天主の十戒の第五戒「汝殺すなかれ」についてフランソワ・レネー神父様のお説教より
第四戒は、天主から私たちが受けた命を私たちに与えてくれた両親へ捧げるべき敬意について定めていましたが、次の掟は人間の命それ自体を尊重するよう私たちに命じています。「汝殺すなかれ!」(脱出[出エジプト]20章13節)。
人間の命を尊重すべき根本的理由として真っ先に挙げられるのは、人間の命は天主のみわざであるからです。
「天主に似せて、天主にかたどって」(創世記1章26節)つくられた、地上における最も高貴な被造物(である人間)を傷つけること、ましてや破壊することは許されていません! 私たち自身の命でさえもです。
なぜなら、私たちは自分の命をつくったのではなく、天主からそれを受けたのであり、それゆえにそれを正しく扱わなければならないからです。
このため、自殺は重い罪であり、誰も自分の命は自分のものだと言って言い逃れをすることはできません。
私たちには、天主が与えてくださったものを破壊することは許されていません。(...)
隣人の命を尊重すべき第二の理由は、主によって与えられています。「他人からしてほしいと思うことを、あなたたちも他人に行え。これが律法であり預言者である」(マテオ7章12節)。私たちは、隣人が私たちの命を尊重するよう望むのですから、私たちも隣人の命を尊重すべきです。
罪のない者を殺すことは、常に非常に重い罪です。
不幸なことに、私たちの現代世界では、そんな殺人が増えてしまっています、特に妊娠中絶によって、また今では安楽死によって。
中絶は特に重大な罪です。
なぜなら、中絶が天主の四つの掟に反するのみならず、その罪をさらに悪くする三つの事情を伴うからです。
罪のない赤ちゃんを殺すことですから、明らかに第五戒に反しています。
親が子どもに対して持たねばならない気遣いに反する罪の中で、殺害以上のものはないのですから、第四戒に反しています。
命の伝達を最終的に破壊することですから、第六戒に反しています。
最後に、子どもから洗礼の機会を奪うのですから、第一戒に反しています。
これら四つの大罪に加え、その罪をさらに悪くする三つの事情があります。
被害者に罪がなければないほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど罪のない者がいるでしょうか?
被害者が弱ければ弱いほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど弱い者がいるでしょうか?
最後に、殺人が残酷であればあるほど、さらに悪いものとなります。
ところで、中絶にはしばしば、子どもの体の切断や、あるいは、大人に対してなされたとすれば、その残酷さのために世界に衝撃を与えるであろうほどのひどい行為が含まれています。
このすべてに加えて、母親自身、そして父親がしばしば受ける肉体的かつ心理的な害をも考えるべきです。
教会には、このような罪に対して厳しい罰がいくつかあることを誰でも理解するでしょう。
しかし、天主の御あわれみは、最悪の罪よりも、更に大いなるものであり、そのため、そんな残酷な罪にさえも御あわれみの余地があります。
しかし、それには本当の悔悛が必要であり、生活を本当に改めることが必要です。
その罪の償いをする一つの良い方法は、プロライフ運動で活動することです。
また、中絶の罪に陥ってしまったすべての人々が回心の恩寵を得るために、信者の側でも多くの祈りと償いが必要です。
第五戒が、人間の胚についての実験や、家族計画として行われているような、中絶された胎児から取られた人体の一部の売買を禁じているのは明らかです。
そのような人体の一部を販売する中絶クリニックや、実験のためそれを購入する研究所はどちらも、とんでもない罪を犯しています。
政治家たちがそのようなことを許したとしても、それでそれらの行為が合法化されるのでは決してありません。
むしろ人間の胚についての実験を行うことを認可する政治家たちは、彼らの法律が承認したこれらの罪で自らを有罪とするのです。そんな政治家には誰も投票すべきではありません。(...)
体の損傷の典型的な例は、断種や不妊にすることであり、(不妊手術のような)永久に続くものだけでなく、避妊のような「一時的な」ものであってもそうです。これは、子どもを得るという自然の能力を破壊し、損傷の一種であって、第五戒によって禁じられています。
それゆえに、そのような損傷の行為は二つの大罪をおかします。一つは、それが損傷であるがゆえに第五戒に反するのであり、もう一つは命を伝達させる力を乱用するというその動機のゆえに第六戒に反します。
現代の世界では、医者はしばしば、女性たちに対して、最初の出産あるいは二番目の出産のあと不妊手術をするよう圧力をかけますが、良き母親は、天主に忠実であるように、その圧力に対して抵抗しなければなりません。(...)
