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「ビデオ流出職員を称賛=『逮捕するのはおかしい。』-自民・安倍氏」(11月11日、時事通信)
自民党の安倍晋三元首相は11日配信のメールマガジンで、中国漁船衝突ビデオを流出させたと名乗り出た海上保安官に付いて「日本の正当性を国民と世界に示した。」と称えた。一方で、映像を非公開とする判断を主導した仙谷由人官房長官に言及し「膝を屈して日中首脳会談を遣りたがる男と、何方が愛国者か答えは明らかだ。」と批判した。
安倍氏は又、「保安官を逮捕するのはおかしくないかと友人から問われたが、其の通りだ。」とも指摘した。
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「世の中には愛国者と売国奴の2種類しか存在し得ない。」といった様な極めて偏狭な人というのが存在するけれど、安倍元首相もそういう思考が見え隠れする主張は、もう好い加減に止めた方が良いだろう。今回の問題では「正義心」や「愛国心」“だけ”を前面に押し出し、「当該する海上保安官を一切罪に問うな!」といった主張がネット上を中心に目立つが、其れは余りににも極端過ぎる考え方だと自分は思う。其の辺の理由は先日の記事で詳しく書いたので其方を読んで戴けたらと思うが、「当該ビデオを政府が公開しなかった事の是非。」と「違法に当該ビデオを流出させた事の是非。」は分けて考えるべきで、其れも「正義心」や「愛国心」といった極めて曖昧且つ危うい概念で罪の有無を判断してはいけない。苟も「法治国家」を標榜している以上は、法律に則っって判断すべきだ。「愛国心」等を前面に押し出して「愛国無罪」と主張するならば、身勝手な主張を繰り広げる「人治国家」の中国と全く同じになってしまう。右打ち職人様が「それでも罪は罪」という記事を書いておられるが、内容に関して全く同感だ。
過去の歴史に捉われ過ぎてしまうのは、ハッキリ言って好きじゃない。でも、過去の歴史から何も学べない(乃至は学ばない)というのは、もっと好きじゃない。政府の指示を無視して暴走し、泥沼の戦争に突き進ませてしまった嘗ての日本軍上層部には、「愛国心を持った自分達が判断した事だから、政府の指示なんか無視して構わない。」という思いが在ったと思う。個々人が其れ其れに考える「正義心」や「愛国心」を錦の御旗にし、遣りたい放題した結果はどうだったのか?
「日本には軍隊が無い。」とは言うけれど、海上保安庁は実質的に、「軍隊」的な面を“も”有していると言えるのではないか。其処に所属する人間其れ其れが「正義心」や「愛国心」を振り翳し、政府の指示を無視して暴走したらどうなるか?「そんな事は在り得ないし、在ったとしても其の時には多くの国民は支持しない。」と言う人も居られるかもしれないけれど、「極めて曖昧な概念で罪の是非を判断すれば、其れがどんどん拡大解釈されて行き、気付いた時には“物言えぬ環境”になっていた。」なんていう事は、過去の歴史を見れば決して杞憂では無いのだ。
「三国志」から生まれた有名な故事成語に、「涙を揮って馬謖を斬る」というのが在る。「どれだけ有能な人物で在ったとしても、又、どれだけ目を掛けた人物で在ったとしても、法を犯した場合には、法に則って厳格に処罰しなければならない。例え其れが死罪で在ったとしても、手加減を加えてはならない。個人の感情で一度法を曲げてしまえば、組織は瓦解の道を歩む事になるから。」という考え方は、非常に大事。今回のケースも、罪は罪として厳格に罰せられなければいけないと思う。(上記の記事でも指摘したが、流出者の悪意を感じてしまう部分も在るし。)
