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高度経済成長下、日本の都市政策に転換期が訪れていた1971年12月。衆議院選挙目前に、新潟支局赴任中の若き新聞記者・高樹治郎(たかぎ じろう)は、幼馴染みの田岡総司(たおか そうじ)と再会する。田岡は新潟選出の与党政調会長を父に持ち、今は其の秘書として地元の選挙応援に来ていた。
彼等は「其れ其れの仕事で、上を目指そう。」と誓い合う。だが、選挙に勝つ為に清濁併せ呑む覚悟の田岡と、不正を許さずスクープを狙う高樹。友人だった2人の道は、大きく分かれ様としていた。
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堂場瞬一氏の小説「小さき王たち」は「小さき王たち 第1部:濁流」、「小さき王たち 第2部:泥流」、そして「小さき王たち 第3部:激流」と、3冊の単行本で構成されている。全部で1,200頁を超える大長編だが、内容は「『高樹家』と『田岡家』という“2つの家”の、“3代”に亘る激しい対立と因縁。」を描いている。
一部ネタバレになってしまうが、「若き新聞記者の高樹次郎は、幼馴染みで政治家を目指す田岡総司の“不正”を追及する事になるが、25年後に総司の“陰謀”によって、息子で矢張り新聞記者の和希(かずき)共々“左遷”されてしまう。此の結果、「己が権力の増大を図り、マス・メディアを支配下に置く。」という総司の野望は成就し、マス・メディアは時の政権に対して物を言えぬ、骨抜き状態にされてしまった。政界で絶対的な権力を握る様になった総司だが、自分の後継者となった息子・稔(みのる)の頼り無さが悩みの種。「政治家としての高い資質を持っている。」と考える孫娘・愛海(まなみ)を、将来的には政治家にしたいという思いが在り、修行の意味も在って、TV局の記者に押し込む。そんな彼女は、次郎の孫で矢張り新聞記者の健介(けんすけ)と知り合い・・・。」というストーリー。
3代続けて新聞記者の家系の「高樹家」と、総司の祖父の代から3代続けて政治家の家系の「田岡家」との50年に亘る“激しい相克”を描いた「小さき王たち」は、大河ドラマの様な壮大さが在る。佐々木譲氏の「警官の血」や山崎豊子さんの「大地の子」、手塚治虫氏の「シュマリ」や「アドルフに告ぐ」を読んだ時の様に、ストーリーにグッと引き込まれて行った。
問題が起きても「言い方が間違っていた。」、「不快感を与えたら申し訳無い。」等と、自分の過ちをきちんと認める事無く、又、責任を取って辞める事の無い政治家達。そんなスタンスが“当たり前”となってしまった昨今、此の作品から考えさせられる事は少なく無い。
又、政治家の世襲問題だけでは無く、他の分野でも“家による縛り”が少なからず存在している事に、“日本の変化を好まない体質”という物を、改めて痛感させられる。此れは、我々国民の問題でも在るのだ。
大長編だが、数日で読み終えた。其れだけ、面白い作品。総合評価は、星4つとする。