
“後期高齢者”の範疇に在る女性から、知人が数年前に聞いた話。其の女性を、仮に「A」とする。
Aは若くして、エリートと呼ばれる男性と結婚した。其の男性を「B」とするが、彼は高給取りだったのだけれど、旦那の姑からAは常々、「息子は身を削って御金を稼いでいるのだから、無駄金を使うのは許さない。1円でも切り詰めた生活をしなさい。」と言われ続けたのだと言う。姑からのそういう“躾”、まあ在ったりはするだろう。
でも、其の姑の場合、躾のレヴェルが常軌を逸していた様だ。同居はしていなかったものの、近所に住んでいた為、ちょこちょことA宅を訪れては、「こんな無駄な物を買ったの!」と難詰する日々。BはBで、母親の顔色を窺って許りの人間だったものだから「無駄をするな!」と、かすかすの生活費しかAに与えなかった。「Aが妊娠した際、栄養の在る食べ物を満足に摂取出来ず、見た目からも不健康さが判る感じだったので、気の毒に思った近所の人達が、家に呼んで食べ物を与えた事が何度か在った。」というのだから、尋常では無い“節約”をさせられていた事が判ろう。
そんな状態が、ウン十年続いた。姑はBの兄弟の家に同居していたのだが、其の兄弟が亡くなった事から、B宅に同居する事になった。其の時点では、姑は不自由な身体となっていた。
知人がAから話を聞いたのは、姑と同居してから数年が経った頃。「自分が如何に、姑から虐げられ続けたか。」を詳細且つ憎々し気に語ったというが、そういう気持ちになるのは判らないでも無い。知人も「そんなに大変だったのか・・・気の毒だなあ。」と思ったそうだ。しかし・・・。
憎々し気に語っていたAが、一転して嬉しそうな表情となり、「だからね、私は同居し出してから、ずっと“復讐”してるのよ。」と言った。「姑に出す食事には毎回、唾や塵を入れているの。」、「姑が1人で歩けなくなり、私が付き添って外出する様になってからは、態と姑の身体を押して、転ばした事も何度か在るわ。」、「姑が寝た切りになってからは、汚れた御襁褓を取り替えない儘でいたり、蓐瘡が出来て苦しい思いをする様に、身体を動かさせなかったり。身体を抓ったり、叩いたりなんて、普通にしてるわよ。」等々の“復讐談”を並べ立て、「あんなに虐げられて来たんだから、復讐されて当然よね?」と知人に笑顔で尋ねたと言う。
返事が出来ず、黙っていただけの知人。そりゃ、そうだろう。何方かと言えば、自分も根に持つタイプでは在るが、流石に其処迄は出来ないから。他人の経験を100%、我が身の事に置き換える事は無理だけれど、Aの“恨み心”は理解出来る。でも、其処迄の“復讐”をしてしまっては、姑と“同類”になってしまうだろう。
「幼少期より酷い仕打ちを受け続けた実父を、ずっと恨んでいた。」という、俳優の香川照之氏。然し、其の確執も、今は消え去ったと言う。完全に氷解したのかどうかは、当事者のみぞ知るだが、「恨み心は消え去った。」という意味で、“恩讐の彼方に”という言葉を香川父子は口にしていたっけ。
Aの話を思うと、「“恩讐の彼方に”とは、中々ならないのが現実なのだなあ。」と感じてしまう。
祭りなんかで40歳になると男の厄だっていうんで、私の40の頃までは同級生でいろいろやったんです。私の親父がまあいろいろ地元で事業をやっていたもんだから声がかかる。断りましたよ。親父や周囲の先輩方にはいろいろ言われたが。
そういう人が私だけでもないのか、同級の者だけでやるのは無理が出て今は3学年合同らしいが、余計嫌でしょうそのほうが(嫌な先輩って必ずいる!)。
事例2:私の母。その母、つまり祖母はあの「のムギ峠」よろしく尋常小学校出てすぐ紡績工場です。ゆえに母とその兄貴に厳しかったらしい。私にはそうでもなかったが、「外孫」と思ってたからかな。従兄弟には超厳しかったとか。88まで畑やるガンバリでしたが、90で認知症に。この年になるともう単なる老化病って気もするが。そのころだったかな母が私に「ああなってことで救われているんや。たぶん○子おばちゃん(母から見た兄嫁)もそうだろう」。その後、祖母と母が相次いで亡くなった際に○子おばちゃんにその話をしたら「エエー」とたまげていました。○子さんには遠慮して何も言えなかったらしい。なんだか○子さんの良い意味での鈍さと母と祖母の間の闇を感じた瞬間でした。
或る人の“境遇”を知った際、其の人の身に極力寄り添う事は出来ても、其の人の気持ちに100%なれる訳では無い。だから、其の人の気持ちを十二分に忖度して意見を言った積りでも、当人から「そんな事じゃ無い。」と反感を持たれてしまう事だって在る。難しいですよね。