祖父も父も、新し物好きな人間だった。特に祖父は其の傾向が強く、変わった新商品が発売されると直ぐに購入し、祖母から「又、そんな訳の判らない物を、高い値段で買って来たの!?」と怒られていたもの。1970年代、発売したてのビデオテープ・レコーダやテレビテニス(日本初の家庭用テレビゲーム機)、太陽熱温水器等、当時は結構な値段がした新商品が祖父の家には在った。
そんな2人の血を引いてか、自分も結構な新し物好き。子供の頃は家族で「王様のアイデア」に行き、目新しいアイデア商品を見るのが楽しみだった程。しかし祖父や父は変わった新商品ならどんな分野の物でも触手を伸ばしたけれど、自分の場合は触手を伸ばす分野に偏りが在ったりする。家電製品には興味が在るけれど、携帯音楽プレーヤーや情報機器の分野は殆ど興味が無い。だから5年前に「おサイフケータイは普及するのか?」という記事で「おサイフケータイに全く興味が無い。」事を書いたし、今現在もおサイフケータイは一切使用していない。
昨日、新型スマートフォン「iPhone 4S」が日本で発売になったという事で、購入の為の行列がニュース番組で大きく取り上げられていた。中には、数日前から並んでいた人も居たとか。「“ファミコン”を買い求める為、大行列が出来た映像。」を思い出すも、個人的にはスマートフォンに全く関心が無いので、「長い時間並ぶのは大変だなあ。」位しか思わなかった。
若い子が携帯電話でメール作成しているのを見ると、「凄いなあ。」と素直に思う。あんな小さなボタンをちょこまかと押し、文章を作成するなんて、自分にはとても無理だから。パソコンのキーボード入力が、自分には一番合っている。だから携帯電話からメールを作成&送信するよりも、パソコンからの方が遥かに多かったりする。
自分が所有しているのは、「普通の携帯電話」のみ。其れですら、使用している機能は実に限られている。通話にメール、電卓、カレンダー、そしてワンセグ位か。携帯電話でインターネットを利用するなんて滅多に無いから、「パケットし放題」的なサーヴィスには加入していないし、通話で携帯電話を使う事も余り無いので、料金プランは最も安いのを利用し、其れでも毎月の無料通話分を使い切らない月が在る位だ。
だからパケット代やら何やらで、結構な月額を支払わなければいけないスマートフォンには全く興味が無いのだけれど、「スマートフォン利用者は此の1年で倍増し、国内普及率は9.5%になった。」なんてニュースを見聞すると、「スマートフォンがもっと普及して、『スマートフォンを使わずば、人に非ず。』みたいな風潮になると嫌だなあ。」と思ったりも。先達ては「スマートフォンの操作方法を教える講座に通う中高年が増えている。」というニュースが報じられ、熱心に操作するおっちゃんやおばちゃんの姿が映し出されていたが、「普通の携帯電話だけを使っている自分は、少数派になって行くのかなあ。」と焦りを感じたのも事実だ。
普通の携帯電話で、自分は充分なのだけれど・・・。
使っているのか、使わされているのか、はたまた使われているのか・・・24時間繋がれていたいとは思いません。
今時こんなことを言うと、変人扱いですかね。会社でもケータイを持たないのは私だけです。
居場所を常に管理されているというか、何か紐付きで動いている様な感じが未だにする携帯電話では在るのですが、待ち合わせした時には便利さを感じます。携帯電話が無かった頃は、御互いに待ち合わせ時間に遅れそうになった時は本当に困ったし。3月の大震災の際にも、直ぐに家族と連絡が取れたので、そういった面では貴重。でも、其れ以外では個人的に余り必要性が感じないけれど。
母が亡くなる前に「いつどこにいても捕まえられるように」と家族、親類、医師、看護師に強要されてしょうがなくPHSを買いました。せめてもの抵抗です。家の中、会社の敷地内では圏外です。先月は料金支払いすら忘れてしまい、督促状が来たのでこれを払ったら解約したい…とすら思っています。
教員のいとこは、私の母の葬儀中にも生徒からの電話にいちいち応対し、周囲の顰蹙を買っていました(母が亡くなったのは3月でした。受験結果を視ての進路相談の時期だったのでしょうか)。ああはなりたくないと思いました。
携帯電話を所有するも、四六時中“拘束”されている様な感じが嫌なのですが、そういう感覚の自分は可成りレア・ケースと思っていました。携帯電話を所有されていない悠々遊様、そしてPHSは所有しておられるけれど、好ましく思っていないというAK様は“同志”という感じがして嬉しかったりします。
教員をしている知人も矢張り、「ずっと携帯電話を付けっ放しにしていなければいけない。」と言っていました。近隣からクレームが学校に入った際の連絡、警察からの(生徒を補導した等の)連絡等々、「携帯電話が普及した為に、比喩では無く四六時中縛られている様になってしまった。」と苦笑していましたが、仕事とはいえ気の毒さを感じた次第。