こんにちは☺ 保育士向上委員会ブログです!
今回は映画『ソロモンの偽証』後編です。
後編は裁判編です!
大人が子どものすることを信じきれるかどうかが最初のポイントだった。 これが守られないと、大人が誘導した答えになってしまう。 これは最後まで守られた。
個人的には自殺した場合、亡くなったのを重く見て、その両親や身近にいた大人、そして担任がまず有罪ではないけど、こうした方が良かったってことがあると思う。そして、闇を抱えている、いじめる側の子どもの両親とその担任 そして担任以外の教師という順番に重くなっていくか。
私の個人的な意見は別にどうでもいい。
裁判が続くにつれて、この事件に関わった子どもたちそれぞれが、自分が悪かったところに気づきだす。
子どもたちが私がこうしたら自殺は防げたんじゃないか?また一人亡くなることはなかったんではないか?って考え始める。それに気づけたことが成長であり、亡くなってしまったことは取り返せないことだけど、唯一意味を持たせられること。
今の社会で、子どもが自殺したり、反社会的行動なんかの問題行動が起きたとき、どれだけの大人が自分のせいではないか?こうすれば防げただろうって気づくことがでているのだろうか…
単に子どもが悪いと断罪して、終わっていないだろうか…
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