耳納の神々

この山から見る平野も川も壮大です。やっぱりこの山には神々がいらっしゃいます。
山の神にご挨拶するために今年も登るぞ~

節分

2010年02月03日 | 家族
午前中は仕事2で福岡へ。

午後は仕事1。

早く帰って高良大社へ行くぞって思ったけど、特売をしているスーパーで野菜ジュースが欲しかったし、家に帰ると、朝バタバタして出て行ったので、とっちらかっているし・・・(-"-;)
結局行けなかった。

この町には鬼はいないから豆まきはいらないかな?と思って、大豆の五目煮を作ったよ(^^;)

さぁ明日もバタバタだけど、行けるでようか。

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水鏡神社

2010年02月03日 | 福岡県の神社
アクロスで仕事2があったので、早朝の電車で出発。
電車はいいね~本を読めるから(^_^)v

そしてアクロスに入る前にチェックしていた水鏡神社
「すいきょう」って読むんだよ(^^;)


ご祭神  菅原道真

この神社は一名水鏡天満宮ともいう。社伝によると延喜元年(901年)菅原道真公が太宰権師に左遷されて博多に上陸の時、四十川(現在の中央区今泉)の清流を水鏡として姿をうつされたので後世その地に社殿を建てて水鏡天神、又容見(すがたみ)天神といった。
慶長17年(1612)初代藩主黒田長政が現在の地に移築遷座し、寛永18年(1641)2代藩主黒田忠之が社殿を再築した現在福岡市の中心「天神」の地名は当社に由来す。
社宝として、水鏡天神縁起(大鳥居信祐筆)、鏡天神縁起、渡唐天神像、その他がある。
尚当宮正面鳥居扁額は元総理大臣広田弘毅が小学生の時に揮毫したものである。(案内板より)


まだ午前中なのに、こんなに日陰に。
ビルの谷間にあるのよ。

今日は旧暦の大晦日。
豆まきはなくても、ちょっと何かあるかな~って思ったんだけど(^^;)


でもご近所の方かな???結構ひっきりなしにお詣りに来る人がいるの。
びっくりよ。

住所も天神1丁目 (^^;)

Wikipediaより
由来
菅原道真が京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映した場所であるとされ、今泉(中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転した。「天神」の地名は、この天満宮に由来する。

祭事暦
1月7日 - うそ替
7月24・25日 - 夏祭(がんぞい)
10月24・25日 - 秋祭
社宝
木彫渡唐天神像(県指定文化財) - 享保14年(1729年)、大仏師正慶作
水鏡天満宮縁起 - 延宝2年(1674年)、大鳥居信祐作
綱敷天神像 - 狩野栄川院法印典信画
鳥居扁額 - 昭和の首相、広田弘毅の小学生の時の書物

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