カピバラと出会ってからの1年4ヶ月は、黒歴史の連続だった。
『指原みたいにファンの為にファンの為にって考えすぎると精神追い込まれてしまうんですよ。この仕事も一緒であまりお客様の為にって思いつめすぎるとそれが逆効果になることもあるわけです』
2012年6月、かなり初期の段階でAKBの話をして引かれてしまったのも今では懐かしい。
>2007年から分割4クールにも渡り放送され、社会現象にもなったTVアニメ『CLANNAD―クラナド―』の有名なシーンである。私は主人公の岡崎朋也とある意味似たような境遇になった事がある。それは一年前、まだ今の仕事に就く前の事だった。
>(中略)
>自分の為でもお金の為でもない、誰かのために働く事こそが仕事であると、私は思う。
>あなたの大切な人は誰ですか?
辞める直前のWに読ませた痛い文章『仕事とレゾンデートル』を、実はカピバラにも見せてしまっていた。
『大人の常識として言っておきますけど、この男性スタッフみたいに某ネズミの国のお土産を職場に持ってきたら駄目です。だって絶対恋人と行っているじゃないですか。一人で行くわけないし男同士で行くわけもないし。恋人が居ますアピールにしか見えないんですよ』
『別に良いじゃないですか(笑)』
『東横線が渋谷まで直通したからって、素直にそれに従うのは情報弱者なんですよ。プロは路線図を見て地下鉄を乗り継いでうんたらかんたら』
『ちょっと何言っているのか分かりません』
『ニセコイの小野寺さんが神の領域に達していると思うんですけど』
『あんなの居ないですよ(笑)』
『あとは氷菓の千反田えるが……』
『誰ですか?』
僕はトークが大の苦手だった。変な話をたくさんして、その都度カピバラは正直な反応を見せていた。
『高校じゃなくて高専っていうところに入って、まあ9ヶ月で辞めちゃったんですけど、プログラミングの試験で0点取ったこともあります』
そして、言う必要のない自分のマイナス要素を余す所なく暴露していた。
『その女性はメールアドレスさえも教えてくれなかったんですよ! あの笑顔は嘘だったんですか? 吹きガラスのコップまでプレゼントしたのに。3000円もしたんですよ? あれ以来女性を信じられなくなりました』
『別に信じなくても良いんじゃないですか?』
絶望のあまり思わず愚痴をこぼしてしまったことも、彼女に対する意識が変わった今となっては物凄く後悔している。
『こうやってラベラーを打つだけで貼れます』
『おおおお、すごいですね(笑)』
『ちょっと、この程度のことで感動してくれるなんて可愛すぎますよ』
それでも、カピバラはいつも僕にファムファタールのような笑顔を見せてくれた。
>無断欠勤少女に続き、Wまで。僕の心を散々掻き回しておいて、簡単に逃げていく。
>散々人の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。無断欠勤少女、Wに続きお前もか。お前の為にどれだけ身を削ってきたと思っているのだ。
>人の心を散々掻き回しておいて、簡単に突き落とす。この仕事を始めてからもう何人目だろうか。
物語のラストはいつもこうだった。元祖無断欠勤少女からKSMまで、何人もの人に裏切られた。一時は女性不信にさえなっていた。そんな中でカピバラだけは信じても良いと思えた。彼女の笑顔だけは本物だと思えた。彼女が笑顔を見せてくれるたびに僕は安心できた。
>彼女も何の心配も要らない存在なのだ。もう高校3年生。僕が思っている以上に大人だろう。そして、無断欠勤少女やWなど、過去に関わってきた女子高生たちに比べれば一番真面目な人であることは、彼女を一から見てきた僕が一番知っている。
だが、いつまでも変わらずにはいられないのだった。気が付くと少女は大人になっていた。スタッフとして一から育て、昨年の春から「共に成長」してきた唯一の存在が、長くても半年足らずで巣立とうとしている。
そんな彼女に僕がすべきことは何なのか。下手な絵を描いて見せる、ただそれだけで良いのだろうか。
――君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
「今週鎌倉に行ったんですけど、高校生スタッフ4人には個別にお土産を用意したので持って帰ってください」
「ああ、ありがとうございます……」
2013年9月15日、ついに僕はカピバラに絵を渡した。合格祈願のお守りと鉛筆は付け合わせに過ぎず、本命はそこに仕込ませておいた一枚のカード。