流出者の悪意の有無も考慮しなければいけないとは思うが(与党が民主党だろうが自民党だろうが何処の政党だろうが無関係に、自分が気に入らない対象にダメージを与える事のみを目的として、悪事を為す人間も世の中には居るので。)、当該ビデオを公開しなかった政府の姿勢も、其の是非が問われるべきなのは言う迄も無い。自民党政権化にも在った事だけれど、違法行為を働いたとして身柄を拘束した外国人を、妙な思惑から解放するのは理解出来ないし。
「ビデオ流出職員を称賛=『逮捕するのはおかしい。』-自民・安倍氏」(11月11日、時事通信)
自民党の安倍晋三元首相は11日配信のメールマガジンで、中国漁船衝突ビデオを流出させたと名乗り出た海上保安官に付いて「日本の正当性を国民と世界に示した。」と称えた。一方で、映像を非公開とする判断を主導した仙谷由人官房長官に言及し「膝を屈して日中首脳会談を遣りたがる男と、何方が愛国者か答えは明らかだ。」と批判した。
安倍氏は又、「保安官を逮捕するのはおかしくないかと友人から問われたが、其の通りだ。」とも指摘した。
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「世の中には愛国者と売国奴の2種類しか存在し得ない。」といった様な極めて偏狭な人というのが存在するけれど、安倍元首相もそういう思考が見え隠れする主張は、もう好い加減に止めた方が良いだろう。今回の問題では「正義心」や「愛国心」“だけ”を前面に押し出し、「当該する海上保安官を一切罪に問うな!」といった主張がネット上を中心に目立つが、其れは余りににも極端過ぎる考え方だと自分は思う。其の辺の理由は先日の記事で詳しく書いたので其方を読んで戴けたらと思うが、「当該ビデオを政府が公開しなかった事の是非。」と「違法に当該ビデオを流出させた事の是非。」は分けて考えるべきで、其れも「正義心」や「愛国心」といった極めて曖昧且つ危うい概念で罪の有無を判断してはいけない。苟も「法治国家」を標榜している以上は、法律に則っって判断すべきだ。「愛国心」等を前面に押し出して「愛国無罪」と主張するならば、身勝手な主張を繰り広げる「人治国家」の中国と全く同じになってしまう。右打ち職人様が「それでも罪は罪」という記事を書いておられるが、内容に関して全く同感だ。
過去の歴史に捉われ過ぎてしまうのは、ハッキリ言って好きじゃない。でも、過去の歴史から何も学べない(乃至は学ばない)というのは、もっと好きじゃない。政府の指示を無視して暴走し、泥沼の戦争に突き進ませてしまった嘗ての日本軍上層部には、「愛国心を持った自分達が判断した事だから、政府の指示なんか無視して構わない。」という思いが在ったと思う。個々人が其れ其れに考える「正義心」や「愛国心」を錦の御旗にし、遣りたい放題した結果はどうだったのか?
「日本には軍隊が無い。」とは言うけれど、海上保安庁は実質的に、「軍隊」的な面を“も”有していると言えるのではないか。其処に所属する人間其れ其れが「正義心」や「愛国心」を振り翳し、政府の指示を無視して暴走したらどうなるか?「そんな事は在り得ないし、在ったとしても其の時には多くの国民は支持しない。」と言う人も居られるかもしれないけれど、「極めて曖昧な概念で罪の是非を判断すれば、其れがどんどん拡大解釈されて行き、気付いた時には“物言えぬ環境”になっていた。」なんていう事は、過去の歴史を見れば決して杞憂では無いのだ。
「三国志」から生まれた有名な故事成語に、「涙を揮って馬謖を斬る」というのが在る。「どれだけ有能な人物で在ったとしても、又、どれだけ目を掛けた人物で在ったとしても、法を犯した場合には、法に則って厳格に処罰しなければならない。例え其れが死罪で在ったとしても、手加減を加えてはならない。個人の感情で一度法を曲げてしまえば、組織は瓦解の道を歩む事になるから。」という考え方は、非常に大事。今回のケースも、罪は罪として厳格に罰せられなければいけないと思う。(上記の記事でも指摘したが、流出者の悪意を感じてしまう部分も在るし。)
