此の年になると、“死”という物が、そんなに遠い存在とは思え無い。西城秀樹氏等、幼少の頃より見知って来た有名人の訃報に触れる機会が増えているし、何よりも身近な人々の死に接する機会が増えているから。そうなると、自ずと“自身の最期”に付いて考えたりもする。
「最後の晩餐には、何を食べたいですか?」という質問を、良く目にする。「何が良いかなあ?」と目を瞑り、じっくり考える。「寿司も良いけど、一番食べたいのは母親の手料理、カレーライスが良いかな。」と自分は思う。年齢から言えば、「自分が亡くなる時に、母親の手料理を食べる。」というのは、現実的では無いのだけれど。
亡くなった後、詰まり“葬儀で流される定番の曲”としてフレデリック・ショパンの「別れの曲(練習曲作品10-3)」【曲】、「千の風になって」【動画】、「アメイジング・グレイス」【動画】等が挙げられるだろう。何れも、葬送に合った名曲。
では、「死を迎える際、流して欲しい曲は?」となると、自分の場合は「上を向いて歩こう」【動画】も良いけれど、「Over the Rainbow(虹の彼方に)」【動画】を流して欲しい。
「死を迎える際、見たい光景は?」となると、“富士山”や“桜”といった“日本を感じさせる物”を挙げる人が多そう。そういうのも凄く良いけれど、自分の場合は“家族”を見乍ら死にたい。「家族に囲まれ乍ら死にたい。」という事だ。
こうやって考えると、最期に望む物って“金銭的には”贅沢と言えないのだろうけれど、“本当の幸せ”って、そんな感じなのかも知れない。
其処で、皆様にズバリ聞きます。「最後の晩餐には、何を食べたいですか?」、「死を迎える際、流して欲しい曲は?」、「死を迎える際、見たい光景は?」。
叶えられるなら船の上で食べたイカ。漁労実習で漁船に乗ったとき、とれたばかりのイカをそのまま刺身にして食べました。あのイカをもう一度食べたいです。
音楽ですか。それは、もう、永遠の名画「2001年宇宙の旅」で使われていた、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」ですね。
見たい風景。日本の月探査船「かぐや」から見た月か、やはり「2001年宇宙の旅」の地球から月へのシーン。あるいは桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」を見ながらというのもいいですね。あの落語を聞くと死ぬのが楽しみになります。1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発というのもいいですね。
自身の幼少期に食した物を、人生の最期に食したい。多くの人はそう望む様ですが、雫石様の場合も、そういう感じなのでしょうね。訪れる前から聞き及んではいましたけれど、実際に大阪を訪れた際、「粉物文化が、想像していた以上に根付いているのだなあ。」と感じました。蛸焼きや御好み焼き等、本当に美味しいですものね。
「曲を耳にすると、特定の映画を思い出す。」というのは良く在る事で、ショパンの「別れの曲」を耳にすると、大林宜彦監督の作品「さびしんぼう」がパッと思い浮かびます。「美しき青きドナウ」も名曲で、耳にすると自分も「2001年宇宙の旅」が思い浮かびます。“彼の作品で描かれていた時代設定”は、もう17年も前の事というのは、隔世の感が在りますね。
“バックスクリーンへの3連発”、ジャイアンツ・ファンの自分からすると思い出したくも無い悪夢な一方で、漫画の様な凄い状況という意味では、実に爽快なシーンでも在ります。
私は辛くてとびきり旨いカレーライスかな。
ラーメンもいいなあ。
音楽は交響曲「惑星」から「木星」。
けれど見たいのは衛星軌道から間近に土星。
で、そのまま宇宙を漂い続ける宇宙の棺桶というのがいいなあ。
自分や雫石鉄也様もそうでしたが、悠々遊様も“最後の晩餐”に選ばれたのが、決して豪華では無い、実に馴染みの在る食事というのが面白いですね。
以前にも書いたと思うのですが、自分は“墓不要派”。購入した墓が在るものの、本音としては砕いた骨を海や土、可能ならば宇宙に撒いて欲しい。一般的に“宇宙葬”と言えば、バルーンに括り付けた遺灰を“成層圏”で撒く形を指している様ですが、“真の宇宙空間”で在る“カーマン・ライン”を超えた場所で撒いて貰えたら本望。