそ、一番定着して一般的な意味になっているでしょう。

それから第二の意味は、「煉獄」となっています。「煉獄」という場所は、聖寵の状態のままに死んだ霊魂が天国へ行くことになりますが、まだ十分に清められていない霊魂なので、清められるために煉獄に送られるということです。そこで、「煉獄」という場所は、場合によって、「地獄」とも呼ばれています。

第三の意味が、まさに「太祖の古聖所(あるいは辺獄)」という場所です。
私たちの主の御霊魂が、まさに実体的に「太祖の古聖所」にこそ降(くだ)るということです。「太祖の古聖所」とは何でしょうか。別の呼称は「アブラハムの懐」です。
弟子たちに向けての主の或る箴言には、貧しいラザロが金持ちの玄関で死ぬ場面がありますが、このラザロの霊魂は、「アブラハムの懐」に行くと記されています。なぜこういった呼称で呼ばれているのでしょうか。「アブラハム」は天主のみ旨のままに行っていたからです。多くの太祖の内、アブラハムこそが選ばれて子孫の多いユダヤ一族の父にされました。また、信徒の父とされました。そこから転じて、アブラハムの信仰に倣った者、またアブラハムの天主のみ旨への従順に倣った者は、「アブラハムの懐」に安らかに休んでいるとされています。

「太祖の古聖所」は、義人たちの居る場所だということです。言い換えると、ユダヤ人と異教徒とを問わず、罪から清められた義人たちで、私たちの主によって天国の門が開くまで「古聖所」で待っていた霊魂たちです。義人たちは、聖寵の状態で死んだのです。また、天主の愛徳の内に死んだのです。聖寵と愛徳を持っている義人たちはその上、犯した罪が清められた義人たちです。

ところが、それでも、まだ天国に入ることは不可能でした。天国は閉まっていたからです。私たちの主の御受難こそが、天国の門を開けたからです。当然ながら、私たちの主こそが、人類の内に最初に天国に入ることになります。イエズス・キリストこそ、人類の頭(かしら)で、人類を贖罪し給うた長(おさ)なのですから。また、イエズス・キリストこそは主である故に、最初に天国に入る特権があるのです。それから、太祖たちは、つまりユダヤ人と異教徒とを問わず旧約聖書の「義人たち」は、聖寵の状態であるものの、まだ天国に行けなかったので、特別な場所に待機しています。そこで、ある種の自然上の幸福を享受するには享受していました。同時に、私たちの主の到来を望徳溢れて待っていました。つまり、未来に来る解放と天国への入国を待っていました。

そこでは、私たちの主は死んでからどうなさるでしょうか。総ての聖なる太祖のいる「古聖所」にくだります。アブラハムは間違いなくいたでしょう。イサク、アダム、歴史上に始めて死んだ義人のアベルもいました。かれは最初に死んだ人間で、もう古(いにし)えより救済者の到来を待ちくたびれていました。そして、私たちの主が古聖所にくだりて、そこにいた義人たちの皆を一人ずつ見つめたでしょう。アベルから、一番最近死んだ義人たちまで。例えば、聖ヨセフもいたでしょう。その当時に、恐らく既に死んでいたので、古聖所にいたはずです。聖ヨセフも私たちの主を待っていました。

十字架上の死と復活までの三日の間、古聖所に降りておられました。古聖所に入ったら、義人たちに、贖罪が実現されたということを知らせてくださいました。ペトロの第一の手紙に次のように記されています。「キリストも一度人々の罪のために死なれた。(…)キリストは囚われの魂の所に行って宣言した。」
良き知らせ(福音)をキリストが義人たちに宣言しました。「贖罪は実現したよ。もう救済が実現した。あなたたちは贖われたので、天国がこれから開く。私が連れて行くから。もうじき。今すぐではないが、もうじきに。」と言わんばかりに。何という喜びでしょう。贖罪による喜び。天国の開門による喜び。義人たちの霊魂たちに贈られた、なんという喜びでしょう。

私たちの主は、贖罪を義人たちに宣言した上、ご自分の御霊魂を直観できるようにさせられて、義人たちは喜び溢れてきました。真の人、真の天主であるキリストは、義人たちにご自分を見せたもうたということです。もうほぼ、ある意味で、すでに永遠の栄光の状態で古聖所に現れます。


~~

【「まことに私は言う。今日あなたは私とともに天国にいるであろう」】

十字架上で良き盗賊者になぜ次のように仰せになったか分かってきます。思い出しましょう。良き盗賊者が私たちの主に「イエズス、あなたが王位を受けて帰られる時に、私を思い出してください」 というと、「まことに私は言う。今日あなたは私とともに天国にいるであろう」 と仰せになりました。つまり「今日、その後に、私とまた会うから。私が実現した贖罪をあなたが観想するから」と言わんばかりです。

間違いなく、良き盗賊者は、古聖所にいて、キリストの贖罪を直観できました。というのも、イエズスのましますところは、天国があるからです。
続いて、義人たちに宣言して、天国に凱旋的に入る確信を与えて、喜ばせます。「おまえと結んだ契約の血のために、捕らわれ人を、水のない井戸の中から連れて戻す。」 と旧約聖書においてザカリアが記しています。

義人たちはどれほど喜んでいたか想像に難くありません。そして、同時に、イエズス・キリストに対してどれほどの礼拝をしただろうかということも想像しやすいでしょう。義人たちは天主において望みましたから。「アブラハムは、私の日を見たいと思って喜びにあふれ、 それを見て喜んだ」と福音において私たちの主が仰せになります。

以上のように、私たちの主は、御自分の霊魂を義人たちまたは太祖たちに実体的にお見せになりました。実体的には、私たちの主は、煉獄にも地獄にも御霊魂をもってくだりませんでした。これは不可能なことですから。

地獄と煉獄にいる霊魂たちは、私たちの主イエズス・キリストが死んでから、何かを感じたことは確かです。いわゆる、死に給うた帰結として、それらの霊魂たちにまで何か影響が及んで感じられたことに違いありません。

煉獄の霊魂たちは、被っている罰の緩和を得ただろうと思われます。もしかしたら、煉獄にいた幾つかの霊魂は贖罪によって解放されただろうと思われます。少なくとも、地上にて、私たちの主が死に給うた途端、地震があったように、同じように、煉獄では何らかのある種の地震というか、何かのそれに似た贖罪による影響があっただろうと思われます。もしかしたら、罰の緩和、苦しみの緩和だったでしょう。

また、全く別の形の影響になりますが、私たちの主が自分の贖罪、自分のちからを地獄においても、地獄の霊魂たちに知らせました。でも、地獄では、緩和させたり休めさせたりすることはありません。解放させるためでもありません。なぜかというと、地獄に落ちた霊魂は、地獄から出ることは不可能だからです。

どういう形だったか不明のままですが、少なくとも、私たちの主が、地獄の霊魂たちに、ご自分の凱旋を知らせました。罪に対する凱旋。死に対する凱旋。人類の罪の償い。永遠の命の取得。おそらく、私たちの主は、御自分の受難とは何か、御自分の贖罪とは何かを地獄にいる霊魂たちと悪魔たちに見せたでしょう。悪魔たちと霊魂たちに、「イエズス・キリストの名において信徳と望徳を実践していたのなら、天国に入ることは可能だったのに」といったようなことが知らされたでしょう。

救済を取得するは可能だったのに!贖罪こそ、全人類のために、すべての霊魂のために、どの罪を犯したとしても、得られた救済ですから!残念ながら、地獄にいる霊魂たちは贖罪・救済を拒絶してしまいました。
私たちの主が、ご自分に対して反逆してしまったそれらの霊魂たちあてに、御自分の御力を知らせます。反逆しても、結局、それは彼らの無力になると。

以上、信経の第5条の前者の部分をご紹介しました。
「古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)」
次回は、「三日目に死者のうちよりよみがえり」という部分をご紹介したいと思います。


【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その(一)【第2部】

2019年08月15日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



【ルソーの評判が生まれる:『学問芸術論』】


実は、ルソーの評判は、1749年のパリで生まれました。ヴァンセンヌというところに行っていた時のことです。いわゆる有名な「ヴァンセンヌのひらめき」という場面です。御存じの方もいるかもしれません。監獄に収監されたドニ・ディドロを訪ねるためにヴァンセンヌにルソーが行きます。そこに行く途中、ルソーはある雑誌を読んでいました。その雑誌には、論文募集の記載がありました。ディジョンのアカデミーが次のテーマで論文の募集をしていました。論文賞のようなもので、小論文を募集しているということです。「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。つまり、芸術論と道徳論の範囲を跨ぐ題目です。ちょうど、ルソーが音楽も道徳も比較的に知識があります。特に、風俗に関して比較的に知識があります。カトリックの教育も受けたし、幼い時にプロテスタントの教育も受けたから、道徳と言った分野に関してよく知ってはいます。

「科学と芸術との進歩は風俗の堕落あるいは風俗の洗練のどちらに貢献しただろうか」。その後、監獄中のディドロに訪ねて、論文募集の話をしてみたら、ディドロが「応募したら?」ということで、時折ルソーがヴァンセンヌの道を歩いているとひらめきを感じたので、論文を書くことにしました。ルソーの始めての「ディスクール」となります。『学問芸術論』という論文です。その中で彼は「進歩」に反対します。面白いでしょう。そして、1750年、優賞を貰いました。その時デビューするというか、初めて彼の評判が広まります。

優賞だったので『学問芸術論』は出版され、社交界などで彼の名前は知られるようになります。その論文に対して、反駁者も出てきました。しかしながら、反駁者が偉ければえらいほど、逆効果になり、論文の作者に注目を浴びさせるような現象を起こします。そして『学問芸術論』を反駁した有名な人物がいて、国王のフレデリック二世でした。偉い人でしょう。その反駁のお陰もありルソーの論文が大話題となって、彼がいきなり有名となりました。それをきっかけに、ルソーがより多く社交界に出ることになります。しかしながら、問題が発生します。百科全書の作者たちとの間の仲を引き裂いてしまいました。どうせ、ルソーは、結局、最終的に全員と仲悪くなりますが。晩年になって、皆、彼と敵対するようになりました。

1752年、『幕間劇、村の占い師』という寸劇を書きました。この作品こそは今でも評価されています。どちらかというと、『告白』を取り上げるぐらいなら、やっぱり『幕間劇、村の占い師』を取り上げた方が価値のある作品です。フォンテンブローで国王ルイ15世の前で演劇されることになり、大成功しました。しかし残念ながら、その演技に後で、国王がルソーに会いたいということでしたが、ルソーは謁見に出なかったのです。その時、出たのなら恩給でももらえたはずです。しかしルソーは謁見に行かなかったのです。

この事件はルソーの性格のもう一つの特徴を示します。ルソーは何かに誰かに依存することが大嫌いだという性格を示す事件でした。ルソーは熱狂的な自由主義者ですし、まだ夢見がちの人柄で、戯れるのも彷徨うのも大好きで、散歩者のルソーです。従って、誰かに依存するのは耐えられない性格で、孤独が大好きなのです。


【『人間不平等起源論』:「本性的に善なる人間」とは「散歩者、自由孤独なルソー」の裏返し】

1754年、ディジョンのアカデミーが新しい論文募集を公開します。題目の正確の文章は手元にありませんが、その募集に応募したルソーは二つ目の「ディスクール」を書くことになります。それが『人間不平等起源論』で、そしてルソーはそれで確実な名声を博するようになりました。ルソーの一番有名な「ディスクール」でしょう。その中で、ルソーは「人間は本性的に善だ」という命題を打ち出します。『人間不平等起源論』は、社会を攻撃する作品でもあります。まあ、でも、その攻撃はルソーの偏執狂に由来してはいます。ルソーは本当の意味で仕事することはできませんでした。努力することは耐えられない性格だったみたいで、仕事が課せられた時があった時にどうにもなりませんでした。幼い時から、怠惰で、何も義務を果たさなかったので、ルソーは何度も厳しい体罰を受けていた子でした。

有名な場面を挙げると、次の話があります。ある時に、休憩の間に、ある小窓の向こうにあったリンゴを、小棒を工夫して盗もうとするのです。そういったようなことをするには気の利いたルソーでしたが、真面目な仕事なら、書記であれ、時計屋であれ、もうだめでした。要するに、何の拘束をも拒否していたタイプです。自由を愛しているルソーでした。そして、特に大自然を歩いた時に、その自由を見つけていたのです。

要するに、ルソーの思想を理解する為に、彼の性格を理解すべきです。総て繋がっています。「本性的に善なる人間」と「散歩者なるルソー、孤独なるルソー」とは、両面一致の事実なのです。本当に大事なことだと思います。本当に深くルソーの著作を理解しようと思ったら、先ずルソーの心理のあり方を理解するのが非常に大事になってくると思います。つまり、ルソーの孤独さとかですね。そういえば、なぜ五人の子供をも平気に捨てられたかというのも、自分の孤独と自分の自由(独立)を守るためにという理由が、少なくとも入っていたでしょう。