結局、顔に影を付ける作業は諦め、単色のペールオレンジのみを塗った。髪の毛にハイライトを付けることは出来なかったが、グラデーションで誤魔化した。背景は無料素材をそのまま借用した。妥協に妥協を塗り重ね、何とか着色を完了させた。それをキャッシュカードの大きさに縮小印刷し、これだけの為に2000円で購入したラミネーターに通しコーティングして完成。
このカードには2つのメッセージが入っている。まず裏面にはネームペンでこう書いた。
『※これは大がかりなギャグなので捨てても良いです。本当にすみませんでした』
あれだけ労力を費やし本気で描いた絵が「ギャグ」。僅か一ヶ月で上手な絵を描くこと自体無謀だったのだ。せめて数ヶ月前から描き始めていればまだ違った結果になっただろう。この計画に気付くのが遅すぎた。
そして、表面の、カピバラの絵の右下を良く見ると、小さくもうひとつのメッセージが。
『 Thank you. 』
それが「さよなら」に代わる言葉だった。クズな僕がどんなに駄目駄目な部分を晒しても、いつも笑顔を見せてくれたことに対する感謝。どんなに仕事が辛くてもその笑顔で心が洗われ何とか一年半も続けることが出来たことに対する感謝。そして、この絵を見せてしまった一週間後でも気にせず笑顔を見せてくれた優しさに対する感謝の意を、ストレートに8文字のアルファベットで綴った。
9月30日、人事異動により僕は一年半お世話になった店舗を、カピバラの居る店舗を離れることになってしまった。彼女はまだ辞めていないのに、予想を遥かに上回る早さで別れは突然訪れた。それまでにプロジェクトを完遂できたのは不幸中の幸いだった。絵の完成があと2週間遅ければ、8文字のメッセージを伝えることは永遠に無かっただろう。
新しい配属先の店舗で、新たな女性との出会いもあるのかもしれない。それでもカピバラを超える存在は二度と現れないだろう。
ファムファタールが、この世に二人も存在するわけ無いのだから。
――ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
(Fin.)
『指原みたいにファンの為にファンの為にって考えすぎると精神追い込まれてしまうんですよ。この仕事も一緒であまりお客様の為にって思いつめすぎるとそれが逆効果になることもあるわけです』
2012年6月、かなり初期の段階でAKBの話をして引かれてしまったのも今では懐かしい。
>2007年から分割4クールにも渡り放送され、社会現象にもなったTVアニメ『CLANNAD―クラナド―』の有名なシーンである。私は主人公の岡崎朋也とある意味似たような境遇になった事がある。それは一年前、まだ今の仕事に就く前の事だった。
>(中略)
>自分の為でもお金の為でもない、誰かのために働く事こそが仕事であると、私は思う。
>あなたの大切な人は誰ですか?
辞める直前のWに読ませた痛い文章『仕事とレゾンデートル』を、実はカピバラにも見せてしまっていた。
『大人の常識として言っておきますけど、この男性スタッフみたいに某ネズミの国のお土産を職場に持ってきたら駄目です。だって絶対恋人と行っているじゃないですか。一人で行くわけないし男同士で行くわけもないし。恋人が居ますアピールにしか見えないんですよ』
『別に良いじゃないですか(笑)』
『東横線が渋谷まで直通したからって、素直にそれに従うのは情報弱者なんですよ。プロは路線図を見て地下鉄を乗り継いでうんたらかんたら』
『ちょっと何言っているのか分かりません』
『ニセコイの小野寺さんが神の領域に達していると思うんですけど』
『あんなの居ないですよ(笑)』
『あとは氷菓の千反田えるが……』
『誰ですか?』
僕はトークが大の苦手だった。変な話をたくさんして、その都度カピバラは正直な反応を見せていた。
『高校じゃなくて高専っていうところに入って、まあ9ヶ月で辞めちゃったんですけど、プログラミングの試験で0点取ったこともあります』
そして、言う必要のない自分のマイナス要素を余す所なく暴露していた。
『その女性はメールアドレスさえも教えてくれなかったんですよ! あの笑顔は嘘だったんですか? 吹きガラスのコップまでプレゼントしたのに。3000円もしたんですよ? あれ以来女性を信じられなくなりました』
『別に信じなくても良いんじゃないですか?』
