ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

人工妊娠中絶は何故邪悪なのかについて-フランソワ・レネー神父

2017年07月31日 | プロライフ
天主の十戒の第五戒「汝殺すなかれ」についてフランソワ・レネー神父様のお説教より


第四戒は、天主から私たちが受けた命を私たちに与えてくれた両親へ捧げるべき敬意について定めていましたが、次の掟は人間の命それ自体を尊重するよう私たちに命じています。「汝殺すなかれ!」(脱出[出エジプト]20章13節)。

人間の命を尊重すべき根本的理由として真っ先に挙げられるのは、人間の命は天主のみわざであるからです。

「天主に似せて、天主にかたどって」(創世記1章26節)つくられた、地上における最も高貴な被造物(である人間)を傷つけること、ましてや破壊することは許されていません! 私たち自身の命でさえもです。

なぜなら、私たちは自分の命をつくったのではなく、天主からそれを受けたのであり、それゆえにそれを正しく扱わなければならないからです。

このため、自殺は重い罪であり、誰も自分の命は自分のものだと言って言い逃れをすることはできません。

私たちには、天主が与えてくださったものを破壊することは許されていません。(...)

隣人の命を尊重すべき第二の理由は、主によって与えられています。「他人からしてほしいと思うことを、あなたたちも他人に行え。これが律法であり預言者である」(マテオ7章12節)。私たちは、隣人が私たちの命を尊重するよう望むのですから、私たちも隣人の命を尊重すべきです。

罪のない者を殺すことは、常に非常に重い罪です。

不幸なことに、私たちの現代世界では、そんな殺人が増えてしまっています、特に妊娠中絶によって、また今では安楽死によって。

中絶は特に重大な罪です。

なぜなら、中絶が天主の四つの掟に反するのみならず、その罪をさらに悪くする三つの事情を伴うからです。

罪のない赤ちゃんを殺すことですから、明らかに第五戒に反しています。

親が子どもに対して持たねばならない気遣いに反する罪の中で、殺害以上のものはないのですから、第四戒に反しています。

命の伝達を最終的に破壊することですから、第六戒に反しています。

最後に、子どもから洗礼の機会を奪うのですから、第一戒に反しています。

これら四つの大罪に加え、その罪をさらに悪くする三つの事情があります。

被害者に罪がなければないほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど罪のない者がいるでしょうか? 

被害者が弱ければ弱いほど、殺人はさらに悪いものとなります。
ところで、おなかの中の赤ちゃんほど弱い者がいるでしょうか? 

最後に、殺人が残酷であればあるほど、さらに悪いものとなります。
ところで、中絶にはしばしば、子どもの体の切断や、あるいは、大人に対してなされたとすれば、その残酷さのために世界に衝撃を与えるであろうほどのひどい行為が含まれています。

このすべてに加えて、母親自身、そして父親がしばしば受ける肉体的かつ心理的な害をも考えるべきです。

教会には、このような罪に対して厳しい罰がいくつかあることを誰でも理解するでしょう。

しかし、天主の御あわれみは、最悪の罪よりも、更に大いなるものであり、そのため、そんな残酷な罪にさえも御あわれみの余地があります。

しかし、それには本当の悔悛が必要であり、生活を本当に改めることが必要です。

その罪の償いをする一つの良い方法は、プロライフ運動で活動することです。

また、中絶の罪に陥ってしまったすべての人々が回心の恩寵を得るために、信者の側でも多くの祈りと償いが必要です。

第五戒が、人間の胚についての実験や、家族計画として行われているような、中絶された胎児から取られた人体の一部の売買を禁じているのは明らかです。

そのような人体の一部を販売する中絶クリニックや、実験のためそれを購入する研究所はどちらも、とんでもない罪を犯しています。

政治家たちがそのようなことを許したとしても、それでそれらの行為が合法化されるのでは決してありません。

むしろ人間の胚についての実験を行うことを認可する政治家たちは、彼らの法律が承認したこれらの罪で自らを有罪とするのです。そんな政治家には誰も投票すべきではありません。(...)

体の損傷の典型的な例は、断種や不妊にすることであり、(不妊手術のような)永久に続くものだけでなく、避妊のような「一時的な」ものであってもそうです。これは、子どもを得るという自然の能力を破壊し、損傷の一種であって、第五戒によって禁じられています。

それゆえに、そのような損傷の行為は二つの大罪をおかします。一つは、それが損傷であるがゆえに第五戒に反するのであり、もう一つは命を伝達させる力を乱用するというその動機のゆえに第六戒に反します。

現代の世界では、医者はしばしば、女性たちに対して、最初の出産あるいは二番目の出産のあと不妊手術をするよう圧力をかけますが、良き母親は、天主に忠実であるように、その圧力に対して抵抗しなければなりません。(...)

私たちの主イエズス・キリストは、身体的な害ではなく、あわれみを実践することをお求めになります。「あなたたちは、私が飢えていたときに食べさせ、渇いているときに飲ませ、旅にいたときに宿らせ、裸だったときに服をくれ、病気だったときに見舞い、牢にいたときに訪れてくれた…まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらのもっとも小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである」(マテオ25章35-36,40節)。このようなあわれみを実践することは、第五戒に反する罪の償いをする素晴らしい方法です。

優しき童貞、全ての母親の模範である童貞聖マリアに祈りましょう。私たちが人の命を尊重し、赦しと柔和、あわれみの徳を実践するよう、私たちを助けてくださいますように。

あわれみの御母、われらのために祈り給え! ああ、心の柔和、けんそんなるイエズス、われらをあわれみ給え、われらの心を聖心にあやからしめ給え! アーメン。

日本の2016年の年間の出生数は最少の98万1202人で、初めて100万人を切った

2017年07月30日 | プロライフ
日本人口減、過去最大30万人 8年連続 今年の人口動態調査 41道府県で減 少子化、東京集中止まらずからの引用です。

●日本人は2016年の間に30万8084人減少した。
●8年連続の減少。
●減少幅が30万人を超えたのは1968年の調査開始以来初めて。
●年間の出生数は最少の98万1202人で初めて100万人を切った。
●出生数から死亡数を引いた「自然減」は過去最多の32万8313人で10年連続。●人口増トップの東京でも、0・60%増の7万7400人に過ぎない。
●41道府県で人口減。
●三大都市圏の人口が増えたのは東京圏だけ。名古屋圏と関西圏は減少。



総務省が5日発表した今年(2017年)1月1日時点の住民基本台帳に基づく人口動態調査によると、国内の日本人は前年(2016年)より30万8084人少ない1億2558万3658人だった。8年連続の減少で、減少幅が30万人を超えたのは昭和43年の調査開始以来、初めてとなった。

年間の出生数は最少の98万1202人で初めて100万人を切った。また、出生数から死亡数を引いた「自然減」は過去最多の32万8313人で10年連続となった。

人口が増えたのは6都県にとどまり、東京は0・60%増の7万7400人と増加率、数ともにトップで、「東京一極集中」が加速している。ほかの5県は神奈川、埼玉、千葉、愛知、沖縄だった。人口が減ったのは41道府県に上り、減少率は秋田、減少数は北海道が最も大きい。

東京、名古屋、関西の三大都市圏の合計は6453万258人。全国に占める割合は51・38%に達した。ただ、増えたのは東京圏だけで名古屋圏と関西圏は減少している。

人口の年齢別割合は14歳以下の12・69%に対し、65歳以上はその2倍を超える27・17%で、少子高齢化に一段と拍車がかかっている。15~64歳の生産年齢人口は60・14%だった。

一方、日本に住民登録している外国人は、前年比6・85%増の232万3428人で、全ての都道府県が増えた。日本人と合わせた総人口は1億2790万7086人で、前年を15万9125人下回った。

そろそろ真剣に受け止めなければ、取り返しがつかなくなる

2017年07月28日 | プロライフ
内閣府が算出した「最悪のシナリオ」これが33年後の現実だ!「人口8000万人」の日本で起きることからの引用です。

●団地も高級マンションもガラガラ。
●インフラは維持できない。下水道、道路は壊れたまま。救急車、パトカーもすぐ来ない。
●年金は78歳から。所得税だけで50%。
●食堂も学校も潰れる。教師が失業する。
●街がまるごと死んでいく
●静岡市のような「住みやすいごく普通の街」こそが、日本で最も急速に滅び消滅してゆく。
●日本各地を代表する観光地や都市が、3分の2、あるいは半分に縮小してしまう。
●地方都市は、『幽霊都市』になってしまう。
●「住みやすいだけの街」が、急速に衰退する「死にゆく街」となる。
●2040年日本の総人口は1億人を切る。その先も容赦なく減り続け、生活水準も、下り坂を転げ落ちるように悪化してゆく。
●所得税だけで50%を持っていかれてしまうような「超高税率社会」が現実になる。
●給料袋にはたった1割しか入っていない。
●地方都市では空き家の激増が社会問題化。
●建物は老朽化が進み、住民がいなくなってゆく。現在の団地で起きていることが未来の高級マンションでも再現する。
●一気に高齢化が進む都市部では、税収が急減し、自治体が機能不全に陥り、『スラム化』する。
●2040年時点の14歳以下の子供たちの数は、2010年と比べ36%も減っている。
●これまで何十年も「将来、少子高齢化と人口激減で大変なことになる」と口では言い続けてきたが、何ひとつ行動を起こそうとしなかった。今、過酷な未来を避ける手立ては、もはやなくなっている。
●後戻りのきかない「人口激減時代」に足を踏み入れたことを、そろそろ真剣に受け止めなければ、取り返しがつかなくなる。