さて、この二つ目の「ディスクール」で名声を博するようになりましたが、大話題となって、激しい論争が起きました。今回は、ルソーを反駁するのは、ヴォルテールとなります。また、フレロンもいます。一発目の「ディスクール」の中と同じように、ルソーが「進歩」を批判して、「進歩が堕落の原因だ」と断言して批判します。そのせいで、啓蒙思想の大人物の全員と仲が悪くなります。他の啓蒙思想家たちは全員「進歩」を称賛するからです。本当に、ルソーが全員の啓蒙思想家らを敵に回しました。そして、ルソーは彼らとの縁を切ります。それだけです。

ルソーは「徳」を望むには望みますが、あくまでも「自然」上の徳しか求めません。言い換えると「自然を愛する徳」に過ぎません。その点に良く注目してください。つまりルソーの諸著作は、結局「ルソーは実際に生きることができないのに、ルソーが生きたい世界を描く」といった物書きに過ぎないという側面が非常に大きいことです。

要するに、いつも「自由を取り戻したい」、あるいは「大自然の中に単純に生きられるように生きたい」という気持ちでずっといるルソーは、結局実際の「社会にぶつかって」、社会の中に生活せざるを得ず、存続するために、社会の中に生きるしかないと感じているのです。つまり、ルソーがずっと「散歩したい」というか、どうしても散歩せずにいられないという衝動を持っているのですが、社会こそが散歩したい衝動を妨げるとルソーが思っています。本当に、ルソーは歩くのが大好きです。機会があるたびに歩いて旅立って、ゆっくり旅行するルソーですから。田舎を歩いて回り道したりするルソーでした。そこで、ルソーは社会こそが自分の「歩く自由」を妨げる、社会はその自由の障害だと見ていました。社会に対するルソーの不満の種は、そこに由来しています。

パリに流行っていた「進歩の哲学」という空気から逃げるために、休むために、ルソーはスイスに戻ります。ジュネーヴに行って一旦休みます。そこで宣誓してカトリックを捨てました。プロテスタントに戻り、改宗しました。その後、フランスに戻って、そして親友だったディドロと喧嘩します。特に社会について論争したことがきっかけで、結局喧嘩になったのです。いつも同じパターンですね。ルソーは不安定の上、結局、人間嫌いです。しかも彼に対して大掛かりな陰謀が仕掛けられていると思い込んでいるほどルソーは人間嫌いです。こういった偏執狂(パラノイア)の内に、常に生きているルソーなのです。でも彼が完全に悪いわけでもありません。

Bernard Fayが指摘する点だったと思いますが、確かに、ヴォルテールやディドロやダランベールといった連中が自分の敵になった時に、偏執狂になる理由がかなりあります。でもそれでもルソーの弁解になるわけがありません。彼らを敵に回したのは、結局ルソーのせいですし、彼の書いた著作のせいでもあります。


【『エミール または教育について』:さらに皆と対立する】

その後『エミール または教育について』を書きました。ところが、1762年、禁書目録に指定されます。従って、ルソーはローマ・カトリック教会をも敵に回し、積極的にローマ教会を攻撃するようになります。ローマ教会を積極的に攻撃して、彼はプロテスタントになりますが、プロテスタントの表現を借りると「反教皇主義者」となりました。

ところが、反教皇主義者になったとしても、ルソーはプロテスタントと仲良くできなかったのです。なぜかというと、プロテスタントはルソーの思想を好まないからです。それに留まらず、プロテスタントをも敵に回して、その挙句、ジュネーヴ市の市民籍を捨てるほど、ルソーはプロテスタントと仲が悪かったのです。あちこちで皆に喧嘩を売った挙句、ルソーはスイスの「ヴィン湖」の仲の孤島に逃亡して避難せざるを得なくなります。Saint-Pierre島というところです。しかしながら、間もなくして、その島から追い出されました。引き続き、ルソーはあちこち彷徨うしかありませんでした。「社会に狩られて」彷徨うのです。その時、自伝を起筆します。自伝というよりも、自己正当化の著作です。それもルソーの特徴です。つまり反省する能力がまったくありません。


【イギリスに逃亡する】

パリから逃亡して、プロテスタントから逃亡して、スイスから逃亡して、フランスから逃亡して、教会と禁書目録から逃亡して、ダヴィド・ヒュームの協力を得て、ルソーはイギリスへと避難しました。ヒュームは、もう一人の哲学者です。その時に、ヒュームはフランス滞在の大使だったはずですけど、兎に角、フランスにいて、ルソーのためにイギリスでの仕事を見つけました。
ルソーがイギリスに行った時には色々な経緯がありますが、ある誹謗書簡がルソーの許に届きます。ヒュームからの書簡だとルソーは思っていたのですが、実際にはヒュームからの書簡ではありませんでした。そこで「ヒュームからも迫害されている」とルソーは嘆きます。僅か半年が経っただけで、イギリスを去り、フランスに戻ります。ルソーの人生は人生とは言えない人生だなあ。パリの周辺でまだ彷徨うことになります。


【パリで急死する】

パリ北部のオワーズのエノンヴィル村辺りにある人里離れた別荘に一旦落ち着きます。そこで、急に死にます。心臓の問題で、正確に言うと脳卒中で急死を迎えることになります。1778年7月2日、死にました。場所はコンピエーニュとパリの間にあるぐらいのエノンヴィルなのです。1794年、パンテオンへ「引っ越し」させられました。


【不安定、怠惰、だらしない、しかし文才があり、自由と孤独を愛する】

ルソーについて何を覚えておけばよいでしょうか。まず、ルソーは不安定な人です。怠惰深くて、だらしない人です。彼の人生を見ると自明です。また、文才のある人です。それも自明です。ところが、文才があったものの、だらしない性格で、ルソーは一度も徹底的に何かを勉強したことはありません。ルソーは長期的に、全力で、何かに尽くしてコミットすることができないのです。不安定で、怠惰だが、ルソーは「自由の愛人」でもあります。何よりも、自由と孤独を愛しています。『孤独な散歩者の夢想』という著作の中にある一つの章は、一つの散策を語るものです。ご紹介するために、原文を持ってくるつもりでしたが、持ちそこなったようです。原文無しで行きましょう。とにかく、その著作にハッキリと「15年前からずっと絶えないで同時代の皆に罵倒されて、傷つかれている」といったようなことを書いています。このセリフで、ルソーは自己紹介するのです。原文が見つかりました。読み上げましょう。

「この世で一人ぼっちになった私には、兄弟も父も隣人も友人も社会もあるが、それは皆、私なのだ。」(拙訳)という文章で、著作が始まります。文庫を持ちそこなったので残念ですが、ある意味で文学的に言うと、フランス語的にいっても綺麗ですけど、彼に同情しようと思っても、やはり同情できませんね。もう、ルソーを読めば読むほどに、同情できなくなります。なんといえばいいかな。もう充分だというか、やり過ぎはやり過ぎだという感じですね。「勘弁してくれ」と言いたくなります。

『告白』もその意味で凄いです。原文がありました。はい、『告白』の始まりを読み上げましょう。非常に有名なものですけど、それで「ルソーによるルソー」を味わっていただければ幸いです。

「私は前代未聞の偉業を遂げようとする。後世には誰も真似できない偉業だ。「私」という偉業。完全なる自然のありのままの一人の男を同類の皆に見せたい。その男は私となる。」以上。
彼は書いていますね。「私だけ。」以上。
「私は、私の心を感じ、人間を理解している。一生見てきた多くの人々と違って、私は違っている。全世界、全歴史に存在したすべての人類とは、私は違う存在だと信じたい。」

御覧の通りに、本当に孤独で、他の人々から完全に孤立している側面がよく読み取れる文章でしょう。

「他の人間より、私は良くないかもしれないが、少なくとも別ものだ。私の生まれた型を壊した自然が良くやったか、あるいは悪くやったかを分かるには、私の著作を読めば判断できる。」
やっぱり、自己正当化ですね。弁解のための著作です。

「最後の審判のラッパがいつ鳴らされても構わない。その時、この本を高く掲げ、至上の裁判官の前に私が出て、恥じないで大声でこういい出そう。『ここには、私のやったこと、思ったこと、私がどういった人間だったということが書いてあります。私の人生の善悪を問わないですべてを忠実に記しました。悪を黙殺しなかったし、善を装ったこともありません。時には善悪と関係なく飾りを足したとしたら、私の記憶の欠如のせいで出てきた空白を埋めるためだけでした。正しいと善意で思い込んでいたことを正しいとしたことがあるかもしれませんが、嘘だと知っていたことを正しいとしたことはありません。有りのままに私を見せました。卑怯と軽蔑すべき時、それをそのままに記し、また私が慈愛深き、高潔な、崇高だった時も、それをそのままに記したのです。あなた(至上の裁判官)が読み取った通り、私の内面を見せただけです。永遠なる存在よ。私の周りに、数えきれない大衆から、私の同類を集めたまえ。彼らは我が告白を聞けばよい、我が卑劣な行為を嘆けばよい、我が不幸を憐れむがよい。そして、皆一人一人が、あなたの玉座の許に、自分の心を私が忠実にしたように、明らかにせんことを。厚かましくも「この男(ルソー)よりも、私の方が善だった」と言い出せる人がいるのなら、名乗り上げんことを』と。」


【最後に】

以上はルソーでした。結局、話しは一時間弱になりましたね。ルソーの人生に関して、これで終了したいと思います。

最後に、ルソーの名作の名前を紹介しておきましょう。
1750年の『学問芸術論』で、始めての「ディスクール」です。
そして、指摘すべき音楽の作品として、1752年の 『幕間劇、村の占い師』があります。ルソーは非常に感情的です。ルソーの特徴として指摘すべき性格です。確かに良い意味で感情的であることは紛れもない事実です。彼の非常な敏感な感情は、理性と意志によって和らげられていないということこそが問題です。

1755年に『人間不平等起源論』を書いて、これは第二の「ディスクール」ですね。
1758年に、取り上げる価値のある著作は、『摂理に関する書簡』 とダランベール宛の『付録 - ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目』があります。
1761年、『ジュリ または新エロイーズ』と書きます。「エロイーズ」という有名な歴史上の場面を再編成したものです。「エロイーズ」とは、中世のピエール・アベラールPierre Abélardとエロイーズとの恋愛のことですけど、大雑把に言うと、アベラールAbélardは、「修道士」というか、一応誓願だけは立てていた、エロイーズの家庭教師だったのです。エロイーズは、父を失っていたので、叔父の家で育てられました。そして、二人ともお互いに恋に落ちたのです。エロイーズは妊娠し、子が生まれました。それを知った叔父が激怒しました。記憶が正しければ、もう一人の叔父が大聖堂の参事会員の司祭だったと思います。罰として、アベラールAbélardの去勢が命じられました。アベラールAbélardは良い学者だったのに、その事件で彼の学問上の将来は潰されたのです。

そこで、『ジュリ または新エロイーズ』において、ルソーはジュリ・デタンジュという女性の話を描いています。ジュリが自分の家庭教師に恋します。ところが、両親と社会のせいで、ジュリは家庭教師と結婚できないという設定になっています。御覧の通りに、いつも「社会のせい」になっていますね。ジュリと教師は結婚しないまま恋愛関係を語る小説です。書簡を交わし合います。作品自体は主に書簡体小説という形になっています。そして、教師とジュリが離れざるを得なくなります。その後、ジュリはもう一人の男と結婚します。ヴィルマールという男です。ジュリは夫を愛していることは愛しているという感じです。そして、ルソーがどちらかというと、「愛と結婚」をハッキリと切り離してしまいます。というのは、ジュリは、結婚している相手を相手しているとしても、一番愛している相手とは結婚しない設定になっているからです。その点が作品の面白いところです。

ある日、三人とも皆がついに会い揃います。夫の友達と教師と共通の友達という縁で、たまたま皆がヴィルマール家で揃う場面が出てきます。結末として、全員がある種の理想的な社会で過ごせるようになって、そして完全に自給自足の社会で過ごせるようになります。「自給自足の社会」というのは、ルソーらしいですね。つまり、社会から完全に切り離れた「場所」になります。何とかその理想的な小社会では、人間関係は一応良くて問題はないということになっています。つまり、ルソーにとっての「自然なる人間の本来のあるべき姿」を書こうとしました。つまり、社会抜きの人間を理想にしている小説なのです。以上は『ジュリ または新エロイーズ』の短い紹介でした。

本当に立派な文学性をもっていて、書きぶりは綺麗です。それについて話しがあります。生真面目(きまじめ)なカントという哲学者がいますね。彼は時計のように毎日同じ日課で過ごしていたと言われています。一秒も変えずに、毎日同じだったそうです。ところが、ある日、毎日の散歩をしなかったのです。理由はルソーの『ジュリ または新エロイーズ』を読んで夢中になったせいで、散歩に行くのを忘れたという話がありあります。

1762年、 『エミール または教育について』を書きました。そして、その中の最後の章は「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」です。私の記憶が正しかったら、この「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」の部分は、「エミール」には最初は入れないつもりでした。結局入れるのですが、入れてからでもルソーは外したかったそうです。
理由は単純で、『エミール』自体が禁書目録で禁じられるようになった場合、「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」という文章を手元に持っていて、そのまま出版できるように用意するつもりでした。

