富士山と近所の紅葉


カメラを変えました。ズームがさらに拡大。
今までのカメラは最大ズームが始めの写真、
新たに購入したカメラでは上の写真で、富士山頂上がここまで鮮明に。
これでもまだ最大ではありませんが。
甲斐駒ケ岳もここまでズームできました。

鳳凰三山の一つ、これも今まではこの小さな頂上の石がぼんやりとやっと見えるかでしたが。

サントリー登美の丘と茅ケ岳

甲府 千代田湖方面の・・・

我が家に居ながらにして、山々の紅葉を満喫しています。
我が家の今年の柿です
ほとんどが、大人の軽く握ったこぶし大です。

これで収穫半分です。
鳥につつかれることなく、たくさん。

程よいゴマ、甘さは十分。
渋みもほとんど感じることなく、おやつに食べています。

全く手入れはせず、この春に枝を思いきって、切ったのが功を奏した?のでしょうか。
ホテルの食事
部屋からの夜景

夕食


朝食

イカ様レース


ツアーで一緒の皆さんがレースに参加。
終了後は、新鮮なイカ刺しをおいしくいただきました。ワタも臭みなく美味

幻の鉄道
工事は所々されたのですが、鉄道は走らないまま中止された路線
駅舎が復元、足湯がありました。
2005年(平成17年)4月に下風呂駅予定地付近の連続アーチ橋を遊歩道として改修・整備した。
そのため、鉄道線から見られたであろう景色が歩きながら見ることができるようになっている。


2006年(平成18年)現在でもアーチ橋や橋脚などの遺構が残され、
下風呂駅(予定地)では駅のホームに出入りするために作られた階段が現在でも利用されているなど、生活道路になっている部分もあるが、
戦時中の建設ということもあり資材不足による粗悪なコンクリート(鉄筋が使えず木筋や竹筋が使われているという)が使われたことに加え、
長年の放置で老朽化しており崩落の可能性が生じている場所もある。
トンネル(隧道)も現存するが崩落の危険性があり、全てコンクリートで坑口を塞がれている。
1968年までは予定線であったことから、隧道封鎖工事が行なわれたのは恐らくそれ以降であろう。
また、戦後まもなくして、途中にある焼山隧道で映画の撮影が行われたという。
その為、他のトンネルは封鎖されているが、このトンネルは、上部が開いている。
大間にある海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画された。
後に戦争による空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、
津軽海峡で最も幅の狭い大間~戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する路線として建設されることになった。
1937年(昭和12年)に工事が開始され2年後の1939年(昭和14年)に大畑線として下北~大畑間が開通、
大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみとなったが、
1943年(昭和18年)に戦時中の資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置されていた。
( 資料抜粋 )
本州最北端 大間崎








昼食は大間のまぐろ丼

お土産屋さんで大きなうにを食べました。
これで500円


空いているところは食べてしまった後です。


撮影:9月9日