脚本家の内館牧子さんが週刊朝日に連載しているコラム「暖簾にひじ鉄」は面白く、当ブログで過去に何度か取り上げて来た。6月6日特大号では「郷里は何処?」というタイトルで、「世代の違いから生じた意思の不疎通」に付いて触れている。
或る夜、内館さんが仙台の旧制二高OB9人と、都内の或る店で会食した際の話。9人は全員が、80代半ばから後半。思い出話に花が咲いていた所、大学1~2年生位に見える店の若い女性が、空いた皿を下げに来た。
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OBの1人が、「貴方はバイト?」と聞くと、笑顔で、「はい。」と答えた。別のOBが、「そう。クニは何処?」と聞いた。するとバイト嬢は「は?」とでも言う様に怪訝な顔で、「日本です。」と答えたのだ。今度はOB達が「は?」で在る。怪訝な顔で再び、聞いた。「だから、クニは?」。彼女はゆっくりと、大声で答えた。「ジャパンです!」。
私は笑いを堪えるのに必死だった。此の噛み合わない遣り取りは、「故郷(クニ)」という言葉が、若い人に伝わっていない事から来ている。彼等にとって、クニといえば「国」しかないのだ。だから「日本」と答えた。なのに変な顔をされ、老人だから耳が遠いと思ったのだろう。今度は「ジャパン」と大声で答えた。今、思い出してもおかしい。
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自分の様なおっさん世代だと、「御郷里(おくに)は何処?」という会話を普通に聞いて育って来たし、こういう場合には「くに=出身地」を指しているのが判るけれど、確かに今の若い子だと、判らなくてもおかしくはないだろう。
で、本筋の話では無いのだが、コラムニストの堀井憲一郎氏が、4月11日付けの秋田魁新報に載せた「こうるさいおじさん」という随想に付いても、「郷里は何処?」の中で取り上げている。
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例えば、今の若者の基本ルールとして「御酒は、1人1人好きな物を別々に頼む。」が在ると言う。詰まり、酒をシェアして飲むという事を教わっておらず、知らないと堀井さんは書く。そして、此れは、「『個性を尊重する社会が良い』幻想が根拠なのだろう。個性を大事にする様に教えられ、其れは学生の終わり迄は通用する。唯、此の社会は機能性を重視する効率システムを採っている。社会人になった途端、強制的に矯正される。」としている。其の通りだ。社会という所、「オンリー・ワン」許りを尊重してはくれない。
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極論で言えば、「10人で集まって飲んだ際、全員が日本酒を飲む事になっても、1人1人が其れ其れに“My徳利”を注文し、個々で飲む。」となると、確かに「えっ!?」という光景だ。良くも悪くも、「社会が『オンリー・ワン』許りを尊重してはくれない。」というのも事実だと思う。
若者に関する「オンリー・ワン」と言えば、こんなニュースが報じられていた。
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「相席嫌・・・学食に1人用『ぼっち席』広がる」(6月6日、読売新聞)
全国の大学の食堂で、テーブルを衝立で仕切る等した「1人用席」を設ける動きが広がっている。
相席を嫌がる学生が増え、「1人でも周囲の目を気にせず、食事をしたい。」という声に応えた物で、「独りぼっち」を意味する「ぼっち席」と呼ばれ、定着している。
一方で教員からは、「学生が交流し易い工夫が必要。」といった指摘も在る。
1人でラーメンを啜る男子学生や、スマートフォンを見乍ら御握りを食べる女子学生。東京都豊島区の学習院大の食堂では昼休み、高さ約40cmのアクリル板で中央を仕切ったテーブルが、次々に埋まった。向かいの人の視線が遮られ、「此処なら、1人でも落ち着く。」と文学部1年の男子学生(19歳)は話す。
同大では今年4月、学食の改修に伴い、約470席の内100席を「1人用席」と位置付けた。1人で利用する学生が増えた為で、テーブルを仕切った40席に加え、窓際のカウンター席や、向かい側と視線が合わない様、工夫された三角形のテーブル席も設けた。
学食の改善に携わった瀬谷晴仁・同大キャリアセンター部長(57歳)は「学生の要望に対応する必要は在るが、大人数でわいわい食べに来て欲しい気もする。」と複雑な表情だ。
テーブルを仕切った1人用席は、2012年に京都大の学食に登場。学生が「ぼっち席」と呼ぶ様になった。「ぼっち」は若者言葉で、「友人が居らず、孤独な状態。」を指す他、「集団と、一定の距離を置く。」という意味でも使われる。
神戸大の生協食堂でも昨年、6人掛けテーブルの中央に衝立を設けた。約90席を用意した所、好評で、今年4月に30席を増設、全座席の1割を占める。