私たちの主イエズス・キリストは、身体的な害ではなく、あわれみを実践することをお求めになります。「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた…まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらのもっとも小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章35-36,40節)。このようなあわれみを実践することは、第五戒に反する罪の償いをする素晴らしい方法です。
優しき童貞、全ての母親の模範である童貞聖マリアに祈りましょう。私たちが人の命を尊重し、赦しと柔和、あわれみの徳を実践するよう、私たちを助けてくださいますように。
あわれみの御母、われらのために祈り給え! ああ、心の柔和、けんそんなるイエズス、われらをあわれみ給え、われらの心を聖心にあやからしめ給え! アーメン。
第四戒は、天主から私たちが受けた命を私たちに与えてくれた両親へ捧げるべき敬意について定めていましたが、次の掟は人間の命それ自体を尊重するよう私たちに命じています。「汝殺すなかれ!」(脱出[出エジプト]20章13節)。
人間の命を尊重すべき根本的理由として真っ先に挙げられるのは、人間の命は天主のみわざであるからです。
「天主に似せて、天主にかたどって」(創世記1章26節)つくられた、地上における最も高貴な被造物(である人間)を傷つけること、ましてや破壊することは許されていません! 私たち自身の命でさえもです。
なぜなら、私たちは自分の命をつくったのではなく、天主からそれを受けたのであり、それゆえにそれを正しく扱わなければならないからです。
このため、自殺は重い罪であり、誰も自分の命は自分のものだと言って言い逃れをすることはできません。
私たちには、天主が与えてくださったものを破壊することは許されていません。(...)
隣人の命を尊重すべき第二の理由は、主によって与えられています。「他人からしてほしいと思うことを、あなたたちも他人に行え。これが律法であり預言者である」(マテオ7章12節)。私たちは、隣人が私たちの命を尊重するよう望むのですから、私たちも隣人の命を尊重すべきです。
罪のない者を殺すことは、常に非常に重い罪です。
不幸なことに、私たちの現代世界では、そんな殺人が増えてしまっています、特に妊娠中絶によって、また今では安楽死によって。
中絶は特に重大な罪です。
なぜなら、中絶が天主の四つの掟に反するのみならず、その罪をさらに悪くする三つの事情を伴うからです。
罪のない赤ちゃんを殺すことですから、明らかに第五戒に反しています。
親が子どもに対して持たねばならない気遣いに反する罪の中で、殺害以上のものはないのですから、第四戒に反しています。
命の伝達を最終的に破壊することですから、第六戒に反しています。
最後に、子どもから洗礼の機会を奪うのですから、第一戒に反しています。
これら四つの大罪に加え、その罪をさらに悪くする三つの事情があります。
被害者に罪がなければないほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど罪のない者がいるでしょうか?
被害者が弱ければ弱いほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど弱い者がいるでしょうか?
最後に、殺人が残酷であればあるほど、さらに悪いものとなります。
ところで、中絶にはしばしば、子どもの体の切断や、あるいは、大人に対してなされたとすれば、その残酷さのために世界に衝撃を与えるであろうほどのひどい行為が含まれています。
このすべてに加えて、母親自身、そして父親がしばしば受ける肉体的かつ心理的な害をも考えるべきです。
教会には、このような罪に対して厳しい罰がいくつかあることを誰でも理解するでしょう。
しかし、天主の御あわれみは、最悪の罪よりも、更に大いなるものであり、そのため、そんな残酷な罪にさえも御あわれみの余地があります。
しかし、それには本当の悔悛が必要であり、生活を本当に改めることが必要です。
その罪の償いをする一つの良い方法は、プロライフ運動で活動することです。
また、中絶の罪に陥ってしまったすべての人々が回心の恩寵を得るために、信者の側でも多くの祈りと償いが必要です。
第五戒が、人間の胚についての実験や、家族計画として行われているような、中絶された胎児から取られた人体の一部の売買を禁じているのは明らかです。
そのような人体の一部を販売する中絶クリニックや、実験のためそれを購入する研究所はどちらも、とんでもない罪を犯しています。
政治家たちがそのようなことを許したとしても、それでそれらの行為が合法化されるのでは決してありません。
むしろ人間の胚についての実験を行うことを認可する政治家たちは、彼らの法律が承認したこれらの罪で自らを有罪とするのです。そんな政治家には誰も投票すべきではありません。(...)
体の損傷の典型的な例は、断種や不妊にすることであり、(不妊手術のような)永久に続くものだけでなく、避妊のような「一時的な」ものであってもそうです。これは、子どもを得るという自然の能力を破壊し、損傷の一種であって、第五戒によって禁じられています。
それゆえに、そのような損傷の行為は二つの大罪をおかします。一つは、それが損傷であるがゆえに第五戒に反するのであり、もう一つは命を伝達させる力を乱用するというその動機のゆえに第六戒に反します。
現代の世界では、医者はしばしば、女性たちに対して、最初の出産あるいは二番目の出産のあと不妊手術をするよう圧力をかけますが、良き母親は、天主に忠実であるように、その圧力に対して抵抗しなければなりません。(...)
私たちの主イエズス・キリストは、身体的な害ではなく、あわれみを実践することをお求めになります。「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた…まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらのもっとも小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章35-36,40節)。このようなあわれみを実践することは、第五戒に反する罪の償いをする素晴らしい方法です。
優しき童貞、全ての母親の模範である童貞聖マリアに祈りましょう。私たちが人の命を尊重し、赦しと柔和、あわれみの徳を実践するよう、私たちを助けてくださいますように。
あわれみの御母、われらのために祈り給え! ああ、心の柔和、けんそんなるイエズス、われらをあわれみ給え、われらの心を聖心にあやからしめ給え! アーメン。