民家の軒先には袋詰めのみかんが売られている。
よく農地にあったりするセルフ販売のようなものだ。
たわわに実った大きなみかんが8つほど入って、100円とはお安い。
100円を奉納して、棚から袋のみかんをいただく。
早速だが、食べてみると思いのほか甘い。
みかんは当たり外れが激しいからスーパーでも買うのを躊躇してしまう。
みずみずしいいから、峠越えのおやつにちょうどいい。
あまりにも美味しいものだから、もう一袋くらい買っておけばよかったと思ったりもするのであった。
道の傾斜がきつくなるのと同時に、家々は姿を消して山道になる。
気付けば周囲はみかん畑。
ちょうど時季であるから、橙色の実がたくさん生っている。
静岡は温暖な気候なので、江戸時代頃から栽培が行われ始めたという。
そういえば実家が静岡県にある友人の部屋にはみかん箱が積まれていた気がする。
浜名湖付近の三ヶ日みかんは有名である。
静かな畑道でみかん栽培をしていると思われるおばあさんに遭遇。
便利に整備された自動車道を通るのとは違って、地形や地域の差がじっくりと鑑賞できていい。
畑には収穫したみかんを運搬する農業用モノレールが張り巡らされている。
このみかん畑は海岸に面した斜面に立地しているので、便利そうである。
収穫期にはたくさんのみかんを載せた無人の台車が走っているのであろう。
レールが緩いカーブを描いて急斜面の先に消えていく姿を見ていると、ジェットコースターのようで乗ってみたくなるというもの。
みかんになりたい。
先程から進行方向左の畑の木々の合間から海がちらちらと見えていたが、いよいよ道路が崖へと踊り出る。
気付けば、だいぶ登って来ていたようで、みごとに伊豆半島まで望むことができる。
ガードレールが道路の曲折地点にしか用意されてない感じがいい感じ。
ひょいと下を覗いてみると、海岸線を走る東名高速道路が見える。
車が停まっている場所は上りの由比SAであろう。
ちなみ下りの由比SAは海を眺めるデッキも完備されているのでおすすめ。
振り向けば富士山の雄姿。
薩埵峠を由比宿から蒲原宿方向へ歩くと、富士山をずっと背にして歩かなければいけない。
まあ、見たいときに振り返ればいいんじゃない?
とかなんとか思いながら、いよいよ頂上付近へやって来た。
ここまで高度を上げても、まだミカンの木が茂っている。
峠の最も眺望の良い場所は「さった峠展望台」となっていて、木製の展望台がある。
ここまでくれば、三脚を持った本気のカメラマンもいるし、驚いたことに立派な駐車場もある。
先程まで、車一台しか通ることができないような道を歩いてきたので、何故か狐につままれたような感覚である。
他のルートでもあるのだろう。
もちろん駐車場にはお手洗いもあるので安心。
東海道のハイライトと名高い、薩埵峠。
霊峰・駿河富士と伸びゆく雲、穏やかな駿河湾を見渡すことのできるパノラマは江戸時代と変わらないようである。
それにしても、
ここからの景観を見ながら、陸地の交通はこの百幾年かで変わったなあと、実感する。
今、私が立っている所は山中を歩き、越えていく古からの峠道。
眼下に見える交通機関は陸地側から東海道本線、国道1号線。
そして、隧道で台地を突き抜け、橋脚で海岸へと踊りだす東名高速道路。
自然に寄り添う形から、自然をも無視したコンクリートハイウェイ。
時代は確かに便利になった。
東海道中、それぞれの道が異なる進み方をして東京から京都を結んでいるわけだが、ここまで凝縮された空間は珍しい。
まるで交通の見本市のようでもある。
ちなみに東海道新幹線はもっと内陸部を隧道で通過している。
歌川広重の『東海道五十三次』の「由比」には薩埵嶺とあって、ここからの景色を描いている。
時代が移り、当時と似ても似つかぬ画も多い中、じつにそっくりである。
画中には景観に見とれるふたりの旅人と、、薪を背負ってせっせと歩く里人が描かれている。
観光客と地元民、この対比と温度差を的確に示す絵画があるということは、江戸時代には旅や観光がどれだけ社会に浸透していたかがわかる。
今に当てはめれば、画中の旅人は我々であり、里人はきっとみかん農家の人であろう。
展望台をあとにして、歩いていて気持ちの良いハイキングコースをしばらく行くと、峠の下り坂が始まる。
登りは自動車が通ることのできる舗装された道であったが、こちらは歩行者専用の登山道。
途中、崖に迫り出した舗装階段もあるものの、途中からは木々の生い茂る薄暗い場所。
峠越えらしい、風情のある道だ。
木々を抜けると、由比方面とはうって変わってビニールハウスや墓地のある田舎風景。
歴史ある道は終わりを告げて、生活風景に紛れ込むことになる。
興津駅までは2.5km。
興津川を渡った先で、国道1号線と合流。
車通りの多い国道は海が近いと言えど、排気ガス臭い。
歩いていて楽しい場所ではないので、適当に脇道にそれよう。
途中で偶然、「女体の森」なる場所を発見。
宗像神社の別称らしいが、名前の魔力に呼び寄せられてついつい境内に行くと、なんてことのない普通の神社である。
境内の説明版によると、
昔、境内の森が駿河湾の漁師の目印となっており、「女体の森」と呼ばれていたという。
森が女体に見えたのか、それとも豊饒とかそういう意味で神聖視されていた場所だったのか。
宗像神社という神社は女性神を祀る神社であるから、女性との関係があった場所であることは確かなようだ。
それにしても、神社の目の前が小学校。
小学生高学年くらいになると、「女体の森」という言葉に反応してしまいそうである。
女体の森から興津駅までの路地は昔ながらの隘路で、昔ながらの家屋と水路がいい味を出している。
興津の駅自体も、小ぢんまりとした駅。
列車に乗れば海沿いを走って3分で両駅を結んでいるところ、徒歩で峠を越えた場合は2時間ほど。
乗り物に乗ってしまっては見ることのできない、古より残された風景を訪ねる今回の薩埵峠越え。
近代以前の、埋もれてしまった旅の愉しみに出会える場所であった。