ミステリー関連の年間ブック・ランキングで、自分が注目しているのは「本格ミステリ・ベスト10」(発行元:原書房)、「週刊文春ミステリーベスト10」(発行元:文藝春秋)、そして「このミステリーがすごい!」(発行元:宝島社)の3つ。此れ等の内、2つが発表された。
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「2017本格ミステリ・ベスト10【国内編】」
1位: 「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」(著者:井上真偽氏)
3位: 「ジェリーフィッシュは凍らない」(著者:市川憂人氏)
7位: 「真実の10メートル手前」(著者:米澤穂信氏)
10位:「倒叙の四季 破られたトリック」(著者:深水黎一郎氏)
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「2016週刊文春ミステリーベスト10【国内編】」
2位: 「真実の10メートル手前」(著者:米澤穂信氏)
3位: 「涙香迷宮」(著者:竹本健治氏)
5位: 「ジェリーフィッシュは凍らない」(著者:市川憂人氏)
7位: 「許されようとは思いません」(著者:芦沢央さん)
8位: 「屋上の道化たち」(著者:島田荘司氏)
10位:「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」(著者:井上真偽氏)
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“本格ミステリ”と冠しているだけに、「本格ミステリ・ベスト10」は他のミステリー関連の年間ブック・ランキングとは、内容が大分異なっていたりする。今年も「2016週刊文春ミステリーベスト10【国内編】」の10位になっている「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」が「2017本格ミステリ・ベスト10【国内編】」では1位に選ばれる等、“我が道を行く選出”が面白い。
閑話休題。
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「【流行語大賞トップ10】『日本死ね』トップテン入りで、審査委員の俵万智さんに『残念で仕方無い。』と批判・炎上」(12月5日、産経新聞)
12月1日に発表された「2016ユーキャン新語・流行語大賞」で、トップテンに「保育園落ちた日本死ね」が選ばれた事に付い、審査委員を務めた歌人の俵万智さん(53歳)に対し、「俵万智さんが選んだとは思いたくない。」等と、ネット上で批判の書き込みが相次いでいる。
俵さんは、審査委員6人の内の1人。ツイッターには、「俵万智さん好きなだけに、残念で仕方無い。」といった批判が綴られた。特に俵さんが歌人で在る事から「日本の心や日本の言葉を大切にしているで在ろう俵万智さんが(審査委員に)入っていたのはショックだった。」、「日本語に対して最も研ぎ澄まされた感性を持っていなければならない職業の御方が、此の様ですか。」、「俵万智さんの様な歌人が、こんな直接的な死ねって言葉を評価するとはね。」と失望感を露にする意見が寄せられた。
俵さんは大学卒業後、神奈川県の公立高校で国語教師として働いていた。此の為「俵万智さんが選んだとは思いたくないですよね。彼女は神奈川県の高校で、子供相手に教師をしていた人ですからね。」といった意見も。
中には「大賞の審査員を辞めたほうが良いと思うな。言葉を紡ぐ歌人としての経歴に傷が付いてしまいますよ。」という忠告も在った。
「日本死ね」の流行語大賞トップテン入りを巡っては、タレントのつるの剛士さん(41歳)が自身のツイッターで「とても悲しい気持ちになった。」と投稿し、波紋を呼んでいた。
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最初に断っておくが、つるの剛士氏のキャラクターは嫌いで無く、寧ろ好感を持っている。だが然し、昨年来の彼の発言には、疑問を感じてしまう物が少なく無い。今回の発言、と言うか、正確には“発言から透けて見える真意”も又、疑問を感じている。
正確さを期する為、つるの氏が今回、ツイッター上に記した文章を其の儘、下記する。
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(´・ω・`)oO(『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。。皆さんは如何ですか?
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「1人の日本人として、“日本を貶める様な表現”は悲しくなる。」というのは、自分も良く理解出来る。だが然し、「日本がより良くなって貰う為に、敢えて“暗部”を曝け出し、改善して行く。」というのは、国を愛する1つの形で在り、決して貶める事では無い。
「日本にとって不都合な事柄は全て隠蔽して“存在しなかった事”にし、逆に好都合な事許りを、仮に嘘で在っても声高に叫ぶ事が、真の愛国心で在る。」とでもいう様な風潮が近年強まっているけれど、「保育園落ちた日本死ね」という言葉も、「日本死ね」という表面的な部分だけを取り上げてああだこうだ言うのでは無く、「何故、こういう言葉が、大きく取り上げられなければならなかったのか?」を考えないと駄目だと思う。
「保育園落ちた日本死ね」という言葉、民進党を始めとした野党が“政治利用”した面は、自分も在ると思っている。けれど、抑、此の言葉は、「働く為には、子供を保育所に預けなければいけない。でも、預ける保育所が、どうしても見付からない。そういう状態をずっと放置し続けている国を、無条件で愛せと言うのか?」という憤りが心の中に在り、追い込まれた末に発せられた物だと感じている。だからこそ、使われた言葉は汚くても、多くの人の心に響いたのではないか?