団地はもとより高級マンションもガラガラ。下水道、道路は壊れたまま。所得税だけで50%。救急車、パトカーを呼んでもすぐ来ない。年金は78歳から スナック、バー、レストランは半分潰れる。大学と予備校も次々潰れる。多くの先生が職を失うーー。
街がまるごと死んでいく

「大御所」徳川家康が天下統一後の晩年を過ごし、かつては日本で指折りの大都市だった静岡市。この古都が「人口激減」の衝撃に揺れている。

「市の人口は、ピークの時期には74万人近くいましたが、ここ20年は減り続けていて、今年4月の統計でついに70万人を割り込みました」

全国に20ある政令指定都市の中で、静岡市では最も急激に人口が減っている。危機感を募らせた市は、「人口減少対策推進本部」という専門の部署を設けた。解説するのは、同対策本部に籍を置く市の職員だ。

「目標は『2025年に人口70万人を維持』ですが、このままでは厳しい。静岡は東西へのアクセスがいい街です。これは善し悪しで、東京にも名古屋にもすぐ行けるぶん、出て行く人も多い。やはり若者は、進学や就職を機に、生まれ育った街を離れてしまうんです」

国立社会保障・人口問題研究所のまとめた予測によると、静岡市の人口は、2040年には現在の約70万人から2割も減って、56万人弱となる。現状維持どころか、静岡市は、政令指定都市の称号さえ、「剥奪」という憂き目に遭いかねない――。

もともと静岡市は、合併を繰り返して人口を増やしてきた自治体だ。その結果、日本の市の中で5番目の面積を誇るまでになった。つまり、政令指定都市と言っても大部分が「田舎」ということだ。

事実、記者が郊外に向かって車を走らせると、県庁所在地とは思えないほどに田畑の面積が増えてゆき、逆に住宅はまばらになってゆく。市の西部、用宗駅近くに住む60代男性は、縮んでゆく街と無策な行政へのいら立ちを吐露した。

「このへんは本当、何にもないんだよ。老人ばっかりだし、若者は出て行ったきり戻ってこないし、最近は空き家も多い。かといって、こんなところにわざわざ移り住んでくる奇特な人もいないし、企業が来るわけでもないから仕事だってない。

市は最近になって急に『人口70万人を死守するぞ』なんてキャンペーンを始めたみたいだけど、せっかくもらった政令指定都市の名前を失いたくないだけよ。

今までずっと、『放っといても何とかなる』と胡坐をかいていたくせに、本当に行政って何もしないんだよ。

例えば、静岡駅には新幹線が停まるでしょ。でも新静岡駅(私鉄の静岡鉄道の駅)と1km近く離れてて、全然連携してないんですよ。高校も大学も駅から遠い。これじゃ県外から人は来ないよね」

静岡市民が必ず口にするのは、「静岡市はとても住みやすい街だ」という言葉である。

確かに、気候は暑くもなく寒くもなく、海産物も農作物も豊かで何を食べてもうまい。少し車を走らせれば大きなショッピングモールも、レストランもある。暮らしてゆくうえで不便なところは何ひとつない。

だが、静岡市のような「住みやすいごく普通の街」こそが、この先人口が激減してゆく日本で、最も急速に滅び、消滅してゆくのである。そしてこうした街は、日本中の至るところに存在する。

地方には就職先もない

前述した、国立社会保障・人口問題研究所の人口推移予測では、「2010年に比べて、2040年にどれくらい人口が減っているか」が全国すべての市町村について算出されている。

その数値は衝撃的だ。何しろ、多くの人が知る有名な自治体が、軒並み3割~4割減、中には5割近く減らす街も珍しくない。しかも、いわゆる「過疎地」ではない場所ばかりである。一部を列挙するだけでも、

北海道函館市→37%減
青森県青森市→31%減
山形県鶴岡市→31%減
茨城県日立市→27%減
栃木県日光市→33%減
群馬県桐生市→36%減
千葉県銚子市→43%減
神奈川県横須賀市→25%減
新潟県佐渡市→41%減
岐阜県飛騨市→41%減
静岡県熱海市→43%減
大阪府富田林市→28%減
兵庫県尼崎市→25%減
広島県呉市→33%減
山口県下関市→30%減
熊本県天草市→42%減
宮崎県日南市→35%減
鹿児島県指宿市→33%減

各地を代表する観光地や都市が、3分の2、場合によっては半分の規模に縮小してしまう。さらに人口が少ない町や村は言わずもがな。地域経済、住民の生活、そして行政サービスが立ち行かなくなるのは目に見えている。

歴史人口学者で、静岡県立大学学長の鬼頭宏氏が言う。

「いま、人口減少が特に激しく進んでいるのが、地方の中核となる都市です。札幌市や仙台市、福岡市などの大きな政令指定都市はそこそこ持ちこたえていますが、県庁所在地でも静岡市や秋田市などは、ほとんどお手上げの状態になっている。

こうした時代の流れは、法律や規制を設けて工場や大学を誘致したところで、なかなか止められるものではありません。魅力に乏しい街から先に、どんどん人が減ってゆき、『幽霊都市』になってしまう可能性があります」

戦後日本の発展を支えてきた原動力が、東京だけでなく、全国いたるところで発展した地方都市であったことは疑いようがない。

東京ほど都会ではないにせよ、日々の仕事があり、買い物ができて、子供を産み育てることのできる、「そこそこの豊かさ」がある。そんな「中くらいの街」が、日本の津々浦々に生まれた。

しかしそうした街の景色はいつしか、どこも似たり寄ったりになっていった。国道の両側に、ファミレス、コンビニ、ドライブスルーのマクドナルド、ユニクロ、やけに横幅の広いスーパーマーケット、そして巨大なイオンモールが立ち並ぶ――まるで書き割りのような街並みだ。

やがて住民は歳をとり、彼らの子供は東京や大阪、名古屋といった大都市で就職したまま、戻ってこなくなった。日本中どこにでもあるような無個性な「故郷」に、わざわざ帰る動機も必然性もない。

工業地帯の工場は、不景気で1週間に3日しか操業していない。住民が代々守ってきた商店街や個人商店は、おおかた潰れてしまった。地元に残った若者には、安定した就職先なんて、市役所か県庁くらいしかない。

「しかも、いまや地方経済は大都市に完全に依存しています。地方住民の支払うお金の大部分が、地方から大都市へ流れてしまう構造ができあがっているのです。

住民はせっせとモールで買い物をし、行政は立派な箱モノを地元の業者ではなく大手ゼネコンに作らせる。地方の住民は単なる下請けで、安い賃金で働かざるを得ない。これでは、現役世代は地方都市に魅力を感じず、ますます離れてゆきます」(政策研究大学院大学名誉教授・松谷明彦氏)

目先の暮らしに困らないから、住民も行政もなかなか危機感を抱かない。実際に人が激減し始めてから対策を打とうとしても、もはや手遅れだ。

こうして「住みやすいだけの街」がいつのまにか、高齢者があふれ、急速に衰退する「死にゆく街」となってゆくのである。

人口の4割が65歳以上

先に挙げた地方都市のデータは、2040年時点の人口予測だ。このころすでに、日本の総人口は1億人を確実に切っているが、あと20年あまりで下げ止まるはずもない。

その先も容赦なく減り続け、生活水準も、下り坂を転げ落ちるように悪化してゆく――。

内閣府が算出した中でも「最悪のシナリオ」では、日本の全人口は、2050年には現在の1億2600万人から4000万人減り、8000万人台に突入する。

しかも、そのうちの4割、3000万人以上が65歳以上の高齢者である。反対に、現役世代は4000万人あまりしかいない。若者は老人を、文字通り1対1の「肩車」で支えることを強いられる。

「人口減少そのものも問題ですが、もっと問題なのは、働ける人の割合が減ってしまうことです。働いている人でないと、税金も社会保障も負担できない。この先、日本では社会の『会費』を払える人が激減してゆくのです」(前出・松谷氏)

そのとき、まず存続の危機にさらされるのが、年金制度であることは言うまでもない。松谷氏が続ける。

「現在と同じ年金支給水準をこの先も維持するためには、2050年の時点で、少なくとも現役世代にいまの約1.7倍の負担をさせる必要があります。そのような制度がもつのでしょうか」

