日本政府はね、国民を極貧にしないんですよ。そこが上手い。まだ食べてけるからいいやって気持ちにさせてる。でもね、こんなに働いてこの程度の生活で満足してる日本人は実に謙虚なのよ。忙しい日本に反乱はないなぁ。エジプトは雇用制度をないがしろにして国民に暇を与えてしまったのが仇となったの。
この「未定」は着工時期のことで、建設計画が「未定」なわけではないんですね。作る気満々ということでしょうか。→原発建設計画 電力各社は「未定」 NHKニュース ow.ly/jAiOE
昨日は将棋の羽生さんと対談してきた。一度昔僕が若い時、あんまり世の中の事を知らない時にお会いした事があった。後から考えてあれはもったいない事をしたなあという思いがすごくあったので、今回は自分の聞きたい事をたくさん聞いてきた。
選択の話になって、僕が”本当は頑張れば手が届くのにやめてしまう事と、この先には目がないからやめる事の違いは何ですか”と聞いたら、少しだけ上を見ながら考えて、”ものさしではないでしょうか”と話しはじめた。長いものさしがあるかどうかのような気がします、と
この先には何となく道が拓けそうだ、この先はどうも難しそうだ。その時に長いものさしを持っていて、何となく昔から今に至るまで、今の自分と目標との距離、残された時間、他者とのバランス、そんなものが複合されて”可能性があるか”を判断する。そういうものさしがあるかどうか
陸上選手は距離を聞けば、全力疾走で何秒かかるかだいたいわかる。プロジェクト慣れしている人にやりたい事を話すと、どのくらい時間がかかるか、そもそも実現可能かどうかがすぐ出てくる。人間は経験を蓄積する事でものさしを作るんだと思う。
単純に経験やセンスが無くものさしがない人もいれば、等身大の自分の能力を認めたくなくてものさしが歪んでいる人もいる。正確なものさしを持つという事は、自分にはできない事、勝てない相手がいると冷静に知るという事で、プライドが高いが故に正確なものさしが持てない人もいる。
【終わり】プライドが高く傷つきたくない人は敗北を怖れるあまり、人生に勝負と挑戦が少なく、結果として正確なものさしができあがりにくい。頑張ったけどだめだった、絶対勝てない相手に会う、思ったよりいけた。そういう経験の蓄積によりものさしは出来上がるのだと思う。
オセロの中島さんのニュースが僕がテレビに出ていた時扱われたのだけれど、論点がすごく興味深かった。中島さんは私はマインドコントロールなんてされてないといい、専門家はされていると言う。その人自身がその人の意思をもって正常に判断を下しているというのはどういう事なのだろうか。
桜宮高校の時も似た議論があった。先生を戻してほしいという子ども達、体罰を受けた先生を戻せという君たちはおかしいという大人。本来であれば人が受け入れ難いものを受け入れてしまっている時、正常であるかどうかは周囲が決めるのか、それとも本人か
自分は今自分の意思を持っている。誰もがそう思っているけれど、マインドコントロールの定義で言えば、あなたの意思はあなたの意思ではないかもしれないという事。自分の意思だと思っているものは、実は自分のものではないかもしれないという事
精神的に病んだ時の人のあった事があるけれど、確かに普通の状態ではないという感じがした。でも、その状態でも人はコーヒーを頼んだり、携帯の契約をするなど意思決定をしていた。会話も極めて論理的だった。おそらくは周囲からみれば違いなんてわからないだろう。
自分は今正常であると思う根拠は何なのか。僕はなぜこれが自分の意志であると自分が感じるのか、そして何が正常なのかがよくわからなくなる時がある。そもそも引いてみると実は社会の根本がものすごく滑稽なのではないかと感じてしまう。
【終わり】マインドコントロールの恐怖という本に、最終的にマインドコントロールが解けるのは”あれもあれでよかった”という過去の自分に許しを与えた瞬間なのだという。そもそも人は善悪ですら人に与えられ、それを自分のものだと信じ、生きていく。