流出者の悪意の有無も考慮しなければいけないとは思うが(与党が民主党だろうが自民党だろうが何処の政党だろうが無関係に、自分が気に入らない対象にダメージを与える事のみを目的として、悪事を為す人間も世の中には居るので。)、当該ビデオを公開しなかった政府の姿勢も、其の是非が問われるべきなのは言う迄も無い。自民党政権化にも在った事だけれど、違法行為を働いたとして身柄を拘束した外国人を、妙な思惑から解放するのは理解出来ないし。
公務員のトップとしての総理の意に反した行為をしたわけです。組織の人間としては感心できません。
と、いうと内部告発ということを否定することになりますが、内部告発は肯定します。
う~ん、難しいですね。私自身、自己矛盾しています。組織人を優先するか、良心ある一市民か、どっちを優先すべきかですね。この問題、考えさせることが多いです。
五・一五事件の犯人達に世間の同情が集まって刑が軽減されたりした結果が、二・二六事件の暴走につながったということと、海上保安庁は機関砲などという武器も持っている役所なのだ、ということ。
免罪の根拠として「そもそも大した秘密じゃないし」ということを言い出す人も散見されますが、やはり、筋は通すべきだと思います。
挫折を知った事で一回りも二回りも人間的に成長する事が在りますし、誰にでも復活のチャンスは与えられて良いと思っていますが、過去の挫折を何の糧にも出来ない人間には復活のチャンスが与えられたとしても、多くの人は冷ややかな目で見るだけでしょうね。安倍元首相(「民間の懸賞論文へ応募した作品が、政府見解と対立する。」という理由から幕僚長を更迭処分を受けた田母神俊雄氏。シビリアン・コントロールの観点等からも、当時自民党が下した此の処分は適切だったと自分は思っています。しかし「愛国無罪」的な主張をする今の自民党の議員達を見ていると、「では、何であの時処分したの?」という矛盾を覚えます。彼なりの「愛国心」が在った筈で(其の点にも、自分はシンパシーを覚えないけれど。)、其れならば同様に「愛国無罪」とするのが筋だったのではないか?論文で主張しただけの人間を処分するのは適切で、違法行為を“実際に為した”人間を処分するのは許し難いというので在れば、此れ程支離滅裂な事は無い。)や鳩山前首相等、無責任に職務を放り投げた様な人物が、過去の反省も無いままに偉そうな事を口にした所で、「御前がそんな事を言えるのか?」と嘲笑されるのが落ち。
自分の考える「愛国心」と少しでも異なった思考の相手を「売国奴」呼ばわりし、「愛国」の概念を「法律」よりも優先させるとしたら、こんな人物が一国のトップだった事に怖さを覚えてしまう。「右翼」だろうが「左翼」だろうが、どんな考え方を個人が持つのは全くの自由。でも「余りに偏った思考」に関しては右or左無関係に自分はシンパシーを覚えないし、ましてや其れを強いられるのは真っ平御免。
「中国の顔色を窺う余り、真実が映し出されている映像を公開しなかった政府。」も駄目ならば、「愛国心だ正義だを持ち出して、其の実は政府攻撃の為に利用したいだけの野党や民主党内の反主流派。」も駄目。結局は「国民」への思いよりも、「党利党略」だけを優先させているとしか思えないから。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
自衛隊や海上保安庁等、国の安寧を守るべく必死で頑張っている人達には敬意を持っています。しかし同時に、実質的には「軍隊」と言っても良い組織が暴走してしまう危険性にも、注意を払わなければいけないとも考えています。古今東西の歴史を見れば、「愛国心」だ「正義」だといった極めて曖昧&危うい概念を持ち出して自身の行為を正当化&拡大解釈化して行き、国を妙な方向へと導いた軍隊というのは枚挙に遑が無いから。