同じ1762年、 『社会契約論』も執筆しました。
1765年~1770年の間に『告白』を書きます。『告白』はルソーの死後に出版されました。
もう一つの死後の作品というと、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』があります。死後の方が裁きやすいですね。

また、晩年に書かれて、死後に出版された『孤独な散歩者の夢想』という作品があります。この作品は確かに書きぶりが上手で文学性があるのだけど、うんざりとする作品を言わざるを得ません。これを読んでしまうと、ルソーに対して、同情できなくなります。
そういえば、こんなことがありました。ルソーが泊まっている部屋の門に、次のことを落書きしたのです。確かに、パリにいた時です。ルソーの部屋の門ですね。次はルソーからの引用です。

「それぞれの分に置かれての世間の人々の私についての諸態度。
国王と偉い方々は、本音を言い出さないが、少なくとも私のことを寛大に扱ってくれる。
栄光を愛している本物の貴族は、私が栄光について達者であることを分かってくれる貴族なので、私を尊敬して黙っている。
司法官は、私に対して多くの悪事をしやがったせいで、私のことを憎んでいる。
私が暴いて見せてやった哲学者は、私の破滅を望んで、何れか成功するだろう。
出生と身分を誇りに思っている司教は、私を畏れず敬意してくれる上に、私をうやうやしく扱ってくれ、私を評価してくれる。
哲学者に買収された司祭らは、哲学者にへつらうために、私に対して吠え掛かる。
才気のある人々は、私の才能の優位性を感じて嫉妬するので、私を誹謗することによって私の優位性に復讐する。
私の熱愛の対象だった国民が、私のことをみて、櫛を入れていないかつらのやつであり、誹謗されている男だと思っている。
女性を侮辱している陽気で興ざめな男に騙されている女性たちは、一番彼女らのために値する男である私を裏切っている。
スイス人は私に対して悪事を強いられたせいで、私をいつまでも赦さないだろう。
ジュネーヴの司法官は自分の罪を感じるし、そして彼の罪を私が赦してやることも感じているし、その司法官がその気になったら償ってくれるはずだろう。
国民の指導家たちは、私の肩の上に立っているのに、私を隠そうとして、自分らだけ目立つようにしたいらしい。
作家たちは私の書いた物を盗んで誹謗している。ペテン師が私を呪っている。ごろつきらが私をやじっている。
良き者がまだ存在しているのなら、私の不幸な運命を見て嘆いてくれる。そして、私はその良きものを祝福して、いずれか死すべき人に私のことを教えてくれるといい。
私のせいでも眠られないヴォルテールが以上の文章を馬鹿にするだろう。ヴォルテールによる愚かな罵りが結局、彼の無本意のうちに私に対する称賛になる。」

以上は、ジャン・ジャックのご紹介でした。ご清聴ありがとうございました。

【すらすら読める】ジャン=ジャック・ルソー・その人生・その思想 その(一)【第1部】

2019年08月13日 | 哲学
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による哲学の講話をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

Billecocq神父に哲学の講話を聴きましょう



本年度の新連続講座にようこそ。ご案内したとおり、今年は一人の著作者を徹底的に分析することにします。
ジャン=ジャック・ルソーです。彼について、多くのことが言われているし、流行っている作者です。
皆様は、ルソーのことを聞いたことがあるに違いありません。皆様はどれほど彼の著作を読んできたか分かりませんが、大体の場合、知られているのに意外と実際にはそれほど読まれていないか、少しだけしか読まれていないようです。一応面白い人物だと言えましょう。面白いというか、ルソーについての通説というか、何というか、大体の場合「フランス革命の根本的な理念(原理)」を確立した人物としてルソーが知られています。

革命の原理を確定したかについて議論の余地があったとしても、少なくとも、ジャン=ジャック・ルソーの遺体が「パンテオン(革命が偉大だと評価した人物を葬るパリの建物)」に置かれているぐらい「不吉な人物」であると言えるでしょう。パンテオンに遺体があるのは象徴的なことです。この事実だけをみても、ジャン=ジャック・ルソーという人物の位置付けは自明でしょう。要するにルソーがパンテオンの門の上に刻まれているように、「祖国 が偉大な人に感謝している」一人の名人であることは揺るがない事実です。

ルソーを紹介しようと思った時に、どうすれば一番良いでしょうか。難しいことですけど、この連続講座は今年、五回ほどルソーについての講演をするので、一回ごと一つのテーマに絞ってルソーをご紹介します。毎回一つのテーマに絞って説明していきます。そうすると、多様な観点からルソーを見る効果があると同時に、幾つかの哲学上の概念を復習します。政治哲学なり、政治じゃない哲学上の概念なり、心理学上の概念などもちょっと触れれば何より幸いです。こうした方が、ルソーを理解するために一番やりやすいと思ったからです。その上で、できれば、できるだけ、ルソーの著作の原文自体をご紹介していきたいと思います。ルソーの書いた文章を知って頂けば、私の話に肉付けするために一番分かりやすいし、やりやすいでしょうから。

【これからのテーマ】

今回の第一講演は比較的に手短になると思いますが、「ルソーの人生」をご紹介していきたいと思います。今回は分かりやすくて疲れない話になると思います。ルソーの人生自体は疲れる人生でしたけど、今晩はルソーの人生に絞ってご紹介していきたいと思います。

これからの四回の講演の時には、四つのテーマをご紹介します。順番は前後になる可能性がまだありますが。

第一のテーマは「ルソーと芸術」についてです。ルソーが「芸術」について多く言及したし、彼の書かれた最初の大作は芸術についてでしたから。その際、ルソーの二つの著作をご紹介する予定です。『ダランベール宛の書簡』と『学問芸術論』です。後者はルソーが書いた最初の「ディスクール(論)」です。現代では「芸術」を語ることはかなり稀になってきたので、面白いテーマだと思いました。芸術について語るときに、社交上の話ぐらいでは、あまり深入りしませんね。「芸術」を特徴づけるのは何であるか、政治上の位置付はどうなっているか、どうすべきか、というような大事なテーマはほぼ触れられていません。だから、そのテーマを機に、芸術に関する哲学上の基礎をちょっとご紹介して、糧になればなによりです。

第二のテーマは「ルソーと政治学」です。このテーマこそは一番普段にルソーに語られている課題ですから、ある意味で一番分かりやすい部分である、少なくともルソーの特徴を理解するために一番役立つテーマでしょう。というのも、ルソーの一番有名な理論は、彼の政治論だからです。政治というテーマでルソーの名作は『社会契約』なのです。また、ジャン=ジャックの二つ目の「ディスクール(論)」もあります。『人間不平等起源論』もあります。以上の第二のテーマの時にご紹介する著作です。

第三のテーマは「ルソーの教育論」です。その際、カトリックによる教育観を復習する機会にもなります。その時に、『エミール または教育について』を中心にご紹介する予定です。

最後に触れるテーマはより難しいテーマにはなりますが、「ルソーと信仰と宗教」というテーマにしたいと思います。それを分析するために、『エミール または教育について』という著作の最後の部分である「サヴォワの主任司祭の信仰宣言」という文章を中心にご紹介したいと思います。そして、ルソーの宗教観というテーマについて、ルソーの面白いヴォルテール宛ての一通の書簡もあります。

以上、今年、ご紹介していく四つのテーマです。そうして、ルソーの諸著作をご紹介し、我々現代人にとっても、関心のある幾つかのテーマをご紹介できたらと思います。ルソー論をご紹介するきっかけに、本来の良き原理・理念をご紹介できればと思います。こういった本来の良き原理から出発して、どうやってルソーがこれらについて語ってきたかということをご紹介できればと思います。
テーマについては以上の通りです。


【ルソーの人生】

さて、今日の講演の題目は「ルソーの人生」です。私は歴史家ではありません。年表も出来事も私には非常に覚えづらくて歴史家の才能が残念ながら私に欠如しています。いくら読めても、なぜか年表は覚えられないのです。だから、今日だけは歴史家でない私の話を聞いて下さる皆さまは可哀そうでしょうけど、何とか頑張らせていただきます。

ルソーの人生を理解するために、二つの入門書をお勧めしたいと思います。
一つ目は、人生だけではなく、ルソーの思想をも論じるので哲学的な側面もありますが、ジャック・マリタンの「三人の改革者」という入門書です。本当に優れている小さな論文で、「三人の改革者」と題しています。三人の改革者はだれであるかというと、デカルト、ルターとルソーです。マリタンにとって、この三人こそが、世界のすべてを改革した人物なのです。哲学上の改革はデカルト、政治上の改革はルソー、宗教上の改革はルター。

マリタンの結論に関して、一つだけ警戒を言い出しましょう。確かルソーに関しての結論だったと思いますが、マリタンには「人格主義」という傾向があります。つまり、人間において「人格」と「個人」をほぼ現実的な区別として捉える傾向がある「人格主義」です。そして、マリタンは「共通善」よりも「人格」を優位に立たせるという誤謬に偏りがちです。それだけを指摘しておきましょう。

「三人の改革者」をお勧めします。読みやすいし、マリタンは、二番目に紹介するルソーについての部分を「ルソー、自然の聖人」と題しています。ルソーを特徴づけるために、よく当たっている表現だし、正しい表現だと思います。
また、ルソーの人生について、もう一つの書籍を熱くお勧めします。ベルナール・フェ Bernard Fayによる「ジャン=ジャック・ルソー」という書籍です。Fayはルソーが自分自身のことを語った文章を多く拾ってルソーの人生を紹介します。確かにルソーの諸著作の特徴は「ルソーが自分を語る」ということです。「ルソーは自分を思う」とも言えるでしょう。ともかく、Fayがとりわけ『孤独な散歩者の夢想』と『告白』をはじめ、ルソーの諸著作に参照しながら、ルソーの人生を紹介します。そして、ルソーの人生を立派に紹介することに成功します。ルソーの人生は細かく具体的に語られています。これは、ルソーの後を一歩一歩追いながら、それぞれの風景の描写も美しく、彼のそれぞれの行為と行動を旨く描写し表現している書籍です。しかも、書きぶりも本当に良くて堪能できる一書です。

ついでに、今ちょっとだけFayの書籍の文章を読んで堪能していただきたいと思います。序文の部分です。序文はとても短いので。そういえば、序文が短いのは良いことですね。短いと本を読みたくなりますが、序文が長ければ長いほどに逆ですね。本番に入る前に、「それほど長い文書が必要だなんて」ということを気付いた時に本を読む気は少なくなりますね。さて、引用しましょう。

「今より二世紀前からずっとルソーについて多く語られてきました。好意をもって、熱心をもって、熱狂をもって、教養をもって、策略をもって、不実をもって、嫌悪をもって、ルソーについて多くがばらばらに語られました。時にルソーについて愚かさをもって語られたこともありました。そしてそれはそれで敬意を払うべき膨大な批評とはなりますが、あまりにも多く存在するので、中心になるはずの著作者自体が、そしてその特質とその人間性を見失う恐れがありましょう。私もルソーから引力を感じて彼について長く勉強し続けました。最初は彼の著作を堪能しました。彼に魅力されたし、怒りもしたし、魅惑されました。ある日、ルソーを理解したい気持ちになりました。自分自身のことを一度も自らで理解したことのない人間について、私が理解しようとするのは厚かましかったかもしれません。しかしながら、自分自身を自分で理解できなかったルソーは、少なくとも自分のことを謝り、自分のやったことを正当化し、自分を称賛することぐらいはしました。私は最初にルソーの行動を見た上で、ルソーを理解しようとしたのですが、彼の行動は曖昧のままで両義性があると思いました。
また、ルソーの思想を見た上で理解しようと思いましたが、彼の思想はどうしてもよく把握できませんでした。私の検討を逃げるかのようにルソーが感情へ逃げ込んで、それらの感情は暖かくなりながら、不安定でもあったと気づくようになりました。彼の『告白』を何度も読み返しました。眩しい幻、とらえどころのない幻覚、偽りの幻影。彼を読み込んだ挙句、彼のことを私は夢で見始めました。夢で彼を見た時、彼の本当の人物といよいよ出会うことができました。ルソー自身も語るように、ルソーの人生は夢だったのです。それ以外なんだったでしょうか。
また、ルソー自身が神話でした。ルソーは確かに生きていたことは生きていましたが、夢を見るために生きていたのです。ルソーの残したのは、終わらない夢の連鎖に過ぎません。ただ彼の才能によってその夢は美しくされて、時にはかれの興奮が注がれた夢になるか、あるいは時には懐中の情けに満ちた夢にもなります。ルソーはどうせ夢の中に生きていたので、私がその高い雲だった夢の世界に、彼を探し出しに行き、彼をいよいよ見つけたのです。」

書きぶりは悪くないでしょう。残りの全書も同じ書きぶりで、美しいスタイルになっています。堪能できる書籍です。書きぶりはね。描写される人物は美味しくないということは紛れもない事実ですけれど。そして、この本の副題は「ジャン=ジャック、人生の夢を見る」です。


