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罪は捜すな、仕立て上げろ。
1925年、治安維持法成立。太平洋戦争の軍靴の響きが迫る中、罪状捏造に走る官憲と、信念を貫く男達との闘いが始まった。
「『蟹工船』の取材と執筆に熱中するプロレタリア文学の旗手・小林多喜二(こばやし たきじ)。」、「反社会的、非国民的思想犯として、特別高等警察(特高)に監視される反戦川柳作家・鶴彬(つる あきら)。」、「同業他社の知人達に不可思議な失踪が続き、怯える編集者・和田喜太郎(わだ きたろう)。」、「不遇に在り乍ら、天才的な論考を発表し続ける、稀代の哲学者・三木清(みき きよし)。」。法の贄と成り乍ら、己の信念を貫いた男達が存在した。
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柳広司氏の小説「アンブレイカブル」を読了。アンブレイカブルとは「壊れない」という意味で、“壊れない男達”、即ち「どんな状況下でも“敗れない男達”。」を描いている。
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・治安維持法:1925年、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まる事を目的として制定された日本の法律。
・特別高等警察(特高): 国事警察として発足した高等警察から分離し、国体護持の為に無政府主義者、共産主義者、社会主義者、国家の存在を否認する者、過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まる事を目的とし、1911年、日本に設置された秘密警察。内務省警保局保安課を総元締めとして、警視庁を始めとする1道3府7県に設置されたが、其の後、1928年に残りの未設置県にも設置された。
・憲兵:大日本帝国陸軍に於て陸軍大臣の管轄に属し、主として軍事警察を掌り、兼ねて行政警察、司法警察も掌る兵科区分の一種。1881年創設された。日本に於ける国家憲兵として次第に権限を拡大し、1890年代には全国の市町村に配置され、軍警察、治安維持、防諜を主要任務とするに到った。
・隣組:太平洋戦争下の日本で、各集落に結成された官 主導の銃後組織。
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制定された当初は「濫用してはならない。」という“縛り”が在った治安維持法も、中身が曖昧な条文が付け加えられて行った事で、“国家にとって不都合な存在”を取り締まり、闇に葬り去る“手段”となっていった。特高や憲兵は治安維持法を利用し、「弱き者を助け、弱き者から財産を巻き上げる者達を糾弾する。」とか、「平和を求め、戦争に反対する。」といった“当たり前の主張”をする者達を次々に“非国民”として捕まえ、牢に送り込む。そして隣組の設置によって、日本は“監視社会”へと突き進んで行った。実際に存在した“恐怖の時代”を、「アンブレイカブル」は取り上げている。
特高によって身柄を抑えられ、執拗に拷問されたり、劣悪な環境に置かれ続けた事で命を落とした者達。昔、大杉栄氏や小林多喜二氏の“惨殺”を資料で読み、背筋が凍る思いだった。「アンブレイカブル」では小林多喜二氏の他に、鶴彬氏や三木清氏、そして山本宣治氏といった「当たり前の主張をした事で、命を落とす事になった実在人物。」が登場する。“国家にとって不都合な存在を取り締まる側”も怖いが、そんな連中に協力し、嬉々として密告に励んでいた一般国民が少なからず存在した事にゾッとする。そういう行為が愛国的と妄信していた面も在ろうが、「“無関心”や“無思考”な国民が多かった。」というのも、大きく影響していたのではなかろうか。
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・左翼も右翼も、目の前の現実を強く否定する。否定の身振りと、否定した後にどんな社会を思い描くかの違いがあるだけだ。おめでたい進歩史観を信奉する左翼は未来に理想社会を夢想し、在りもしない過去の原理に理想を置く右翼は反動・排外主義を旨とする。目の前の醜い現実を全否定し、夢物語を思い描くという点においては右翼も左翼と変わりはない。
・軍隊を含む官僚組織には、自発的に組織を縮小する機能は存在しない。一度生まれた組織は肥大化する欲望にのみ従う。
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自分にとって不都合な事柄は、自らの頭で考える事無く、無根拠に「在り得ない。」と否定する人が増えている様に感じる。又、自分とは少しでも考えが相容れない存在を、面白おかしく排除する人も。歴史を振り返れば「絶対に在り得ないなんて事は、其れこそ在り得ない。」という事や、「人々の無関心や無思考が、どんなに恐怖の世界を作り上げていったか。」が判るだろうに。「面白おかしく排除して行く中で、気付いてみたら自分自身が排除される側に回っていた。」なんて事も、決して珍しい話では無いのだ。
過去に実在した人物や事件を取り上げる事で、柳氏は無関心&無思考な人が増加している現代に、警鐘を鳴らしているのだと思う。何とかの一つ覚えの様に「在り得ない。」を口にする人達に、此の作品を読んで貰いたいが、そういう人達は本を読む習慣なんて無さそう・・・。
「D機関シリーズ」も良いが、昨年読んだ「太平洋食堂」の様に、“実在人物を取り上げた柳氏の硬派な作品”も凄く良い。総合評価は、星4つとする。