全身全霊を傾けて著した小説で在っても、実際に読んでくれる人が少なければ、軈ては忘れ去られて行き、後世に残る事は難しいだろう。「如何に多くの読者を、“読む気”にさせるか?」は重要なテーマで在り、其の為に作家達は知恵を絞る。「インパクトの在る文章を、出出しに持って来る。」というのも、読者をストーリーに引き込むテクニックの1つ。
「インパクトの在る文章で始まる小説」は幾つか在る。強く印象に残っているのを2つ挙げるならば、1つは梶井基次郎氏の小説「櫻の樹の下には」の「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」。そして、もう1つは、太宰治氏の小説「走れメロス」の「メロスは激怒した。」だ。
其の「走れメロス」を中学2年生の男子が自由研究の題材として取り上げ、或るコンテストに応募した所、入賞したのだとか。「国語」という観点からでは無く、「算数・数学」の観点からの自由研究というのが、実にユニーク。
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「『走れメロス』は走っていなかった!? 中学生が『メロスの全力を検証』した結果が見事に徒歩」(2月6日、ねとらぼ)
一般財団法人「理数教育研究所」が開催した「算数・数学の自由研究」作品コンクールに入賞した「メロスの全力を検証」という研究結果が、とても興味深いです。中学2年生の村田一真君による此の検証では、太宰治の小説「走れメロス」の記述を頼りに、メロスの平均移動速度を算出。其の結果、「メロスは、全く全力で走っていない。」という考察に行き着きます。端的に言うと、メロスは往路は歩いていて、死力を振り絞って走ったとされる復路後半の奮闘も、「徒の早歩きだった。」と言うのです!何てこった!
メロスは作中、自分の身代わりとなった友人を救う為、王から言い渡された3日間の猶予のう内、初日と最終日を使って10里(約39km)の道を往復します。今回の研究では、此の道程に掛かった時間を、文章から推測。例えば往路の出発は、「初夏、満天の星」と在るので0時と仮定、到着は「日は既に高く昇って」、「村人たちは野に出て仕事を始めていた。」と在るので午前10時と仮定して・・・距離を時間で割った平均速度は、ずばり時速3.9km!うん、歩いてるね!
メロスは復路の日、「薄明のころ」目覚めて「悠々と身支度」をして出発し、日没限り限りに、ゴールで在る刑場に突入します。村田君は北緯38度付近に在るイタリア南端の夏至の日の出が大体午前4時、日の入りが大体午後7時と目星を付け、考察を開始。復路では途中、激流の川渡りや山賊との戦いといったアクシデントが在り、此れ等のタイムロスも勘案して、メロスの移動速度を算出します。
其の結果、野や森を進んだ往路前半は時速2.7km、山賊との戦い後、死力を振り絞って走ったとされるラスト・スパートも時速5.3kmと、思った以上に「ゆっくりしていってね!」な移動速度が、算出されてしまいました。メロス・・・走ってないやん!!!!因みに、フルマラソンの一般男性の平均時速は9kmだそうです。
勿論、現代の様に道が道らしく整備されている保証は在りませんし、色んな足止め要素を想像すれば、算出された平均速度以上にメロスは頑張っていたと想像する事も可能です。因みに発表者の村田君は、「往路の事でメロスは、結婚式の為に色々買ったので、其れを全て持って村に行かなければいけないので、少し遅くなったと思います。しかし、遅過ぎると思いました。」、「『走れメロス』というタイトルは、『走れよメロス』の方が合っているなと思いました。」と、ざっくばらんに感想を寄せています。村田君、ナイス研究!!!
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「算数・数学の自由研究」の題材に、小説を取り上げたセンスが素晴らしい。こういう柔軟さは、人をより大きく成長させるに違い無い。
其れにしてもメロス、親友の命が懸っているというのに、全力では無く早歩きだったとは・・・「『走れメロス』というタイトルは、『走れよメロス』の方が合っているなと思いました。」という村田君の指摘は、其の通りだと思う。
自由研究
夏休みに昆虫の生体の研究したことがあるくらいです。
それしか思い浮かばないですね。
それにしても
走れメロスが数学の自由研究に使われてるとはね。
それのパロディの走れよメロスは私も
ナイスというかGJ→グッジョブだと思います。
昆虫採集、防腐剤を注射する際、誤って指に指して大騒ぎした事が在ります。頭の悪い餓鬼だったので、「死んじゃうんじゃないか!?」と何度も何度も傷口を吸ったり、水で洗ったり。
バブルの頃は自由研究で提出する「昆虫の標本セット」なんていうのが売られていましたね。子供が作ったと見せ掛ける為、態と下手っぴな作りだったのが笑えました。