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マックスウェーバーの説く「倫理」の根底にあるものこそ仏教(天国・地獄)思想

2023-01-24 02:29:16 | 政治
日本精神の祖とは、誰にあたるのでしょうか?
もちろん色々な意見があるでしょうが、大和(やまと)精神、と言い変えれば、それは聖徳太子にさかのぼるのではないでしょうか?
日本的な「和」の精神の元を作ったと言われるのが聖徳太子ですが、聖徳太子の大きな功績の一つが
「仏教を国教に据え、神仏習合の文化的・宗教的基礎を作った」という事でしょう

勘のいい方なら、このへんで、今日の日記で私が言いたいことの骨子が分かったのではないでしょうか?
そうです、前々回、小室直樹先生とマックスウェーバーの話をしましたけれども
日本の資本主義精神の根底に流れる「倫理的規範」こそ、「仏教精神」なのです
マックスウェーバー的に言えば、「日本の仏教徒の倫理と資本主義の精神」となります(笑)

アメリカの繁栄の元にあったのは「プロテスタント(キリスト教新教)の倫理観」でした
この倫理規範が根底にあって、資本主義は社会を大きく発展させる方向に育って行きました
違う意見をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、マックスウェーバーの分析によると
カトリック(旧教)の倫理観では、資本にあたるお金や富を罪悪視し、「穢(けが)れ」と見ます
イエスの「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉に強い影響を受け
カトリック教徒はお金を穢れと見ていて、敬虔な信仰を持つ人ほど、「お金を身から離すことで天国に入れる」、と考えました
そうした、お金を罪悪視する見方からキリスト教徒を開放し
「勤勉に働いたお金を貯蓄し、それを資本として事業を起こし、資本家として多くの人に役に立つことは神の心に適う」
と説いた「カルバン派」のプロテスタントが、新しい新興国であるアメリカの倫理的規範となりました
そこから本来の資本主義国家が繁栄したわけです
つまり、キリスト教国の場合は「罪の意識からの解放」によって、繁栄が生まれた、と言っていいでしょう

一方の日本はどうでしょうか?
聖徳太子が仏教の輸入によってもたらしたのは、「善悪の規範を明らかにすること」だったのではないかと私は思います
実は、日本古来からある日本神道には、「驚くほど教えが少ない」ということをご存じでしょうか?
日本神道には、善悪を分ける規範となる「教え」が、あまりにも少なかったのです
おそらく、聖徳太子が仏教を輸入して国教に定めた考え方の根底には、日本人の善悪の倫理規範を定めたかった
という思いがあると思います
と言いますのも
日本神道は古来より、「怨霊や悪霊を、神様として祀(まつ)り上げることで、その怒りを鎮める」みたいなことをやっていますので
要するに、善と悪を分けないで、とにかく「怨霊は、おだてあげて怒りを鎮めてくればいい」みたいな精神分化があります
菅原道真、崇徳上皇(すとくじょうこう)、平将門、などは日本の代表的な怨霊ですが
この祟りを鎮めるために「あんたは神様だ」とおだて上げ、社(やしろ)を作って祀り上げているわけです
要は、善も悪もない、死んだら神様・仏様だ、ということで、うやむやにしてしまうわけです
いやむしろ、菅原道真のように、死んだら多くの人に祟るような人こそ「偉い人だ、学問の神様だ」なんて言っているわけです(笑)
まあ、日本的には色々な見方もありますが、要は「ゴネ得」の文化なわけです。。。クレームを付けた人、声の大きい人が偉くなって
本来、それが正しいか間違っているかを分けることをしないわけです。。まあ言い換えれば、倫理規範が弱いとも言えます

しかし、それでは日本人の倫理規範はどうやって作られたのか?ですが
その日本人の弱い倫理規範を埋めたものこそ、「仏教の説く天国・地獄の思想」だったと私は思います
恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)という僧侶が、「往生要集(おうじょうようしゅう)」というものを著し
仏教の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の思想、世界観を、もっと具体的な世界観としてあらわしました
天国と地獄の姿を、具体的な絵巻としてあらわし
「良いことをすれば極楽浄土に行き、悪いことをすれば地獄や餓鬼地獄、畜生道といった世界に行くことになる」
と示しました
これが実は、仏教の説く倫理規範であるわけです
日本人の精神的な倫理規範は、基本的に仏教の教えに基づいた精神文化だと、私は思います

しかし、昨今、中村元(はじめ)という有名な仏教学者が出てきて、「仏教は唯物論であり哲学なんだ」と言い始めてから
日本人の倫理規範が崩れ始めたと言えると、私は思っています
「極楽(天国)とか地獄とか畜生道とか、こんなのは昔の人が民衆を導くための方便だ」というわけです
うん、まあ、中村氏の言っていることが正しくて、仏教が唯物論であり単なる学問哲学なら、確かにそうでしょうね
でも、哲学の祖であるプラトンとかソクラテスとかを読めば、哲学も元々は、「あの世」を説いています
天国とか地獄とか、生まれ変わりとか、仏教とまったく同じことを説いているんですけど、中村氏が知らなかったわけじゃないでしょう

この天国と地獄という問題ね。。。そろそろ決着をつけるべき時が来ていると思いますよね
人間の死後の世界はあるのかないのか?天国と地獄はあるのかないのか?
これを虚心坦懐に見直すべき時が来ているのではないか?と、私は思います
それがね、学問のはじまりにあたる部分なんですよ
前回の日記で取り上げた、大川隆法先生がね、「マックスウェーバーこそ学問の始まりなんだ」ということをおっしゃているんですよ
どういう意味なのか、私なりに考えたんですけどね
要は、宗教的倫理規範のないところには、学問は成り立たない、という事だと思うんですよ
宗教的倫理こそ経済の生みの親であり、それを生み出すもとにあるのは、宗教的真理、つまり天国地獄の思想や生まれ変わりの思想であるわけです

だからこそいま私は、今までの政治や経済の話の中に、宗教的な話をちりばめています
本来、ここを押さえないと、経済学なんてものは、単なる方法論であって、世の中を間違った方向に向けて行くことだってあるわけです
そういうことを今日の結論といたします

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