さらに氏の試算によれば、「年金だけでなく、現在のような手厚い医療保険、介護保険などの社会保障制度を2050年まで維持しようとすると、現役世代は収入の9割を税金として納めなければならなくなる」という。

現在、所得税率はボリュームゾーンの所得330万~1800万円で20~33%、4000万円超で最高の45%だが、誰でも所得税だけで50%を持っていかれてしまうような「超高税率社会」が現実になるのだ。

給料袋を開けても、たった1割しか入っておらず、9割がたお上に巻き上げられる――いかにおとなしい日本人といえども、さすがに暴動が起きるだろう。

しかも現在、すでに政府内では、2030年をめどに、年金受給開始年齢を68歳~70歳に引き上げるプランが検討されている。

そこから20年後の2050年、さらに支給年齢が10年引き上げられれば、「年金支給は78歳から」となり、一銭ももらえないまま死んでゆく人もかなりの数にのぼる。事実上の年金制度崩壊だ。

また、すでにわれわれの足元で大きな綻びが生じているのが、住宅事情である。大都市の不動産価格が高騰し、バブルの様相を呈しているのと対照的に、地方都市では空き家の激増が社会問題化しているのだ。

景気がよかったころ大量に建てられた住宅は、築数十年を経てすでに不動産価値がゼロになり、売りたくても売れない。

取り壊そうと専門業者に依頼すると、150万円以上の費用がかかることもザラ。どうすることもできなくなり、多くの持ち主が途方に暮れている。

それに加えて、かつて子持ち世帯で大賑わいだった団地では、高齢化が急激に進んでいる。打ち捨てられて半ば廃墟と化している団地、空いた部屋に格安で外国人の移民が住むようになった団地も今では珍しくない。

タワマンもスラム化

16年後の2033年には、全国で2150万戸、実に全住宅の30%が空き家になるという予測もある。2050年にもなれば、さらに空き家の数が増えるばかりでなく、無人の家が各地で放棄され、朽ち果てるがままにされているだろう。不動産コンサルタントの牧野知弘氏が言う。

「空き家の急増は、全国の街に共通する問題です。ただ、これから人口が減っていけば新築の戸数も減るはずですから、戸建ての空き家の数はどこかで頭打ちになるのではないかと思います。

問題は、賃貸住宅の空き家の増加です。現在、資産を持つ人の税金対策として、アパートやマンションがたくさん建てられている。

さらに2022年には、農地の建物新築を制限する『生産緑地制度』が解除され、東京郊外や埼玉など首都圏で、大量の農地を宅地に転用できるようになります。

これを利用して、さらに多くの賃貸住宅が建てられるのは確実。しかし需要は増えませんから、少なくとも2020年代までは、賃貸の空き家が相当数増えるでしょう」

現在でも東京都心では、依然として湾岸エリアに高級タワーマンションが建てられ、30~40歳代の子持ち世帯が続々と入居している。近隣の小学校は、クラス数を大幅に増やし、校舎を増築するほどの活況だ。

牧野氏が言うような、2022年以降に建てられる首都圏郊外の新築マンションにも、一時的には入居希望者が殺到するかもしれない。

しかし、今から33年後の2050年には、こうした世帯の親たちも高齢者となり、子供たちは少なからず実家を離れて暮らしているはずだ。

かつてはピカピカだった建物は老朽化が進み、歯が抜けるように住民がいなくなってゆく。気が付くと隣の部屋に、言葉の通じない外国人が住んでいる――まさに、現在の団地で起きていることの再現が、未来の高級マンションでも起きるのである。

加えて前出の松谷氏は「数十年後には、地方都市よりもむしろ都市部のほうが、荒廃がより深刻になる」と警鐘を鳴らす。

「地方都市では、すでに人口減少と高齢化が始まっているので、衰退のスピードがある時点からグッと緩やかになります。たとえば秋田県や島根県などでは、2040年までに高齢者数が減少に転じるとみられています。

一方、大都市圏は今のところ高齢化が緩やかですが、これまで流入してきた若い世代が2020年代以降、一気に高齢者になり始めます。東京では、2010年に268万人だった高齢者数が、2040年には412万人と1.5倍になる。対する現役世代は841万人から671万人と、200万人近く減るのです」

今後数十年スパンでは、荒廃した地方の街から、やむを得ず近隣の都市部へ移住する人も増えてゆくだろう。しかし、都市には鉄道・地下鉄や道路網、電気・水道・下水にインターネット、さらには警察・消防など、複雑なインフラが欠かせない。

「ある時点から一気に高齢化が進む都市部では、税収が急減し、自治体が機能不全に陥って、こうしたインフラが維持できなくなる。いわば『スラム化』するおそれがあります」(前出・松谷氏)

夕方になっても、路上にはゴミ袋が山積みで放置され、カラスが群がってついばんでいる。切れた電線が垂れ下がって火花を散らし、道路のガードレールは車がぶつかってひしゃげたまま。

道路の高架は鉄骨がむき出しになり、図書館などの公共施設はゴミと落書きだらけ。119をダイヤルしても、救急車は一向に現れない。

自転車に乗っていると、警察官が「お前の自転車、盗品だろ」と因縁をつけてきて、賄賂を要求する――。

行政が機能しなくなるというのは、つまりこういうことだ。「スラム街」なんて海外にしかないものと思っているわれわれ日本人も、認識を改めざるを得なくなる。

それだけではない。人口が激減した2050年の日本では、長年にわたり豊かさの象徴だった「外食」や「夜遊び」さえままならなくなっているかもしれない。

あまり知られていないが、総務省の調べによると、日本の飲食店数は1991年に記録した約85万店をピークに右肩下がりに減り続け、ついに2012年には約40万店となった。すでに四半世紀前のバブル期に比べ、半減しているのだ。

バーやスナックといった「夜の店」も、1990年代までおよそ20万軒を数えたが、現在では5万軒あまりに激減している。

このペースで減り続けると、今後さらに四半世紀が経ち、2050年を迎えるころには、「レストランはさらに半減」、「バー、スナックは絶滅」という世の中になっていても不思議ではない。


子供は増えない

前出の静岡県立大学学長・鬼頭宏氏が言う。

「江戸時代の終わりから明治時代にかけてもそうでしたが、人口が減少に転じた時代に、日本人は生活のスタイルや価値観を大きく変えることでこれを乗り切ってきました。

私は現在70歳ですが、2050年になると、現在30代くらいの人たちが社会の実権を握って、私たちのような人口増加の時代に生まれ育った世代には、想像もつかない改革をやるかもしれない。今はまだ人口が減り始めたばかりですから、これから長い時間をかけて、変わる覚悟を決めてゆく必要があるのでしょう」

ことここに至ると、もう次の世代に希望を託すしかない。ぜひ頑張って、沈みゆくこの国を支えてほしい――そう考えたいのはやまやまなのだが、現実は残酷だ。

国立社会保障・人口問題研究所の予測では、2040年時点の14歳以下の子供たちの数は、2010年と比べ36%も減っている。出生率の低下に歯止めがかからなければ、もちろん2050年にはさらに減るだろう。しかも、母親となる女性の数も向こう数十年間は確実に減り続けるため、改善することはほぼ不可能。

今現在、教師として働いている人は、定年まで仕事があるかどうか分からない。ただでさえ学生確保に血眼になっている大学や予備校の多くも、お払い箱になっているだろう。

これまで日本人は何十年も、「将来、少子高齢化と人口激減で大変なことになる」と口では言い続けてきたが、何ひとつ行動を起こそうとしなかった。そして今、過酷な未来を避ける手立ては、もはやなくなっている。

後戻りのきかない「人口激減時代」に足を踏み入れたことを、そろそろ真剣に受け止めなければ、取り返しがつかなくなる。

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厚生労働省の「人口動態統計」は、日本の老死を予告する

2017年07月27日 | プロライフ
以下は日本の人口減少が過去最大 2016年は33万人も減るからの引用です。

●2016年の合計特殊出生率は1.44で、前年を0.01ポイント下回った。
(人口を維持するのには、合計特殊出生率は2.07以上であることが必要。)
●死亡数から出生数を引いた「自然減」は33万786人で、過去最大の減少幅。
●出生数 97万6979 人 (前年比 2万8698人減少)
(統計を取り始めた1899年以降、過去最少。初めて100万人を割り込んだ。)
●2005年に戦後初めて死亡数が出生数を上回り、07年以降は10年連続で自然減の幅が拡大。
●沖縄を除く46都道府県で死亡数が出生数を上回った。
●婚姻件数 62万523組 (前年比 14,633 組減少)戦後最少
●女性の第1子出産平均年齢 30.7歳


2016年の合計特殊出生率は1.44で、前年を0.01ポイント下回った。

厚生労働省が6月2日に公表した「2016年人口動態統計(速報値)」で明らかになった。出生数は97万6979人で初めて100万人の大台を下回り、少子化の加速化が浮き彫りとなった。