絶望のあまり思わず愚痴をこぼしてしまったことも、彼女に対する意識が変わった今となっては物凄く後悔している。
『こうやってラベラーを打つだけで貼れます』
『おおおお、すごいですね(笑)』
『ちょっと、この程度のことで感動してくれるなんて可愛すぎますよ』
それでも、カピバラはいつも僕にファムファタールのような笑顔を見せてくれた。
>無断欠勤少女に続き、Wまで。僕の心を散々掻き回しておいて、簡単に逃げていく。
>散々人の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。無断欠勤少女、Wに続きお前もか。お前の為にどれだけ身を削ってきたと思っているのだ。
>人の心を散々掻き回しておいて、簡単に突き落とす。この仕事を始めてからもう何人目だろうか。
物語のラストはいつもこうだった。元祖無断欠勤少女からKSMまで、何人もの人に裏切られた。一時は女性不信にさえなっていた。そんな中でカピバラだけは信じても良いと思えた。彼女の笑顔だけは本物だと思えた。彼女が笑顔を見せてくれるたびに僕は安心できた。
>彼女も何の心配も要らない存在なのだ。もう高校3年生。僕が思っている以上に大人だろう。そして、無断欠勤少女やWなど、過去に関わってきた女子高生たちに比べれば一番真面目な人であることは、彼女を一から見てきた僕が一番知っている。
だが、いつまでも変わらずにはいられないのだった。気が付くと少女は大人になっていた。スタッフとして一から育て、昨年の春から「共に成長」してきた唯一の存在が、長くても半年足らずで巣立とうとしている。
そんな彼女に僕がすべきことは何なのか。下手な絵を描いて見せる、ただそれだけで良いのだろうか。
――君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
「今週鎌倉に行ったんですけど、高校生スタッフ4人には個別にお土産を用意したので持って帰ってください」
「ああ、ありがとうございます……」
2013年9月15日、ついに僕はカピバラに絵を渡した。合格祈願のお守りと鉛筆は付け合わせに過ぎず、本命はそこに仕込ませておいた一枚のカード。
結局、顔に影を付ける作業は諦め、単色のペールオレンジのみを塗った。髪の毛にハイライトを付けることは出来なかったが、グラデーションで誤魔化した。背景は無料素材をそのまま借用した。妥協に妥協を塗り重ね、何とか着色を完了させた。それをキャッシュカードの大きさに縮小印刷し、これだけの為に2000円で購入したラミネーターに通しコーティングして完成。
このカードには2つのメッセージが入っている。まず裏面にはネームペンでこう書いた。
『※これは大がかりなギャグなので捨てても良いです。本当にすみませんでした』
あれだけ労力を費やし本気で描いた絵が「ギャグ」。僅か一ヶ月で上手な絵を描くこと自体無謀だったのだ。せめて数ヶ月前から描き始めていればまだ違った結果になっただろう。この計画に気付くのが遅すぎた。
そして、表面の、カピバラの絵の右下を良く見ると、小さくもうひとつのメッセージが。
『 Thank you. 』
それが「さよなら」に代わる言葉だった。クズな僕がどんなに駄目駄目な部分を晒しても、いつも笑顔を見せてくれたことに対する感謝。どんなに仕事が辛くてもその笑顔で心が洗われ何とか一年半も続けることが出来たことに対する感謝。そして、この絵を見せてしまった一週間後でも気にせず笑顔を見せてくれた優しさに対する感謝の意を、ストレートに8文字のアルファベットで綴った。
9月30日、人事異動により僕は一年半お世話になった店舗を、カピバラの居る店舗を離れることになってしまった。彼女はまだ辞めていないのに、予想を遥かに上回る早さで別れは突然訪れた。それまでにプロジェクトを完遂できたのは不幸中の幸いだった。絵の完成があと2週間遅ければ、8文字のメッセージを伝えることは永遠に無かっただろう。
新しい配属先の店舗で、新たな女性との出会いもあるのかもしれない。それでもカピバラを超える存在は二度と現れないだろう。
ファムファタールが、この世に二人も存在するわけ無いのだから。
――ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
(Fin.)
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