「当該映像を敢えて公開しない事で、此れを外交カードとし、強かな中国にを揺さ振り掛ける。」といった戦略的な意図が在ったのならば別ですが、今の政府に其れだけの強かさが在るとは到底思えない。だったら、政府は直ちに国民に公開すべきだったと自分は思っています。
でも、だからと言って、政府が機密扱いした事項を、違法な形で以って流出させた事が正当化されるべき物では無い。ましてや実質的に「軍隊」といった面“も”在る海上保安庁の人間が、政府の見解を無視して違法に流出させるなんて、シビリアン・コントロールの観点からも到底許される筈が無い。
当該職員が取材を受けている場面をニュース番組で目にしましたが、申し訳無いけれど「純粋な正義心からの行為」という感じは受けなかった。「sengoku38」なるハンドル・ネームに関しても「今の世の中は『戦国』の様なものだから。」みたいな理由を口にしていたけれど、苦しい言い訳としか感じられなかったし、「政府に対する悪意在りき」というのが自分が受けた印象でした。
仮に「純粋な正義心」が在ったとしても、今回のケースが「愛国無罪」となってしまえば、「愛国心や正義を口にすれば、違法行為でも正当化される。」と“悪用”する者が続発しないとは限らない。人によって受け止め方が千差万別な抽象的概念を、法律よりも優先させてしまうのは非常に恐ろしい事。
北朝鮮等の様に国民が物言えぬ独裁国家ならば話は別ですが、日本はそういった類いの「無法国家」では無い。自分も「内部告発」自体は否定しないし、寧ろ肯定的に捉えているけれど、其れでも違法行為が在ったならば、きちんとその点では裁きを受けるべき。其処に「情状酌量の余地」が在るかは、裁判で考慮すれば良い事だし。
「当該映像を公開しなかった是非」と「違法に映像を流出させた事の是非」は、きちんと分けて考えなければいけない筈。それなのに中国の如く「愛国無罪」を掲げ、法律で裁く事すらも全面否定している人が多いとしたら、此れは問題在りと考える。感情を法律よりも優先させてしまう人が本当に多いのならば、裁判員制度というのは我が国には馴染まない制度なのかもしれませんね。
佐藤優氏も、同じ事を指摘されていたんですね。人でなしの様な報じられた方を嘗てはされていた金正男氏ですが、数年前より記者達のインタビューを受けている姿を見ると、“偉大なる将軍様”なんかよりは遥かにまともな感じを受けます。権力の中枢から弾き出された故の言動かもしれませんが、「外務省のラスプーチン」なる呼称で「売国奴」の様な扱いを受けていた佐藤優氏の事を考えても、結構恣意的な報道姿勢というのも少なからず在ったのかもしれません。
数学の問題とかならいざ知らず、「愛国心」や「正義」といった極めて曖昧&危うい概念は、其の内容が唯一無二な訳が無い。悪意を持った人間が此の手の言葉を持ち出して、意図的に妙は方向へと世論を誘導する怖さ。又、悪意の無い人間で在ったとしても、「愛国無罪」が成立する事で其れがどんどん拡大解釈されて行き、「愛国心や正義を持ち出せば、全ての行為が許される。」という悪意を持った人間が現れないとは言えない。
違法行為を為したので在れば、中国人船長も件の職員も、きちんと法に則って裁くべき。其の点では、中国人船長を開放してしまった政府の責任は問われるべき。でも、「違法行為を為した中国人船長が罪に問われなかったのだから、件の職員も罪を問うべきでは無い。」というのも違うと思う。「Aを見逃したから、Bも見逃せ。」という論理を主張する人は、「無関係な人間を殺したAが罪に問われなかったのは正しいけれど、自分にとって最愛の人を殺したBも同様に罪に問わないで貰いたい。」と言えるのだろうか?
