最近、よくお話をさせていただく、女性の先生がいる。
1年生の担任なのだが、子供が本当に好きなようで、
子供に囲まれている先生が、聖母マリアに見えるときがある。
これまで、いくつか違う学校に勤めていたようなので、
「前の学校はいかがでしたか?」と聞いたら
「とても楽しかったよ」と答えてくれた。
今日も、息子さんが、教師を目指しているという話をしていたのだが、
「私が仕事が楽しいといつも言っているので、
息子も教師になりたいと思ったみたい」と言っていた。
ここ、私だったら
「前の仕事はいかがでしたか?」
「いや~、大変でしたよ」
「私が仕事は大変だといつも言うものだから
息子(?)は社会に出るのに怯えてしまっている」
・・・なんてことになりそうだ!!
過去を「楽しかった」と言い切れる人、
現状を「幸せだ」と認められる人、
すごいと思うし、素敵だと思う。
私ももう大人だから、本当に、その先生の人生が、
客観的に見て、100%楽しかったとは、思っていない。
辛いことも、苦しいことも、当然、あっただろう。
どうして、その先生は、物事を肯定的に総括することができるんだろう。
どうして、私にはできないんだろう。
私は、その先生が描いた、一枚の絵を思い出した。
先生が担当するクラスの子供たちの絵なのだが、
どの子供の顔も、判で押したような「ニコニコマーク」に描かれているのだ。
その絵を見たとき、私は、先生らしいなと思うとともに、
先生が、「ニコニコマーク」の、心の仮面をかぶっているように感じた。
泣いている顔も、苦しんでいる顔も、
笑顔のお面で隠してしまっているのだ。
過去を肯定する、現状をいいものとして認める、
それは、幸せに生きようとする、覚悟なのかもしれない。
1年生の担任なのだが、子供が本当に好きなようで、
子供に囲まれている先生が、聖母マリアに見えるときがある。
これまで、いくつか違う学校に勤めていたようなので、
「前の学校はいかがでしたか?」と聞いたら
「とても楽しかったよ」と答えてくれた。
今日も、息子さんが、教師を目指しているという話をしていたのだが、
「私が仕事が楽しいといつも言っているので、
息子も教師になりたいと思ったみたい」と言っていた。
ここ、私だったら
「前の仕事はいかがでしたか?」
「いや~、大変でしたよ」
「私が仕事は大変だといつも言うものだから
息子(?)は社会に出るのに怯えてしまっている」
・・・なんてことになりそうだ!!
過去を「楽しかった」と言い切れる人、
現状を「幸せだ」と認められる人、
すごいと思うし、素敵だと思う。
私ももう大人だから、本当に、その先生の人生が、
客観的に見て、100%楽しかったとは、思っていない。
辛いことも、苦しいことも、当然、あっただろう。
どうして、その先生は、物事を肯定的に総括することができるんだろう。
どうして、私にはできないんだろう。
私は、その先生が描いた、一枚の絵を思い出した。
先生が担当するクラスの子供たちの絵なのだが、
どの子供の顔も、判で押したような「ニコニコマーク」に描かれているのだ。
その絵を見たとき、私は、先生らしいなと思うとともに、
先生が、「ニコニコマーク」の、心の仮面をかぶっているように感じた。
泣いている顔も、苦しんでいる顔も、
笑顔のお面で隠してしまっているのだ。
過去を肯定する、現状をいいものとして認める、
それは、幸せに生きようとする、覚悟なのかもしれない。