合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むと見込まれる子どもの数)は、その年の15~49歳の女性が産んだ子どもの数を元に計算される。過去最低は2005年の1.26だった。人口を維持するのには、合計特殊出生率は2.07以上であることが必要とされる。

合計特殊出生率の推移。2005年に1.26まで下がったが、2013年に1.43まで回復。その後は一進一退となっている。

一方で、死亡数は130万7765人と戦後最多。死亡数から出生数を引いた「自然減」は33万786人で、過去最大の減少幅となった。

厚労省が公表した人口動態統計(速報値)の主な内容は以下のとおり。

・合計特殊出生率 1.44(前年比 0.01 ポイント低下)

・出生数 97万6979 人 (前年比 2万8698人減少)
 *統計を取り始めた1899年以降、過去最少。初めて100万人を割り込んだ。

・死亡数 130万7765人 (前年比 1万7321人増加)
 *戦後最多。2005年に戦後初めて死亡数が出生数を上回り、07年以降は10年連続で自然減の幅が拡大。
 *沖縄を除く46都道府県で死亡数が出生数を上回った。

・自然増減数 33万786人減少(前年比 4万6019人減少) 
 *過去最大の減少幅

・婚姻件数 62万523組 (前年比 14,633 組減少)
 *戦後最少

・離婚件数 21万6805 組(前年比 9,410 組減少)

・平均初婚年齢 男性31.1歳、女性29.4歳

・女性の第1子出産平均年齢 30.7歳



カネも絆も子供も失った日本は、どうなるのか。

2017年07月26日 | プロライフ
2025年、全国民の10人に1人がボケている。地方都市は痴呆都市となるのか。

「2025年問題」をご存知ですか? 「人口減少」「プア・ジャパニーズ急増」…
もうすぐこの国に起こること
からの引用です。

●街に人があふれ、子供たちが学校にあふれた、古き良き日本はもうない。
●カネも絆も子供も失った日本は、どうなるのか。
●2025年の日本は、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上。
●2025年全国民の10人に1人がボケている。
●2025年、医療がパンクする。
●遅くとも2030年代前半には、年金積立金は枯渇する。
●移民や大量の外国人労働者の受け入れという「劇薬」をもってしても、事態は好転しない。
●誰にも介護してもらえず自宅で放置され、亡くなる人が急増する。



街に人があふれ、子供たちが教室にぎゅうぎゅう詰めで授業を受けた、古き良き日本は二度と戻らない。増えてゆく空席を、言葉の通じぬ人々が埋めてゆく。カネも絆も失った私たちは、どうなるのか。

10人に1人はボケている

「このまま無為無策で過ごせば、日本はとんでもない事態に見舞われます。社会保障の破綻、際限のない増税といった山積みの問題が、10年足らずで一気に表面化するのです」

こう警鐘を鳴らすのは、政策研究大学院大学名誉教授の松谷明彦氏だ。

およそ1世紀も増え続けてきた日本の人口が、昨年(2015年)ついに減り始めた。

「これから10年間で、日本の人口は700万人減ります。15歳~64歳の生産年齢人口が7000万人まで落ち込む一方で、65歳以上の人口は3500万人を突破する。

2025年の日本は、団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、人類が経験したことのない『超・超高齢社会』を迎える。これが『2025年問題』です」(前出・松谷氏)

東京五輪が終わったあと、日本の姿は、今とは大きく変わっている。現在と同水準の人口を維持できるのは、東京・神奈川・千葉・埼玉の首都圏と、愛知・沖縄・滋賀のみ。青森・岩手・秋田・山形・福島の東北各県や、中四国の大半の県は、軒並み1割人口を減らす。

働き方も、大変化に見舞われる。厚生労働省のデータによれば、'00~'10年の10年間で、事務職や工業系技術者は14%、農家や漁師は30%、また土木作業者や建設技術者は40%も減っている。一方、介護関係職員は倍以上に増加し、葬儀関係者も1・5倍に増えた。この傾向は、2025年までにますます加速する。

若者が減り、老人が増える。何かを作る仕事に携わる人が減り、介護や葬儀に携わる人が激増する。もはや、国全体が老境に入ってしまったような状態だ。

しかも。
「現時点でも、軽度のものを含めれば、少なくとも820万人が認知症を患っているという厚労省のデータがあります。それに基づけば、2025年には今の1・5倍、1200万人以上が認知症になっていてもおかしくありません」(国際医療福祉大学教授の高橋泰氏)

全国民の10人に1人がボケている。そんな国が成り立つのか、という疑問がわいてくるが、あと9年で画期的な対策が見つかるとも思えない。特別養護老人ホームには順番待ちの長い列ができ、認知症の特効薬ができる気配もない。もはや策は尽きている。

病院がどんどん潰れる

経団連の榊原定征会長は、ついに「移民に頼らざるを得ない。ドアを開けに行かないといけない」と明言。自民党も特命委員会を今月設置し、まさに移民受け入れの議論を始めようとしている。

移民や大量の外国人労働者を受け入れた2025年の日本が、どんな国になるかについては後篇で詳述するが、ひとつ言えるのは、その「劇薬」をもってしても、事態は好転しないということだ。

2025年、まず医療がパンクする。

厚生労働省の推計によれば、2025年の医療保険給付は総額54兆円と、現在より12兆円以上増える見通しだ。衰えゆく日本の国力で、とうてい賄える額ではない。

「破綻シナリオ」を回避するために、国は医者と病院を減らしにかかっている。患者は確実に増えるにもかかわらず、である。NPO法人医療制度研究会副理事長で、外科医の本田宏氏が言う。

「今、全国で病院の身売りや倒産が相次いでいます。実は日本の医師数は、先進国最低レベルです。医者がいなければ、治療できない。治療できなければ、医療費が膨らむこともない。つまり、医療費を抑えるため、医師の数を減らし、病院の数も抑えているわけです。

'13年には、埼玉県で25ヵ所の病院を36回たらいまわしにされて、患者が亡くなる事件もありました。地域の病院が減ってゆくと、こうした事件が全国で多発するでしょう」

9年後、全国の入院患者数は138万人(1日あたり)を超えている。だが、全国の病床数は今でさえそれに足りない134万床で、今後さらに減らされる見通しだ。確実に、数万から数十万人の病人が、病気にかかっても入院できなくなる。

少し体調が悪いくらいで、いちいち病院に行くな。いや、行きたくても行けないーそれが常識になるのだ。

介護も同様である。介護保険制度が設けられた'00年に比べ、現在、介護関連の職につく人の数はおよそ4倍にも膨らんでいる。それでもまだまだ、人手が足りそうにない。前出の高橋氏が言う。

「これからの日本は、地方の人口は減ってゆきますが、大都市圏では人口はあまり減らず、同時に高齢者が激増します。首都圏では、高齢者人口はおよそ1000万人にも達するでしょう。おそらく2025年を待つまでもなく、あと数年で、首都圏の介護施設は足りなくなります。『介護クライシス』と懸念されている事態です。

誰にも介護してもらえず自宅で放置され、亡くなる人が急増する。『このまま東京にいたらまずい』と考え、地方に移住する高齢者も出るでしょう。しかし、移住できない大多数の人々は、厳しい状況に追い込まれる」

年金なんて出るわけない

さらに、多くの国民が不安に思いつつ、半ば諦めているのが、年金の行く末だ。2025年にも、年金制度そのものは残っているだろう。だが、その内実が、「破綻同然」の水準にまで崩壊しきっていることは間違いない。

長年、年金を研究してきた、社会保険労務士の大曲義典氏が分析する。

「年金をはじめとする社会保障費は、現在の約120兆円から、2025年には総額150兆円に増えると考えられます。

しかし、'14年に厚生労働省が行った将来予測は、『現役世代の賃金はこれから毎年上がり、10年後の保険料収入は40兆円に達する見込みだ。だから年金は破綻しない』といった、実態からかけ離れた仮定が満載で、明らかに『絵に描いた餅』でした。

現実的な値をもとに計算すると、遅くとも2030年代前半には、年金積立金は枯渇します。『所得代替率(現役時代の給料と年金支給額の比率)50%を死守する』という政府の目標も、おそらく叶わないでしょう」

年金破綻を防ぐには、2025年まで、経済成長と毎年1・5%ずつの賃金アップを同時に達成しなければならないという。だが日本人の平均賃金はもう20年間も連続で下がっており、しかも働き手は減る一方だ。

「かくなるうえは、消費税増税しかない」というのが財務省の理屈だが、消費税を1%上げても2兆円しか税収は増えない。10年足らずで15%も消費税を上げるというのは、とてもじゃないが、ムチャな目標である。

「2025年というのは、今まさに行われている、60歳から65歳への年金支給開始年齢引き上げが最終段階にさしかかっている頃です。おそらく、年金の実質的破綻は誰の目にも明らかになっているでしょうから、『70歳への支給開始年齢引き上げ』も実行に移されるはずです」(前出・大曲氏)