従来のテーブル席は学生が相席を避け、混雑時も空席が目立っていた。「1人用席の導入で、席の利用が効率的になった」と同大生協。国際文化学部3年の男子学生(21歳)は「手早く食事が出来て便利。テーブル席にグループや知らない人が居ると、気兼ねして座り難い。」と歓迎する。
大東文化大も昨夏、埼玉県東松山市に在るキャンパスの学食(約370席)に、仕切り付きの72席を設置。福井大でも昨年、同様に1人用の64席を設けた。
大学生協が加盟する事業連合によると、改修時に1人用席を設ける学食が増えているが、「対話や交流が、学生生活の基本だ。」と、増設に反対する教員も居ると言う。
心療内科医の生野照子・神戸女学院大名誉教授は「今の若者は対人関係が苦手な反面、孤独に見られるのを嫌い、トイレで食事をする極端なケースも在る。学生が自然に交流出来る場を工夫する事も必要だ。」と指摘している。
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対人関係は煩わしさも在り、“時には”1人で食事をしたい事が在る。又、記事で男子学生が言っている様に、「手早く食事が出来て便利。テーブル席にグループや知らない人が居ると、気兼ねして座り難い。」というのも判る。
唯、自分の学生時代の経験から言えば、知らない連中許りのテーブルで食事をしている内に、何と無く話をし始めて、結果的に仲良くなったという事も在り、「気兼ねして座り難い。」という理由から、そういうテーブルを避け続けるとしたら、何か勿体無い気がする。
TPOに応じて“ぼっち席”や“集団席”を使い分けるのならば良いのだが、「心地良いから。」と“ぼっち席”だけを選択していたら、「社会に出た時、上手く対応出来なくなってしまうのでは?」という懸念を覚える。
「1人の時の相席敬遠」や「トイレ飯」は「一緒に行動する友達がいない=性格に難あり?」と見られることを危惧するからではないかと推察しています。それは何に起因するかというと、小中学生時の教師の「お弁当は1人で食べてはいけません。ただしメンバーは席順による班割ではなく、好きなメンバーでよい」という方針ではないかと。教師が「友達原理主義」の信者だと、生徒の側は特定人物を孤立させていたたまれない思いをさせたり、一人でいることを好む生徒が後ろめたい気持ちになったり、「外れになりたくない」という気持ちに付け込んで特定人物を隷属させたりすることが起こる。極論を言えば「友達原理主義」はいじめの元凶になっていると思います。
私なんぞは、友達というのは「いればいたで感謝して、なければないでやっていく」でいいと思うんですけどねぇ。1人の時の相席も平気ですし、偶然向かいに座った他学部の留学生と日本文学の話をしたこともあります。ただ、大規模グループが我が物顔に占拠しているテーブルでは「すみっこを分けていただいている」感があり、そそくさと食べていました。
自分の好きな酒を各々頼むのは、急性アルコール中毒防止の観点からやむを得ますまい。同じ銘柄にしても人それぞれ量やピッチが違いますし。
若者たちは仕事の時にまでてんでバラバラを持ちこむわけではなく、メリハリはわきまえているのではないかと。仕事は仕事として指揮命令系統に従って協調し、昼食や宴会も一応仕事のうちと捉えていると思います。例えるならば、仕事の時は分子同士がしっかり結びついた固体状態、終業後は気体状態、昼食とか宴会はその中間の液体状態。むしろオッサンたちが氷水状態を求めすぎているのではないかと。
まあでも、どの世代にも両方のタイプが少なからずいるので、「良い悪いというより現実」という割り切りはどちらにも必要かと考えます。意外と親しみが湧きますし。
「『1人の時の相席敬遠』や『トイレ飯』は、『一緒に行動する友達が居ない=性格に難在り?』と見られる事を危惧するからではないかと推察しています。」、其れは在るかもしれませんね。全部が全部では無いのですが、若い子を見ていて感じるのは、「他者から駄目な人間と思われたくない。」という意識が非常に強い事。勿論、そういう意識って自分にも在るし、世代を問わずに在るとも思っていますが、若い子達には特に強さを感じます。
以前書いた事ですが、教えた通りの事を守れなかった新人に教育係の同僚が「最初に、此れだけは絶対に守ってって言ったよね?」と、相手を傷付けない様にやんわりと注意した所、其の彼は平然と「そんな注意は受けていません。」と言い張ったそうです。其れも、一度ならずも何度も。其の教育係の彼は人間的にも出来ており、声を荒らげる事も無く、ゆっくり&丁寧に教えるタイプなのですが、流石に此の件では呆れ果てていました。
ぷりな様が書かれている様に、TPOをきちんと弁えて行動を変えられれば、其れは其れで問題無いと自分も思うのですが、そうじゃ無いと当人も社会に出て苦労するだろうし、周りも遣り難いでしょうね。
因みに、自分も「意味無く群れる。」のは嫌いな性分なので、一定範囲に於て割り切りが出来るタイプというのは、嫌いじゃ無かったりします。一人じゃあ動けない大人って、結構多いですしね。