つるの氏に話を戻すが、昨年来、彼の発言には現政権寄りの物が目立っている。人の考えは十人十色で在り、どういう考えを持とうが自由なのだけれど、彼の発言の根底には「日本にとって不都合な事柄は全て隠蔽して“存在しなかった事”にし、逆に好都合な事許りを、仮に嘘で在っても声高に叫ぶ事が、真の愛国心で在る。」という現政権的な思考が透けて見える事が在り、疑問を感じていた。
今回のツイッター上の発言も、「『保育園落ちた日本死ね』が流行語。。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。」という記述なら判るのだが、“態々”「しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。」と、登壇した民進党の山尾志桜里さんの事を記している所に、彼の“真意”を感じてしまうのだ。
昨年来、現政権寄りの発言を繰り返している事から、「近い将来、自民党から出馬するんだろうな。」と感じていた。現政権寄りのつるの氏の姿勢に違和感を持ち、彼のツイッターに反論を寄せた人が居た様で、其れに対して彼は、次の様に返している。
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いち国民として住んでる日本を良くしようとしてる党は野党も与党も全部応援してます。だから選挙は必ず行きます。誰が自民党応援なんですか?勝手な決めつけやめてください。勿論政治家任せじゃなく自分も頑張ります。勉強不足、馬鹿は認めます!
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三原じゅん子さんが自民党から初めて出馬した際、「『自民党が全て正しい。』とか『民主党が全て間違っている。』とかいうのでは無く、是々非々で『正しい事には正しい、間違っている事には間違っている。』と言う。」といった趣旨の発言をしていて、「実行したら、評価出来るな。」と思った。でも、実際に政治家となって以降の彼女は、「自民党のする事は全て正しく、民主党(乃至は民進党)のする事は全て間違い。」といった発言に終始している。明らかに自民党が間違っている事には全く触れず、時代錯誤的な発言を連発した挙句、公私混同としか思えない行動を何度も繰り返しているのだから、「何の為に政治家になったのだろうか?」と思ってしまう。
つるの氏の「いち国民として住んでる日本を良くしようとしてる党は野党も与党も全部応援してます。」というのが“真意”なら、此れは間違っていない。でも、自分が知る限り、自民党乃至は自民党の議員が“明らかに”国を貶める様な言動をしても、つるの氏はそういった事に疑問を呈したり批判したりして来なかったのに、今回の山尾さんを態々取り上げた様に、野党の事だと批判するのでは、三原さんと同じスタンス。そういう部分が透けて見えてしまうから、“自民党応援者”と思われてしまうのではないだろうか?