ただでさえ、物価や賃金の変動に合わせて給付額を減らす「マクロ経済スライド」で、2025年には今の8割前後まで年金給付額が減っている。それに加えて、残念ながら現在の50代から下の世代は、「ようやく年金がもらえると思ったのに、まだ待たされるのか」と嘆くはめになるのだ。

介護の人手は足りず、病院に行ってもすぐに追い返される。認知症の高齢者が、わずかな年金を握りしめて、閑散とした街中を歩き回るー後篇では、そんな「絶望の国」と化した、未来の日本で起きる悲劇を見てゆこう。

日本の治安はニューヨーク以下になる

「中国農村部の貧しい人々の間では、日本神話は健在です。日本のコンビニなど、単純労働の職場で働けば、中国の何倍も収入が得られる。病院に行くにしても、中国のように2~3日並ばされることもありません。日本が本格的に外国人労働者を受け入れる方向に舵を切れば、移民の問題は当然出てくるでしょう」(産経新聞中国総局特派員の矢板明夫氏)

前篇でも触れたとおり、政府や財界は、安上がりな労働力を求めて「外国人労働者受け入れ」に前のめりになっている。

これから、元気に働ける日本人の人口は、右肩下がりに減ってゆく。それならば、過酷な単純労働にも文句を言わず、人件費も安い外国人労働者を雇えばいい—。経営者の間にはそんな風潮が広がり、すでにコンビニや飲食店の店員など、サービス業の現場はアジア系の外国人労働者が席巻している。介護の現場も、間もなくそうなる。

「一方で、今は日本経済が中国に比べて良くないため、中国のエリート層は日本に魅力を感じなくなり、渡航する人も減っています。彼らにとっては、日本に行くよりも中国にいるほうが儲かるのです」(前出・矢板氏)

ついこの間まで、日本人の多くは「日本人であれば、無条件に中国人よりも豊かだ」と思い込んでいた。しかし、上海の物価が東京の物価を優に上回る今、その認識は完全に時代遅れだ。

貧しい日本人は、貧しい中国人と同じ条件で働かなければならなくなった。2025年には、そうした日本人がひとつの階層を形作り、アメリカの「プア・ホワイト(貧しい白人)」ならぬ「プア・ジャパニーズ」と呼ばれているだろう。

'05年から'15年の10年間で、外国人労働者の総数は34万人から90万人に激増した。うち最も多いのは中国人で、32万2500人あまり。以下ベトナム人が11万人、フィリピン人が10万6500人、ブラジル人が9万6600人と続く。このペースが続けば、2025年には140万人を突破する計算だ。

今、彼らの多くが住んでいるのは、高齢化が進んで年々空洞化している郊外の団地である。東京都区部郊外のニュータウン・高島平団地に約30年住む、ジャーナリストの浅川澄一氏が言う。

「現在、高島平団地の高齢化率は50・2%に達しています。1万5000人あまりの住民のうち、7600人が65歳以上と、まるで日本社会の縮図です。'70年代初めの開発当時に入居した世代がそのまま年をとり、60~80代を迎えているわけです」

日本人の夢が詰まったニュータウンは、今や「オールドタウン」と化した。2025年までには、少なからぬ住民がいなくなっているはずで、入れ替わるようにして、多国籍の外国人労働者が流れ込んでゆく。地域紙「高島平新聞」の調べによると、現在、同団地に外国人は約900人住んでおり、団地の子供の6・5人に1人は外国人だという。・・・

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 4 ロザリオの聖母はルシアに微笑む

2017年07月25日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前


The statue of Our Lady of the Rosary
in the Parish Church of Fatima


4. ロザリオの聖母はルシアに微笑む

私の順番が来ると、私は罪の許しを乞い求めて、主の役務者である神父様において代表される私たちの愛する主の足元へ跪きました。
告解を終えると、だれもが笑っているのに気がつきました。
母は、私をそばへ呼んで、こう言いました。
「わが子よ、告白は秘密のもので、低い声でするものだって知らなかったの? 皆におまえの言うことを聞こえたのよ!誰にも聞こえなかったのはたった一つだけで、それはおまえが最後に言ったことだよ。」

家へ帰る途中、母は告解の秘密と自分が呼んだことを知ろうと何度も試みました。しかし、母が得た私の唯一の返事は、完全な沈黙でした。

しかし、今、私は司教様に初めて、私の最初の告解の秘密を言い表します。
告解を聞き終わった後、例の神父様は、次のように言いました。

「わが子よ、あなたの霊魂は聖霊の神殿です。それをいつも清く保ちなさい。聖霊がご自分の天主としての働きを、あなたの霊魂の中に実現することができるように。」

これらの言葉を聞いて、私は自分の内的なものに対しての畏敬で満たされたように感じ、親切な聴罪師に自分が何をしなければならないかを尋ねました。

「あそこの聖母の前にひざまずき、大きな信頼を持って、あなたの心を世話して下さるように、明日聖母の愛する御子イエズスをふさわしく受けるように準備して下さるように、またあなたの心を、イエズスのためにだけに取っておくように願いなさい!」

教会には、聖母のご像はいくつかありました。しかし姉たちは、ロザリオの聖母の祭壇を飾る役目を持っていたので、私はいつもそこに祈りに行きました。そこでこの機会にもロザリオの聖母像の前へ祈りに行きました。私は全身全霊を込めて、私の貧しい心を天主様のためだけに守ってくださるようにお願いしました。

この拙い祈りを何度も何度も繰り返し、聖母像を見つめていると、おん母が、愛を込めた眼差しとご親切なジェスチャーとで、私に微笑み、そうすると私に保証して下さったように見えました。私の心は喜びにあふれて、一言も発することができませんでした。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 3 ルシアの初聖体

2017年07月24日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前



3. ルシアの初聖体

小教区の主任神父様が定めた子供たちの荘厳初聖体の祝日が近づいて来ました。私がすでに6歳になっていたことと、私が公教要理をよく覚えていたの事実により、母は私が初聖体を受けることができるかもしれないと思いました。このために、母は、主任司祭が子供たちに教えていた初聖体の偉大な日を準備するための公教要理に、私を姉のカロリナと一緒に送りました。私はすぐに初めて天主様をお受けすることができると期待して、喜びに輝いて教会に行きました。

神父様は、教壇の上にある倚子に座って子供たちに教えました。
司祭は、私をご自分のそばの脇に呼び置き、もしもある子供が司祭の質問に教えられなかったら、その子供の代わりに私に答えさせ、彼らに恥をかかせました。

初聖体の前日がやって来ました。神父様は子供たちは午前中に教会に来るようにと伝言を送りました。それは神父様がどの子供が初聖体を受けることができるか最終の決定をすることができるためでした。神父様が私をお近くに呼んで私の頭を撫でてから、私が7歳になるまで待たなければならないと言った時、私はどれほどがっかりしたことでしょうか!

私はすぐに泣き始めました。ちょうど私が母にしていただろうように、頭を神父様の膝に埋めて泣きじゃくりました。ちょうどその時、告解を聞くために助けに呼ばれた別の神父様 [注6] が教会に入ってきました。この姿勢を取っている私を見て、神父様は私が泣いている理由を尋ねました。

[注6] この司祭は、後に聖徳で有名な、イエズス会のクルズ神父(1948年没)であったと後に分かった。

理由を知らされ、この神父様は私を香部屋へ連れて行って、公教要理とご聖体の神秘について私に質問をしました。この後、私の手をとって、主任神父様のところへ連れて行き、こう言いました。
「ペナ神父様、この子を初聖体に行かせることができますよ。この子は他の多くの子供たちよりもよく理解しているから」と。
主任神父様は「でも、わずか6歳ですよ」と反論しました。
「大丈夫ですよ。その責任は私が取りましょう。」
「それなら、分かりました。」

良い主任司祭は私にこう言いました。
「お母さんのところに行って、明日は初聖体を受けると言いなさい。」

私はその時に感じた喜びをいい表すことができません。聖堂の外へ出て、嬉しさのあまりに両手をたたき、母によいニュースを知らせるために、家にまでずっと走りました。

母は、すぐに、その日の午後私がすべき告解の準備をさせてくれました。母は私を教会に連れて行き、教会に着くと、私は母に別の神父様に告白したいと言ったので、私たちは香部屋へ行きました。そこにこの神父様が倚子に座って告解を聞いておられました。

母は、順番に告解する自分の子供たちを待っている別の母親たちと一緒に、香部屋の入り口に近い主祭壇の前に跪きました。その祭壇の御聖体の前で、母は私に最後の勧めを下さいました。


(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 2 民衆の楽しみ

2017年07月23日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前




2. 民衆の楽しみ

舞踏の時は、姉たちは、木製のタンス、或いは他の背の高い家具のてっぺんに私を置きました。それは私が人々に踏みつけられないようにするためでした。
ある日、私の「止まり木」の上から、私はギターやアコーディオンの演奏と合わせていくつかの歌を歌わなければなりませんでした。
姉たちは、歌とダンスをすでに私に教えてくれていました。ダンスはパートナーがいないときのワルツをいくつか教わりました。ダンスについてはまれに見る技術で踊りました。そこでそこにいた皆からの注目と拍手を奪いました。中には私にプレゼントで褒美をくれました。私へのプレゼントは私の姉たちを喜ばせようするためでした。