【ルソーの人生の生い立ち】

さて、ルソーの人生の本番に入りましょう。生まれた年は1712年です。つまり、彼の人生は18世紀のど真ん中となります。生まれたのは、1712年6月18日のジュネーヴです。フランスのパリを逃げた家庭に生まれました。というのも、彼の家族はプロテスタントだったからです。フランスからスイスへ亡命した家族でした。まあ、確かにその出生は恵まれていないかもしれません。プロテスタント信徒として生まれることになります。プロテスタントの洗礼を幼児の時に受けました。生まれてから二十日間ぐらいが経って、ルソーの母がなくなりました。つまり、ルソーは自分の母をすぐ失い、母を知りませんでした。ルソーの母は同年7月7日に亡くなっています。母なし育ちました。父に育てられます。父は主に狩りをして生計を成り立たせていました。ルソーは特に大切にされた子供でした。父と一緒に、ルソーの伯母も彼の世話をずっとやってきました。多くの愛が注がれた子でした。愛情のこもったこういった環境でルソーが開花したと言えます。ルソーは愛され、愛されていることをよくわかっていました。

また、指摘すべき点は、ルソーが魅力的な人物だったことです。Bernard Fayがそれを何回も強調しています。年齢を問わず、ルソーはずっと魅力的な人物だったのは確かのようです。それは想像に難くない性質でしょう。彼の諸著作を読んでも、その魅力さがいつでも感じうるでしょう。彼の諸著作は文学的に言うとやっぱり綺麗で魅力的ですから。つまり、ルソーの書きぶり自体はなかなかよく出来ているのは事実です。ルソーは魅力があるし、そして魅力があることを彼は知っています。その魅力を示す話があります。Bernard Fayが次の話を紹介します。

ルソーが幼い時に、何かの悪戯(いたずら)をやったせいで、「食事なし」の罰になりました。父が「食事なし」という罰をルソーに与えました。すると、ルソーが家族の全員に丁寧にご挨拶をし、テーブルを去り、何かの動物を焼いている暖炉の前を通りかかりました。暖炉の前でルソーは立ちとどまって「おやすみなさい」と丁寧に焼かれていた動物に挨拶をしました。すると、父がそれを見て笑って、罰をやめることにするのです。テーブルにルソーを戻して、結局、普通に食べられたという話です。こういった例で確認できるように、ルソーには紛れもない魅力があるのです。

後は、ルソーという子は穏やかな静かな子だったのも、間違いありません。愛の注がれた環境で育たれながら、かなり早い段階で、父に指導されて読書を教わったのです。ルソーはずっと読書好きで多くの本を読みこなしてきました。父は彼に本を読ませていたし、また、父が朗読して、息子に読み直してもらったりしていました。声に出して読み合う感じです。古典も含めて。ルソーという子の憧れた一つは、古代ローマ人の英雄的な行動だったそうです。また、ルソーは小説を読むのも好きでした。

問題はルソーを勉強させるときに、読書ほどに旨く行っていなかったことです。まず、ルソーの父が裁判を避けるためにVaux州を去って亡命せざるを得なくなります。父が亡命するが、息子を叔父に託すことになっています。ジャン=ジャック・ルソーは父と一緒に行きません。父が去って叔父の所に住むようになったのは、ルソーの10歳の時でした。そして、10歳にもなったので、何か仕事をさせることになりました。あちこちに見習いとして従事させてみたのです。その一つの見習いの経験は、(裁判所の)書記の所に働きに行くことでした。ただ、ルソーはどうしても怠惰な性格で、あちこち見習いに行っても、休憩時には必ずルソーがジュネーヴの壁外へ散歩に行っていました。当時はジュネーヴにはまだ壁に囲まれていたので。ルソーは壁外に行って、野原や森を散策することが大好きだったのです。確かに、ルソーの諸著作を読むと、とりわけ『告白』を読むと、ルソーがどれほど野原を熱愛しているか、どれほど冒険に夢中になっているか、どれほど孤独な散策こそを熱愛しているかよくわかります。それは間違いないことで、因みに彼の性質の一つの特徴として覚えておくべきでしょう。

その性格を語る次の話があります。ある休憩の時に、もしかしたらある日曜日の時だったかもしれません。Bernard Fayは日曜日の時だったと書いています。いつも散策に行っていたルソーでしたが、その日に町に戻る時に、壁の門が閉まっていました。壁外に一人ぼっちで入ることができません。そのせいで、見習いとして雇われている所の契約をその日の分に果たすことは不可能となってしまいました。すると、ルソーは、その状況を受けて、町を逃げてしまうのです。さりげなく。16歳の時でした。そして、その近くの村に避難し、その村の主任司祭の許に行きました。なぜ主任司祭の所に行ったかというと、当時なら、主任司祭という存在がまだ尊敬されて、困った時に助けてくれるという評判だったからです。まあ、ルソーから見ると、主任司祭の信仰を聞くつもりはなかったようです。でも、一応、主任司祭はルソーに対して優しくしてくれて、彼を雇ってくれるし、ルソーが彼を気に入っていました。これもルソーの性格の特徴的な点です。

ルソーが相手を評価する時に、いつもその司祭の時と全く同じパターンとなっています。ルソーの全人生を見ても変らない性格です。多くの場所に旅行してきたし、多くの地方を歩いたルソーがいつもそうでした。

ルソーはいつも全人生に亘って旅してばかりいて、彼の性格は落ち着きがなく、どこもいつも不安定です。あまり、同じ場所に長く泊まることはできず落ち着かないタイプです。人を出逢う度に、相手を評価することに当たって、心で判断します。頭の理性で判断するのではなく、心で相手を評価します。つまり、「直感的」に、相手のことを知らなくても、相手の正しい評価はできなくても、いきなり「惚れてしまう」ような性格を持つルソーです。だから、その主任司祭に遭った時に「惚れてしまった」パターンというか、非常に「大のお気に入り」となります。主任司祭がルソーに「カトリックへの改宗」を勧めると、ルソーが「いいじゃん」という感じで応じて、改宗することを受け入れました。

ということで、次に主任司祭は、最近回心した婦人のいるスイスのヴヴェー(Veuvay)村へルソーを連れて行きました。Madame de Varins(ヴァランス夫人)という婦人です。ヴァランス夫人という人物はルソーの人生の中で非常に大事な人物となります。ヴァランス夫人の住まいに到着して、彼女と初めて出会った時に、ルソーはやっぱりひと目惚れしました。彼女もルソーのことをひと目惚れしたようです。当時、ヴァランス夫人はまだ比較的に若かったのです。確か三十歳ちょっと以下だったと思います。ルソーは16歳辺りでした。次は、ルソーの改宗へ向けて、公教要理を勉強しなければならないということで、トリノ市へ行くことになりました。つまり、Veuvayからトリノに行く知り合いがちょうどいたついでに、ルソーも一緒にトリノに行って、そこで女子修道院で公教要理の教えを受けることになりました。ルソーは改宗志願者だったわけです。

ルソーには、正確には、どうしても傲慢心があったので、改宗までの間に、彼はちょっと目立った改宗志願者として教師たちによっても目をつけられました。まあ、ルソーは度を超えなかったので、それでも改宗は無事に出来ました。1728年4月23日、カトリック洗礼を無事に授かりました。洗礼志願だった時代のルソーの一番の喜びは、トリノ市を散策するということでした。要するに、余り稼がないで、運に頼って、生計を立てずに、毎日を冒険のようにふらふら散策したりして生活しているという日常でした。金がなくなりそうな時に、何とかちょっとした「バイト」であちこち何とかちょっとした金を稼ぐのです。仕事だけは相次いで見つけることだけが見つけるのですが、長く同じ仕事にいられなくて、いつも不安定なのです。

この時代に、次の話があります。ある日、ある仕事に就いた時に、ルソーが大嘘をつきました。あるどこかの引っ越しの際、たまたまそこにあった桜色のリボンを見つけました。なぜかルソーはそれを気に入って、自分のものではないのに取ってしまいました。そういった行為も、ルソーの「直観的」な性格をよく物語っています。「好きだから、盗んでしまう」。ルソーを理解するために、やっぱり直感・本能という性質が非常に強いことを理解しなければなりません。

話に戻ると、ルソーがそのリボンを取ってしまうと、後で上司が桜色のリボンを見かけなくなったから、「だれか、どこにあるか見たか」と従業員に聞きました。その時に、ルソーは黙ったままでした。そして、その後に、ルソーの手袋に桜色のリボンが入っていたことが明らかになりました。すると、ルソーはどうしたかというと、家の女性の料理人が犯罪者だと嘘をつきました。結局、料理人は罰せられなかったようです。ルソーが料理人を咎めたので、上司はルソーと料理人を対決させてみますが、何も結論が出なかったので、結局罰はなかったということで終わりました。ルソーも料理人も「私はやっていない」という立場を固く断言していたので。

だから、上司にしても、仕方がないわけです。犯罪者を明らかにするのはできないまま、上司は罰を与えることはできませんでしたが、次のような結論で終わったそうです。
「盗みを犯した犯罪者の行った悪事が、彼の良心を咎めるだろう」みたいなことを上司が言ったようです。確かにこの事件はルソーに印象深く残りました。可愛そうな料理人ですね。

まあ、こういったようにルソーは人生を送っていたのです。かなり不安定にやっていました。ルソーのトリノでの滞在は一年とちょっとでした。その時期に何人かの仲間と友達ができたし、そして、何人かの女性にも恋していたようです。また、ルソーは綺麗だなと彼が感じる女性に会うたびに惚れるような感じで、大体ルソーがその女性をたらし込もうとしています。こういった恋愛などはたぶん精神的に留まるのですけれども、特徴として長く続きません。同じ気持ちにあまり留まれないルソーで、恋愛面でも不安定で次々に変わります。ルソーの不安定という特徴だけは、いつも変わらず安定している特徴でした。

結局、自分自身も言うように「自分について絶望したルソー」、そしてどうせ周りも皆、ルソーのことをがっかりして、ルソーはスイスに戻ることになります。ヴァランス夫人の所に戻るのです。ヴァランス夫人と再会すると、あえて言えばルソーが改めて「惚れる」ことになり、間もなくヴァランス夫人の家に泊まることになります。ルソーはヴァランス夫人を親しく「母さん」とずっと呼んでいました。逆にもヴァランス夫人がルソーを親しんでずっと「坊や」と呼んでいました。

【ルソーと音楽】

ところで、ルソーは何とか稼がざるを得ないのですが、ルソーの不安定と怠惰の性格から、なかなか旨く行かず、余り仕事はしませんでした。結局、辛うじて大聖堂の聖歌隊での仕事が紹介されました。ルソーは歌がうまく、音楽に興味を持っていました。そういえば、彼の音楽好きの特徴は一般的にそれほど知られていないかもしれません。しかしどちらかというとルソーの人生において大事な一要素なのです。音楽を好み、聖歌隊で働いた時代に、一人の聖歌隊員と友情をもり、仲間となりました。問題はその一人が評判の悪い人で、良い青年ではなかったのです。ヴァランス夫人をはじめ周りの人々にも警告されていたのに、ルソーは自分の友達に対して客観的な評価はできず、分別を欠いていました。「彼と関わることを止めよう」といったような判別力を、ルソーはなかなか持てなかったのです。これもルソーの性格を知るためになかなか面白い例だと思います。ルソーはいつもこういった性格でした。直感と感情で動くタイプの人物です。

【リヨンに行くがすぐスイスに戻る:困難なことから逃亡する】

それを見て、ヴァランス夫人は何とかルソーをその子から離れさせようとしました。そのために、聖歌隊長が町を何かの理由で去ってリヨンに行くことになった時、ヴァランス夫人はルソーに聖歌隊長と一緒に行くように頼みました。すると、ルソーは師匠と一緒に町を去りました。私の記憶が正しければ、リヨンに到着するや、師匠が町を歩いて人前で癲癇(てんかん)の発作を被ったのです。つまり、師匠が地面に転げ回ったり、泡立った唾を吐いたりするような発作(ほっさ)でした。ルソーはパニックしました。一応、師匠をどこかに泊まらせるようにと周りの人に聞かれてルソーは答えるのですが、その後、ルソーはそのままに逃げます。師匠から離れて逃げました。そこで、スイスにもう一度戻ることになります。一年ぐらい彷徨(さまよ)うことになりました。音楽論の教室をあちこちして、ちょっとして稼ぐのですが、本当のところルソーは音楽理論について何も全く知らなかったので、はったりをかまして教えていました。最初は相手が気付かないのですが、間もなく、いくらたっても生徒が上達しないので、当然ながらあまり長つづきできません。

次の場面もありました。ある音楽の夕べに誘われた時に、そこで何かの曲を弾いてくれないかと頼まれました。ルソーは受け入れて弾いてみるのですが、参加者全員が笑い出した、という話があります。皆に笑われて、ルソーは深く面目をつぶされたと感じたようです。それは兎も角、音楽教室をやって、音楽を好んでいる人々と付き合うおかげで、ルソーは少しずつ音楽の知識の基礎を何とかちょっとだけでも得るようになりました。その一年の間に、音楽教室以外にも、ルソーは多く散策していました。ルソーはやっぱり散歩・散策するのが大好きです。夢想にふけることが大好きなのです。だいたいの場合、散策する間に、どっかに出会って惚れた「女性」のことについて夢想するのが特に好きでした。また、ヴァランス夫人の事を頻繁に思っていました。ルソーは誰よりもヴァランス夫人を尊敬していました。

