*********************************
「棺に卵焼きを入れる?葬儀で在った本当の話」(6月21日、Excite Bit コネタ)
厚生労働省が先日発表した2012年の人口動態統計で、死亡者数は統計を取り始めてからの最多記録が出たそうだ。死亡者数が増加して行く中で、此れから身近な人の御葬式に参列する機会も増えるのかもしれない。
もしも身内が亡くなったら、一体私は何をして上げられるだろう・・・。故人の好きな物位、棺に一緒に入れて上げたいものだ。最近は死ぬ迄にしたい事や、葬儀のスタイルなんかを書いておけるエンディング・ノートなんてのも在る位だし。出来る限り本人の意思を、尊重して上げたいものだ。
でも、棺の中って、何でも入れられるんだろうか・・・。年間10,000件の依頼数が在る「小さなお葬式」に、実際在った3つのエピソードを聞いてみた。棺に入れて故人と一緒に火葬、埋葬する物を「副葬品」と言うそうだが、此れ迄、意外な物を棺に入れたいという希望が在ったそうだ。
■卵焼きはOK?
「故人が好きだった卵焼きを、入れて上げたい。」という相談が在ったらしい。好物って確かに入れて上げたいけど、どうなの?
「可燃性なので卵焼きなら基本的にはOKですが、同じ食べ物でも西瓜やメロン等水分の多い物は、燃焼の妨げになるので不可です。」。因みに、甘蕉も大量になると駄目らしい。メニューだけ聞いていると、丸で遠足の御弁当の様・・・。
■ガンプラと一緒に火葬して欲しい!
「故人がコレクションしていたプラモデル、フィギュアを一緒に棺に入れて欲しいという相談も在りましたが、此方はNGです。」。
え!卵焼きは良くて、ガンプラは駄目なんですか??「公害(煤煙、有毒ガス、悪臭)の発生源となる物は入れない様、御願いしております。」。成る程~、意外にも食べ物よりは、フィギュアの方がNGなんですね。
■鬘を被せて上げたい。
「故人が本当は禿ているので、鬘を被せた儘、火葬して上げたいという御相談も承りました。」。
こ、此れは正に、墓迄持って行く秘密って奴ですね!抑、鬘って燃えるか判らないけど、どうなんですか?「昔は性質が悪いので、燃やせないケースも在った様ですが、今は品質が上がり、大丈夫な様です。」。ほっ。其れを聞いて、安心しました・・・。取り敢えず、禿ても安心だ・・・。
「ダイオキシン問題等の関係で、入れられる副葬品に制限が在りますが、基本的には御遺骨に損傷を与える硝子・陶器・金属類を避ければ、納める事が出来る様です。でも、火葬場では基本、副葬品は最小限でと呼び掛けています。」。
話を聞いてみると、棺に入れたいと希望される物は色々なケースが在る様だ。もしどうしても、という物が在るなら、葬儀場や火葬場に問い合わせてみた方が良いかもしれない。勿論、生きている内にちゃんと孝行するのが一番大切だが、本人の希望を聞いておくのも、生きている内にしか出来ないのだから・・・。
*********************************
近年、「断捨離」なる用語が流行っているけれど、自分は随分前から「家の中に、物をごたごたと置きたくない。死ぬ時には極力、自分の物を残して行きたくない。」という思いが在る。女優の高峰秀子さんが同様の発言をされていて、其の思いを強くした。
だから自分の葬儀も、出来る限りシンプルにして貰いたい。仰々しい葬儀は真っ平御免で、家族だけが集まり、火葬だけでも良いと思っている。棺に入れるのも、必要最低限の物だけで良い。
「必要最低限の物以外に、どうしても何か他に入れなければ駄目。」と言うならば、自分は「自分や兄弟、そして自分の親が写った写真。」を出来れば全て、そうで無ければ其の殆どを入れて貰いたい。自分の経験からも、「自身の祖父母辺りの写真は未だしも、其れ以外の写真は、残されても見る機会は殆ど無いし、処分するにも困ってしまう。」というのが在るから。どうしても必要な写真は画像データとして残せば良いし、「写真は故人と一緒に、彼の世に送る。」というのが、自然に感じるから。
親の写真アルバム。若い頃の写真は変色や痛みが激しかったので、あとで修正できるようパソコン画像に取り込みました。
が、肝心の印画紙の写真の方、とりたてて残すほどのものでなくても、亡くなった親が写っているだけに燃やしたり破いてゴミに出したり・・・するのはすごく抵抗感があり、処分できずにいます。
パソコンに取り込んだ画像なら、クリックひとつでパッと消えるので案外抵抗感は無いのですが。
七夕の短冊、近所のショッピング・センターにも飾り付けて在り、「どんな事が書かれているのかなあ?」と確認してみた所、大人が書いた願いは概して現実的。「夫の仕事が早く見付かります様に。」とか、「○○ちゃんの病気が、早く良くなります様に。」といった身につまされる物が在る一方、「宝籤で1等を当選させて下さい。」とか「イケメンと結婚出来ます様に。」といった実に現実的な願いが大半。其れに対して子供の場合は、マヌケ様も書かれている様な現実的な願いも在りますが、「御巡りさんになって、悪い人をやっつけたい。」とか「御菓子を一杯食べたい。」といった、思わず頬が緩んでしまう様な願い事が多いのが救われます。「キョウリュージャーになりたい。」というのが在り、「何だ此れは?」と思って調べたら、正義の味方なんですね。自分が子供の頃は「仮面ライダーになりたい。」と書いていた子供が多かったし、こういうのは時代が変わっても、変わらない。一番笑ったのは「カレーライスになりたい。」という物。恐らくはカレーライスが大好きで、御腹一杯食べたいという意味なのだとは思いますが。
悠々遊様の書かれている事、全く同感です。「印画紙の写真は経年劣化して行くのに対して、データとして落とし込んだ画像は(100%という訳では無いけれど)劣化しない。」、「データ画像の方が編集出来るし、整理も容易。」等々、一般的にはデータ画像の方が優位性が在るのだけれど、“其の物”に対する思い入れという意味では、少なくとも“或る程度の世代”迄は全く違うんですよね。「印画紙の写真と共に、自分達も歩んで来た。」という“同志的”な感覚とでも言いましょうか。だからこそ、扱いに困ってしまう。
70で亡くなったら70枚の写真を葬儀室に貼ることです
そうする事により中学時代の写真を見た中学時代に出会った人が当時の事を思い出したり会社に入社した時の写真では同僚や上司が入社時の事を懐かしんだりするからです
葬式に来てくれた人達は10代で出会った人や20代や30代で出会った人など色んな年代に出会った人が居ますからね
たった一枚年老いた遺影だけじゃ味気ないじゃないですか
ちなみに葬式関連で私の大嫌いな格言?は「人の価値は死んだ時にどれだけ人が集まってくれるか」で~す
最近は「しんみりした葬式はして欲しく無い。自分が好きだった曲を流す等、兎に角明るく送り出して欲しい。」という故人の意思を尊重した葬式が行われる等、形式的な物から離れたケースが結構出て来ている様ですね。個人的には「身内だけでひっそりと、出来るだけシンプルに送り出して欲しい。」と思っていますが、「形式」よりも「故人の意思」を尊重するという意味では、良い傾向だと思っています。
「たった一枚、年老いた遺影だけじゃ味気無いじゃないですか。」、其れはそうですね。故人の歩みに触れるという意味で、複数枚の写真を貼るというのは面白いアイデア。参列する側にしても、思い入れは強くなる事でしょうね。