ホイホイ命令に歯向かっては暴走だのクーデターだのという話になりますが、公務員でも何かしら平和的に異議申し立てを行える機関が存在したほうがいいかもしれませんね。
本件について、多少スマートな選択肢があるとすれば、家族の安全を守ることと交換条件で、複数野党の有力者へタレ込みを持ちかけることでしょうか。新聞・テレビにタレ込んでも握り潰されたり、脚色される可能性もあります。
あるいはウィニーでも使って、わざと暴露ウイルスに感染すれば、giants様の仰る悪意が有っても「ドジ」にみせかけて流出できたし、その辺のヒマ人たちがyoutube等にアップして拡散してくれたかもしれません。過失に対して庁内で処分される程度です。38氏が思いつかなかったのか、あるいは目立つことを望んだのかは定かではありませんが。
報道通り、将来の公開用または研修用に作成し、且つアクセス権を持っている者が映像を持ち出したのなら、重罰に問えるかは疑問です。不正アクセスはしていないし、公判資料の持ち出しにも該当しません。38氏が流出させる以前に、他の職員が自宅に持ち帰って、キンタマ感染する可能性だってあった話です。
これ、交通安全委員会に例えるなら、講習担当のオッサンが違反者講習用の事故映像ビデオを持ち出すのと同等では。だいたいが罪に問えても極めてケチな罪です。英雄ではありませんが、一方で大それたことをしでかした重罪人でもありません。「警視庁と検察が合同捜査」なんて、分不相応というか、まるで要人暗殺犯並の対応に、日本ってどうしちゃったの?って感じです。
※「愛国無罪!!」って意味ではありませんし、所信表明演説やった直後に首相やめた人の擁護でもありません。
「五・一五事件」や「二・二六事件」で決起した将校達の中には、真剣に日本という国の在り様に憂いの気持ちを持ち、純粋な気持ちから参加した者も居たでしょうけれど、「此の思考こそが正義や愛国心で在り、其れを受け容れない者は問答無用で斬り捨てても良い。」となってしまうと、純粋で在るが故の怖さを感じてしまう自分です。
今回の職員が仮に純粋な思いから遣った事で在ったとしても(インタビューを受けた際の遣り取りからすると、個人的には「純粋な正義漢からだけの理由では無さそう。理由も“後付け”的に感じられる部分が在るし。」という印象が。)、今回の件で仮に「一切御咎め無し。」としたら、今後は「愛国心や正義を掲げて行えば、政府に対して何を遣っても許されるのだ。」という拡大解釈の方向へと進み兼ねない懸念を覚えるんです。今回の行動が違法か否かも含め、此のまま有耶無耶にするのでは無く、きちんと司法の場で判断すべきではないかと。
何を以ってして「機密」と考えるかの線引きも確かに難しいけれど、其れを「感情」だけでああだこうだと言ってしまったら、国家の体を為さなくなってしまうという事も在り、其の意味でも司法の場に持って行くのがベターと考えています。
与党も野党も色々言葉を並べ立てているけれど、結局は今回の件を自分達の党利党略に利用しているだけといった感じの人間が目立っている気がします。
仮に今回の件が一定の終息を迎えたとしても、「此れだけ世間の注目を集めた人間ならば、多数の票が見込める。」と、(首になろうがなるまいが)件の職員を選挙に担ぎ出す政党が出て来るだろうし、其の時には又此の件が蒸し返される事になるのでしょうね。
「愛国者だから減刑または無罪」なんて事例を作ってはならない。それと同時に、今ある法律と、公務員の服務規程以上の重罰を与えるのは、感情的であり、法治国家の概念が根底から覆ると思います。
ただ、これが刑事事犯となるかはともかくなんらかの形で司法の場で問うのは賛成です。
此れは全ての判例に言える事なのですが、時代にそぐわなくなった判例に関しては、裁判官が勇気を持って、“法律の条文解釈として妥当な範囲内での”新たな判例を出す必要は在りましょうね。
「『愛国者だから減刑または無罪』なんて事例を~法治国家の概念が根底から覆ると思います。」というのは全く同感。あくまでも現行の法律が定める範囲内で、粛々と冷静に判断する事は重要。
兎に角、右だろうが左だろうが、与党だろうが野党だろうが、そんな事は無関係に邪な思惑で今回の事件を利用して欲しくないものです。