【モンペリエ、リヨン、パリ】

次は、フランス南部のモンペリエに行きます。その理由は、ルソーに心臓の問題が出たということで、行くように言われたからです。なにか心臓病ではないかという疑いがありました。
モンペリエでは、依然同じようなパターンを繰り返していました。若い女性と出逢って一目惚れしました。おそらく、精神的な恋愛にとどまったと思われます。でもどうでしょうか、彼は天使のような人物でもなかったのです。

モンペリエに滞在してから間もなく、リヨンに行きました。そこで、コンディヤックという啓蒙思想家と知り合いました。エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック。1740年当たりに出会った同世代です。
ルソーは30代です。コンディヤックはルソーの二歳下なのですから、同世代です。そして、リヨンではダランベールとも知り合って友達となります。それをきっかけに、「啓蒙」の世界に初めて足を踏み入れることになりました。ダランベールはルソーの5歳下です。まあ30歳になる辺りだと、世代は大体一緒と言えましょう。リヨンでこういった友達ができた上、パリへ向かいました。パリでは音楽関係の仕事に就こうとしました。ここでも音楽でした。後でも見られるように、ルソーは全人生において結局、音楽で稼ぐようになっています。

そういえば、音楽についての論文を書くことも試みました。新しい記譜法を作ってみました。私の記憶が正しければ数字を使う記譜法だったと思います。ところが、この記譜法は完全に大失敗に終わりました。とにかく、パリに住んで、写譜者として働きます。それほど音楽上の知識がなくても出来る仕事で、さすがにルソーらしいです。ルソーはどうせ怠惰で、散策することが大好きですから。やっぱり、ルソーの一つの性格の特徴は怠け者ですね。パリでは、写譜の仕事しながら、町を楽しむのです。現代に比べたら、当時のパリの方が小さかったし、自然も多かった、広い場所もあったし、もうちょっと自由に動けた町でした。

パリでディドロと知り合いました。面白い出会いでしょう。ディドロと啓蒙家らの世紀です。ディドロは1713年生まれで、ルソーの一年下です。啓蒙家はやっぱり大体皆、同世代です。ディドロとその他の知り合いを通じて紹介されて、「サロン(パリ社交界)」に足を運ぶようになりました。有名な18世紀のサロンですね。それらのサロンで話し合っていて、あえて言えば来たる革命が策略されているサロンです。新しい思想はそこで流されて、交換されて、そしてサロンの外のエリート層にも流れていく影響力のあるサロンでした。
こうしてルソーはサロンに通うことになりますが、必ずしもいつも歓迎されているわけでもありません。ある時ルソーはイタリア人の大使と知り合いました。その大使はルソーの文学上の能力を評価して、ルソーを秘書として雇いました。


【ヴェニス】

つぎは、大使の後を追って、一緒にヴェニスに行くことになります。というのも、ルソーは以前トリノに一年間ほど滞在したので、イタリア語が流暢にできたからです。年表はちょっと前後してしまいますが、その時の一つの場面をご紹介しましょう。ある時に彷徨っていた時代に、散策していたらある男と出逢いました。その男は、ギリシャ正教会の修道院長だと自称する人物でした。そして、トリノにいたのは、「聖域の独立のために運動しているからだ」とその人物が言っていました。その男は空威張りに過ぎなかったものの、ルソーは騙されてその男に金を渡してしまいました。自称の肩書きを主張していたその男は、たんなる詐欺師で金を貰おうとしていただけでした。そして、ルソーは相手が詐欺者であることを見抜く分別力を全く欠如していたので、相手を正しく評価できず、その男の話に乗りました。ちょっとだけ乗ったのではなくて、かなり長い間にその詐欺者の後に付いていたし、詐欺であることがばれるまでその後に付いていました。ルソーは嘘が分かった時、騙された悔しさで泣き出したと明かしますが。今の話は、ルソーの分別力の欠如を良く物語る話なのでご紹介しました。

元の話に戻ると、大使館の秘書官として、ヴェニスに行くことになりました。ヴェニスの滞在の間に、当時の有名な音楽者と出逢いました。また、ヴェニスではルソーの大好きな「移り気」な空気を満喫できました。放蕩の雰囲気にあって、ルソーはその雰囲気が気に入ります。それだけではなく、ヴェニスでの滞在の時にこそ、ルソーは本当の意味で初めて政治活動を経験することになります。従ってルソーが政治について考え始めたきっかけはヴェニスで見たことでした。ヴェニスは都市国家で、政治的に言うとすべてが揃っていながらも小さくて全体図が見やすいところがありましょう。ヴェニスでの滞在は一年以内でした。そういえば、いつも転々と動く分、ルソーの人生を整理するのは難しくなります。


【パリに戻る:同棲、結婚】

ヴェニスでの一年間の後に、パリに戻ることになります。パリでは、テレーズ・ルヴァスールと同棲します。結局、その後に結婚しましたが。ルソーは熱心なカトリック教徒でもなく、そういった結婚の掟を破っても平気で躊躇うことはなかったようです。どうせ、かつてトリノに行ってカトリックに改宗したのは、憧れのヴァランス夫人に勧められたことと、それでちょっとした金を貰えたからに過ぎないので、熱心なカトリック信仰心を持つわけがありませんね。テレーズ・ルヴァスールと同棲し、彼女と間に5人の子供をもうけることになりました。1747年から1751年までの間に、5人が生まれました。ところで子どもが生まれた途端、ルソーは五人とも捨て子の団体に預けました。要するにルソーは、卑怯にも自分の子を捨てるのです。このこともルソーの性格の不安定さを象徴的に示します。


【子供を全て捨てた理由:皆が自分の敵であるという偏執狂(パラノイア)があった】

面白いのは、ルソーは自分の著作では自分の子を捨てた幾つかの理由を挙げています。彼が記す一つの大きい理由は「妻の家族から子どもを離れさせてあげる」ためです。あえて言えば、気持ちだけは理解できるかもしれませんが、その理由はルソーのもう一つの性格の特徴を示します。つまり、ルソーが偏執狂だからです。それは本当のことで、いつも、皆が彼を敵にしているということをルソーが常に感じざるを得なかったのです。彼の晩年になって、感じだけではなく、確かに実際に皆が彼の敵になるようになりましたが。
でも、彼が本当に偏執狂で、皆が自分のことを責めているように感じていた挙句に、実際に皆を敵に回してしまったのです。『告白』を読んでも、人類全員がルソーのことを恨むかのように書かれていますね。

【子供を全て捨てた理由:子どもを育てる金がない】

捨て子の団体に自分の子を捨てた第二の理由として、「子どもを育てる金がないから」とルソーは記します。


【子供を全て捨てた理由:祖国こそが我が子を良き市民にするため】

第三の理由として、これは彼にとっての一番重い理由になると思われますが、「自分の子を捨てたのは、市民的な行為であり、祖国こそが我が子を良き市民にするためだった」といった感じの理由を記します。なんて卑怯でしょうね。そういえば、ヴォルテールもルソーの卑怯さをはっきりと咎めていました。要するに、ルソーが5人子供いたのに、全員を捨てました。にもかかわらず、「教育論」を書くことになります。まあ、いつもあることですね。「教訓」を偉そうに与えながら、自分に関してはやらない。

パリでは、百科全書の作成に参加しました。有名な百科全書のことです。ダランベールやディドロなどが参加した百科全書作成ですが、ルソーは音楽についての項目を担当することになりました。御覧の通り、その時点でルソーの書いた物には哲学のような文章は何もありません。まだ、何も書いていなかったのです。つまり、1747~1748年の時点で、まだ何も書いていませんでした。音楽についてのちょっとした文書が少しあるぐらいで、文学上のルソーはその時点でまだ存在しない、というかまだ無名でした。どうせルソーは不安定な生活しているので、もうちょっとしっかりとした人間関係を結ぼうとします。というのも、金を稼いで、より豊かな生活したいと思っていたのです。それだけです。

《続く》

私たちの主の犠牲の価値について 【公教要理】第四十九講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月10日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十九講  贖罪の玄義・神学編・その三 私たちの主の犠牲の諸帰結について




私たちの主の十字架上の犠牲の諸帰結について

これから、私たちの主の十字架上の犠牲による諸帰結をご紹介していきたいと思います。言い換えると、十字架上の功徳と言えます。つまり、十字架上で犠牲を払い給うた主の功徳は、何に値するか、です。

第一は、ご自分にとって賞賛に当たる功績です。私たちの主が苦しみ十字架上にて死に給うたからこそ、そしてひどい侮辱と残酷さを受け入れ給うたからこそ、それはイエズス・キリストの功績なのであり、ご自分が払われた犠牲に値する報いを得られることは当然のことです。
その報いがご自分の復活なのであり、そのうえにご昇天という報いをも得られるほどの功徳でした。それほどの十字架上の犠牲だったのです。また、聖パウロの記す通りに、「そこで天主はキリストを称揚し、すべての名に勝る名を与えられた」 という報いが与えられました。従って、人間として、苦しみ給うたことの報いから、称揚されて栄光が与えられるという意味です。

さらに言うと、十字架上の犠牲によって人類の贖罪者となってくださったことから、私たちの主には裁判権を得られたほどの報いが与えられました。言い換えると、後述するように、信経の七条に記している通りにイエズス・キリスト は 「生ける人と死せる人とを裁く」権威を持つようになりました。「かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う(きたりたもう)主」という信条です。

イエズス・キリストが私たちの贖罪者である故に、言い換えると、私たちを買い戻し給うたが故に、また御血の値を払い給うて私たちを買い戻したから、私たちに対する占有権を得られたということです。要するに、私たちに対してある種の占有権を得られた故にこそ、人類の裁判官であられる特権を得られたわけです。

ところが、私たちの主は、御自分の業績によって御自分のために報いを得られたばかりではなく、すべての人々のためにもその功徳によって報いを得られました。贖罪の玄義において、すべての人々のために報いを得られたということに留意しなければなりません。つまり、私たちのために、主が得しめ給うた多くの報いに注意しましょう。非常に素晴らしい報いばかりです。イエズス・キリストによってこそ、まさに私たちが救われたということです。なぜでしょうか。


【罪から解放される】
第一は、贖罪の玄義によって、罪から人間が解放されるからです。イエズス・キリストの御血こそは、私たちの霊魂に注がれて霊魂を再生する清めの御血です。「私たちを愛し、その御血によって私たちを罪から洗い清め」た と聖ヨハネが黙示録に記しています。「御血によって私たちを罪から洗い清め」た。従って、私たちを罪から解放し給うたのです。そればかりではなく、ご存知の通り、人類を贖罪したことによって、悪魔の支配から解放し給うたのです。「今この世のかしら(サタン)が追い出された」 。そういえば、私たちの主が、受難の直前に使徒たちへ知らせた通りですね。聖ヨハネ福音の第12章なのですけど、最後の晩餐の後に、御受難の前の最後の訓話において次のことを使徒たちへ知らせました。要するに、私たちの主がこの世に対して勝利したことと、それから悪魔の支配から解放することを明白に使徒たちに知らせました。一言で言うと、私たちを贖罪なさったということにつきます。


【永遠の死から解放される】
そこで、人類を贖罪することによって次の帰結或いは効果があります。つまり、私たちを悪魔の支配から脱けさせたお陰で、また私たちの罪を洗い清め給うたおかげで、当然の帰結になりますが、私たちを永遠の死から解放したもうたのです。ピオ枢機卿の言った通りです。「罪によって得られる報いは一つしかない。つまり地獄に墜ちる報いだ。」ところが、イエズス・キリストの十字架上の生贄のお陰で、私たちの罪が償われ、贖われて、また悪魔の支配から解放された故に、永遠の断罪の審判から、地獄という永劫の罰から免れさせ給うたということです。
ローマ人への手紙において聖パウロがこう記しています。「罪の払う報酬は死である。しかし天主の恵みは、主イエズス・キリストにおける永遠の命である」 。永遠の命です。永遠の死、地獄での命の真逆です。


【天主と和睦する】
贖罪し給うたことによって、また、地獄の永劫の罰から免れさせ給うたおかげで、私たちの主は、天主において私たちを復帰させ給うたのです。イエズス・キリストの御父である天主と私たちを和解させ、仲直りさせ給うのです。聖パウロによれば、明白に記しています。「私たちは敵であったのに、御子の死によって天主と和睦を取り戻した」 と。
言い換えると、罪によって天主の子という資格を失っていた状態から、御子の死によって天主との和睦を得られたお陰で、天主の子である資格を取り戻し給うたのです。


【天主の子となる】
恩寵によって、本当の意味で、キリスト教徒は天主の子なのです。その上、キリストの兄弟に当たるので、聖パウロの言う通りにキリスト教徒は「キリストとともに世継ぎである」 ということになります。


【人間は、天の世継ぎを得ることが可能となった】

これは、私たちの主の犠牲によって得られる第五の報いに当たります。御受難によって、贖罪によって、私たちに天の世継ぎを得ることを可能となし給うたということです。つまり、キリスト教徒が天主の子となった時点で、天主に約束された相続・世継ぎを享受することが可能となりました。天主が御子に既に与えられた世継ぎを私たちにも分かちあうことが可能となったと同時に、その証明にもなっています。

