「時代劇で何度も"主役"で取り上げられている人物が主役。」や「女性が主役。」の場合、「詰まらないなあ。」と思ってしまう事が、過去の大河ドラマでは多かった。「女性が主役の場合は詰まらない。」と思ってしまうのは、「概して"家庭内部"が描かれる事が多く、大河ドラマの魅力で在る壮大さに欠ける。」からだ。
昨年の第62作「どうする家康」【動画】は、「主役・徳川家康が過去の時代劇で何度も何度も主役として取り上げられており、『もう御腹一杯!』という感じが在り、加えて(申し訳無いけれど)松本潤氏の演技が下手過ぎる。そして、松本氏のイメージを守る為か、史実を捻じ曲げて『徳川家康を良い人。』に描き上げ過ぎていた。」事から、「近年の大河ドラマの中では、『いだてん ~東京オリムピック噺~』【動画】と同じ位に駄目な作品だった。」と記事「『どうする家康』の総評」で評価した。
今年の第63作「光る君へ」【動画】は紫式部が主役で在り、「『女性が主役の時代劇=詰まらない』が当て嵌まるのでは?」という不安が、放送前から在った。で、記事「『光る君へ』の初回放送を見て」でも書いた様に、初回放送を見た段階では「可も無く不可も無し。」というのが、自分の感想だった。
昨夜、「光る君へ」の最終回が放送された。其処で今日は総評を記すが、「矢張り、詰まらなかった。」というのが、1年を通しての感想だ。歴史大好き人間の自分だが、他の時代(特に、「戦国時代」以降の時代。)と比べると、平安時代に関する知識は薄い。なので、「平安貴族達の実態が、具体的な人物を通して描かれていた。」のは収穫だったけれど、「概して、"家庭内部"が描かれる事が多い。」というのは当該しており、色恋沙汰が稍前面に出ていたのには食傷気味の感が。
又、時代劇とはいえ、「TVドラマで在る以上、架空の人物が登場しても構わない。」とは思っているが、「対馬出身の日本人で、宋の見習い薬師。」という設定の架空の人物・周明を登場させる意味は在ったのだろうか?演じていた松下洸平氏は好きな俳優の1人なので、出演自体は歓迎なのだが、「単に主役のまひろ[紫式部](吉高由里子さん)との色恋沙汰を描きたいが為だけに、無理無理に作り出した人物。」という感じがして、個人的には辟易としてしまった。「どうせなら、実在する平安貴族の1人として登場させて欲しかったなあ。」と。
中には「悪の"顔"しか持っていない。」という者も存在しない訳では無いが、「人間には、色んな"顔"が在る。」のが普通。第16作として放送され、大河ドラマで一番の名作と思っている「黄金の日日」【動画】で、緒形拳氏が演じていた豊臣秀吉の場合、「若かりし頃は『陽気で、人誑しな部分が前面に出ていたが、権力を掌握した晩年は『猜疑心と残忍さに支配された人物』という、非常に異なる人間性で描かれていた。」けれど、何方も豊臣秀吉という人物が有していた部分なのだと思う。
だから、「人間を描く上で、良い面も悪い面もきちんと出せないと、どうしても嘘っぽく感じてしまう。」というのが在る。上記した様に、昨年の「どうする家康」が"失敗"したのもそういう面が在ったからだが、今回の「光る君へ」では「『権謀術数に長け、"驕り高ぶりの象徴"とも言える藤原道長(柄本佑氏)。』が、余りに"良く"描かれていた。」のに違和感が在り、嘘っぽさを感じてしまった。
昨年の「どうする家康」に続き、今年の「光る君へ」も駄目駄目。来年の第64作「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺〜」は、不勉強乍ら全く知らなかった人物・蔦屋重三郎が主役という事で、「期待しても良いかな。」と思ってはいるが・・・。