昨年位から、TVのレギュラー番組を持つ大物タレントの“番組卒業”が相次いでいる。当人の卒業だけでは無く、番組自体が消滅するケースも。「番組のマンネリ化を払拭する。」という理由も在るだろうが、一番は「番組制作費がカットされて行く中、ギャラが高額な大物タレントの首を切らざるを得ない。」というのが在るのだろう。
大物タレントの番組卒業は、ラジオ番組の世界でも相次いでいる。昨年6月には久米宏氏が、約13年8ヶ月続けて来た「久米宏 ラジオなんですけど」を終了。そして先日、大沢悠里氏の「大沢悠里のゆうゆうワイド土曜版」が3月末で終了する事が明らかとなった。前番組の「大沢悠里のゆうゆうワイド」時代から、約36年続いた人気番組。
以前にも書いたけれど、学生の頃はラジオ番組を良く聞いていた。久米氏で言えば「永六輔の土曜ワイドラジオTokyo」で、全国各地からレポートしていた時代を知っているし、大沢氏で言えば小学生の頃、歯の治療で訪れた歯科医院の待合室で「土曜日です おはよう大沢悠里です」が流れていたのを聞いたのが、初めての聴取だと思う。立て板に水といった感じの久米氏の喋りに対し、のんびりとして心地良さを感じさせるのが大沢氏の喋りだった。
共にTBSラジオを主戦場として来た2人の“卒業”だが、更に同じTBSラジオを主戦場として来た“大物”の卒業が、昨日発表された。伊集院光氏の「伊集院光とらじおと」で、今春に番組終了との事。2016年4月8日に終了した「大沢悠里のゆうゆうワイド」の後継番組として、同年4月11日に放送開始となった此の番組。約6年で、幕を閉じる事に。
元々はニッポン放送を主戦場としていた伊集院氏だが、1990年代半ば以降はTBSラジオが主戦場だった。博識さに加え、着眼点の面白さや喋りの上手さから、ラジオ番組の世界では熱狂的なファンを持つ彼。「伊集院とらじおと」も、聴取率調査では高い数字を獲得し続けて来た。でも、「幾つかの理由から、嫌気が差した伊集院氏が、降板を申し入れた。」というのが、今回の番組終了に結び付いた様だ。
1つは、「2018年6月、TBSラジオの社長に三村孝成氏が就任してからの“極端過ぎるコストカット意識”の蔓延。」と言われている。「高聴取率獲得を、最大の経営目標に据えていた。」のを改め、「兎に角、コストカットを図る。」事が最優先された結果、久米氏を始めとする人気パーソナリティーの番組が次々と打ち切られ、「昨年6月には、2001年から約20年間、TBSラジオが死守し続けて来た“首都圏の聴取率首位の座”から陥落した。」事が、大きく報じられた。 そういう三村社長の姿勢を揶揄し続けて来たのが伊集院氏で、三村体制での番組作りに嫌気が差したとも。
そして、もう1つの理由は「昨夏、女性週刊誌に報じられた『伊集院氏のパワハラ疑惑』。」と言われている。「伊集院氏の番組関係者に対する高圧的な態度、特に月曜アシスタントの女性アナウンサーに対する発言が問題となっている。」という取り上げ方で、件の女性アナウンサーに対しては「今、〇〇(女性アナウンサーの名前)は、降板スレスレのラインだからな。」といった発言をし、悩んだ彼女は降板を申し入れたとか。
此の報道に関しては関係者の間に、伊集院氏を擁護する声も多い様だ。「伊集院氏は非常にストイックで、“ラジオ愛”が強く、葉書選び等にも何時間も掛ける。特に月曜日は深夜3時迄生放送をした後、局の床にマットレスを敷いて仮眠を取り、翌朝の放送に備える程。又、期待して可愛がっている後輩の面倒見も良く、件の女性アナウンサーも、其の1人だった筈です。」という声も紹介されていた。「降板スレスレのラインだからな。」という発言、期待の大きさの裏返しだったとも言える。
実際はどうか判らないし、人によって受け取り方は色々なので何とも言えないけれど、伊集院氏としては一方的にパワハラと報じられた事で、局やスタッフに対して不信感が芽生え、番組を続ける事に嫌気が差した可能性が。
で、今回の番組終了の報を受けて、ネット上の書き込みで目立つのは“伊集院氏を擁護する声”だ。「真面目に遣っている人が、真面目に遣っていない人を咎めるだけで、パワハラになる風潮が強く為り過ぎ。」、「確かに『上の人が下に注意をする時、言葉に気を付けなければならない。』と思う。だが、厳しく指導する事其の物を、パワハラと言われ兼ねない風潮は問題。」といった趣旨の書き込みに「其の通りだよなあ。」と頷いてしまったが、特に印象に残った書き込みは次の物。
**********************************************************
・前に会社で“MBAコーチング研修”なる物を受講したが、凄く違和感が在った。若手社員に対し「褒める。」、「否定しない。」、「叱らない。」で、常に「君は、どう思う?」と丁寧に聞きましょうという物。何か腫れ物に触る様な感じで、『こんな対応で大丈夫か?』と思った。
**********************************************************
昨年の記事「虐めた側は忘れても、虐められた側は一生忘れられない」で書いた様に、自分が社会人となった時、“教育係”として付いた先輩から、虐めの様なパワハラを受け続けた。暴力を振るわれる事こそ無かったものの、執拗に精神面を痛め付けられ、時には血便が出る事も在った程。ウン十年たった今も、当時の深い恨みは残っている。
そんな自分だから、パワハラに関してはどうしても厳しい目を向けてしまうが、だからと言って「下に対して、腫れ物に触る様な対応を取り続ける。」というのは、絶対に間違いだと思う。「暴力は決して許されないが、時には厳しい態度で当たるのも、下が成長する為には必要。」と思うので。