「彼の人の能力の高さは物凄く、其の点では尊敬している。でも、人間的には好きになれない。」。そんな人が、周りに居たりはしないか?自分にとって落合博満氏は、そんな人間の1人だ。大嫌いという訳では無いけれど、好きにはなれない。
選手としての彼が超一流だったのは、恐らく多くが認める所だろう。そして監督としての彼に関しては、異論&反論も在ろうけれど、采配を揮った過去7年間及び今季の成績を考えると、自分は彼が名将の1人だと思っている。だから、“監督として”の彼を高く評価している。
じゃあ「何故、“人間として”の彼が好きになれないのか?」と問われれば、「単なる我が儘」としか思えない言動が、彼には多く見受けられるので。
そう感じてしまう言動は枚挙に遑が無いのだけれど、最も顕著な例を挙げるならば、対戦チームが目の前で“優勝”を決めたシーン。レギュラー・シーズンやCS、日本シリーズで過去に何度か見られたが、対戦チームの優勝が決まった瞬間、プイっと横を向いてスタスタとベンチ裏に引っ込むのが、落合監督の定番。「プロの世界は同好会じゃ無い。何で対戦チームの胴上げを、自分が見届けなければいけないんだ?」という彼形の「強烈なプロ意識」からの行動なのかもしれないが、自分には「対戦チーム及び其のファンに対する最低限の礼儀を失した行為」としか思えない。何も「拍手をし乍ら、胴上げを見届けろ。」とは言わないが、「プイっと横を向いてスタスタとベンチ裏に引っ込むのは、幾ら何でも失礼だろ。」と思ってしまう。
6年前、「ジャイアンツの監督に彼の御仁が就任するのでは?」と世間を騒がせた際、自分が猛反対したのは「自分さえ良ければ、他者の事なんかどうでも良い。」という思考を彼に強く感じたから。落合監督には「近い将来、ジャイアンツが監督として彼を招請するのではないか?」という噂が在るが、個人的には反対だ。監督としての能力は高く評価しているし、彼が監督になればジャイアンツは強くなるとは思うけれど、対戦チームの優勝に非礼な態度を取る者には、愛するジャイアンツの監督に就任して欲しくないから。少なくともそういう態度を取らない分、自分は「落合監督よりも原辰徳監督の方が、ジャイアンツの指揮官として好ましい。」と思っている。
阪神の次期監督の候補にも落合さんは上がっています。
giants-55さんが落合巨人監督がイヤなように、私も、落合阪神監督はイヤです。落合さんが監督なら阪神は強くなるでしょう。
私は、楽しみで阪神タイガースの試合を観ているのです。阪神の試合を観るたんびに、落合の顔を見るのは不愉快です。ファンのわがままでしょうが、不愉快に勝つより、愉快に負ける方を選びます。
とはいいつつも、ひいきチームが負けて愉快なファンはいないでしょうから、愉快に勝ってくれるのが一番いいのですが。梨田さんなら大歓迎です。
自分も含めてですが、ファンというのは勝手な面が在るもの。贔屓チームが負けるのも嫌だけれど、勝てば全てOKという訳でも無い。(「不愉快に勝つよりも、愉快に負ける方を選ぶ。」というのは全く同感。)贔屓チームが他者からされて不快に感じる事は、贔屓チームの関係者がして欲しくない。我がジャイアンツの場合で言えば、暴言を吐き捲るナベツネの存在は、心から恥ずかしいと思っているし。
落合監督が実に個性的で、且つ高い能力を持った指揮官なのは確かなのだけれど、選手時代より「自分さえ良ければ、他者の事はどうでも良い。」というスタンスが露骨に見えるのが好きになれない。負けを喫した際に悔しく思うのは判るし、何も「普通の試合でも直ぐにベンチ裏に引っ込むな。」とは言わない。でも、せめて対戦チームが“優勝”を決めた時位は、相手に対して“最低限の敬意”を示して欲しい。
ああいう態度を取るのは落合監督だけでは無いかもしれないけれど、彼が高い能力を有する名将と信じるからこそ残念でならない。
正直に申し上げて、落合監督を許容できない、と本気で思っておられる人が仮にいるとすれば、
その人がなぜプロ野球ファンでいることができるのか、理解いたしかねるところがあります。
管理人さんが「許容できない」までに強いお立場か否か、は分かりませんので、この際おくとして。
管理人さんはどうも誤解されているようですが、
>「自分さえ良ければ、他者の事なんかどうでも良い」
こそが野球の本質なのではないでしょうか。
もしこれを否定した場合、例えば、八百長を批判することができなくなるはずです。
ゼロサムゲームであるにもかかわらず相手チームを打ち負かすなんて、
相手チームのことを思いやらない「卑劣」な振る舞いですから。
歴史的にみても、野球規則において勝利を目的とする旨の規定が設けられたのは、
初期MLBにおいて八百長が横行したことへの対策である可能性が指摘されています。
もっとも、「自分さえ良ければ、他者の事なんかどうでも良い」という思考が、
社会的に見て妥当ではない、というのは、ごくごく常識的なもので、私も賛成します。
従って、結論としては、(野球含め)スポーツは反社会的なものだ、ということでしょう。