日曜日の午後はいつも、全てのこれらの若者たちは私の家の庭によく集まりました。

夏には三本の大きなイチジクの木陰に、冬には、今では姉のマリアの家が建っている場所に私たちが持っていた開かれた張り出し玄関(ポーチ)に私たちは集まりました。
そこで、彼らは私の姉たちと一緒に遊び、おしゃべりをして午後の時を過ごしました。復活祭には、砂糖で焼いたアーモンドを宝くじにしたのもそこでした。くじに当たってアーモンドはそのほとんどは普通は私のポケットの中に入ってきました。何故なら、宝くじに当たった青年たちの中には、こうやって私たちの好意を得ようと期待したからでした。主日の午後を母は台所の入り口に座って、そこから庭を見ていました。それはそこで何かが行われているかを全て見ることができたからです。

時々、母は手に一冊の本を持ってそれをしばらく読みました。別の時には、母は、周りに座っている叔母たちや隣人たちとおしゃべりしました。母は、いつも非常に真面目でしたので、皆は母の言った言葉を聖書のようであり、つべこべ言わずに従順に従わなければならないと知っていました。

私は、母の前で誰からも不敬な言葉を言うのを聞きたことがありませんでしたし、或いは敬意を欠くような態度を表した事も覚えていません。彼らの間の一般的な見解によれば、私の母はその娘達を全て合わせたよりももっと尊愛する値打ちがあるということです。

しばしば母がこう言うのを聞きました。
「あの人たちが家から家におしゃべりして回って楽しんでいるのは、理解することができないわ。私にとっては、家にいてゆっくり静かに読書をするほど楽しいことはないのよ!これらの本は、素晴らしいことで一杯だし!聖人伝は、本当に美しいわ!」

週日の間私が近所の子供たちの群れに囲まれてどうやって時を過ごしたかについて、私は司教様にすでにお話ししたと思います。この子供たちの母親たちは畑に働きに出ているので、彼女たちは私の母に子供たちを私のもとに預けることができるかとよく聞いたものです。私のいとこジャシンタについて司教様に書いたとき、私たちがよく遊んだ遊びやゲームについても描写したと思います。そこで、私はもうここではそれについて詳しく書きません。

愛情深い暖かさを受け優しく可愛がられて、私は幼少の時代を6歳まですごしました。本当のことを言うと、この世は私に微笑みかけていました。特に、ダンスに対する情熱は、私の心に深く根を張りつつありました。天主様が私に特別の憐れみを下さらなかったら、悪魔は私を破滅に導いていたことでしょう、と私は告白しなければなりません。

もしも私の間違いではないなら、母が夏の間は午後のお昼寝の時に、公教要理を自分の子供たちに教え、冬は、夕食の後、暖炉の周りを囲んで、栗と色々な種類の甘いトウモロコシを焼いたり食べたりしながら教えてくれた、ということも同じ手記の中で司教様に既に申し上げたと思います。

(続く)


マーチフォーライフ 2017 ご報告【その2】 

2017年07月22日 | マーチフォーライフ

マーチフォーライフ 2017 の様子を、参加者の方がたが投稿してくださったお写真と、マーチフォーライフのフェイスブックの掲載写真の一部を引用掲載させていただいてでご紹介します。

今年もファチマのマリア様とともに到着したマーチの終点の日比谷公園で、記念写真を撮って解散となりました。


マーチフォーライフ 2014 歴史的第一歩の第1回目
マーチフォーライフ 2014

マーチフォーライフ 2016(去年)
マーチフォーライフ 2016

マーチフォーライフ 2017(今年)第4回目
マーチフォーライフ 2017(今年)第4回目


マーチフォーライフ実行委員会の池田代表のコメント(フェイスブックから)
「3年前ワシントンDCのMarch for Lifeに参加したとき、ファティマの聖母の御像に出会いました。もし日本でマーチが始められたら、日本でもいっしょに歩けたらいいなと願いました。3年たってその願いが叶えられました。ファティマの聖母ご出現100年の今年のマーチに!」

2013年10月13日 秋田の聖体奉仕会で世界十か国を結ぶ祈りの集い「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」が開かれ、ポルトガルのファチマからサンピエトロ広場に運ばれてきたファチマのマリア様の御像と衛星中継で結ばれました。マーチフォーライフ実行委員長の池田氏は、この祈りの夜、初めて秋田に巡礼され、それから9か月後の2014年7月14日、マーチフォーライフが初めて日本でも実施されました。

そして今年2017年には、ファチマのマリア様がたくさんの参加者と一緒にちいさないのちを守るために行進してくださいました。





Neil DayさんのMarch for Life Japan – 2017
http://www.daylyknightly.com/prolife/
記事から


















今年は、最後に「ああ うるわし」のファチマのマリア様の歌をみんなで歌いました。





ファチマの聖母よ、われらのために祈り給え!

日本から、この世界から、中絶がなくなることこそがゴールです。

ほんとうのゴールに向かって進んでいきましょう。

来年は7月16日の"産み"の日にマーチフォーライフが行われる予定です。

皆様の応援やご支援、ご参加やお祈りをお願い申し上げます。

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  I. ご出現の前 1 ルシアの幼年期

2017年07月21日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

I. 御出現の前



1. ルシアの幼年期

司教様、
「主は、そのはしための卑しさを顧み給うた」 [注3]それが故に、全ての民々は主の憐れみの偉大さを褒め歌うでしょう。

司教様、私たちの愛する主は、私のもっとも初期の幼年時代から私に理性を使うというお恵みを与えて下さったようです。私は、まだ母の腕に抱かれていた時の私の行動について自覚していたことを覚えています。私はあやされて、子守歌の歌声に眠りについたことを覚えています。

私たちの主は私の両親に5人の女の子と、1人の男の子[注4]を授けて祝福して下さいました。私はその中の末っ子[注5]でした。姉たちは皆私を抱き私といっしょに遊びたく思ったので、互いに言い争ったことも覚えています。その様なときには誰も成功しませんでした。何故なら、母が赤ん坊の私を姉達に渡さず、彼女たちから離れて別のところ私を連れて行ったからです。もしも母が忙しくて自分で私を抱けない時には、私を父に任せたので、父は私を甘やかしてかわいがりました。

私が初めて習った事は天使祝詞の祈りでした。母は私を腕に抱きながら、私より5歳上の姉、下から二番目のカロリナに天使祝詞を教えたのです。私の姉のうち年長の二人は、既に大きくなっていました。
母は、私がオウムのように聞いたことを全てそのまま全部繰り返すのを知っていたので、姉たちが行くところにはどこでも私を連れて行くように望みました。姉たちは、私たちのよく言う言い回しによると、若い人々を導く光でした。姉たちが参加しない祝日あるいはダンスパーティーはありませんでした。カーニバルの時、洗者聖ヨハネの祝日、クリスマスには、必ずダンスがなければなりませんでした。その上に、ブドウの収穫があります。それからオリーブの取り入れの時には、ほとんど毎日ダンスがありました。
小教区の大祝日が近くに来ると、例えば、イエズスの至聖なる聖心の祝日、ロザリオの聖母の祝日、聖アントニオの祝日などには、私たちはいつもケーキを景品に宝くじをしました。その後で、いつもダンスがありました。

[注3]ルカ1:48
[注4]ルシアの兄弟姉妹たちの名前は次の通り。マリア・ドス・アンジョス(Maria dos Anjos)、テレサ(Teresa)、マヌエル(Manuel)、グロリア(Gloria)、カロリナ(Carolina)、そして別の女の子が生まれたが幼くして死亡した。
[注5]ルシアは1907年3月22日に生まれた。

私たちは数 km あたりの近所の結婚披露宴にもほとんど全てに招かれました。何故なら、もしも母を重要な客として招かなかったとしたら、母を料理のために必ず必要としていました。
これらの結婚披露宴では、ダンスは晩餐の後から始まって翌日の朝まで続きました。
姉たちはいつも私を一緒に連れて行かなければならなかったので、自分と同じように、苦労して私を着飾ってくれました。一人の姉が裁縫士でしたから、私はいつでも地方のコスチュームを着飾り、近所のすべての女の子よりも遙かに上品に着飾りました。私はひだのあるスカート、輝くベルト、カシミヤ織りのスカーフを身につけてその端を後に垂らし、金の数珠と明るい色で染めた羽で飾りつけた帽子をかぶりました。司教様は、時々、姉たちは小さな女の子と言うよりも人形を着飾っていたと思ったことでしょう。

(続く)

シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  Ⅱ. 導入

2017年07月20日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第二の手記

導入


ルシアの手記の第一手記によって、ルシアの長上たちは彼女がまだ極めて多くのことを秘密にしているとうことを理解した。この秘密についてはルシアは従順のもとにのみ明らかにするだろう、と。1937年4月、フォンセカ神父は司教に次のように書いた。

「第一手記は、私たちをして御出現の歴史に関するもっと興味深い詳細がまだあると考えさせます。・・がこれらについてはまだ知らされていません。ルシア修道女を説得して、彼女がまだ覚えている全てのことを一つ一つ、自覚して、福音の単純さで、聖母の名誉のために、その詳細を書き出させることは、可能なことではないでしょうか、言い換えると、それに何か難しいことがあるでしょうか?これは一つのアイデアであって、もしもこれが有用なことであるとお考えになるなら、司教様だけがそれを実行に移すことができます。」

そこで、ドロテア修道女会の管区長の修母、マドレ・マリア・ド・カルモ・コルテ・レアル(Madre Maria do Carmo Corte Real)の同意を持って、ジョセ司教は必要な命令を与えた。これに答えてルシアは1937年11月7日に司教に次のように書いた。

「私は今日、書き始めました。何故ならこれが天主の御旨だからです。」

従って、この手記は11月7日に書き始められたことになる。そして、21日に書き終えられた、と私たちは知っている。つまりこれほど長い文書を書くのに彼女はたった二週間で書き終えたと言うことだ。さらに彼女は、修道院の手仕事があり、彼女に自由時間が与えられなかったので、これを書くことは頻繁に中断された。この文書は38ページからなり、ぎっしり詰まった手書きで紙の表と裏とに書かれている。ほとんど訂正はない。これからも私たちはルシア修道女が明晰な頭を持ち、精神的なバランスがとれていたことが分かる。

この手記で取り扱われた主題は、さらに驚くべき事である。天使の出現、彼女の初聖体の特別な祝福、1917年6月の御出現における聖母の汚れなき御心、などその当時まで知られていなかった多くのその他の詳細が書かれた。

ルシア修道女がこれを書いたとき、彼女が意図したことは、「ありのままのファチマの物語」であると自分で説明している。従って、第一の手記にあったような伝記の情報--- そこでは御出現の主題はバックグラウンドでしかない --- ではない。この「追憶」において、御出現がもっと主要な題材となっている。

それにおいてルシアが書いた精神は、次の言葉に要約されている。

「私は御身の愛の秘密を、御身とだけ分かち合うという喜びをもはや味わいません。これからは他の方々も、御身の御憐れみの偉大さを歌うことでしょう。・・・主のはしためをご覧下さい!主が最善であるとお考えの通り、このはしためを主がお使い続けますように。」

(続く)

マーチフォーライフ 2017 ご報告【その1】 

2017年07月18日 | マーチフォーライフ

マーチフォーライフ2017のご報告

今年は7月17日の"産み"の日に行われました。

2017年7月17日 午後4時 築地カトリック教会を起点として、今年のマーチフォーライフが開催されました。

出発する40分以上前には ファチマのマリア様の御像も薔薇や百合で美しく飾られて到着されて、教会の入り口にて参加者をお待ちくださいました。

築地教会でのレオ神父様のミサが終了して 参加者やシスター方も中庭に出てこられて、また続々と参加者が集まって来て 池田実行会長の挨拶のもと マーチが始まりました。16時頃に築地教会を出発しました。

今年は 先頭の方が後ろからは見えないほど マーチの行列が長く お年寄りも若者も少年も、少女も抱っこされた赤ちゃんも、ベビーカーのなかの赤ちゃんも、お母さんのおなかの中にまだいる赤ちゃんも、男性も女性も、日本人もフランス人もシンガポール人も中国人も、ブラジル人もアメリカ人も、他の国々の方がたも、そして 何人もの神父様達もご一緒してくださり、宣伝のうちわや傘や、お手製の小さな垂れ幕などを持つ人もいて、笑顔でみんなで三キロを歩きとおしました。

神父様たちは、真夏の日差しのもと、黒いスータン、またアルバとストラを身に着けられて、さぞかし暑くて大変だったと思われます。本当にありがとうございます。

ファチマのマリア様も私どもと一緒に歩いて下さいました。最後尾は、ファチマのマリア様でした。皆さん、笑顔がきれいでした。

東京のビルの谷間、それも東京の中心を日差しの強い爽やかな夏空のもと、ロザリオの祈りと共に、マリア様が一緒に行進してくださっているのは感動する光景でした。3kmあまりの道のりを、前方にかすかに国会議事堂がみえるところまで歩きました。

ファチマのマリア様とともに到着したマーチの終点の日比谷公園で、記念写真を撮って解散となりました。最後に、「ああ うるわし」のファチマのマリア様の歌をみんなで歌いました。とても良いお開きになりました。ファチマの聖母も大人気でした。

日本でも、どうか堕胎がなくなりますように いのちが大切にされる社会となりますように、マリア様にお取次ぎをお願いしたマーチフォーライフ2017でした。

昨年の倍以上の参加者だったようで、また、お祈りで参加をしてくださったたくさんの方々にもお礼を申し上げます。

日本各地から駆けつけてきて下さった方々もいらっしゃる様子でした。個人や団体で同じような活動を長年してこられた方、ご関心をお持ちの方など、あちこちで お互いの自己紹介の声も聴かれました。
よろしければ ご報告・ご連絡やコメントをいただければ うれしいです。

最初から最後まで、警官の方々が私どもを安全に守り引導して下さいました。
警察の方々には マーチが無事に行われるように準備と見守りと安全を守っていただいて感謝申し上げます。

当「ファチマの聖母の会」も代表や会員も最初から最後まで、ファチマのマリア様と一緒に歩かせていただきました。

2017年"産み"の日のマーチに参加された皆様におかれましては、大変良い時を過ごしたとは言えお疲れのことと存じます。ご参加された皆様に心からお礼を申し上げます。また、とても良いマーチを準備された実行委員会の方々にお礼を申し上げます。

今回のご参加はできなかったけれども、インターネットでこのマーチのことを拡散して下さった方々や、お祈りで応援して下さって参加された方々に感謝を申し上げます。

私どものマーチのゴールは日比谷公園ではありません。
日本から、この世界から、中絶がなくなることこそがゴールです。

マーチのつづきが今日から始まります。
ほんとうのゴールに向かって進んでいきましょう。
来年は7月16日の"産み"の日にマーチフォーライフが行われる予定です。
皆様の応援やご支援、ご参加やお祈りをたのしみにしております。

ファチマの聖母よ、われらのために祈り給え!


マーチフォーライフ 2017 【東京】の様子を、参加者の方がたが投稿してくださったお写真と、
マーチフォーライフのフェイスブックの掲載写真の一部を引用掲載させていただいてでご紹介します。

▼マーチフォーライフのフェイスブックはこちら▼
https://ja-jp.facebook.com/march0713/


▼いまからマーチフォーライフが始まります。(築地カトリック教会にて)▼



▼マーチの説明をしてくださる実行委員会の池田代表▼



▼今年は昨年の2倍以上の参加者でのマーチとなりました▼



▼皆さん笑顔がほんとに素敵ですね!▼



▼先頭の方が見えないくらい長いマーチになりました▼




▼警察の方がたのお陰で安全にマーチができました。心から感謝申し上げます▼



▼沿道の通行の皆さんに、笑顔でアピールできました。マーチフォーライフに興味をもっていただけますように。▼



▼マーチにはたくさんの赤ちゃんも、お母さんも、お父さんも参加しました▼



▼ほんとうに赤ちゃんは”天使”ですね▼



▼ファチマの聖母と赤ちゃん 「マリアさま、来年は、ワタクチが担ぎましゅワヨ♥」▼



▼本当に多くの方がたのご奉仕のお陰で、ファチマのマリア様と一緒にマーチをすることができました▼



▼マーチの最後には、「ああ、うるわし(ファチマの聖母)」を大合唱しました▼






シスター・ルシアの第二の手記の日本語訳  第二の手記 【諸言】

2017年07月17日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)


ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。



第二の手記

緒言


J. M. J. おお、天主の御旨よ、おまえは私の天国なり。 [注1]
[注1]J. M. J.というのはイエズス・マリア・ヨゼフの頭文字。これは聖ドロテア修道女会の創立者である聖パウラ・フラッシネッティ (Saint Paula Frassinetti) が言った言葉。

司教様、

私はここにペンを手に、我が天主の御旨を行う準備ができています。私にはこれ以外の他の目的はありませんので、私の聖なる創立者が私に伝えて下さった格言を引用することから始めたいと思います。そしてこの格言を、創立者の模範に従って、私はこの手記を書く間、何度も何度も繰り返し唱えるつもりです。「おお、天主の御旨よ、おまえは私の天国なり!」と。

司教様、この格言に含まれている深みを探ることを許して下さい。私の秘密に対する愛、或いはそれを明らかにする嫌悪感は、何かを隠されたまま取っておこうと望ませる時はいつでも、この格言が私の規律であり導き手となるでしょう。