十字架上に死に給うたおかげで、イエズス・キリストが私たちを天主の子の資格を取り戻したお陰で、永遠の命を享受することは可能となりました。ヘブライ人への手紙において、聖パウロはこう記します。「だから兄弟たちよ、私たちはイエズスの御血によって、安んじて聖所に入ることができる。」 ここで言う「聖所」は、永遠なる天に他なりません。
以上、私たちのために十字架上で得しめ給うたイエズス・キリストの諸報いをご紹介しました。


【主の功徳を霊魂に適用してこれらを享受するためには、御受難を共にしなければならない】
しかしながら、留意すべき点があります。私たちの主が十字架上のすべての人々のために死に給うたからこそ、すべての人々のためにこれらの報いをも得しめ給うたことは紛れもない事実なのです。とはいえ、私たちにとって無条件に享受できるわけではありません。私たちにとってちょっと難しい点かもしれませんけど、これらの得しめ給うた諸報いが個別の霊魂に具体的に適用できるには、言い換え得ると、私たちがこれらの報いを享受できるには、私たちもイエズス・キリストの御受難を私の分において共にしなければなりません。要するに、私たち一人一人が、自由に積極的に、イエズス・キリストの御受難の苦しみを共にすることということです。
~~


【私たちの個別の霊魂に、御受難の報いが適用できるためには、私たちの協力が必要】

聖アウグスティヌスの素晴らしい文章があります。
「天主はわれわれの同意無しに創り給うたが、われわれの同意無しに救い給うことはない」と。

要するに、我々の意志と関係ないところで、天主が私たちの創造を決め給うた一方、私たちの救済に関して、私たちの協力が求められるという意味です。つまり、救済に協力すべきというのは、自分の分として置かれた主イエズス・キリストの御受難に「共に参加・共に担う」べきだということです。コロサイ人への手紙において聖パウロがこう表現しています。「私は今あなたたちのために受けた苦しみを喜び、キリストの体である教会のために、私の体をもってキリストの苦しみの欠けた所を満たそうとする。」

この文章は、イエズス・キリストの御受難に何か欠いているという意味ではありません。欠いているところがあったとしたら、贖罪は普遍的になれないし、人類を贖罪するに足りず、贖罪の玄義でなくなってしまうわけです。だから違います。イエズス・キリストの御受難は完全で完璧なのです。

但し、私たちの個別の霊魂に御受難の報いが適用できるためには、私たちの協力が必要となっています。この意味で聖パウロが次のように表現するわけです。「私の体をもってキリストの苦しみの欠けた所を満たそうとする。」
要するに、キリスト教徒である私たちは、キリストの神秘体なる公教会の一部となりました。また、私たちの主イエズス・キリストの御血によってこそ、公教会の一員となった私たちは、御受難に協力すべきで、そして、キリストに倣って、私たちも自分の体をもって苦しむべきだという意味なのです。

イエズス・キリストが明白に仰せになった通りです。「私に従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って従え」 と。私たちの主がご自身に既に仰せになった通りですね。「救済を得たいなら、よし、贖罪なら私に任せておけ、すべてやってあげるから。但し、私に従うべきだ」と言わんばかりですね。「私が大部分の仕事を果たしてあげるが、あなたたちには小さい協力が求められるだけなのだ」と言わんばかりです。

つまり、私たち皆がキレネのシモンのようです。つまり、僅かながらも、キレネのシモンのように、イエズス・キリストに倣うべく、イエズス・キリストの御受難・木材・十字架の僅かな一部を担うべきだということです。

要するに、イエズス・キリストが得しめたもうた報いを享受するためには、私たちの霊魂にこれらの報いが適用されるためには、イエズス・キリストに従わなければならないということです。つまり、私たちの主によって、私たちのために得られた報いは、天に収まっている公教会の持っている宝のようものです。つまり、その宝を実際に入手するために、これらの報いが私たちの霊魂に注がれて適用される為に、享受しうるために、言い換えると、私たちの霊魂を活かすために私たちの主イエズス・キリストの御血が霊魂に染みるために、私たちもキリストに倣い、犠牲においてキリストに従うべきです。また、これこそが、キリストに従わない人々の不幸で悲惨なことです。

私たちの主に従うことを拒む人々は、主と犠牲を共にしない人々は、また主イエズス・キリストの十字架に背を向ける人々は、キリストの御受難で得られた私たちのための報い、つまりその宝を享受できない不幸な人々なのです。つまり、私たちの主に従わない人は、贖罪されたくないということです。悲惨です。本当に大変です。贖罪を拒むということは、サタンの奴隷のままにいたいということだからです。また、罪の奴隷のままにいたいということだからです。

しかしながら、悲惨なのは、サタンの奴隷と罪の奴隷のままにいると、当然ながら天主の正義の対象になることに関して変わらないので、天主の正義の債務者になってしまうからです。罰を何れか受けてしまうからです。

天主の正義を全うし得た御業(御受難)を共にすることを拒んでしまったら、残念ながら、全うされた正義を享受することは不可能です。つまり、十字架上の贖罪によって償われた罪という正義と天主の御憐れみを享受することは不可能となります。なぜかというと、天主の御憐れみは、天主の正義から湧いてくるからです。天主が私たちに御憐れみを垂れ給うのは、つまり私たちの惨めな状態に配慮し給うのは、正義が全うされたからです。憐れみがなぜ可能になったかというと、正義が全うされないとそれが不可能のまま残るからです。正しい生贄によって、天主に対する侮辱が取り消されない限り、御憐れみを頂くことは不可能だからです。私たちの主による罪の償いは天主の正義を全うするに足りた上、有り余るほどに溢れていたからこそ、罪が償われ、天主の子の資格が取り戻され、御憐れみを再び垂れ給うことが可能となりました。

しかしながら、十字架上における正義を全うする至上の御業を共にすることを拒んでしまう人は、(天主の子となる資格をも拒み)正義が全うされた上で与えられる御憐れみをも拒むことになってしまいます。

従って、正義を拒む人は、言い換えると、御受難においてキリストに従わない人は、天主の御憐れみから自分を少しずつ閉ざす羽目になります。サタンの奴隷のままでいることにすると、この世の奴隷のままにいると、そうなるしかありません。当然の帰結ですけれど、永遠の至福の国の享受を失ってしまうのです。つまり、天国を失ってしまうのです。天主の正義を拒む人の前に、天国の門が閉まるのです。十字架上でイエズス・キリストが獲得し給うた天国は、キリストに従わない限り、イエズス・キリストの十字架の一部を担わない限り、得られないのです。「私に従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って従え」

聖パウロはティモテオへの第二の手紙にはこう記しています。「次のことばは信じるに足りるものである。「私たちがキリストとともに死んだならまたキリストとともに生きるだろう。もし最後まで耐え忍ぶなら、私たちもキリストとともにその王国をつかさどる」」
贖罪の玄義が私たちの霊魂まで及ぶために、私たちも自分の分を尽くして、自分の十字架を担うべきです。また、悔悛の道と犠牲の道において、キリストに倣い、キリストに従うべきです。

今まで贖罪の玄義を多くの側面から見ました。正義として、御憐れみとして、愛としての立派な贖罪の玄義です。
その上、私たちが、贖罪の玄義を共にすればするほど、私たちの個別の霊魂に親しく親密な贖罪の玄義となってきます。
私たちがイエズス・キリストのカルヴァリオの丘の苦しい道に従えば従うほど、天主の御愛、御憐れみ、正義は、私たちの心をどんどん満たしてくるのです。

私たちの主は魂全体で苦しみを感じられた 【公教要理】第四十八講 贖罪の玄義[神学編] 

2019年08月07日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十八講  贖罪の玄義・神学編・その二 私たちの主は魂全体で苦しみを感じられた




私たちの主は魂全体で苦しみを感じられた

私たちの主は十字架の刑を通じて、私たちの罪を贖いました。前に、歴史上の十字架刑をご紹介したように、この世におけるいろいろな刑の中でも、全体的に言っても残酷さからいっても、十字架刑が第一でしょう。

【主は、身体と霊魂の全体で苦しまれた】
そこで、留意していただきたいのは、御受難の際に、私たちの主が身体と霊魂の全体で(或いは御自分の持っている全てにおいて)苦しみを感じられたということです。言い換えると、私たちの主の御受難において、度を超えて、表現できないほどの、言語に絶する残酷さと苦しみに及んだということです。


御受難の際に、主は身体と霊魂の全体で(或いは御自分の持っている全てにおいて)苦しみを感じました。

【外的な所有物において苦しまれた】

第一は、当然ながら外的な持ち物において苦しめられました。私たちの主は清貧でした。御自分について「人の子には枕するところもない」 と仰せになった通りです。ところが、少ない持ち物だった服装が脱がせられて奪い取られたうえに、分配されてしまいました。私たちの主の物資的な持ち物がすべて奪い取られたのです。


【身体において苦しまれた】
それから、私たちの主は、ご自分の身体において、苦しみを感じられました。以前に細かくご紹介した通りです。私たちの主が、すべての苦しみを最後まで最大限に苦しみ給うことになりました。また、私たちの主の全身が、旧約聖書のイザヤ預言者が記すように、「なま傷と、打ち身と、ただれ」 だらけでした。要するに、私たちの主は、ご自分の全身で、全体で完全に苦しみ給いました。

そればかりではなく、その上に言うべきことがあります。大体の場合は、身体の苦しみを挙げて留まることが多いですけど、確かに、身体の苦しみは分かりやすいでしょう。茨の冠による頭の御苦しみ、唾や手打ちによる顔の御苦しみ、釘により両手と両足の御苦しみ、鞭打ち刑による胴体と足の御苦しみなど。私たちの主は本当の意味で全身において苦しみ給いました。

【御霊魂においても苦しまれた:誹謗、嘲笑、侮辱】
その上に、御霊魂においても苦しみ給いました。というのも、私たちの主の名声が嘲られ蔑(ないがし)ろにされたからです。

誹謗によって御評判が屈辱的に傷つけられました。
十字架上の時でさえ、その許にいる人々が冒瀆していました。
「おい、神殿を壊して三日で建てる男よ、十字架から下りて自分で自分を救え」 とか、罵倒は止むことはありませんでした。
「あの男はイスラエルの王だ、さあ、十字架を下りよ」 とか。
また、私たちの主のご名誉も傷つけられていて、苦しみ給いました。私たちの主が嘲笑されたり、凌辱されたりしました。また、兵隊たちが私たちの主にヴェールをかぶせて、「キリストよ、当ててみろ、おまえを打ったのは誰だ」 という虐待など。


【身体の自由においても苦しめられた】
また、主は身体の自由においても苦しめられました。
全宇宙の創造者であるイエズス・キリストは、拘束されて縛られてしまいました。


【御魂においても悲しみで苦しまれた】

御魂においても悲しみで苦しみ給いました。「私の魂は死なんばかりに悲しむ」 と仰せになった通りです。そういえば、これらの悲しみは非常に激しかっただけに、それで実際に悲しみだけで死ねたということです。しかしながら、普通の人間であれば、その悲しみで亡くなったはずのところですが、私たちの主は悲しみで死なぬとされて、繰り返しますが、決め給うた時に死に給うたのです。私たちの主の御受難は、意志的である上に、自由に選ばれた御受難ですから。


【裏切られた苦しみ】
また、例えば、私たちの主は、ユダの裏切りによっても苦しみを感じられました。聖ペトロの否認によっても。オリーブ山での使徒たちの逃亡によっても。全員が逃亡してしまいました。もう一人も残りませんでした。私たちの主は、彼らを守ったけど、なんて悲しいことでしょう。御自分で選定した使徒たち、誰よりも愛していた使徒たち、三年程に一緒に暮らしていた使徒たち、ずっと教えてあげた使徒たち、叙階へ向けて育った使徒たち。この使徒たちこそが、私たちの主を見捨ててしまいました。そして、私たちの主は独りぼっちになりました。その事実も、御受難の残酷さを語ります。


【御母が苦しまれる御姿を御覧になる苦しみ】
それに、もう一つの御苦しみを付け加えるべきです。心理的な御苦しみなのです。心理的とは言っても、本当に現実にある御苦しみでした。まさに、御霊魂の一つの御苦しみでした。それは、私たちの主が十字架の許におられる御母が苦しまれる御姿を御覧になる悲痛な御苦しみなのです。幼きイエズスの神殿への奉献の際に、義人シメオンが「あなたの心も、剣で貫かれるでしょう」 と預言しました。そして、私たちの主は、全く無関心ではありません。いや逆に、度を越えて一般の人間よりも、敏感なほどに他人の苦しみを感じ取って思いやる完璧な人間であるイエズス・キリストです。

