ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

批判されるのは気の毒

2014年06月02日 | スポーツ関連

一昨日行われた「バファローズvs.ジャイアンツ」戦は、実に見応えの在る試合だった。バファローズの金子千尋投手、そしてジャイアンツの菅野智之投手という両先発が、素晴らしい投球を見せてくれたので。

 

素晴らしい投球と言っても、中身は全く異なる。9回を投げ切ってノーヒットノーランだった金子投手は、奪三振数も「11」と完璧な投球。敵乍ら「勝利投手にさせて上げたい。」と思ってしまう、天晴れな内容だった。

 

一方、菅野投手の場合は、7回を投げて7安打&3四球。「1回裏:12塁、2回裏:2死2塁、3回裏:1死1塁、4回裏:2死1&3塁、5回裏:2死1&3塁、6回裏:2死満塁。」と、7回裏以外は全て出塁され、決して良い出来とは言えなかった。しかし、粘りの投球で点を与えなかったのは、流石今季開幕投手任されただけは在る。

 

12回表に亀井義行選手がホームランを放ち(中継で解説を務めていたのは、“ムッシュ吉田”と有田修三氏。有田氏の解説と言えば、「口にする“予想”が、悉く外れる。」という印象が強いのだが、一昨日の試合では何度か「今日のジャイアンツ打線の中では、亀井選手が一番良い振りをしている。」と口にし、9回裏もホームランを放つ直前に好結果を仄めかしていた。アナウンサーは有田氏の眼力褒め称えていたが、「下手な鉄砲も数撃てば当たる。」の様な気もする。)、結果的にはジャイアンツが勝利したが、両チームの選手達に感謝したい好ゲームだった。

 

其れにしても、だけピンチを作り乍ら、善くも失点しないで切り抜けられたなあ。」というのが、菅野投手の投球。6回もピンチを作れば、普通は数点しっているだろう。「粘りの投球」で片付けてしまうには足りない様な何かが、一昨日の菅野投手には在った。そして、其の「何か」の正体を知ったのは、試合終了から暫くしての事。

 

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監督、悲し・・・父・さん死去 今後も帰京せずに指揮」(6月1日、スポニチ

 

プロ野球巨人・原辰徳監督(55歳)の父で、東海大系列校野球部顧問の原貢氏が29日午後10時40分、心不全神奈川県内の病院で死去した。79歳だった。通夜葬儀は近く、近親者のみで行い、7月14日午前11時から東京都文京区東京ドームホテルで「御別れの会」が開かれる。貢氏は三池工東海大相模の監督として夏の甲子園を2度制覇した。長男・辰徳との「父子鷹」でも夏合わせて4度甲子園に出場。東海大でも指揮を執り、「野球人・原辰徳」の最大の恩師だった。

オリックスとの5時間1分に及ぶ死闘制し、原監督は「色々な勝負が在るが、正に無限大の勝負が在ると身を以て知った。古葉(竹識)監督の言葉に『耐えて勝つ。』というのが在りますが、私の心の中にも何時も在る。正に其れを実践する事が出来た。」。広島南海で活躍し、現在は東京国際大監督を務める名将の言葉を借りて振り返った。

 

其の後、巨人球団広報部から父・貢氏が5月29日に死去していた事が発表された。既に、原監督は帰りのバスの車中。死去から2日後の発表は遺族意向による物で、オリックス戦の為に大阪滞在中の原監督は、今後も帰京する事無く、次戦のソフトバンクとの福岡遠征も指揮を執り密葬後にコメントを発表する予定だと言う。

 

貢氏は心筋梗塞大動脈解離併発させ、5月4日に入院。原監督は翌5日の中日戦(ナゴヤドーム)の指揮を川相ヘッド・コーチ託し、緊急帰京した。そして9~11日の阪神3連戦(甲子園)のミーティングの中で、初めて選手に対して父の病状を語った。グラウンド内では勝負師徹し私情を持ち込む事は無かった。一方で、病院に近い横浜市内のホテルに泊まって看病に努めた。一時は、原監督が「楽観は出来ないが、少し良くなって来たかな。」と話した様に、回復兆しも見られたが、29日の楽天戦(東京ドーム)後に訃報が届いた。