このような報告を私が書くことにおいて、どのような使い道があり得るだろうかと尋ねたい気持ちがありました。何故なら、私の手書きの文字でさえ読みにくくほとんどお読みになるに値しないものだからです。[注2]しかし、私は何も尋ねようといたしません。完璧な従順は理由を尋ねないと知っているからです。

[注2]ルシアのスペルには間違いが良くあるが、しかしルシアの手記の明確で秩序だった書き方に何らの影響をも与えていない。


司教様のお言葉は、私にとって十分です。何故なら、司教様はこれが天国におかれる私たちの聖母の栄光のためであると保証して下さいますから。その通りであるという確実さにおいて、私は、聖母の足元にひれ伏して、聖母の汚れなき御心の保護と祝福とを乞い求めます。私は、我が天主に対して話すとき聖母ご自身の最も聖なるお言葉を使います。

「我が天主よ、御身の最も卑しいはしためである私は、御身のもっとも聖なる御旨に完全な服従において、私の秘密からベールを取りさり、ありのままのファチマの物語を明らかにするために今、参ります。私は、御身の愛の秘密を、御身とだけ分かち合うという喜びをもはや味わいません。これからは他の方々も、御身の御憐れみの偉大さを歌うことでしょう。・・・主のはしためをご覧下さい!主が最善であるとお考えの通り、このはしためを主がお使い続けますように。」

(続く)

年間20万人が孤独死!「限界国家」日本のXデー

2017年07月16日 | プロライフ
日本が胎児を闇に処分してきた結果は、日本の「姨捨(おばすて)列島」化なのか

年間20万人が孤独死!「限界国家」日本のXデーからの引用です。


●日本の人口減少は2008年から始まった。
●2020年代には日本で620万人人口が減少する。
●2030年代には820万人、40年代には900万人と減少が加速する。
●単に経済の問題ではない。
●日本は急速に縮小し社会のあらゆる仕組みが機能不全に陥る。
●毎年500校以上の学校が日本から消失している。
●2002年度から2013年度に公立の小中高校の廃校の数は全国で5801校。
●生産年齢人口(15~64歳)の減少は、総人口の減少の10年以上前から開始。
●2000年から2013年までに鉄道網は35路線、674キロが廃止。
●2006年度から2011年度の間にバス路線は1万1160キロが廃止。
(日本の北の岩手県盛岡から南の福岡県の門司まででも1700キロにすぎない。)
●農業従業者の平均年齢は67歳。
●日本は持続可能性が危ぶまれる「限界国家」と化す。
●2040年には年間20万人(毎週約4千人)の孤独死が発生する。日本の「姨捨(おばすて)列島」化。


国立社会保障人口問題研究所が2017年5月に発表した最新データによれば、2008年から始まった人口減少は2020年代には620万人、30年代には820万人、40年代には900万人と加速する。北海道の人口をはるかに越える人口減少が10年ごとに起こると日本はどうなるのだろうか?

「単に経済の問題ではなく、日本は急速に縮小し社会のあらゆる仕組みが機能不全に陥るだろう」

そう警鐘を鳴らすのは、『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(朝日新書)の著者である、毛受敏浩(めんじゅ・としひろ)氏だ。人口減少が及ぼす社会への影響、さらには高齢化が進むにつれ深刻さを増していく介護問題について、問題点の整理と解決策を毛受氏が寄稿してくれた。・・・

すでに日本の縮小は始まっている。文科省の調査では2002年度から2013年度に公立の小中高校の廃校の数は全国で5801校にも上る。毎年500校以上の学校が日本から消失しているのだ。一方、80歳以上の人口は2015年についに1000万人の大台を突破。2030年には1571万人にまで増加すると予測されている。

生産年齢人口(15~64歳)の減少は、総人口の減少の10年以上前から始まっている。通勤や通学で交通機関を利用するこの世代の減少は交通網の縮小となってすでに大きな影響が出ている。

2000年から2013年までに鉄道網は35路線、674キロが廃止。バス路線にいたっては2006年度から2011年度の間に1万1160キロ、なんと年平均2000キロ以上が廃止となっている。岩手県盛岡から福岡県の門司まで東北本線、東海道本線、山陽本線を乗り継いだとしても1700キロにすぎない。バス路線の廃止のすさまじさが実感できるのではないか。


年間20万人が孤独死!「限界国家」日本のXデー

人口ほど政策によるコントロールが難しいものはない。なぜなら出生率は単なる経済や労働の問題ではなく、人々の価値観、家族関係、教育など極めて複雑な要素が絡み合うからである。そもそも、日本は20代、30代の女性の数は右肩下がりで減少しており、仮に出生率が上がっても、子どもの数は増えることはない。日本より国民所得が高く労働時間が短いドイツは、ワークライフバランスがよいことで知られるが、そのドイツでも日本と同程度の出生率でしかない。出生率の高いアメリカやフランスはいずれも移民国である。すでに日本はチェックメイト(八方ふさがり)なのである。

このままいけば、あらゆる業種で人が決定的に足りなくなる。すでに農業従業者の平均年齢は67歳だ。農業などの第1次産業はいうに及ばず、前述の鉄道・バスや電気・水道などのインフラから、サービス業、そして国の基幹をなす製造業まで、日本は持続可能性が危ぶまれる巨大な限界集落=「限界国家」と化す。

なかでも深刻なのは、やせ細る生産力人口に反比例して、需要ばかりが右肩上がりで上り続ける「介護」の分野だろう。中央大学の山田昌弘教授は、2040年には年間20万人の孤独死が発生する可能性があると警告する。年間20万人とは週にすれば約4千人、これは年間の交通事故死者数に匹敵する。いかにすさまじい状況が待ち受けているのかが理解できるだろう。この国が「姨捨列島」と化す、と表現しても過言ではない。

では本当に解決策はないのだろうか?

故糸永真一司教のカトリック時評より

2017年07月15日 | ファチマ
故糸永真一司教のカトリック時評より「ファティマの聖母とロザリオ」を引用します。



過日、“The True Story of Fatima”(本当のファティマ物語―聖母ご出現の一部始終)という96ページの小冊子がファティマ・センターから送られてきた。・・・この本を読んで、今あらためてファティマのメッセージの重要性を生々しく感じた。

ファティマにおける聖母のご出現は1917年5月13日に始まり、10月13日まで毎月1回、合計6回行われた。この不思議な出来事に対する人々の反応は賛否両論、極めて大きかったが、最後の出現の日、七色に輝く太陽の乱舞という奇跡によって出現の信憑性が証しされた。

そのうえ、教会の権威の公的な承認によってファティマにおける聖母のご出現とそのメッセージは、私的啓示の枠を超えて世界に大きな影響を及ぼすこととなった。次は前教皇ヨハネ・パウロ2世の言葉である。

「19世紀と20世紀にキリストの母がその姿を現し、その声を聞かせることによって、神の民にこのロザリオという観想的な祈りの形を勧めた出来事はよく知られています。わたしは、そのことのキリスト教的生活への大きな影響と、教会の権威から与えられた重大な認可のゆえに、ルルドとファティマの出現をとくに取り上げたいと思います」(使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』7)。

教皇の言葉通り、ファティマの聖母のメイン・メッセージは「罪びとの回心と世界平和のためロザリオを唱えなさい」ということであった。・・・

ヨハネ・パウロ2世教皇は、ロザリオの祈りは「福音全体の要約」であると言います。なぜなら、ロザリオは聖母と共に果されたキリストの救いの神秘を観想しながらその実現を願う祈りだからである。そして、レオ13世の次の言葉を引用している。「ロザリオは社会を害する悪と戦うための霊的武器である」。

「毎日ロザリオを唱えなさい」と勧めるファティマの聖母は、その意向として「罪びとの回心」と「世界平和」を挙げておられる。

まず、罪びとの回心であるが、罪とは、古い伝統的な表現によれば、「神から離れて、被造物に執着すること」と定義される(ローマ1,25参照)。従って、罪びととは、神を否認する人や、認めてもこれを恐れない人であり、神の意思を無視して自己や金や権力に執着する人々のほか、戦争やテロ、さまざまな争いや分裂を引き起こす人々のことであろう。

第二次世界大戦の後、60年余りにわたって大戦争は起こっていないが、テロやテロとの戦いをはじめ、内戦や経済的な侵略・搾取など、争いや分裂は後を絶たない。それは、現在も罪や罪びとが世に満ちていることのあかしである。従って、こういう罪びとが回心して神に立ち返り、そのみ旨に従って行動するとき、世界平和はおのずから実現することになる。そういう意味で、ファティマのメッセージは今も生きている。・・・

ファティマの聖母は最後のご出現で「わたしはロザリオの聖母です」と名乗られたが、10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日であり、10月は「ロザリオの月」とされているから、今あらためてロザリオの祈りの重要性を想起すると同時に、福音宣教の発展のためにも大いにロザリオの祈りに親しみ、これを広めたいと思う。