話を俵万智さんへの批判に戻すが、「大賞の審査員を辞めたほうが良いと思うな。言葉を紡ぐ歌人としての経歴に傷が付いてしまいますよ。」という忠告(?)が、個人的には意味不明。読み手の心に深く突き刺さる様に、態と“汚い言葉”を使う歌だって在る。苦しい現状を何とかして欲しいが為に態と「日本死ね」という表現を用いたとしたら、表面的な部分だけで批判し、“封じ込め”様とするのは如何な物か?強い表現を用いたからこそ、多くの注目が集まり、結果として改善の方向に動き出したのは事実だろう。
「表面的な部分だけを取り上げて批判し、結果として、実際に存在する暗部を隠蔽する。」事が“美しい国”の在り様なのか?そんな考えの人達にとっては、“日本や現政権を賛美する言葉”以外、流行語とする価値が無いのだろう。
何故そういう表現をしたのかに心及ばず、気持ちに寄り添おうともせず、ただ表現の表面的な「毒」に顔をしかめるのは、この国が美しいどころか、ますます心に余裕が無くなり、荒んだ汚い国になってきたようで・・・残念。
GDPランキングでは世界第3位なのに、少なからずの一般庶民は生活、特に老後の生活に大きな不安を抱えている国・日本。景気は回復基調に在ると喧伝されているけれど、自分の生活は全く楽にならない。自国よりも“貧しい筈の国”で在っても、何故か幸せそうにも見えたりする。そんなフラストレーションの高まりが、自国を必要以上に賛美する風潮を強めている。そんな感じがしてなりません。だからこそ、日本にとって少しでもマイナスな要素は、仮令事実で在っても必死で隠蔽しようとする。
(不安を抱えた)原発や武器輸出に続き、ギャンブル依存症の問題に目を背けてのカジノ法案のごり押し。金さえ儲かれば、何をしても構わない。此の国は、一体どうなってしまうのか?そんな不安が在るのだけれど、現政権の支持率は高止まり。野党がだらしないのも事実だけれど、現政権の戦略の上手さも在ると思っています。良くも悪くも、第一次政権での失敗を糧にしている。過剰な外遊も、そんな1つではないかと。海外に行き、金をばら撒いているだけなのに、「あんなにも一生懸命頑張っている。」と国民に思わせられるし、又、ちょこちょこ行く事で、国内で自民党議員の問題等が発生しても、真面に追及させる時間を与えず、時間の経過で国民が忘れてしまう。そんな意味合いも、結構在るのではないかと。
現政権に少しでも疑問を持ったり、批判したりすると、ネット上では其れがバッシングされる世の中。「大政翼賛会が幅を利かしていた時代って、こんな感じではなかったのだろうか?」と思ったりします。
強者には阿り、弱者は徹底的に叩く。そんな国が、本当に美しい国なのだろうか?
こうした言葉が国会でも取り上げられた事は評価しますが、でも「流行語」として持て囃すのはちょっとおかしいし、違っていると私は思います。
「流行語」というのは、基本的にユーモアを伴い、例えば宴会や酒席で口にする事で、場をなごませたり、空気を和らげ、コミュニケーションを豊かにする道具なのだと私は解釈しております。
古くは、「アジャパー」とか「ガチョ~ン」、最近では「ゲゲゲの」「じぇじぇじぇ」、池上さんの「いい質問ですねぇ」といった具合に、多くは前述の定義を満たすものばかりです。「レジェンド」「神ってる」も、スポーツを通して多くの人々に勇気や夢を与えてくれた素敵な流行語だと言えるでしょう。
だけど、「日本死ね」なんてのは笑えません。それどころか、学校での苛めで「死ね!、ウザい」とかの言葉を浴びせられた子供が自殺するといった悲劇を招いたりもしています。「ババア、死ね」なんかも聞いていてやりきれません。
そんな言葉が流行語として話題になると、小さな子供までが簡単に「死ね」と言ったりするかも知れません。同様にやはり今年度の流行語トップテン入りした「ゲス不倫」も気分のいい言葉ではありません。人の心を傷つけたり、モラルに反するような言葉は、「流行語」として持て囃して欲しくはないのです。ましてや“流行語大賞の授与式で国会議員が満面の笑みを浮かべて登壇”だなんてもってのほかです。この問題を切実に感じているのなら、「流行語として取り上げるのは根本的に間違ってるから受賞は断る」と言って欲しかったですね。
繰り返しになりますが、これらの言葉は、“今年を象徴する、波紋を投げかけた言葉”として語るのには異論はありませんし、「汚い言葉」も表現の手段としてありうる、という考えも間違ってはいないとは思いますが、「流行語」として面白おかしく取り上げるべきものではない、というのが私の持論です。
Kei様の今回の書き込み、読み進めていて「一寸違うのではないかなあ?」と思いましたが、最後の「『汚い言葉』も表現の手段として在り得る、という考えも間違ってはいないとは思いますが、『流行語』として面白おかしく取り上げるべき物では無い。」という所で頷けました。
記事内でも書いた様に、「1人の日本人として、“日本を貶める様な表現”は悲しくなる。」という思いは自分も在るので、「『流行語』として面白おかしく取り上げるのは、一寸違うのかなあ。」という感じにもなったからです。
唯、つるの氏の書き込みから漂う“真意”や、ネット上で「与党を持ち上げ、逆に野党を詰らんが為の批判の具。」にしている様な書き込みが目立つ事に、個人的にはどうかという気がしています。「野党が『保育園落ちた日本死ね』という言葉を取り上げた際、『政治利用している!』と批判していた連中が、今度は野党批判の為に今回の新語・流行語大賞を利用している。」様な感じが在り、「其れならば、同じ穴の狢ではないか。」と感じた次第です。