貢氏は野球の持つ不思議さと面白さを、高校野球を通じて甲子園で体現した指導者だった。「相手を凌ぐファイトと基本プレーで闘う。」。其処に、知恵を重ねて行く。2度の全国優勝は、言わば「原魔術」が齎した芸術品と言えた。1965年の三池工、1970年の東海大相模。頂点に立ったチームは、何れも下馬評挙げられる様なメンバーでは無かった。原采配は「劣る戦力を纏めて、強敵を倒す。」という痛快な闘いを得意とし、戦国時代軍師彷彿させた。三池工は初の工業高優勝だけで無く、地元の石炭産業が陰っていた時代で、「ボタ山に光」という感動の出来事でも在った。

 

又、東海大相模時代は強打バントをしつこく組み合わせたが、勝因は守りに在った。打者にデータに基づく大胆な守備位置を取り、何度もピンチで痛烈な当たりを未然に防いだ。用心深さと用意周到さ。原辰徳監督がWBC抑えダルビッシュレンジャーズ)を起用したのも、一分を見せずに勝ち抜いて来た父の雄姿を、胸に焼き付けて来たからだろう。

 

長男・辰徳氏が東海大相模に入学してからは、「父子鷹」として話題を集めた。他の部員以上に厳しく接し、九州男児の激しさを爆発させるかの様に、何度も鉄拳を浴びせた。一方で、原辰徳監督が「水泳筋力トレーニング等、積極的に取り入れていた。」と述懐する様に、当時は御法度とされていた練習も奨励した。そして3年夏の大会後に、父の顔に戻った貢氏は「御前辛かっただろう。俺も辛かったんだよ。」と声を掛けた。

 

貢氏に近い関係者によると、辰徳氏が幼少の頃から「息子を巨人の4番にする。」と言い続けていたと言う。其の夢は叶った。今年2月には巨人の沖縄キャンプを訪問。孫の菅野が先発した4月29日のヤクルト戦(東京ドーム)にも観戦に訪れる等、最後野球を愛し続けた。

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原監督にとっては「父」、そして菅野投手にとって「祖父」で在る貢氏が29日に亡くなっていた。訃報を受けてから初の試合が一昨日で在り、其のマウンドに上がったのが菅野投手だった訳で、「何としても此の試合に勝利し、祖父に勝ち星をプレゼントしたい。」という強い思いが彼に在ったのは、想像するに難く無い。だからこそ、彼程迄に奇跡的な粘り強さを見せたのだろう。原監督も、嘸や嬉しかったに違い無い

 

貢氏が入院し、危険な状態に在るという報に触れた際、「原監督は、其れでもベンチを離れる事無く、指揮を執り続けるのだろうなあ。」と思った。良くも悪くも“体育会系気質”が強く、武士道やら精神論屡々口にする原監督なので、彼の美学として「勝負師は、親の死に目に会えないもの。」というのが在ると捉えていたので。其れだけに、「1日とは言え、指揮権を川相ヘッド・コーチに託し、ベンチを離れる。」という決断を原監督がしたのは、非常に意外だった。

 

此の決断に対し球界関係者やファンの間から、「組織のトップが、現場を離れるとは何事か!」とか「親の死に目に会えないのが勝負師なのに、何と情け無い。」等の批判が少なからず出た。

 

2年前、「親の死に目」という記事を書いた。「グランプリファイナルに出場予定だった浅田真央選手が、遠征先のカナダで母親が危篤状態に陥った事を知らされ、出場をキャンセルして帰国した事に、少なからずの批判が出たけれど、彼女の決断に共感する人も多かった事。」に触れた物。

 

人の考えは十人十色で、美学も人其れ其れ明々白々に違法だったり、他人様に迷惑が掛かるのは論外だが、そうじゃ無かったら、色んな考えや美学が在って良い。

 

私見を言えば、原監督が批判されるのは気の毒。という思いが在るし、自分の予想を“良い意味で”裏切ってくれた彼の決断を、心から評価している。全てを放り出して、ベンチを離れたというのなら問題だろうが、川相ヘッド・コーチという確りとした代役を立てての事だから、他者からどうこう批判される問題では無いと思うのだ。

 

「仕事」が重要なのは言う迄も無いが、「仕事」よりも「家族」の重要さが低いとは思わない。「『仕事』を取るか?其れとも、『家族』を取るか?」と言われば、自分は迷わずに「家族」を取る。「仕事」を選択する人がたって、其れは其れで個人の自由だが、自分は「家族」よりも「仕事」の方が重要とは思えない。


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