にもかかわらず、この「自分さえよければ」を満足させるためにスポーツをやる・みるわけですから、
苦笑いしながら許容する、というのが、「正しい」立場だと思うのですが……。
(「正しい」というのは、この立場にたたないとスポーツがなり立たない、という意味です。)
孫子様も書かれておられる「苦笑いし乍ら許容するというのが、正しい立場だと思うのです。」というのは、其の通りだと思います。奇襲攻撃はルール違反でも何でも無いし、ルールの範囲内に於いて勝利を最優先させるというのも間違ってはいない。又、「対戦チームの優勝を見届けなければいけない。」という決まりが在る訳でも無いし。
ですから「落合監督も仕方無いなあ。」と苦笑いすれば良い事だと思ってはいるのですが、同時に「半年間という長い間競い合って来た者達に対して、同じ競技者としてせめて『見守る』という形で『最低限の敬意』を見せて欲しいな。」と「残念さ」を感じる気持ちがどうしても強くなってしまうんです。「プロ意識」と「武士道の意識」の鬩ぎ合いと言えば良いかもしれません。「プロの世界は食うか食われるかの世界で在り、『武士道』云々の美学を持ち込むのはおかしい。」という考え方も在ろう事は理解していますが(孫子様がそう考えておられるという事では無く。)。
唯、そういう考え方が行き過ぎてしまうと、「彼の選手は凄く頑張ったので、何とかタイトルを取らせて上げたい。」と、意図的にタイトルを取らせる様な方策を打ち出すという事が起こってしまうし、そういうのは自分が好まない所で在り、悩ましい事では在る。
落合監督の姿勢を批判し乍ら、今日の記事では「ジャイアンツが3連勝した事で、落合監督に対して恨みを晴らす事が出来た。」という趣旨の事を自分は書いているのですから、こういう姿勢も「武士道」に反すると言えなくもなり、自分の中でも「矛盾してるよなあ。」と思ったりもしていました。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
落合監督のことを「我侭」「自分本位」であるとのことですが、はたしてそうでしょうか。
人間って、情報収集するとき
無意識に自分の今の心境や信条に都合の良い情報のみ取捨取得する傾向があるようです。
達川氏のブログや前田幸長氏のブログの落合監督に関する記事は読みましたでしょうか。
私は、落合監督こそ公平公正で他人を尊重する御仁だと思いますよ。
ただ不器用で無口なので誤解されやすいのです。
あと、「俺達に情報を流して当然」という尊大でプロ意識の欠如を感じさせるような態度の記者達に嫌悪感を持っているだけにマスコミに嫌われ、あることないこと言われてるだけで^^;
あと、一番は嫉妬でしょうね。
落合氏は、若い頃から自らの才能に対する嫉妬による虐めの標的になっていたので、筋の通らない多くの批判に慣れっこでなんとも思わなくなっていて、さらに自己弁護をしなくなっていったのでしょうね。
批判されている事の真相を知れば知るほど、我々の嫉妬による誤解だったんだなと気づかされます。
我々他球団ファンやさらには自球団のOBや職員に嫉妬される落合監督を私は尊敬しますよ^^
「最近はこじんまりとした選手許り。昔の様な豪放磊落な選手が懐かしい。」、そんな話がマスメディアのみならず、ファンの間からも出ますよね。でも選手達のプライベートの部分、特に女性関係を面白おかしく取り上げているマスメディア、そして其れを興味本位で見聞しているファン(自分もそんな1人かもしれません。)こそが、選手達をこじんまりとさせているという現実も。
「落合博満」という人間が所謂「規格外」だからこそ、やっかみを感じる人が少なくないというのは在るでしょうね。或る意味、落合博満という人間こそ、マスメディアやファンが望んでいる筈の人物像かもしれないのに。
「落合監督の下では選手達が余計な事に気を遣わずに、プレーにのみ専念出来る。」という評が在ります。選手達にとって働き易い環境を作り、そしてチームの勝率を上げる。此れが出来る落合監督というのは、素直に凄い。
唯、其れを判ってはいるのだけれど、自分の心の中にはどうしても「対戦相手に対する最低限の敬意は示して欲しいな。」という思いが消えません。「勝ちを最優先している事が駄目。」と言っているのでは全く無く(当ブログで以前書きましたが、4年前の日本シリーズで完全試合達成目前の山井投手を交代させた件も、「勝利優先という事で間違っていない。」と落合采配を支持しましたし。)、「対戦相手が優勝を決めた時位は、其れを見守るという形で敬意を見せてくれたらなあ。」と残念に思うのです。
「落合監督が、口下手&生き方下手で損をしている。」と、自分も思っております。(当ブログでも、過去に何度か触れましたし。)其れは判っているのですが、「落合監督が名選手で在り、且つ名監督で在るからこそ、少しでも多くの野球ファンから好意的に捉えられて欲しい。」というのが、自分の気持ちです。
今後とも何卒宜しく御願い致します。