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「BTS 一連の騒動をファンに謝罪 東京Dで4大ドーム・ツアー開幕」(11月13日、スポニチ)
韓国の7人組「BTS(防弾少年団)」が13日、東京ドームでコンサートを行い、BTSのメンバーが原爆投下の場面がプリントされたTシャツを着用していた事に端を発する一連の騒動を謝罪した。
コンサートを鑑賞したファンによると、騒動其の物を直接言及せず、ファンに対して「心配を掛けて、申し訳無い。」等と語ったと言う。
今回の騒動を受け、9日放送のテレビ朝日「ミュージックステーション」の出演が中止となったニュースは、世界で報道された。米国に拠点を置くユダヤ系の人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は11日(日本時間12日)、BTSが過去にナチス親衛隊(SS)の記章をあしらった帽子を被ったり、コンサートでナチスを想起させる旗を掲げていたとして、非難する記事を公式サイトに掲載した。
同センターのエイブラハム・クーパー副所長は「原爆被害者を嘲笑うTシャツの着用は、過去を嘲笑う此のグループの行動の1つに過ぎない。」と指摘。「コンサートの旗も、ナチスの物に酷似している。BTSは、日本の人々とナチスの被害者に謝罪すべきだ。」と強調し、所属会社にも公式な謝罪を求める等、日韓両国間を超えた国際問題に広がりつつ在る。
BTSは13日から2日間、東京ドームでコンサートを行い、4大ドーム・ツアーをスタート。最新シングルは13日発表のオリコンの週間ランキングで、海外アーティストで初めて初週売り上げが40万枚を超える45万5,000枚で初登場1位になり、米国でも5月にアルバムがビルボード200で韓国勢初の1位に輝いた。
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以前にも書いたが、自分は「日常的に音楽を聞く。」という習慣が無い。なので、BTSなるグループの存在は、今回のニュースで初めて知った。「防弾少年団」なるグループ名には時代錯誤的な匂いを感じなくも無いが、我がジャイアンツの正式名称が「株式会社読売巨人“軍”」という事を考えると、どうこうは言えない。
BTSのメンバーが原爆投下の場面がプリントされたTシャツを着用したり、ナチス親衛隊関連の物(想起させる物も含め)を使っていたりした事には、正直腹立たしい思いが在る。だから、彼等が非難されるのは仕方無いし、心から反省して欲しいと思う。
石原慎太郎元都知事やドナルド・トランプ大統領等の様に、「相手が嫌がっている事を判った上で、態と其の嫌がっている事をしたり、口にしたりする人が居る。此の手の品性下劣な人達は概して、「自分や“御友達”は何をしても許されるが、少しでも自分に反対する人達に対しては『何をしても許さない!』という“判断基準”の好い加減さ。」が在ったりする。
こういう連中は論外だけれど、今回のBTSのメンバーの問題に関して言えば、「そういう思いからでは無く、知識や想像力の欠如からしてしまった事なのではないか?」という気がする。「原爆投下やナチス・ドイツに関する知識に乏しく、又、想像力に欠けている事から、(原爆投下やナチス・ドイツにより)多くの無辜の民が“殺害”された事に思いを馳せられず、単なる“ファッション”として使ってしまった。」のではないかと。(だからと言って、今回の問題が許される訳では無いのだけれど。)
昨日、来日中のMLB選手の1人が、原爆ドームに関する不適切動画をSNSにアップしていた事を謝罪した。又、昨年発生した「沖縄・チビリガマ荒らし事件」は、少年達が“悪戯心”で起こした物だった。実際の所は当人達にし判らないけれど、「被害者達を傷付けたい。」という思いからでは無く、知識や想像力の欠如から起こしてしまった“暴挙”の様に思う。(最近は余り見掛けなくなったが、昔は「差別的な表現が“英語”で記されたTシャツを、平然と着て歩いている人。」を良く見掛けた。当人は意味を理解しないで着ているだけなのだろうが、“知らないという事の怖さ”を感じたっけ。)若い人達を中心に、知識と想像力を育ませる事が大事だ。
上記した様に、今回の件でBTSが非難されるのは仕方無い事だとは思う。でも、「今回の件を“利用”して、“韓国叩き”をしたいだけ。」としか思えない様な人達には、全く共感出来ない。(BTSの「ミュージックステーション」への出演が中止となった事に付いて、「元徴用工への損害賠償を認めた韓国大法院判決に対する意趣返しだ!」という声が韓国内で上がっているそうだが、全くの御門違いな指摘で在り、同様に共感出来ない。)今回の件を非難し乍ら、過去又は現在に於て、韓国や韓国の人達に対して“常軌を逸したレヴェルの差別的言動”をし続けて来た(し続けている)人達がああだこうだ言うのは、「目糞鼻糞を笑う」としか思えないので。
原爆投下やナチス・ドイツに関する事を、面白おかしく取り上げられるのは、非常に不快な事。「原爆投下では、1人たりとも無辜の民は殺されなかった。」なんて言われたら、普通の人間なら怒るだろう。同様に、「日本兵は過去に、1人たりとも無辜の民を殺さなかった。」とか、「〇〇人なんて人数は殺しておらず、殺した人数はもっと少ないXX人だけだから、全く問題無い。」といった“非現実的な主張”をすれば、相手がどう感じるかも想像しないといけない。「自分は何をしても許されるが、他人が同じ事をしたら許さない!」というのでは、全く説得力が無いのだから。
子供のころから空想好きで、ひとりであれこれ想像して遊んでいました。
その延長線上にSFがあって嵌ってしまったのですが(笑)。
しかし、世間一般からいえば空想好きは幼稚とみられがちで、昔はSFも子供の読み物と軽視されていたきらいがありましたね。
でも、空想力や想像力は、こうしたらどうなると先を読んだり、相手の気持ちを思いやることに繋がり、むしろ大人として身に着けておくべき素養のように思います。
行為による結果を想像できないから、とんでもないことをやらかして迷惑をかけたり、相手を傷つけたりしている大人のなんと多いことか・・・。
子供のころならまだ未熟や無知で済まされても、大人が「知らなかった」では済まされないことも多々あるでしょうね。
自戒を込めて。
活字離れが指摘されて久しいですね。本大好き人間の自分からすると、8年前と古いデータでは在りますが、1週間に1冊も本を読まなかった人が3割以上というアンケート結果には驚くだけ。「仕事や家事等で、読む時間が無い。」というのなら未だしも、「スマホ操作に時間が取られている。」というのも結構在りそうで、「本を読まないなんて、勿体無いなあ。」と思ってしまいます。読書からは知識や想像力、感性等、多くの事が育まれると、体験上感じているから。
又、幼少期、幅広い年代の子達と遊ぶという経験が薄れているのも、相手を慮るという事が出来なくなっている要因の様にも。
唯、知識や想像力の欠如って若い人達だけでは無く、中高年の中にも顕著に見られる様になって来ている気がします。根拠を挙げる事無く、簡単に「在り得ない。」で済ませる人の、何と多い事か・・・。