人類上、私たちの主が一番完璧な体の持主であるから、一番完璧な感覚・知能の持主でもあります。だから、過去にも現在にも未来にも、この世における一番敏感に鋭い感覚の持主です。
従って、至上に敏感に感情を鋭く感じうる私たちの主なので、愛し給うているすべての人の感情を感じずにいられないわけです。その中で、一番愛したもうている方は御自分の御母です。勿論、子どもが自分の母を愛するように愛し給うています。しかしながら、その上、いとも聖なる童貞の御霊魂を徹底的に知り給うておられるので、聖母としても非常に愛し給うています。童貞であること、無原罪であること、御宿りにおいて無原罪である、いとも聖なる童貞ですから。従って、御母のすべての苦しみを良く理解し感じられました。罪に傷つけられた私たちよりも、無原罪の聖母の苦しみの方が遥かに苦しいのです。いとも聖なる童貞の感覚や感情は深く苦しめられています。私たちの主は、ご自分の御母が苦しむのを御覧になって、深く悲しまれています。


~~

以上ご紹介したとおり、絶えずに付きまとういろいろな御苦しみを感じられ、ご自分の身体のすべての部分での御苦しみと、御霊魂のすべての部分での諸御苦しみと、そして持ち得たすべて(物質的な持ち物も精神的な評判・名声なども)においても御苦しみを感じられました。


【全ての種類の人々から苦しみを受けた】
その上、私たちの主はすべての人々によって、一人も欠かさない全人類によっても御苦しみを感じることになさいました。これも神秘なのですけれど、その意味は深いものがあります。つまり、総ての人々は、一人も欠かずに罪を犯しましたし、まだ犯していることを示します。残念ながらも、罪から逃れられる人は一人もいません。
 
裁判に渡してしまったユダヤ人たちによっても苦しまれました。また、異教徒たちによっても(兵隊たちをはじめ)苦しめられました。異教徒たちこそがイエズス・キリストを十字架に付けるのです。また、祭司と大司祭たち、律法士などのユダヤ民族における高位役人たちによっても苦しめられました。同時に、脅迫がかかった可能性はあるとしても、結果として「十字架に付けろ!」と繰り返し叫んだユダヤの大衆によっても苦しめられました。御自分の友人と弟子たちによっても苦しめられました。
要するに、総ての人々によって苦しめられました。しかも、前述したように、ちょっと違う意味でも、いとも聖なる童貞の苦しむ姿を見て苦しめられましたから、聖母によっても苦しめられました。

私たちの主はこれらすべての苦しみを受け入れ給いました。私たちに対する愛を示すためでした。
また、私たち人間が憎むべき罪、また恐怖を抱くべき罪の醜悪を示すためでした。
そして、私たち人間が悔悛の心を行うように励ますためでした。というのも、御受難の恐ろしさを見て、初めて罪の恐ろしさを理解することが出来るので、回心への奨励であります。回心とは、私たち一人一人が自分の犯した罪を見て自分で悔い改めて悔悛して、自分の犯した罪を見て苦しむということです。

同時に、恐ろしいこれらの御苦しみを受け入れ給うて、私たちの主が、苦しんでいるすべての人々のために慰めとなることになさいました。
この世には、多くの霊魂が、多くの場合に見捨てられ無視されている多くの霊魂が、内面的であれ外面的であれ苦しんでいるのです。病気によって体において苦しむか、心理的な苦しみによって、親戚の死亡によって、なんであれ、目に見えない苦しみによって、隠されている苦しみであれ、知られている苦しみであれ、私たちの主が十字架上において、私たちの慰めとなることになさいました。なぜ慰めになるかというと、つまり、私たち人間それぞれは、あり得るすべての苦しみの一部しか苦しまない一方、他方で私たちの主は、あり得るすべての苦しみをご身体と御霊魂のすべてにおいて、すべての人々によって、苦しめられ、それを受け入れ給うたからです。それは、私たちのために慰めとなり給うて、私たちが、経験している一番苦しい苦しみに置かれても、励ましとなります。

以上、十字架の聖なる生贄の恐ろしさをご紹介しました。ある種の醜悪・残酷・非道の側面を持つ生贄で、同時に至上なる優位性をも持っています。
~~

【大司祭イエズス・キリストの最高のいけにえ】
何時でも何処でも、過去においても未来においても、この上なく至上なる生贄です。なぜでしょうか。
第一、十字架の生贄における司祭が旧法のどの司祭よりも立派で優位だからです。十字架上の私たちの主は、司祭そのものでもあります。御自分を生贄としてお捧げする司祭なのです。私たちの主は、天主が選び給うた司祭であって、天主による直接の塗油を受けたキリストです。また、位格的結合による故に、司祭なのです。言い換えると、イエズス・キリストという存在において、天主の本性と人間の本性の結合によって司祭となります。神聖なる、王たる司祭職です。この司祭職に立ってこそ、私たちの主が十字架上に生贄を捧げ給うのです。

旧約聖書では、司祭たちは単なる死ぬべき人間にすぎませんでした。新約聖書では、司祭たちは私たちの主の使いであって、イエズス・キリストの名において道具として生贄を捧げることになります。ところが、イエズス・キリストの名においてのことで、私たちの主の「代わりに」はならないのです。

大司祭はイエズス・キリストしかおられません。
聖パウロのヘブライ人への手紙に記されている通りです。「キリストは永久にとどまり、変わることのない司祭職を保ち、ご自分によって天主に近づく者のために取り次ごうとして常に生き、その人々を冠に救われる。
こういう大司祭こそ私たちのために必要であった。それは清い者、罪のない者、穢れのない者であり、罪人から区別された者、天より高い者であった。」

生贄の至上たる性格はそこにあるのです。つまり、最高の司祭が捧げ給うた生贄なので、その生贄の最高の優位性が明らかとなります。


その上、十字架上の生贄の優位性は、別のところからも来ます。生贄として捧げられる十字架上の生贄の性格からもその優位性が明らかになります。
生贄を捧げる司祭は天主です。司祭は私たちの主です。
同時に、生贄自体は、犠牲自体は、私たちの主でもあります。神秘でありますけど、十字架上にイエズス・キリストが司祭と同時に生贄の犠牲でもあります。

従って、十字架上の生贄は完全なのです。旧約聖書に捧げられた犠牲は単なる動物でした。でも、新約以来、捧げられた犠牲は、私たちの主ご自身です。毎日のミサ聖祭の生贄の際に、捧げれる生贄も変りません。同じ生贄で、イエズス・キリストご自身です。流血なしに、毎日、祭壇で、イエズス・キリストが司祭としてご自分を生贄として捧げ給うのです。

十字架上の聖なる犠牲はその上なく優位なものです。司祭の優位性故に。犠牲の優位性故に。

また、いとも聖なる童貞の故でもあるといえます。私たちの主が、聖母を御自分の犠牲に参与させるので、聖母が「共贖者」となっています。言い換えると、贖罪の玄義において、聖母が共にされたということです。勿論いとも聖なる童貞は、司祭でもなんでもありません。ところが、それでも、私たちの主イエズス・キリストと共に、司祭としてではなく、十字架の許において苦しまれているので、私たちを愛する故に、また、私たちの主イエズス・キリストご自身が聖母を参与させた分だけ、犠牲として自分の苦しみを共にして、聖母が聖なる犠牲に、つまり私たちの霊魂の贖罪に参与します。

以上、聖なる生贄の残酷さと共に、十字架上に捧げられた償いの優位性をご紹介しました。


天主且つ人(神人)によって捧げられた贖罪 【公教要理】第四十七講 贖罪の玄義[神学編]

2019年08月05日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第四十七講  贖罪の玄義・神学編・その一 天主且つ人(神人)によって捧げられた贖罪




「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して」

【御受難の必要性】

贖罪の玄義を既に歴史的にご紹介しました。信経の以上の条項を読むと、「天主がこの世において托身する必要は本当にあったのだろうか、また私たち人類のために十字架上で死ぬ必要は本当にあったのだろうか」と思われるかもしれません。
確かに、天主の全能から考えてみると、勿論天主には托身する必要が全くなかったし、同じく、十字架上の生贄を捧げる必要も全くなかったのです。

天主は全能ですから、確かに絶対の次元で考えると、その必要があるとは言えなくて、意志の行為の一つだけで、恩寵一つだけで、原罪を贖うことは可能といえば可能でした。それで済んだ可能性だけはありました

ところが、天主は出来るだけ御自分の正義が最大限に全うされることをお望みになりました。ラテン語の語源でいうと「全うする」satisfacereという表現は「十分にsatis やるfacere」という意味です。つまり、「十分にやり尽くす」「全うする」というのは、正義において「償う・代償する」という意味です。何を償うかというと、天主に対する侮辱行為を償うに他なりません。天主に対する侮辱行為を償うとは、相応しく侮辱行為に値すべき代償をはらい、つぐなうということです。つまり、天主に対する侮辱行為である罪(特に原罪)を相応しく償うために、正しく正義を全うするということでその相応しい代償を払うのです

従って、天主はこの贖罪が、つまり罪の償いが、天主且つ人である存在によって捧げられるようになさったのです。要するに、真の天主であると同時に、真の人である存在によって、罪の償いを捧げさせることになさいました


【単なる被造物は、天主の正義を全うし尽くすことは出来ない】
なぜでしょうか。単なる被造物ならば、天主の正義を全うすることは到底出来ないことですから。というのも、単なる人が、罪の償いを払うことは不可能だからです。なぜでしょうか。

第一に、単純に原罪が人間の本性を堕落させてしまったので、堕落したままの人間が天主に相応しい償いを払おうとしても払えないままだからです。人間は既に堕落しているので、すべての人間の行為がそれで堕落している行為となってしまって、償いの行為でさえ穢れているので、天主に相応しくない行為となります。従って、天主に対する侮辱を代償することは堕落した時点で不可能になりました。
例えば、病者の人が重病を患っているとしましょう。健全でない故に、外からの援助なしに(例えば栄養とか休みとかの)、健全な状態を回復することはできないような感じです。原罪によって人間の本性が傷つけられてしまったので、その傷つけられた本性のままで、天主に相応しい正義を払うことは不可能となりました。

それから、侮辱行為の対象となる方によって、その侮辱行為の重みが決まります。罪とは、天主に対する侮辱行為です。ところが、天主は永遠な存在です。従って、罪(天主に対する侮辱の行為)には何か無限な邪悪さがあります。
社会上、高位に立つ方に対して侮辱行為をするとしましょう。高位であればあるほどにその侮辱行為が重くなって深刻になるでしょう。例えば国王とか、今上陛下に対して侮辱行為をしてしまったら、同じ皇位に立たない同じ名誉を持たない一般人に対する同じ侮辱行為の重みとは違うのです。勿論、侮辱行為として変わりがないのですが、その対象に対する報いるべき恩次第で、その重みが変わってきます。

ところが、天主は全能であり、至上の御稜威を持つ天主なので、天主に対する侮辱行為は、天主の無限性・永遠性の故にその重みにおいて、ある種の無限さを含んでいます。

従って、天主に対する侮辱行為において、無限性があるのなら、その侮辱行為を償うために、代償するために、侮辱行為の重みに値するために、その侮辱行為に相当するために、その代価もやっぱりある種の無限性を必要としています

しかしながら、人間は、堕落していなかったとしても、無限な代償を払うことは到底に出来ないことです。不可能です。人間は有限な存在ですから。従って、天主は、天主且つ人(神人)という存在によって、その代償を払わせることになさいました。


【人間によるつぐないであると同時に、天主によるつぐない】
以上のことを見ると、托身の玄義はどうして贖罪の玄義のためにあるかが、見えてきます私たちの主イエズス・キリストが托身するのは、また天主の本性のままでありながら人間の本性をも受けたのは、十字架上で天主に対する侮辱行為(罪)の償いを捧げることが出来るために他なりません。そうすることによって、十字架上の生贄は、人間によるつぐない(代償行為)であると同時に、天主によるつぐない(代償行為)でもあります。真の人であるが故に、人として、全人類を代表として、罪を償いながら、同時に真の天主であるが故に、無限なる代償を払い、天主に対する侮辱行為を本当に償える生贄となるのです。

~~

【托身の玄義は贖罪の玄義のためにある】

以上のように、托身の玄義は贖罪の玄義のためにこそあります。これが分かったら、以前にご紹介してきた托身の玄義に関する諸誤謬に立ってしまうと、必ず帰結的に、贖罪の玄義も崩れるということがよく理解できます。

例えば、主イエズス・キリストが真の天主ではないという誤謬に立つと、十字架上の生贄は何も価値がなくなってしまうのです。その生贄に無限性がなくなってしまうから、天主に対する侮辱行為を代償できなくなります。
逆に言うと、私たちの主イエズス・キリストが真の人ではないという誤謬に立つと、十字架上の生贄は人間による生贄でなくなってしまうので、無限性があっても、私たち人間にとって何の価値もなくなります。
だから、罪を負わずに、私たちの主は人間の一人として托身なさいました。罪を経験したこともないままに、聖パウロが言うように、「天主は罪を知らなかったお方(イエズス)を私たちのために罪となされた」 ということです。総ての人々、全人類の名において、全人類のために償うためにこそ、イエズスが罪とみなされたということです。

以上の通り、罪を償うために、私たちの主は、真の人と同時に真の天主である必要がありました

ご受難というのは天主に対する全人類による侮辱行為(原罪)を償うために、天主が選び給った手段である上に、私たちの主イエズス・キリストによって受け入れ給うた手段でした。
従って、十字架上で払われた代償が、繰り返すと、ラテン語で「十分な代償」でとあるように、その侮辱行為を償うに足りる代償だったという意味です。天主に対する侮辱行為に相当する代償は、その正義を全うすることで、代価となり得ました。


【私たちの主は、自由に苦しみを受け入れた】
従って、十字架上に払われた代償の第一の特徴は、意志的な行為だったということです。私たちの主イエズス・キリストの自由意志による自由な行為です。「その命は私から奪い取るのではなく、私がそれを与える」
また、十字架上に死ぬ直前に私たちの主が「父よ、私の霊を御手にゆだねます」 と仰せになりました。要するに、まさに「その命は私から奪い取るのではなく、私がそれを与える」 ということです。
~~

私たちの主は、自由に苦しみを受け入れ給うた。言い換えると、意志的な行為で、苦しみを受け入れ給った。十字架上の代償の第一の特性なのです。

十字架上の代償(あるいは償い)の第二の特性は、前述したように、正義を満足させるに相応するということです。言い換えると、代償は侮辱行為の度合いに相当します。
主の位格的結合によって、言い換えると天主の第二の位格が人間の本性を受けるという位格的結合によって、そのイエズスの苦しみは、天主に対する侮辱行為をつぐなうに相当する価値を持つのです。


【罪の償いは有り余って溢れるほど大きい】
さらにその上に言うべきことがあります。イエズス・キリストによる原罪の代償は原罪という侮辱行為に相当するだけはなく、有り余るほどの代償となっています。言い換えると、罪の値が支払われ、その代償で償われただけではなく、その上、罪よりも代償の価値が遥かに上回るということです。イエズス・キリストが払い給った代償が有り余るほど大きかったからこそ、これは素晴らしい事で、キリスト教徒に大きな希望を与える事実です。

私たちの主イエズス・キリストの御受難は、代償として、有り余って無限に余分があるのです。要するに、十字架上の御死去において、代償の価値として、過剰にして余分があるのです。溢れる余分がある。言い換えると、溢れる愛の過剰に他なりません。惨めな被造物に過ぎない私たち人間をどれほど愛し給うたか、代償の溢れる余分をもって改めて示し給うたのです。
イエズス・キリストにおいて、主の「みもとには豊かな贖いがある」 と詩編で唱えています。また、ローマ人宛てに、聖パウロがこう言います。「しかし罪が増(ま)したところには、それ以上に恩寵が溢れるばかりのものとなった」 。罪がどれほどこの世に多くあるとしても、それ以上に恩寵が溢れているということです。

教父聖ヨハネス・クリュソストモスによると、以上の溢れる代償に関して、こう記しています。「正義を満足させた代償は、愛を満足するに足りなかった(=天主の愛はさらに大きい)。」
以上にご紹介したように、罪の償いはどうやって有り余って溢れるかという第三の特性を見ました。


【十字架上の贖いは普遍的】
つづいて、もう一つ挙げるべき点があります。必ず留意すべき点です。十字架上の代償は普遍的です。第四の特性です。
代償の第一の特性は、意志的な代償。或いは自由に選ばれた代償
代償の第二の特性は、罪を完全に満足させる代償
そればかりではなく、それ以上に代償の第三の特性は有り余る代償
そして、代償の第四の特性は普遍的な代償です。

その普遍性は、代償の有り余る特性から必然となります。
要するに、私たちの主イエズス・キリストが、一人一人のすべての人のためにこそ死に給うたということです。一人も除かず、一人も欠かずに全人類のために代償を払い給ったのです。

黙示録において、聖ヨハネがこう記します。「あなたはほふられ、その血によって、すべての部族とことばと民と民族の者たちを天主のためにあがなわれたからである」 。

救いとは普遍的です。天主は一人一人のすべての人々の救済をお望みです。それで、十字架上に死に給うたことによって、有り余る代償を捧げ給うたことによって、天主である主イエズス・キリストが、過剰なほどに私たち人間を愛し給うだけではなく、一人も欠かず全人類の皆のすべての罪を償い給うたことを示されています。
また同じく、天主である私たちの主イエズス・キリストがすべての人々の救済をお望みになっていることを示されています。

従って、十字架上で払われた代償が、全人類の救済のためにすべての霊魂の救済のためであるがゆえに普遍的である上、罪から見ても普遍的です。つまり、一つも欠かさずにすべての罪は、御受難のお陰で、もう既に償われたということにおいて、普遍的な代償なのです。
つまり、「私の犯した罪は、赦され得ないほど重すぎる罪だ」とは誰も言うことができないのです。不可能です。それを言い出したことにおいてこそ、ユダ・イスカリオトの罪があります。ユダが自分の主を裏切ったこと、金のために主を渡したことを自覚すると、聖書によるとユダが「後悔した」とあります 。従って、ユダは自分が罪を犯したということが分かっていました。またその重みをも感じていました。ところが、望徳を持ち続けて私たちの主イエズス・キリストの方に向かうよりも、私たちの主のお赦しを乞うよりも、(因みに、イエズス・キリストの人生において、頼まれたらすぐに罪を何度も何度も赦す例が多いのです)赦しを乞いに行くよりもユダは「私の罪は重すぎて大きすぎる」と勝手に決めてしまいました。

一方、聖ペトロもユダと同じようにご自分の主を否認します。「そんな人は知らぬ」 と言い出してしまいましたね。重い罪です。つまり、私たちの主イエズス・キリストに対する、天主に対する直接な侮辱行為に他なりません。三度も聖ペトロは自分の主を否認しました。しかも、罵倒も加えて、軽蔑表現も加えて、罪がより重くなります。しかも天主のすぐ近くにいた聖ペトロ、また、私たちの主に何度も自分の忠実を約束していた聖ペトロです。「主よ、私はあなたのために命を捨てます」 とか言っていた聖ペトロですよ。その分に罪が重くなります。聖ペトロは自分の主を否認しましたが、一瞬、私たちの主の目線と交わし、私たちの主の御憐れみを感じます。勿論、聖ペトロが一生ずっと深く後悔して最期までその罪を思い出して涙を流していました。また当然のことで、自分が犯した罪の償いとして、いろいろ犠牲を払おうとしました。「しかし罪が増(ま)したところには、それ以上に恩寵が溢れるばかりのものとなった」 のです。
聖ペトロの罪を赦し給うたのは、私たちの主の御受難は、すべての罪を償う代償だったからこそで、主の御受難が普遍的だったからです。
「キリストは私たちの罪のとりなしをされる生贄である。いや、ただ私たちの罪だけのためではなく全世界の罪のためである」 。

私たちの主イエズス・キリストの償い、代償、生贄によって、私たち皆が、一人も例外なく救われることは可能です。

ライフサイトニュースの記事―東京のマーチフォーライフの行列は祈りとプロライフの証しを日本に運ぶ

2019年08月02日 | マーチフォーライフ
ライフサイト記事 「東京のマーチフォーライフの行列は祈りとプロライフの証しを日本に運ぶ。」
の日本語訳をご紹介します。

2019年7月29日(LifeSiteNews) 2019年、300名以上がファチマの聖母と共に東京でマーチフォーライフを行った。

毎年恒例のプロ・ライフの行進は、7月15日月曜日、日本の休日である海の日に行われた。マーチ参加者の数は慎ましい300名だったが、2名の司教たちと数名の司祭がマーチに参加し、日本と世界中の命の文化のために祈った。







マーチフォーライフは、東京の築地カトリック教会から7月15日午後4時半に始まった。その前には、二名の司教たち、すなわち、鹿児島司教区の中野司教と大阪大司教区の補佐司教である酒井司教らの共同司式のミサが捧げられた。これらの司教たちの他にも7名のカトリック司祭らが300余名のマーチ参加者と共に築地カトリック教会から日比谷公園まで歩いた。

フィリピンからは、ヒューマン・ライフ・インターナショナル(HLI)のアジア・オセアニア地域責任者であるリガヤ・アコスタ博士、台湾からは、聖ジアンナ・プロ・ライフ・センターのシスター・フィデリスがその他の修道女らと、香港マーチフォーライフのジョウ・ウッダード氏も参加した。





行列の後尾には五・六十名の参加者らがファチマの聖母の像と共にロザリオを祈っていた。これらの祈りに満ちた人たちは、堕胎や同性愛や安楽死などが天主に対する反抗の精神の結果であること、罪の精神、サタンの精神そのものであると確信していた。自由放埒と個人主義の精神は、革命の精神そのものであり、天主に対する憎しみの精神である。天主からの贈り物である人間の命を軽蔑することにより、人間は天主をその玉座から退けて、その代わりに自分が玉座に着こうとしている。天主の無き人間主義は、不可避的に人間の死へと導く。

人間社会全体は、死の文化と社会の自殺へと押し流されている。数を比較すれば、人間的な見方によると、東京でのマーチの規模は全く大したことが無い。しかし、このマーチは政治的なデモではない。そうではなく信仰宣言という超自然の行為である。天主のみが人間の命の創り主である。天主は命そのものである。この命は人間となってこう言われた。「私は道、真理、命である」と。天主の御言葉は人となって、人間の命を大切にされ、病の人々を癒やしたり、死者を蘇らせたりもした。





罪のない胎児の命を軽視する人々は、イエズス・キリストの事業も軽視し、従って、天主御自身をも軽視する。彼らは、弱い者、病の者、ハンディキャップを負った者、老人たちを重荷だと軽蔑する。ヴァンサン・ランベールがどのように死を宣告されたかを見よ!

1917年ファチマで3人の牧童たちに聖母は地獄のビジョンを見せた。子供たちは多くの霊魂が冬の雪のように地獄に降り落ちるのを見た。2019年、死の文化とその仕業を通して、数え切れない多くの霊魂たちが、今この瞬間、地獄の永遠の火の中に降り落ちている。





だから、マーチフォーライフの参加者らにとって最も重要なことは祈りだ、特に聖なるロザリオの祈りだ。彼らは、聖母を高々と公に担ぎながら祈った。そうすることによって彼らは、命そのものであるイエズス・キリストと目的を一つにし、キリストに属していることを宣言した。彼らは、最も高貴な命、私たちの内にある超自然の命のために歩いた。

「かれに生命があり、生命は人の光であった。光はやみに輝いたが、やみはかれを悟らなかった。」(ヨハネ1:4-5)



ファチマの聖母よ、我らのために祈り給え!
秋田の聖母よ、我らのために祈り給え!

-------

ライフサイトニュース記事の英語原文はこちらです

Tokyo March for Life procession brings prayer, pro-life witness to Japan

July 29, 2019 (LifeSiteNews) — More than 300 people made the March for Life in Tokyo with Our Lady of Fatima in 2019.

The annual pro-life march was held on Monday, July 15, which is Marine Day (one of Japan's public holidays). Though the number of marchers was a modest 300, there were two bishops and several priests who also joined the march, praying for a culture of life in Japan and around the world.







The March for Life started at Tsukiji Catholic Church (Tokyo) at 4:30 pm on July 15 after a Mass concelebrated there by two Japanese bishops, Bishop Nakano (Diocese of Kagoshima) and Bishop Sakai (auxiliary bishop of Osaka). Besides these bishops, seven Catholic priests also joined the 300 marchers in their walk from Tsukiji Catholic Church to Hibiya Park.

Dr. Ligaya Acosta from the Philippines, who is the Asia-Oceania regional director of Human Life International (HLI), and Sr. Fidelis of St. Gianna Prolife Center, along with other sisters from Taiwan, also joined the march, as did Mr. Joe Woodard of March for Life Hong Kong.





At the end of the procession, 50 to 60 people were praying the Holy Rosary in the company of a statue of Our Lady of Fatima. These prayerful witnesses were convinced that abortion, homosexuality, euthanasia, and so on are the result of a spirit of revolt against God, a spirit of sin, the very spirit of Satan. The spirit of license and individualism is nothing else but the spirit of revolution, of hatred against God. By scorning human life, which is a gift from God, man wants to dethrone God and to be enthroned in God's place. Humanism without God leads inevitably to the death of man.

The entire human society is now pushed to the culture of death and to societal suicide. By comparison, humanly speaking, the scale of the March in Tokyo is ridiculously small. However, this march is not a political demonstration, but rather a supernatural act of profession of faith. God alone is the author of human life. God is Life itself. This Life became man and said: I am the way, the truth, and the LIFE. The Divine Word Who became man respected human lives, such as by curing the sick and bringing the dead back to life.





Those who mock the life of the innocent fetus mock the work of Jesus Christ and therefore of God Himself. They scorn the lives of the weak, the sick, the handicapped, and the aged as a burden. Look how Vincent Lambert was condemned!

Our Lady showed a vision of hell to three shepherds in Fatima in 1917. The children saw so many souls falling into hell like snow in winter. In 2019, through the culture of death and its works, innumerous souls are falling down into the eternal fire of hell, right now.





Thus, the most important action for the marchers for life was prayer, especially the holy rosary. They prayed while carrying aloft Our Lady publicly in such a way that they proclaimed their unity of purpose and their belonging to the LIFE, Jesus Christ. They walked for the highest life, the supernatural life within us.

"In him was life, and the life was the light of men. And the light shineth in darkness, and the darkness did not comprehend it." (John 1:4-5)



Our Lady of Fatima, pray for us!

Our Lady of Akita, pray for us!